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四十島の江戸怪談話 —鳥の声にご用心—  作者: 江藤ぴりか


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8/11

第八夜:散るを待たずに落ちた花

 今と違って江戸の頃は桜といえば、エドヒガンやヤマザクラだった。ソメイヨシノが普及したのは明治以降。それでも花見といえば、当時の人はお祭り騒ぎ。様々な人が江戸の桜を楽しんでいた。


 深川の小間物問屋の燕屋つばめやも、墨堤ぼくていの桜に浮足立っていた。

「隅田川の桜も、もう散ってしまうかも」

 四十島よそじはここの見習い商人だった。

「今夜は近所の店のみんなで夜の花見をしようって、旦那が話してたよ」

 帳場で香袋をあつらえるあやさんが四十島に声をかける。

 その言葉に目を輝かせ、接客にも身が入った。



 夜の隅田川もこの日ばかりはいつも以上に、賑わっている。団子屋に、見世物小屋、提灯売りに浮世絵屋台。浮世絵の屋台には色刷りの春画もあって、手代てだいがこっそり買っていた。

「よう集まってくれた。散り際の夜のほうが風情があって良いと思って、今日の花見と相成った。今宵の酒代は旦那衆が持つので、大いに呑んで楽しんでくれや」

 燕屋の主人、燕野文蔵つばめのぶんぞうの声に応えるように皆が歓声を上げる。四十島は下戸なので、酒ではなくお茶だった。


 四十島よそじは焼き団子のにおいにつられ、いつの間にか屋台の前に立っていた。

「らっしゃい、味噌に醤油に色々あるよ。何にしましょ?」

「醤油と味噌をひとつずつ頼むよ」

 店主が刷毛はけを団子に塗り、焼いていると香ばしいにおいが辺りに充満する。肺の中に溜めるように思いっき息を吸うと、お腹の虫も鳴った。

「はっはっは。ちっと待ってくだせぇ!」

「……早めに頼むよ。虫もまだかと暴れてるんでね」

 団子を二串もらうと、場所取りした場所に戻り、ゴザの上に座った。


「おあやさんは花見団子ですかい? あっしは味噌と醤油の焼き団子です」

「甘いものの方が仕事終わりにはちょうど良いのよ。頭を使うとね、甘いものが欲しくなるのよ」

 お文の隣に座ると、白檀びゃくだんの香りがほのかにする。通人客から一目置かれているこの女性は、三十路でまだ結婚もしていないという。

 雨月物語を読んでいたところ、彼女に声をかけられ、話すようになった。それまでは仕事上の知り合いだったのが、こうして何の気なしに話せて、四十島は嬉しかった。


「……知っている? 綺麗な桜の樹の下には死体が埋まっているのよ」

 唐突になにを、と四十島よそじの顔は青ざめる。

「あら? 怖い話が好きなのかと思ったけど、違ったみたいね」

 確かに雨月物語は読んだけど、怖がりなのは変わらない。文字で想像すると怖いからと、草双紙くさぞうしの怪談譚を貸本屋に見せてもらったが、四十島にはまだ早かった。

 牛鬼うしおにの挿絵に夢にまで見るほど、懲りた。そして、貸本屋の嬉しそうな顔に、殴ってやろうかと思ったのだ。

「ヤマザクラはね、赤いのと白いのがあるでしょう? 赤いのが死体が埋まっている方よ」

 からかうようにお文が続ける。静謐せいひつ思慮しりょ深い人かと思っていたが、撤回だ。いたずらも好きみたいだ。

「止めてください、眠れなくなるじゃないですか」

「明日は花見休みだから、多少の寝不足は大丈夫よ」

 この人は……。怖いのが平気な人というのは、怖がりをすぐからかいたがる。


 お茶の飲んでいると、湯呑みにエドヒガンの花びらが入る。

「これが風流というやつか……」

 先の死体の話は忘れて、酔っ払いの適当な都々どどいつや、どこかから聞こえる三味線の音に集中する。

春琴しゅんきんの三味線は、やっぱり一級品だって改めて分かるなぁ」

 早春の鶯浄土うぐいすじょどの美人に思いを馳せる。

 上方言葉の艶やかな美人は、どんな美人画よりも美しかった。


「えー、夜も更けて参りました。燕屋つばめやは明日、花見休みとするので、みんな、ゆっくり休むんだぞ。それでは、このあたりで解散とする」

 文蔵の言葉に手代てだいや女中が撤収作業にかかる。もちろん、見習いの四十島よそじも。ゴザと火鉢を店に運んで、解散となった。



 翌日の早朝。急な呼びかけだったが、長屋の住人は朝早くから寛永寺かんえいじに出かけた。

 参道や境内けいだいの桜が咲き誇る。上ばかり見ていると、参拝客の足を踏んでしまいそうだった。

 木瓜ぼけはもう咲いていなかったが、ツツジやヤマブキが桜の下で咲いている。

「上も下も見事なもんだねぇ」

 大工のおかみが花に酔っていた。

「観音様のご開帳もあるんだろう? 早く見に行かないと」

 ずらりと並ぶ列に、まだかまだかと待っていると隣の爺がしたり顔で呟いた。

「『観音と 桜とツツジ 風流よ』文字右衛門もじえもん、心の一句」

 何だこいつと思わなくはなかったが、それだけ嬉しいのだろうと四十島よそじは納得する。


「はぁー、有り難いもんを観れたね」

 口々に参拝客から感嘆の声が漏れる。それは四十島も同じで、思わず両手をこすり合わせるほど、観音様は荘厳だった。

 手水で清め、「商売繁盛」と祈願し、長屋一同は不忍池しのばずのいけのほとりへ。そこで持ち寄った弁当を広げた。

 大家の加鳥正助かとりしょうすけが簡単な挨拶をした。

「えー、長屋のみなさん、本日はお日柄もよく、観音様のご開帳も拝めて良い日になりました。挨拶はほどほどに、持ち寄った弁当で花見を楽しみましょう」


 四十島よそじの隣には、先程のしたり顔の爺がドカッと座っている。

「加鳥さんも、粋なことをしよる。桜に池越しの月見堂、これこそ風流よのう!」

 誰なんだろう、そう思って甘酒をちびちびと飲んでいると、大家がこっちに来た。

「ああ、文字右衛門もじえもんさん、ここにいましたか。四十島、こちらは他の長屋のご隠居さんだ」

 文字右衛門は風呂敷から一冊の読本よみほんを取り出し、四十島に見せつけた。

「ふむ……今どきの連中は黄表紙じゃ滑稽本じゃと騒ぐが、やはり西鶴さいかくの真髄は〝うら寂しさ〟にある。この『仮名手本』の美こそ、真の粋よの……」

 聞いてもいないのに語る語る。呆気にとられる四十島に加鳥が耳打ちする。

「右衛門さんは通人つうじんぶりの粋がりさんなんだ。厄介な人に捕まっちまったね」

 本当にそう思う。しかし、右衛門の言葉に反応しないのも、申し訳ない。


「あのヤマザクラはひときわ赤いのう。実に美しく、風雅ふうがじゃ、カッカッカ」

「ほんとだ……こわやこわや」

 四十島の感想に文字右衛門が驚く。

「怖いとな? おぬし、風流を理解せぬのか」

「いやなに、昨晩変な話を聞いてしまいましてね。綺麗な桜の樹の下には死体がって……ああ、こわいこわい」

「カッカッカ、さては怖がりと見える。雨月物語も禄に理解も出来ぬだろうな」

 確かに怖いばかりで貸本屋の「しんみり」とやらは、分からなかった。

「へぇ、怖いばかりでよく分かりませんでした。うわぁ、花びらじゃなく花ごと落ちてらぁ! なんだって首が落ちるんですかい?」

 右衛門にも分からず、これも風雅と誤魔化している。上ではスズメがチュンチュン、ヒヨドリがヒーヨ、キーヨとさえずっている。


「メジロにスズメにヒヨドリと、春の鳥は実に騒がしいですねぇ」

鴻屋おおとりやさん。さすがの鳥好きですね」

 鴻屋こと、鴻野源蔵こうのげんぞうが千鳥足で四十島よそじのところに来た。

「げげっ、源蔵さん……」

 文字右衛門もじえもんがバツの悪そうな顔をしている。


 鴻屋が落ちた花を拾う。

「これはスズメの盗蜜とうみつだね。虫や米ばかりのスズメにとっちゃ、春のごちそうだ」

 盗蜜とはスズメが桜の蜜を食べたいがために行うもので、花ごとちぎって蜜を舐めることからついた名だった。メジロやヒヨドリのように舌が長くないので、花をちぎるのだという。しかし、ヒヨドリも横着して花ごと食べることもあるという。

「スズメも、桜についた虫を食べて害虫駆除をしてくれるからな。そう悪いことでもないのさ」

「なぁんだ、また鳥の仕業ですかい」

 四十島の安心をよそに、右衛門は悔しそうな顔を隠し、盃を掲げた

「カッカッカ、スズメのごちそう、実に甘露、甘露」

 ひらりと盃に盗蜜の花が落ちる。

 マガモやカルガモが池を泳ぎ回っていた。春霞でその影がうっすら分かる。


 安心したところで、長命寺の桜餅を頬張る四十島よそじ。アンコの甘さに舌鼓を打つが、膝に落ちた花びらに声を上げる。それは血のように赤い斑点が混じっていた。

「うわぁ! 血だ!」

「ハッハッハ。また『怖がり四十島』が出ているや」

 長屋のみんなは笑いに包まれたのだった。

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