第三夜:赤い目の女と、羽ばたくもの
「らっしゃい、らっしゃい。燕屋の小物だよ! 奥さん、娘さん向けの簪や櫛、帯留めなんかもあるよ!」
申の時、今でいう午後四時ごろ。手代に「店番でもしてろ」と言われ、四十島が店番をしていると、寺子屋帰りの娘からこんな声が聞こえた。
「見たんだって! 夜に廁に行く時、川の上を飛ぶ、白と黒の着物の女がいたんだよ!」
「あたしも。なんか目が赤くて、翼があって……あれはきっと、妖怪なのよ」
四十島は耳をそばだてつつ、客を捌く。
(どうせまた、鳥かなんかだろう……。オレは関わらないぞ)
だが、娘たちは四十島に話を振る。
「燕屋さん、どう思う?」
「へぁ? あっしには分かりませんねぇ……へっへっへ」
「こないだ、何かの罪でさらし首になった女がいたじゃない? あれが祟って、出たんだよ、ねぇ?」
「そんなこと言われても、見習いのあっしにゃ、見当もつきやせん」
娘たちは店の品を買いもせず、立ち去ってしまった。
「精が出るな、四十島。さっきの話、オメェが調べてこい」
いつの間にやら燕屋の主人、燕野文蔵が彼の後ろに立っていた。
「なんで、あっしなんですか?」
四十島の素っ頓狂な声で答える。
「なんでって、そりゃあ『燕屋の若えのが、事件解決』とくりゃ、店も箔が付くってモンよ!」
「そんなぁ……。旦那、あっしが怖がりなの、ご存知でしょう?」
文蔵が腕を組み、したり顔で四十島を見据える。
「侠気を見せろ。お前には期待してるんだ」
主人の命とあれば、従わざるを得ない。四十島は渋々、隅田川へと足を運んだのだった。
冬の江戸は身にしみる寒さだ。二重にした手ぬぐいの首巻きすら貫通する冷たさ。手をこすり、息で指を温めても一向に温まらない。
川辺の柳のそばに陣取り、川を眺めた。
「うぅー、寒い。屋台で茶と蕎麦でも食べたい……」
吹き下ろす冷たい風が、ほっかむりの中の月代を冷やす。
その時、茂みの中から音がした。
「ひぃ! 祟らないでおくれぇ!」
嘆願虚しく、何も起こらない。薄目を開け、確認すると狸がきょとんとこちらを見ていた。やがて狸はどこかに消えてしまった。
「狸の野郎、脅かしやがって……」
毒づく四十島を周りの者が訝しむ。その視線に気づき、彼は「すいやせん」とペコペコお辞儀をし、場所を移すことにした。
橋の真ん中に陣取り、引き続き調査をする。四十島の後ろには提灯を持った人々が通り過ぎていく。
「江戸は夜も華やかなモンだねぇ……」
そうひとりごつと、歩く人の振動が伝わる。水面は暗く、提灯の灯りを写していた。
時折、水面が不自然に揺れる。誰かが投石したのかと見渡すも、柳の葉が揺れるだけ。
「おお、こわや。魚でも跳ねたのかね」
波紋は魚にしては強かった。意を決して、橋の下を覗き込む。――目はつぶったままだ。
目を開け、注視する。凝らした目に映ったのは、着水する鴨の姿だった。しかし、見慣れない姿だ。
緋色の頭に、白黒の体。目は赤く、黒っぽいくちばしだ。四十島は懐に忍ばせていた帳面に、鴨の特徴を書く。
もっとよく観察できる所はないかと、川沿いに移動するが、奇妙な鴨はクエクエ鳴きながら飛び去ってしまった。翼の白い帯が薄明かりでも目立った。
「やっぱり、鳥か……」
数日はかかると思っていた赤い目の女の正体は、今回も鳥だった。これは鴻屋に聞かねばなるまい。
大家の加鳥に取り次いでもらうか。屋台の提灯に惹かれ、夜鳴き蕎麦と茶を楽しむのだった。
『おとう、おっかあ。江戸は夜も提灯の群れが行きかい、とても華やかだ。粋な着物に包んだ町人は、活気があってオレは尻込みしちまう。でも、商人見習いから一端の商人になるため、今日も手代に頼まれて、店番をした。娘さんに声かけられても、緊張しなくなったし、心配はいらない。そっちは雪が積もってるだろう。こっちはちらつく程度さ。また金が貯まったら、仕送りを送るから待っててくれ』
文をしたためると、油皿の火を落とし、布団の中に潜り込んだ。硯の匂いと共に夢に落ちる。
今日の夢は上州の雪かきの思い出だった。冬なのに汗をかき、若いからと年寄りの家の雪下ろしをよく手伝わされたっけ。お礼にもらった漬物を、麦飯でかっこんだ思い出。
郷愁の穏やかな日常に、起きた時涙の跡が布団に残っていた。
ひとまずは燕屋の主人に報告をする。
「ふーむ、見たこともない鴨ねぇ。鳥なら『鳥連中』の鴻屋の主人、鴻野源蔵に聞くといい。あいつぁ、鳥バカだからな。丁度、鳥を模した小物を見せろと言われてる。四十島、その鴨のことをついでに聞いてこい」
燕の旦那と鴻の旦那にそんな接点があるとは。
「へぇ、分かりやした。ウチの長屋の大家、加鳥の旦那とも親交があるみたいで、こないだ世話になったばかりなんです。旦那とも知り合いだなんて初耳ですねぇ」
「腐れ縁さね。ま、あっちは大店、こっちは弱小。ホント、上手くいかんね」
上等な包みに商品を入れ、鴻屋の裏口に回る。燕屋の使いと伝えると、すんなり通してもらえた。
「おお、来たか。って、四十島じゃないか。あいつのとこで働いてたんだな。ささ、まずは商品を見せてもらえるかい?」
「へぇ、旦那。あと、個人的に聞きたいこともあるんで、お時間よろしいですかい?」
上等な着物の鴻野はニヤリと笑った。
「ほほう、また鳥かね。鳥の話なら、いつでも歓迎だ。おおい、茶を出せ。こいつは客人だ」
丁稚にもらった茶で両手を温める。ズズッとすすると、喉からみぞおちに熱い茶が流れていった。
メジロの簪、燕の櫛。その細工に鴻野はいちいち感心している。ひとしきり眺めると、座布団に座り直し、四十島の相談は何かと尋ねた。
四十島は昨晩の鴨について帳面を見ながら、説明する。
「それで、夜の隅田川に見慣れない鴨がいまして……」
「緋色の頭に、白黒の体。目は赤く、黒っぽいくちばしねぇ。今は冬の季節だ。こりゃ、『ホシハジロ』だな」
聞き慣れない言葉に、四十島は首をかしげる。
「大体は川じゃなく、池なんかで見られる鴨さ。どこからか来て、たまに川でも見かける夜の鴨さ。赤い目、緋色の頭に白黒の体は雄の特徴だな」
「はぁ、ともかく名前は『ホシハジロ』で間違いないんですね。それじゃあ、娘の見た赤い目の翼の生えた女はコイツで間違いなさそうですね」
やっぱり、鳥なのか。店に来た時に娘さんに教えてあげよう。幽霊や妖怪なんて、やっぱりいないんだ。四十島は安堵した。
申の時の店番時にあの娘たちが、店を訪れた。
「昨日も赤目の女を見たよ」
「えー、こわぁい」
意を決して、四十島が娘らに声をかける。
「娘さん、そいつは『ホシハジロ』っていう、緋色の頭に、白黒の体。目は赤く、黒っぽいくちばしの鴨さ。冬にしか現れない鴨らしいですぜ」
四十島の顔は誇らしげだった。娘たちは残念がりつつも納得した様子だった。
しかし、娘の一人が深刻そうに口を開く。
「……でもね、あの中にひとつだけ人の形をしたのが飛んでるのを見たのよ。鳥ならずんぐりしてるでしょ? でもきれいな十字の影があったんだよ」
四十島の背中が冷えた。
隅田川は今日も行き交う人を見守っている。その中には娘の見た女もいるかもしれない。
しばらく四十島は川のそばを通るのを嫌がったという。




