第十三夜:緋鳥の呼び子
お露との恋の噂も消えたある冬の日。
四十島は薄いせんべい布団で眠っていると、指笛のような音が聞こえた。
「ピョーイ、ピョーイ」
ああ、今年も冬が来たのだと実感するのだが、木炭のかおりにいつのまにか故郷の上州より、江戸の町が染みるようになったのだと思う。
◆◆◆
それは二十歳の頃だったか。
上州弁も抜けず、なかなか店先に立たせてくれなかった上京したての初めての冬。
燕屋の旦那、燕野文蔵に命じられ、夜の闇に自分のヘマの尻拭いをしていた時。
川から指笛の音が聞こえたのだ。
「ピューイ!」
四十島はおっかあの話を思い出し、届けるはずの品物をほっぽりだして茂みに隠れ、震えていた。
「ひえぇぇ! 人さらいの合図だい……。やっぱ、江戸は怖ぇとこだな」
それを見たのは偶然居合わせた鴻屋の旦那、鴻野源蔵だった。
「これ、そこの若ぇの。どうした?」
「あ、あ……」
「この品は……燕屋の新入り小僧か。上州から来たと聞く。まずは放り出した品物を風呂敷にきちんと仕舞いな」
背中を優しく叩き、四十島が落ち着くのを待って、懐の水筒を分け、鴻屋は彼の話を聞く。
母親からは江戸は、怖い魔物や人間が跋扈すると聞いていた。
中でも「夜に口笛を吹けば、妖が道案内を頼みに来る」という言葉をひどく怖がっておいでだ。
「オメェさんの母さんは、そのくらいお前を心配していたんだね。だがね」
鴻屋は袖から紙を取り出し、四十島に見せる。
それは鳥譜だった。
――これは鳥の写生を描いた今でいう野鳥図鑑のようなものだ。
「これは有名な絵師に描かせたものだがね。こいつは緋鳥というカモさ」
頭は赤く、眉間には絹糸のような白。胸は彩度の低い赤に、灰色の体をしている。
一方、闇の中で泳ぐものは、頭がうっすら赤いカモに似ているように思えた。
「なんだってんだい? そんなカモと人さらいに、なんの関わりが……」
鴻屋はニヤリと笑い、答えた。
「この緋鳥、笛吹き鴨とも呼ばれてるんでさぁ。オスだけこうして鳴くのさ」
中年の旦那の指差す方をよく目を凝らすと、水面にたくさんのカモが泳いでいた。
ふと旦那の羽織紐を見ると、緋色の房をしている。
「オメェさん、名前は?」
突然、名を聞かれ、地面に正座をし、一生懸命改まってみせる。
「四十島と申します。鶸野四十島です。小間物問屋の燕屋で、今年から働かせてもらっている小僧でさ」
語尾に方言が抜けないのは、緊張からか。
「オレぁ、鴻屋の旦那をやらせてもらっている鴻野源蔵。今夜は仙台堀で緋鳥を見ようと思っていてね。見てたらすごい声がするじゃないか。そしたらオメェがすっ転んでいやがる。滑稽だったね」
嫌味なく言う旦那に、すっかり気が抜けてしまった四十島。
「鴻屋って、高ぇ織物屋のかい? えれぇ人に会っちまったや。……旦那ぁ、鳥が好きなんですかい?」
「ハハハ。それより、品物を届けなくていいのかい? 急いでいるんだろ?」
「あ! すっかり品物のこと、忘れちまってました。このご恩は、いずれ返しますんで!」
急いでお辞儀をし、立ち去る四十島の背中を、鴻屋は見守っていた。
燕屋の旦那に品物を届けたこと、道で出会った鴻屋のことを報告すると、燕野文蔵は笑い転げていた。
「あっはっは! 緋鳥の声に驚いて鴻屋に助けてもらった? それはまた、運に恵まれているねぇ! いいかい、この金で蒸し羊羹でも買って、お礼に行きなさい」
上菓子代を大事に大事に懐に隠し、周囲に不審がられながら、菓子屋へ向かい、その足で教えてもらった四十島は屋敷に足を運んだ。
「先日は、助けてもらって……ありがとうございました。こちら、燕屋の旦那からの粗菓でさ」
四十島は習ったばかりの所作で、渡す。
両手で箱を差し出し、頭を深く下げたのだが、緊張で固かった。
鴻屋は紐を外し、箱に入った蒸し羊羹を切り分けるよう、小僧に命じる。
「四十島、緋鳥はいい鳥だ」
「へぇ……」
「遠い北の国から来る、冬の知らせだ。それに江戸の川じゃああいつらが鳴いているうちは悪い妖も寄ってこねぇ。町人を守ってくれているのさ」
「…………」
◆◆◆
この緋鳥の声を五年も聞いていると、冬の訪れなのだと、安心して眠れる。
「ピョーイ、ピョーイ!」
だけども、四十島は知らなかった。
緋鳥はピューイと鳴く。
ピョーイは人の指笛の〝聞きなし〟だ。
江戸の怖がり四十島は、今日は怖がらなかった。




