第19話 おかしな噂(1)
「ねえ、エミリアーナ。あなたが王太子妃の座を狙っているって本当のことなの?」
そう同じクラスのルーナにいきなり聞かれて私は驚いた。
ルーナは王都の中規模商家の娘で、舞台に情熱を燃やす美人。
ゆくゆくは舞台女優になることが夢だという。
ルーナと仲良くなったきっかけは同じ古代語の授業を選択したことだった。
ルーナは古典劇を演じるため、私は古代魔術の本を読むためにその授業を受けている。
「まったくそんなことはないけれど、どうして?」
「実は詩歌の授業で一緒になる子からそういう噂を聞いたのよ。その子、とてもお人好しで、なんでも鵜呑みにしてしまうところがあって、完全に信じ込んでる顔をしてたわ」
「そう。でもなぜそんな噂が流れているのかしら?まるで身に覚えがない話だけど」
「彼女が言うには、エレナ・バローネ子爵令嬢が本当は王太子の婚約者候補なのに、王太子妃を狙っているあなたがエレナ嬢を陰で虐めて王太子との仲を邪魔してる、てことだったわ。本人が泣きながらそう言っていたんだから間違いない、ってね」
「エレナ・バローネ子爵令嬢?これまでに面識もない人だけど」
ここまで荒唐無稽な噂話は聞いたことがなかったので、私は思わずあんぐりと口を開けてしまった。
あら、いけない、私は淑女なのに、と思ってすぐに口を閉じたけど、ルーナにはばっちり見られてしまった。
でもルーナは笑って言った。
「やっぱりね。実際のあなたとかけ離れた話だから胡散臭いわ、と思ったのよ。そんな顔をするくらいだから、間違いなく嘘だわね」
「今見た私の顔のことは忘れて。だけどそんな嘘が誰の得になるのかしら?」
「そんなのエレナ嬢の得になるに決まってるじゃない」
「そうなの?」
「いわば悲劇のヒロイン、というやつよ。友達や王太子の前でそう言ってさめざめと泣きついて見せたらもう悲劇のヒロインのできあがり。みんな彼女の味方になって、あなたは悪役になるって寸法。よくある手よ」
「なるほど。そんな手があるのね。あなたもよく知ってるわね、ルーナ」
「小説だってお芝居だってその手の話はいくらでもあるわよ。って、そこに感心している場合じゃないでしょ。どうするの?このおかしな噂」
「そうね……」
この噂は土台が間違っている。
私の立場から言って、王太子の婚約者や王太子妃の座を狙えるはずがない。
知っている人ならそこに気づくはず。
だからこの噂を聞いてもまともに取り合わないだろう。
特に殿下に近い人ほど取り合わないだろう。
私が殿下の婚約者候補について口を出すような不敬な真似はしないとわかっているはずだから。
それどころか、そんな噂を流した方が不利になりかねない。
なぜなら。
王太子の婚約者候補と目される方々は皆、殿下との交流があり、殿下自身その方々の為人をご存じだ。
そして別の婚約者候補の令嬢を裏でこっそり攻撃して排除しようとした令嬢は、王家主催の夜会には招かれても殿下に近づくことすら許されなくなり、静かに遠ざけられてしまった。
もしエレナ嬢自身が噂を流したのだとしたら、婚約者候補どころか同じように、いやもっと厳しく確実に遠ざけられてしまうだろう。
そもそも子爵家から婚約者を選ぶことはまずあり得ないのだから。
何よりこれはまともに取り合って私が下手に動くわけにはいかない噂だ。
「その噂は放っておくことにするわ」
「それで大丈夫なの?」
「ええ。大丈夫よ。逆にその噂が広がれば広がるほど、エレナ嬢には得どころか損しかないことになるわ」
「どういうこと?」
「私は殿下の従妹だから」
ルーナは目を見張って私を見た。
そして何かを思い出したような表情になった。
「そういえば!あなたのお母様って陛下の妹君だったわね!」
「言いふらすようなことじゃないから」
「ごめんなさい。私ってばうっかり忘れてたわ。でも、そうね。あの噂は完全に前提がおかしいわ。今の王室には男子が三人いるし、血の近い者との結婚は禁じているんじゃなかった?」
「ええ、そのとおりよ。だから逆立ちしたって私は王太子妃になどなれはしないのよ」
「なるほど。エレナ嬢って自分は王太子の婚約者候補だと言いながら、それを知らないのかしら。そうだとしたらずいぶん脇が甘いわね……というより、殿下の耳に届いたら不興を買うだけじゃないの?」
不興を買うくらいで済めば軽い方だけど。
「その噂ができる限り広がらないことを願うばかりだわ」
私に言えることはそのくらいだった。
それにしても、なぜ私を槍玉に挙げたんだろう。
これまで一面識もない人なのに。
殿下の婚約者候補ならこの学園には二人いるのに、候補とは無縁の私をなぜ?
まあ、似たような経験はしてきたから、ひとつ仮説は立てられる。
これまでに何度か長兄アントニオに好意を寄せる令嬢が私を攻撃してきたことがあった。
彼女たちは私を恋敵だと思い込んで、有る事無い事言いふらしたり直接嫌味を言ったりあきらめろと言ってきたのだけれど、皆が皆、私がアントニオの妹であることを知らなかったのだ。
調査不足にも程がある。
私は妹だ、と教えて差し上げると、逆効果な事をしていたと気づいたらしく、ようやく攻撃は止まったけれど、私が口をつぐんでいてもアントニオが嗅ぎつけてしまったからその方たちは気の毒なことになってしまった。
同じように、エレナ嬢もどこかで私が殿下と話をしているのを見て、私が従妹だと知らずに勘違いをしたのかもしれない。
でも、殿下と仲良くなりたいというのなら、おかしな噂を流して相手を貶めようとするより、自分をもっと高めようと努力する方がよほど効果があると思うのだけれど。
前例を見ても殿下は政治的なそれならともかく、私利私欲のためだけにそういう手法を取る方とは距離を置かれそうだし、この噂では好意どころか別の意味で目をつけられかねない。
あ、でも、これは余計なお世話ね。
私が考えることではなかったわ。
それにこの仮説があっているかはわからないものね。
さて、このあとどうなっていくのかしら。




