第10話 特待生ブルーノ
ブルーノ視点
フォンタナ王立学園の入学式当日。
俺は開式時間には早いものの、新入生待機室へ向かうことにした。
俺が入寮したのは一昨日だったが、学園内の下見中や食堂で食事中に何人もの女子生徒に声をかけられ、早くもうんざりした気持ちになっていた。
だから今日は煩わしい声かけに遭いたくなかった。
特待生用の待機室に入ってしまえば、その手の煩わしさを回避できるだろう。
しかし、寮を出たとたん、たちまち数人の女子生徒に囲まれ声をかけられる。
「きゃあ!ブルーノ・ガッティ様!」
「ブルーノ・ガッティ様。わたくし……」
勝手に自己紹介を始める彼女たちを見ないようにして、俺はその輪を抜け出す。
早めに出たつもりだったが、これでも遅かったようだ。
ようやく女子生徒の輪を抜け出せたと思うそばから、別の女子生徒の手が伸びてきて腕を掴まれそうになり、服を掴まれ引っ張られる。
俺は少しだけ身をひねり、掴まれた服を素早く引き抜いて足を早めた。
こういう所では立ち止まったら負けだ。
彼女たちの声に応えることなくさらに足を早めようとしたが、今度は誰かに後ろから服の裾をぐいっと掴まれ声をかけられた。
「あの、ブルーノ・ガッティ様では?」
またか。
まだ挨拶も交わしていない他人の服を掴むなど失礼だと思わないのか?
うんざりした気分になりながら振り向いたその時。
俺の視界を、白いハンカチが左から右上へふわりと横切っていった。
誰かのハンカチが風に飛ばされたのか。
その時俺の目に映ったのは、ハンカチがレースのカーテンのように動き、その向こう側に秘されていた女性が長い黒髪をなびかせ輝きを放ちながら現れる印象的なシーンだった。
息をのむような劇的な瞬間。
それは俺の足を止めさせ、意識を完全にその女性へと向かわせた。
その女性の美しい顔立ちと印象的な明るい紫の瞳が目に止まる。
「あの……わたくしのハンカチが」
そんな声がかすかに聞こえた気がするが、そんなものは今この瞬間、俺にとっては雑音に過ぎなかった。
俺の意識は完全に黒髪の令嬢に向けられていた。
もしかして?
俺の胸は期待に高鳴る。
黒髪の令嬢がこちらに歩いてくるのを見て、踵を返し、近くの生垣の間に入って腕を組み、人待ち顔を作って待った。
程なくその黒髪の令嬢が目の前を通って行く。
その姿を見て確信する。
まちがいない。
彼女だ。
リアだ。
やはりあのリアはエミリアーナだったんだ。
記憶の中の少女は大人びた美しい淑女になって、今、自分の目の前を歩いている。
きっと、いや必ず、あのリアならこの学園を目指すだろう、と確信していたが、やはりそうだった。
これでクラスも同じだったら最高だ。
ぜひそうなってほしい。
彼女が歩き去ってしばらくしてから、俺も新入生待機室へと歩きだした。
もう俺の頭の中は彼女のことで一杯だった。
だが特待生用待機室に入ってみると先に来ているはずの彼女の姿が見えない。
彼女がようやく待機室に入ってきたのは開式時間間際だった。
前日顔見知りとなったラウルも一緒だ。
そのラウルが今年の新入生代表挨拶はエミリアーナがすることに決まった、と教えてくれたことを思い出し、リハーサルでもしていたんだろう、と納得する。
そこへ進行役の先生がやって来た。
「これから君たちのクラスを通知する。名前を呼ばれたらこちらへ来て並ぶように。まずは一組から。ブルーノ・ガッティ」
先生がそう指示し、まず俺の名前が呼ばれた。
次に呼ばれたのがエミリアーナだった。
呼ばれたエミリアーナが俺の隣に並んだが、その顔をチラッと見ると少し緊張しているようだ。
手に持っているのは代表挨拶の原稿らしい。
今は声をかける時ではないな。
だが、同じクラスになれた。
それが思っていた以上に嬉しく感じられる。
入学式が始まり、やがて彼女は特待生トップ合格者として新入生代表挨拶に臨んだ。
さっきは緊張していたようだが、今は手元の原稿も見ず、顔を上げ、よく通る声で淀みなく喋っている。
会場にいる新入生たちの熱意が高まってきたのを感じながら、俺は壇上の堂々としたエミリアーナの姿に見惚れた。
入学式後、新入生たちは自分のクラスルームへ移動した。
念願だったリアと同じクラスになれただけでなく、席まで隣だった。
俺は内心の嬉しさを隠しながら何気ない風を装いエミリアーナに挨拶をする。
「君が特待生得点トップ合格者のエミリアーナ嬢だね?俺はブルーノ・ガッティだ。よろしく」
エミリアーナも笑顔で挨拶を返してきた。
「そういうあなたもトップ合格者だったわね?こちらこそよろしく。私のことはエミリアーナと呼んでほしいわ。あなたのこともブルーノと呼んでいいかしら?」
「ぜひとも」
そう答えながら俺はエミリアーナの目を見た。
普段、あまり感情は表情に出さないようにしているのに、内心の嬉しさがつい口元に笑みとなって出てしまったのに気づく。
エミリアーナも笑顔を返してくれたが、俺のことを覚えている様子はなかった。
あの頃のリアは五歳になるかならないか、といった年頃だったから忘れてしまったのだろう。
だが、自分を見返してきたエミリアーナの紫の瞳の中に少しだけ揺らぎが見えた気がするが……気のせいだろうか。
気を取り直してエミリアーナに言う。
「代表挨拶も素晴らしかったな」
「どうもありがとう」
エミリアーナが嬉しそうな笑顔になって応えてくれる。
その瞬間、あの頃のリアの笑顔が、今ここにいるエミリアーナの笑顔と重なって見えた。




