9 〈踏破組〉
扉を開けると〈ロア・ルンド〉の街が目の前に広がった。
こんなにもテオリア・オンラインをプレイしている人が多いのか、と衝撃を受ける。
呆然としていると背後の扉が開き「どいてくれ」と声がした。
どうやら自分がいたセーフハウスは、個人やチームごとに空間が割り当てられ、そこに転送されるらしい。
これも噂に聞く空間転移系の魔法だろう。
個人に割り振られるダンジョンと同じだ。
黒貂は独自ルートを通ってしまったため、ダンジョンには入っていないのだが……。
プレイヤーにとってはダンジョンやセーフハウスだが、このゲームは異世界アルタリアル……現実〈リアル〉なのだ。
空間転移の魔法であるが、そのことを知っているものは、恐らくいない。
思考を変え、ひと呼吸つく。
ここが大通りなのだろう。
様々な装備をしたプレイヤーが行き交っている。
「……黒貂」
ソイルはフードを被り、今度はしっかり仮面をしていた。
笑顔の黒い仮面……ソイルのアイコンであり、他のゲームでもこの特徴を使っている。
こちらの仮面の顔の方が、世では知られているだろう。
「……びっくりしてるね。その様子じゃ、街に来たのは初めてなの?」
「そうだ」
黒貂の言葉に対し、ソイルは嬉しそうな声音で説明を始める。
「……それじゃ、しっかり聞くように」
ラトレイアと並んで歩く黒貂。
2人に先行したソイルは意気揚々と話し始めた。
「……〈ロア・ルンド〉はこのゲームの中心的な街。基本的にはここがロビー。ここから西、中央、東に向かって攻略しなきゃ行けないんだけど……」
「西から向かうのが基本的な巡礼ですね」
「……そう」
プレイヤーは最初のダンジョンを越えて〈ロア・ルンド〉に到達する。そして3つのエリア……西、中央、東……いずれかの方向に足を進めるのだ。
「……まぁでも基本的には、どのルートもあまり情報がない。情報自体が高値で取引されてるし。踏破組が西をクリアして中央に進むらしいけど……」
西側は〈踏破組〉によってクリアされたようだ。
ソーシャルメディア〈ツリーズ〉の噂で聞いたことがある。
その後、他のプレイヤーは流れに乗って西側をクリアしようと進んだが、新しいボスが設定されたりルートが変わったりして、やはり難しいのは変わらないらしい。
「……踏破組ってのは、企業に雇われたプレイヤーギルド。一年前にも組まれたんだけど、全滅してる」
テオリア・オンラインは進めば進むほど、価値がある。
情報すら金になるのだ。
エリアをクリアするだけでも大きな話題になる。
宣伝効果は〈ツリー〉の噂だけでなく、ネットニュース、リアルニュースでの報道もある。
企業もまた投資を行い、踏破するためのプレイヤーを集めた。
企業に属するプレイヤーはK9と呼ばれる。canine……企業の犬という意味のスラングだ。
企業から後押しを受けている〈踏破組〉もK9と後ろ指さされることもある。
栄誉と妬みは表裏一体なのだ。
「この路上で商売してるのはNPCなのか?」
路上にいるのは、見栄えの良い装備の、攻略目的のプレイヤーだけではない。
道端で店を開いたり、裏路地に店を構えているキャラクターも散見される。
「……商売してる人たちは商人プレイしてるプレイヤー。物々交換してるプレイヤーもいるけど、ほとんどがRMT……リアルマネートレード」
黒貂に答えるソイル。
『価値ある装備を手に入れて売る……それで生活しているプレイヤーもいるらしいわ。アルタリアルが実際に存在する異世界だと知ったら、この人たちはどうするかしら』
現実で金銭取引を行い、ゲーム内でアイテムを売る商人、情報を売る商人が存在する。
いずれもNPCではなく実際のプレイヤーである。
リアルマネートレード……ゲーム内のアイテムを実世界の現金で売り買いする。
〈ゲート〉ゲームが一般化し、バーチャルの世界に生きがいを感じるようになった黒貂のような人間が出始めると、バーチャルなレアアイテムも現実のレアアイテムと同じような価値を持つようになった。
トリルの言う通り、テオリア・オンラインが異世界アルタリアルで行われている、現実の延長線にあると商人が知ったら……。
ゲームのアイテムを実世界に輸入しようと躍起になるだろう。
しかし、異世界アルタリアルへの切符は往復ではなく片道切符だ。
廃人化した黒貂やオルターエゴたちのように、魂を異世界に移行してしまえば、現実に帰ることは出来ない。
「おい、広場に踏破組がいるらしいぞ。見に行こうぜ」
辺りのプレイヤーがざわめき始めた。
踏破組のプレイヤーが近くにいるらしい。
「……行ってみる?」
ソイルの言葉に頷き、黒貂は足を進めた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「わぁ……強そうな方々ですね」
ラトレイアの言葉通り、踏破組の装備は傷付きながらも輝かしいばかりであった。
物見遊山、見物する群衆〈プレイヤー〉の中から声が聞こえる。
「そうそうたるメンバーだなー」
「真ん中の金髪がレグルス・コーディリアだ。アイツ、凄腕デイトレーダーのくせにMMOのファイナルフォーリナーの最上位ランカーなんだって」
「最上位ランカーって……俺もあのゲームやったけどランカーつったら高難度クエスト何個もクリアしてるんだろ。反射神経と思考力ヤバすぎだろ」
「今度はテオリア・オンラインで大縄跳びかよ……」
屋外のカフェテリアのような場所で、複数名が話し合っているのが見える。
見るからに、強そうな……レベルが違う……印象を受ける集団だ。
その中央で指揮をとっているように見える男が噂されているレグルス・コーディリアだろう。
『レグルス……前回の踏破ギルドが集められた時もリーダーとして動いたK9ね。前回の失敗で懲りたと思ったけれど……』
トリルの声からは、冷ややかな反応を感じた。大々的に踏破組のリーダーと名状されているが、果たして……と言うところだろうか。
金色の髪、白く輝く鎧……巨大な剣、と主人公らしさはとても高い。と黒貂は思った。
ファイナルフォーリナーのランカーというのも頷ける。
カリスマ性……と言ったら良いだろうか。
レグルス・コーディリアは見ただけでも、圧倒的な雰囲気を持っていた。
「グランさんもいるじゃないか」
レグルスの話に耳を傾けてビールを口にしているグラン。
黒貂を助け、〈ロア・ルンド〉まで運んだ人物である。
レグルスに負けず劣らず、プロゲーマーとして名高い。
解説者としての仕事が多いレグルスと異なり、グランはもっぱらバウンティハンターの格闘ゲームプレイヤーとして、ゲーム廃人たちの間でも名前が通っている。
「……あの人は個人で動いている時もあるけど、シルバーマンインクから支援されてる踏破組の一人」
ソイルの言葉を聞いて、トリル・トレモロが反応した。
『シルバーマンインク、AI事業で名を上げた企業ね。クリアだけでなくプロジェクトの話題性自体が狙いでしょう。実際株価も上がったらしいわ』
シルバーマンインクは世界有数のAI開発企業で、元々は〈ゲート〉ゲームを作っていた。
テオリア・オンラインの踏破ギルドの参加者を集め、支援している。
目的は勿論宣伝で、メインのAI開発に繋げるために行っているのだろう。
「……あのポニーテールのマスクがシーカー。〈虚空歩き〉のシーカー」
「知ってるぞ。FPSのプロだな。最近はバトルロワイヤル系FPSのバーテックスとかだ」
緑と黒のメッシュヘアを後ろでひとつに縛った髪型。
細身で、マスクをしている。
背中には巨大なスナイパーライフルが見えた。
シーカー。
彼女もまた有名なプロゲーマーだ。
あまり、他人と連携するタイプではない。
バトルロワイヤル系ゲーム〈バーテックス〉でもスクワッドを組む一方で、単独行動を行ってキルをとっている。
そういう意味ではソイルと似ているが……。
「……同じフィールドで戦ったことない。やるゲームが微妙に違う」
とはソイルの弁である。
FPSゲーマーの趣味趣向や主義主張は複雑すぎてわからない。
きっと何かこだわりがあるのだろう。
黒貂はそんなことを考えていると、ソイルが踏破組の1人を指差した。
「……一番後ろにいるのが叢」
見ると、鎧武者のような装備で長い黒髪をした少女の姿があった。
知っている。
あれは、テオリア・オンラインを購入した店……〈ブルーハワイ〉で出会った少女……。
「叢!? 村雨ちゃんか!」
その声を聞き取って、叢は鋭い眼差しを向けた。
強者のプレッシャーを向けられ、黒貂は思わず声を出す。
「うわっ!」
鷹のような鋭い目で見つめた後、我に帰って叢は驚嘆の声をあげる。
「村っ!? えっ、リアフレ!?」
鎧武者姿の少女が跳躍する。
そのままの勢いで黒貂を掴むと、空中で再度跳躍し、
「借りるね」
とラトレイア一行に呟いて、裏路地へと駆けた。
「おおおおおおおお」
凄まじい筋力と速度によって、ジェットコースターもかくやという重力が黒貂を襲う。
そのまま裏路地の壁に叩きつけられ、レンガ造りのそれに大きくヒビが入った。
「何で知ってるの。誰?」
大きく鋭い金色の眼光が、やや暗い裏路地の中で浮かび上がる。
胸ぐらを掴んだまま、少女は顔を近づけた。
恐怖。
だから女子高生は苦手なのだ、と黒貂は冷や汗をかきながら答えた。
「古城だよ……ほら、青崎さんの〈ブルーハワイ〉で会った……」
「幽霊〈ゴースト〉の……!?」
黒貂の姿をまじまじと見てやっと納得がいったのか、叢はため息をひとつ吐いて言葉を続けた。
「何でここにいるの?」
「あの日もテオリア・オンラインを買いに来てたんだ。それでハマっちゃって」
「……そう」
言うと叢は胸ぐらから手を離し、遠くを見つめた。
支えがなくなった黒貂は、腰を抜かしてそのまま、ズリズリと裏路地の壁を擦り、結果的に腰を下ろした。
少女をやはり遠くを見つめたまま、何かを決心したように口を開いた。
「私は……ある人を探してる。リゼっていうプレイヤーネーム」
そして足を投げ出して座った形の黒貂を見下ろす。
「普通のプレイヤーじゃないの。刀を持って、多分和装系の服装をしているはず。PKをしているらしい、って聞いた」
オルターエゴ……だろうか。
廃人化……魂がアバターに移行したプレイヤーで、かつPK〈プレイヤーキル〉を行うもの。
普通のプレイヤーじゃない、ということはそういうことだろう。
叢の瞳は潤んでいるように見えた。
唇を噛んで、少女は続ける。
「見つけたら逃げて。失礼だけど多分あなたでは勝てない。そして、私に教えて」
黒貂は頷く。
リゼ、という名のオルターエゴを見つけたら、叢に知らせる。
村雨ちゃん……叢は踏破組に与しているが、その実、目的はクリアではないのだろう。
恐らく、探しているオルターエゴ……リゼはテオリア・オンラインの深部にいる。
そのためだけに、彼女は先に進むのだ。
「戻ろう」
黒貂を強力な左腕が襲う。
「おおおおおおおおおおお」
再度、強烈な重力を受けながら黒貂は連行された。
いつの間にか陽は高く登り、強い日差しが〈ロア・ルンド〉に降り注いでいる。
黒貂は少女に掴まれ、強制的に移動させられながら考えた。
ああ、この子はとんでもない脳筋ビルドなのだ、と。