6 〈白翼〉
〈白翼〉は咆哮し、羽を動かした。
羽ばたくと同時に地面に刺さっていた剣が抜け、独特の金属音を立てる。
「ラトレイア、下がって!」
黒貂の目がとらえたのは、〈白翼〉の動作。
素早い羽ばたきから一気に距離をつめ、右足を振るう。
握られていた黒色の剣がその場を裂いた。
黒貂は跳躍する。
何とか体勢を保って着地すると、すかさず〈白翼〉の攻撃が襲った。
「幻影〈ファントム〉!!」
〈アーツ〉を叫ぶ。
〈白翼〉は黒貂を一瞬見失ったが、放たれた剣撃は止まらない。
よろめきながら剣の一閃をかわす。眼前を黒い刃が過ぎ去っていく。スローモーションのように。
『貴様……何者だ。何故に我が領域に踏み入る』
声が聞こえる。
〈白翼〉が語りかけているのだ。
しかし、依然として攻撃の手……というか足は続いていた。
正確無比な一撃が迫る。
黒貂は足元に刺さっていたボロボロの剣を引き抜いた。
「何者でもないさ……でも世界を救おうと思ってる」
攻撃を受けながら応える。
ボロボロの剣はきしみ、震え、武器としての体裁をとうの昔に捨てていた。
『世界を……。笑わせる。お前が世界を救いたくとも、世界はお前に救われたいとは思っていない』
「知らないね。自分のできることをやるだけだ」
〈白翼〉の左足に握られていた日本刀のような武器が、ボロボロの剣を簡単に裂いた。
「うおっ」
衝撃で弾け飛んだことが幸いし、〈白翼〉の剣撃は空を割く。
滑りながら、何とか走る。
頭上を黒い剣の刃が過ぎ去り、銀の髪の先を切り取った。
『我が主……彼女もそうだった。世界を救う、と。それがどんなに無意味なことかも知らず』
三つの足の追撃はやまない。
連撃のほとんどは左右の足だけだというのに。
ついに周りに武器は無くなっていた。
追い詰められ、地面に刺さった歴戦の剣も存在しない。
白岩の壁に背中をつける。
黒貂は唇を噛み、〈白翼〉を睨むように見つめた。
〈白翼〉が動く。
左足の刀が、その閃く剣先を眉間めがけて突き刺す……寸前の皮膚に触れるか触れないかのところで止まった。
そのまま〈白翼〉は刀を離す。
キン──という冷たい音を立てて、太刀は地面に突き刺さった。
『使え……黒刀〈拝啼〉だ。堪えてみせろ』
黒貂は目の前に落ちた黒い刀の柄を見つめた。
〈拝啼〉は闇のように黒く、全ての色を吸い込んだかのようだ。
黒貂は黒刀をつかみ、構えた。
〈白翼〉は舞うように身体を翻し、右足と中央の足を広げる。
右足には黒い剣、中央の足には白銀の剣が、夕陽のような明るい光を反射していた。
一呼吸置いてから連続攻撃が始まった。
横薙ぎの黒剣を避けると、縦斬りの白銀が襲う。
白銀の刃を〈拝啼〉で受ける。
重い一撃……しかし、黒刀は刃こぼれ一つせず、それどころか〈白翼〉の剣を弾いた。
瞬間、黒貂はまわり込んで黒い太刀を振る。
『面白い』
〈白翼〉は黒剣で受けた。黒と黒の刃の鍔迫り合い……流石に黒貂の手が先に限界を迎えた。
存外重いものだ。
鉄製の太刀……〈ゲート〉ゲームならまだしも、転生した身体にはとても重く感じる。
それに、上手く扱うことができない。構えるだけで精一杯だ。
死がそこまで迫っている感覚。
恐怖が黒貂の身体を突き動かす。
飛んで間合いを取る両者。
〈白翼〉は再度、翼を広げると、高く舞う。
空へと上がってから、羽をたたみ急速に落下する。
流線形の身体が風を受け流していく。
その勢いのまま、〈白翼〉の2つの剣が黒貂を襲った。
〈拝啼〉で受け流すか? 正面から受ければ、タダでは済まない……。
一瞬で剣の横を弾いて、剣先を変えれば……。
黒貂は思考しながら、襲いくる剣に狙いをつけた。
しかし、剣の威力は思ったよりも強く、振るった黒刀の方が弾き飛ばされた。
黒貂の首元で黒い剣の刃が動きを止める。
『よく堪えた。拙いが、な。少年』
〈白翼〉にとっては遊びに近かったのだろう。
いつでも、黒貂の首を落とすことは出来たはずだ。
恐らく何か自分を試しているのだ、と黒貂は感じていた。
「ふぅーー」
一気に下半身の力が抜け、黒貂はへたり込んだ。
「怖かった……」
転生してから初めての接敵。
命を失うという圧倒的な焦り。
刀を握る手は常に震えていた。
「黒貂さん……!」
ラトレイアが駆け寄る。
〈白翼〉は剣を地面に刺し、羽を休めた。
『弱き者ながら、勇気ある者でもある。少年、名は』
「黒貂です……」
『黒貂よ、その〈拝啼〉……貴殿に預けよう。我が主が帰るまでな』
「そんな。良いのか?」
「すごい! 黒貂さん、〈白鴉〉のカラスさんに認められたということですよ!」
ラトレイアは跳ねるようにして喜ぶ。彼女の美しい金色の髪がふわ、と浮く。
『ここ500年、ここまで堪え、我を楽しませた者は無かった。拙いが、感性……死が見えているかのような、天性の勘があるな。……面白い』
傷付けるには至らなかったうえ、逃げてばかりで、ほとんど攻撃すらしなかった……。
しかしそれが結果的に功を奏したようだ。
人は本能的に攻撃に対して攻撃で返してしまう。
しかし、DDDで襲撃者を相手にしている黒貂は、まず攻撃は無駄だという思考になってしまう。
今回はそれが正解だったようだ。
「ありがとうございます。〈白翼〉さん」
〈白翼〉は静かに頷くと、再度〈約束のファシア〉の奥に戻った。
いつの間にか刀の鞘が、黒貂の腰元に装備されている。
慣れない手つきで黒貂は〈拝啼〉を納刀した。
キン──という音がわずかに辺りに響く。
『少年、剣の使い方を教えてやろう。来なさい』
〈白翼〉は言いながら笑っているような表情を浮かべた。
暇つぶしの道具が手に入った、というような。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
〈白翼〉の修行、というか苦行を終え、黒貂は倒れるようにして、〈約束のファシア〉で眠りについた。
目を覚ますと、ラトレイアの膝枕の上に頭が載っている。
慌てて立ち上がると、少女は笑う。
「黒貂さん、光り輝いて見えますよ。経験が溜まってきた証ですね」
自分の手足を見る。
何も変化は無いように思えるが、ラトレイアの目には薄ぼんやりと、光るような、オーラのようなものが見えるらしい。
「私は神巫ですから、人の真奥に触れることができます。戦士たちはどんな時も神巫とともにありましたから」
『レベルアップね。あなたはプレイヤーだからいつでもレベルアップ出来るけど、彼女たちはそれを知らないから』
トリルの声が響く。ラトレイアの目の前なので、トリルの声に応えるのはラトレイアを混乱させるだけだろう。
神巫という職はRPGでいう僧侶とか賢者に近いのかも知れない、と思っていたが、事実そんな単純にジョブとして捉えることは出来ないようだ。
『可能なら彼女を通してレベルアップした方が良いかもしれない。神巫としての力も増幅するかも』
「わかった。どうすれば良い?」
ラトレイアは跪き、目をつぶる。
「手を合わせてください」
少女の右手に、黒貂は左手を合わせた。温かい体温が伝わる。
やがて光が合わせた手から溢れた。
「主に秘なる力、技の力が上がったようです」
黒貂の意志を読み取って、レベルアップとステータス上げが行われたようだ。
回避や運に関わる秘力、身のこなしに関わる技力を上げ、体力にも少し振っておく。
この世界のシステムとしてのレベルアップ……その原形はこの形だったのかもしれない。
「近くにファシアの巡礼教会があります。そこで祈りを捧げましょう」
天啓通り、ファシアの剣は手に入った。かなり苦労したが……。
「黒貂さんは凄いですね。魔族があんなに気に入ってくれるなんて……」
歩きながら、ラトレイアは笑みを浮かべ振り返った。
「魔族は我々人間とは異なる倫理観や矜持を持っていますから、基本的には相容れない存在なのですが……」
魔族……この世界のモンスターは独自の思考をもっているようだ。
たとえ言葉を交わせても、本当にその意味で言っているかはわからない、という。
〈白翼〉は〈白鴉〉の英雄と長く行動していたため、それなりに人語を理解し、意思疎通に難は無かったようだが。
『〈白翼〉には大きな恩を受けた……。幸運ね』
反響するトリルの声。小声で言葉を返す。
「ということはやはり、君も一部始終を見てたのか」
『もちろん。あの白いカラスにとっては朝の体操ぐらいの運動量で、あなたは100回ぐらい死んだわね』
体操にすらなっているかわからない。
戦うほど、段階的に〈白翼〉の動きは烈しく、鮮烈されてきた。
初めて剣を交えた時と比べ、2倍、3倍とどんどん動きが良くなっていった。
修行をつけてもらったが、同時に苦行だった。
黒貂の方は2倍、3倍と弱くなっていったように思える。
『この土地に来るプレイヤーは皆無でしょうし、人間を見るのも久々だったのかもしれない』
地面に刺さっていた剣も、真新しいものは一切無かった。
〈白翼〉は本当に長い間、孤独に過ごしていたのだ。
「やはり、ここはテオリア・オンラインのルート上ではない、ということか」
『そう。でも決して遠くはない』
最初のエリアに遠くないはずなのに、全く情報がない。
それだけ、このテオリア・オンラインの探索は進んでいないのだろう。
程なくして、白い巡礼教会が視界に映った。
中も外も薄汚れてはいるが、一方であまり使われていないような、不思議な印象を受ける。
「着きました。黒貂さんも疲れたでしょう。この巡礼教会、長く人の手が入っていないようです。黒貂さんは休んでいてください。私、色々やっておきます」
「ありがとう。少し、眠る。起きたら手伝うよ」
「ありがとうございます」
外の木陰で休ませてもらう。
穏やかな光。昼の日差し。
〈静かなるレスカテ〉を出てから1日……長い1日だ。
現実の時間と体感時間が合っていない……そんな気がする。
黒貂は目を閉じると、深い眠りに落ちていく。
木々が風に吹かれ、心地よいざわめきが耳に聞こえた。
目覚めると、ラトレイアが微笑みこちらを見ていた。
「良かった……休めましたね」
「寝てばかりだ……」
辺りはすっかり夕暮れになり、夜の虫の鳴き声が聞こえる。
この世界でも、自然の働きはそう変わらない。
「〈ロア・ルンド〉へ向かえ。佑助を得れば巡礼の恩恵となる……とのことなので、〈ロア・ルンド〉に向かいたいと思います」
黒貂はひとつ伸びをして、歩みを進めた。