5 転生
「あなたには死んでもらう」
トリルの唐突な言葉が静寂を裂いた。
「はぁ……」
死……? 突然のことで気のない返事をしてしまう。
「テオリア・オンラインをやっているプレイヤーは基本的には危険がない状態でプレイできる」
棘茨の洋館は外から見るよりも内装は整っていた。
トリルは指揮をするように指を動かす。
それに応じて小さなホウキが動き出した。
「でも魂を繋がなくてはいけないから、例えば繋いだ状態で、現実の体が肉体的な死を迎えると、魂はアルタリアルの体に向かってしまうの」
先刻、テオリア・オンラインは異世界〈アルタリアル〉だとトリルは言った。
つまりあれは〈ゲート〉を使ったゲームではなく、現実〈リアル〉のひとつなのだ。
そして魔法や祈跡はこの世界でも通用する。
この世界……現実〈リアル〉にも魔力と祈力は存在しているからだ。
トリル・トレモロの動きに反応して、洋館の扉は自動で開いた。
少女の話によると、異世界のアバターを操作するためには意識……魂をつなぐ必要があるようだ。
しかし、魂をつないだ状態で現実の体が死ぬと、魂は行き場を無くし、異世界のアバターに魂が移ってしまうらしい。
「新しい体に魂がうつる……転生みたいなもんだな」
「転生ね……」
彼女が進むまま、廊下へと移動すると、トリルは言葉を飲み込むように「転生か……」と続けた。
「その転生をしてもらいましょう」
「……!!」
転生……この身を捨てて、アバターの身体に入る……。
「アバターに魂を移さないと、このゲームは絶対にクリア出来ない。つまり、生身でしかこのゲームはクリア出来ないの」
〈ゲーム〉としてプレイしている間はテオリア・オンラインはクリア出来ないのかもしれない。
「アバターの遠隔操作では魂をつないでいると言っても、魂の根本は現世の肉体にある」
〈ゲーム〉として操作していれば、肉体は安全だが、その分行動に制限がかかる……。
「……ラグよ。確実にラグが発生する。そのラグがある限り、テオリア・オンラインでは生き残ることができない」
ロビーから進んで長い廊下を通り、新たな部屋に向かう。
そこで振り返り、少女は微笑した。
「命が惜しくなった?」
「いや、別に。もう特にこのまま出来ることもないし」
古城の言葉を聞いて満足そうに、赤い髪の少女は扉を開いた。
「それに……」
古城は言葉を続ける。
「ゲームの世界で生きられるなんて、自分が望む生き方だからな」
事実、自分は死んでいるようなものだ。
このまま無駄に生きながらえるより、自分が出来ることをしたい。
どこかで失敗してしまったことをそのままにして、今まで生きてきてしまった。
その失敗は大きく膨らんで、取り返しのつかない大きさになってしまった。
リセット出来るならリセットしてしまえば良い。
古城の目の前には古ぼけた鉄の拷問器具が現れる。
「転生装置は……これよ」
「禍々しすぎるだろ……」
「この家にあったコレクションのひとつ……。ちょうど良いかなって」
拷問器具……〈鉄の処女〉にしか見えないそれは、にび色の光を放ち、どこか血に塗れたように見えた。
「なんか噂だとアイアンメイデンで死ぬことは出来ないらしいぞ」
「えっ……」
古城の言葉を受けて、トリルは若干の驚きの表情を見せた。
何か話が見えてきた、というか少女の魂胆が掴めた気がする。
「まぁ何とかなるでしょ」
「なるかなぁ〜???」
「あなたが中に入ります。私は扉を閉めます。あなたは死にます。私は古城の魂を、祈跡と魔法を組み合わせた儀式によってアルタリアルの体……黒貂に繋げます。という算段よ」
やっぱり、というべきか。
「色んな情報が突然出たなぁ……」
よく見ると〈鉄の処女〉には様々なコードが接続されている。
魂を電子化してアバターに移すのだろうか。
彼女の口から魔法と祈跡という言葉が出た通り、本当に魔術のたぐいで送るという可能性もある。
「さぁ、入って」
「死んだら家の片付けは頼む。住所は……」
「しっ。静かに。今集中してる」
ちょっ、マジで大丈夫なんだろうな。
いや、死ぬのは別に良い。
その後だ。
家賃の支払いは止めてもらわないと。
事故物件になるのか? いや、そんなことないよな。
と言うかコイツにあんなものやあんなものの処理出来るのかなー?
古城がそんなことを考えていると、トリル・トレモロは落ち着いて詠唱を始めた。
辺りに青い光の流れが生まれ、金色の光の玉が浮かび始める。
「流れこむは混沌。聖なる力と魔の力、従えて我は祈りを捧げる。星の神よ、応えよ。元に生まれるは光。後に流れるは闇」
鉄の処女の中から、祈りを捧げる少女の姿を見た。
ぼんやりとした意識。
呼吸が上がっていく。
「あの、心の準備が欲しいから、閉める時は、その、言ってくれな。今から閉めますよ、3、2、1みたいな感じでたの」
「よいしょっと」
ぎゃー! と叫びそうだったが、幸い、痛みは無かった。
命が奪われたはずなのに、どこか茫漠とした意識が存在している。
これが死か。
「流れよ、彼が魂。盟約に従い、作られし軀の新たな生命を受けよ。畢生に継ぐ畢生。白霊よ……」
トリルの詠唱が聞こえた気がした。
耳との接続はすでに切れているというのに。
めくるめく光の渦の中に、古城は取り込まれて、消えた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「黒貂さん、黒貂さん」
声が聞こえる。
黒貂が目覚めると例の少女……ラトレイアが顔を覗き込むように見つめていた。
「ぐっすり寝ていましたね。お疲れだったのかな。このまま目を覚まさなかったらどうしよう、と思いました」
「あ、あぁ……」
何とか声を出す。なるほどこれは……。
「私、朝ごはんを作ったので……外で食べましょう。行きましょう黒貂さん」
居間では母親が石化している。
そのため、外で食べることにしたのだろう。
先に行って待っていてくれ。とだけ伝え、黒貂は部屋の鏡の前に立った。
黒色の髪、若々しい肌。
設定された黒色の衣服。
自分自身がゲームのアバターになっていた。
いや、これは魔法と祈跡によって構成された身体なのであり、この世界はゲームではなく実世界なのだが。
手足も問題ないどころか、軽やかに動く。
これが若さか……。
黒貂は古城だった頃の感覚との違いに少し戸惑う。
しかし、そうもしてはいられない。
足早にラトレイアの元へ向かう。
「お母さん、行ってくるね」
家の外で、ラトレイアは小さく呟いた。
外の空気や体に感じる風も、山々や空も……驚くほど解像度が高い。当たり前なのだが。
「まずはレスカテを出て巡礼教会に行きましょう」
呼吸を整えると、あることに気付く。
視界に浮かんでいる、ゲーム同様のUI表示。
マジックポイント……魔力の表示や〈アーツ〉、装備している武器の情報。
何でUIが見えているんだろう。
そう考えると突然少女の声が頭に響いた。
『なんでUIが見えてるんだろうって思った?』
「うわっ! なんだ!?」
思わず叫んだ声に対して、ラトレイアは言葉を返した。
「どうしました?」
「大丈夫、なんでもない」と返すと、少女はけげんな表情を浮かべていた。
『あなたにしか聞こえていないはず』
再度、頭の中に声が響く。
聞き覚えのある声……。
そう意識としては先刻、現実世界で最後に聞いた声……。
「トリルか……?」
『そう。こちらからは映像魔法で映してるの。あなたの背後から俯瞰視点で見えてる』
やはりトリル・トレモロだった。
彼女の声はすぐそばで話しているかのように、頭の中に反響する。
背後から俯瞰視点というと、黒貂の行動はまるでTPS……三人称視点で映し出されているようだ。
黒貂はラトレイアに不審がられ無いよう、小声でトリルに応えた。
「また魔法か……。便利だな」
とりあえず魔法と言っておけば、すべて説明できると思っているのではないか、と黒貂は思った。
が、面倒なので口に出すことをやめた。
『UIはね、アルタリアル側の体……アバターが作られた瞬間から存在している機能だから。造られた体の目と脳の機能……』
「結局魔法か」
『そう。大体のことはすべて魔法よ』
トリルの声に、わずかな咀嚼音と袋が鳴らす音が混じる。
「お前、なんか食べてるだろ」
『お腹減ったからね』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
レスカテを出て10分ほどだろうか。
草原の丘に建つ白い建物が、光を受けて輝いている。
「つきました。巡礼教会です」
ラトレイアは祭壇のような場所の前で跪き、祈りを捧げ始めた。
「世界を作りしものよ、応えよ。汝の御竜に伝えよ。御心のままに。魂はひとつ。運命は変わらず。光れ、我が道よ。照らせ明日の火を」
沈黙が流れる。
穏やかな場所だ。
ラトレイアの周りを金色の光が包んでいる。
どうやら、祈跡や祈りの際には金色の光が現れるようだ。
「……見えました。ファシアに向かい、剣を得よとのことです」
巡礼教会から出て、切り株に腰掛けた。
爽やかな風が頬を撫でていく。
『ファシア……聞いたことない。やはりテオリア・オンラインのルート上にない場所……』
トリルの呟きは何となく、思考しながらの独り言である印象を受けた。
「ファシアの剣、聞いたことがあります。と言ってもおとぎ話に近いですけど」
ラトレイアに渡されたパンを食べながら、黒貂は話に耳を傾けた。
「まだ竜と魔族が争っている時代、人は竜側についていました。その時代にカラスと共に戦う英雄がいたそうです。カラスは魔族側でしたが、羽毛が白く、仲間から迫害を受けて竜側の人間……その英雄に助けられた、と」
おとぎ話として語るその話は、おそらくこの世界で実際に起こったことなのだろうと思わせた。
教会には竜の意匠があり、これらは竜に関わる信仰である、と感じたからだ。
魔族とはこの世界のモンスターのことだろうか。
最初に戦った〈修辞の聖堂〉の偶像というボスも、魔族の一種なのかもしれない。
パンを食べ終えると「行きましょう」と言ってラトレイアは立ち上がる。
〈ファシア〉に向かいながら、少女は話を続けた。
「英雄はその相棒と共に白鴉〈ハクア〉と呼ばれました。カラスは足が三本あり、三種の武器を持ちながら、英雄が欲する時に渡していたそうです」
白鴉の英雄とカラスは一心同体であったのだろう。
話を聞きながら、脳裏にイメージが浮かんだ。
竜の吐く炎が魔族の築いた砦を溶かし、魔法と祈跡が明滅する。
白鴉が偶像と切り結び、多くの屍を作っていく。
「白鴉は魔族を壊滅寸前まで追い詰め、長い平穏を生み出しました。白鴉の英雄は戦地に留まり、相棒のカラスはファシアの地で今でも英雄の帰りを待っていると言いますが……」
何か理由があって別れることになったのだろう。
その英雄の帰還を、ファシアの白いカラスは律儀に待っているのだ。
「その話が何百年前かもわかりませんし、本当かどうかも……しかし、剣を得よと啓示を受けましたし……」
しかし、剣とは……どういうことだろうか。
今、黒貂は一切の武器を持っていない。
右下の装備武器のUIも何も描かれていない空の表示である。
最初の敵……〈巡礼の偶像〉の目に初期装備である〈闇夜の蛍の剣〉を突き刺してしまったからだ。
乾いた一本道を進むと、壁のようにせり立った白岩が、ドーム状に円を描いている場所に到達した。
特殊な地形だ……まるで闘技場のような。
地面には武器がいくつか刺さっており、ボロボロではあるが、歴戦を越えてきたのだろう気高い輝きを放っていた。
〈約束のファシア〉という表示が視界に映る。
真昼だというのに、その場所は薄暮が如く、夕焼けの色に染まっていた。
「あれが……ファシアの白いカラスでしょうか……」
最奥には白いカラスが羽をたたんでうつむいている。
巨大だ。
人を乗せて飛べるほど大きい。巨大な白いカラスが静かに眠っている。
「おとぎ話、だと思っていました……実在する……とは」
ラトレイアも息を呑んでいた。
白カラスの三本の足には、それぞれ三本の剣が握られており、さながらとまり木のようにも見える。
ゲーマーの直感が、黒貂に嫌な汗をかかせた。
このフィールド……まさか、戦うわけないよな。
ボス戦、なわけないよな。
いや、いやいやいや、無理だろ。アレは。
黒貂が心の中で呟いたその時、
〈白翼〉という表示とともに、敵のライフを示すメーターが視界に映った。
「クァァァァァァァァアアア!!!」
耳を裂くような声を上げた〈白翼〉は、大きくその白い翼を広げた。