4 闇の中でもがくように
現実が現実ではないような、そんな感覚が抜けなかった。
それは一睡しても変わらず、ぼーっとした離人感が常に付き纏っていた。
PCで情報を集める……『テオリア・オンライン NPC』とか『テオリア・オンライン ラトレイア』などだ。
しかしどう調べても、ラトレイアの情報は出てこなかった。
そもそもテオリア・オンラインには会話出来るNPCがほとんどいないらしく、しかも、そのNPCの情報は調べ尽くされている。
〈静かなるレスカテ〉という地名でも検索はひっかからない。
まさか自分は違うゲームをやっていたのではないか。と古城は自分自身を疑いはじめた。
〈ゲート〉ゲームのマニアが集まるサイト〈ツリーズ〉でテオリア・オンライン関係の〈ツリー〉を見てみる。
『〈踏破組〉が最初の村〈ロア・ルンド)に集まって来てるらしい』
『〈ロア・ルンド〉さん、インフレ・スパイラルに入ってしまう』
『RMT廃人、〈踏破組〉にすりよる』
『ついに本格進出か。中央エリアをアマンダさんにきく』
などのツリーが並ぶが、
『〈修辞の聖堂〉、壊れる』
というツリーが目に入った。
『もう二年ぐらい毎日巨人に挑んどるんやが、昨日入ってみたら巨人の片目つぶれてて草』
というコメントがあった。
おそらくこれは古城の後に来たプレイヤーだろう。
昨日のことは現実で、やはりテオリア・オンラインだったのだ。
テオリア・オンラインは特殊なゲームで、プレイヤーが行った行動が反映され、そのまま残るらしい。
敵も復活する敵と復活しない敵が存在する。
ほとんどは3日も置かずに復活する。
ボスも含めてそのような状態があるらしい。
つまり、誰かの後ろをついていけば、おこぼれにあずかってそのままクリア出来るかもしれないが、もしついていったプレイヤーが死んでしまえば自分がどうにかするしかない。
死ねばキャラロストのため、そんな不安定な賭けをするものはいないだろう。
思考していた時、突然〈リード〉のメッセージが届いた。
『やっと見つけた』
続けて
『NPCのこと、知りたい?』
というメッセージ。
差出人は不明。
友達登録もされていない人物だ。
何者かはわからない。
だが、何故古城が今一番知りたいことを知っているのか。
音声入力のため、古城は声を出す。
「知りたい」
わずかな間の後、〈リード〉の返信。
『全て教える。世界のことも。旧市街の棘茨〈とげいばら〉の洋館を探して』
メッセージはそこで打ち切りになった。
まさか現実〈リアル〉で人と関わらなくてはならないとは……。
正直嫌だ、と思った。
だが、古城の脳裏に昨日のラトレイアの涙が浮かぶ。
それに、約束してしまった……。
数分の逡巡。
何もわからなかったが、心に決めた。
古城は意を決して、立ち上がった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
旧市街は電車で三十分ほどのところにある。
棘茨の洋館はこの辺りでは有名らしく、行き方はネットで簡単に見つかった。
芸術で大成した大富豪の居館らしいが、詳しくはわからない。
何故そんなところに呼び出されたのか。
見ると、洋館は幽霊屋敷のようにトゲのある茨〈イバラ〉に覆われていた。
さながらテオリア・オンラインに出てきてもおかしくないような、そんな雰囲気である。
大きな扉の前で立ち尽くす。
すると洋館から人影が現れた。
少女……だろう。
ゴシックなドレスに身を包み、赤めの髪を伸ばしている。
端正な顔立ちで、肌の色は白い。
「古城さん、で良いかしら」
「……そうだ」
「どうぞ、警戒せずに入って」
手を触れずして、大扉が自動で開く。
古びた鉄の塊に見えるが、その実オートとは。
オートな大扉……。
ゴホン。
先に行く少女の後を追う。
物言いは冷たいが、語勢は温かだった。
不思議な雰囲気だ。
ロビーへの扉も自動であった。
しかし、自動……というのは違和感がある。機械的なものを感じないからだ。
ギィとは鳴るが、何か機械以外の力で勝手に開いているような……。
ロビーは広く、国民的ゾンビゲームシリーズの最初の作品を思わせた。
ホコリのない本が山積みになっている。
相当な神経質か最近読んだ分なのだろうか。
ひとりがけの椅子に座った両者が対面する。
奇妙な沈黙が辺りを包んだ。
そして少女がゆっくりと口を開く。
「……私はトリル・トレモロ。来てくれてありがとう。そういうところも含めて……あなたはよく出来ているね」
トリルは目を細めた。笑っているのかもしれない。
「古城だ。何故NPCについて知りたいとわかった?」
「私はあなたのような存在を探していたから」
理解出来ず、古城が思考していると、トリルは語るように口を開いた。
「あなたは、あのゲーム……テオリア・オンラインにおけるバグ。そしてこの世界にとっても」
「バグ……?」
「想定されていなかったの。最初の巨人〈巡礼の偶像〉に立ち向かっていくなんて……。しかもあなたは回避、隠密型の初期ステータスなのに……何故なの?」
「何故って……普通のゲームじゃないと聞いていたから。普通のことやっても無駄かなって……まぁプレイスタイル的にガチガチで戦ってどうにかなるなんて思わなかったしね」
その言葉を聞いて、少女は口角を上げる。
続けてトリルは興味深く目を動かして、古城を見つめた。
好奇心にあふれた目が光る。
ふふ、と言いながら少女は言葉を続けた。
「〈巡礼の偶像〉は戦っても無駄。多くは一撃でキャラロストするか、学んだプレイヤーは、よく見ると小さな扉があってそこから逃げて進むとわかる」
知らなかった。
〈巡礼の偶像〉と戦った時は必死で、前に進むしかなかった。
とにかく自分の出来ることを、と考えていたのだ。
まして、小さな扉など視界に入っても理解する余地がない。
「そ……そんな攻略法が……?」
「ステータス振りが回避で良かったわね。でなければ偶像の攻撃を回避できなかった。つまり回避能力で運よく攻撃を避けたことが、その後につながったのね」
トリルはため息を吐くと、小声で呟く。
「しかも目に初期武器を突き刺すなんて……しかも〈闇夜の螢の剣〉は今あの世界に二振りしかない武器なのに……」
「…………」
何か怒られている気がしてきたが、トリルは呆れているような笑っているような表情をしている。
「まぁ確かにグリッチを使ったようになったけど。でも、そこまでおかしな挙動にも思えなかったが……。〈逆打ちの巡礼教会〉って表示もちゃんと出たし」
トリルはその言葉に反応するかのように顔をあげ、再度鋭い目つきを見せた。
「巡礼教会……そこでNPC……に出会った、と」
「そうだ。よく分かるな……やっぱ前例があったのか」
「……古城。よく聞いてほしい」
少女は立ち上がると、前を見据えた。
恐ろしいほどの沈黙で、耳が痛くなる。
DDDで戦いが始まる直前の一瞬の沈黙を思い出す。
「……あの世界はゲームじゃない。実際に存在する世界……異世界なの」
「……は?」
心拍数が上がっていく感覚が実感できた。
心臓の鼓動が全身を揺らすような感覚。
「異世界アルタリアル。祈跡と魔法が存在する異世界。テオリア・オンラインはアルタリアルから来た人間……〈デザイナー〉によって作られた。全てが〈デザイナー〉の魔法と祈跡によって制御されている」
「なっ……」
思考して言葉を返す。
しかし、頭の中は混乱し、短文でしか言葉が出てこなかった。
ゲームではなく、異世界……?
〈デザイナー〉によって制御されたゲームで、あの世界は現実に〈存在〉する異世界……?
「プレイヤーたちは?」
「キャラメイクすると魂のない体が作られる。それはアバターと呼ばれているけど。プレイヤーはアバターを操作しているに過ぎない。いわば人造人間を遠隔操作している状態ね。魂は繋がれているけど」
存在する異世界にアバターを通してアクセスしている……。
ゲームのような仮想空間のものではなく、魔法の力によって異世界に生まれた自身の分身を操作しているということ。
「……つまり〈ゲート〉ゲームとして起動すると魔法が発動するわけか」
「そう。そしてプレイヤーは明示される……〈修辞の聖堂〉を抜けて最初の村〈ロア・ルンド〉に行くことを。〈ロア・ルンド〉から西・中央・東のどれかに向かうことを」
歩きながら、トリルは答えた。
風が吹いて家全体がギシ、と音を立てる。
「地形的にそうせざるを得ず、それが元々はあの世界で巡礼と呼ばれていた行為だとも知らずに」
「じゃ、NPCは……?」
「あのゲームにNPCがほとんどいないと言われているけど、それはそう。NPCはプレイヤーを避けるように生活している。時々出くわすこともあるけど、プレイヤーはゲームだと思っているから、気にしない」
「……じゃあ……」
「そう。あなたが出会ったNPCも異世界の住人」
「ラトレイアは……生きている……?」
「ラトレイア……」
少女の名前を聞いて、トリルは一瞬驚きの表情を見せたが、すぐに元の鋭い顔つきに戻った。
「とにかく、あなたは〈修辞の聖堂〉で意図したルートから外れてしまった。そして異世界住民の少女と出会った」
「そうだ」
「そのあとは?」
呼吸を整えて、頭を働かせる。
理解できない情報を無理やり嚥下し、体内で咀嚼した。
テオリア・オンラインは異世界にプレイヤーに似せた身体を造り、それをPODやコントローラ、MODを通して操作しているということ。
NPCは異世界に生活する普通の人間であるということ。
出会った少女……ラトレイアは異世界の住民であること。
古城は思考を続けながら、昨日起こったことをトリルに説明した。
「村に行った。彼女の生活していた村は石化の魔法によって住民が全員石化してしまっていたんだ。でも彼女は巡礼する使命を全うすると言っていた」
「石化の魔法……。おかしい。魔族も魔法を使えるものはいるけど、そんなことする必要がない。殺す方が効率が良いから。石化は術者が死んでしまえば解けてしまう」
「そうなのか……。じゃ、石化の魔法をかけたヤツがいる、ということか」
「おそらく」
ようやく激しい鼓動が、落ち着いた一定のリズムを刻み始めた。
古城は考えながら、言葉を続ける。
「あそこが異世界なら……ラトレイアは辛いだけじゃないか。それに、約束してしまった」
古城は強い眼差しで、前を見据えた。
「あの世界を、救う。と」
「…………」
長い沈黙。
その後で口を開いたトリル・トレモロ。広い空間に少女の声が反響する。
「あなたには出来ない」
「……!!」
「正確には、今のままでは」
トリルは一人用の椅子に腰かけると、語るように、独演を行うかのように、ゆっくりと話始める。
西日が窓の隙間から部屋の中に差している。
もうそんな時間なのだ。
「テオリア・オンラインがクリアされないのには理由がある。……あの世界〈ゲーム〉を救うため〈クリアする〉には廃人になるしかない」
「廃人……」
トリルは古城の目を見つめた。
その表情はどこか笑っているようにも思えた。
「生活を……人生を……全てを捨ててのめり込むことを廃人というのでしょう。それなら廃人という言葉が適当ね」
廃人……自分もまたそう言われたことがあった。
DDDで毎日四六時中ログインして、プレイしていれば、多くの人がそれに気付く。
黒貂というプレイヤーは廃人だと。
古城はプロゲーマーではなかったが、廃人ではあるだろう。
その言葉の本来の意味と同等に、生活は破綻している。
人格を失うほどのめり込んではいない、と思っているが、時間の問題であると思う。
「廃人……確かにそうかもしれない」
「人生を……命を捨てて、廃人になる気なら、あなたが世界を救う可能性は十分ある」
「命を捨てて……か……」
入り込む光がスポットライトのように二人を照らしている。
「まかせてくれ」
その言葉だけが残響を残し、部屋に長く響いていた。