1 テオリア・オンライン
PODとかMODとかHMDとか出てきますが、雰囲気だけ楽しんで頂いて、用語の説明はアレだったら飛ばして頂ければ、と思います
足音が聞こえる。
怪物の足音が。
元々は人間だった怪物の、ズチャという足音が鳴る度に、全身が総毛だつ。
怪物は花のような上半身を持っており、時折、自身を生んだ巨大な花のほうに向かってはゲロゲロと被害者の体を吐き出していた。
チャンスだ。
少年はかがんだまま、研究室の机の横を進んだ。
ここから逃げ出すには研究所の発電機をもう一つ動かすだけ。
研究所の中央には中庭と温室があり、そこに巨大な花が座していた。
怪物は自由に窓を破って行き来していて、いつ何時襲われれるか分からない。
発電機に向かうために廊下のかげを移動する。
相手は視覚情報ではなく、皮膚温度を認知して襲ってくる。
そのため、怪物の視界に体の一部でも映ってしまえば終わりなのだ。
冷たく、汚れた薄暗い廊下を進んでいく。
その時、廊下の外……すぐそばで足音が聞こえた。
気配を探る。
すれ違って過ぎていく感覚がある。
なんとなく……と言わざるを得ない。
すれ違っていく怪物の足音が遠ざかっていくと同時に自分の心臓の鼓動が静かになっていった。
安堵して廊下の角を曲がったとき
「!!!」
30センチほどの大きさの花の怪物が4体、少年の目の前に現れた。
「ぷぎー! ぷぎー! ぷぎー!」
けたたましい声をあげて騒ぐ小さな怪物たち。
まずい。
〈親〉がやってくる。
少年はすぐに駆け出した。
対して〈親〉の怪物はすぐさま踵を返して、〈子〉の鳴き声のもとに走った。
長い一本廊下。
〈親〉の視界に少年の皮膚温度が映る。
怪物は駆ける。
あと少しで、エモノを捕らえることが出来る。
エモノの落ちた汗もわずかな跡として廊下に残っていた。
体温残る汗の跡が点々と続いている。
足の速さは怪物のほうが早い。
廊下を曲がったところで、怪物は飛び出して攻撃を加えた。
「ガアアアアアアアア!!」
──しかし、襲撃は空を切った。
〈親〉は困惑したが、周囲を確認する。
汗のあとはわずか先に続いている。
汗の痕跡は連続しており、スピードが遅くなったことを示していた。
つまり、スタミナが切れながらも、絶え絶えに前に進んだのだ。
しかし、体温は見えない。
温度変化のあるものも無い。
どこかに隠れているのだ。
時間の無駄だ。
〈親〉はそう考えて発電機に向かおうとした。
『ビィーーー!! ビィーーーー!!! ビィーーーー!!!』
……その時、研究所全体に警報が鳴り響いた。
研究所を囲っている巨大な壁……その一端にあるゲートが開く音だ。
エモノは〈親〉が逡巡した2、3分の間に、最後の発電機を稼働させ、出口のゲートを開けた……。
……信じられなかった。
幽霊〈ゴースト〉を見たのではないか。
取り残された花の怪物の〈親〉は、その場に呆然と立ち尽くした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
古城〈ふるき〉はHMD〈ヘッドマウントディスプレイ〉を外すとフーッと長い息を吐いた。
「あっぶねぇ……久しぶりにビビった」
〈ダイダイダイ〉……通称〈DDD〉は〈ゲート〉対応ゲームとしては十年ほど前に出た古参のオンライン対戦ゲームである。
〈DDD〉は非対称型対戦ゲームで、一つのフィールドに生存者四人と襲撃者一人が集まる。
襲撃者は皆殺しにすれば勝ち、生存者はミッションを行って脱出するのが目的だ。
古城は初期からこのゲームにハマって、はっきり言ってプロレベルなのだが……〈DDD〉は競技ゲームとしては大会が開かれていない。
闇の……〈賭け大会〉が開催される事があり、そこに参加したことはあるが。
自分と同じ背の高さ程はあるゲームハード〈ゲート〉の電源を切る。
ゲートはブゥンと低い音を立てた。
同時にデスクのPCボタンを押すと、ホログラムディスプレイにデスクトップが表示された。
ポップアップにメッセージが表示される。
『……おーい。黒貂。生きてる?』
黒貂とは自分のハンドルネームで、フルキと読む。
つまり実名の同音異議語だ。
同時にクロテンとも読めるため、ダブルの読みでこの名前を名乗っている。
クロテン、フルキ、どちらで読まれても良かった。
手でディスプレイに触れると、メッセージアプリ〈リード〉が開いた。
差出人はソイル。
彼女は競技シーンで活躍するプロゲーマーだ。
ただし顔は一切出さず、笑みを浮かべた黒仮面を被っている。
もちろん、アイコンもそれ。
世間ではソイルは正体不明のプロゲーマーなのだが、腐れ縁があって4年ほど前からよく連絡しあっている。
馴れ初めは、DDDで助けた初心者生存者がソイルで……下手ながらセンスがあったので隠れ方を教えたりしていた。
ソイルの方はソイルの方で、古城を自身のフィールドであるFPSゲームに呼んで、プレイヤーの暗殺の仕方を教えてくれた。
どちらかと言うと、ソイルは真っ向から打ち合うFPSプレイヤーでは無かった。
「生きてるよ」
と声に出すと〈リード〉の返信に自動で『生きてるよ』が打ち込まれる。
送信されたコメントにはすぐにまた、ソイルからの返信が届いた。
『……知ってる? 1年ぐらい前に募集された超賞金ゲー』
「あー、なんだっけ。テオリア・オンライン?」
『……そうそう。テオリア・オンライン。作り手不明の〈ゲート〉ゲームね』
聞いたことはある。
テオリア・オンラインはオンラインMMOのくせにいわゆる死にゲーで、最初の村に行くまでがとても大変らしい、と。
最初の村、街まではソロなので、協力プレイが出来るようになる頃には練度が上がっているはずなのだが、その後も難しいらしい。
ゲームオーバーはキャラロスト(初めから)らしい。
しかも未だにゲームクリアが出ていないらしい。
伝聞形が連発されてしまったが、ようはそのようだ。
噂が広がってだれもやろうとしないから、プレイ動画は大人気だ。
「で、そのテオリア・オンラインがどうしたんだ」
『……また新しいバウンティハンターを募集するらしいよ。無職の黒貂でも挑戦できると思うけど』
「うるせーよ」
そこまで続けて、古城はPCの電源を落とした。
久しぶりにシャワーを浴びて、日の光を浴びるか、と動き始める。
一週間分のお好み焼きセットとカップ麺を買わなくてはならない。
生活費も底をつく寸前だが……。
「テオリア・オンラインか……」
という声が小さく、狭く、汚れた部屋に響いた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
時刻は昼の2時で、そろそろ小中学生の下校時間が始まる。
大学生たちも活動を始めるだろう。
人と出会うのは嫌だったが、仕方がない。
配達ドローンが飛び交う住宅街を見ながら、古城は伸びをした。
無理して入った大学でデビューに失敗してから、今の学生用アパートを中心に生きてきた。
結局大学は退学になり、28になった今でも貧困の中ゲームだけをする生活をしている。
朝起きてから寝るまでゲームの世界にいるが、プロシーンが無いから今やっているゲームでは儲けがない。
たまにユアチューブの生配信をして、投げ銭してもらって生きている。
DDDの生還率は99.8パーセント。
もちろん、母数が多いからの数字だが……。
そんなことは履歴書に書いても仕事に有利にならない。
ため息をつきながら、駅前のアーケードに向かった。
ワイヤレスイヤホンをして人に気付かれないように意識する。
混雑する横断歩道や商店街で、自分を完全に雑踏と一体化させる。
昼間歩いているニートという異質な存在を、街の風景に同化させた。
限りなく存在感を消し去ると、歩いている犬ですら、こちらに気付かない。
昔からの癖だった。
小中高はこの方法でクラスから存在を消し、おかげさまで卒業アルバムの集合写真に何故か写っていない人間になった。
ゲームでもこの経験が生きて、敵の認識から逃げる事ができた。
機械的にセルフレジで買い物を済まし、再び商店街を歩いて、古びたゲームショップに入店する。
看板には〈ブルーハワイ〉の文字。
「いらっしゃーい。あ、古城くん」
店長の青崎が微笑む。
明るい茶系のロングヘア。
妙齢の女性だ。
青崎は古城が恒常的に会話出来るリアルの人間の数少ない一人。
そして会話が成り立つリアルの女性としては唯一だ。
「久しぶりじゃん。この間のDDDの〈闇の宴〉見たよ。すごいねやっぱ。だって君、HMDでしょ? PODの実況者より全然凄いじゃん」
「あ、ありがとうございます」
「いやー、私はこうローテクが勝つのが結構アツくてさー」
よくあるコールドスリープ装置に似ているものがPODだ。
PODは寝ながら、ウォーターベッドのような素材を通して、体のパルスと脳波を読み取り操作する。
画面タイプは色々あるようだが。
古城が見たPODは寝ながらパーマをかけてるみたいだ、と思った。
しかし、PODの方がHMDより遅延が少ないらしく、しかもリアルに感じられるという。
技術の進歩で臭いや、手や足での感覚を……痛みまでも現しているPODもあるらしい。
〈ゲート〉の機械も大分安くなったが、貧乏人には十年前のHMDとコントローラーで十分だ。
不意に店長の背後のPODが開いた。
縦型の座りながらゲームをするタイプのPODだ。
中から制服姿の黒髪ロング女子高校生が出てきた。
「ダメ。店長。全然面白くなかった」
「あれー? そんなこと言って3時間ぐらいいたじゃない」
「全然面白くなかった……ん? この人?」
店長はこちらを一瞥すると、女子高校生に言葉を返した。
「ほら。DDDの……幽霊〈ゴースト〉」
女子高校生は目を丸くして「うそ。スゴイ」と言うと、古城の顔を横目でチラチラと見ながら心なしか顔を赤らめて店外へかけていった。
「ジュース買ってくるー」と声だけを残して。
幽霊〈ゴースト〉というのは古城がよくDDD内で呼ばれている二つ名である。
目の前を通っても襲撃者にバレない、とか仲間の生存者ですら姿を見たことがないとか言う大袈裟な話から幽霊……〈ゴースト〉と呼ばれるようになった。
青崎店長は外に出て行った女子高校生の姿を見送りながら古城に教える。
「あれは村雨ちゃん。私の姪っ子なんだけど、学校行かないでゲームばっかりしてるのよねー。でも彼女も巷では叢〈ムラクモ〉って言われて有名なんだけど」
「叢? 聞いたことあります。剣を使ったPVPゲームで刀を使って圧倒的な動きで勝つ、とかって」
「居合道、剣道、ジークンドーとか色々やってたからねー。全中で日本一になって飽きちゃったって」
「はぁ、そういうもんですか」
叢があんな女子高校生とは思わなかった。
一度だけ叢と戦ったプレイヤーの動画を見たが、気迫というかオーラを感じた。
もっと老獪な壮年の男性だろうと思っていた。
「それで、古城くんは今日何しに?」
「あぁ、そうだ。テオリア・オンラインあります?」
言葉と同時に、背後の入り口からドサッという音が聞こえた。
見ると、叢……村雨ちゃんが手からシェークドリンクを落として固まっていた。
「村雨ちゃん?」という店長の声に、我を取り戻し「ごめん! 拭く!」と叫ぶ。
「テオリア・オンラインねー。高くなる前でよかったね」と店長。
「そうなんですか」
「また賞金が出たんでしょ? しかも複数。富豪から委託されたある企業とか、またはある企業のPR目的だったりとか聞いたわー。はい」
「どうも」と言いながら、袋を受け取る。
「古城くんも賞金狙い? なわけないか」
「まさか……」と笑って出て行こうとしたが、「あ、待って」と店長が叫ぶ。
そしてカウンターの下をゴソゴソやると、薄汚れたMODを出した。
「これ、使わない? 古城くん、コントローラーでしょ」
「MODですか……?」
MODとはHMDとともに〈ゲート〉でのゲームに使う感覚機器である。
肩まで覆う手袋が腕の感覚をゲームに伝える。
HMDにチップを挿せば脳波測定で足を動かすことができる。
MODとHMDを使えば、PODの簡易版としてゲームをプレイできた。
「そう。10年くらい前のやつかな。それでもしっかり手の感覚はリアルだと思うし、反応も悪くないよ。なんせ君が今使ってるHMDの元付属品だから」
「あ、そうなんですか……!」
セットパーツだったのか。
知らなかった……。
機器にはあまり興味がなかったから、MODについてはよくわからない。
が、もらえるものは全部もらおう。
「良いんですか?」
「うん。テオリアル・オンラインやるならこれくらいやらないと、最低限も楽しめないと思うからね」
「ありがとうございます」と言いながら入り口に向かう。
見ると、村雨ちゃんが謎のカラーリングをした飲み物を拭いていた。
「ごめんなさい!」
「いえ……」
古城は女子高校生が比較的苦手だ。
自分とは別の世界に生きている生き物だし、キラキラしていて恐ろしい。
しかも触ればすぐに犯罪になってしまう。
ゲームショップ〈ブルーハワイ〉から出る頃には、ちょうど児童生徒の帰りに当たってしまった。
古城はまたイヤホンをつけながら、存在感を消して、街の雑踏に消えた。
また春が来て、いつの間にか終わっている。
季節なんかどうでも良いが、服装も合わせなければ、雑踏に溶け込めない。
すこし汗ばみながら、古城は家への足を早めた。