9.後始末。そして、新たな訓練開始
冒頭に残酷描写があります。
「……はぁはぁ」
「……次」
「はい」
「ぐっ! ぎゃああぁぁぁぁぁーーーっ!!」
窓のない真っ暗な部屋。
鋼鉄の扉がひとつ。
上下左右、すべての壁、天井、床は鉄板が打ち付けられている。
灯されたいくつかの蝋燭がぼんやりと部屋の中を照らす。
「……で?」
「……くっ。はぁ……え、と」
「……はぁ。次」
「はい」
「まっ! ……ぐぅっ……ぐがあぁぁぁっ!!」
その部屋に椅子がふたつ。
ひとつは柔らかそうなクッションが敷かれた豪奢なロッキングチェア。
頬に傷がある爬虫類のような目をした男がそこに腰掛けて揺られている。
ワイングラスに入った血のように赤いワインを優雅に嗜んでいる。
「……さて。では、改めて聞こうか。
なぜ、調達に失敗したのか。失敗することのない策は与えたはずだ。おまえらが忠実に遂行していれば、決して失敗などあり得ない」
「……ぐっ。だから、何度も、言っている。邪魔が、入ったんだ」
もうひとつは鉄製の硬く頑丈な椅子。
座る者のことなどまったく考慮されていない無機質で無慈悲な冷たい存在。
かつては温かだった紅が、今は冷たい黒となって椅子を伝う。
そこに座するはひとりの男。
両手足を椅子のひじ掛けと脚に縛り付けられ、身動きが取れないようにされている。
数時間前まで銀行を襲っていた者たちの長。
護送中に襲われ、唯一の生き残りとしてこの場所に拉致された者。
その男の横には布袋を被った男が立っている。
男の手には大きな裁ち鋏。切りやすいように刃先は歪曲している。
「……邪魔、とは?」
ワインを舌で転がして喉に流した男が尋ねる。
「刑事だ。銀行にたまたま刑事がいた。トイレに潜んで、配置していた部下たちを順番に倒してたんだ。そいつに、全滅させられた」
「……1人でか?」
「いや、ガキがいた、娘か。とはいえ、ほとんどはその刑事がやってたんだろう。娘の方は手伝いと言った感じだった……」
「……ふむ。その刑事とやらは?」
傷の男は後ろに控えていたスーツ姿の男を振り向く。
スーツの男は手に持つ資料をめくって質問に答える。
「おもに殺しの捜査に携わっている刑事ですね。乱暴な取り調べでたびたび叱責を受けているようです」
「なるほど。武闘派なわけね」
傷の男はそれだけ聞くと、もうその刑事には興味をなくしたようだった。
「だが、いくら相手が本職の警官とはいえ、あの布陣で全滅に追い込まれるとは思えん」
「そ、それは……」
目を泳がせる男を傷の男は冷たく睨む。
「定時連絡はきちんと行ったか? 互いの位置が把握できるように人を置いたか? ツーマンセルの動きは教えた通りにやらせたか? 銀行員を通報できる位置に座らせていなかったか? おまえの立ち位置は、そこで正解だったか?」
「……ぐ、そ、それは」
答えの分かっている質問を重ねられ、縛られた男は何も答えられなかった。
「……次」
「はい」
「ちょ、まっ! ……ぐあぁぁぁぁーーーっ!!」
布袋を被った男が裁ち鋏で縛られた男の指を切り落とす。
男の両手足にすでに爪はなく、足の指と、右手の小指もなかった。そして今、右手の薬指も同じように冷たい床に転がった。
指が切り落とされると、男はすぐに治療された。といっても、乱雑に血を止めるだけだが。
「……ふむ。飽きたな」
ちょうどワインがなくなり、傷の男は椅子から立ち上がった。
「手口や立ち回りからして『銀狼』の可能性も考えたが、非番の刑事が居合わせただけだったか。とんだ無駄骨だな」
傷の男が飲み終わったワイングラスを床に落とす。
ワイングラスはカシャーンと音を立てて粉々に割れた。
「『銀狼』の調査はどうなっている?」
出口に向かいながら傷の男がスーツの男に尋ねる。
「相変わらず、進展はありません。仕事の後にも何の痕跡も残されておらず、その正体を測ることは出来ておりません」
「……ちっ。人探しが得意だったあいつを亡くしたのは痛かったな」
傷の男は口惜しそうに顔を歪めた。
「まあいい。引き続き調査を進めろ。あと、新たな資金調達係を見つけておけ」
「かしこまりました」
スーツの男は傷の男の命令に深くお辞儀をし、出口の扉を開けた。
傷の男は扉から出かけたところで思い出したように振り返る。
「……ああ。ソレはもういい。適当にバラして、売れるところは売っておけ」
「はい」
そして、それだけ言うと二度と振り返ることなく部屋を出ていった。
「なっ! ちょっ、ちょっと待て! すべて話せば助けてくれるんじゃ……あ、ぎゃあぁぁぁーーーー……っ!!」
「……『銀狼』。おまえだけは、必ず……」
響き渡る断末魔の叫びを背景に、男は自分の頬にある傷をなぞるのだった。
「……イブさん。それは配線のコードで、ハサミで切ってはいけないのだよ」
「……なんか、こんがらがってほどけなくて、イライラしてやった。後悔はしていない」
「いや、反省しろよ」
嫌な予感がしてコンセントから抜いておいて良かった。
絡まったコードを自分でほどくというから任せてみればこれだ。
やれやれ。電気屋に買いに行かないと。
「……」
あのあと、連行中の護送車が襲われ、警官も含めて銀行強盗連中はほぼ全員殺された。
間違いなく強盗連中に策を与えていた組織だろう。
唯一の生き残りだと思われる連中のボスは連れ去られたが、助けられたわけではないのだろう。
ヤツらはただの捨てゴマだ。
わざわざ護送車を襲って警官を殺してまで助ける価値はない。
おそらく必要な情報だけ搾ったらあとは始末されるだけだろう。
「……おーい」
「……」
ヤツが何かを話したとしても問題はないはずだ。
針は回収したし、俺が始末したヤツらは別で運ばれていたから遺体からも何も出ない。
ボスの前ではイブを直接的に動かしてないから、イブに不自然に戦闘能力があるとも思われていないはずだ。
「……おーい、銀狼さーん? イブさんお腹減ったよー」
「……」
エルサは警官殺しをした連中を何としても捕まえるという名目で市街の警備を厳重にしているし、リザも裏から組織を探ってくれている。
万が一にも組織が『銀狼』にたどり着く可能性はない、が、念のために『銀狼』の仕事のときはこれまで以上に痕跡や尾行には気を付けるとするか。
……ん?
「……なんか、焦げ臭くないか?」
そう思ってキッチンの方に目を向けると、イブが火柱の上がるフライパンを振っていた。
「……おい、何をしている」
「イブさんは腹減りです。パンケーキを焼きました。しかし、出来たのは消し炭でしたとさ。とほほ」
「とほほじゃない! 早く消火だー!」
そのあと、イブにはデリバリーで頼んだピザを与え、俺は何度目かのコンロ掃除に追われる羽目になった。
「今日はまた訓練に行くんじゃないの?」
俺の分のピザまで平らげたイブが退屈そうに尋ねてくる。
俺はまだコンロの焦げを落としていた。
「……ああ。コンロ掃除が終わったらな」
「そか。なら早くやれよ」
「……」
長年、『銀狼』をやってきたが、ここまでの殺意を覚えたのは初めてだ。
「……以上が一連の銀行強盗に関する報告です」
警察署の会議室でエルサは警察幹部たちに銀行強盗に関する報告を行っていた。
「……ふむ。たまたま非番の刑事が居合わせたか。ジョセフ警部、といったか。1人で強盗連中を制圧するとは、なかなかやるようだな」
「しかし、対策本部が予測を立てていた銀行とは逆の方が襲われるとはな」
「こちらの情報が漏れていた、とは考えたくないな」
「……」
報告を受けた幹部たちが口々に話す。
エルサは、制圧はジョセフ1人で行ったことにした。イブの存在感を極力薄くするために。
「それよりも、その居合わせた警部は強盗連中を何人か殺している。さすがにやりすぎではないのか?」
「……彼は保護した少女と一緒にいました。彼女を守るためにも仕方がなかったかと……」
幹部の1人の苦言にエルサはそう口添えする。
「ふむ。なるほどな。まあ、連中も連続銀行強盗犯だ。その警部が危機感を抱いても不思議ではない。彼に関しては顛末書の提出だけでいいだろう」
「……承知しました」
ジョセフに対する処分が存外軽く済みそうで、エルサは心のなかでホッとしていた。
「それよりも、だ」
「?」
「護送車が襲われたことの方が重要だ。そちらの捜査はどうなっている」
「……そちらに関してはまだ捜査中です。襲撃に使われた弾薬の出所の特定は難しいようです。
連れ去られたと思われる強盗のボスの行方もまだ……」
「なぜだ!」
「……っ!」
幹部の1人が机をバン! と叩く。
「同胞が殺されたんだぞ! しかも検挙した犯人の護送中にだ! これは警察への挑発であり挑戦だ! 警察の沽券に関わる事態だ! 何としても犯人を挙げろ! いいな!」
「はっ!」
唾を飛ばしながらエルサを指差す幹部の檄を受け、エルサは敬礼でそれに応えた。
「……では、失礼致します」
幹部たちへの報告を終えたエルサが部屋から出てくる。
「……ふぅ。やれやれ。年寄りの相手も楽じゃないな」
エルサは気だるそうに肩を動かし、首をごきごきと鳴らす。
「……でも、ジョセフへの処分が軽く済んで良かった。こう言っちゃなんだけど、護送車が襲われてそっちに目が向いてくれたおかげね。奴らに感謝したいところだわ……」
エルサは自分がこんな風に考えるのは『銀狼』に協力する身であり、元殺し屋だからだろうかと考える。
護送車が襲われたことで警官の命が散った。
護送中だった犯人たちも。
自分はそれよりも自分の都合で物事を考える。
自分にとっての命など、そんなもの……。
「……私はもう警視。いつまでもそんな考えじゃいけないわね」
エルサはそう自嘲して一人廊下を歩く。
「……イブちゃん。
ジョセフのやつ、あの子のことをどうするつもりかしら。まさか本当に一流の殺し屋に育てるつもりじゃないでしょうね。リザも手を貸したりなんかして。
しかも自分のかつての子供と同じ名前なんかつけて……。
マリアが聞いたらなんて言うかしら……」
エルサは悲しそうな顔を見せた。
「……もしそうなら、私はあの子をこっち側に引き戻してあげたい。まっとうな道に。
きっと本当のイブとマリアも、それを望んでるはず……。
なんて、死者を語るなってジョセフに怒られそうね」
ジョセフの静かで冷たい目を思い出して、エルサはくすくすと笑う。
「……とにかく、あのデカパイには負けたくないわね。イブちゃんは、かわいい女の子は私のものよ、ふふ、ふふふふ」
エルサは最後には不敵な笑みを浮かべながら自分の仕事部屋に戻っていった。
「……うぅ」
「どうした? 風邪か?」
訓練場に着くと、イブが両手を抱えて身震いした。
「ううん、なんか一瞬すごい寒気がしただけ」
「……そうか」
まあ、体調が悪いわけではなさそうだし別にいいか。
「さて、では今日の訓練を開始する」
俺たちはまた例の山に来ていた。
俺が所有する山だ。
私有地として一帯を立ち入り禁止にしてあるから、人目を気にせず訓練に集中できる。
とはいえ、それなりに警戒はしているが。
「今日は何するの?」
イブが首をこてんと倒して尋ねてくる。
「隠れ鬼ごっこだ」
「……?」
イブは傾けた首をさらに横に倒した。
もげるぞ?
「遊ぶの?」
「そんなわけないだろう。隠密と策敵の訓練だ」
「ああ。命がけの方ね」
俺が説明すると、イブは合点がいったかのように頷いた。
おそらく幼い頃からそういった訓練をさせられていたのだろう。
「……まあ、もちろん俺との訓練では命まではなくならないが、失敗したらそれなりに罰を与える」
「罰?」
「そうだな……捕まる、あるいは捕まえられかったら、その度におやつのパンケーキを1回分抜きにする」
「殺す気か!」
「……おまえからしたら死ぬのと同義か。それなら気合いも入るってもんだろ」
「……殺すつもりでやろうじゃないか」
「はっ。上等」
うまいことイブのスイッチを入れることに成功したな。
……ん? というか、俺は何をやる気にさせるようなことを。単純に命令すればいいし、殺し屋の訓練ならそんなことをしなくてもイブはやる気になる。そもそも、失敗したら死ぬというのが殺し屋の定石。それを訓練だからとただの罰にしてやる必要などないのに……。
「パンケーキパンケーキパンケーキパンケーキ……」
……ま、いいか。
「とにかく、ルールを説明する。
これから交互に鬼と逃走者をやる。逃走者は鬼が10秒間目をつぶっている間に逃げ、隠れる。10秒後、鬼は捜索を開始。捜索の制限時間は30分。エリアはこの山一帯。山の中ならどこに隠れてもいい。鬼は逃走者を見つけたら捕まえる。逃走者は見つかっても捕まらずに逃げればセーフ。完全に鬼を撒いて再び隠れてもいいし、そのまま逃げ続けてもいい。
ここまではいいか?」
「……ん」
イブはすでに完全に仕事モードになっている。
質問をしてこないということは俺の説明もちゃんと理解しているのだろう。
「鬼の『捕まえる』の定義は『掴む』だ。腕でも足でも肩でも頭でも、逃走者の身体を掴んだ時点で鬼は逃走者を捕まえたことになる」
「おけ」
「で、逃走者の方もただ逃げるだけじゃ芸がないから、反撃ルールを設ける」
「!」
「逃走者は鬼を行動不能にした時点で逃走者の勝ち。行動不能の定義は文字通り、鬼がそれ以上逃走者を追跡できなくなる状態にすること。
組み伏せたり、動けないぐらいのダメージを与えたり、あるいは制限時間内に脱出不可能な罠にかけたりな」
「ふむふむ」
「あ、もちろん殺してもいいぞ。出来るならな。俺は優しいからそんなことしないから安心しろ」
「……わかった。絶対殺す」
無表情のなかにも怒りを滲ませているのが分かる。
煽ったのはこっちだが、この程度で感情が揺らぐようならまだまだだぞ。
殺し屋たるもの、常に冷静であらねばならない。
場を冷静に見据えることが出来なければ、待っているのは自らの死だからな。
「……鬼が逃走者を捕まえるか、逃走者が制限時間いっぱいまで逃げきるか、逃走者が鬼を行動不能にしたら終了。休憩後、立場を変えて再スタートだ」
「わかった」
……ま、反省会は終わってからだ。
「では、最初は俺が鬼をやる。おまえは俺が十数えている間に隠れろ」
「……おけ」
イブは少し考える仕草を見せたあと、かすかに口角を上げたように見えた。
……こいつ。もしかして。
「言っておくが、俺の背後にピッタリついて、俺が目を開けてスタートした瞬間に背後から攻撃はさすがに無しだからな」
「……え~」
こいつ、そのつもりだったな。
べつに俺はそれでも対処できるが、今回の目的はあくまで隠密と策敵だからな。
「……いいか。殺し屋にとって隠れる技術と探す・追う技術は必須だ。相手に気付かれずに仕留めるのが理想だからな。
わざわざ正面きって直接戦闘して相手を殺す必要はない。
俺たちの仕事は依頼を受けて、指定された相手を殺すことだ。それには自分が殺される可能性を少しでも低くすることも大事だ。
そのためには相手に見つからず、相手に気付かれず、相手より先に殺す。その技術を磨くことが大事。
今回はそれを学ぶということを理解しろ」
「……ん。わかった」
イブはこくりと頷いた。
子供の殺し屋は捨て駒として使われる、育てられることが多い。
自分の命を犠牲にしてでもターゲットを殺せ。
イブもそう教えられてきた可能性が高い。
真に殺し屋としてやっていくには、自分が生き残ることを大前提としてやっていかなければならない。
イブにはまず、その部分を叩き込んでいかなければならないだろう。
「……」
そこまで考えて改めて思う。
俺は、こいつを本当に一端の殺し屋にしようとしてるのか?
「……どした?」
……。
「おーい。始めないんかー?」
……いや、どうであれ、こうしてこいつを育てることで知れることもある、か。
こいつに染み付いた育てられ方で、こいつを育てた奴らについて分かることもあるってものだ。
「おーい。おっさん」
……って、自分に言い聞かせているみたいだな。
「ふっ……」
「おーい。くそじじい」
「……始めるぞ」
とりあえず、俺をくそじじい呼ばわりしたこいつに手加減は必要はないってことだけは確かだ。
おまけ
「ピザお届けにきましたー!」
「待ってた」
注目されたピザを届けにいくと、かわいらしい少女がドアを開けて両手を差し出してきた。
「おまたせ~」
「……ああ、来たか」
「わっ!」
嬉しそうにピザを受けとる少女に癒されていると、奥から顔を真っ黒な煤で汚した男が現れた。
あの子の父親だろうか。
なんか、ものすごい殺意を感じるんだけど。
あの子、大丈夫かな?
え? てか、この人ホントに父親だよね?
誘拐してきたとかじゃないよね?
「……いつもご苦労。釣りはいらない。チップだ」
「あ、ありがとうございます」
男はかなり多めに料金を出してくれた。
俺の給料分ぐらいないか?
「……またのご利用お待ちしてまーす!」
うん。あの人たちは仲の良い親子だ。
そうに違いない。
わーい。お小遣いだー。