8.まな板は味方だけど変態で……
「リグレット管理官! 現着しました!」
「ああ!」
何台ものパトカーが銀行の前に止まり、そこから警官が溢れるように出てくる。
リグレットと呼ばれた女性はこの多くの警官たちをまとめる立場にある。
彼女が颯爽とパトカーから降りると、現場を固めていた屈強な警官たちがこぞって敬礼をする。
彼女はその中を、後ろでひと纏めにした長く美しい黒髪を揺らしながら悠然と歩く。
ちなみにパトカーのドアを開けたのはケビンだ。
「今日こそは全員残らず逮捕してやる!」
リグレットはそう息巻いて、犯人たちに包囲されている旨を伝えるために大きく息を吸った。
彼女の補佐をしている男は自分が持っている拡声器を彼女は使う気がないと分かると、そっとそれをパトカーに戻した。
「犯人に告ぐ!
おまえらは完全に包囲されている!
おとなしく人質を解放して投降しろ!」
リグレットは地球の裏側まで届きそうなほどの大声で叫んだ。
ケビンはそれに慌てて耳を押さえる。
その隣にいた補佐の男はいつの間にか耳栓をしているようだった。
「……ふん。と言っても素直に出てきはしないか」
リグレットはそう言うと、スッと右手を挙げた。
その合図に従って狙撃手が銃を構え、警官隊が突入準備に入る。
「……ん?」
しかし、そのとき突然に、閉じられていた銀行の入口の扉が開かれる。
リグレットも警官隊も驚いてそちらを注視する。
「ああ、やっぱりあのバカデカい声はおまえか」
「……うるさ」
「な、なななな……」
そこから出てきたのはジョセフとイブだった。
イブは耳がキーンとなったようで、嫌な表情で耳を押さえていた。
リグレットは驚いて口をわなわなと震わせていた。
「あ! ジョセフ警部!」
ジョセフたちに気付いたケビンが駆け寄る。
「ケビン。おまえ今日は事件の調書を作るんだったろ。なんでここに?」
「……なんか、ちょうど署に戻ったところであの人に捕まったっす」
「ああ、それはどんまいだな」
リグレットの方を見て落ち込むケビンにジョセフは慰めの言葉を送ったのだった。
「ジョセフ! なぜ貴様がここにいる!?」
「……うわぁ」
俺がケビンを慰めていると、顔を真っ赤にして管理官が詰め寄ってきた。
イブがあからさまに引いている。
「……よお。エルサ。久しぶりだな」
俺はやれやれと手を挙げて挨拶した。
この立場でのこいつの相手は疲れるから嫌なんだがな。
「あ、知り合いなんすか?」
「……まあ、昔な」
「ほっほ~ん」
……ケビン。きっとおまえが思ってるような関係ではないぞ。
「そんなことはどうでもいい!」
「ぎゃふっ!」
エルサがケビンを横に払い飛ばして再び近付いてきた。
ケビンは地面に投げ出されて転がり、足をピクピクさせている。
イブ。ツンツンしないの。
「貴様がなぜここにいるのかと聞いている!」
「おっと」
顔が近いな。
相変わらず人との距離感が分からないのか。
と、今はそれよりも。
「たまたまだ。
それよりも中にケガ人がいる。肩口を撃たれている。弾は貫通しているが出血が多い。早く救急隊員を。
犯人は全員捕縛してある。人質は縛られたままだから、そっちも早いとこ解放してやってくれ」
「……ちっ! おい!」
エルサは俺の説明に舌打ちしたが、ケガ人がいることを知ると切り替えて部下と救急隊員に指示を出した。
銀行の中に警官隊と救急隊員が入っていく。
これで一安心といったところだろう。
「……」
「……ん?」
俺は地面でゴキブリをしているケビンを突っついているイブの手を取り、こっそりとその場を抜け出す。
いろいろと面倒なので逃げようと思う。
「待て。詳しく話を聞かせなさい」
「……ちっ」
が、エルサに肩をつかまれてしまった。
人質たちが出てくる場面なら、そっちに集中させておいてこっそり逃げられると思ったのだが。
「あなたのやり口ぐらい分かってるのよ」
「……ったく」
これだから付き合いの長いやつはめんどくさい。
「……ああ。初めに言っておくが、2人ほど死んでるからな。イブを抱えた状態だったし、危険性が高かったからな」
正当な理由があれば犯人を殺してもさほど問題にはならない。調書は面倒だろうけどな。
「……それはまあ構わない。ボスは残ってるんだろう?」
「ああ。多少、乱暴な聞き込みをしたから怯えてるかもしれないが」
「……おまえは」
エルサに盛大にため息を吐かれるが、この程度で済むのは日ごろの行いのおかげだろう。
良くも悪くも、な。
「あ! すいません!」
「ん?」
そこで銀行の方から声をかけられて顔を向けると、俺が突入するきっかけとなったトイレにいた老人が小さな子供を連れて駆け寄ってきた。
「本当にありがとうございました! おかげで娘も孫も助かりました!」
「あ、いえいえ」
老人が深々と頭を下げる。
ん? 娘?
この子は孫だよな?
「あのね、ママね。ケガしちゃったんだけど大丈夫なんだって。おじさんがお手当てしてくれたからなんでしょ?」
「……あ」
そうか。
この人たちはあの撃たれた受付の女性の家族だったのか。
「本当はお手洗いに行く隙になんとか外に連絡できないものかと思ったのですが……」
なるほど。この人は娘が撃たれたことで何としても通報しようとしていたのか。
俺がかち合って良かったな。
ヤツらにバレていればただじゃすまなかっただろう。
「……ん?」
祖母と話していると、孫の方がイブの手を取った。
イブが首をかしげる。
孫はイブと同い年ぐらいだろうか。
「あなたもすごかったね! カッコよかった! ありがとう! あなたのおかげでママは助かったんだよ! ホントーにありがとう!!」
「……う、うん」
満面の笑みでお礼を言われ、イブは戸惑っているようだったが、どこか嬉しそうにも見えた。
こうして直接善良な感謝を伝えられたのは、もしかしたら初めてなのかもな。
「ばいば~い!!」
「……ん。ばいばい」
そして、救急車が出るというので2人は去っていった。
最後まで手を振る少女にイブも小さく振り返していた。
「……ん?」
イブはしばらく余韻に浸っていたようだったが、そこでようやく自分に向けられた陰湿な視線に気が付いた。
「あなたは……」
「……」
イブはエルサに見られていることに気が付くと俺の後ろに隠れた。
エルサから異様な気配を感じたのだろうか。実際、それは正しい。
「か、かわいい! かわいすぎるぅ~!!」
「ひゃ~!」
「おっと」
そして、我慢しきれなくなったエルサがイブに襲いかかる。
イブはそんなエルサに捕まるまいと逃げ、2人で俺の周りをぐるぐると回っている。
「やれやれ。おまえのロリ好きも相変わらずだな」
「子供好きって言ってちょうだい!
イブちゃんだったわね! 待って~! 抱きしめさせて~!」
「やだ! なんか怖い! ジョセフヘルプ!」
「……やれやれ」
だから逃げたかったのに。
とりあえずイブを逃がしてから、俺だけ話をしに戻ろうと思ったのだが、どんまい、イブ。
そいつはしつこいぞ。
「ふふふ、ふふふふふ!」
「ヘル~プ!」
……帰るか。
「やれやれ。大変だったな」
その後、なんとかイブをエルサから引き剥がして自宅に戻ることができた。
「……やだ、怖い、あれ怖い」
どうやらイブのトラウマになったようだ。
「とんだ災難だったわね」
「まったくだ」
リザがコーヒーをテーブルに置きながらイブを慰める。
「バインバイ~ン!」
「ああ、はいはい」
イブがリザの胸に飛び込む。
どうでもいいが、その呼び方はやめないか?
「……それで? ヤツらのボスからは何が聞けたの?」
イブを胸元にうずめながら、リザが本題に入る。
その件について調べてほしいことがあったからリザを呼んだのだ。
「……ああ、それがな」
「私も聞くぞ!」
「うわっ!」
「出たぁっ!! 変態まな板!!」
俺が話し始めようとしたところで、エルサが玄関を開けて入ってきた。
イブが慌ててリザの後ろに隠れる。
またとんでもないアダ名をつけたもんだ。
「……鍵はかけておいたはずだけどな」
「私にそんなもんが通じるわけないでしょ」
エルサが手に持った針金をくるくると回す。
「……ったく。現役の警視が昔の技を使うなよ」
「あんたに言われたくないね」
「……それもそうか」
「……なぜ? そいつはなに?」
イブはもはや軽いパニックだった。
トラウマが再びやってきた上に何やら訳知り顔だからだろう。
「こいつは元殺し屋だ。鍵開けと暗殺を得意としていた。今はいっぱしの警察官だが、たまに特殊な調査やもみ消しを依頼している」
「ジョセフは金払いがいいから助かってるよ」
「……おまえはぼったくりすぎだけどな」
割高だが仕事はたしか。
きちんと報酬を支払えば確実に仕事をこなすところは評価できるし、共感できる。
「……元殺し屋で、警察官……仲間」
イブがものすごく嫌そうな顔をしている。
「そうだ。裏からはリザが。表からはエルサが『銀狼』をバックアップしている。俺は普通の男だからな。2人のサポートによって最強の殺し屋『銀狼』足り得ている。つまり……」
「そう! 仲間よ! だから仲良くしましょ! イブちゃーん!!」
「ぎゃー!」
「待ちなさい!」
「あ~ら! 牛乳リザ。あなたいたの? 相変わらず無駄にデカいの揺らしてるわね!」
「最初っからいたわよ! 洗濯板エルサ! 相変わらずまっ平らね!」
「うるさいわね! そこをどきなさい! イブちゃんを愛でさせるのよ!」
「やめなさい! あんた目がヤバいのよ!」
「が、がんばれバインバイン」
「イブちゃ~ん。パンケーキいっぱいあげるからおいで~」
「パ、パンケーキ?」
「イブちゃん! そんなのに釣られちゃダメよ! その先は地獄よ!」
「おのれ! リザめ!」
「……それで、今は3人で主に活動しているんだ……」
「さっさと引き渡せ!」
「やめなさい!」
「もうやだ~!」
「……誰も聞いてないな」
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「はい。そうっす。それで銀行まで連れていかれて。はい。すいません。
あ、でも、少しは収穫もあったっすよ。
リグレット警視っすか。
あの人、ジョセフ警部と何やら繋がりがあるみたいっす。
え? 知ってた?
いや、俺は聞いてなかったんすけど。
あ、そうなんすね。
わかりました。
本命を探りつつ、そっちの関係性についても深く探っとくっす。
はい、はい。じゃあ、失礼します。
……え? ……いや、調書はこれからっす。
はい。頑張ります」
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「……それで、連中のボスから聞いた話だが」
「え、ええ……」
「き、聞かせてちょうだい」
「……むう」
結局、俺がリザとエルサに拳骨を落として場を落ち着かせた。
イブはむくれた顔でリザが焼いたパンケーキをつついている。
エルサがその姿にまた悶えだしたが、俺が睨むと大人しくなった。
「ヤツらに指示を出していた組織の名前は知らないようだった。ただ、『組織』とだけ呼んでいたそうだ。
接触も基本的に書面を渡されるだけで、渡してくるヤツも毎回違い、おそらく金で雇われただけの者だろうとのことだ」
「……それじゃ、どうしてそのボスはその組織のことを信用したっていうのよ」
「一度だけ、組織のトップと会ったらしい。そこで問われたんだそうだ。
『死ぬか、死ぬよりツラい目に遭うか、仕事をするか、どれがいい?』
と」
「信用していたのではなく、脅されていたわけか」
「まあな。だが、蓋を開けてみれば自分たちもそれなりの大金を得られるウマい仕事だったってわけだ」
「飴と鞭ね。うまい使い方するわ」
「うまっうまっうまっ」
「……ホントね」
イブは8段重ねパンケーキの4段目に突入していた。
エルサはさっきからイブの方しか見ていないが、実害はないようだからもう放っておこう。
「……で? そのトップってのは?」
エルサがようやくこちらを見た。
どうやら自分の仕事を理解したようだ。
「……左頬に大きなキズがある白髪の男だそうだ」
「そいつのことを調べればいいのね」
「それだけ特徴があれば探すのは難しくはないだろう」
「ああ、頼む。入金はいつもの方法で」
情報屋兼仲介屋のリザと、裏社会にも精通している警視のエルサが表と裏の両方から調べれば何かしら情報が出てくるだろう。
「……で? あんたはその組織があんたが探してる組織だと思ってるわけ?」
「……!」
「……その可能性はあるな」
イブの動きが一瞬止まったが、俺もリザもそれに気付かないフリをした。
エルサも気付いたかもしれないが、エルサにはイブが俺の命を狙っている殺し屋だとは言っていない。
元殺し屋のくせに子供に対しては妙な正義感を出してくるこいつには余計な情報は与えない方がいいだろう。
イブに感じた違和感も、俺が組織を探しているということに対しての反応だと思ったはずだ。
「……銀行を襲って大量の金を集める。たしかに手口は似てるな」
「……また、大きなテロを起こすつもりかしら」
「……まだ分からないがな」
テロ。
俺の妻と娘の命を奪った。
俺は、何としてもその元凶を探す。
たとえ、どんな方法を使ったとしても。
「……」
「うまっうまっうまっ」
イブはすでに元の状態に戻っていた。
動きを止めたのは一瞬。
イブに俺の暗殺を命じた組織が俺が探している組織と同じなのか。
あるいは、今回の強盗に指示を出した組織と同じなのか、それは分からない。
リザには密かにイブのことも調べてもらっているが、情報はいっこうに出てこない。
末端であろう強盗のボスに安易に顔を晒すようなヤツがイブの組織のトップだとは思えないが、ひとまずは情報が出るのを待つしかないか。
「ん? エルサ、電話だぞ」
「あ、ちょっとごめん」
そのとき、エルサの持っていた電話が鳴る。
「私だ。ああ。ああ。なに!?」
「?」
電話口からの連絡にエルサはひどく驚いている様子だった。
「……わかった。すぐに戻る」
「急用か?」
エルサは電話を切ると眉間にシワを寄せていた。
「……強盗どもを署に連行していた護送車が襲われた」
「なに!?」
「警官も強盗もほぼ全員が殺され、ボスだけが連れ去られたそうだ」
「……やられたな」
まさか護送車を襲うとは。
どうやら一筋縄ではいかない組織のようだ。
おまけ
「……管理官。一応、警察署なんですから、部屋にぬいぐるみを持ち込むのはちょっと……」
「べつに構わないだろう? 私に割り当てられた部屋だ。どう使おうが私の自由だ」
「はぁ……。ん? この写真は?」
「ああ、先日の一家惨殺事件の生き残りの少女だ」
「ああ。担当のジョセフ警部が引き取ったという例の。その子がなにか?」
「いや、かわいいから飾ってるだけだ」
「……はい?」
「本当は私が引き取りたかったのに、あいつめ。末代まで恨んでやる」
「……ジョセフ警部は英断でしたね。というか、警視から守るためにその子を引き取ったのでは」
「ああ! なんてかわいらしい! 愛でたい! 今すぐにでも抱きしめまくりたい!」
「……はぁ」