7.ただの正義の味方だよ
入口正面の窓口がある1階の一番広いフロア。
俺はトイレのある廊下からそのフロアを覗く。
とはいえ普通に覗くのではなく、懐に入れてあった手鏡を利用する。
殺し屋として身だしなみはわりと大事だが、それ以外にもいろいろな場面で使えるので、手鏡は常に携帯するようにしている。
俺はその手鏡だけを廊下の角から出して、そこに映る鏡像で状況を確認する。
イブにはトイレをはさんだ反対側の廊下の端で誰か来ないか監視させている。
この廊下は受付のあるフロアと奥にある階段を繋いでいて、その間にトイレがあるのだ。
廊下の突き当たりの正面にはパスコード入力式の裏口、その横に階段といった形だ。
階段から2階に上がれて、そこにもいくつか部屋がある。
本来だったら先に上を完全に制圧するべきなのだろうが、俺たちは2階に上がったところにいた見張りを倒したところで踵を返し、受付のあるメインフロアに突入しようとしていた。
「……」
手鏡で見る限り、最初の奴が言っていた人員情報とほぼほぼ一致していた。
角度的に見えない箇所も多いが、正面入口の前にはサブマシンガンを持った男が2人。
待合フロアの床に座らされた人質を囲うように2人。
受付の中は……さすがに見えないか。
だが、人質の中に銀行員たちの姿が見えない。
受付の中で、別で集められているのだろうか。
人質を2ヶ所に分けるのは人員さえいればメリットはある。
人質の反乱を予防するために、人質グループ同士を人質にするのだ。
片方が結託して反抗しようとすればもう片方が殺される。
それによって人質全体の反乱を防ぐのだ。
さらには警察への牽制にもなる。
保護対象が分かれているほど警察は突入しづらい。
見張りが別の場所にいると狙撃で一気に殲滅することも難しくなるしな。
「……ちっ」
奴らに作戦を指示した組織とやらは警察や、人の動きや考えを熟知している。
恐ろしく手慣れた、じつに周到な犯行。
兵の質こそ荒いが、立案自体はほぼ完璧と言っていい。
これは、是が非でもボスとやらから話を聞かなければ。
さっきの銃声は受付の中から聞こえた。
ここから見える範囲に撃たれたような人質がいないとなると、銀行員か、あるいは強盗どもの仲間割れか。
どちらにしても銃が使われたのはあまり良くない。
強盗どもにとっての銃へのハードルが下がるからだ。
それだけ最初の一発は重要。
手下が調子にのって撃ったのならまだいいが、もしも冷静で冷徹なボスが撃っていた場合、部下たちもそれに対する躊躇がかなり減る。
憶測で考えても仕方ないが、少しでも多くの状況を想定しておかなければ。
「……」
情報では金庫まで支店長を連れていって金を運ぶ人員が2人。そして、連中のボスがその間、行員の業務スペースになっている窓口の奥にいるそうだ。
いま現在手下が金を運んでいるとしたら、行員たちを見張っているのはボスだけということか?
あるいは、行員自身に手伝わせて手下に見張りをさせているか。
受付は正面入口を入ってすぐ前方にある。
俺が今いるトイレに続く廊下は正面入口から入って左手奥。
受付側からは完全に死角だ。
受付の奥が金庫に繋がっているのだろうが、ここからでは状況をまったく把握することが出来ない。
また、俺のいる廊下の反対側。
つまり、正面入口から入って右手奥にも同様に廊下と上階に続く階段。
ただし、こちらは行員用の裏口のようだ。
先ほどの銃声。
即死や致命傷だったら手遅れだが、重傷だったとしたら事態は急を要する。
一刻も早く応急処置をしなければ。
「あの~……」
「あぁん!?」
「ひっ!」
「……」
俺がどうしようかと考えを巡らせていると、メインフロアの床に座らされていた年配の女性が声をあげた。
両手を縛られているから声をかけるしかないのだろう。
「あ、あの、その、すみませんが、お手洗いに行かせてもらえませんでしょうか?」
「!」
年配の女性はひどく怯えていたが、懸命に訴えかけていた。
我慢していたが限界なのだろう。
「……ちっ。ボス!」
声をかけられた男は舌打ちをしながらもボスにお伺いをたてた。
視線の先からしても、やはりボスは受付のなかにいるようだ。
「……行かせてやれ。他のやつも行きたいときは言うように。ただし、一人ずつだ。
おい。そいつの縄をほどいて連れていけ」
「はい」
……これがボスの声か。
やはりひどく冷静で落ち着いているな。
こいつだけは他の手下どもとは違う。もしかしたら、組織と直接繋がっているかもしれない。
ボスに命じられたのは声をかけたのとは違うやつだった。人質を見張っていたもう一人。
どうやらさっきの男はそういうのに向かない気性のようだ。
「……」
命じられた男が年配の女性の縄をほどき始めた。
このままでは彼らはここに来る。
だが、これはチャンスだ。
「……」
俺は手鏡を引っ込ませ、静かに後ろに下がった。
そのまま廊下を奥まで進み、イブと合流する。
「もうすぐここに、見張りと人質の一人がやってくる。
イブ。おまえは急いで階段から上に上がり、2階を制圧しろ。そして、反対側の階段から下に降りてきてくれ。
それで……」
俺はイブに作戦の要諦を説明する。
今回の作戦はイブにかかっていると言ってもいい。
強盗どもをただ皆殺しにするだけなら俺だけで十分だが、人質に傷ひとつつけずに、かつ強盗どもをほとんど殺さずに制圧するには俺一人だけでは難しい。
こういう時に警察であるところの自分の身分が煩わしくなるが、これも『銀狼』として動きやすくするため。
本当にどうしようもない時以外はその身分に徹するべきだ。
「……以上だ。何か質問はあるか?」
「ない」
イブはこちらをまっすぐと見つめて答える。
こういう時のイブは普段の何倍も理解が早い。
おそらく、すでに自分のなかで動きのシミュレーションが終わっているのだろう。
だからこそ、俺もイブにここまで仕事を任せられる。
……そこまできて思う。
これは、イブを信用しているからこその作戦だ。
俺の命を狙っているイブに俺の命を預けるようなもの。
もしも、ここぞという時にイブが俺を裏切れば、俺を殺すまではいかないまでも、最悪俺は警察としての俺を捨てなければならないかもしれない。
だが、そうはならないという打算もある。
俺を消そうとしているヤツは、俺が警察という檻のなかに自らを置いているからこそチャンスがあると考えている可能性が非常に高いからだ。
俺自身、檻から解き放たれた『銀狼』を捕捉できるヤツはいないと思っている。
だからこそ、俺が警察という檻のなかにいるうちに始末したいはずだ。
そのためには確実に俺を殺せるタイミングを見計らわなければならない。
今回のヤツらと状況では弱い。
もっと舞台を整えないと、まだイブの刃では俺には届かない。
だから、いまはイブは俺の命令に従うしかないのだ。
……と、思うようにしようと思う。
「じゃ、いってくる」
イブはそう言うと、さっさと階段を駆け上がっていった。
「……あ」
「ん?」
が、階段の途中で足を止めたイブは思い出したようにこちらを振り返った。
「……今回の報酬は6段パンケーキホイップたっぷりアイスのせで手を打とう」
「……わかったよ。今度作ってやる」
「よっしゃ。がんばる」
俺がため息混じりに頷くと、イブは小さくガッツポーズをしてから2階に消えていった。
「……やれやれ」
いろいろと考えていた自分が馬鹿馬鹿しくなった。
さっさと終わらせて材料を買いに行くとしよう。
「ほら、早く歩け」
「!」
廊下の向こうからこちらに向かってくる声が聞こえてきた。
俺は階段の陰にさっと身を隠す。
幸い、トイレに行くのは女性だ。
俺とイブが倒した強盗たちは男子トイレに置いてある。それらがすぐに見つかることはないだろう。
見張りを命じられた以上、あの男が女性から目を離すことはないだろうからな。
「……」
そのまま階段でやり過ごしていると、2人が女子トイレに入っていくのが分かった。
扉が閉まると同時に俺はそこに近付く。
「俺はここにいる。終わったら早く出てこい。
余計なことをすれば殺していいと言われている」
「は、はいぃ……」
「……」
どうやら男は入口を入ってすぐの、扉の横に立っているようだ。
良い見張り位置だが、こちらとしては好都合。
女性が個室に入る音がする。
「……」
俺は長袖の上着の袖に仕込んだ針を1本取り出す。
長さ15cm。直径8mmの金属製。
左右の袖に5本ずつ。計10本が仕込まれている。
男は押して開くタイプの入口のドアを開けたすぐの壁。
針を投げるのに必要な隙間は1cmあれば十分。
「……」
俺は女性が水を流すタイミングを見計らう。
男の意識がそちらに向く一瞬を狙えばメインフロアにいるヤツらに気付かれることはないだろう。
そして、ジャアァァーーという水が流れる音が聞こえ、男がかすかに動く気配を感じる。
俺はその瞬間にトイレの入口のドアを少しだけ開け、見えた男の首筋に針を投げた。
「……っ!」
「おっと」
針はしっかりと男の首もとに刺さり、男は声をあげる間もなく意識を失った。
俺は男が床に倒れないように軽く支え、そのまま音を立てないように床に寝かせた。
すると、ちょうどトイレを済ませた女性が個室から出てくるので、俺は女性の口を手でふさいだ。
「……っ!」
「安心してください。警察です」
「!」
女性は声をあげて暴れようとしたが、俺が警察手帳を見せると動きを止めた。
「たまたま休みの日にここに来てました。さっきまで隠れていましたが、犯人確保に動きます。あなたはここで隠れていてください。いいですね?」
「……」
俺がそう言うと、女性はこくこくと頷いた。
だいぶ落ち着いたようなので口から手を離す。
「そ、その人は?」
女性は床に倒れている男を見やる。
強盗であるこの男を心配しているのだろうか。
「少し眠らせただけです。動けなくして隣の男子トイレに隠します。とにかく、あなたはここにいてください。警察にはもう連絡してあります」
「わ、わかりました」
女性は戸惑いながらもこくりと頷いた。
「あ、あの……」
「……はい?」
俺が男を担いで出ていこうとすると女性が呼び止めた。
「あの、向こうにまだ、私の孫がいるんです。今日は学校がお休みだからって2人で出掛けてて、だから……」
「……大丈夫です。人質には絶対にケガをさせません」
「……よろしく、お願いします」
女性はすがるような様子だったが、俺が女性の目を見てそう答えると、深く頭を下げた。
「……では」
そうして、俺は女子トイレから出た。
「……」
男子トイレに男を置くと、気絶させた男の首から針を抜く。
1発で半身不随にすることも、当然仕留めることも出来るが、あとで上からやりすぎだと言われても面倒なので、今回は意識を刈り取れる場所に針を撃ち込んだ。
とはいえ、長時間刺しっぱなしだと呼吸が弱くて後遺症が出る可能性もあるので、なるべく早く抜いてやった方がいいだろう。
そして、俺は他のヤツらと同じようにその男も拘束すると適当に床に転がして再びトイレから出た。
あまりもたもたしているとボスに怪しまれる。
さっさと動くとするか。
俺は素早く先ほどの曲がり角まで進むと、再び手鏡を使ってメインフロアを確認。
「……っ!」
すると、すぐ目の前に銃を持った男が迫っていた。
俺はすぐに手を引っ込め、一歩半ほど下がった。
向こうはまだこちらに気付いていない。
「わりぃ! すぐに終わらせるから、ちょっと見張っててくれや~!」
男はそう言って角を曲がってくる。
どうやらトイレに行こうとしているようだ。
先ほど最初に女性にトイレに行きたいと言われた男だ。
ボスの意向ではないだろう。
こいつはただ自分がトイレに行きたくなったから行くだけなのだろう。
こういう短絡的なヤツが起こすイレギュラーが一番厄介だ。
「……」
メインフロアを見やりながら角を曲がる男はまだ俺に気付いていない。
男がメインフロアから見えなくなって、こちらを向いて俺に気付くまで1秒もない。
その一瞬で声も音も立てないように男を沈める。
「……ん? ……っ」
男が完全に向こうから見えなくなり、俺はすぐに男に手を伸ばした。
男の首筋を這うように後ろに手を回す。
人差し指以外の指で動脈を圧迫。
人差し指を脊椎に当て、動脈を圧迫したまま首を後ろに反らせ、顔を上げる。
「……っ」
男は暴れようとするが、脳からの指令を体に伝えることが出来ていない。
そして、数秒もたたずに意識を失った。
「……」
俺は意識を失ったそいつの体を支え、少しだけ中に引きずって、そのまま床に寝かせた。
こいつはもうこのままここでいいだろう。
こいつが目を覚ます前にすべてを終わらせる。
「……」
再び手鏡でメインフロアを確認するが、誰も男の異変に気付いてはいない。
見える範囲の見張りはあと2人。
今は1人が入口。
もう1人は人質を見張っている。
2人ともサブマシンガンを所持。
それ以外に、受付の向こうに最低3人。
そっちも同様の装備と想定。
また、ハンドガン所持の可能性も考慮。
針はまだ10本フル。
ナイフもある。
これはイブの手を借りなくてもいけるかもな。
今ごろイブは2階をほとんど制圧しているところだろう。
もしかしたら、もう向こう側の階段で待機しているかもしれない。
「……」
よし、やるか。
俺は心のなかでそう呟いてから動いた。
手鏡を懐にしまい、両袖から針を4本ずつ抜いて、それらを指の間に挟む。
右手だけを角から出して、その4本を一気に投げた。
「ぎゃっ……」
「いっ! ……っ」
1人に2本ずつ。
投げられた針は狙い通りに男たちの首に刺さり、2人はその場に崩れ落ちた。
「きゃああぁぁぁーーーっ!!」
人質たちが騒ぐ。
「な、なんだ! どうした!」
受付から男の叫び声。
強盗の1人だろう。
「……」
その声を聞く頃には俺は受付のなかが視認できる位置まで出てきていた。
立って叫ぶ男を視認。
「うるさっ……っ!」
視認した瞬間に左手の針を1本投げる。
男の首に刺さったそれは男の意識を奪った。
「……ちっ」
俺はすでに受付が見渡せる位置にいた。
だが、いま倒した男以外に敵を見つけられない。
さらに、人質のなかに俺を視認した者がいる。
先ほどの針の入射角と人質の視線から俺の位置が割り出せる。
そのことに思わず舌打ちが出る。
「……ふっ!」
俺はそこで強く地面を蹴り、受付前のソファーに跳んだ。
それを踏み台にして受付のカウンターに足をかける。
そして、さらにそこから上に跳び、受付内へ。
「……いたな」
滞空中、受付内を俯瞰した状態で見ることでようやくボスらしき者を発見。
この状況で冷静に机の陰に身を隠していた。
が、向こうもこちらを見据えている。
その手にはハンドガン。
「……ちっ」
俺は左手に持っていた残りの針を投げる。
が、1本は机に阻まれ、1本は銃で防がれた。
高速で自分に向かってくる直径8mmを視認できるレベルか。
やはりこいつだけレベルが違う。
ボスの男はすかさず机の陰から出てきて、まだ落ちきっていない俺に銃を構える。
俺はすでに懐から出していたナイフを構える。
集中して相手の銃口を見る。
ヤツが引き金を絞る動きに合わせてナイフを振る。
「……っ!」
「……なっ!」
3発撃たれた弾は2発が外れ、1発が俺に当たるところだったが、動かしたナイフがそれを弾いた。
俺はボスの男の驚く顔を見ながら床に着地する。
横一列に並んだ机が3列。
俺は一番手前。ヤツは一番奥の机に身を隠す。
右手にナイフを持ちながら左手に針を2本持つ。
ヤツが人質を撃とうとしたら針で撃つ。
相手もそれを理解しているのか、身を隠して出てこない。
情報ではあと1人手下がいるはずだが、そいつも姿を見せない。
金庫内は防音だから気付いていないのかもしれない。
ならば、そいつが出てくる前に片付けなければ。
「ん?」
「……ひっ」
横を見ると、行員の制服を着た数名が拘束され、怯えた目でこちらを見ている。
俺が警察手帳を見せると、不安ながらも安心した様子を見せた。
俺はジェスチャーで頭を下げて伏せるように命じた。
人質たちはそれに素直に従う。
こういう時、警察というものの便利さと怖さを感じる。
警察だから安全だと盲目的に信じる人々が怖くなる。
警察のなかにも狼はいるというのに。
「……」
さて、どうやって攻めるか。
向こうは銃。
そう何度も弾丸を止められはしないし、慣れれば向こうも対策してくるだろう。
チャンスはそう多くない。
それに、時間もない。
「……!」
そのとき、人質の1人が俺の奥を見ていることに気が付く。
「……ふ」
イブがすでに受付内に入り、身を隠していた。
さすがだ、と心のなかで呟く。
廊下の角で待機を命じていたが、状況を見て出てきていたようだ。
俺でさえその気配に気付かないレベルだ。ボスの男にも気付かれていないだろう。
「……」
よし。
作戦を決定し、イブに指を3本立てて見せると、イブは親指をぐっと立てて見せた。
どうやらOKサインのようだ。
これはいくつか立て、さっき伝えた作戦の3つ目という意味だ。
イブの承諾を確認して、さっそく俺は動いた。
まずは並んだ机の端まで移動する。イブとは反対側だ。
「……ふっ!」
そこから、2本の針を上に投げる。
それからすぐに残りの2本の針を引き抜く。
ガンガン! と、上に投げられた針が撃たれる音がする。
その音からヤツの位置を割り出し、跳躍して机に乗る。
そして、そこからさらに後列の机の方に斜めに跳び、視認したボスに向けて2本の針を投げる。
「くっ!」
ボスは俺を撃とうとしたが、自分に直線で迫ってくる針を先に銃で撃墜する。
その頃には俺は床に着地していて、横並びで並ぶ机の一番奥。ヤツと並ぶ位置にいた。
俺とヤツの間を遮るものはもうない。
「……くっ!」
ボスは俺に銃口を向けてくる。
俺とボスとの距離は5メートル。
当然、俺のナイフより早くヤツは引き金を引ける。
だが、俺は構わずボスに向けて走った。
そして、走りながら手に持つナイフを投げた。
「……なにっ!?」
俺を撃とうと向けていた銃口にナイフが突き刺さる。
「くそっ!」
そのまま撃てばダメージを受けるのはボス自身。
そして、迫りくる俺。
ボスは焦りながらも努めて冷静に懐に手を入れる。
「……やっぱり、もう一丁持ってたか」
ボスが取り出したのは二丁目の銃。
ダブルデリンジャーだ。
ヤツの切り札だろう。
素早さが求められる今の状況ではベストな判断。
だが、俺は構わずボスに突っ込んだ。
「なっ、なっ!」
銃を取り出したのに勢いを弱めない俺にボスは焦って銃口を向ける。
「くっ! ……はふんっ!?」
が、ボスは突然、ビクン! と体を揺らし、天を仰いだあと、へなへなと床に倒れていった。
「……イブ。普通に気絶させれば良かったんだが」
倒れた男の向こうから、足を蹴りあげたポーズのイブが現れた。
俺は針でもナイフでも使ってボスを後ろから気絶させろと命じたのだが、どうやら股間を思い切り蹴りあげたらしい。
「……うっ。ぐっ」
ボスは股間を抑えて悶えていた。
同じ男として同情するが、気絶していないのならちょうどいい。
俺はイブに金庫内にいるもう1人の手下を任せ、ボスの頭の横に膝をついた。
机に置いてあった鋏を持って。
近くに落ちていた銃はきちんと回収しておく。
「おい、これを見ろ」
「……んあ? ひっ!」
声をかけられてようやく俺に気付いたボスは目の前に掲げられた鋏を見て顔をひきつらせた。
「おまえには選択肢がある。
警察が来る前に俺の質問に答え終わるか、俺の質問に答えずにこのまま俺とデートに行くかだ。
後者の場合はこいつが大活躍するだろう。意味は分かるな?」
俺はそう言って、鋏を何回か動かす。
ボスはすっかり怯えきっていて、青い顔がどんどん青白くなっていた。
「……おまえ、誰から強盗のやり方を教えてもらっている?
おまえのバックにいるのは誰だ?
なぜ金を集める?」
「……そ、それは……」
男は鋏を見ながら、おずおずと口を開いていった。
「おわたー」
「ああ、お疲れ」
イブが手下を引きずって出てくる頃にはボスへの尋問は終わっていた。
最後に、「尋問で終わって良かったな」と言ってやったら、ボスは力なく床に倒れていった。
「……なんか聞けた?」
「ん? まあまあな」
イブが意気消沈とした様子のボスを見て尋ねてきた。
「……殺さなくていいの?」
「ひいっ!」
イブの問いにボスが怯えた反応を返す。
「ああ、構わない。俺はもともと冷静でちょっと乱暴な取り調べで有名だからな。こいつが署で俺にひどい取り調べを受けたと訴えても軽く叱られるだけだ」
「……嫌な刑事」
「自覚はある」
「な、なんなんだ」
「ん?」
「なんなんだ、おまえら! いったい、なんでこんなっ! なんだよ!」
ボスの男は動揺しているのか、すがるように答えを求めてきた。
「……ただの正義の味方だ」
そう言って警察手帳を見せてやると、ボスは床に尻餅をついて、完全に戦意を喪失したようだった。
「ん?」
そして、その頃にようやく遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきた。
「やっとか。急いで来たわりには遅いぞ」
とはいえ、実際は通報を受けてから30分も経っていない。
郊外にあるこの銀行にその早さで来たのだからたいしたものなのだろう。
「……うっ」
「!」
そのとき、受付のカウンターの方からうめくような声が聞こえた。
俺とイブは顔を見合わせると、俺はイブに縄を渡してカウンターに急いだ。
イブも急いでボスたちを拘束し、合流する。
「……あ、あら。あなたたちは。
良かった。無事、だったのね」
カウンターの下に丸まるようにうずくまっていたのは俺たちの受付をしてくれた女性だった。
肩口を撃たれているようで、そこから出血していた。
「……だ、大丈夫?」
イブはどうしていいのか分からず、おろおろしていた。
さっきまで大の男の股間を蹴りあげていたヤツとは思えない。
まるで、風邪をひいた母親を心配する娘のよう。
「……っと」
いまはそんなことを考えている暇はない。
俺は傷口の状態を確認しながら女性の手当てをした。
幸い、弾は貫通しているようだった。
椅子にかけてあったカーディガンできつく縛って止血。
出血量が多いが、すぐに警察と一緒に救急も来るから問題ないだろう。
「……ねえ。大丈夫なの?」
イブが不安そうに俺の腕をつかむ。
かすかに震えているようにも見える。
「……ああ。問題ない。輸血は必要だろうが命に別状はない」
「……そっか」
俺がそう言ってやると、イブはホッとした様子だった。
命を刈り取る殺し屋が人の命の心配をする、か。
「……皮肉なもんだ」
俺の呟きにイブは首をかしげたが、俺はそれに気付かないフリをした。
おまけ
「ぐあっ!」
「……」
イブは2階を簡単に制圧していた。
手下たちの練度はそれほど高くなく、イブでも苦戦することなく倒すことができた。
イブは殺さずに倒すということが面倒で難しいと感じながらも、ジョセフに命じられたことだからと忠実に任務をこなす。
「……」
そのなかで、イブは考える。
自分の使命はいずれジョセフを。最強の殺し屋『銀狼』を殺すこと。
もしここで自分が彼を裏切れば、彼を殺すことができるのではないか?
「……」
だが、そんな考えはすぐに甘いと断じる。
彼が伝えた作戦は自分ありきのものだった。
自分が囮になるからその隙にボスを戦闘不能にしろ、と。
もしボスがセカンドウエポンを持っていたら、自分が動かなければジョセフは死ぬかもしれないが、きっと彼は難なくそれを乗り切るだろう。
そして、裏切った自分を簡単に切り捨てるだろう。
「……っ」
それでは任務を遂行できなくて困るという自分と、そんなのは嫌だと単純にそれを嫌がる自分がいることにイブは困惑する。
「……パ、パンケーキ。パンケーキのため。うん。そう。そのため、だから」
イブは自分に言い聞かせるようにそう呟きながら、1階への階段を静かに駆け降りていったのだった。