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63.少女と兄と家族と……そして?

「はぁー。やっと着いたー」


 ケビンがジョセフに指示された場所に到着した。

 やれやれと、重たいリュックをどさりと地面に置く。


「……あんたがケビン?」


「おー。君がマドカかー…………っ」


 顔を上げると、声の方向にいた少女が振り返る。

 その姿を見て、ケビンが視線を鋭くする。

 血にまみれた学生服を身に纏った、光のない瞳を持つ少女。

 吸い込まれそうなほどに大きな、猫のような瞳。分かりにくいが、その長く艶やかな黒髪も血を吸い上げているようだ。


「……」


 そして、ケビンはマドカの奥にあるソレに気付いて、さらに眉をひそませる。


「……えーと。ソレは、なにかな?」


 ケビンは頭をかきながら、答えの分かっている問いをあえて気安く尋ねる。


「……解体(バラシ)屋、だったモノ、かな」


「……わーい」


 無垢な瞳で小首を傾げるマドカにケビンはよく分からない返事を返した。


「うーん。ぐちゃみそでよく分かんねーよ」


 ケビンはそこに転がる塊に目を落とすが、それは確かに人ではあるようだが、個人を判別するにはあまりに原形を留めていなかった。


「……一応、あの警官に言われたように片目は残した。

 あと、顔はそこまでやってないと思うんだけどな」


「あー、そうだねー。耳も鼻も歯も唇もないけどねー」


 マドカの言い分に、顔の皮を剥いでいないことを言っているのだろうかとケビンは半ば呆れていた。


「……言う通りにしたんだから、ちょっとぐらい褒めてくれてもいいじゃない」


「!」


 頬を膨らませてむくれる彼女を見て、ケビンは大方を理解する。

 倫理観の基準が違う人間。

 それをただの作業だと断ずることのできる性質。

 それでも褒められたいという人並みの感情は有している。というより、これを平時の感情で処理できている。

 つまりは、これをその程度だと感じる価値観。

 けれども激情を孕んだ冷静を持ち合わせているようにも思える。

 その最中はそうではないのかもしれないが、コトが済んだ今はもうソレに微塵も興味を抱いていない。


「……警部め。ずいぶんな物件を押し付けてくれたな」


 ケビンはそんな彼女を託したジョセフに恨み言を吐く。

 そして同時に自分に託した理由も察する。


 あまりに無垢で、あまりに純粋で、それゆえにあまりに黒い。その闇が闇だと理解する前にどっぷりと浸からされた哀れな少女。

 そして、まだ間に合うとジョセフが判断した少女。


 そう判断したからこそ、ジョセフは自分に彼女を託したのだと。


「……」


 ケビンは改めて真っ直ぐにマドカに向き合った。


「そっか。

 警部の言い付けを守ったのか。

 偉いな。よくやった」


「!」


 そして真っ直ぐに彼女を褒めた。

 倫理観の方向性は後々修正してやればいい。

 まずは彼女を認め、自分の言葉が届くようにしなければならない。託されたのなら。

 ケビンはそう考えた。


「……ま、まあね」


「……」


 ケビンは照れくさそうにするマドカをじっと見つめた。

 どこまで届くのか。どこまで踏み込んでいいのか。

 年頃の弟妹が多いケビンは年下との接し方に覚えがあった。

 それが、どこまで通用するか。


 ケビンは今まで警官としても特安としても、犯人やターゲットにそんな配慮をしたことはなかった。微塵も、そんな思いを持つことはなかった。それは邪魔なだけだから。

 そもそも国を、家族を危険に晒す可能性のある輩に慈悲の一欠片も無用と思っているから。

 だが、彼女も立派な組織の人間。

 始末すべき害悪という認識から、保護すべき少女という認識へとスライドさせていく。

 そうしてもなお、やはりプロであり裏社会の人間である彼女をどう扱っていくのが正解なのか。


 ケビンはその塩梅を見極めていた。


「……でも、少しやりすぎだな。

 せめて鼻と唇は残してほしかった。DNAの前に人相判定もあるからな。歯や耳は仕方ないとしてもね。

 あと、体がなんかもうぐちゃぐちゃで、どこからどこまでを運べばいいのか分からない。

 回収班のことも考えろよなー」


 ケビンはあえて気安く、いつも通りの雰囲気で注意をした。

 ソレの前に屈み、うへーと言いながら服の切れ端を摘まむ。

 ソレに嫌悪感を示しながらも彼女の仕事は認める姿勢。

 近付くにはまずは認める。共感する。そして互いに歩み寄れるようにする。

 ケビンが他人と触れ合う時に大事にしている感覚であった。


「……そっか。殺して終わりじゃないのか」


「……」


 ケビンはマドカに背を向けて、切れ端を摘まんだまま彼女の言葉を聞いていた。

 背を向けるのは敵意がないことを示す役割もある。


 そして意外にも、彼女はケビンの注意を受け入れた。

 怒ることもなく、静かに噛み締めた。

 幼いが、冷静で聡明。

 今の彼女からは、ケビンはそんな印象を感じた。


「……復讐だったのか?」


「……」


「……」


 しばしの沈黙。

 ケビンは背を向けたまま動かない。


「…………うん」


「……そっか」


 一歩踏み込んだケビンに対し、マドカはその瞳と言葉に一瞬だけ揺らぎを、悲しみと怒りと虚しさを混ぜたような感情を滲ませた。

 が、すぐにそれを収めて、光のない瞳でこくりと頷いた。

 ケビンはそれをチラリと見ていた。


「……」


 やはり、決して話の通じない人間ではない。

 己を諌め、抑えることのできる人間。

 だからこそジョセフも彼女を生かしたのだろうとケビンは理解した。


「……コレ、なんかいろいろ縫い目があるけど、君がやったの?」


 ケビンが会話を重ねる。

 越えてはならないラインを見極めるように頭を働かせながら。


「そう。

 これで」


 マドカが指輪から伸びる糸をケビンに見せる。自らの武器を。


「……糸、か。超硬質糸。柔軟で強靭な特殊糸、って所か」


 その材質からもケビンはそれが彼女の武器であることを理解する。

 本来は狙撃手であろう彼女。彼女の目なら、扱いの難しいであろうそれを確かに十二分に扱えるのだと。


「……どうして縫った?」


 ソレの切断面には無数の縫い目があった。

 斬って、縫った痕跡が。


「あの警官が教えてくれた。

 斬ってそのままだとすぐ死ぬ。だから斬ったら縫って血を止めるといいって。

 そうすれば、より長くソレを苦しめられるって。

 で、実際そうだった。最初は苦戦したけどすぐ慣れた」


「……」


 そう語る瞳には危うい揺らぎが見られたが、ケビンはジョセフの意図を察する。

 出来ることならば普通の人間として。それが難しいのならせめて特安で活用しろということだと。

 その止血と縫合技術はもはや医療行為。

 狙撃に、糸を使った中・近接戦闘、さらには糸を使った応急処置。

 それは確かに特安の現場で大いに役に立つだろう。


「……」


 どう転んでも彼女がこれからやり直せるように。表で生きていけなければ、せめてこちら側で。

 そんな磐石の布陣。

 ジョセフがそこまでしてやらないといけないのには何かしらの理由があるのだろうが、少なくとも……、


「……君は、これからどうしたい」


「……どうでもいい。

 あの警官は貴方に私の処遇を任せると言った。

 敗者は勝者に従う。

 好きにしたらいい。

 私はもうやるべきことを終えた。

 もう、いい……」


「……」


 少なくとも、そこまでしてやらないと彼女の命の灯は消えてしまう。

 ケビンはそんな儚さを彼女から感じていた。


 冷静で聡明。けれどもそこに漂うのはただの虚無感。


「……」


 危うい。

 ケビンが彼女に抱いたのは、さまざまな意味合いでそんなイメージだった。


「……(気持ちは分からないでもないな)」


「え?」


「いや、なんでもない」


 マドカに聞こえないほど小さな声で呟かれたそれは、ケビンの心からの気持ちだった。

 マドカと壊し屋の関係性に関してはある程度調べがついていた。

 マドカの素性は分からずとも、壊し屋の妻子が既に亡くなっていること。けれども壊し屋が二人分の生活用品や食糧を購入していることから、その後は何者かと二人で暮らしていること。ケーキやお菓子などの嗜好品の類いの購入が多かったこと。壊し屋がその同居人を特安に特定されないように大切に扱っていること。

 ケビンは部下からの報告で二人の家族のような関係性を類推していた。

 そして、それがマドカなのだと理解した。

 マドカにとって壊し屋は父親同然。家族。


 壊し屋を殺したのは銀狼。けれどもその遺体を辱しめたのは解体(バラシ)屋。

 銀狼は無駄に殺さない。無駄に傷付けない。

 なればこそ、真の復讐すべき敵は解体(バラシ)屋。

 マドカはその結論に至った。


 そして、それを完遂したのだ。


「……」


 もしも自分の家族が何者かに殺されたら。その遺体を(いたずら)に傷付けられたら。

 ケビンはその復讐心に共感できないわけがなかった。

 だからこそ、これまでジョセフの独断専行にも付き合ってきたのだから。


「……」


 そしてそれを終え、全てを失くした今、彼女に必要なものは……。


「……お前、料理は得意か?」


「……あんまり」


 突然の質問にマドカは首を傾げながらも返答した。

 君、からお前、へと呼び方を変えたことにマドカは気付いていない。それはケビンにとって丁重に扱うことを、お客さん扱いすることをやめたことを意味する。


「そうか。掃除は好きか?」


「……クズの掃除なら」


「……お、おおう」


 気まずそうにふいと横を向いたマドカ。

 基本的な生活能力は皆無のようだ。

 ケビンは壊し屋の苦労を垣間見た。


「……なら、子供は好きか?」


「……!」


 その質問にマドカは猫のような目を大きく見開いた。


「……キライ」


 そしてすぐに薄く目を細めると、ぼそりとそう呟いた。


「……なぜキライ?」


 ケビンはその揺らぎを見逃さない。

 踏み込むなら今だ、と。


「……弱いから。

 私なんかが触れたらすぐに壊れてしまいそうで。死んでしまいそうで……怖い。

 だから、キライ」


「……そうか」


 そういうキライならば、マドカに必要なものは……。


「……お前、子供を殺したことはあるか?」


 だがその前にと、そんな質問とともに冷たい目線でマドカを射抜く。


「ない。殺せなかった」


 しかしマドカは即答した。

 嘘ではないとケビンは判断する。


「……人を、その糸で殺したことは?」


「……ソレ、だけ」


「まあ、ソレはヒトじゃねえからノーカンか」


「ふふっ。なによそれ」


 つまりは狙撃のみでこれまで人を殺めてきた。

 狙撃は殺しの実感が薄い。

 まだ幼かったであろう彼女にそれをさせるには狙撃は確かに都合がよかったのだろう。資質以前に。


「……よし、決めた」


「?」


 全てを鑑みて、ケビンはマドカに向き直った。

 そして、きょとんとした猫のような瞳を真っ直ぐに見つめ、告げた。


「お前は……マドカは今日から俺の家族だ」


「……は?」


「お前をウチの養子にする。

 ま、俺の母親の娘ってことだから、俺の妹ってことだな」


「……ごめん、意味が分からない」


 マドカは心底困惑した表情を見せた。


「マドカには俺の留守中、妹弟たちの面倒をみてもらう。もちろん高校にもきちんと通ってもらうぞ。

 学校が終わったら夕飯の材料を買って、家に帰って夕飯を作るんだ。朝は俺が作るし昼は全員学校だから心配すんな。

 まあその辺の細かいのは次男の中学生の弟とよく話し合ってくれ。あいつの役割だからな。

 まあまあ思春期真っ只中だが、自分のやるべきことは理解してる奴だ。心配いらない」


「ちょ、ちょっとっ」


「休みの日には皆と過ごしてくれ。

 だいたいが家で騒いでるか母親の所に行く。母親は今ちょっと入院してるんだ。

 あと、たまに出掛けたりもする。外に出るときはマドカが監督役な」


「ちょっと待ってって!」


「……」


 次々とまくし立てるケビンをマドカは慌てた様子で止める。


「か、勝手に決めないでよ。

 家族? 妹? 弟? な、なに言ってるのか分からないんだけど」


 マドカは困った様子で眉尻を下げた。

 予想外の提案に困惑しているようだ。


「敗者は勝者に従うんだろ?

 警部はお前に勝った。

 そして、その警部が俺にお前の処遇を任せた。

 だから俺が処遇を決めた。

 何を不満があるんだ?」


「そ、それは、そうだけどさー……」


「……」


 ケビンは戸惑うマドカをじっと見つめていた。

 そこに介在する感情を見極めるために。

 大事な弟妹に害意がないか。母親に敵意はないか。家族の一員として迎え入れて問題ないか。

 それを判別するために。

 まだ、見極めは終わっていない。


「いや、確かに言ったよ?

 好きにすればいいってさ。

 言ったけどさー。いきなりそんな、か、家族とか。

 いや、てか私は裁かれる立場なはずだし。まあ情報は提供するけどさ。それで恩赦が出る程度の人数しか殺してないわけじゃないっていうか……」


「なーにをゴニョゴニョ言ってんの」


「あ、い、いや、その……」


 しどろもどろなマドカにケビンは面倒くさそうに耳をほじってみせた。


「てか、母親に聞かずに勝手に決めちゃダメでしょ。

 いつの間にか娘が増えてたとか、お母さんビックリしちゃうよ」


「……心配ない。マドカが初めてじゃないからな」


「……え?」


 ケビンは改めてマドカの目を見つめた。

 母親に対する配慮が出てくるなら話してもいいかと判断して。


「俺には六人の妹弟がいる。

 俺も含めて全部で七人。その中で母さんと血が繋がっているのは三人だけだ」


「!」


「つまり、七人中四人は血の繋がっていない赤の他人なんだ。あ、母親の夫の連れ子とかじゃないぞ。二人とも初婚だったらしいし、父親は病死だそうだからな」


「……」


「ちなみに俺も他人組だ」


「……!」


 ケビンが家族に執着し、何がなんでも守ろうとしているのはそれ故だった。

 全てを失った自分を拾ってくれた恩義、と言えば聞こえがいいが、それは彼を縛る呪いのようにも思えた。

 今度こそは絶対に喪わないぞ、という執念。

 だが、ケビンはそれに殉ずることを誓った。

 全てをもって家族を守る。

 それが、再びそれを得ることのできたケビンの誓いだった。


「……ふーん」


「……」


 マドカは何ともつかない表情をしていた。

 そこにあるのは共感か、あるいは失望か。


「……こんな血で汚れた手で、大事な妹と弟の世話をされてもいいの?」


 マドカが自らの手を見つめる。

 よく手入れされた綺麗な手。銃にしても糸にしても、それを扱う手の管理をマドカは怠らない。少しでも綺麗でいたいという思いを暗に秘めて。


 そしてその質問には、『それはやっぱり血の繋がっていない弟妹だから? 自分みたいな汚れた奴が世話をしようがどうでもいいの?』という思いが滲んでいた。


「……自慢じゃないが、俺の狙撃成功数は特安でトップクラスだ」


 それを受けてケビンは、えへんとわざとらしく胸を張ってみせた。


「……」


「つまり、人を殺した数だ」


「……」


 その後に見せた瞳の(かげ)りをマドカは知っていた。

 罪を背負って引き金を引く。

 いくら殺しの実感が薄いとはいえ、自分の指が人を殺す。

 マドカはそれを理解していた。

 ケビンが見せた瞳の翳りは、マドカのそれと同じだった。


「俺は人を殺して稼いだ金で家族を養っている。人を殺した手で、家族の頭を撫でている。

 マドカがダメなら、俺もダメってことになる。

 俺はそんなのはイヤだ。

 俺はこれからもこんな血にまみれた手で家族を養い、守り、抱きしめる。

 だからマドカはダメだなんて理屈はない」


「……」


 覚悟が違った。

 マドカは馬鹿みたいな質問を投げた自分を恥じた。

 この男はそんな憂いなどとっくに受け入れていた。

 自分が越えたくないと思っている絶望と虚無。その先にこの男はいた。

 諦めの先で、この男は笑っているのだ。


「……私も、いつか貴方みたいに笑えるのかな」


「!」


 ポツリと囁かれたその声は、その先に手を伸ばそうとしている言葉だった。

 ここで終わろうとしている者からは出てこない言葉。

 マドカは未来に興味を持った。

 ケビンはそれを見逃さない。見逃してやらない。


「ウチは賑やかだからなー。きっとすぐに笑うぞ。

 末っ子の最近のブームは屁で音楽を奏でることだ!」


「……ふっ。なによそれ」


「……」


 呆れたように笑うマドカは穏やかな表情をしていた。本人は自覚していないようだが。

 

「平和だろ?

 俺はそんな平和を守りたい。だから警官と特安をやってる。

 この国を守ることが結果的に家族を守ることに繋がるからな。

 ちなみにこれはオフレコだが、俺は特安や警察の腐った奴を撃つ役割を担うこともある。守る奴は守ることから目移りしちゃダメだからな」


「……そっか。

 あんたは、ホントに全部を守ってるんだね。家族を守るために」


「まー、そうなるかなー。

 で、お前も俺の家族になる。

 だから、俺はお前のことも全力で守る」


「!」


「俺の大事な家族だ。

 お前を害する全てから俺が守る」


「……う、うん」


「だから、お前も俺たちの家族を守ってくれ」


「……わかった」


「頼りにしてるぞ、長女」


「……なんか、ムカつく」


「なんだよー。かっちょいい兄ちゃんだろー」


「だから、ムカつくのよ……」


「偉大な兄になんてことをー!」


 ぷんすかしているケビンはマドカの気持ちに気付かない。


「……いいわよ。任せて。

 ついでに、あんたのことも守ってあげる」


「あん? 俺も?」


「私は強いもの。

 家族を守るあんたのことを守る奴がいた方が安心でしょ?」


「うーん。そうか。

 そんなことを言われたのは初めてだが、それもそうか。

 なんか嬉しいな……」


 しみじみした様子のケビンをマドカはじっと見つめていた。

 そして、決意を固めて口を開く。


「……学校は行く。皆の夕飯も作る。

 だけど、あんたの仕事も手伝うわ」


「……へ?」


 突然のマドカの宣言にケビンは口をポカンと開けた。


「言ったでしょ。あんたのことも守るって。

 家族を守るためにこの国を守る。そんなあんたを私が守る」


「い、いや、それは……」


 家族を危険な目に遭わせたくない。

 ケビンは突然のマドカの申し出に戸惑った。


「大丈夫。一人にしない」


「……っ」


 だが、マドカのその言葉はケビンの胸をドキリとさせた。さまざまな意味合いで。


「これからは私も罪を背負う。

 それで軽くなるわけじゃないんだろうけど、二倍になるだけなんだろうけど、それでも隣で一緒に背負ってくれる人がいるだけで、心はずいぶん軽くなる。

 私は、それを知ってる」


「……」


 マドカの遠い目にはかつてともに罪を背負った父親代わりが映っていた。


「家族を信頼してるなら、その家族があんたの背中を守ってると思えば安心でしょ?」


「そ、それは、そうだけど……」


「言ったでしょ。私は強いのよ。

 それにあんたは家族を守ることを信条にしてる。その家族が側にいれば無為に死のうとしないだろうし、生きるために全力を尽くすでしょ。私っていう家族を守るために。

 で、私も家族を守るために頑張って生きる。

 お互いにお互いを守るために頑張るし生きる。

 そんなの、最強じゃん?」


「……」


 特安は国を守るためならば隊員を死なせるような作戦もやむを得ないとする組織。

 ケビンもいざとなれば国や部下のために自ら死地に飛び込む覚悟を持っていた。家族のために生き残ることは大前提として。

 マドカはそれを知った上で、ケビンにそんな判断はさせないと言っているのだ。

 そのために自分が側にいると。


 そして、自分もその家族の一員になることを認めたのだと。


「……」


 そこまで言われても、ケビンはまだ迷っていた。

 出来ることなら表社会でのんびり平和に生きてほしいと、今はより、そう思うから。


「一人にしないから」


「……」


「一人は、寂しいもの。虚しいもの、ね」


「……まあ、な」


 喪失を経験した者同士。そこには二人にしか分からない感覚があるようだった。


「だからこそ、あんたの家族にそれを経験させちゃダメなのよ」


「!」


「そんなことも分かんなかったの?

 あんたはバカなの?」


「……あー、確かにバカなのかも」


 核心を突かれてケビンは苦笑いする。


 一度、全てを喪ったケビン。

 そのドン底のような思いを大事な家族にさせる。

 自分が死ぬということはそういうこと。

 今さらながらそれを理解したケビンは空を仰いで笑った。

 死ぬわけにはいかないとは思っていたが、それは家族を養うためで、自分がいなくなることで家族がかつての自分と同じ思いをするとは考えていなかったのだ。

 自分が、家族にとってそれほどの存在なのだとは。


 マドカに改めてそれを認識させられ、そしてそれを教えてくれたマドカに対し、ケビンも覚悟を決めた。


「……いきなり現場には連れていけない。

 まずは上に話を通し、訓練を積んでからだ。もちろん学業と家のことを完璧にこなした上でな」


「余裕。これまでどれだけ訓練してきたと思ってるのよ」


「はっ。頼もしい限りだね」


 特安の訓練は厳しい。

 けれども、それよりも遥かに過酷であったであろう訓練をクリアしてきたマドカなら、確かに問題はないのだろうとケビンは理解した。


「……お前も安心しろ」


「ん?」


「俺も、お前をもう一人にしないから」


 ケビンは優しく微笑んだ。


「……え、なんか、キモい」


 が、マドカにはあまり届かなかったようだ。


「……お前、せっかくカッコよくキメたのにさー。

 そのワードはお前が思ってるより男のハートを抉るんだぞ」


「それはいいこと聞いた」


「……真顔やめて」


「まーまー。頼りにしてるからさ。おにーちゃん」


 猫のような目が三日月のように無邪気に笑う。


「……それは可愛いな」


「は? キモっ」


「……泣くぞ」


「男の涙とか、キモっ」


「わーん! 警部ー! へるぷみー!!」


「かわいこぶれば許されると思うなよ。おっさんが」


「……俺、お前、キライ」


 ケビンは半泣きだった。


「大丈夫。私もよ、おにーちゃん」


 それはこれまでの何よりもいい笑顔だった。


「ぬぐぅ」


「……キライ、って思ってないと、マズいもん……」


「なにー?」


「なんでもなーい」


 二人の間にある感情はなんなのか。それは同じものなのか。まだ、そうではないのか。

 それを確定してしまうのは無粋というものだろう。


「で? これからどうするの?」


「ここに来る途中で仲間に連絡しておいた。

 じきにここに回収班が来る。

 マドカはそいつらと一緒に特安の本部に行ってくれ。話は通しておくから安心しろ。

 見張りはつくが、それなりの部屋で寛げるだろう」


「おっけー。あんたは?」


 先ほどまでとのやり取りとは打って変わって、二人はこれからの流れを淡々と確認していった。

 このあたりは互いにプロだからだろう。


「俺は隊を率いて組織の人間を確保していくことになる。

 きっと俺が内緒でここに先行してることは会長にはバレてるんだろうしね」


 特安における確保とは、死体にして回収することを意味する。生きたまま連れ帰るのは連行という。

 特安は組織の人間を一人として生かしておくつもりはないようだ。マドカを除いて。


「そっか。会長ってのは話が分かるのね」


「うーん。ってか、全部お見通しな人だから。

 まあ、マドカが会長に会えるとしたら、十年後にでも会えたらいいね、ぐらいだけど。

 存在自体が秘匿な人だから」


「あー、おっけ」


 国を裏で守護する特別安全保障部会。

 そのトップともなれば国内外から命を狙われることになる。

 そのために会長という人間はその存在自体が秘匿されていた。大部分の特安の人間に対しても。

 その正体を知るケビンは特安の中でも特殊な存在と言えるだろう。

 マドカはそれらを理解した上で了解だと頷いた。

 家族だと信頼して秘匿事項を話してくれたケビンを信頼して。


「ちなみに家族はあんたのことをどんぐらい知ってるの?」


「母さんと一番上の弟だけは全部知ってる。

 他はただの公務員だと思ってる」


「おっけー。

 あ、あとー」


「ん?」


「さっきの警官に会ったら伝えといて」


「……なんだ?」


 マドカは分かっていた。

 ジョセフがもうマドカとは会わないであろうことを。

 銀狼と、未来の特安。そこに接点は不要だから。

 だからこそ、マドカはケビンに伝言を頼んだ。


「……お前のせいで私はまだ生きることになった。余計なことをしてくれてありがと。

 ってね」


「……やれやれ。分かったよ」


「あと、壊し屋を解放してくれて、ありがと、って……」


「……分かった」


「よろしくね。おにーちゃん」


「それもうやめて。けっこう可愛いから余計ヤダ」


「は? キモっ」


「……お兄ちゃん泣いちゃう」


 二人はそんなやり取りをしながら回収班の到着を待ったのだった。


















「……ここか」


 巨大な岩山。

 まるでドーム状のそれを隠すために意図的に作られたような岩肌の多い小山。

 その麓に不自然に作られた金属製の扉。


「……隠すこともしないのか……いや、隠すことをやめたのか」


 周囲の蔦が不自然に刈り取られている。

 カモフラージュされていたものを、あえて露出させているようだ。


「……俺を誘ってるわけか」


 マドカと分かれてからまたずいぶん走った。

 だが、ほぼ直線。道も分かりやすく、進みやすいように草木が踏み固められていた。

 野山に紛れて隠していたものを、俺のために露見させたのだ。


「……」


 本来であれば、こんな見え見えの誘いには乗らない。

 殺し屋は本来的には暗殺者だ。

 直接戦闘は最終手段。

 相手に気付かれずに潜入して、相手に気付かれずに始末する。

 それが殺し屋の本質。


 だが、今は違う。

 ボスは真正面から俺が来ることを確信している。

 それを望んでいる。

 逆に言えば、それ以外の方法で侵入しようとすれば瞬時に俺を殺すように仕掛けている可能性は高い。どんな手段を使ってでも。

 それに俺だけでなく、アイツのことも苦しめるかもしれない。

 俺を誘い出すために、アイツを苦しめてその音声を流したりなど、ボスなら簡単にするだろう。


「……いいだろう」


 鋼鉄製の扉に手をかける。

 電流の類いのトラップがないことは確認済みだ。


「正々堂々乗り込んでやる。

 せいぜい俺を楽しませてみせろ、ボス」


 俺は小細工をすることなく、自然に紛れた不自然な鉄の扉を開いて中に入っていった。

 俺を待つボスと、アイツのもとに。




おまけ


「ほら。こっちよ。いらっしゃい」


「……」


 ブロンドの髪が美しい優しそうな顔をした女性が一人の少年を家に招き入れた。


「……」


 少年は暗く沈んだ瞳をしていた。

 そこに希望など欠片もなく、全ての光を無くしてしまっていた。


「ママー。その人だれー?」

「知らないヤツだー」

「俺たちより年上かー?」


 招かれた家には三人の子供がいた。

 三人は少年よりも年少だった。


「新しい家族よ。

 皆より年上だから、お兄ちゃんね」


 女性は少年の背中に手をやりながら、笑顔で子供たちに少年を紹介した。


「……」


 どうせ歓迎などされない。

 いきなり兄だと、家族だと言われて受け入れるわけがない。

 自分の本当の家族はもうどこにもいない。


 少年の胸のうちは酷く冷えきっていた。


「お兄ちゃん!」

「やった! 兄貴だ!」

「ということは長男の大変なのをやってくれるんだな!」


「!」


 だが、少年の想定とは裏腹に、子供たちは少年を歓迎した。


「カッコいいお兄ちゃん!」

「兄貴ー。遊ぼうぜー」

「まずはメシ作りを覚えさせるだろ。それからー」


 それぞれに思惑はあれど、子供たちは少年を家族として迎え入れていた。


「……な、なんで」


 少年は戸惑った。

 知らない奴がいきなり来たのに、なぜ急に家族として受け入れられるのかと。


「亡くなったこの子たちの父親がね。いつも言ってたのよ。

 この国には家族を喪った子供がたくさんいる。もしそんな子を連れてきたら大歓迎してやってほしい。

 ってね。

 夫はちょっと特殊な仕事をしていたから、そういう子をよく見てきたのよ」


「……特殊?」


「……皆には内緒だけどね。

 この国を密かに守ってるヒーローだったのよ」


 女性は少年にこっそり耳打ちすると、顔をあわせてウインクしてみせた。


「……ふーん」


 自分と同じようなヤツがいる。

 そんなヤツを優しく迎え入れようとするヤツもいる。

 そして、そんなヤツらがいるこの国を守るヤツがいる。


 少年はそのヒーローとかいうヤツに興味を覚えたのだった。


「……」


 その後、少年は黙ってキッチンに向かう。


「どうしたの、ケビン?」


 ケビンと呼ばれた少年は振り向かずに冷蔵庫を開けた。

 ケビンという名は、名さえ失くした彼に女性がつけてくれた新しい名前だった。


「……メシを作る。

 家族のメシは長男である俺が作る」


「う、嬉しいけど、私がやるわよ?」


「いい。

 か、母さんには、ゆっくり休んでてほしい。

 料理は、得意だ」


「……ケビン」


 ケビンはこの日初めて女性を母と呼んだ。

 そしてケビンは女性の顔色の悪さに気付いていたのだ。

 

「……お前ら、オムライスは好きか?」


 そう言って卵を手に取った兄の姿に、弟妹たちが顔を輝かせるのはすぐのことだった。


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