62.一人の少女の帰結。一人の愚者の末路。
「解体屋ぁっ!!」
「うひぃっ!」
拘束されながらも、マドカは解体屋を強く睨み付けた。
「くっ! このっ! わっ!?」
今にも飛び掛かりそうな勢いだが、俺の糸によって手足を拘束されているマドカは身動きが取れない。
無理やり立ち上がろうとして前に倒れそうになり、慌ててバランスを取ってもとに戻った。
「ふひっ!」
それを見た解体屋が下卑た笑みを浮かべる。
「マドカちゃーん! とぉってもいい格好だねー!」
……こいつ。
両手を広げて近付いてくる解体屋。
履いているズボンの上からでも、そこが隆起しているのが分かる。
「……ねえ。これをほどいて」
マドカは解体屋を心から軽蔑した目で見たあと、冷静に俺にそう言ってきた。
「……殺すなよ?」
「それは保証しかねるわね」
熱く冷たい殺意。
拘束を解いたらすぐにでも殺してしまいそうだ。
「えへ、えへへ。マドカちゃーん」
股間をまさぐりながらジリジリとマドカに近付く解体屋。
「……下がれ」
「ぐぶへっ!?」
見るに見かねて、思わず解体屋の顔面に飛び蹴りをする。
吹き飛んだ解体屋は木に激突して倒れた。
一応、加減はしたから死んではいないだろう。
「い、いひゃい! はにふんだよー!」
解体屋が頬を抑えて泣きわめく。
どうやら歯が二、三本折れたようだ。予定通りだな。
「ちょっと!
私にやらせなさいよっ!」
「……はぁ」
仕方がないので、抗議するマドカを糸から解放する。
「ふう……」
自由になったマドカは静かに立ち上がり、自身を拘束していた糸を繰ってコントロールを取り戻した。
指輪はそのままだからすぐに自在に操れるようになる。
「死ねっ!」
瞬間、マドカは糸を全て解体屋に向けて放つ。
「まあ待て」
「きゃっ!?」
が、俺は持っていた糸を操ってマドカの糸を絡めとり、かつそれらを使って再びマドカの動きを封じた。
「な、なにすんのよっ!」
「落ち着け。
お前にアドバイスしよう」
「はぁっ!?」
マドカは怒りで顔を真っ赤にしてジタバタと暴れようとするが、俺の糸からは逃れられないことは分かっているだろう。
解体屋はまだ頬を抑えてイタイタイタイと喚いている。
「お前、いまヤツの股間をいきなりぶった切ろうとしただろ」
全ての糸がそこに集結されようとしていたから絡めとるのは容易だった。
「当然よっ。
あんなキモいヤツのそんなキモいとこ、ズタズタにしてやらないと気が済まないわ!」
「ひ、ひぃぃぃ!」
解体屋が片手で頬を、片手で股間を抑えて後退る。
「言っておくが、あの状態の男のそれを切れば、ヤツは出血多量ですぐに死ぬぞ」
「え、そうなの?」
意外そうな顔してやがる。
プロなら人体工学やら解剖学ぐらい学んでるだろ。
「お前はヤツを可能な限り痛めつけて、苦しめて殺したい。そうだろ?」
「……ええ。
今までアイツに酷い目に合わされた女の人は多い。
だからその報いを受けさせるわ。
……そして、壊し屋がされたことの、数千倍のことをその肉体に刻み付けてから殺してやるの」
瞳に青い激情の炎が宿る。
怒りと憎しみと侮蔑と軽蔑と。ありとあらゆる殺意がその瞳には秘められている。
「……その糸で、か?」
人を殺したことのない、その武器で。
「……ええ。
そして、これが最後よ。
私はこの糸で初めて人を殺す。
壊し屋の仇をとる。
そうしたら、これはもう捨ててもいいわ……」
マドカが悲しげに、愛おしそうに指輪を撫でる。
大事なモノではあるが、それが人を殺すモノであることも理解している、か。
「……いいだろう。
なら、お前に糸の良い使い方を教えよう」
「え?」
マドカの拘束を解き、持っていた指輪をはめて一本の糸を宙に舞わせる。
「な、なんだ!? なにするつもりなんだよぉっ!」
解体屋が尻餅をついて、手をこちらに向けて来るなと示してくる。
それは、こちらに非常に都合がいい。
「……まず、こうする」
「ひひゃっ!?」
俺は糸を振った。
ヒュンという風を切る音が走る。
「……へ?」
解体屋はビビって縮こまったが、自分に何が起きたか理解していない。
「……あ」
そして、少ししてそれに気が付く。
「あ、あひゃっ! ぼ、僕の指! 指がぁぁぁぁっ!!!」
こちらに向けていた手の、右手の小指を第二関節の部分から切り落としたのだ。
解体屋がイタイタイタイと転げ回る。
「……で、こうする」
解体屋はジタバタと転げているが、一瞬を見極めて糸を繰る。
飛んだ糸は正確に解体屋の手に吸い込まれていく。
「ひひゃっ……へ?」
痛みが弱まり、解体屋の動きが止まる。
切れた指の根元を糸で縛り、止血したのだ。
「そして、こうする」
俺はさらに糸を繰り、解体屋の切れた指の断面に何度も糸を走らせた。
傷口を縫い、覆っていく。
「す、すごい……」
その技術にマドカが感心した様子をみせる。
「これで、出来上がりだ。
どうだ? まだ痛むか?」
糸を切り、解体屋に尋ねる。
糸は傷口を完全に覆い隠している。
「……い、痛く、ない」
解体屋が不思議そうに自分の指を眺める。
そこに指はないが、切り落とされた痛みはもうないようだ。
「……操糸術に、そんなことが……」
どうやらマドカは知らなかったようだ。
「宗家にしか伝えられていない秘伝だからな。
操糸術は殺人術としての側面が強いが、本来的にはこうした医療技術の先駆けでもあったんだ。
そもそも人体を容易に切り裂くことが出来るんだ。その肉に糸を通して縫い合わせるのも難しくはない」
操糸術の起源は古い。時代的にも治すより壊す方に重きが置かれた結果、殺人術として昇華していくことになったのだろう。
「でも、なんでこれがアドバイス?」
「可能な限り苦しめたいんだろ?
これは止血もできる。つまり血を流して死ぬことはない。
切って治して切って直して。より多くの痛みを与えられるはずだ」
「なにそれ、怖っ」
「引くなよ。お前が望んだんだろ」
自分で言っておいて、詳細を聞くとわざとらしく両手を抱えやがった。
「本来はかなり鍛練が必要だが、幸いなことに練習台はそこにある」
解体屋にくいと親指を向ける。
「指だけであと十九本ある。耳も、鼻も。手足はさらに刻んでいくことも出来る。
お前ならそれで十分習得できるだろう」
「……なるほどね。なるべくならすぐに殺したくないけど、死んでも構わない練習台なわけね」
「まあな」
……本当の目的は別にあるけどな。
「さ、さっきからなに言ってんだよぉ!」
「……!」
解体屋が立ち上がる。
頬の痛みはマシになったらしい。
「マ、マ、マドカちゃん!
僕と一緒に生きよ! ボスが僕はもういらないって言うんだ! こんな優秀な僕を!
おかしいでしょ! 僕はなんにも悪いことしてない!
僕を捨てたボスなんてもういい!
僕はマドカちゃんと一緒に生きていきたいんだよぉ!
ずぅっと、ずぅっと、一緒にいよぉ!」
解体屋がすがり付くように、粘着するように、マドカにねちっこい声でそう伝えてきた。よく見ると涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃだ。
まさかこれで同情してもらえると思っているのだろうか。あるいはマドカが心動かされるとでも?
「良かったな。熱烈なプロポーズだぞ」
「……殺すわよ」
今にも解体屋を殺してしまいそうなマドカを茶化して冷静にさせる。
「あ、そうだ」
「うびゃ!」
そのまま解体屋は無視して、マドカにやらせる前に思い出したことがあったので、糸で解体屋の足を払って転ばせて黙らせる。
「まだ何かあるの?」
少しは冷静になったマドカが呆れた様子で、ため息をつきながらこちらを向いた。
これだけ牙を抜いてやればすぐに解体屋をズタズタにするようなことはないだろう。
「一つ、頼みがある」
「頼み?」
「カイトへの連絡手段は持っているな?
連絡して、ヤツらの戦いを止めてくれ。
理由がなければ無駄に命を危険にさらすようなことはしないヤツらだろうからな」
カイトとは一度だけ対峙したことがあるが、あれは仕事はきっちりやるが、理由がなければ無駄な殺しはしないタイプだ。
彼女が止めればケビンと争うことはないだろう。
「あー、そっか。いいわよ。
そっちの部下はいいの?」
マドカが携帯電話を取り出す。
この森でも通じる組織専用のものだろう。
「問題ない。
あいつは今はこっちを優先するだろう」
「なるほどね」
解体屋に視線を送ればマドカは納得したように頷いた。
便利屋カイトと解体屋では、国からしたら危険度も重要度も桁違いだ。
特安には便利屋への依頼歴があることも知っている。
今の言葉でマドカもケビンが特安であると察したようだ。
便利屋のことを警察は認知していない。
それを知っているということは俺の部下である警官のケビンは特安ということになる。
そうだ。念のため。
「カイトに話を通したら俺に代わってくれ。ケビンには俺が直接説明した方が早いだろう。
アレは見ておく」
「オッケー」
「ふぎゃっ!」
マドカと話しながら、こそこそと逃げ出そうとしていた解体屋を再び転ばせる。
マドカはそれを鼻で笑いながら電話をかけた。
「……出ないわね」
「まあ戦闘中ならすぐには出ないだろ」
普通はサイレントモードにするだろうが、何となくカイトはそのままな気がした。
「あ、出た。
もしもーし。マドカだけど……」
どうやら無事に電話に出たようだ。
つまりカイトは生きている。
ケビンのことだからやられたりはしていないだろうが、現状がどうなっているかは気になる所だ。
ケビンのことだから俺の加勢ありきで時間稼ぎに徹してそうだが。
「あ、ギリギリ?
あらそう」
と思ったが、もしかして対峙していたのか?
というかそんな場面で電話に出るのか。
「えっとねー」
マドカが状況を説明する。
俺たちの勝負が決したこと。解体屋が現れたこと。もうそちらの戦闘は必要ないこと。
「そー。そんな感じ。
……うん。大丈夫よ。
じゃあ、こっちは銀狼に代わるから、そっちも代わって。そう、警官に」
どうやらカイトに話はついたようだ。
ずいぶんあっさりしている。こいつらはやはり仕事としてやっていたんだな。
ボスからの支配と命令がなければ自らそこに身を投じることはしない。
「はい」
マドカが手渡してきた携帯を受け取る。
「……はい」
疑念が混じった声が聴こえる。だが、間違いなくケビンの声だ。
「……ケビン。まだ生きていて良かった」
「……警部」
声を聞かせると安堵したような声が返ってきた。
ケビンが生きていたことにこちらも安堵する。
「どうなったんですか?」
「えーとだな」
俺はこちらの状況を説明した。
ついでにケビンの方の状況も聞いておく。
どうやらだいぶギリギリの状況だったようだ。
「まあ間に合って良かった。
それでだな。お前に頼みたいことがあるんだ」
「頼み? なんです?」
マドカをちらりと見ると、解体屋が逃げ出さないように手足を縛り上げていた。
すぐに殺すようなことはなさそうだ。
解体屋が心なしか嬉しそうなのは見なかったことにしよう。
「解体屋は特安にやる。
だからマドカを保護してくれ」
「ああー、マジですかー」
ケビンはだいぶめんどくさそうにリアクションを返してきた。
「お前の手柄になるんだからそれぐらい協力しろよ」
「ったく。分かりましたよ」
ケビンはしぶしぶ了承した。
また変に駄々をこねられる前にさっさと電話を切ってしまおう。
「じゃあ、よろしく頼むぞ」
「はーい」
返事を聞いてすぐに電話を切る。
頼みついでに向こうから何か頼まれても面倒だからな。
「私は特安に捕まるの?」
マドカは心底どうでもよさそうに尋ねてきた。
解体屋を殺したあとはどうでもいいといった感じか。
「いや、捕まらない。名目は保護だ。
解体屋の引き渡しと、組織に関する情報を話すことが条件だろうけどな」
「……それは問題ないけど、アレの生死は?」
マドカは解体屋を冷たく睨んだ。
解体屋は「ふひっ」などと気持ち悪い笑い声をあげている。
「……ケビンがここに来るまで、早くとも一時間はかかるだろう。近接戦闘中だったのなら武器を入れたリュックをどこかに置いてあるだろううし、それを回収してから来るだろうからな。
その間に、抵抗しようとしたので始末した、という言い訳がたつ」
ケビンもそのつもりだろうしな。
「……バラバラでも?」
「せめて顔の輪郭、まあ眼球の一つぐらいはそのままにしておいてほしいな。
どうせDNAを調べるだろうが、原形を多少は残しておいた方が話が早いだろう」
「……仕方ないわね」
しぶしぶだが了承してくれた。
どうやら本当に解体屋のことを粉微塵にするつもりのようだ。
「どれ。少し見てやろう。
俺がやったようにやってみろ」
「いいの?
そんなに時間ないでしょ?」
ついでに練習を見てやろうと言うと、マドカは意外そうな顔を見せた。
「構わない。
こんなのでお前が完全にスッキリするわけではないだろうが、恨みつらみの発散になるなら失敗していきなり殺してしまうよりは思うようにさせた方がいいだろうからな」
こんなの、と解体屋を見下ろす。
「……意外と優しいのね」
「俺は警官。正義の味方だぞ」
「なによそれっ」
マドカが呆れたように笑う。
笑った顔は年相応の少女に見える。
「じゃあ、やってみるわね」
「く、く、く、来るなぁっ!」
「……」
マドカが糸を舞わせると、解体屋が急に慌てたようにバタバタし始めた。
マドカに拘束されているから芋虫のように蠢くだけだが。
「う、う、嘘だよね?
僕にそんな酷いことしないよね、マドカちゃん?
ぼ、僕たちは、な、仲間だもんね?」
こいつ、もしかしてマドカがふざけてこんなことをしてると思っているのか?
どこまでも自分の世界が全てのヤツだな。
「……」
マドカは喚く解体屋を無視して糸を振るった。
「ひぎゃっ!?」
マドカの放った糸は体の前で縛っていた解体屋の手の、残っていた左手の小指を綺麗に切り飛ばした。
「い、い、いたぁぁーーい!
痛い! 痛いよぉ!」
解体屋が涙と鼻水を撒き散らしながらジタバタとのたうつ。
「……あんまり動くと狙いがズレるわよ」
「ひっ! う、うぅぅ」
マドカに冷たく忠告され、解体屋は指から血を流しながら動きを止めた。
「えーと……こう」
「ひぎゃ!」
マドカは狙いを澄ませて切った指の根本を縛り付けて止血した。
「いいぞ」
ここまでは問題なくこなせている。
まあ殺すときと同じように狙うだけだから、彼女レベルなら出来て当然か。まだ相手に痛みを感じさせているが、まあコイツ相手ならいいだろう。
「……えーと」
指の切り口を見ながら糸をさ迷わせてイメージを描いている。
やはり良い目と高度な軌道予測を持ち合わせている彼女にこの武器はよく合っている。
この技術もすぐに身に付けるだろう。
「……こう」
「ぎゃっ!」
マドカが糸を放つと解体屋が悲鳴をあげた。
放たれた糸は解体屋の小指の切り口を見事に貫いた。
「で、こう」
「ひぃっ!」
「んで、こうこうこう、と」
「ぐぅぅ!」
マドカは少しずつ、着実に傷口を縫い合わせていった。
痛覚神経を回避しながら縫えば相手は痛みを感じないのだが、まあそれは今はいいだろう。彼女ならじきに感覚を掴むだろうしな。
「出来たっ!」
「ぬひぃ!」
傷口を縫い終えたマドカは他の糸で解体屋に繋がった糸を切った。
傷口は完全に覆われており、結び目も綺麗だ。
少しだけ綻びはあるが、やはり仕事が丁寧だな。
「どう? どう?」
マドカは楽しそうにこちらにくるりと振り返った。
屈託のない素直な笑顔。
彼女はベクトルさえ間違えなければもう大丈夫だろうな。
ケビンなら上手いことやるだろう。
「悪くない。多少の綻びはすぐに慣れるだろう。
もっと速度を上げて、かつ痛覚点を避けるようにして縫っていけば痛みを感じさせることもないだろう。ま、今は必要ないだろうが、気が向いたら練習してみろ」
「なるほどねー。分かったわ」
マドカは糸を適当に振りながらイメージを再考している。
トライ&エラーを繰り返しながら自己で向上していける。この年齢でここまでの熟練度に至ったのはこの勤勉さ故か。
「も、もうやめてよぉ!」
解体屋が喚くがそれに反応する者はいない。
「じ、自爆するよっ!」
「!?」
だが、解体屋のその言葉にはさすがにマドカも反応せざるを得なかった。
「ぼ、ぼ、僕は解体屋だっ!
爆弾のスペシャリストなんだっ!
手足を縛られてても、僕は僕に巻き付けた爆弾を爆発させることが出来る!
これが爆発すれば、ここら一帯は焼け野原さっ!」
「……お前は、どこまでもっ!」
「ひひ、ひひひっ! だ、だからさぁ! マドカちゃん。これをほどいてよぉ。
じゃないと、爆発しちゃうよぉ」
「くっ……」
どこまでも卑屈で卑怯な男にマドカは怒りと悔しさを露にしていた。
まあ、この辺はまだ子供だな。
「やってみろよ」
「……え?」
俺がそう言うと、解体屋は驚いたような顔をした。
「ちょ、ちょっと!」
マドカも慌てた様子をみせる。
「ぼ、僕が爆弾なんて仕掛けてないと思ってるの?
ナ、ナメないでほしいな。ぼ、僕は、やると言ったら本当にやるぞ!」
「別にナメてなどいない。
出来るものならやってみろと言ったんだ。出来るのなら……そう。可能なら、な」
「……えっ!?」
そこまで言われてようやく解体屋が理解する。
「そ、そんなぁ! いつの間にっ!」
ようやく見せた絶望の顔。
どうやら他に仕込みはないようだ。
「ねえ。なんなのよ」
マドカが憮然とした顔をする。
自分だけ蚊帳の外なのが気にくわないようだ。
「奴が言っている爆弾。その起爆スイッチは奴の歯に仕込まれている」
「歯……」
「いや、仕込まれていた、かな」
「あっ!」
マドカもようやく気付いたようだ。
「最初の飛び蹴り!」
「ああ。俺はあれで、起爆スイッチが埋め込まれた奴の歯を蹴り飛ばして折ったんだ」
どの辺りを蹴ればどの歯が折れるかは把握しているからな。
ちなみにその歯が落ちた場所も記憶してあるから、あとでマドカに渡しておこう。ケビンなら処理できるだろう。
「な、なんで分かったんだよぉ!」
「……」
この焦りよう、どうやらそれだけが唯一にして最大の切り札だったようだ。
ボスに追い出されて着の身着のまま飛び出したって所か。あるいは作品を持っていくのを禁じられたか。
なんにせよ、これでようやくマドカも思い切り出来るだろう。俺も安心して先に進める……いや、
「ついでだ」
「ひぎゃあっ!」
俺は糸を繰って解体屋の上着を切り裂いた。
肉体には当てていないから痛みはないはずだが、解体屋は大げさなほどにビクリと体をうねらせた。
どこまでも小心な男だ。
「それか」
解体屋の体には確かに爆弾がくくりつけられていた。
奴のことだ。誤爆の可能性など皆無なのだろう。
「よっ」
「あ、ああっ!」
俺は再び糸を繰り、爆弾から伸びていたコードを何本か切った。
さらに、爆弾を解体屋の体に巻き付けていた縄を切り裂いて爆弾を絡め取ると、少し離れた草の上に落とす。
コードを切られると解体屋は今にも泣きそうな顔をして声を漏らした。
「ちょ、ちょっと! 危ないじゃない!」
爆弾を地面に放ったことでマドカが身構えながら文句を言ってきた。
「あれは衝撃では起爆しないタイプだ。
特定の信号にのみ反応して通電し、起爆する。
その通電コードももう切ったから、あれはただのゴミだな」
「な、ならいいけど」
爆弾、というだけで知識のない人間にはこれだけの威力を発揮する。
おそらく本人は脅しに使うだけで本当に爆破させるつもりはないのだろうが、確かにこの手は有効だ。
追い詰められた時に敵の手を止めるには十分な素材。
解体屋らしい手段だな。
「よ、よくも、僕の可愛い我が子を、ゴ、ゴミ扱いしたなぁっ!。
ていうか、なんでお前はその子の処理方法を知ってるんだよぉ! ていうか、なんで僕の歯にスイッチがあるのを知ってたかも言ってないじゃないかぁ!」
「……俺はもう行く。
他に武器や爆弾の類いは持っていないようだから存分にやれ。
気が済んだらケビンの言うことをよく聞けよ」
起爆スイッチが入った歯を拾い、マドカに渡す。
「ええ。分かったわ」
「ぼ、僕を無視するなぁ!」
俺たちに完全に無視されて解体屋はバタバタと喚く。
奴が第一声を放った時から口内に起爆スイッチを見て記憶したし、あのタイプの爆弾は腐るほど解体作業をしたから処理など朝飯前なわけだが、面倒だからわざわざ教えてやる必要もないだろう。
肝いりの作品をあっさり処理されたという屈辱だけ味わっておけばいい。
奴は、それほどの罪を犯している。いや、そんなものでは足りないほどの。
「さてと、まずは練習しないと」
「ひ、ひぃぃぃーー!!」
ま、あとは彼女が罰を下すか。
「じゃあな」
「あ、待って!」
「?」
先に進もうとしたらマドカが呼び止めてきた。
「……あの、その……あ、ありが、と……」
「……ああ」
ずいぶんと顔を赤く染めたものだ。
礼など言う柄じゃないのだろう。
俺が壊し屋の仇であることに変わりはないというのに、自分の中で折り合いをつけたのだろうな。
こちらも礼を言われる筋合いがあるわけではないが、ここは素直に受け取っておくとしよう。
「さ。始めましょ」
「や、やだー! 助けてー!」
「……そう言った女の人に、お前はどうした?
やめてあげたか? 助けてあげたか? 帰してあげたか?
なぜお前にはやめてやらなければならない?
分かるか? それが道理だ」
「う、うぅぅぅぅ……」
マドカの声がひときわ冷たく響く。
「行くか」
「ひぎゃぁぁぁぁーーーっ!!」
解体屋の叫び声を背中に聞きながら、俺は先へと進んだ。
「……ケビン。あとは頼んだぞ」
マドカに教えた操糸術の秘伝。
あれは、前線の現場では貴重な医療技術になる。
狙撃もできて、糸による戦闘も可能で、さらには応急処置もできる。
それは特安からすれば有効活用できる駒となるだろう。
安易に始末するには勿体ない。
そう思うはず。
まあこのまま平和に一般人として生きてくれるのが一番だが、彼女の技の価値は高めておいた方がいいだろう。
ケビンなら上手いこと表社会で生きられるようにするとは思うが。
それに何より、人を殺すための技術で人を救うこともできる。
それを彼女に教えたかった。
まあ、その練習方法はアレだが。
復讐を終え、人を治療する技を学び、彼女がこれからどう生きるか。
せめて少しでも明るい方に道を示してやりたかった。
「……きっとお前ならそれを望んだだろうからな」
今はもういない男に一人呟いて、俺はボスの待つアジトへと走った。
おまけ
「あ? 解体屋の過去?」
「そう」
ある日。マドカは気まぐれに壊し屋にそんな質問をした。
「なんでまた?」
「べつに。どうやったらあんなクズが出来上がるのかと思って」
マドカは解体屋が連れ去った女性にしていることを何となく把握していた。ボスがそれを黙認していることも。
本音を言えば今すぐにでも解体屋を殺してしまいたいほどに胸くそ悪い気持ちではあったが、ボスの手前それができないことがマドカをイラつかせていた。
「……俺も、知らねえな」
手が出せないならせめてルーツぐらい知った方がまだ溜飲が下がるかと思い、マドカは解体屋の過去を尋ねたのだ。
だが、壊し屋はふいと横を向いてしまった。
「……ウソね」
そしてマドカは解体屋の過去を知らないという壊し屋の言葉の真偽をすぐに見抜く。
「……知らなくていいこともある」
すぐに見抜かれたことに頭をがしがしと掻きながらも、壊し屋はそれを語るつもりはないようだった。
「……なんで? どうせろくでもないんでしょ?
今さらどれだけ可哀想な過去でも同情なんてしないわよ?」
それは本当にただの気まぐれだった。
それを聞いたところでマドカの解体屋に対する評価は変わらない。マドカは過去よりも今を見るタイプだった。
「……だからだよ。
同情なんていらねえ。共感も理解もいらねえ。
クズはクズだ。
悪党の過去を知って少しでも今のイメージが改善されるなんてことはあっちゃならない。
どんなルーツでも現在はクズであることに変わりはない。
悪はただ悪であれ。
そういうこった」
「……ふーん。
まあ、ならいっか」
壊し屋も解体屋にムカついている。
マドカはそれが分かっただけで少し気持ちが落ち着いた気がした。
「……じゃあ、悪である私たちもいずれは正義の味方に倒されるのかな」
「……正義の味方なんてこの世にいねえよ。いるのは悪だけだ。
生き残った悪が正義を自称するだけ。そんなもんだ」
「……ふーん」
「……だから、お前が生き残ってもいいんだ」
「……貴方もでしょ」
「……」
「……」
「……そう、だな」
自分も生きなければきっとマドカは生きようとしない。
壊し屋は頷くしかなかった。
「ねー。お腹すいた」
だが、自分にはもう時間がない。
「……何が食べたい?」
「肉」
「たまには野菜も食え」
「草は好きくない」
「ったく。
とりあえず肉屋に行くか」
「わーい」
この日から、壊し屋はどうやったら自分がいなくなってもマドカが生きていってくれるかを考えるようになる。
「ねーねー。ステーキがいいー」
「またかよ」
その想いをマドカが知るのは、まだずいぶん先のこと。