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61.もうひとつの戦い。似た者同士は似て非なる者。

「……そろそろ、解体(バラシ)屋のヤツがマドカたちと接触した頃か」


 壁にかけてある時計を見上げながらボスはそう呟いた。

 何やら得体の知れない薬を注射器で自らに投与しながら。


「……?」


 近くでその声を聞いていたイブがゆるゆると顔をあげる。

 その顔に生気はない。


「ん? キャシー、気になるか?」


 その動きを察したボスがイブに顔を向ける。

 が、返答を待たずにすぐに視線を時計に戻す。


「……アイツは、捨てたんじゃないの?」


 イブは確かに珍しいとは思っていた。

 仲間には寛容な所があっても基本的には他人に厳しい存在。それがボス。特に組織を抜けるような者は容赦なく始末するほどに。

 厳しい、というよりは自らを新人類と自称するボスは自分とイブ以外を下等人類と位置付けていて、利用できるかどうかのみで判断しているからだが。


 そんなボスが不要になった解体(バラシ)屋を殺さずに逃がしたことにイブは疑念を抱いていた。


「ハッ! 俺がそんな甘いことをするわけがないだろ。

 アイツは確かにもういらないから捨てたが、殺さないでおいたのは最後にひと波起こしてもらおうと思ったからだ」


「……ひと波?」


 ボスは口だけを動かして笑った。

 目は真っ直ぐ正面を向いたまま動かない。

 筋肥大した肉体。

 ボスがこうなってから、その見開かれた瞳が閉じた所をイブは見たことがない。


解体(バラシ)屋はマドカが壊し屋の死体を見たことを知らない。

 マドカは死体の損壊を銀狼の仕業だと思ったようだが、警官どもと戦っているうちに真実に気付く可能性が高い。壊し屋をいたぶったのは解体(バラシ)屋だと。

 狙撃で仕留めきれずに対峙すれば尚更な。あるいは警官の口から銀狼の仕事ではないと言われるかもしれないな」


「……」


 ボスは全てを把握していた。

 イブはそのことに驚きと恐怖を感じていた。


 一度は断った壊し屋の遺体との面会を、マドカが結局はするであろうことも。

 それによってマドカがより敵に殺意を持つことも。

 それに解体(バラシ)屋は気付かないことも。

 マドカの得意の狙撃で相手を仕留めきれないであろうことも。

 真実を知ったマドカのもとに、そのタイミングで解体(バラシ)屋が登場するであろうことも。


「……」


 イブは危惧した。

 その警官イコール銀狼であるという事実にも、ボスは気付いているのではないか、と。

 その警官の名は忘れてしまったが、イブは何となくその警官が銀狼であることをボスには言わない方がいいと思っていた。

 理由は分からないが、何となくそうしようと思ったのだ。


「……」


 だが、ボスがそれに気付いているのなら状況は違う。

 そうだった場合、イブが警官イコール銀狼であることを知らないのはおかしい。

 銀狼はイブにとっても仇。ボスはそう思っているから。イブにとって銀狼は絶対に殺したい相手、だと思っている。

 そんな銀狼とともに過ごしていたことにボスは疑念を抱く。

 そして、イブの教育が完全ではないことに気付く。


「……っ」


 それはイブには恐怖でしかなかった。

 組織に戻ってから、ボスはイブにことさらに優しかった。どこまでも甘かった。

 それはイブを仲間だと思っているから。

 完全に自分に従順だと思っているから。


 もし、そうでないことが分かってしまったら。

 心は曇っても、警官と過ごした日々を忘れても、その根幹にはもらった想いが潜んでいることを知られてしまったら。


「……」


 過去が思い出される。

 胃の中から何かが込み上げそうになる。

 二度と戻りたくはないと思った、教育の地獄が。


「……」


 イブは心をさらに沈めた。

 ボスはきっと気付いていない。微かな疑念はあっても、それを捨て置いていいものと思っている。


 イブは自分に深くそう言い聞かせ、ただただ心を殺して沈めていった。


解体(バラシ)屋は一人では生きられないからな。

 常に誰かに寄生していないと平常心を保つことさえままならない。正真正銘の社会不適合者だ。

 俺に見捨てられたことでヤツは急いで次の寄生先を探す。

 だが、壊し屋はもういない。カイトはきっと相手にもしない。かといって自分より下にいた者にへりくだるのはヤツのちっぽけで尊大なプライドが許さない。そして組織外の者は信用ならない。

 だから自分と同列扱いだったマドカにたどり着くのは自明の理。

 アイツはマドカを気に入っていたしな。マドカからどう思われていたのかを考えもせず。


 俺の予想ではちょうどマドカと警官がタイマンでやりあってるか、決着がついたあたりだろうな。解体(バラシ)屋が合流するのは。

 勝っても負けてもマドカは生き残っているだろうしな。正義の味方は女子供に弱いからな」


 ボスは呆れたように笑う。


「そこに解体(バラシ)屋がやってくる。

 真実を知っているマドカがどうするか。警官が生き残っていればどうするか。

 解体(バラシ)屋はもう爆弾の類いをほとんど持っていないが、ヤツはどうするか。

 旧人類が蠢く様を想像するのはすこぶる滑稽だ」


「……」


 くっくっくっと怪しく笑うボスにイブは下を向いた。

 ボスは向こうを向いているため背中しか見えないが、これ以上その姿を視界に入れておくのは怖いから。


「キャシーはそうして下を向いて集中しておけ。

 どこから銀狼が来るか分からない。いつどこから来てもいいように研ぎ澄ませておくんだ」


「……っ!」


 イブは戦慄した。

 ボスは背を向けている。

 にもかかわらず、ボスはイブの挙動を把握した。

 それはもはや銀狼の所業。

 ボスはその域にまで到達している。


 だが、同時に軽く安堵した。

 ボスは警官とは別に銀狼が来ると考えている。

 つまり警官イコール銀狼とは把握していない。


「……」


 その安堵を勘づかれてはいけない。

 今のボスはわずかな機微さえ見逃さない。


 ボスはどうでもいいのだ。

 銀狼以外の旧人類のことなど。

 解体(バラシ)屋に場をかき乱させるのも気まぐれか。あるいはマドカをさらに闇に堕とすためか。


 今のボスの興味は銀狼のみ。


「……」


 ボスの心持ちがそうであっても、自分の心を読まれてはいけないとイブは深く深く、さらに深く心を沈めて殺した。再び教育されたくはないから。

 それによって平穏に過ごしていた日々を忘れていくことになろうとも。

















「……くあー。速いなー」


 ライフルのスコープを覗きながら、ケビンは呆れたように苦笑した。

 

「ほいっ、と……まあ、避けるよな」


 ケビンが引き金を引く。音を切って進んだ銃弾はカイトが数瞬前までいた空間を通過する。


 催涙ガス。煙幕。範囲スタン。炸裂弾。


 数多の攻撃を放とうとも、カイトはその(ことごと)くを回避する。


「範囲攻撃は速度が足りないか。広がる前にヤツは有効範囲外に脱出しちゃうからなー」


 文字通り、目にも止まらぬ速さで森を駆け抜けるカイトにケビンは苦戦していた。


「……けどまあ、今のところは順調か」


 だが、ケビンに焦りはなかった。

 カイトは確かに速いが、こちらに大胆に近付けずにいるからだ。

 範囲攻撃や狙いすました狙撃によってカイトに迂回を余儀なくさせ、時には引き返させ、ケビンは自分に近付けさせないようにカイトを翻弄していた。


「アイツって体力に限界あるのかなー。

 あった方が嬉しいけど、世の中には化け物みたいなのがけっこういるからなー」


 ケビンは特安での仕事の経験から、世界には自分の常識が通用しないようなスペックを持つ人間がいることを理解していた。

 壊し屋や護り屋、銀狼のような。


「……ま、特安はそんなヤツらと戦うための機関だしな。ごり押しはさせないさ」


 ケビンはそう言うと再び引き金を引いた。

 その後すぐに武器を持ち変えて煙幕弾を撃つ。

 大きな樹上に陣取ったケビンの周りにはさまざまな銃が置かれていた。

 大きなリュックは樹の根元に置かれている。


 当然のように銃弾を回避したカイトの周囲を煙幕が包む。


「あんにゃろ。毒ガスじゃないって分かってやがるな」


 これまでのように回避はせず、あえて煙に包まれて姿をくらませようとするカイトにケビンは手の内が読まれていたことに気付く。


「……うーん。決着させるのは厳しいか」


 そう呟くが、ケビンはそれを悲嘆してはいない。


「ま、時間が稼げれば十分か」


 ケビンは自身の目標を設定し、そこに向けて手持ちの武器の使用プランを組んだ。














「……くそー。なかなか近付けないなー」


 駆け、跳び、潜む。

 カイトは凄まじい速度で移動しながら、自分を狙撃しようとしている相手に迫るという無謀な行為にチャレンジしていた。


「おっと!」


 ケビンは身を翻して横方向に回転しながら跳ぶ。

 先ほどまで自分がいた空間を銃弾が走る。それは頭があった位置だ。


「チャンスがあれば容赦なくヘッドショット。こりゃー特安だな。

 たしか特安にもマドカちゃんみたいな眼の持ち主がいるって聞いたことがあるし」


 カイトは自分を狙う敵の正体を察する。

 生け捕りにして情報を絞り取ることを狙おうともせずに、容赦の欠片もなく殲滅。

 それはいかにも特安のやり方だった。

 そしてそれは逆にいえば、特安はわざわざ生かした相手から情報を絞らずとも、敵の情報を調べられるだけの能力を有することを意味している。


「……厄介な敵だな」


 カイトは珍しく眉間に皺を寄せた。


「そっちがその気なら、こっちも本気で取りに行くからな」


 そこには明確な敵意と殺意が現れていた。

 いつも飄々としていて掴み所のないカイトだが、自分に救いの手を差し伸べるどころか嫌悪の感情しか向けなかった公僕には敵意を抑えられない面もあった。


「……ふーーー」


 だが、カイトはすぐに長く息を吐く。

 感情を抑制する術は十分に心得ていた。

 一瞬の油断が死に直結する世界で生きてきたカイトは常に自分に余裕を与えるように生きてきた。

 それが普段の飄々とした態度に繋がる。


「……さ。行こっかな」


 いつものノンビリとした表情に戻ったカイトは軽やかに地面を跳ねた。

 楽しんで駆けることこそ自分の本領。

 カイトは自らの在り方をよく理解していた。

 それこそが自分の力を十二分に発揮するスタイルなのだと。


「……!」


 そしてすぐ、死の気配を察知してカイトは体を動かす。

 心臓があった空間を銃弾が通過する。


「あぶねーあぶねー」


 カイトは自らに降りかかる死の気配を察知していた。

 銀狼が気配を探るのと同じ類いの、自らの死に限定したもの。

 それは何も超常めいた能力ではなく、長年の経験による勘にも似た感覚。

 ストリートチルドレンとして生まれ、生きてきたカイトにとって自らの五感と肉体こそが唯一にして最大の武器だった。

 自分に向けられた意識。特に殺意にカイトは強く反応する。

 それは呼吸であったり体温であったり、衣擦れの音であったり、相手と自分との間に存在する大気であったり。相手の意思であったり。

 カイトは銃弾が発射されてから避けているのではない。

 相手が引き金を引く瞬間、あるいはその寸前に動いているのだ。

 カイトの速度があって初めて成立する芸当といえよう。


「おっと」


 そのため回避はいつもギリギリ。

 ともすれば弾丸が掠りそうになることもある。

 だが、当たらない。

 マシンガンの類いで逃げる間もなく蜂の巣にでもしない限り、カイトを撃ち抜くことは難しいだろう。


「……!」


 再び射線が確保される。


「……」


 だが、死の気配は感じない。


「煙幕の類いかな」


 毒ガス系ならば勘が作動する。眠り薬の類いでも同じ。

 そうでないのならば、あの攻撃に自分を傷付ける能力はない。

 即座にそう判断したカイトは回避せずに様子を見た。


「……やっぱりか」


 そうして発射されたのはやはり弾速の遅い煙幕弾。

 カイトの少し手前に落ち、周囲を煙で包む。


「そんなら、今のうちに」


 カイトは視界が不明瞭であってもすいすいと木々を避けて移動した。

 激突しそうな木があれば勘が教えてくれるから。


「おっとっ!」


 白と灰色を混ぜたような煙の中、死の気配を察したカイトが身を翻す。

 腕に掠りそうなほどギリギリで銃弾を避ける。


「この煙幕の中でも普通に狙撃してくんなよー」


 煙幕によって相手も視界を制限されているはず。

 それでも問答無用でカイトを正確に撃ち抜いてくる。


「とんでもないヤツだなー」


 カイトは改めて狙撃手の腕に感心する。

 ともすればマドカと同列、あるいはそれ以上の腕前の持ち主。

 カイトはそんな強敵との命のやり取りを、もはや楽しいとさえ感じていた。


「おおっとぉ!」


 再び飛んできた銃弾をカイトは避ける。

 今度は足先を銃弾が跳ねる。


「……けど、なんか」


 そこでカイトが違和感に気付く。

 スタートから半分ほど距離を詰めた段階で、相手の狙撃の殺意が弱まったことに。


「……これは、時間を稼がれてんなー」


 そしてカイトは相手の狙いに気が付く。

 狙撃で仕留められればラッキー。そうでなくとも近付けさせなければオッケーなのだと。


「……狙いは二つ、かな。

 俺の体力切れと、銀狼の応援待ちか」


 その推察は正解だった。

 体力を削って狙撃を成功させる。

 あるいは銀狼側の決着を待って、合流した銀狼と二人掛かりで倒す。

 狙撃手の狙いはそれだとカイトは理解する。


「……マドカちゃんが負けることを確信してるわけね。というか、銀狼の勝利を信じてるわけか」


 警官の上司と部下。銀狼と特安。

 カイトはこの二人の関係性から、そこには利害とともに不可思議な信頼関係が成立しているのだと理解する。


「まー、最初に前者の関係があって、そのあと後者が発覚したってとこかな」


 実際、ケビンがジョセフを銀狼だと確信しているかどうかは定かではない。

 それでもケビンはジョセフの強さを信用していた。

 だからこそ、マドカとの戦いに勝ったジョセフが手伝いに来てくれると信じているのだ。


「……まー、相手は銀狼だもんな。

 マドカちゃんでもさすがに分が悪いよな」


 カイトはマドカの腕前を認めていた。

 驚異的な狙撃能力に加えて近接戦闘用のスキルもある。

 並大抵の相手ではマドカの敵にさえならないだろう。

 だが、今回は相手が最強の殺し屋銀狼。並大抵どころではない相手に、マドカの勝率は低いとカイトは考えていた。

 だからこそ、自分がさっさと決着をつけてマドカの応援に行くべきだと考えたのだ。


「うーん。こっちは早く終わらせたいけど向こうは長引かせたい、か。

 これは、出し惜しみしてる場合じゃないな」


 そう呟くと、カイトは樹の陰に身を潜めた。

 煙幕は少しずつ薄らいでいる。

 敵は自分の居場所を正確には把握していないだろうが、おおよその当たりはつけているはず。

 移動すれば、その影を捉えて撃ってくる。


「距離は十分稼いだし、一気に勝負に出るか」


 迂回しながらも、カイトは着実にケビンに近付いていた。

 その距離、残りおよそ二百メートル。

 カイトからすればそれはわずかな距離ではあったが、狙撃手に狙われながらという条件を加えると果てしなく遠い距離へと変わった。

 それを、一気に距離を詰めるという大勝負に出ようというのだ。


「女の子を助けに行くために命をかける。

 それはまあまあな美談なんじゃないかな」


 カイトはそう気安く嘯いた。

 性質の似たカイトとケビンの大きな違いはそこだった。

 ケビンは『絶対に死ぬわけにはいかない』。カイトは『まあ死にたくはない』。

 その考えの違いが、完全に待ちの状態で敵を迎撃するケビンと、大胆に攻めるカイトとの差異であった。

 生きるために命をかけられるカイトは自ら危険をおかして死地に飛び込むのだ。


「……いくか」


 ケビンの死角になる樹の陰に隠れたカイトはぐっと膝を曲げた。


「よっ!」


 そしてそのまま垂直に、真上に高く跳躍する。


「ほいっ、と」


 腕を伸ばし、そこにある木の枝に掴まる。

 体が横に揺れて居場所がバレないように注意しながら、懸垂の要領で樹上にあがった。

 ちょうど真上にあった枝の上。敵からは死角のまま。


「約二百か」


 ターゲットへのだいたいの距離を換算し、ケビンはジャケットの中に手を入れた。


「なるようになれ!」


 そして足に力を込めると、強く枝を蹴って死角から飛び出した。


「見つけたっ!」


 右斜め前方に跳躍したカイトはケビンの姿を肉眼で捉えた。

 普通ならば、今のカイトは狙撃手にとって絶好の的。

 だが、カイトには撃たれない自信があった。


「くそー。さすがに遠いか」


 自信の証拠はカイトの手に握られていた。

 ベレッタM92スコープカスタム。

 有効射程は五十メートル。スコープをつけてもそれが伸びるわけではない。


「でも、見えるよな?

 お前の目なら、これが見えるだろ?」


 カイトは敵に見せつけるように銃を向けた。

 お情け程度に狙いを定め、空中で引き金を引く。


「ま、当たんないよな」


 ターゲットよりもだいぶ上向きに照準を合わせて発砲しても、やはりそれが敵に当たることはなかった。


「よっ、と」


 発砲後、空中でくるりと一回転してカイトは地面に降り立つ。


「……やっぱりな」


 そこに反撃が来ないことから、カイトはケビンの性質を理解する。

 ケビンは死にたくないのだと。


「そういうお前なら、場所を移動するよな」


 カイトは点ほどしかないケビンの姿を見失わない。

 樹から降り、移動して草むらに入っていく敵の姿を見ながらカイトは大地を蹴った。


「さあ、幕引きだ!」













「……」


 煙幕の中を揺れる影。

 ケビンはその影に向けて引き金を引く。

 が、やはりそれは当たらない。


「煙幕はマズったなー」


 ともすればターゲットを見失いかねない選択をしたことをケビンは後悔した。

 そもそも毒ガスを警戒して相手は煙の範囲外に脱出しようとするだろうと考えていた。

 それで迂回させて時間を稼ぎ、さらに隙があれば撃とうと考えていた。

 だが、相手は煙幕弾を撃った瞬間から動かなかった。つまり自分の手が読まれていたのだ。

 結果、敵にとって隠れやすい空間を提供する羽目になってしまったのだ。


「まー、逃がさないけどね」


 それでも、煙に包まれながら高速移動するカイトをケビンは見逃さない。

 死角から死角へ。点と線で移動する影を結び、敵の陰影を捉える。

 死角に隠れても、ケビンは姿を捉える一瞬を繋ぎ合わせて軌道を予測し、敵の居場所を常に把握する。


「……隠れたか」


 そしてターゲットは完全に死角に隠れる。

 だが、潜んでいる樹は特定している。

 煙幕の霧も晴れてきた。

 ケビンは敵がいつ飛び出してきてもいいように、敵の潜む樹の幹の中心に照準を合わせて動きを待った。


「……長いな」


 だが、今回は潜伏が長かった。

 先ほどまでは、死角に潜んでも数秒で次の場所に移動していた。

 どうやら相手は勝負を急いでいるようにさえ思えた。

 だが、今度はなかなか出てこない。


「……なーにを企んでんだー?」


 嫌な予感がしながらもケビンはスコープを覗き続けた。

 もうだいぶ近付かれた。

 カイトの速度なら直線で三十秒かからない距離。

 当然そんなことは許さないが、一つのミスや油断が命取りになりかねない距離。

 おそらく近接戦闘ではカイトの速度に対応できない。

 ケビンはもうミスが許されない状態に追い込まれていたのだ。


「……警部は間に合わないかー。

 しょうがない。あんまり好きじゃないけど……」


 そう言うと、スコープを覗きながらケビンは樹上の端に置いた銃を自分に近付けた。

 それはサブマシンガン(SMG)だった。

 ショットガンもあったが、距離を詰められたときに次弾を装填している余裕などないと判断し、ケビンはSMGを樹上に持ってきていた。


「速さに対応できないなら面で迎え撃つしかないもんな」


 死ぬわけにはいかない。

 病弱な母と幼い弟妹のためにも、好まない手段を使ってでも生き残る。


「さあ。いつでも来やがれ」


 ケビンは覚悟を新たにスコープを睨む。


 だが、ケビンは思い違いをしていた。


「……ん?」


 敵は、近付くまで攻撃してこないのだと。


「……っ!?」


 突然スコープの円の中の、上方部で何かが揺れる。

 影が飛び出してきたのだ。


「く、っそ!」


 死角のまま樹上へ移動。そこから跳躍。

 想定外の動きにケビンの反応が一瞬遅れる。

 だが、滞空してくれるならば撃ち抜けるチャンス。

 ケビンはすぐに飛び出したターゲットに照準を合わせた。


「もらっ……え?」


 勝利を確信し、引き金を引こうとしたケビンは目に映る光景に戦慄する。

 敵が、スコープのついた銃でこちらを狙っていたのだ。


「う、嘘だろ……」


 ケビンは勝手に、カイトの武器はナイフなどの近接武器のみだと判断していた。

 自慢の機動力を発揮した近接戦闘はさぞかし威力を発揮するだろうと。

 だからこそ不意を突かれ、ケビンは引き金を引くことを躊躇ってしまった。実際、この場面で撃っていれば勝負は決していた可能性が高かったのだが。


「……く、っそ」


 そしてケビンは焦った。

 冷静に考えれば、この距離であのタイプの銃の弾が届くわけがないことはすぐに分かったはず。

 だが、銀狼ならば当ててくるかもしれない。

 ケビンは即座にそう考えてしまった。

 そして、ヤツもそんな芸当の持ち主なのではないかと。出来る人間がいるのならば、他にもそれが可能な人間がいるのではないかと。


「うわっ!?」


 そうしてる間に敵は発砲してきた。

 案の定、弾は自分には届かなかったが、一発目は距離を計っただけかもしれない。

 おまけに敵は着地し、その姿を見失ってしまった。


「……移動だ」


 結果、ケビンは慌てて場所を変えることにした。

 銀狼対策班という立場と経験が、ケビンに規定外の化け物という予想の範囲を許してしまった。

 実際にはそんな存在が銀狼以外にそうそういるはずもないのに。


「必要最低限。急げ」


 ケビンはライフルとSMGだけを持って地上に降りた。

 草むらに飛び込み、全速力で駆け抜ける。他の銃やリュックは捨てていく。そんな余裕はなかった。


「俺は死ぬわけにはいかない。

 まずは距離をとって潜み、ヤツを見つけ、再び狙撃する。

 それでいい。

 それでいいんだ。

 いつも通り。

 大丈夫だ。

 いつも通りだ」


 ケビンは自分にそう言い聞かせながら草むらを駆ける。

 そう言い聞かせなければならないほどに動揺していたから。

 

 実際、敵の銃を見極めて問答無用で狙撃していれば、滞空していた敵をケビンは見事に撃ち抜いただろう。

 だが、敵への先入観との相違と自身の生存欲求、そして銀狼という規格外の存在によって、ケビンは攻撃よりも逃げる方を選んだのだ。


「おーい。どこ行くんだよ」


「っ!?」


 が、ケビンはカイトの速さを甘く見ていた。


「はい、動かなーい」


 上から落ちてきて、背後に響く声。

 ケビンは急いで振り返る。 


「くっ……」


 そこには樹上から降り立ち、自分に銃を向けようとしているカイトの姿があった。


「ちっ!」


「おっ!」


 まだ間に合う。

 そう判断したケビンはSMGを持ち上げてカイトに向けた。


「……いい度胸してんな、あんた」


「どーも」


 地面に着地したばかりのカイトはまだ完全に照準を合わせきれていなかった。

 ケビンはカイトが引き金を引く前に自らの銃も相手に向けるという大胆な行動に出たのだ。


 結果、互いに銃口を相手に向ける膠着状態が出来上がる。


「……なぜ、撃たなかった」


「あん?」


 相手の指に神経を集中しながらケビンはカイトに尋ねた。


「声をかけずに樹上から撃てば難なく俺を殺せた。

 さっきも、俺が銃口を向ける前に撃てば良かった。お前の銃の方が取り回しが効く。

 なんでこの状態に持ってきた?」


 勝負を急いでるように感じていたのに、ここに来て膠着状態にするような真似をしたのはなぜか。

 ケビンは尋ねずにはいられなかった。


「まー、確かに急いではいるし、政府の犬は嫌いだけどさ。ちょっと聞きたいことがあったんだよね」


「……なんだ?」


「あんたってさ。自分の上司が銀狼だって分かってる?」


「!?」


 ケビンは大きく目を見開く。


「あ、俺、マズった?」


 その反応から、余計なことを言ったとカイトは舌を出した。


「……確信は、なかった」


 やがて、ケビンは細々とそう答えた。


「あー、なんかゴメンだわ、銀狼」


 勝手にネタバラシをしてしまったことにカイトは頭をぼりぼりとかいた。


「まあでも、ほとんど確定だとは思っていた」


「……なのに、手伝ってるのか?

 特安が? 銀狼を?」


「……」


 カイトが聞きたいのはそこだった。

 なぜ公僕たる特安が捕らえるべき銀狼とともに在るのか。


「……もちろん特安としての利害はある。

 が、それ以上に俺は警部としての、上司としてのあの人を手伝っているつもりだ」


「……それは、死にたくないあんたが命を晒してでも?」


「……そう、だな」


 それはケビンの本音だった。

 たとえジョセフが銀狼であっても、その人となりを知っているケビンはイブを助けたいというジョセフの頼みを断れなかったから。

 それは、まるで娘を助けたいと願う父親の姿に見えたから。

 家族が何より大切なケビンには、その気持ちが痛いほど理解できたから。


「……ふーん」


 そしてそれはカイトには理解できない気持ちだった。

 物心ついた頃から家族というものがいなかったカイトには。

 だが、それはカイトが聞きたかった答えのようにも思えた。

 嫌悪の対象であった公僕たる特安のケビンに人間味を感じた。自分に似た性質を感じた。

 カイトが即座にケビンを撃ち殺さなかったのは、彼にそんな気質を感じたからだった。


「……それは、マドカちゃんの手伝いに行こうとしてる俺の気持ちとはちょっと違うのかなー」


 カイトのそれは妹のように思うマドカへのまごうことなき思いであったが、カイトはそれに命をかけてでも、何がなんでも、という思いがあるわけではなかった。

 何となく世話を焼いていたから、助けられるなら助けよう。

 そんなレベルの思いだった。


「似てはいるが同じではない。

 でも、種類は近いと思う。

 そういう思いを少しでも持てるのは、悪いことではないと思う」


「……そっかー」


 ケビンの返答は何となくカイトが求めていた答えに近かった。

 それを捨てる必要はないのだと言われた気がしたから。


 そしてケビンもまた、この短いやり取りの中でカイトという生き物をある程度理解していた。

 ネジがぶっ飛んでいるのではなく、初めからないだけなのだと。知らないだけなのだと。


「……聞きたいことはそれだけか?」


 とはいえ、


「まー、そうだね」


 二人の間に再び緊張が走る。

 どちらが先に引き金を引き、相手の命を奪うか。

 反応速度はカイトが上。だが、銃の扱いはケビンの方が圧倒的に上。

 さらに拳銃とマシンガン。

 その違いが互いに引き金を引くのを躊躇わせた。

 ミスれば死ぬ。殺しきれなければ自分も殺される。

 その可能性を考慮すると、どちらも即座に動けないのだった。


「……さーて、どうしよっかねー」


「……」


 そのとき、


「おわっ!」

「っ!?」


 カイトの懐で電話が鳴った。

 この場所でも通じる、組織専用の携帯電話だ。


「……」

「……」


 それが鳴っても二人とも銃口を動かさなかった。

 ただただ、電話の音だけが森に響く。


「……出ていい?」


「お前、マジか」


 この状況で呑気に電話に出ようとするカイトにケビンは毒気を抜かれた。それでも油断はしていないが。


「……出ていいよ」


「サンキュー」


 互いに銃を向けたまま、カイトは懐から電話を取り出して応答した。


「もしもーし。ごめんいま取り込み中でー……あ、マドカちゃん?」


「!?」


 電話の相手がジョセフと戦闘中のマドカだと分かり、ケビンは顔色を変える。

 マドカが電話をできるという状況について考察する。


「どうなったー? うんうん、あ、そっかー。

 なるほどねー」


 電話の向こうの音声は聞こえない。

 ケビンには彼らが何を話しているか分からなかった。


「あ、マジで!? それで?

 ふんふん。あー、おっけーおっけー。

 こっちはねー、けっこうギリギリよ。

 今ね、銃を向け合ってジリジリしてんの。

 そー。いや、だって電話に出ていいって言うからさー」


「……」


 余裕を持って互いの状況をやり取りしている。

 それだけの余裕がマドカにはあるということ。

 そんなことはあり得ないと思いつつも、ケビンは嫌な予感を感じずにはいられなかった。


 まさかとは思うが、ジョセフが負けたのか、と。


「うんうん。おっけー。そうだね。それがいいと思うよ。

 いやいや、こちらこそ助かったよ。

 え? 代わんの? マジで?

 あー、おけ。ちょっと待ってー」


「!」


 カイトがおもむろに電話をケビンに渡そうとしてきた。カイトの銃口は既に下げられている。


「あんたの上司が代われって」


「!?」


 ケビンは状況を掴めずにいた。

 マドカもジョセフも健在で、しかもマドカの携帯で自分と話そうとしている。


「ほらっ」


「……」


 ケビンはカイトが放ってきた携帯を片手で受け取る。

 銃はそのまま下ろさない。


「……はい」


 ケビンはカイトから目を離さずに電話に出た。


「ケビン。まだ生きていて良かった」


「……警部」


 それはジョセフの声だった。

 ケビンは一気に安堵する。

 まだ無理やり話をさせられている可能性もあるから完全には油断できないが、生きているということが少なからずケビンを安心させた。


「どうなったんですか?」


「えーとだな……」


 ジョセフがあちらでの一通りの経緯を説明する。

 マドカとの勝負に勝利し、彼女を拘束したこと。そこに、ヤツが現れたこと。


「……なるほど。それでそちらの戦いは終わったと」


「ああ。それで、お前に頼みたいことがあってな」


「頼み?」


「ああ。実は…………」


 ジョセフはその後の経緯もケビンに説明した。


「ああー、マジですかー」


 ジョセフからの頼みを聞いてケビンが項垂れる。


「お前の手柄になるんだからそれぐらい協力しろよ」


「ったく。分かりましたよ」


 文句を言いながらもケビンはしぶしぶジョセフからの頼みを了承した。


「じゃあ、よろしく頼むぞ」


「はーい」


 ジョセフはそれだけ言うとさっさと電話を切った。

 ケビンはジョセフに銀狼について言及しなかった。

 今はそのときではない。そう思ったから。


「終わったぞ」


 ケビンは携帯をカイトに放り返して銃を下ろした。

 もう互いにやり合う理由がなくなったから。

 カイトはそういう理屈が通じるヤツだとケビンは判断したから。


「俺は捕まえなくていいのか?」


 カイトも立派な特安のターゲットではあった。


「いい。今の俺は特安というよりは警察だからな。警察はお前を指名手配していない。

 それに、お前よりも重大な案件ができた。

 ここは互いに手出し無用にしないか?」


 ケビンは銃を肩にかけてそう提案した。

 攻撃の意思はないことをカイトに示したのだ。

 

「いーよ。

 マドカちゃんも大丈夫みたいだし、給料分は働いたしね。

 俺はここで抜けるよ。

 あんたらが負けたら俺はあんたに殺されたってことにするし。しばらくはどっかの国で過ごすよ」


「……そうか」


 ケビンはその言葉を信じた。

 何となく、カイトは本当にそうするのだろうと思えたから。


「ま、頑張って。

 あと、マドカちゃんのことも頼むよ。

 大事にしないとまた走って殺しに行っちゃうからな」


「……怖えーよ」


「ははっ。じゃあね!」


 呆れるケビンにカイトは笑いながら手を振り、あっという間に走り去っていった。


「……じゃ、俺も行くか」


 カイトが見えなくなってから、ケビンはやれやれとジョセフたちのもとへと歩いていったのだった。




おまけ


「マドカちゃーん。待ってよー」


「ウザい。死ねっ」


 今日も今日とて、カイトはマドカにしつこく絡んでいた。


「ちょっーとでいいんだよ。ちょっとだけだからさ。今度の仕事手伝ってよー」


 カイトは本来であれば自分だけでこなせそうな仕事であっても、なぜかマドカに助力を頼むことが多かった。


「ボスに命令されてない。だからやだ」


「ケチー」


 マドカは毎回それを一蹴していた。


「はっはっはっ! あんまりしつこいと嫌われるぞー」


 そこに壊し屋が大きく笑いながら現れる。


「こいつに言ってやってよ。ボスに言われてないのに手伝うわけないって」


 あまりにしつこいカイトにマドカは壊し屋の後ろに隠れて、べーっと舌を出してみせた。


「もー、じゃあオッサンでいいや。手伝ってよ」


 そんなマドカに呑気に手を振りながらカイトは壊し屋に頼む。


「俺への依頼は高いぞ?」


「あ、やっぱやめときますー」


 片方の眉を吊り上げる壊し屋にカイトはすぐに引き下がった。


「それよりマドカ。そろそろ学校だろ」


「あ、やばっ。いってきまーす」


 壊し屋に言われ、マドカは慌てて走っていく。


「「いってらっしゃい」」


 そんなマドカを残った男二人が送り出す。


「……わざと足手まといになって、マドカにお前を助けさせるつもりだろ」


 マドカの背中を見送りながら、壊し屋が並んで立つカイトに話しかける。


「……なんの話?」


「ふんっ。人を殺すためではなく、人を助けるためにもその力は使えるんだと暗に伝えたいって所か。結果的に他の人間を殺させてる所はお前らしいがな」


 とぼけるカイトに壊し屋は目を細めた。


「……ありがとな」


「……なにがー?」


「ふっ」


 二人はマドカが見えなくなるまでその後ろ姿を見送ったのだった。


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カイトのキャラいいなあ( ˘ω˘ )
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