58.狼の牙が鷹に届く時、能ある鷹は隠した爪を振るう
「……くそっ」
マドカは引き金を引いた瞬間に舌打ちをすると、急いで木の幹に身を隠した。
「っ!」
マドカの周囲を弾丸の雨が通過する。
「もうっ!」
銃撃が収まるとマドカは再び銃口を構えた。
弾丸が飛んできた方向にスコープを向けるが、すでにそこに銀狼はいない。
広く周囲を見渡し、瞬時にその影を捉えて照準を合わせる。
再び向こうが撃ってくる前に撃たねばならない。
とはいえ、潜んでいる場所さえ分かれば先に撃たれることはない。
マドカは銀狼が動くまでひたすらに待つ。
「!」
そしてすぐに銀狼は動く。
「く、っそ!」
だが、マドカが照準を合わせきる前に銀狼は姿を隠す。
時に樹上を移動し、時に後退して大きく進路を変えることもある。かと思えば大胆に前進してくることも。
マドカは縦横無尽な銀狼の動きについていけずにいた。
「やばっ!」
そして少しでも油断するとライフルを乱射してくる。
マドカはそのたびに狙撃位置を少しずつ変えなければならない。
自分と違って、連射が可能な向こうは隠れた木の幹を吹き飛ばすこともできるからだ。
「……ダメね。強すぎる」
自分の反応速度もタイミングも呼吸も、全てを把握されている。
自分が撃つ瞬間が相手にバレているということがこれほどにやりにくいとは。
マドカはまともに戦わせてさえもらえない現状に、歯がゆさとともに感心もしていた。
「……こんな戦い方もあるのね」
ただただ一方的に狙いを定めて引き金を引く。
ただそれだけでマドカはこれまで戦いに勝利してきた。
そこに相手の事など介在せず、むしろそんなものは必要ないと思っていた。
「相手に理解されるってことがこれほどにやりにくいなんて……」
相手を分析して対策し、また新たなアクションを分析して対応する、その繰り返し。
実力の逼迫する相手、あるいは完全に不利な状況での戦闘。
きっと銀狼はそんな戦いを何度も経験してきた。
「これまで積み上げてきた全てでもって最強の殺し屋なわけね」
マドカは銀狼の強さを理解した。
壊し屋やカイトやマドカのように突出した何かがあるわけではない。
あらゆる全てがあまねく強いのだ、と。
それは例えるなら、オリンピックで人々が一つの競技で一位を争っている中、銀狼は全ての競技で銀メダル以上を確実に獲得する。そんなイメージ。
強く、速く、理知的で、心理的で論理的。それが故に大胆にも動ける。
究極のオールラウンダー。それこそが銀狼。
「……これは、このままじゃ勝てないわね」
マドカは自分の腕では銀狼の頭を撃ち抜けないことを確信した。
このままでは銀狼は自分のもとまでたどり着く、と。
「……なら私も、覚悟するしかないわね」
肉眼で目視できる距離にまで銀狼が近付いた段階で、マドカはスナイパーライフルを構えるのをやめた。
「……」
アサルトライフルを撃つ。
鷹の位置は先の狙撃で把握している。
フルオートで範囲的に適当に攻撃する。
当てる気がないのは向こうも承知しているだろう。
当たるなら当てているしな。
軽く掃射したら銃撃を止め、移動する。
鷹もすぐに移動しているだろう。
向こうが新たな狙撃位置に着く頃にこちらも死角に潜む。
今度は木の上から移動しよう。
「おっと」
木から木へ跳ぶと、すぐに弾丸が飛んできた。だが、それはスルリと空を切る。
そのままいくつか木を跳躍してから、完全に奴の死角になる場所で幹伝いに地面に降りる。
速度を上げて曲線を描くように鷹に近付く。
少しして鷹の狙撃が来る。
捕捉が早い。
だが惑わすことはできている。
少しずつだが着実に鷹に近付いている。
「ここだ」
鷹の捕捉が遅れた時は攻勢に出る。
アサルトライフルをフルオートで乱射。
軽く撃ったらまた隠れて移動する。
「……捉えた」
そんなやり取りを繰り返し、ようやく俺は鷹の潜む木を肉眼で捕捉した。
向こうも気付かれていることに気付いている。
念のため、ケビンにもらっておいた予備のマガジンと交換してライフルを右手で持ち、懐からナイフを取り出して左手に逆手で構える。
「……」
気になるのは、少し前から奴が狙撃をやめたことだ。
諦めたか?
いや、奴はそんな人間ではないはず。
だとしたら何が狙いだ?
この状況でまだ俺に対抗する手段があるのか?
「……」
本来であれば奴が息を潜める木を、ライフルを乱射してなぎ倒すべきだろう。
俺ならその中で鷹を撃ち抜くことも難しくない。
この状況、奴はもう動くこともできない。動いた瞬間に俺に撃たれるから。
奴はこうなる前に俺を撃つべきだった。
だが、奴はそれを途中でやめた。
俺に撃たれることを覚悟したのか?
理由は分からない。
俺はここで、ライフルで木ごと鷹を撃ち殺すのが定石。
……だが俺は…………
「……出てこい。
逃げられないことは分かっているはずだ」
鷹と対話することを選んだ。
少し気になることがあるからだ。
「……」
返事はない。
警戒しているか。
「そこにいても殺されるだけだということは分かっているはずだ。
もう一度だけ言う。
出てこい」
ライフルを向ける。
気にはなるが、時間をかけすぎるつもりもない。
これで出てこないのなら始末してしまおう。
「……!」
少しして、鷹が樹上から降りてきた。
重たい銃を持っているとは思えないほど軽やからに地面に着地する。ライフルは構えておらず、肩にかけていた。
「……やはりか」
そうして姿を現した鷹はまだ年若い少女だった。
長い黒髪に黒い瞳。東洋人か?
学生服に身を包んだ姿はどこから見てもただの学生だ。肩にスナイパーライフルをかけていなければ。
「……おまえが鷹だったか」
俺の予想は的中した。
「鷹? ああ、私のこと。
そうね。それなら私が鷹よ」
声も年若い。
やはり見た目通りの年齢か。
ボスの『箱庭』出身ならばこの年齢でも納得はいくか。
「……」
黒く澄んだ、それでいて鋭い瞳。
ホークアイか。
「それで?
なんで私はまだ生きてるの?」
「……は?」
表情はない。
もともと乏しいのか。いや、感情を無理やり抑え込んでいるのか。
「銀狼は冷静で冷徹で冷酷。
銀狼ならば、私が潜む木ごとライフルで蜂の巣にして終わらせていたはず。
対話なんて馬鹿みたいな無駄行動をするはずがないわ。
なんで私はまだ生きてるの?」
「……」
繰り返された質問。
呆れたような、蔑むような、それでいて微かに困惑していて、しかしその根底には煮えたぎるほどの嫌悪と憎悪。
今の鷹にはそんな複雑な感情が渦巻いている。
それに、やはりこいつは俺が銀狼だと知っていたな。
「……理由は二つある」
「……なに?」
冷たい瞳。
今にも崩れてしまいそうな薄氷の冷酷。
二つ目の理由を話してしまうとだいぶ面倒なことになるだろうが、話さないわけにもいかないだろう。
「まず一つ目。
おまえ、『猫のお姉さん』だろ?」
「……は?」
自覚はないか。
「ショッピングセンター爆破テロ事件。
おまえが気まぐれに助言したことでそれに巻き込まれなかった少女。
それこそが今ボスのもとにいる、おまえらが言うキャシーなんだよ」
「!?」
驚いたような表情。
やはりその少女があいつだと知らずに助言したのか。
そしてこの反応、やはりこいつが件の女だったか。
起こす予定のテロを事前に知らされるレベル。それでいて気まぐれとはいえ見ず知らずの子供を助けるような言葉を発する人間。
これまでの鷹の仕事への姿勢から感じた誠実さは間違いではなかったようだ。
「つまり、おまえは命の恩人なわけだ。
それを確かめるためにも対話を選んだ」
「……そう。あの子が……」
かすかに残念そうな表情。
後悔? 憐れみ? 分からないな。
「……だから?」
「ん?」
「私がその子の恩人だから。だからどうだって言うの?
見逃す? 助けてくれる?
貴方は、銀狼はそんな甘くないでしょ?」
「……」
それは確かにそうだ。
あいつの命の恩人だったからなんだというのだ。
俺はなぜ、そんなことを確認した……。
「……まあいいわ。
それで? もう一つの理由は?」
少し呆れた表情。
「……」
「……どうしたの? 早く言えよ」
俺が言いよどんでいると鷹はイライラした様子を見せた。
このあたりは年相応の若者に見える……と思えるほどに俺は年をとったのか。
「……おまえ、『箱庭』の卒業生のマドカ、だろ?」
「……私を知ってたのね」
「……ああ。壊し屋から聞いたからな」
「!」
その名を聞いた途端、目が大きく開かれる。
夜の猫のような眼。
「……尋問して、拷問して吐かせたのね……」
そしてすぐにその目が据わる。
抑えていた薄氷の下の、マグマのような激情が迸る。
憤怒と憎悪。
漲らせた全てが俺に向けられる。
こうなるとは思っていた。
俺は、彼女の父のような存在を殺したのだから。
「いや、そういう勝負だった。
戦いに勝利すれば俺が知りたい情報を話すと。壊し屋は、だから自分と戦えと言ってきたのだ」
「……嘘よ。ありえない。なら、なんで……」
信じてもらえないか。
まあ殺した本人が何を語ってもか。
とはいえ、
「信じてもらえずとも俺は受けた依頼は必ず成功させる。
壊し屋は……」
「黙れ」
「……」
「おまえが壊し屋を語るな」
強烈な殺気。
殺意のみが込められた瞳。
これ以上、言葉は届かないか。
「……殺す。
銀狼を殺す。
殺して壊し屋の墓に見せに行く。
それが、私の弔いだ」
「……」
駄目か。
これだけの殺意を向けられて、俺も牙を納めることはできない。
壊し屋には申し訳ないが、やはり殺しに来る奴は殺すしかない。
「……だが、おまえはスナイパーだ。
狙撃が意味をなさなくなった今、おまえにできることはない」
……殺すしかないが、ここは退いてくれないかとも思う自分がいる。
報酬のためではなく、壊し屋のためにも。
「……私を、ナメない方がいい」
「……」
それに、この不安感は危険だ。
何か、強力な切り札を持っているような気がする。
「……殺す」
「……」
彼女に戦線離脱してもらうのがベストだったが、これでは難しいか。
この殺気。
無傷での戦闘終了は厳しいだろう。
それに、この状況にまでなって俺は相手を殺さなかったことはない。
俺は彼女を殺さずに戦えるのか。
「……だから、死ねよっ!」
「っ!?」
そんな思考を巡らせていた刹那、何も持っていなかったはずの彼女の手元がキラリと光り、その光は一条の閃光となって俺の目の前に閃いた。
「くっ!」
俺は突然のその閃光に、反射的に左手に構えたナイフを振り上げた。
おまけ
「能ある鷹は爪を隠すって知ってるか?」
キッチンに立つ壊し屋が夕飯を作りながら、リビングで寝転がってテレビを見ているマドカに話しかけた。
「知ってる。なんなら私の方が知ってるはず」
マドカはテレビを見たままでそれに答える。
その言葉はマドカが生まれた国の言葉だった。
「あー、そうだったか」
大きな体で見事に包丁を扱い、繊細に切り刻んだ野菜を丁寧に鍋に入れていく壊し屋。
「それで? それがなんなの?」
マドカは足をパタパタさせながら、床に置いたお菓子の袋から一枚ポテトチップスを取り出してくわえる。
「頭のいい奴ほどな、隠すのが上手いんだ。
自分の実力を、真の武器を、切り札を。
自分の手の内を全てさらけ出したように見せかけて相手を油断させ、確実に仕留める時に隠した爪を振るう。
俺たちみたいな仕事をする奴には必要なことだ」
「ほーん」
壊し屋は裏稼業の心得をこうして普段からマドカに教えていた。
あまり聞いていなそうに見えるマドカだが、壊し屋の言葉はしっかり胸に刻み付けていた。
「って! おまえなにお菓子開けてんだ!
これから夕飯なんだぞ!」
そこでようやくマドカがお菓子をつまんでいることに気付いた壊し屋が慌てて振り返る。
「だいじょーぶ。夕飯も食べるから」
マドカはそれをたいして気にした素振りも見せずに再び袋に手を伸ばす。
「……おまえ、太るぞ」
「へーき。私は太りにくい体質だし、消費するからね」
「……」
マドカは学校が終わるとボスの指示を受けて仕事をする。
最近はその頻度が上がってきている。
壊し屋は毎晩血にまみれて帰ってくるマドカが心配で仕方なかった。
「それに、壊し屋のご飯は美味しいから、たとえお腹いっぱいでも全部食べれるもん」
「!」
マドカは顔だけを壊し屋に向けると何とも無邪気な笑顔を見せた。
「……ったく。
しょーがねーな」
壊し屋はじつに嬉しそうに再び炊事に戻った。
「……チョロいわね」
「なんだー?」
「なんでもなーい」
マドカは再びお菓子の袋に手を伸ばしてテレビを見るのだった。