56.傷の男は嗤い、狼は走り、鷹は燃える
「ボス。報告です」
「あん?」
アジトの最奥で銃を磨いていたボスが部下の報告に耳を傾ける。
「例の警官が仲間を連れて森に侵入。
雇った傭兵と『箱庭』の戦士たちの兵団に接触。
戦闘を開始したとのことです」
「やっとか」
ボスは待ちくたびれた様子で銃を磨く。
どうやら遠距離から監視をさせていたようだ。
「その仲間ってのは?」
ボスは部下の方を見ることなく尋ねる。
「警官を入れて全部で四人。
二人は護り屋。もう一人は警官の部下ですね」
「……なるほど。護り屋の奴らはあっちについたわけか」
ボスがギラリと目を光らせる。
ボスの頭の中では護り屋の二人をあとでどう始末しようかという考えが巡っていた。
「その部下ってのは?」
「直属の部下のようです。
調べた所、射撃訓練の成績は毎回一位を取っているようです」
どうやらケビンに関しては特安ということはバレておらず、けれども警官としてのスペックは調べられているようだ。
「ふーん……それだけか?」
だが、ボスはその情報にはあまり興味はないようだった。
「それだけ、と言いますと?」
「他には誰も来てないのか?」
「そう、ですね。そのような報告は上がっておりません」
「……そうか。てっきり銀狼も同行してると思ったが」
ボスはジョセフが銀狼に依頼を出し、侵入時に同行してくると踏んでいた。
「……まあ、あの銀狼が誰かと、ましてや警官と行動をともにするはずはないか。
おい。警官どもは囮の可能性が高い。
他からの侵入がないか絶えずチェックはしておけ」
「はい」
ボスからの指示を受けて部下が退出する。
ジョセフが銀狼であることを知らないボスは、銀狼は単身で他から侵入してくるのだろうと考えていた。
「……護り屋がいるなら警官どもは突破してくるだろうな。
あのガキがちゃんと命令通りにリーダーとして機能すれば話は別だが……」
ボスは少年たちの不完全性に気付いていた。
だが才があったから完全な躾は徐々にでいいと考えていたのだ。
しかし、完成する前に少年たちを使わざるを得なくなった。
だからボスは第一陣として少年たちを向かわせたのだ。
敵勢力の様子を測るための捨て駒として。
「まあ、突破した所で次で死ぬだろうけどな。
あのコンビを突破するのは難しいだろう。
手をこまねていている内に狩られるのがオチだ」
ボスはニヤリと口角を上げる。
「それよりも、だ」
そして頬の傷跡を磨いた銃でゆっくりと擦る。
「銀狼だ。
早く俺のもとに来い。
絶対に来る。アジトが分かったこのタイミングで絶対に来る。
誰にも邪魔はさせない。
俺が殺すんだ」
ボスが大きく口を開けて笑う。
「俺が銀狼を殺して、親父の最高傑作は俺だと証明してやるんだ!
俺こそが新人類の王に相応しいとな!」
ボスは高らかに笑った。
野心と復讐心と、狂気を込めて。
「……」
その様子を、部屋の隅に立っているイブが感情のない顔で眺めていた。
その瞳には一片の光も見受けられなかった。
「へ……わっ!?」
咄嗟に体を翻してケビンの肩を蹴り飛ばす。
ケビンが驚いた表情で横に飛ばされる。
「っ!」
瞬間。放たれた弾丸が通過するが、俺のふくらはぎにかすってしまう。
「警部っ!」
「頭を上げるなっ!」
「っ!」
幸い、かすり傷だが、ケビンがこちらに駆け寄ろうとするので制止する。
俺は着地と同時に近くの木に身を隠した。
「……」
追撃は来ない。
二人とも射線の死角に隠れたからだろう。
「狙撃ですか」
「ああ。東北東。距離約千五百」
木の陰に隠れて様子を窺う。
こんな遮蔽物の多い森の中で、一キロ以上離れた場所から正確にヘッドショットを狙ってくる。
この腕前。件の鷹か。
「……」
ケビンの目が鋭く指示した方向を見つめる。
どうやらしっかりスイッチが入ったようだ。
「……警部。足は?」
「問題ない」
傷口を布で素早く縛り、応急手当てをする。
そんなもの必要ないほどのかすり傷だが、衛生的な環境でもないので念のため。
「……もう一人いるな」
「え?」
最大限まで鋭敏になった感覚が素早く動く、もう一人の気配を捉える。
「……かなり速い。
猛スピードでこちらに向かっている。狙撃手にこちらの居場所を聞いて、俺たちを取りに来たか」
この速度……。
「何でも屋カイト、だな」
速度だけなら俺を凌駕する可能性もある。
この速さならば、並みの奴なら殺されたことに気付けないレベルだろう。
「どうします?
二人で迎撃しますか?」
「……」
それが確実だろう。
俺一人でも対処できるが、鷹に常に狙われていると思うと動きにくくなる。
だが、
「……いや、カイトは任せる。
俺は狙撃手をやる」
「え?」
「おそらくカイトは俺たちを鷹の射線上に出させるように立ち振る舞うだろう。
まともに戦う気はないはずだ。
常に狙撃手を気にしながら速度のある相手と戦うのは難しい」
「どっちが先に前衛を仕留めるか、狙撃勝負ってことっすか」
「ケビンからしたらそうなるな」
先に前衛を仕留めた方が勝つ。
あるいは前衛が狙撃手のもとにたどり着いて殺せば勝ち。
「でも、そのカイトってのはかなり速いんですよね?
こんな森の中だと、鹿なんかを狩るより難しいですよ……」
「出来るだろ? イーグルアイなら」
「……まあ、やるだけやってみますよ」
渋ったが、ケビンなら不可能ではないだろう。出来ないことは出来ないと言うやつだしな。
「お前がやられれば俺もやられる。
任せたぞ」
「警部はそういうとこ、ズルいっすよね」
信用していることを伝えるとケビンはわざとらしく口を尖らせた。
「武器はどうします?」
「ん? ああ、そうだな」
ケビンがリュックを下ろす。
カイトが向かってきてはいるが、まだまだ遠い。手早く準備を済ませるとしよう。
「こいつらはもういい。
アサルトライフルはあるか?」
ショットガンとサブマシンガンを下ろす。
ここから先は雑に掃討すればいいような相手ではなくなるだろう。
手持ちの武器に加えて機動力と威力のある武器が欲しい。
「M16なら。
適当にカスタムしてあるんで、軽く撃って慣れてください」
「ありがたい」
ケビンは一瞬で銃を組み立てるとこちらに放ってきた。
鷹には見られただろうが、撃たれることなく受け取る。
M16か。
どこぞの殺し屋みたいだが、結局は実践向けということだな。
ケビンから銃を受け取ると、逆に下ろした銃を要求してきたので放り返す。
ケビンはショットガンとサブマシンガンの弾だけを回収していた。
銃は置いていくようだ。
「じゃ、俺は手頃な狙撃位置に行きます。
警部もお気をつけて」
「ああ」
自身もスナイパーライフルを持つとリュックを背負い直して森に消えた。
鷹からは狙えず、かつ高速で移動するカイトを狙撃できる場所を見つけに行ったようだ。
「よし。俺も行くか」
ライフルを抱えながら走り出す。
一気に加速。
「っ!」
足元に銃弾が走る。
だが、当てられない。
カイトまでは行かずとも、高速で移動する俺を狙撃するのは難しいだろう。
遮蔽物の多い森の中。
自分の所にたどり着かれる前に俺を撃ち殺せるか。
鷹の腕の見せ所だな。
「ま、当てさせる気などないがな」
ぐんぐんと速度を上げる。
鷹の射線に入らないように蛇行しながら、カイトと接触しないように距離を開けて走る。
カイトも鷹から俺の行動を聞いているだろう。
向こうも俺との接触は避けるはず。直接戦闘では勝ち目が薄いことは前に思い知っただろうからな。
鷹の目がある以上、俺もそれは望むべくではない。
そしてこちらの狙いも理解したはず。
狙撃手を倒し、残った前衛を二人がかりで倒す。
「……!」
だからこそ、カイトはさらに速度を上げたようだ。
ケビンの狙撃を警戒しながらここまで速度を上げるとは。
だが、ケビンはおそらく鷹よりも装備が豊富だ。
カイトの速度を緩めることが出来るだろう。
「!」
と、思っていた矢先にカイトのいる方向で煙幕が立ち上がる。
発煙弾まで持ってきていたか。
「さすが」
これでカイトも慎重にならざるを得ない。
今のうちに遅れを取り戻し、カイトよりも先に鷹までたどり着く。
「っ!?」
しかし、木々の間を蛇行しながら走っているのだが、それでも顔面スレスレを弾丸が走る。
俺の走行が予測され始めた。
ランダムに進行していかなければ、木々の間を縫って頭を撃たれる。
「やるな」
鷹も相当の使い手。
油断していると頭を飛ばされる。
「……」
それに、殺気が強い。
殺意が荒々しいほどに伝わってくる。
監視員としての鷹はもっと冷静で沈着なイメージだったが、こっちが本性ということだろうか。
「まだライフルの圏内じゃないな」
ならば威嚇が必要だろうとは思うが、アサルトライフルの射程圏は五百メートル。ケビンのカスタムならもう少し伸ばしてくるだろうが。
俺なら八百はいけるか。それ以上遠いと走行中では威嚇にすらならないだろう。
鷹までまだ一キロ以上ある。
こちらも撃って威嚇できるようになればさらに速度を上げられる。
カイトの移動速度からして、重たいライフルの類いは所持していない可能性が高い。
つまりあちらに威嚇射撃はない。
加えてケビンによる豊富な装備を使った目眩まし。
俺が先に狙撃手に到達する可能性は高い。
「ま、油断せずに行くか」
とはいえ撃たれたら意味がない。
最低限、こちらも撃てる距離までは慎重に素早く移動していこう。
『マドカちゃーん。少年たち、突破されたみたいだよー』
「……そう」
カイトからの無線での連絡に、マドカは心ここにあらずだった。
『やられるの早いね。
やっぱりあのリーダーの子は出来上がってなかったんだなー』
「……」
外部の人間であるカイトにもバレる程度の偽装能力。当然ボスも気付いているはず。
にもかかわらず彼らが生きているのはボスの気まぐれか。
捨て駒の第一陣に選ばれたのがその証拠。
生きていても死んでもいい存在。
ボスにとって彼らはその程度の存在だったのだろうとマドカは断じた。
「……ふっ」
そして、それは自分も同じかと自嘲する。
能力的には卒業に足る実力でも、自分は結局ボスの望む兵士にはなれなかった。
ターゲットとともにいた、幼い子供を撃つことが出来なかったから。
それからボスの、自分を見る目が変わったことにはすぐに気付いた。
変わらず接しているようにも見えるが、もはやその目に自分は映っていないから。
「……どうでもいいか」
だが、マドカにとってはそれら全てがどうでもよかった。今となっては。
むしろそれで良かったとさえ思えた。
『ん? なんか言った?』
「……なんにも」
『まー、いーや。
こっちに向かってきてるのは警官とその部下の二人みたい。
見つけたら教えて。
俺も動くから』
「……おーけー」
『……』
カイトの言葉に空返事を返す。
正直どうでもよかった。
ボスの命令だからやっているが、今のマドカにとっては銀狼以外に興味はなかった。
「……絶対、仇は取ってあげるからね」
壊し屋を殺した銀狼への復讐。
それだけがマドカの生きる目的だった。
なんなら警官たちなど通してもいいと思っていた。
それで万が一にもボスを殺してくれれば、もう自分を縛るものは何もないから。
『……しょーがないなー』
「……なに?」
唐突に聞こえてきたカイトの声にマドカは眉をひそめる。
思えば不思議な男だった。
飄々としていて掴み所がないのに意外と観察眼は鋭くて、こちらの意図をすぐに読み取る。
だからこそ、ここまで生きてこれたのだろう。
『余計な雑念がない方が仕事に集中できるかと思ったけど、教えてあげた方がよさそうだね』
「……だからなに?」
回りくどい言い方をするカイトにマドカはますます不機嫌になる。
『こっちに向かってきてる警官がいるじゃん? 部下じゃない方』
「……」
マドカはカイトがその警官と対峙したことを聞いていた。
油断ならない相手だと。
『その警官が銀狼だから』
「…………は?」
マドカはカイトの言っていることが理解できなかった。
『だから、これから俺たちが戦う相手こそが銀狼なの。
マドカちゃんが何としても殺したいと思ってる相手』
「……本気で言ってる?」
マドカの言葉には殺意が込められていた。
カイトがこんな場面で冗談を言うはずがないことは分かっていたが、信じられずにいたから。
『本当だよ。
ここで嘘つくほど落ちぶれてない』
「……」
カイトはジョセフと対峙したことで理解していた。
この男が銀狼なのだと。
警官としてどれほど優秀であろうと自分の尾行に気付かせない自信がカイトにはあった。
それを看破できるのは、紳士以外ではおそらく銀狼ぐらい。
銀狼を追う警官が銀狼。
そう考えると自然と理解できたのだ。
「……それ、ボスには?」
『言ってないよー。
言われてない仕事はしない主義なんだ。
銀狼の恨みを買いたくないし、ボスになぜ見逃したって殺されたくないしねー』
「……」
マドカはそれが理解できた。
フリーで活動している以上、リスクヘッジは重要。口は災いのもと。
だからこそ、それを今告げてきたカイトの言葉をマドカはより信用することができた。
「……教えてくれてありがと」
『……いーえー』
言葉尻に込められた激情にカイトはすぐに気が付いた。
けれども何も言わない。
そうなることは分かっていたから。
『んじゃ、奴らが来たら教えてねー』
「……ええ」
マドカが無線を切る。
マドカのスコープにジョセフの姿が映るのは、もうまもなく……。
おまけ
「マドカちゃーん」
「ついてくるな」
ある日のこと。
今日も今日とて、カイトはマドカにまとわりついていた。
「だってマドカちゃんがやってくれないからさー」
「しつこい」
「いてっ」
肘打ちされながらもカイトがマドカを追いかける理由は一つ。
「マドカちゃんの学生カバンにしてるのと同じ刺繍を俺のバッグにもしてよー」
好きなアニメのキャラクターの刺繍がマドカの学生カバンにしてあるのを発見し、自分にもやってもらおうとしたのだ。
「やだ。
あんたとお揃いみたいでキモい」
「けちー。俺は同坦オッケー派なのにー」
「私は拒否派なのよ」
「くそー」
「あ、お疲れ様でーす」
そんな二人の横を組織のメンバーである男が挨拶しながら通りすぎる。
「あ、おつかれー」
「……かれ」
それにカイトは軽く返事を返すが、人見知りの激しいマドカはろくに挨拶も返さなかった。
「……マドカちゃーん」
「だからしつこいっ……?」
その後、再びやり取りが繰り返されると思ったが、カイトの鋭い視線にマドカも動きが止まる。
「……さっきの奴、たぶん特安のスパイだよ」
「……根拠は?」
「歩き方が訓練されすぎてる。
あのレベルのしたっぱはこの組織にはいない。『箱庭』でもなきゃ、ね」
「……」
真っ直ぐに先ほどの男の背中を見据えるカイトに、マドカはその言葉が真実なのだと理解する。
「分かった。私が捕らえてくる」
それを受けてマドカが男を追う。
「お礼は刺繍でいいよー」
「それはそれだ」
「ちぇー」
走り出すマドカにカイトは声を飛ばすが、すぐに一蹴されてしまって不貞腐れる。
「……だが、教えてくれてありがとう」
「!」
去り際、本当に小さな声で発せられた礼にカイトは目を丸くした。あまりそういうことは言わない子だから。
「……」
カイトは頭をポリポリとかいて踵を返した。
結局、そのあと何度も頼み込んでようやく繕ってもらった刺繍はカイトの好きなキャラクターではなかった。