5.ぎんこーは美味しいですか? それとも臭いですか?
「……ここどこ?」
「銀行だ」
「ぎんこー……?」
俺とイブは街に2つある銀行のうちの1つに来ていた。
比較的新しくて大きいもう1つの銀行とは違い、規模も小さい2階建ての建物だ。
2階は銀行の事務所のようなので、この建物には銀行しか入っていないことになる。
べつにリザから依頼を受けたわけでもフラグを回収しようとしているわけでもない。
今日はイブの個人口座の開設と、銀行の使い方を教えに来たのだ。
リザに銀行の話を出されて思い付いたというのはあるが。
「ぎんこーってなに?
美味しいの?」
「ある意味な。
食べ物を買うための金を貯めておくところだ」
「なるほど!
ちょー大事!
マジ覚える!」
……どこでそんな言葉遣いを覚えた?
食べ物と結び付けたのは正解だったな。
イブは自分が興味のあることに関してはとてつもないパワーを発揮する。
「おはようございます。
本日はどういったご用件でしょうか」
「この子の口座を作りたい」
順番がきて呼ばれたのでイブとともに窓口に行く。
窓口の女性は少し身を乗り出してイブを見つけると、にこっと優しく微笑んだ。
「かしこまりました。
それでは、こちらにご記入を。
本日は身分を証明するものをお持ちですか?」
「……あ」
「はい?」
しまった。
俺は免許証を持っているが、イブには身分証と呼べるものがなかった。
……本当は警察という身分すら明かしたくはなかったが、ここは仕方あるまい。
「……これで頼む」
俺は出そうと思っていた免許証をしまい、代わりに警察手帳とイブの保護観察証を提示した。
この場合の保護観察証というのはいわゆるやらかしたガキ用ではなく、被害者救済措置による保護観察の証明書にあたる。
自立支援のために一時的な身元の証明としても使うことができる。
公的機関や銀行なんかではこれで理解してくれるのだ。
「あ……、承知しました。
では、確認しますので、その間にこちらにご記入をお願いします」
「……ああ」
窓口の女性はイブに少しだけ憐れみの目を向けたあと、すぐに業務に移った。
イブにその目を向けさせたくなかったから出したくはなかっんだが……。
俺は用紙を記入しながら、チラリと横目でイブに視線を向けた。
「……メロン、いちご、ぶどう、りんご。
夢のようなラインナップ。
ここは楽園か……」
「……はぁ」
イブは窓口の横に置かれたサービスの飴に釘付けだった。
余計な気を回して損したな。
「これ、なんて書いてある?」
「ん? ああ、『ご自由にどうぞ』みたいな意味のことが書いてあるんだ」
イブはまだ読み書きが微妙だ。
やたら難しい言葉を理解できたと思えば、幼い子供が習うような文字を読めなかったりする。
おそらく本当に必要な言葉しか教えられなかったのだろう。殺し屋としての。
「……何個でもって、マジか。
ここに住もうかな」
「……一応言っておくが、何個でもいいってわけじゃないからな。
あくまで良識の範囲内。
1個か2個にしとけ」
あと、ここには住めないぞ。
「そんなぁ、後生でござるよ~」
……だからどこでそんな言葉を覚えた。
しばらくして窓口の女性がこちらに戻ってきたが、それとほぼ同じタイミングで4人組の男が銀行の入口から新たに入ってきた。
ガラス張りの壁の外には同じような雰囲気の男が他にも数人確認できた。
「……」
俺はそいつらを確認すると静かに席を立った。
「あ、お客様?」
窓口の女性が席を離れようとする俺に不安げに声をかけてきたので、俺は彼女に笑みを向けた。
「すみません。
この子がお手洗いに行きたいようで。
お借りしても?」
「あ、そうでしたか。
それでしたら、あちらの角を曲がった奥にございます」
「ありがとうございます。
すぐに戻ります」
俺は窓口の女性にお辞儀をして、イブを連れて席を離れた。
イブは俺が手を引くと、何も言わずについてきた。
トイレへの道を少し歩いたところでイブが口を開く。
「……べつにトイレ行きたくない」
「……わかってんだろ。
着くまでは目線を向けるな。
これは命令だ」
「了解」
イブは俺の言動の意味を理解しているようで、命令と告げると真っ直ぐトイレの方向だけを見て歩いた。
途中で銀行の見取り図があったので、俺はそれを瞬時に記憶してからトイレに向かった。
「……よし、誰もいないな」
俺とイブは男子トイレに入ると、すぐに中に誰もいないかを調べた。
男子トイレは入口から入って右手前に手洗い場。その奥に個室が3つ。
左手前には掃除用具入れがあり、その奥に小便器が4つ並んでいた。
一番奥の壁にはくもりガラスの窓が1つ。
順に調べたが、内開きの扉の、3つの個室もすべて空いていた。
「……」
上を見上げると、換気口とケーブルなんかを整備するための作業口が1つずつ天井についていた。
「……!!」
「……!!!」
「きゃーーーっ!!」
「……始まったな」
そこまで確認し終わると、トイレの外、俺たちがさっきまでいたフロアで誰かが叫ぶ声が聞こえてきた。
女性の悲鳴も聞こえる。
「……さっきのおっさんたち?」
「そうだ。
リザが言っていた連中だろうな」
近頃、巷を騒がせていた連続銀行強盗とやらだろう。
一応、バッティングしないように今までの傾向を調べてから来たつもりだったんだが、まさか日時までバッチリ合ってしまうとはな。
連中の今までの傾向からすると、もうひとつの新しくて大きい方の銀行を襲うはずなんだが……。
何か意図があるのだろうか。
「……まあ、今それを考えても仕方ないか」
「どうするの?
窓から逃げる?」
「ん? ああ」
俺は余計な考えを振り払うようにイブの問いに答える。
「たぶんこっちも見張られてるからやめた方がいいだろう。
下手に目立ちたくはないし、警察である所の俺からしても俺たちだけで逃げるのは外聞が悪い」
「そか。
なら、どうする?」
イブに再び問われて俺は天井を指差した。
「隠れてやり過ごす」
「退治とかするんじゃないのか」
「……したいのか?」
イブが少し残念そうな顔をしているが意外だった。
イブは本質的に殺し屋だ。
その考え方も含めて殺し屋としての答えを持っているし、判断の仕方も俺と似ていると思っていたから、正義感のようなものを見せてくるとは思わなかった。
俺たちは殺し屋。
ヒーローではない。
たしかに武装した程度の素人なら抑えるのは難しくないが、わざわざそんなリスクを負う必要はない。
プロは自分の身を守る時でもなければ、金にならない殺しはしない。
イブはその考えをしっかり刷り込まれているものと思っていたが……。
「……んー、わかんない」
「……わからない?」
「ただ何となく、飴玉をいっぱい貢いでくれるお姉さんが可哀想かなって思っただけ。
でも別にどっちでもいい。
わざわざ自分の命を危険にさらすほどのことでもない」
「……ふむ」
きちんとリスクヘッジの判断は出来ている。
個人的な感情で判断が揺らいだが、自分の中で結論は出ていた。
口に出すことでそれに決着をつけようとしたといった所か。
まだまだ子供だが、まあ悪くはない。
……それに……そうだな。
「……とりあえずは隠れるぞ」
「……どっちに?」
イブは右手で換気口を。
左手で作業口を指差した。
「……どっちがいいと思う?
イブが選んだ方に隠れよう」
「……ん~、じゃあ……」
「誰かいますか~!!」
「いや、返事するヤツなんていねーだろ!」
「それもそーか!」
「ぎゃはははははっ!」
「「……」」
俺とイブが隠れてすぐ、トイレに2人の男が入ってきた。
俺は隙間から男たちを観察する。
2人とも銃を携帯している。
1人はTEC-DC9。
拳銃に近いが、短機関銃に分類されるセミオートの銃だ。
もう1人はVz 61。別名スコーピオン。
軍用短機関銃。
どちらも比較的小型で、かつ安価で手に入りやすい。
三下に大量にバラまくにはうってつけだな。
それはつまり、背後にそれなりの組織がいるということだ。
「めんどくせーなー。
全部屋ちゃんと確認しろとか、リーダーも人使いが荒いよな~」
男たちはトイレ内を適当に見回したあと、ダルそうに小便器で用を足していた。
「仕方ねーだろ。
上からの指示に従っときゃ金が手に入るんだ。
やることはやっとかなきゃな」
「……」
上からの指示、ね。
やはりリザの言うように、何らかの組織が何かしらの目的を持ってこいつらに銀行を襲わせているのか。
こんな質の悪い奴らを使ってまで、何が目的だ?
「んーで?
あとはどこを調べるんだっけ~?」
用を足し終えた男が入口に向かいながらもう1人に尋ねる。
手は洗っていないようだ。
「おい、待てよ。
掃除用具入れとか天井の換気口とかも調べろってリーダーが言ってただろ」
「あ~、そうだったな~」
「「……っ!」」
「おりゃっ!
ほら、俺が見張っとくから見ろよ」
男の1人が掃除用具入れの中を確認したあと、それを引き倒した。
それに乗って天井を確認しろということのようだ。
「ちぇ。
なんかめんどいのばっか俺の番の時に来てねーか」
もう1人の男は文句を言いながら掃除用具入れに乗り、天井の換気口を押し開けた。
「よっ、とぉ。
だーれもいねーよ」
男はそこによじ登ってライトで中を適当に照らすと、すぐに降りてきた。
「じゃ、次はそっちだ」
「やれやれ。
早く戻って楽しみてーよな~」
「……」
男は作業口に向かいながら下卑た笑みを見せた。
「楽しむのは金を奪ってから警察が来る15分前までだ。
時間は十分にあるから心配するな」
もう1人の男もそれに同調したように嫌な笑いを見せる。
「この日のために我慢してたからよ~。
けっこう女多かったし、早く戻りてぇ~」
「だから早く終わらせようぜ。
女たちが俺たちを待ってるぜ~」
「いぇ~……い、ぎゃふんっ!?」
なっ!
ニヤニヤ笑いながら作業口に入ろうとしていた男の股間を、掃除用具入れに入っていた箒の柄でイブが思い切り殴り付けた。
「な、な、な、なんだおま……ぎゃっ!」
「やれやれ……」
もう1人が慌てて銃をイブに向けようとしていたところを、俺がため息をつきながら首に手刀を落として気絶させる。
俺たちは内開きの個室の扉と壁の間に潜んでいた。
イブが一番奥。俺が真ん中だ。
天井の換気口や作業口は人が通れるほど広くない場合が多いし、他の部屋に繋がっていないことがほとんどなので、映画などのように隠れたり逃げたりするのには実はそれほど向いていない。
ここなら動きやすいし、見つかっても倒せばいいだけだったからここに隠れることにしたのだ。
イブの判断は正しかった。
……のだが、イブは自分から飛び出して男たちを伸してしまったのだ。
「……まったく。
気持ちは分かるが、直情的に動くのは褒められたものじゃないぞ」
俺はイブに注意しながら股間を押さえてうずくまる男を拘束した。
「……ごめん。
気持ち悪すぎた。
謎の正義感がこのキモ男を殺せって言ってきた」
イブはいつの間にかナイフを持っていた。
山での訓練以降、イブに携帯させているナイフだ。
俺が飛び出さなければイブはそのナイフを男の首に這わせていただろう。
「はぁ。
まあその正義感を否定するつもりはないが、殺したらダメだ」
「……なぜ?」
「自分を守る時以外は金にならない殺しはしない。
そうでないと、俺たちはただの殺人鬼になっちまう。
それに、聞いておきたい情報もある時はすぐに殺さないことだ。
覚えておけ」
「ふーん。
おけ」
イブはこくりと頷くとナイフを懐にしまった。
俺の意見を理解したようだ。
自分のスタイルをどうしようが個人の勝手だが、俺に教えを請うのなら俺の考えを伝える。
どうしていくのかはイブが考えることだ。
俺はとにかくイブの引き出しを増やしてやることに徹するのがいいだろう。
その結果、イブが金にならない殺しもするような殺し屋になったとしても、それはイブのスタンスだ。
俺が口を出すことではない。
「……」
俺は何となく胸に広がるモヤモヤを見て見ぬふりをして、男に目線を落とした。
男の腕を背中に回して押さえ付けた俺は男の耳に口を近付ける。
「仲間の数と配置を教えろ。
素直に答えれば痛い目を見なくて済むぞ」
そう言って男の腕を捻る。
このままさらに捻れば腕は簡単に折れる。
「や、やめてくれ!
話す! 話すからよぉ!」
男はあっさりと内情を話した。
自分を守るためなら仲間などすぐに売る。
しょせんは覚悟のない連中だ。
「……ふむ。
もうひとつ聞きたい」
押し入ってきた強盗の情報を聞いた俺は男の腕をそのままに質問を続けた。
「……な、なんですか?」
男はすっかり怯えた様子で、震えながら俺の問いを待った。
「なぜ、金を奪ってから警察が来るまでの時間が分かる?
いつ通報されて、いつ警察が出動するかが分かるってことか?」
「……!」
俺の質問に男は驚いた顔をしてみせた。
先ほどの会話を聞かれていないとでも思ったのか?
「……そ、それは」
「簡潔に答えた方が身のためだぞ」
俺は言い淀む男の腕をさらに捻ってみせた。
「ぐぅっ!
し、知らねえんだ!
リーダーが!
リーダーがいつも引く時間を教えてくれる!
時間まで正確にだ!
俺は知らねえ!
ホントだ!
ホントなんだ!」
「……ふむ」
男は痛みに声をあげながらも必死に説明していた。
どうやら嘘は言っていないように見える。
俺は男の腕をパッと放した。
「あっ……」
「……よっ、と」
「ぐぎゃっ!!」
そして、男がほっとした所で俺は男の首を折った。
男は驚いたような声をあげたが、すぐにぐたっと力を抜いて地面に崩れ落ちた。
「……殺してるやん」
「こいつは一般人ではない状態の俺たちの顔を見た。
だから生かしてはおけない。
これは俺たちの身を守るための殺しだ……ぞっ、と」
俺はそう言いながらもう1人の男の首もへし折った。
「ならいっか」
「ああ」
俺はたいして気にも留めていない様子で飴玉を口に放り込んだイブを放って、男たちが持っていたカバンを探った。
「……よし、おあつらえ向きのがあったぞ」
「……なにそれ」
俺はカバンから目出し帽を取り出して持ち上げてみせた。
イブが嫌な予感がするとでも言うように顔を歪めている。
「やってしまったならやるしかない。
とはいえ、身バレはしたくはない。
これを被って奴らを制圧するぞ、ほれっ」
「……」
俺が目出し帽をイブに投げると、イブは汚いものを触るようにそれをつまんでいた。
「銃は?」
イブが床に落ちている、男たちが持っていた銃を見ながら尋ねる。
「必要ない。
自分たちより相手の数が多く、かつ点在している時は静かに1人ずつ、あるいは1組ずつ消していく方が効率がいい。
針は渡してあるだろ?
室内での中近距離戦ではそれで十分だ」
「了解」
イブは俺の答えを理解し、すぐにこくりと頷いた。
「ほら、いくぞ。
さっさと被れ」
「……はぁ」
俺が目出し帽を被りトイレの入口まで行くと、イブはしぶしぶ長い金髪をヘアゴムでお団子にしていた。
頭の低い位置でまとめて、目出し帽に入れるつもりのようだ。
「……まずはこっちだ」
俺は男から聞いた強盗の情報と銀行の見取り図を照らし合わせながら、鎮圧の順番を組み立ててトイレを出た。
「……くさ。最悪」
イブは文句を言いながら俺のあとをついてきた。
おまけ
「……うう、くさい。
おっさんくさい」
「少しは我慢しろよ」
「……うう。
せっかくの飴玉が台無し。
飴玉でもかき消せないとは、おっさん。恐ろしい子」
「……ったく。
終わったらまた何個か飴玉もらってやるから我慢しろ」
「マジか!
頑張る! 鼻がジャムっても頑張る!」
「……はぁ、やれやれ。
ん? というか、俺もあいつらと同じぐらいのおっさんなんだが、もしかして俺に対してもいつもそんなふうに思ってたのか?」
「ん?
ううん、ジョセフの匂いは好き。
落ち着く」
「……そ、そうか」
「あ、でも仕事終わりのタバコの匂いは嫌い。
あれはマジで嫌い。最悪」
「……さっさと行くぞ」