表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
48/64

48.手にした牙の黒と白

「……」


「ジョセフ! ファイルが!」


「っ!?」


 ファイルに入っていた文章を全て読み終わると、開いていたファイルが強制的に閉じられてしまった。

 画面上のファイルのアイコンも消えている。


「……もう一度開けないか?」


 くそ。ゆっくり考える時間もないのか。


「ちょっと待って……」


 リザがパソコンをいじる。

 が、すぐに手が止まる。


「……ダメね。メモリー内に何もなくなってる。

 ファイルごと消えてるわ。ゴミ箱とかに移動させたんじゃなくて、完全にデータが消去されてるわね」


「……ウイルスの類いを仕込んでおいたのか」


「事前に調べた時には何もなかったわ。

 たぶん、文章を最後までスクロールして数分で発現するタイプだったのね。

 読み飛ばし厳禁だったってわけね」


「逆にそんな読み方をする奴にまともに読ませるつもりはなかったとも言えるな」


「そうね」


 マウロは心理学者だ。

 文字数や内容によって読む人間がどれぐらいの速度で文章を読むかを計算し、ページごとにかかる時間を算出して仕掛けを発動するように仕込んでおいたのかもしれない。

 自身は調べ屋な上に、あのクソジジイの下でやっていたのならそれぐらいやってのけるだろう。信じられない話だがな。


「……ダメね。コピーした方のファイルもいつの間にか消えてる。たぶん、パソコンから取り外して再接続したら発動するようにしてたんだと思うわ」


 リザは別のパソコンでコピーしておいたデータを確認したが、どうやらそちらも消えていたようだ。


「……リザが調べても気付かないレベルの仕込みか」


「……さすがは世界有数の調べ屋ね」


「ここまでするとは、万が一に備えて素性がバレないように証拠を残さないためか」


「それもあるけど……」


「ん?」


「たぶん、イブちゃんのためよ」


「……あいつの、出生の秘密か」


「そう」


 あいつを、世界から守るために。


「同じ人間という種族とはいえ、異なる二種の遺伝子を組み合わせて生み出した人工生命体。

 そんなことが世に知れれば、世界中の科学者がイブちゃんを狙うわ」


「……倫理観を捨てれば、使い道はいくらでもあるだろうからな」


 そもそも単体遺伝子であっても人間のクローンを生み出したこと自体が異常事態だ。

 クローンを人間としないと定め、人体実験や臓器利用に使う国が現れないとも限らない。


「そんな連中に捕まったら、解剖どころで済めばマシといったところか」


 殺さないように注意しながら徹底的に調べられ、そのあとは強制的に子孫を作らせ続けられる可能性さえある、か。クローンに生殖能力があるかは分からんが。

 あるいはシステムを解析し、あいつの遺伝子を培養して作った別のクローンを切り刻むか。

 なんにせよ、ろくなことにはならないだろうな。


「だからこそ、そもそものその情報ごと残さないようにしたのよ。

 たぶん博士(プロフェッサー)がクローンの方の研究を断念したときに、そっちの研究資料を全て廃棄したのもそういうことよね」


「……だろうな。

 あいつはクソジジイだが、生命というものを尊重する気概はあったからな」


 人類には早すぎる技術だという自覚はあったのだろう。

 とはいえ、その上であんなことをしているのだから救いようはないが。


「……だが、そんなリスクを犯してまで、マウロはなぜこんな文書を残したのか……」


「決まってるじゃない。

 貴方がこれを読むって信じてたのよ」


「!」


「最初はいろんな人宛てに書き出しを書いてたけど、最後は完全に銀狼に向けた、貴方に向けた言葉だったわ。

 父親から、父親への、ね」


「……」


「経緯はどうあれ、結果だけを見ればイブちゃんは貴方とマリアの子よ。

 マウロはそう信じて、貴方にあの子を託したのよ」


「……」


「……ねえ、ジョセフ」


 リザの気持ちも、マウロの気持ちも理解は出来る。


 だが、俺は……、


「……その過程を、俺はやはり無視できない。

 やはりあいつと、マリアが腹を痛めて産んだイブとは違う……。

 同じでなくとも俺とマリアの子と言えるのか。それは分からない。

 そこに関して、俺はまだ答えを出し得ない」


「ジョセフ……」


「すまない。それが、今の俺の答えだ」


「ううん。ごめんね、蒸し返して。

 今はこの話はやめましょう」


「ああ……」


 リザには悪いが、これは俺の気持ちが答えを出さなければならない問題だ。


「!」


 そのとき、俺の携帯がタイミングを見計らったかのように鳴った。


「来たか」


 ゼットからの、ボスのアジトの場所を報せる連絡……?


「……いや、これは」


 ではなかった。

 この番号は……


「どうしたの?」


「ロイからだ」


 果たして、それはゼットではなく、ロイの番号からだった。


「……どうした?」


 電話に出る。

 念のため、相手の名前も自分の名前も言わない。

 職業柄、向こうが声を発するまでは誰か分からないことが多いからだ。

 ロイからは普段、仕事以外で俺に直接連絡が来ることはない。何かがあった可能性は高い。


『あ、おっさん。覚えてる?

 俺なんだけどー』


「……」


 そして、その何かがあったようだった。

 電話の相手はロイじゃない。

 だが、知っている声だ。

 俺は一度聞いた声も忘れない。

 俺は電話の声の主を知っている。


「……ジン、だったか」


『お、正解。さすがー』


 特安の依頼で、銃取引を阻止する任務の際に会った、少女のような容姿の少年。

 ガイという名のガタイのいい弟と二人で活動している護り屋だ。


「……ロイはどうした?」


 だが、なぜそいつがロイの携帯から連絡をしてきた?

 あの仕事のあと、こいつらがロイの所の組織の子飼いなことはすぐに分かったが、タイミングがタイミングなだけにロイたちに何かあったのかと勘ぐってしまう。

 こいつらも、『ホーム』から逃げ出した第三世代(サード)なのだから。

 一応、フリーで仕事を受けてもいるようだしな。


『んー? 元気だよー。元気すぎるぐらい。

 毎日、怪我して連れ込んだネエちゃんの所に通い詰めてるよ』


「……そういうことを聞きたいのではない」


『えー?』


 どうやらロイはローズのことを甲斐甲斐しく診てくれていることは分かったが、そうではなくて、ジンに自分の電話を渡して俺に連絡させているのはどういう了見だと聞きたいのだ。


『こらっ! ジンっ!』

『いてーっ!』


「っ!?」


 と、ここでロイの怒鳴り声とジンの悲鳴が耳に飛び込んできた。

 思わず電話を耳から話す。


『てめぇ! なーに人の電話勝手に使ってんだおらぁっ!』

『もー。殴んなくてもいいじゃんかー』


 ロイの声に震えも不安も緊張もない。

 どうやらジンが勝手にロイの携帯から俺に連絡してきただけのようだ。


「あー、ロイ。聞こえるか?

 状況説明を頼む」


『ん? あー、旦那か。

 お前、旦那に連絡してるってこたぁー』

『そ。もうすぐ出来上がるんだよ』


「……何の話だ?」


 出来上がる?

 話が見えてこないぞ?


『じゃ、俺は仕上げに戻るからあとの説明よろしくー』

『あ、てめっ! ……ちっ。もう聞いてやがらねえ』


「……ロイ。説明を」


 悪いがこちらも暇じゃないんだ。


『あー、悪い悪い。

 なんか、ジンの奴が旦那に渡したいものがあるらしいんだ。

 悪いが、今からこっちに来れないか?』


「ロイの所の屋敷に?」


 今はそんな時間は……、


『今だからこそ、旦那に渡したいそうだ』


「!」


 ロイの組織はわりとデカい。

 ボスや俺たちの状況をある程度把握しているのだろう。警察や特安の動きも。

 それでもなお、俺にそれを取りに来いと。

 それだけの価値があるということか。


「……分かった。これから向かう」


『ああ。待ってるぜ』


 電話を切る。


「ロイ、なんだって?」


 リザがコーヒーのカップを片付け終えて戻ってくる。

 ただの電話ではなかったことは分かっているのだろう。


「屋敷に来いと。これから行く。

 リザ。一緒に来てくれ」


「え、私も?」


 留守番だと思っていたリザは驚いたような表情を見せた。


「そうだ。

 すぐに出る。準備をしてくれ」


「……分かったわ」


 余計なことは聞かずにすぐに動いてくれる。

 こういうときのリザにはいつも助かっている。


「……」


 このタイミングで、ジンは俺に何を渡すと言うのか。













「よー。旦那。

 早かったな」


「ああ。邪魔するぞ」


 屋敷に着くと、さっそくロイが出迎えてくれた。

 横にはジンの弟であるガイがいる。

 ガイは相変わらず無表情で俺を見下ろしていた。


「……」


 敵意はないが、やはり威圧感は凄いな……ん?


「……ふぁ」


 あくび……これは寝起きなだけか。


「それで?

 肝心のジンはどうした?」


 呼び出しておいて出迎えに来ないのか?


「ああ。奴は今集中していてな。

 ああなるとメシも食わねえし話も通じねえんだ」


「……集中?」


「ま、作業場に行こうぜ。

 もう終わるみたいだからよ」


 屋敷に戻っていくロイについていく。

 どうやらジンのもとに向かうらしい。


「作業場、か」


 いったいなんなんだ。






「そういや、リザも来たんだな。

 お前が旦那についてくるのは珍しいんじゃないか?」


 廊下を歩いていると、ロイがリザに話を振った。

 たしかに、二人が会うのはずいぶん久しぶりな気がする。


「ええ。ジョセフがついてこいって言ったのよ」


「旦那が?」


 二人が俺を見る。

 説明しろ、ということらしい。

 ちょうどいい。せっかくだから話しておこう。


「……ロイ。事が終わるまで、リザをここに置いておいてくれないか?」


「ジョセフ?」

「ここにか?」


 二人が意外そうな顔をする。

 それもそうだろう。

 銀狼のブレーンともいえるリザは基本的に表に姿を出さすに潜んでいることが多かったからな。

 だが、


「ああ。相手が相手だ。

 俺がアジトに乗り込んでいるうちにリザに手を出してくる可能性はゼロじゃない。どこかに潜んでいてもな。

 ただでさえ、リザはボスに顔が割れている。

 ここならリザも安心して過ごせるだろう。ローズもいるしな」


 狡猾なボスのことだ。

 リザが銀狼と繋がっていることは知らずとも、イブを教育していく上で仲の良かったリザを使おうと考える可能性は高い。

 解体(バラシ)屋のような奴がいる組織に、万にひとつもリザを連れていかれるわけにはいかない。


「俺は構わねえぜ。

 旦那には借りが山ほどあるし、リザがいればローズも喜ぶだろうからな」


「ありがとう。恩に着る」


 二つ返事でオーケーしてくれたロイに礼を言う。


「ジョセフ……」


「リザ。すまない」


 リザに顔を向ける。

 何となく予想はしていたという雰囲気の表情。


「ここで待っていてくれ。

 必ずあいつを連れて帰ってくるから」


「……うん。分かった。

 ジョセフの足を引っ張りたくないもの。

 ここで待ってるわね」


「ああ……」


 自分が捕まりたくないからではなく、俺の邪魔になりたくないから、か。

 リザには本当に頭が上がらないな。


「よし。じゃあ行くぞ」


 そうして、ジンがいるという作業場へと再び歩を進めた。







「ジン。旦那を連れてきたぞ」


 ロイが作業場とやらの扉を開ける。


「……っ」


 暑い、いや、熱い。

 扉を開けた瞬間、猛烈な熱気が部屋の中から飛び出してきた。


「……これは、鍛冶場か」


 ふいごに丸頭ハンマー、平頭ハンマー。大ハンマーは壁に立て掛けられている。丸太製のハーディーログにはいくつもの道具がある。炉はレンガ製。

 ずいぶんとオールドスクール(昔ながら)な鍛冶場だ。

 こいつらの経済力ならエレクトロニクスを導入したような最新式の鍛冶場を建造することぐらいワケないだろうに。


「おい! ジン!

 聞いてんのか!」


「……」


「はぁ。ダメだこりゃ」


 ロイが大声をあげるが、ジンは一心不乱にハンマーを振り続けていて聞いていないようだ。


「少し待つか」


「分かった」


 結局、ジンの作業が終わるまでそこで待つことにした。


「ねえ。私はローズの様子を見に行きたいわ」


「ああ。そうだな。会ってやってくれ。

 今は離れで療養してんだ。

 ガイ。案内してやってくれや」


「了解」


 どうやらローズはこの屋敷にいるらしい。

 ガイの案内のもと、リザはこの場を離れた。

 ローズの様子はあとでリザに聞けばいいか。

 時間があれば俺もあとで会いに行こう。





「……っし! 終わりっ!」


「!」


 やがて、ジンがハンマーの最後の一振りを終えて声を発する。

 先ほどから熱して叩いて冷ましてまた熱してを繰り返していたが、どうやら全ての行程が終了したようだ。

 研磨も終え、作品を送風機に当てている。


「ふぅー。暑い暑い」


 ジンは作務衣をはだけてパタパタと仰いだ。

 全身が汗だくのようだ。

 長い黒髪はポニーテールにしている。

 胸元をはだけていても少女に見えるのだから不思議だ。

 その手の嗜好を持つ輩に苦労……はしてないか。すぐに殺してそうだな。


「あれ。おっさん、来てたんだ」


 そこでようやくジンは俺たちの存在に気付いたようだ。


「お前が呼んだんだろ」


 本当に何にも気付かないほどに集中していたのだろう。


「そうだった。ごめんごめん」


 ジンはタオルで軽く全身の汗を拭くと、それをそのまま首にかけて水を飲んだ。

 声も見た目も少女だからギャップがすごいな。


「お前、鍛冶をやるのか」


 暗器使いなのだから武器の扱いには精通しているのだろうが、自作もするのか。


「まーねー。てか、こっちが本業なんだよね、俺」


「鍛冶が本業?」


 護り屋ではなく?


「あ、本業ってか、武器の扱いとか製造に特化した第三世代(サード)なんだよ」


「……そういうことか」


 一芸特化の第三世代(サード)

 壊し屋がパワーに、ゼットが頭脳に特化しているように、ジン・ガイ兄弟も何かに特化した存在なんだったな。

 ジンの場合はこれというわけか。


「それにしては……」


 周囲をぐるりと見渡す。


「ずいぶん古風な鍛冶場を使ってるんだな」


 最新式にすれば負担も減るだろうに。

 クソジジイが作った存在なら、そういうのにも対応できるように出来ているはずだしな。


「あー。結局、腕の差を出すにはローカルな方がいいんだよね。

 最新式の鍛冶場なら誰でも簡単に大量の武器を作れるけど、武器自体の性能も平均を上回ることはない。

 銃とかならまだしも、刀剣類に関してはこっちの方が良いのが出来るんだよ」


「なるほどな」


 使い込まれ、煤にまみれた工房。

 自分の力を最大限に活かすための環境なわけか。


「それで?

 俺に渡したいものってのは?」


 もう大方の予想はつくが。


「あ、その前に」


「ん?」


 ジンは改まって俺に向き合った。


「俺たち護り屋は今回の件において、あんたの敵にはならないよ」


 ジンは真っ直ぐに俺の目を見てそう言った。


 「……」


 この言い方……、


「……ボスから、依頼があったのか?」


 つまり、敵になる可能性があったということだ。


「そ。でも俺たちはその依頼を断った。

 だから俺たちがあんたと敵対することはないから安心していいよ」


「……なぜ断った?」


 たしかに、こいつらが向こうにいるのといないのでは成功率は段違いだ。

 それは助かるが、なぜ依頼を断ったのか。

 この口ぶりからして、何度かボスからの依頼を受けていたようだが。


「俺たちは護り屋。

 今回のあの人の依頼は俺たちの仕事じゃなかった。それだけだよ」


「……」


 ボスはいったいどんな依頼をしたんだ。


「ボスはね、キャシーって女の子を銀狼から護ってほしいって依頼をしてきたんだ」


「!」


 なるほど、そうきたか。

 だが、


「……人の依頼を勝手に話していいのか?」


 たとえ破談になった依頼だとしても、それを依頼に関係のある俺に話すのはマナー違反というものだと思うが。


「いいんだよ。

 あの人、俺たちが断ったことにだいぶご立腹っぽかったから、事が終われば俺たちを始末しようとするかもしれない。

 もちろんそんなの返り討ちにするけど、面倒だからあんたがあいつらを滅ぼしてくれるならそれがベストなんだ」


「なるほどな」


 今はこの二人を相手にして戦力を減らしたくない状況だが、基本的に依頼を断った奴は生かしておかないスタンスなのか。とことんだな。


「……だが、なぜ断った?

 そうなるリスクは重々承知だろう?

 報酬もそれなりに破格だったはずだ」


 この兄弟が味方につけばあちらの戦力は大幅アップなわけだからな。


「まーねー。

 通常の三十倍の報酬を提示されたよ。しかも前金で半分。

 あっちはマジで全部を投げ出すつもりだね」


「……破格すぎるな」


 逆に不信感を抱きそうだが、まあ、ボスの人となりを分かっていれば断るリスクの方が高いのは自明の理か。


「……ならば、なぜ断った?」


 質問を重ねる。


「んー……キャシーってさ、あの子だよね?

 あんたがイブって呼んでた」


「……ああ」


 状況的にそう推察するのは自然なことか。


「ボスは、せっかく取り返した大事なキャシーを銀狼が奪いに来るって言ってた。

 たぶん、ボスはあんたが銀狼だって知らないよね?

 あの警官はきっと銀狼にそう依頼する、とも言ってたから。

 あ。あんたが警官なのはロイの旦那に確認したよ」


「……ああ」


 ジンとは初めから銀狼として接したが、すぐにボスとの認識の差異に気付いて合わせてくれたのか。

 だてに場数を踏んでいないな。


「だが、それがどうして依頼を断ることになる?」


「……俺は、奪ったのはボスの方で、奪われたのが銀狼、あんたの方なんじゃないかと感じた」


「!」


「俺たちは護り屋。

 でも、奪ったものを護るのは信条に反する。

 だから俺たちは依頼を断った。

 もちろん面倒だからそれをボスには言ってないけどね。スケジュールの都合とか適当に理由つけたよ」


「……」


 どちらが奪って、どちらが奪われたのか……。


「……ボスにはね、あの子に対して支配欲しかないよ。

 ただ自分の思い通りにしたいだけ。

 そのために愛だの絆だの、鳥肌が立つような美辞麗句を並べ立ててね」


「……」


「で、俺たちは短い時間だけど、あんたとあの子が一緒にいる所を見てる。

 その短い時間だけでも分かったよ。

 あんたたちの間には明確な信頼関係があった」


「!」


「それがどういう名前の関係性かは俺には分からないけど、あのときの二人を見て、そのあとロイの旦那とかにも話を聞いて、その上でボスの話を聞いたら、どっちが奪われたのかはすぐに分かったよね」


「……」


 信頼関係、か。


「……なんか分かんないけど、あんた悩んでるよね?」


「!」


 そんなに分かってしまうほどに雰囲気に出ていただろうか。


「あんたが何に悩んでるのか分かんないし興味もないけど、そんなんだとボスに負けるよ。殺される。

 ボスは自分を改造してる。たぶん、あんたに対抗するために。

 第二世代(セカンド)だからってナメない方がいい。

 たぶん、ガイとか壊し屋に匹敵、あるいはそれ以上に強くなってると思った方がいい」


「……そう、だな。

 まずは奴を始末することを優先して考えなければ」


 今はあいつのことは考えないようにすると決めたはずだろ。

 俺の目的は復讐。ボスを殺すことだ。

 ……あいつのことは、そのあとでいい。


「……んー。重症だなー」


「なんだ?」


「いんや、なんでも」


 ジンが頭をがりがりと掻く。

 いったいなんなんだ。


「ま、いいや。

 とりあえずこれ、渡しとく」


「……これは」


 ジンは先ほど出来上がったものを渡してきた。


「……ナイフか」


 それは二振りのナイフだった。

 一つは全体が真っ黒な、重厚なナイフ。

 刃が分厚い。重さもかなりあり、慣れるまでは振り回すのに難儀しそうだ。

 もう一つは柄が白く、刃は透明に思えるほどに薄いナイフだった。

 とてつもなく軽く、振り方を間違えればそれだけで刀身が折れてしまいそうだった。

 どちらも刃渡りは十五センチほど。


「あげるよ。

 ホントは両方の特性を合わせ持った究極の一本を打ちたかったんだけど、俺の技術を持ってしても今はまだそれが限界なんだよね」


 武器製造に特化したジンの技術で作られたナイフか。


「それは黒刀と白刀。

 黒刀の方はとにかく頑丈で重い。刃で斬るっていうよりは重さと力で叩き斬るって感じ。

 あんたなら、たぶんナイフだろうと日本刀だろうとそれで叩き割れるよ。

 うまくやれば斧とかハンマー相手でも打ち合えるぐらいには頑丈だよ。

 で、白刀の方は切れ味最特化。

 たぶんあんたなら鉄でもコンクリでも切ってみせるんじゃないかな。

 その代わり酷く脆い。

 たぶん一回使えば刀身が砕け散る。

 ガラスの剣みたいなもんだと思って。切り札って感じだね」


「……凄いな」


「でしょー?」


 俺が普段使っているナイフもそれなりに優秀なモノだが、これは慣れさえしてしまえばメイン武器として十分威力を発揮するだろう。


「もらっていいのか?」


「うん。あんたには俺たちのためにもボスを殺してほしいからね。

 スポンサーからの提供みたいに思っといてよ」


「分かった。ありがたく頂戴する」


 変な仕掛けの類いはない。

 こいつらが本当はボスの依頼を受けていて、ナイフに何らかの仕掛けをしているということはないようだ。

 本当にジンが言った通りの効能を持ったナイフというわけだ。

 ありがたく使わせてもらおう。


「ところで」


「んー?」


 付属の鞘も受け取って懐に仕舞う。


「ボスが自分を改造していると言ったな。

 どれぐらい強くなっているか見当はつくか?」


 参考程度に聞いておきたい。


「んー……あんたはさ、ガイが何に特化しているか分かる?」


「……?」


 質問に対してその問いで返す意味はなんだ?

 まあいいか。


「……見た感じ、身体能力全般といったところか」


 ガタイ、パワー、スピード、反応速度。

 どれを取っても一級品だろうな。


「まあ正解。

 でもさ、それっておかしいと思わない?

 俺たち第三世代(サード)は一芸特化のはずでしょ?」


「……!」


「壊し屋だったらパワー。俺だったら武器の扱い製造、みたいに」


「……確かにな」


 言われてみればそうだ。

 ガイだけが異常なほどに強い、というか、一芸の適用範囲が広すぎる。


「……ガイには弱点があるんだ」


「弱点?」


「……バカなんだよ」


「は?」


「圧倒的な身体能力。

 それと引き換えに圧倒的にセンスがない。

 武器が使えないんだ。

 パーフェクト脳筋、みたいな?」


「そういうことか」


 弱点があるから特化している範囲が広い?

 そういうことなのか?

 だがそれは、今までの第三世代(サード)とは何か違うような……。


「……ホントはさ、俺とガイって一人で産まれてくるはずだったんだ」


「!」


「もともとは俺がガイの資質も持って産まれる予定だったんだけど、俺は未熟児だった。

 だから死産になる予定だったんだよ。

 だけど俺は産まれてしまった。そして、武器センスの才能を持って産まれてしまった。

 それでそのあとに産まれたガイには、残りの身体能力全般の才能があった」


「……」


 あのクソジジイは、すでにそこまで任意で人の資質を操作できるようになっていたのか。


「分かる?

 ガイは第三世代(サード)の集大成になる予定だったんだ。完成間近だったんだよ。

 俺たち第三世代(サード)の一芸を集約し、あらゆる全てにおいて銀狼を超越する第四世代(フォース)の完成は。

 ま、その前にあんたが『ホーム』も博士(プロフェッサー)も滅ぼしたからそれは生まれてないんだけどね。

 わりとギリギリだったんだよ、あんた」


「……そうだったのか」


 もしもそんなのが作られていたら俺に勝ち目はなかったな。

 そうして俺が負け、そんなレベルの存在が大量に生まれていたとしたら、今ごろ世界の在り方は変わっていたかもしれない……ま、たらればの話をしても意味はないか。


「まあ、もしもそんな化け物みたいのを作れるようになったとしても、博士(プロフェッサー)が本当にそれを作ったかどうかは分からないけどね」


 ジンが両手を後頭部に持っていき、天井を見上げる。


「……どういう意味だ?」


「知ってるでしょ?

 博士(プロフェッサー)はあくまで人間の最高到達点を作りたかったんだ。

 博士(プロフェッサー)は言ってた。

 あまりに突出しすぎると、それは心を失うだろうって。そんで、それを私は人間とは呼べないって。

 欠落した部分があり、手に入れては失うを繰り返すことで人間は強くなる。それこそが人間の美学だって。

 だから、あまりに完璧すぎるモノはそれ以上に強くならない。それは自分の求めるものじゃないってね。

 だから、ミスで生まれた俺のこともあの人はけっこう大事にしてくれたよ。訓練は地獄だったけどさ。


 ……こんな、ガイのものを奪って生まれた出来損ないの俺を、さ」


「……それはなんと言うか、たしかにあのクソジジイらしいな」


「でしょー?」


 ジンはカラカラと笑う。

 どうやらこいつはあのジジイのことをわりと慕っていたようだ。

 それなのに俺に手助けをするというのか。

 クソジジイの仇である、俺を。


「あ、言っとくけど、博士(プロフェッサー)にはそれなりに感謝はしてるけど別に大事には思ってないよ?

 やってることはクソだし。あんたがぶっ殺す気持ちも分かるから。

 それに俺は今回は、利害であんたに手を貸すの。

 その辺、割り切るの、あんたなら分かるでしょ?」


「……ああ、そうだな」


 こいつは、立派なプロってわけだ。

 個人的な感情ではなく、ただ利害が一致するから手を貸す。仕事は仕事。

 そのスタイルには少なからず好感が持てる。


「あ。で、そうそう。

 ボスの強さだけどさ。

 ガイが言ってたんだけど、ボスはたぶん自分と同じぐらい肉体が強いってさ。

 博士(プロフェッサー)の最終作品といってもいいガイに匹敵するレベルってこと。

 で、ボスはガイと違って普通に武器の類いを使う。

 この意味、分かるよね?」


 身体能力全般が圧倒的に秀でているガイが容赦なく武器を取り回してくるってことか。

 それはもはや、クソジジイが目指していた第四世代(フォース)ってやつなんじゃないだろうか……。


「……だが、奴はどうやってそこまでの強さを?」


 そこそこ予想はつくが……。


「まあ、クスリだろうね」


「やはりか」


『ホーム』での研究成果も、秘密裏に研究していたというクローン技術についても、その全ては今この世にない。

 つまり博士(プロフェッサー)の研究成果をボスは一切引き継いでいないということだ。

 そんな状況のボスにとって、唯一のクソジジイの研究成果として手元にあるのは壊し屋だ。

 壊し屋の強さの大半は過剰なドラッグ投与によるもの。

 即物的な強さを求めたとき、ボスがそれを参考にするのは想像に難くない。


「……今さ、巷にほんの少しだけ流れてるクスリがあるのは知ってるよね?」


「発火(ドラッグ)。通称『花火』か」


「そう」


 警察の方でもごく稀に、人の力では不可能に思えるような破壊行為に及ぶ者が逮捕されているのは確認している。特安の根回しによって表沙汰にはなっていないが。

 だが、まだ試験段階のようで、その数はごくごく少数だ。


「それの出所もボスなのか」


 それは特安も躍起になるな。


「たぶんね。

 それを服用すれば、人は一時的にガイに匹敵する身体能力を得るみたい。

 でも花火だからさ。発火したらそれはすぐに爆発しちゃう。

 長くはもたないんだよ」


「らしいな」


 逮捕した奴も、取り調べを行う前に心臓が破裂して死んだと裏の調書に書いてあった。


「……ボスが、それを使っているというのか?」


 命がけだと言うのか?

 ボスの目的は俺を殺すことだけではないように思うが……。


「うーん。たぶん、使ってるのは類似品なんだと思う。

 花火ほどパワーはないけど死にはしない、みたいな?

 とはいえ負担は凄いだろうけどね。

 あとは他にもいろいろ手を出してるのかもね。死なない程度に。

 とにかく、ボスはそれだけ強いよってこと」


「……そうか。分かった。

 情報提供感謝する」


「ユアウェルカーム」


 ともあれ、用心することに越したことはないということか。















「フンフン、フフーン」


 アジトの一室で、ボスは機嫌良さそうに鼻歌を口ずさんでいた。

 ナイフを持った手元では赤い液体が散る。

 そのナイフを握る手には不自然なほどに血管が浮き上がっていた。


「キャシー。今の気分はどーだー?

 自分が化け物だと知ってよー」


「……」


 その傍らにはイブが静かに立っていた。

 その綺麗な顔に表情はなく、どこともつかない空間をただ見つめていた。


「……キャシー。返事しろー」


 ボスはテーブルに置かれた肉に持っていたナイフを勢いよく突き刺す。


「……申し訳ありません」


 ドンッ! という音が響いても、イブは眉一つ動かさない。


「ほら。答えろー。二度は言わせるなー」


 ほとんど生の肉の塊を持ち上げると、ボスはそれにかじりついた。

 肉から滴る血がボタボタとテーブルを汚す。


「……いや、なにも。

 私には、なにもないから……」


「ほーん」


 ボスは肉を引きちぎり、くちゃくちゃと咀嚼しながらイブを見上げる。

 イブは視線を動かすこともなく、ただ静かにそこにいた。


「はぁ。つまらん。

 そんなにショックだったのかねー」


 反応を示さないイブにボスは呆れた表情を見せた。

 下手に反応したとしたら反抗的だと激昂するのだとしても。


「俺は嬉しかったけどな。自分が化け物だと知って」


「!」


 肉をかじり続けるボスにイブはゆっくりと視線を向けた。


「他の人間どもと違うんだぞ?

 それはつまり、俺たちは選ばれたってことだろ。神に、そして親父に。

 俺たちは他の人間とは違う。

 俺たちは新たな人類なんだよ。

 分かるか?

 俺たちは性行為なしに自身を増やしていくことが出来る。

 圧倒的に効率的だ。

 しかもお前は単一遺伝子の連続性による脆弱化さえ克服した、二種の遺伝子の合成体。

 分かるか?

 俺たちは新人類のアダムとイブなんだよ。

 だが、俺たちは家族だ。

 人類のように下世話な性行為なんてしない。

 しなくても俺たちは増えることができる。

 分かるか?

 俺たちは選ばれたんだ」


「……はい。ボス」


 それはイブの期待した答えではなかった。

 期待することなど、とうに失ったはずなのに。

 イブは心をさらに殺さなければと自身に言い聞かせた。


 望みはない。

 救いはない。

 希望など無意味。

 光などない。

 自分には、何もない。

 ただボスの命令に従うだけ。

 それが、自分なのだと。

 心を殺してボスに従っていれば、もう傷付くことはないから、と。


「……」


「あーあ。早く銀狼来ねーかなー。

 銀狼もこうやって食ってやりたいぜー」


 ボスは恍惚とした表情で血の滴る肉を眺めていた。


「……」


 銀狼。

 どこかで聞いたその名を。心の奥底に眠る微かな光を。

 イブは立ち込める闇に押し込めて蓋をしたのだった。




おまけ



「ジン。何をしている?」


「んあー?」


 工房で新たな作品に着手し始めたジンにガイが尋ねる。


「銀狼のおっさんにプレゼントしようと思ってなー。

 今の俺の最高傑作を作るつもりだ!」


 いくつもの金属を選びながらジンは楽しそうに答える。


「……俺も手伝えたらいいんだが、俺は馬鹿だからな」


「ははっ。ガイは不器用が過ぎるよなっ」


 ガイに背を向けながら軽く笑うジンにはガイの表情は見えない。

 だが、きっといつも通り無表情なのだろうことは分かっていた。


「……ガイ」


「ん?」


「……ごめんな。ホントはお前のになるはずだったのに」


「……」


 ジンは手元にあるハンマーを申し訳なさそうに、それでも大事に握りしめた。


「……俺は馬鹿だから難しいことは分からない。

 でも、ジンがいてくれて良かったってことは分かる」


「!」


 ガイを嘘をつかない。

 そうでなくとも、ジンにはそれがガイの本音であることは分かっていた。


「……俺もだよ。

 俺も、ガイがいてくれて良かった……」


「一緒だ」


「ははっ。ああ。一緒だな」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] ボスは自分が特別だと思わないと生きてられないんでしょうね( ˘ω˘ ) こういう人、リアルにもいるなあ( ˘ω˘ )
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ