45.託したものは真綿とともに
「ジョセフ!!」
「おっと」
ケビンに自宅までパトカーで送ってもらい部屋に入ると、リザが飛び出すように胸に飛び込んできた。
「ごめんなさい、私……イブちゃんが、イブちゃんが……」
「お前は悪くない」
そのまま泣き出してしまったリザを抱き止め、背中をぽんぽんと叩く。
「リザは、怪我はないか?」
「ん。イブちゃんが庇ってくれたから」
「そうか、良かった」
「……ん。ありがと」
語りかけるように声をかけると少し落ち着いたようだった。
「座ろう。
そのときの詳しい状況を教えてくれ」
「うん……コーヒー、淹れるわね」
「ああ、頼む」
リザは目元を拭うとキッチンにパタパタと向かった。
張りつめていた緊張の糸が少しは弛んだだろうか。
「じゃあ、話してくれ」
席に座り、リザが淹れてくれたコーヒーを互いに一口飲み、落ち着いたところで話を振る。
「……あれはイブちゃんと買い物を終えて、家に帰る途中のことだったわ……」
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「へいパンケーキ! へいパンケーキ!
お主はなぜにパンケーキなんだ! へい!」
「哲学ねー」
「へい!」
スーパーで買い物を終え、来た道を二人で手を繋いで帰るリザとイブ。
イブはご機嫌な様子で謎のオリジナルソングを口ずさんでいた。
「リザ! 私は早くパンケーキを食べたいなう!」
「はいはい。じゃあ、ちょっと近道して帰ろうかしらね」
「へい!」
相変わらず表情はあまり変わらないが、イブが実に楽しそうにしていることがリザには分かった。
二人は路地裏を通って早く家路に着こうと進んだ。
その選択が悪手であるとは知らずに。
「天気いい」
「そうね。晴天ってやつね」
「せいてん?」
「雲が全然ないってことよ」
「たしかに!」
二人は建物の間の路地裏を進む。
路地裏は建物の影で暗かったが、上を見上げれば太陽が燦々と輝いていた。
暗い路地裏は治安が良いとは言えなかったが、リザとイブならば特に問題なく歩くことができた。
警官としてのジョセフがあらかじめこの辺りの輩に二人に手を出さないように言ってあったのもある。
「……」
「……」
とはいえ、二人とも普段から警戒を怠ってはいなかった。
「……リザ」
「ええ」
そして、隠そうともしていないその気配に二人はすぐに気付いた。
建物の陰から自分たちに向けられた視線に。
「出てきなさい!」
リザはイブを自分の背に隠して、懐からデリンジャーを取り出した。四十一口径のレミントン・ダブルデリンジャー。
イブも既にその手にナイフを握っている。
「はっ! さすがに気付くかよ!」
少しして、建物の陰から男の声が響く。
「っ!?」
「イブちゃん?」
その声が聞こえた瞬間にイブが体を揺らし、その異変を感じたリザが振り返る。
「大丈夫?」
「……」
前方を警戒しつつもリザがイブを見やると、イブは顔を青くして微かに震えているようだった。
「よーう。キャシー」
やがて、陰から男が姿を現す。
白いスーツに身を包んだ、頬に傷がある男。
「……ボ、ボス……」
「えっ!?」
ポツリと呟いたイブの言葉に驚き、リザは現れた男を注視する。
「久しぶりだなぁ」
「こいつが……」
頬の傷をひきつらせて笑う男をリザは睨み付ける。
全ての元凶。
ジョセフの、銀狼の最優先目標。
それが、目の前に。
「くっ!」
リザはピンチであるとともにチャンスでもあると、手に持つ銃をボスに向ける。
ここでこの男を殺してしまえば全てが終わるのだと。
この因縁に、決着をつけられるのだと。
「リザ! 駄目っ!」
「っ!」
「ボスに歯向かっちゃ、駄目……」
「イ、イブちゃん」
しかし、イブはそんなリザを慌てて止める。
必死なイブの声にリザは思わず銃口を下ろす。
「キャシーはよく分かってるなぁ。
覚えててくれて俺は嬉しいぞー」
「っ!?」
リザはいつの間にかボスの手に銃が握られていることに気付いた。
RSh-12。五十口径の大口径リボルバー。
反動が強く、重いこの銃をボスは軽々と取り回す。
「……ボス。お願い。
リザは殺さないで」
「イ、イブちゃん?」
イブは庇うようにリザの前に立った。
ナイフはいつの間にか地面に置かれていた。
その手はやはり微かに震えている。
「……ほー」
「っ!」
ボスはリザを冷たく見下ろす。
初めてリザの存在を認知したかのように。
「……キャシー。お前の名は?」
しかしボスはすぐにリザから興味を失くしたように視線を外し、唐突にイブに質問を投げ掛ける。
「……キャシー」
イブは少しだけ間を空けて、それでもすぐに質問に答えた。
「お前の帰るべき場所は?」
「『箱庭』」
「お前は誰のモノだ?」
「ボス」
「銀狼は?」
「博士を殺した、私とボスの仇」
「……っ」
その後、間髪を容れずやり取りされる二人の会話をリザは戸惑いながら傍観するしかなかった。
「……キャシー。俺と一緒に帰るよな?」
「……はい。ボス」
「イ、イブちゃん……」
最後に返事を返した頃には、イブの顔から表情が消えていた。
ジョセフが初めてイブと会ったときのように。
「いいだろう。
その女は見逃してやる」
「ありがとう。ボス」
ボスは手にしていた銃を懐にしまった。
礼を述べるイブはただその言葉を発するだけの機械のようだった。
「ボス。最後にリザに挨拶だけしたい」
「おー。いいぜ。
俺は俺に従順なら優しいからな。
存分に最後のお別れをしてくれー」
「……」
両手を挙げておどけるボスに頭を下げてイブは振り向く。
「イ、イブちゃん……」
表情のなくなったイブにリザは戸惑うばかりだった。
そしてすぐに理解した。
イブは自分を守るために行くのだと。
「……ごめんなさい。弱い私で。
イブちゃん。私……」
こんな小さな子供に、自分が守り抜くと誓った子供に守られる。
リザは胸が張り裂けそうな思いだった。
「大丈夫」
今にも泣き出しそうなリザの手をイブは優しく包み込む。
「リザ。よく聞いて」
「!」
そこで、イブは声を潜めた。
ボスに聞かれまいとするかのように。
「クマゾウをよろしく」
「……え?」
イブは小さな声でそれだけを伝えると、すっとリザの手を離した。
「……ばいばい」
そして小さく手を振ると、くるりと振り返ってボスのもとへと歩いていった。
ボスはイブの肩に手をかけると、二人で連れだって歩き出す。
「イ、イブちゃん!」
「……」
リザは慌てて声をあげるが、ボスも隣を歩くイブも二度と振り返ることはなかった。
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「……そうか」
話を終えるとリザはコーヒーを口に運んだ。
今にも泣き出しそうな顔をしている。
ボスと相対した恐怖よりもイブを守れなかった悔しさが強いのだろう。
「……ボスは、どうだった?」
だが、今は何より情報が欲しい。
リザもそれは理解しているはずだ。
「……単純に、怖い。そう思ったわね。
たぶん素直に従わなければ私はもちろん、あんなに執着してるイブちゃんでさえ躊躇なく撃ったはずよ」
「……だろうな」
狂気を孕んだ冷徹さ。
まさにボスのイメージそのものだな。
リザとイブの二人掛かりでもそう感じさせるレベル。
腐っても第二世代か。
しかも当時からかなり時間がたっている。ボスの実力に対する認識は改めた方がいいだろう。
「それと、イブの最後の言葉だが」
「クマゾウをよろしく、ね」
それだ。
「クマゾウってのは確か、イブの枕元に置いてあるクマのぬいぐるみのことだよな」
「ええ。大事にしてて、いつも一緒に寝てる子よね」
「……なぜ、このタイミングでそれを……」
あのぬいぐるみは俺がイブと初めて会ったときに抱えていて、それからずっと大事に……っ! そうかっ!
「あれは、イブが唯一あの家から持ち出したものだ!」
「……あ!」
リザも気が付いたようだ。
そうだ。
なぜ忘れていた。
いや、俺は忘れない。
ただ、関連付けができていなかった。
必要のない情報として無意識に頭の片隅に追いやっていた。
忘れなくとも紐付けできなければ意味がない。
「……まさか」
「……行ってみよう」
席をたち、リザとともにイブの部屋へ。
最近はあまり入らないようにしていたが、いつの間にかぬいぐるみが増えている。
リザやローズがいつの間にか買い与えているようだ。
「……あれか」
そして、例のクマのぬいぐるみは枕元に寝かされていた。
何度か洗濯もしたが、落ちきれなかった血糊が赤いシミとなって滲んでいる。
イブはいつもこれを大事そうに抱えて寝ている。
「……」
そのぬいぐるみを持つ。
少しだけくたっとした、何の変哲もないクマのぬいぐるみだ。
「……」
それを、頭から順に押しながら触っていく。
「……これか」
それはすぐに分かった。
首の中に、硬い何かが入っている。
ぬいぐるみの背中側を見ると、少しだけ糸がほつれた跡がある。
「悪いな……」
ぬいぐるみに一言言ってから、持っているナイフでほつれた部分の糸を切る。
そして首の綿をかき分けてやると、
「……やっぱりか」
そこから出てきたのは一本のメモリースティックだった。ご丁寧に完全防水で包装されている。洗濯されることも考慮してか。
「これって、きっとあれよね」
「……ああ。調べ屋マウロが遺したメモリースティックだ」
世界最高峰の調べ屋であるイブの義父。
博士やボス、そして銀狼についての調査結果。その集大成。
「……完全防水に、防音に、衝撃吸収まで完備した包装。ぬいぐるみを床に落としても壊れないし音もしない。
確信をもって首もとを握らなければ気付くはずもないな」
相当厳重に守られたメモリースティック。
このデータが開かれるまでどれほどの時間がかかるか分からなかったのだろう。
あるいは誰にも気付かれずに捨てられるか。
だが、それでもマウロは残した。
イブが終始大事そうに抱えていた、このクマのぬいぐるみに。
「……」
「……イブちゃんは、これのことを知ってたのかしらね」
リザも同じことを考えていたようだ。
毎日一緒に寝ていたぬいぐるみ。大事そうに抱えていたぬいぐるみ。
イブが気付かないはずがない。
だが、
「……知ってはいたのだろう。
だが、見るなとでも言われていたのかもしれないな……未開封だ」
包装を解くと袋に穴が空き、再び元に戻すことができない仕様になっていた。
「おそらくイブに何かがあったときにメモリースティックを託せる者がこれを見るように、イブに言っておいたのだろう」
自分を逃がしてくれた義父が遺した情報。
気にならないはずがない。
それでもなお、イブはマウロの教えを守った。
それほどに、イブにとってマウロは大事な家族だったのだろう。
「……ジョセフ」
「ああ。見てみよう」
俺たちはそれを託された。
まだゼットからアジトの所在の連絡はない。
このメモリーにアジトに関する何らかのヒントもあるかもしれない。
まずはこれを確認してみることにしよう。
「よし。準備できたわ」
リザの持っているパソコンを用意する。
これならたとえメモリーにウイルスがあっても撃退してくれるらしい。
「よし。入れるぞ」
メモリースティックをパソコンに接続する。
「えーと、ちょっと待ってね……ファイルが一つ入っているだけね」
読み込みが終わると、メモリースティックの中には一つのファイルが入っていることが分かった。
「容量はそんなに多くないわ。
というか、ただの文書ファイルね。
念のためにコピーしとくわね」
「頼む」
メモリースティックの内容をパソコンにコピーし、それをさらに別のメモリースティックに。それはパソコンから外して保管しておく。
「さて……『Mauro’s file』、ね。
開くわよ」
「ああ」
リザがメモリースティックのフォルダにあるファイルを開く。
「うん。完全に文章のみのファイル。けっこうな長さね」
「順に読んでいこう」
それは数ページに及ぶ文章だけのデータだった。
マウロがイブに残そうとしたものとは……。
「どれ……」
『まず始めに、これを読んでいるのがキャシーだった場合。
今これを読んでいるのは何年後だろうか。
君がこれを託せる者が現れなかったのは残念だ。
だが、君が生きていてくれたのならそれでいいとも言える。
君がこの先の真実を知ってもなお私は、パパは君には幸せになってほしいと思っている。
これから真実を書く。
心して読んでほしい』
「……これはイブちゃんに宛てた言葉ね」
「どうやら読む相手をそれぞれ想定して、冒頭の書き出しを書き分けたようだな。
先を読もう」
『次に、これを読んでいるのがボスだった場合。
貴方は今すぐ地獄に落ちてください。
貴方は間違っている。
そんなやり方では銀狼を超える最強など作れないでしょう。貴方は自分にとって都合がいい兵隊を作りたいだけだ。
それは博士とは違う。
そして、キャシーを解放してあげてほしい。
貴方は彼女を家族だと、妹だと言って固執しているが、私はそれを否定する。
彼女は、キャシーは……いや、貴方にはもう何もかける言葉はない。
とにかく、貴方はすぐに死んでください。それが貴方のせいで無惨に失われていった命に対するせめてもの懺悔です』
「……イブが、ボスの妹だと?」
「ど、どういうことかしら」
「……分からない。読み進めよう」
『次に、これを読んでいるのがキャシーに託された者だった場合。
まずは、ありがとう。
あの子がこれを託せると、信じられると心から思ったからこそ、貴方は今これを読んでいる。
私は、それが嬉しい。
あの子は生まれてからずっと、地獄のような日々を送ってきた。
私はそれを端から見ながら、何もしなかった。出来なかった。
しかし、博士はそれでも彼女を人として尊重していた。
だから私も地獄のような訓練の日々を送る彼女を見守っていたんだ。
だが、博士が死に、キャシーはボスに引き取られた。
恐怖と暴力による支配。
キャシーはすぐに感情を失った。
私はついにそれに堪えられなくなり、キャシーと仲間を連れて逃げた。
私はきっとボスに殺されるだろう。
だがせめて、キャシーには幸せになってほしい。
幸せというものを知ってほしい。
託された者よ。
キャシーはきっと今、ボスに連れ戻されたのだろう?
大丈夫だ。ボスはキャシーを殺さない。
だから、彼女を救ってあげてほしい。
何も出来なかった、愚かな父からの切なる願いだ。
どうか、どうか……』
「……マウロは、どこまでもイブちゃんの味方だったのね」
「……ああ。立派な父親だ」
『……そして最後に、もしもこれを銀狼が読んでいたら……。
どうか、彼女を殺さないでほしい。
どうか、彼女をそばに置いてやってほしい。
どうか、彼女を否定しないでほしい。
次に彼女に会ったとき、どうか、彼女の名前を呼んであげてほしい。
なぜこんなことを書いているか分からないだろうが、それはこれから綴ることに全て記されている。
どうか、最後まで読んでほしい』
「……どういうことかしら」
「……分からない。託された者とは別に、わざわざ銀狼に宛てる意味とは……」
「……本文を読んでみましょう」
「ああ……」
おまけ
「パパー」
「おっとぉ!?」
「なにしてん?」
「キャ、キャシーか……」
キャシーと呼ばれた少女はドアからひょこっと顔を出した。
それに気付いた父親が慌ててパソコンを閉じる。
「お仕事?」
「あ、ああ。そうだよ」
「おじゃまじょ?」
「……いや、大丈夫だよ。おいで」
「ん」
父親に手招きされ、少女はパタパタと部屋に入る。
そのまま父親の膝にちょこんと収まる。
「……」
「んー?」
父親は膝の上の娘の頭を慈しむように撫でた。
少女は目を細めて少し上を向いて、撫でやすいように頭を差し出した。
「……キャシー」
「なにー?」
「……今、君は幸せか?」
「んー?」
少女からは父親の表情が窺えない。
「んー、わからん」
少女はこてんと首を傾ける。
それが何かを知らない少女は、父親の問いにそう答えるしかなかった。
「……そうか」
「……パパ?」
少女からは父親の表情が窺えない。
「いつか……きっと……」
「んー?」
「……いや、今日の夕飯はなんだろうな」
「パンケーキを所望する!」
「いや、さすがに夕飯にパンケーキは……」
「遺憾の意!」
「はははっ」
そう言って笑う二人はまごうことなき親子であった。