43.鷹と鷲はここで初めて銃弾を交わしたのであって
『本命以外は撃ち殺していい。
あと、まずないだろうが女性が出てきたら警戒しつつ保護に移れ。連中に女はいない。暴れるようなら気絶させていい。
解体屋は絶対に殺すな。理想は前腕部。血管は避けろ』
ライフルのスコープで廃病院を見張りながら、ケビンは特安の隊員たちに指示を出していた。
隊員たちから『了解』と返答がありつつも、『狙撃で腕の血管に当てないように狙って撃てるのはお前ぐらいだ』とボヤかれてもいた。
部隊の隊長に就任したばかりのケビンだが、ついこの前までともに一隊員として任務にあたっていたこともあって、隊員との距離感が近いようだ。
とはいえ仕事は仕事。隊員たちは隊長の指示に従う姿勢なので、ケビンはそのままでよしとしているようだった。
「……共同戦線、か」
ケビンは始め、ゼットとジョセフからのその提案を忌避していた。
特安はまつろわぬ組織。
自分たち以外と戦線をともにすることは、自分たちが一方的に利用することはあっても、肩を並べることなど言語道断。
関わりを持ったものがいつ国家に仇なす存在となるか分からない。
そのときに利害を、損得を、考えさせられてはならない。
だからこそ特安はその存在を秘匿し、自分たちだけの力で事態を解決してきた。
「……」
だが、上層部はゼットの誘いを受けた。
ケビンからの報告に、上層部はゴーサインを出したのだ。
ケビンは酷く驚いた。
どうせ一蹴されるだろうと思っていたから。
「……ゼットも警部も、上が応じることが分かってたのかねー」
分かった上で準備を進めていたかのような手際の良さ。
上からの承認を得てすぐに判明した解体屋の居場所。警察の部隊の編成。自分たちの使い方。
まるで誰かの用意した舞台の上で踊らされているかのような感覚。
「……ま、別にいっか」
それは些か不快ではあったが、ケビンは深く考えないことにした。
深入りすれば自分の身が危ない気がしたから。
噛みつかれるのが分かっていて巣穴に手を突っ込むほどケビンは愚かではなかった。
「俺は俺の仕事をすればいい」
死ぬわけにはいかない。
家族を守るために。
そう見切りをつけて、ケビンはスコープを覗き込んだ。
「……!」
ジョセフたちが建物に侵入してすぐ、ケビンには病院の端の壁が何やら動いているように見えた。
「……隠し扉か」
そして、それはすぐに確信に変わる。
継ぎ目もないように見えたコンクリートの壁が、まるでドアがそこに突然作られたかのように動き、開いていったのだ。
『壁が開いた。隠し扉だ。
本命の可能性が高い。
位置的に俺が撃つ。
他の場所の警戒も怠るな』
隊員たちに指示を出し、自身はじっとスコープ越しに目を凝らした。
「……ビンゴ」
少しして、慌てた様子で周囲をキョロキョロと見回しながら解体屋が姿を現した。
「……」
ケビンは解体屋の凶行をジョセフからある程度聞いていたし、特安としても調べはついていた。
「……ふーーー。駄目だ。集中しろ」
思わず引き金に力が入るが、ケビンは息を長く吐いて自分を落ち着かせた。
家族を連れ去り、酷い目に遭わせる。
それはケビンには到底許容できない所業だった。
本音を言えば、このまま足を撃って動けなくさせて、被害者の家族のもとに引っ張り出してやりたかった。
だが、ケビンは己を律し、仕事に集中した。
「…………ふーーーーっ……よし」
何度か呼吸を繰り返し、最後に長く吐く。
ケビンは呼吸を整えるとともに自身のメンタルを安定させた。
「……」
解体屋はオドオドとした様子で周囲を見回しながら、コソコソと森へと入ろうとしていた。ケビンの射程範囲内に、より近く。
「……」
ケビンの瞳が極限まで集中し、獲物を捉える。
ライフルは既に引き金を引き絞るだけで撃てる状態だった。
そこからのケビンは早い。
狙撃の腕前だけでいえば銀狼に並び、あるいは凌駕するほどにケビンはスナイパーとして優秀だった。
限りなく集中した極限状態を長時間維持できたからだ。
獲物を捉え、呼吸を整える、さらに集中し、狙いを定めて撃つ。
特に撃つ瞬間は平時の何倍もの集中力が求められる。
それを、ケビンは連続で長時間行うことができた。
だからこそ、ケビンは特安における狙撃部門で常に頂点にあったのだ。
一時期、彼こそが銀狼なのではないかと疑われたこともあったが、彼の人柄と背景を知るものはそれを一蹴し、また、度重なるアリバイの立証でその疑いはなくなった。
「……」
それほどに、彼の狙撃の腕前は優れていた。
「……言い出しっぺが失敗するわけにはいかないよなー」
ケビンは呑気にそう呟くと、歩くときに足を一歩踏み出すかのような自然さで指を動かし、引き金を引いた。
乾いた音が森に響く。
「……よし」
そして、放たれた弾丸は狙い通りの軌道を描き、吸い込まれるように解体屋の右腕前腕部を撃ち抜いた。
ケビンの狙い通り、出血量から見ても無事に主要な血管は避けたようだ。
解体屋は銃声に酷く驚いた様子を見せたあと、自分が撃たれたことに気が付くと腕を押さえて情けない声をあげた。
「……」
仕事を終えたケビンは、だが、解体屋から目を離さなかった。
解体屋がこの場から逃げ出すまでがケビンの仕事。
不足の事態が起きてもすぐに対応できるよう、ケビンは最後までターゲットから目を離さない。
「……!」
少しして、慌てて走り出した解体屋が木の根に足を引っ掛けて滑る。
よもや頭を打ち付けて死んでしまいやしないかとケビンは気を揉んだ。
解体屋は何とか足を踏み出して堪えたが、その瞬間、
「っ!?」
寸前まで解体屋の頭があった箇所に銃弾が撃ち込まれ、そこにあった木に穴が空いた。
『誰だっ! いま撃ったのは!?』
ケビンは慌てて無線で確認を取る。
解体屋が足を滑らせなければ、あの銃弾は容赦なくその頭を撃ち抜いていた。
明らかな命令違反。
ケビンが声を荒げるのも無理からぬことだろう。
しかし、
『いえ、誰も撃っていません!』
「!?」
隊員たちからはノーと答えが返ってきた。
「……」
ケビンは一瞬、裏切り者の可能性を考えたが、特安に限ってそれはあり得ないと結論付け、すぐに他の可能性を模索した。
「……っ」
その刹那、ケビンは背筋にゾクリとしたものが這い上がってくるのを感じた。
「……やべ」
そして、一つの可能性にたどり着き、急いでライフルの照準を合わせた。
集中を切らしていなかったケビンはすぐに引き金を引いて弾丸を放つ。
放たれた弾丸は解体屋の足元の地面を爆ぜる。
解体屋は酷く慌てた様子でその身を縮ませた。
「っ!」
瞬間、さっきまで解体屋の頭があった所を銃弾が通過する。
「くそっ。やっぱりか」
ケビンは完全に理解する。
敵側のスナイパーがどこかに潜んでいて、解体屋を始末しようとしていることを。
こちらの狙いに気付いたのだ。だから、解体屋がアジトに逃げ帰る前に殺してしまおうと。
先ほど感じた悪寒は、自分だったらこのタイミングで解体屋を撃ち殺すだろうと思い、その空気を自分以外のどこかから感じ取ったものだった。
それを阻止するためにケビンは解体屋の足元を撃って、誘導するように解体屋を動かしたのだ。
「……」
瞬間、ケビンは理解する。
相手は自分と同レベルのスナイパーであると。
ケビンの判断力と早さ。それに匹敵する能力を有しているからこそ、ケビンによる誘導は成功したといえるのだから。
「!」
そして、ケビンは再びそれを察知し、引き金を引く。
頭部近くの木を撃たれた解体屋が踊るように飛び跳ねる。
瞬間、解体屋の頬を銃弾がかすめる。
「っぶねー」
察知能力や連射速度はケビンの方がやや上。
しかし、いつまでも続く戦法ではない。
敵のスナイパーが仕留めようとするのをケビンが防ぐ。
打開策は解体屋がさっさと敵のスナイパーの射程圏内から出てくれることだが、怯えて慌てた解体屋はケビンの想定以上に動きが遅かった。
「あーもう!」
そんな解体屋にイライラしながらも、ケビンは間一髪の所で解体屋を殺されないように誘導していた。
「……」
敵の位置は大まかに把握していた。
隊員たちに命じて始末しに行かせることもできる。
だが、ほぼ確実に味方に犠牲が出る。
ケビンは敵のスナイパーと撃ち合いを演じながら、隊長としての葛藤に苛まれていた。
そのとき、
「!」
警察の方の無線から建物に爆発物があると連絡が入った。
「……一か八かだな」
それを聞いたケビンは解体屋が敵のスナイパーの死角に入った一瞬を狙い、ハンドガンを抜き出した。
そしてそれを空に向け、すぐに何発も上空に向けて引き金を引いた。不規則な間隔を空けながら。
「よし」
ハンドガンを撃ち終わるとケビンは再びライフルを構え、スコープに解体屋を捉えた。
「……頼むよー」
その気配を感じ取るために感覚を全開にしながらケビンは祈った。
「……」
やがて解体屋が死角から出てきても、果たして彼が撃たれることはなかった。
「よっし」
ケビンは油断しないように警戒を続けながら、心の中でガッツポーズを決めた。
『警察が建物内に爆発物を発見。避難を開始している。すぐには爆発しないようだが警察と鉢合わせするのは避けたい。
お前たちは先に帰投せよ。
俺は避難した彼らと合流する。
なお、状況はクリア。
目標は問題なくこの場を離脱した』
解体屋がスナイパーの射程圏内から脱したことを確認しながら、ケビンは隊員たちに作戦の終了を告げた。
あとは各自解散で本部に戻るだろう。
「……はぁーーーーっ」
ケビンはライフルのスコープから目を離すと、長い溜め息を吐いた。
長い集中に、どっと疲れが押し寄せたようだ。
「ずいぶんな賭けだったけど、ちゃんと察してくれて助かった」
ケビンは袖で額の汗を拭う。
ケビンが意図的に空に撃った弾丸。それにおいて重要なのは弾の行方ではなく、発砲音の間隔だった。
ケビンはその音の間隔をモールス信号として、敵のスナイパーに爆弾の存在を伝えたのだ。
だが、弾数や状況的に伝えられたのは実にシンプルな情報、『バ・ク・ダ・ン』だけだった。
ケビンは、あとはスナイパーの想像力に委ねた。
敵側のスナイパーならば解体屋が爆弾魔であることは当然知っている。
そして性格的に、自分が逃げた建物を爆破させようとする可能性があることを。
それは味方ならば余計に推察できることだろう。
そして、ケビンたちが建物内部を捜索している警察と連絡を取り合っていることも想像できるはず。
そこから、『建物内部には爆弾があり、それが爆発すればどこまでの範囲が影響を受けるか分からない。だからやり合いはここまでにしてお互い逃げないか?』とケビンが自分に対して伝えてきていると想像させた。
ケビンは果たして敵のスナイパーが『バ・ク・ダ・ン』の四文字だけでそこまで想像を巡らせてくれるか心配だったが、結果としてスナイパーは狙撃を放棄してくれた。
「……俺は俺の仕事はしたからね。
あとのことは誰かさんに任せるとしよう」
ケビンの仕事は解体屋を死なない程度に負傷させてこの場を離脱させること。
そのあとの、アジトに逃げ帰る解体屋の追跡は別の者が行うとだけケビンは聞いていた。
スナイパーがこの場を離脱後に解体屋を追いかけて殺す可能性は十分にあったが、これ以上はケビンの、特安の仕事ではなかった。
何より深追いや余計な手出しはリスクでしかなかった。
自分や隊員たちを危険に晒すし、追跡の任を負った何者かの邪魔をしかねない。
それぞれが自分たちの仕事を全うする。
これはそういう仕事だった。
「……さ。俺も合流しよ。
とりあえず裏口組を拾ってから本隊と合流するかな」
ケビンはすぐに割り切り、ライフルを肩に担いで移動を開始した。
余計なことはしない。
自分は自分の仕事を完遂する。
そうすることでケビンは今まで生き抜いてきた。
死なないこと。
それがケビンが仕事をする上での最優先の信条だった。
「……なるべく爆発から遠ざかりながら行こっと」
ケビンはそうして、裏口から脱出して逃げているであろう部隊に合流するために走り出したのだった。
「……ってな感じっすねー」
「……なるほどな」
ケビンからの報告を聞き終えた。
敵のスナイパー……十中八九、俺の監視をしていたホークアイ、鷹のことだろう。
解体屋にアジトに帰投させるというこちらの狙いに気付いたか?
それで口封じのために解体屋を殺しに来た? ……十分あり得るな。
「とりあえず、無事に奴を逃がせたのなら問題ないだろう。こちら側に犠牲も出なかったわけだしな」
「ま、そっすねー」
鷹は、今はどうしているだろう。
爆発の影響でカイトと鷹の気配を見失ってしまった。
二人とも一流のプロだ。
一度その存在を見失えば、再び捕捉することは容易ではない。
俺の監視に戻ったか、あるいは解体屋を追って始末しようとしているか。もしくはカイトと手分けしたか。
いずれにせよ、あとは結果の報告を待つしかない。
「とりあえずは、あとはゼットからアジトの場所の報告が来るのを待つだけですよねー」
「……そうなるな」
「はー、疲れたー」
ケビンがわざとらしく肩を揉む。
こいつは解体屋を追跡する者を知らない。
それでも自分の仕事はやり遂げる。こいつはそういう男だ。
「……」
そう。
あとは任せるしかない。
追跡術・隠密性においてカイトの性能を上回る、現裏社会でトップクラスの調べ屋、紳士に。
「……ちっ」
初撃を外し、マドカは眉間に皺を寄せて舌打ちをした。
一発目で仕留めるのがベストだった。
「……くそ」
マドカは急いで二発目を撃つために解体屋に照準を合わせた。
『もし解体屋が逃げ出したときに軽傷を負わされたら始末しろ。連中は解体屋にアジトまで案内させるつもりだからな』
マドカはボスからそう指示を受けていた。
「……」
ボスの命令は絶対。
仕事は完全にやり遂げる。
それさえすればボスは寛容だ。
だから、それだけはしくじるわけにはいかなかった。
「……」
マドカは内心、焦っていた。
表面上にそれを出すことはなくとも、焦りは動悸となってマドカが照準を合わせるのを邪魔してきた。
「……ふーーー」
一度冷静になろうと、マドカは息を長く吐いた。
三秒息を吐けば呼吸は落ち着く。
それは壊し屋から教わったことだった。
「……」
そうして短く息を吸えば、マドカはいつものマドカになっていた。
再びスコープの先の獲物をじっと見つめる。
「……」
マドカがいる位置はケビンよりも解体屋から離れていた。より広い視野で廃病院全体を監視するために。
そのため、解体屋の突発的な挙動一つで銃弾は容易く狙いから外れる。
けれども、今度こそはと狙いを定めたマドカが瞳を引き絞ると、解体屋の動きがスローモーションに見えた。
「……」
そして、解体屋の動きが安定し、スナイプチャンスはすぐにやってくる。
今度は動きも予測する。
足を滑らせることさえ予測しろ。
「……」
マドカはそう自分に言い聞かせ、静かに二発目の引き金を引いた。
「っ!?」
引き金を引いたマドカだが、その一瞬前に別の所から発砲音がしたのを自分が撃ってから気付く。
「……くそっ」
慌ててスコープの先を確認すると、解体屋は再びバランスを崩してマドカの狙いとは異なる位置におり、そして解体屋の足元の地面が乱れていた。
自分が撃った弾丸は解体屋の頭があった先の木を抉っているため、地面のものは自分のではない。
「……」
マドカは瞬時に理解する。
自分が撃つ寸前に先んじて撃ち、解体屋に弾丸を避けさせている者の存在を。
それは十中八九、最初に解体屋の腕を撃ち抜いたスナイパー。
「……とんでもない腕ね」
マドカは感心していた。
ターゲットの動きは予測できても、第三者の突発的な影響による突然の行動変化はターゲット本人も無自覚であるためにマドカには予測できない。
それを理解した上で、あちらのスナイパーはマドカの狙撃を阻害してきているのだ。
「……狙撃で私と渡り合える奴は初めてね」
そして同時に、マドカは心なしか楽しそうでもあった。
向こうのスナイパーが脅威であることは変えようもない事実だが、しかし自分の心が微かに高揚していることにマドカは気付いていなかった。
「……オーケー。命の奪り合いね」
マドカはスコープを覗く。
自分は殺すために。相手は守るために。
そうしてマドカは再び引き金を引いた。
「……ホント、たいしたものね」
何度か撃ち合いをしたが、マドカは解体屋を殺せずにいた。
マドカの撃つタイミングは完璧に把握されていた。
「……!
……ちっ」
そして、解体屋が死角に入り、一次休戦となる。
「……」
マドカは集中を切らさないようにスコープを覗き続けた。
プロのスナイパーはその気になれば六日間獲物を狙い続けられるという。
しかし、実際に撃つ瞬間の集中力を長時間維持するのは難しい。
マドカは発砲時の集中の高揚を可能な限りフラットにする訓練を受けていた。
その集中を日常の一ページを切り取ったレベルの集中にまで低下させることができれば、理論上は永続的に獲物を狙撃できる状態でいられることになるから。
マドカが普段からテンションが落ち着いているのはそのためだった。
感情を動かさず、フラットに。それは日常でも狙撃時でも同じこと。
「……」
おそらく向こうも同じことをしている。
そして、その技術は向こうの方が上だった。
自分以上の集中力で、こちらが撃つであろう瞬間を的確に捉えて、かつ、こちらよりも早く撃つ。
それはもはや神業といえる領域だった。
「……どんな奴なんだろ」
マドカがそんなスナイパーに興味を抱き始めたそのとき、
「っ!?」
不意に発砲音が響いた。
スナイパーライフルとは異なる、ハンドガンの発砲音。
それも何発も。なぜか空に。
「……」
位置的に先ほどまでのスナイパーで間違いない。
マドカは解体屋からは目を離さずに、その意味を分析する。
こちらへの攻撃でもなく、無駄に空への発砲。
しかも不規則な。
「……そういうこと」
やがて、マドカは悟る。
発砲音を利用したメッセージを。
「……『爆弾』、ね。ハッハー、最高っ」
スナイパーからのメッセージを正確に理解したマドカは乾いた笑いを発した。
「あのクソヤロウ」
それはもはや解体屋に対する呆れだった。
「……」
だが、マドカはすぐに切り替えてスナイパーの真意を探る。
それを自分に教えてきた意味。
連中は無線を使っている。
わざわざあんな回りくどい上に伝わるか分からない方法を使う必要がない。
つまり、あれはマドカに向けたメッセージ。
なせ、スナイパーは爆弾の存在をマドカに教えたのか。
「……建物の方ね」
そして、マドカはすぐに答えに到達する。
スナイパーは解体屋が爆弾を持っているのではなく、建物内に爆弾があるのだと伝えてきたのだ。
解体屋が爆弾を持っていた所で、人一人が持てるレベルの爆弾がマドカがいる位置まで影響を与えるとは思えない。
撃たれて誤爆すれば解体屋は死ぬのだから警告する意味がない。
つまり、スナイパーは爆弾が爆発すればマドカの位置まで影響があると教えてくれたのだ。
お互いに逃げなければならないからもうやめにしないか、と。
スナイパーは無線を使っている。
建物内部の警察から情報を受けたのだろう。
「……」
マドカは葛藤していた。
ボスの命令は絶対。
そのためなら自分の命も厭わない。
だが、マドカには別の命令もあった。
ジョセフとカイトたちの監視。
ここで自分が死んだらそっちの仕事が達成できない。
このまま殺せるか分からない解体屋を撃ち続けて、爆発に巻き込まれて死ぬことが正解なのか。
「……ちっ」
マドカには分からなかった。
ボスの命令は絶対だが、二つの命令があった時にどちらを優先すればいいのか、マドカには判断できなかった。
ーーー命令に従うのも大事だけどよー。
もうちょっと自分の命も大事にしろよ。
「……」
葛藤するマドカの背中を押したのは、かつての壊し屋の言葉だった。
ーーーボスの命令は絶対。
ーーーお前なー。死んじまったらその絶対的な命令を達成することもできなくなるんだぞ?
ーーー……それは、一理ある。
ーーーったく。カイトも解体屋ももっと上手いことやってるんだけどな。
もうちょっと自分で考えてもいいんだぞ?
ーーー……頭を撫でないで。
ーーーホンット、不器用な奴だな。
ま、俺は嫌いじゃないぜ。
ーーー……。
「……ボスの、指示を仰ごう」
マドカは撤退した。
手早くライフルの末尾をグリップから取り外し、ギターケースに仕舞う。
「……」
命懸けでその場に留まらなくて良くなり、内心ホッとしていることにマドカは気付かない。
そして、走りながらボスに連絡すると、ボスはワンコールで出た。
『……そうか』
「……」
マドカはボスが何と言うか不安だった。
命令の未達成。
それは初めてだったから。
『よくやった。いい判断だ』
「……は?」
しかし、予想外にもボスはマドカを褒めた。
『勝手に自分で判断を下すのは愚か者のやることだ。
お前は二つの命令の優先順位をつけられなかった。
それはつまり俺からの命令はどちらも優先されるべきと判断したわけだ』
「……うん」
マドカはその天秤が傾いた理由は話さなかった。
何となく、それはボスが望んでいない気がしたから。
『自分で判断を……とか、自分で考えて……なんてのは上に立つ奴が無能だからだ。
命令する奴が完璧に命令してやれば、それに従う奴はただ従うだけで事が運ぶ。
それこそが組織のあるべき姿だ。
だから、お前は俺の命令に従っていればいい。
分からなければ指示を仰げばいい』
「……うん」
判断能力を奪い、自身の命令には絶対的に従わせる。
それがボスの理論だった。
自分以外の全ては自分に劣る。
そう考えているボスらしい理論といえるだろう。
ーーーカイトは適当に合わせてるし、解体屋は旨い汁を吸うことで帳尻を合わせてる。
そんなやり方をしろとは言わないが、もうちょっとやり方を考えてみてもバチは当たらないぞ。
「……」
壊し屋はボスのそのやり方が気にくわなかったようだが、マドカには理解できなかった。
理解できないように育てられたから。
だが、マドカは今、それを少しだけ理解した気がした。
ボスが、自分の命を優先させて天秤を傾けさせたことに気付いていないから。
完璧が完璧じゃないなら、自分もやり方を考えてみてもいいんじゃないか、と感じたから。
「……今は退避中だけど、解体屋を追って殺すこともできる」
しかし、今はそれをボスに感じ取らせてはいけない。
マドカはそれを理解していた。
そうなった仲間が殺されていくのを、マドカは何度も見てきたから。
ボスの命令は絶対。
それは変わらない。
だから、マドカはボスの命令を達成するための提案をする。
『いや、構わねーよ』
「!」
しかし、ボスはそれは必要ないと言った。
「……でも、それだとアジトが……」
『問題ない。
こっちの目標は達成した』
「?」
『いや、こっちの話だ』
「……はあ」
『こうなったら、いっそ招いてやろうと思ってな』
「!」
ボスは楽しそうに笑っているようだった。
『警察も、特安も、アジトまで解体屋を尾行してくるであろう紳士も、全部まとめてぶっ殺してやる』
「……」
解体屋の尾行をするのは紳士。
ボスはその裏切りに気付いた上に、警察と特安が共同で動いていることも分かっている。
マドカは自分の心の変化も読まれているのではないかと、内心ハラハラしていた。
『……それにな』
「?」
それを知ってか知らずか、ボスはマドカにとって耳よりな情報を告げた。
『銀狼も来るぞ、これ』
「!」
ボスは今までの何よりも嬉しそうだった。
『特安から奴に、俺の抹殺依頼が出されているのは知っていた。
しかし、銀狼にも俺の居場所は分からない。
そして今回の情報、俺のアジトの場所は間違いなく銀狼にも伝わる。
銀狼にとっても俺は仇敵だからな。
何なら、特安どもに先んじて現れるんじゃないか?』
「……そう」
仕事をするに当たり、抑え込んでいた復讐の炎が再び燃え上がる。
『マドカもカイトも、全員アジトに帰投しろ。
警官の監視ももう必要ない。
俺たちの総戦力をもって、警察も特安も銀狼も、その全てを返り討ちだ。
銀狼の相手、その先鋒はお前にやらせてやるよ』
「……了解」
マドカはごちゃごちゃと考えていた全てを放棄した。
自分にとって何より優先すべき事。
それにボスからの命令が付随した。
銀狼への復讐。
マドカはその一点のみに集中することに決めた。
『……そう。もう必要ないのさ……』
「?」
『……いや、こっちの話だ』
おまけ
「おいっ! マドカっ!
お前、傷だらけじゃないかよ!」
仕事を終えてアジトに帰還したマドカを壊し屋が血相を変えて出迎えた。
「ほとんど返り血だから問題ない。
それに後遺症にはならない傷しかないから問題ない。仕事は完遂した」
「いや、そういうことじゃなくてよー」
セーラー服を血だらけに染めながら淡々と話すマドカに、壊し屋は大きな手で困ったように自分の頭をかいた。
「まずは風呂入ってこい。な?
出たら髪乾かして、手当てもしてやるから」
「……ん。そうする」
壊し屋が本当に自分のことを心配しているのが伝わってきたので、マドカは素直に言うことを聞くことにした。
「……ったく。嫁入り前の女の子の体に傷をつけるなんてよー」
「……」
応急手当の準備をしながらぼやく壊し屋をチラリと見ながら、マドカは風呂場に向かった。
自分は知らないが、父親というものがいるとしたら、きっとこんな人間なのかもしれないと頭の片隅で感じながら。