41.正義の味方の皮を被った銀狼は舞う。
残酷表現があります。
「……」
廃病院である解体屋の根城に突入した。
俺の後ろには隊列通りに隊員たちが並ぶ。
目の前に敵影はなし。右手にある裏口の受付にも誰もいない。潜んでいる者もなし。
正面はT字路。
スティーブン警視率いる部隊が戦闘を行っているのは左だ。
俺たちの進行方向はT字路を右。
「……」
一気に曲がり角の手前まで進み、右側の壁に張り付く。
それなりの速度で進んでも隊員たちは音を立てずに余裕でついてくる。
精鋭の名は伊達じゃないな。
「……」
ポケットから手鏡を取り出す。
進行方向の逆側、通路の左手に敵がいないことは確認済みだ。
本来はここにも見張りがいたのだろうが、スティーブン警視の陽動のおかげで誰もいなかった。
容易に持ち場を離れるあたり、手下どもの質が窺えるな。
「……」
手鏡を手のひらに包み、手首から先だけを慎重に壁から右手の通路に出す。
明かりが反射しないように注意する。
「……」
敵はいない。
実際は気配で分かっているのだが、これぐらいはやった方がいいだろう。
常人は人間の気配など、そうそう感じ取れないのだから。
「……」
手鏡をしまい、そのまま角を曲がる。
隊員たちが続き、殿のベテラン警部はしばらくそこで通路を見張る。
曲がった先の通路は両側にいくつかの部屋。入院部屋だろう。けっこう通路が長い。
一番奥は行き止まり。図面上では一番奥の右手は部屋で左手は壁。左手の部屋一つ分手前に二階に続く階段がある。俺たちから一番奥の部屋までの間には左右に八つずつの入院部屋。階段の前には部屋はない。
「……!」
少し進むと、二つほど先の右の部屋に人の気配を感知する。
俺は後ろ手に合図を送って部隊の進行を止めた。
「……」
あちらはこちらに気付いていない。
三人。銃器が擦れる音。武装済みか。
「……三人、ですね」
「そうだな」
「!」
後ろから小声で話すのは成績上位の二人。
合流したベテラン警部と、俺の後ろにいる若手の警部補だ。
どうやらこの二人もある程度人の存在を把握できるようだ。
警部の方は長年の勘ってやつだろうか。
若手の方は海外のレンジャー部隊で活動していた経験があったな。そこでだいぶ揉まれたようだ。救助活動もしていたらしい。
二人が出来るなら、俺もそこまで隠し立てすることもないか。やりすぎなければ。
「……」
部屋にいる奴らは当然、スティーブン警視たちの銃撃戦の音は聞こえているはず。
にもかかわらず外に出てこない。
様子見どころか見張りさえ立たせていない。
おそらく、『こちら側への侵入者を察知したら迎撃せよ。それまでは部屋から出るな』とでも命じられているのだろう。解体屋の楽しみを、邪魔しないために。
容易には動かず、自分たちの仕事を全うする。
練度は警視たちが戦闘している連中より上か。だが、俺たちの侵入には気付けていない。
ごろつきよりは格上だが部隊の兵よりは劣る。傭兵崩れといった所か。
「……」
俺は部隊をそのままに、一人で先行して進んだ。URG-Iを肩に担ぎ直し、ハンドガンを取り出す。
若手の警部補の方が俺の単独進行に何か言いたげだったが、『動くな』と念押しで命令しておいた。
部隊の損害は最小で任務を遂行する。
そのためにはこれがベストだ。
「……」
敵がいる部屋の扉を通りすぎる。
中にいる連中は気付いていない。
部隊を動かせばさすがに気付かれただろう。
あちらは傭兵崩れ三人。こちらは精鋭部隊六人。
正面からぶつかってもまずやられることはないだろう。
だが、味方の被害を出さずに仕留めるにはこっちの方がいい。
「……」
俺は扉を通りすぎた所で足を止めると、すっと足を上げた。
そして、わざと小さく音が鳴るように足で地面を踏んだ。
「!!」
カツッ、とかすかな靴音が響く。
瞬時に部屋の中に緊張が走るのが分かる。
中の連中がこちら側への侵入者に気付いたのだ。
「……」
俺はそのまま、連中にかすかに聞こえるように足踏みをする。だんだん音を小さくしながら。部屋から、奥へと進んでいくように。解体屋がいるであろう最奥の部屋へと。
実際は扉のすぐ横で足踏みをしているだけなのだが、部屋の中にいる連中にはそれが分からない程度には忠実に歩行音を再現している。
「おいっ……」
「!」
部屋の中からかすかな声。
一人、いや、二人に動きあり。一人は動かない。
「……」
一人が扉の前に。
もう一人は、扉の正面の奥。一人目の背後から様子を窺えるように位置取る。
扉は外開き。待機させている隊員たち側に、彼らを隠すように開く。
つまり、連中が顔を出しても最初に認識するのは俺で、隊員たちの姿は見られない。窓もないから反射もしない。
「……」
出てきた。
最初に見えるのは銃の先端。自動小銃。
それがだんだん外に。
が、周りを視認させるつもりはさらさらなく。
俺は出てきた銃の先端を片手で掴み、思い切り引っ張った。
「なっ!?」
突然、銃を引っ張られた男はそれを手放すことも出来ずに、バランスを崩して前のめりに扉の外に倒れてくる。
「……え?」
そして、その男の頭には俺が突き付けた銃口がある。
「……っ!?」
男は悲鳴を上げる暇もなく頭を撃ち抜かれて絶命した。
「おいっ!」
突然の仲間の死亡に扉の正面奥にいる男が声を上げる。
三人目は動かない。
仲間の死に動くこともなく、通路側の壁際に潜んでいる。そこからだと状況も分からないはずなのに。
なかなかに冷静。この部屋の連中のリーダー的な存在か。
まあ、動かないでいてくれるのなら好都合。
まずはもう一人を始末する。
「……」
頭を撃たれて、引っ張られた勢いのままに前に倒れていく男。
俺はそいつを思い切り蹴り飛ばす。
「なっ!?」
力なく吹き飛んだ死体は開かれた扉にぶつかり、崩れ落ちる。
俺は蹴り飛ばした勢いのままに扉の前に。
男を視認。
仲間が死に、その死体が蹴り飛ばされ、男は動揺していた。銃を下ろしている。
「くっ!」
俺を見て慌てて銃を向けようとするが、俺の銃口はとっくに男の眉間に照準が合っている。
「がっ!?」
そして、二人目は銃を俺に向ける前に額を撃ち抜かれて倒れる。
「さて」
残るは三人目。
リーダー格で警戒心が強い。
死角に潜んでいれば、こちらもおいそれとは入ってこれないと判断できる冷静な敵。
だが、そんな時間稼ぎに付き合ってやる暇はない。
敵は、こいつだけではない。
「……」
扉の正面に立っている俺は屈伸するように膝を曲げる。
足に力を込め、しゃがんだ体勢のままで一気に扉から部屋の中へと飛び込む。低空飛行のように横跳びで。
「んなっ!?」
敵を視認。
驚きの表情。自動小銃。
銃口は床スレスレをスライドするように跳んできた俺の遥か上。突入してきた侵入者の脳天を撃ち抜ける位置だ。
だが、俺はそこにいない。
そして、俺の銃は男に向けられている。
「くっ!」
男が焦って銃をこちらに向けようとする。
が、それでは遅い。
俺は男を視認して即座に銃の向きを修正。
一発で男を殺せる位置に。自分自身が横向きで移動していることも考慮しながら。
左手は着地に使う。右手だけで撃て。
「うぎっ!?」
そうして放たれた弾丸は男の眼球を貫き、脳を貫通した。
男は発砲することなく倒れる。
「よっ、と」
俺は左手を地面につけると、そのまま腕を突き出して体を側転のように回転させて着地した。
そしてすぐさま扉の外に戻る。
「……」
扉にもたれるように倒れている死体を蹴ってどかす。そして扉を閉めながら、扉の向こうにいる隊員たちにハンドシグナルだけで指示を出す。
『前進』。『二つ目の左』。『三』。
隊員たちはそれだけで状況を理解し、銃を構えて前進する。
俺は進行の邪魔にならないように扉を閉めて部屋の中に。
そしてすぐに、
「ぎゃっ!」
「く、そぉっ!」
「ぐあっ!!」
アサルトライフルの連射音とともに、隊員たちのものではない三人の男の断末魔が聞こえてきた。
「……」
扉を開けて部屋の外へ。
隊員たちの向こうには三人の男の死体があり、二つ目の左の部屋の扉が開かれていた。
「ご苦労」
声をかけると隊員たちは鋭い目をしていた。
人を殺す者の目だ。
正義の名のもとに正義を執行する警官であっても、人を殺す時は誰もが同じ目をしている。
異様に冷たい目。
きっと、俺も同じ目をしているのだろう。
「……」
先の部屋の気配を探る。
「!」
この通路に入った時から気付いていたが、一番奥の部屋でごそごそと動いていた気配が消えた。正確には、壁の中に進んだ、だな。
部屋の窓には脱走防止のためか格子がつけられていた。だから、部屋から出るには扉から出てくるしかない。
だが、臆病な解体屋が脱出経路を一つしか用意していないわけがない。
ただでさえ、どん詰まりの行き場のない部屋。
人の気配や音を気にせず楽しむには良いのだろうが、緊急時には逃げ場がなくなる。
だから、奴は部屋の壁に細工をして緊急時の脱出口を作っていたのだ。隠し扉ってやつだな。
壁の向こうは外。
どうやら解体屋はこちらの狙い通りに、無事に建物から脱出してくれたようだ。
あとはケビン率いる特安の部隊がうまく手傷を与えて逃がしてくれるだろう。
「……」
他に敵はいない。
やはりこちら側には必要最低限の護衛しか置いていなかったようだ。
「……目標クリア。
ターゲットは無事に隠し通路から脱出したようだ。他に敵もいない」
状況を説明すると隊員たちは頷いた。
ひとまずの任務は達成した。
「……!」
が、解体屋がいた部屋にまだ人の気配が。
酷く気迫だ。これは衰弱しているのか。
数は……一人、か。
「最奥が解体屋の部屋だと思われる。
人質の女性がいる可能性がある。確認に行くぞ」
了解、と隊員たちが返事を返し、全員で一番奥の部屋に向かう。
進みながら上階にも気を配るが、やはり他に敵はいないようだ。
まあ、ヘリでも使って屋上から侵入されない限り、森に囲まれたこの地で上階を警戒する意味はないからな。戦力を一階に集中させる意味でも上には人は置かないか。
「……」
部屋の前に到着する。
敵がいないことは分かっているが警戒は怠らない。
「俺が入る。
お前だけついてこい。
他は待機」
「はっ!」
俺は女性警官を指名して部屋に入った。
直前まで解体屋と一緒にいたのなら、女性がどんな状態でいるか分からない。
男が大勢で押し掛けるのは避けた方がいいだろう。
俺も銃を下げてゆっくりと部屋に入る。
女性は精神的に弱っているだろう。まずは安心させてやらなければ。
「警察だ」
「ひっ!?」
俺が見えると女性は怯えたように声を上げた。女性、というよりは少女だな。学生ぐらいの年齢だろう。
「警察だ。犯人たちは捕まえた。逃げた奴も追わせた。
君を保護しに来た。もう安心していい」
「……けい……さつ……」
再び警察であることを明示。状況を説明する。
少女の体から少しだけ力が抜けたのを確認。
本当は犯人たちは残らず始末した上に解体屋は逃げたのだが、余計な不安は与えない方がいい。
「おい」
「はいっ」
女性警官を向かわせる。
「うっ!」
が、彼女は途中で足を止めてしまった。
周りの光景に気が付いてしまったのだ。
部屋にはベッドが六つ。左右に三つずつ。
一番奥の左に少女。手足をベッドに縛り付けられている。
一番奥の右のベッドには何もない。
そして、手前の四つには女性、だったものたち……。
ほとんど原形を留めていない。
ベッドのシーツは血と体液で元の色が分からなくなっている。
なぜ女性だと分かったのかというと、ご丁寧に顔と女性器だけはほとんど傷つけられていないからだ。
これは、死んでからも使っていたな。
「うぷっ」
「吐くなよ」
「うっ…………は、はい。すみません」
女性警官は吐きそうになったが、かろうじて踏みとどまったようだ。最初の頃は死体を見て吐きまくっていたケビンよりもよっぽど胆が据わっている。
「早く行ってやれ」
「はいっ」
女性警官は口元を拭うとベッドに縛られた少女のもとへ。ロープを切り、持ってきていたブランケットを被せてやる。
「……」
少女は薄手のワンピースを着ていた。
下着も着用している。
目立った外傷はなし……いや、左足の小指の爪だけないな。ギリギリだったか。
痛ましそうに血が流れている。
こんな環境だ。病院でのちゃんとした検査と治療が必要だな。
「……君は、ジェスパー家の娘か?」
「ひっ!」
なるべく優しい声で話しかけたのだが、やはり今は無理か。
「……そ、そうです」
少女は怯えた様子だったが、しかしやがて、ゆっくりと頷いた。
この状況下で錯乱せずにいたのは幸か不幸か……。
「無事で良かった。
君のお父さんもとても心配していた」
「……パパは、身代金を払ったん、ですか?」
「!」
意外そうな、驚いた顔。
まず聞くのがそこか?
まだ十六歳ほどと思われる娘が拐われたのだ。当然だろうとは思うが、ジェスパー氏は資産家となって新しい。
お金には厳しい人物だったのだろう。
「もちろんだ。
何よりも君のことを心配していた。
我々が突入して君を救出すると分かっていても、それでも彼は身代金を振り込んだ。
万が一にも、君を失いたくなかったのだろう」
「パパぁ……」
少女が涙を流す。
母親は彼女が幼い頃に病気で亡くなっている。
父親は娘のためにも仕事に忙しく、娘はそんな父親からの愛を信じられずにいた、って所か。
娘を大事に思わない父親なんて……まあ、あんまりいないのにな。
少なくとも俺は…………。
「……とにかく、君が無事で良かった。
足は大丈夫か?
まずはここから出よう」
女性警官に肩を貸すよう言って、少女に立ってもらう。
多少ふらつくようだが、何とか歩けるようだ。
本当はおぶってやりたいが、今は男が触れない方がいいだろう。女性警官が気を利かせて背負おうとしたが、少女はそれさえ遠慮していたしな。
「……あいつ、私を見ながら、自分で……してて。
それを私に見せて、嫌がる私に、また……喜んで……」
少しずつ歩きながら、少女は独り言のように呟いた。
「……」
今すぐにでも追いかけて解体屋を殺してしまいたくなる。
だが、奴のクソみたいな性癖のおかげで彼女はまだ生きていられたともいえるか。
「……もういい。君は無事だったんだ。
今は家に帰ることだけを考えていなさい」
「……は、い……」
少女はそれだけ言うと黙った。
彼女には十分なケアが必要だな。
「うわっ!」
「ひぃっ!」
「!」
少女を連れてゆっくりと部屋の入口に戻っていると、中を覗いてきた体格のいい隊員とメガネの隊員が声を上げる。
外で待機していろと言ったのに。
「……くそっ」
「……ちっ」
その声につられて他の二人も中に。
怒りを滲ませ、悔しそうに拳を握っている。
助けてやれなかったことへの憤りが強いようだ。
遺体の状態から見ても相当前から続けられていた凶行。ここにはない、片付けられた遺体もあるだろう。
俺たちが少女以外を助けられなかったのは仕方ないのだが、そう簡単に割り切れるものでもないといった所か。
「……」
まあ、安心するといい。
こんなことをしていた解体屋も、それを許容していたボスも、全部まとめて俺が喰らい尽くしてやる。
俺の目的でもあるから金も取らない。
銀狼が、お前たちの心の依頼を無償で受けてやるよ。
「分隊長っ!!」
「!」
その時、部屋の外から走ってくる隊員の声が聞こえた。
これはスティーブン警視の方の部隊にいた隊員の声だ。
「こちらは状況クリア。
作戦は成功。
生存者は一人」
「うわっ! ……あ、っと、了解です!」
隊員は部屋の状況に驚きながらも、俺の報告を受けて自らの役割を思い出す。
「警視が……隊長がお呼びです。
分隊長に見てもらいたいと」
「……分かった。すぐに行く」
隊員の報告を受けて俺たちは部屋の外へ。
少女を気遣いながら来た道を戻る。
「お前たちはここで待機していろ」
「はっ!!」
最初のT字路まで戻ると、若手の警部補だけを連れていく。
残りは護衛も兼ねて女性警官たちとそこで待機するよう命じた。
「こちらです」
「……ああ」
そして、隊員の案内にしたがってスティーブン警視のもとへと向かったのだった。
おまけ
「……パパ。また、今日もお仕事なの?」
ぬいぐるみを抱えた可愛らしい少女が見上げる。
「……ああ。すまない。
まだ人に任せられる仕事が少ないんだ。
執事とメイドたちの言うことを聞いて、いい子でお留守番するんだぞ」
少女の父親がしゃがんで彼女の頭を優しく撫でる。
「……うん」
父親の大きな手の温もりを感じながら、少女は涙を堪えて頷いた。
「……いってくるよ」
「……ん」
十年もたてば、まだあどけなさを残しつつも成長した少女はいつも通りに仕事に向かう父親を、顔も向けずに見送る。
「……悪いな。いつも仕事ばかりで」
「……いい。私のためでもあるのは分かってる。
早く行けば」
「……ああ。いってくるよ」
「……」
分かってはいても、それを許容できるほど少女はまだ大人ではなかった。
父親もそれを理解しつつも一歩踏み出せないでいた。
「……どうせ、仕事の方が大切なのよ」
父親が去ったあと、少女はふて腐れたようにそう呟いた。
「……」
そんな少女を、幼い頃から側にいた老執事が悲しげな顔で見守っていた。