4.バインバインな侵入者
マッチに火をつける。
小さな炎のはずなのに、ずいぶん暖かく感じるもんだ。
その火を口にくわえたタバコに近付ける。
軽く吸ってやると、マッチの火をタバコが吸いこむ。
マッチを持っている手を軽く振ってやると、人の命みたいにあっけなくマッチの火は消えた。
俺はビルの屋上に寝転がりながらマッチを適当に放り投げる。
タバコの煙や匂いでバレかねないからやめろと言われたことがあるが、これがないと集中できない。
この健康に悪い煙を体に入れてやらないと、俺の仕事の成功率は著しく低下する。
それに、そんなことで足元をすくわれるようなヤツは三流だ。
「……ただでさえ、うるさいのがいるから今は家では吸えないんだからな」
無表情ながらも眉を寄せて嫌な顔をする少女を思い出し、ふっと口角が上がる。
だが、笑ったところでふと気付く。
なぜ俺は自分の家なのに気を使っているのか。
あいつが咎めようが無視して吸いたい時に吸えばいいだろうに。
それなのに、俺はなぜ……。
『副流煙は児童の成育に著しい悪影響を与えます』
「……ふっ」
まあいいか。
俺はタバコを口に咥えたままスコープを覗く。
いつも通りに引き金を引く。
弾丸はいつも通りにターゲットの眉間にめり込んで頭を吹き飛ばす。
「……よし」
さっさと片付けを済ませ、咥えていたタバコを大きく一吸いすると、持っていた携帯灰皿にタバコを潰し入れる。
これで今回の依頼は完了だ。
「……あ、そうだ。
帰りにベーコン買ってくんだったな」
イブはお気に入りがないとまたうるさいからな。
「……やれやれ。
厄介なのを抱え込んだもんだ」
「あ!ジョセフ警部!
お疲れ様っす!」
「ああ、お疲れ」
現場に着くと新人のケビンがすでに到着していた。
署で事務をやっていた俺と違い、ケビンはちょうど外に出ていたから現着が早かったようだ。
「……で、状況は?」
毎度お決まりのセリフ。
今回の現場はわざわざ聞く必要がないほど調べつくしているが、それはこっちの俺ではないので知らないフリをして尋ねる。
知らないはずのことを言ってしまって怪しまれるというのがよくあるパターンなのだろうが、あいにく俺には完全記憶能力がある。
自分がどの立場で何を言ったか、それを覚えておくぐらいワケない。
「高層マンションの上層階の住人。
セキュリティバッチリ。
扉の外にはガチムチガードマン。
そんな中で強化ガラスの窓をぶち破って眉間に1発。
即死っすね。
検証したら、狙撃場所は2000メートル離れたビルの屋上らしいっす」
「ふむ。
前にも同じような事件があったな」
「ええ。
『銀狼』の仕業っすね」
時にはあえて自分から『銀狼』の仕業を匂わせる。
職務の立場上、そう推定するのに遜色ない時だけだが。
「これだけ離れた所から狙撃されたらどうしようもないっすね。
証拠も残ってないし。
これはまたコールドケース(未解決事件)っすね~」
「そうだな。
どうせ弾丸を調べた所で何も出てこないだろうが、解析だけはしておけよ」
何も出ないがな。
「もう鑑識に回してるっす。
たぶん今までと同じで入手ルートさえ分からないっすけどね」
「まあ、そうだろうな」
俺でさえ正確なルートは分かってないからな。
「ま、この被害者はクスリで儲けてこんな所に住んでるようなヤツですからね。
僕ら警察がなかなか逮捕できなかったのを『銀狼』が始末したと思うと歯がゆいですが、正直、自業自得かなとも思うっすよ」
「……あまり不謹慎なことは言うな」
今回の依頼人の動機はつまるところ復讐らしい。
べつに聞くつもりはなかったが、依頼人がペラペラと話していた。
家族がクスリに溺れ、家庭が崩壊したらしい。
その元締めだった男を始末してくれという依頼だった。
家族の保険金で報酬を支払えるということだったので引き受けた。
すでに報酬は受け取ったし、依頼人は海外に飛んだ。
この事件もまた、間違いなくコールドケースとなる。
「……はぁ。
解決しないと分かってる事件を捜査しないといけないのはしんどいっすね」
「……まあな」
それには同意する。
事件をそれなりに捜査し、書類を作成して今日はお開きとなった。
あとは鑑識からの報告をまとめて事件のあらましを提出したらめでたくお蔵入りだ。
署を出たら、近所のスーパーで食材を買って帰路に着く。
もう辺りは暗くなっていた。
俺は夜道をスーパーの紙袋を持ちながら歩く。
イブはほっとくと肉か甘いものしか食べないから野菜を多めに買った。
あいつは嫌そうな顔はするが、作ってやったものはなんだかんだ全部食う。
食べられるものは食べられる時に食べておく。
そんな環境下で生きてきたのだろう。
今後は栄養面においても自分で自分をコントロールできるように教えていかないとな。
「……ふっ」
気付いたら長期的にイブを育てる計画を練っている自分がたまに可笑しくなる。
あいつは俺を殺そうとしているのに。
俺もまた、いずれはあいつを殺そうとしているのに。
「……難儀なこった」
やれやれと苦笑しながら見上げると、俺とイブが住むボロアパートが見えた。
そこの2階の1室が我が家だ。
唯一の窓である出窓はカーテンが閉めてあり、部屋の明かりがついているのが分かる。
「……」
俺は少しだけ駆け足でアパートの入口に向かう。
懐の武器を頭の中で確認する。
警察としての俺の時は『銀狼』の時に常時携帯しているナイフは持っていない。
しかし、武器はいつも持ち歩いている。
足や腕に装着する類いのものもあるし、上着の内ポケットにはいつものとは別のナイフが入っている。
刃渡り10cmのSWISS+TECH。シーフナイフと呼ばれるタイプだ。
比較的コンパクトなのでカバーに入れた状態で胸ポケットに入れても違和感があまりない。
警察である所の俺の時はだいたいこのナイフを携行している。
なぜいま武器の確認をしたか。
いつもと窓の状態が違うからだ。
イブには夕方になってカーテンを閉める時、出窓に置いてある花瓶を15度ほど回転させるように言ってある。
イブは命令すればきちんと実行する。
そして、今日はあの角度ではない。
つまり、イブではない誰かがカーテンを閉めたか、あるいはイブが意図的にそれをせずにカーテンを閉めたということになる。
ようは、イブ以外の誰かがあの部屋にいるわけだ。
「……。 ちっ」
俺はいつの間にか走ろうとしていた自分を落ち着かせる。
焦るなんて俺(銀狼)らしくない。
そもそもイブが誰かの手にかかっていても不都合があるのか?
いずれは殺すガキだ……。
それが今でも……。
「……くそっ」
だが、それは何となく気にくわなかった。
そうだ。
イブに依頼した者の情報も得られていないではないか。
俺は自分にそう言い聞かせて、アパートの階段を駆け上がっていった。
「……」
部屋の前にたどり着いた俺は抱えていた紙袋を床に置き、扉にそっと手をつけた。
軽く力を入れて扉を少しだけ押すが、扉はまったく動かなかった。
やはり、イブではない誰かがこの扉を閉めたようだ。
うちの扉は少しだけ遊びがあるため、イブには鍵を締めたら扉を押しておくように言ってある。
そうすることで、俺が帰宅時に鍵を開ける前に扉を押すと、少しだけ扉が前に動くことになる。
それを知らないやつは内側から扉を閉めて鍵をかけるだけなので、外から押しても扉は動かない。
今が、まさにその状態だ。
扉の隙間を覗くと、鍵もかかっていないことが分かる。
「……」
俺は懐からナイフを取り出して右手に持ち、上着の右袖に忍ばせていた長尺の針を左手で抜き取った。
右手のナイフを逆手に持ち替えると、左手でドアノブを握る。うちのドアノブは回して開けるタイプだ。
「……」
一度、静かに大きく深呼吸をする。
自分の心を静かにすると世界が止まって見える。
そして、
「……!」
俺は一気に扉を開けて、部屋の中に押し入った。
「うまっうまっうまっ!」
「……」
「いっぱいあるからね~。
もっと食べていーわよ~」
「うまっうまっうまっ!」
「ふふふ、よく食べる子ね」
「……おい。
何やってんだ、リザ」
「あら、おかえり。
ジョセフ」
「ふぉふぁふぇふぃ」
……口から生クリーム溢れさせながら喋るな。
「……ったく。
来るなら連絡ぐらいしろよ。
誰が侵入したのかと思ったぞ」
俺はため息をつきながら武器をしまう。
「え~!
だって、あなたの連絡先なんて知らないもの。
いつもあなたが一方的に連絡するじゃない」
「……まあ、そうだが」
「うまっうまっうまっ!」
おまえはいつまで食ってんだ。
「ふ~。
食った食った」
イブはパンパンになった腹をぽんぽんと叩きながらご満悦の様子だった。
そりゃ、あんだけパンケーキ食えば満足だろうよ。
というか、1週間分ぐらいのストックがあったはずなんだが、こいつら全部食いやがったのか?
「改めて、『銀狼』の情報屋兼仲介屋のリザよ。
よろしくね、イブちゃん」
とりあえずイブの無限パンケーキが終わって、俺たちはソファーに腰掛けた。
リザがイブに笑みを向ける。
その妖艶な色気に惑わされる男も多そうだが、俺からしたら胡散臭さしかない。
「……イブはイブ。
リザはバインバインだから敵かと思ったけど、良いやつだから特別」
「ふふふ、嬉しいわ」
……いや、パンケーキで釣られただけだろ。
「というか、おまえどうやって入ってきたんだ?
うちの鍵はその辺の高級マンションより複雑なはずなんだが」
イブには訪問者が来ても出ないように言ってあるしな。
「あら、私の鍵開けテクニックを高級マンションより複雑程度で防げると思って?」
リザはニヤリと怪しげに笑ってみせた。
そうだった。
こいつはもともと殺し屋兼鍵屋として活動していたんだったな。
今は第一線を退いて情報と仲介でやってるが、現役時代には中央銀行の大金庫さえ抜いたって話もあるぐらいだ。
うちの鍵程度、朝飯前ってことか。
「イブ。
おまえも簡単に招き入れるなよ。
扉の向こうに誰かがいることぐらい分かるだろ」
イブなら、うちに意識を向けている人間の気配を察知することぐらいなら出来るはずだ。
「でも、リザには殺気とか悪意とかなかった。
家に入ってきてすぐに、ジョセフにイタズラしてやろうって言われたから喜んで招き入れた」
「ふふふ、イブちゃんは話が分かるから嬉しいわ」
「……おまえらマジで殺すぞ」
で、結局俺を待つ間にそのままパンケーキ祭りに発展したらしい。
リザは料理ができるからキッチンは無事だ。
「……はぁ。
まあ、それはもういい。
それより、今日は何をしに来た。
必要な時以外はおまえから接触するなと言ってあるはずだぞ」
俺はリザをじろっと睨む。
『銀狼』での仕事を仲介してもらうこともあるため、警部である所の俺の住所を教えてはあるが、必要以上に裏稼業の人間と接触するのは好ましくない。
警察として、そっち側とのコネクションがなくはないが、リザは本職も本職。
一警察の人間が容易く近付ける存在ではない。
噂程度にも勘繰られるのは避けたいのだ。
「……その、必要な時だから来たのよ」
リザは優雅に足を組むと、仕事モードに切り替えて話を始めた。
……イブ、スカートを覗くのはやめなさい。
「あなたが山で感じたっていう視線。
やっぱり元をたどるのは厳しいわね。
付近の監視カメラや車の轍も調べたけど映像はなし。車はあとで盗難車だって分かったわ」
「……そうか」
イブと山で修行をしていた際、帰りに感じたわずかな視線と気配。
俺たちの方を見ようとしていた意識。
それは微かなものだったが、たしかに感じられたものだった。
俺はそれの調査をリザに依頼していた。
雲を掴むような話だが、リザならば可能な限り調べてくれるだろうと思ったのだ。
「その車が盗まれるところは?」
「ダメね。
地元の半グレがやってて、そのあとは裏のブローカーに引き渡されてる。
そうなるともう追えないわ」
「……そうか」
リザが無理だと言うのだから無理なのだろう。
「とりあえずはこれぐらいかしら。
取り急ぎ伝えようと思ったのと、例のイブちゃんをこの目で見ておきたくて、迷惑だとは思ったんだけど来ちゃったわ。
悪かったわね」
リザが話は終わりだとばかりに立ち上がる。
……イブ、立ち上がる瞬間を狙ってスカートを覗かない。
「いや、情報提供感謝する。
引き続き調査を頼む。
情報料はいつもの方法で」
「まいど~」
リザは手をひらひらさせながらそう言うと、入口に向かっていった。
どうやら帰るつもりのようだ。
「あ、そうそう」
そこで、リザは思い出したように立ち止まってこちらを振り返った。
「最近、この辺で銀行強盗やってるバカがいるじゃない。
あれ、もしかしたら素人じゃないかもしれないのよ。
万が一依頼が来たら頼むかもしれないから、その時はよろしくね」
「ああ、警察でも追ってるよ。
半グレの素人だと見ていたが、それなら話が変わってくるな。
もし依頼が入るようなら早めに言ってくれ。
こっちの対応も検討する」
「おっけ~」
リザはイブにバイバイと手を振って部屋から出ていった。
俺とイブはしばらくリザが出ていった扉を並んで見つめていた。
「……バインバインパンケーキ姉さんと名付けよう」
「……やめてやれ」
「……じゃあ、黒パンツ姉さん」
「……そうなのか」
「……」
カツンカツンとハイヒールを鳴らしながらリザはアパートの階段を降りる。
「……ずいぶん懐いてるのね。
いずれは殺すのに……」
リザは恐ろしく冷たい目で階段を見下ろしていた。
ジョセフは、リザにはイブのことを話していた。
イブが自分を殺そうとしていることを。
そんなイブを殺し屋に育て上げようとしていることを。
そして、いずれは始末するつもりだということを。
「……あんなに懐かせて。
まさかあの子を亡くした娘と重ねてるんじゃないでしょうね」
リザは悲しそうに眉を寄せて、今にも泣きそうな声でそう呟いた。
「……あのバカ……」
そして、少しだけ悔しそうにそれだけ言うと、アパートを出て夜の闇に溶け込んでいったのだった。
おまけ
「……なにこれ」
「……野菜スティックだ」
「……」
「……おまえ、あんだけパンケーキ食っといてまだメシを寄越せとか、そんなアホなことほざくならこれが夕飯だ。
ほら、さっさと食え」
「……パンケーキは別腹。あれはおやつ。
夕飯はまた別」
「……別腹って量じゃねえだろ」
「……ぬう、解せぬ」