37.情報屋と殺し屋と警察官と幼子と。そして探偵と。
屋敷を離れ、その門扉を見渡せる場所に車を停めたリザ。
始まった彼女の独白を、助手席に座るゼットは顎に手を当てて聞いていた。
「ふむ。君が殺し屋であった過去など一切出てこなかったがね。
情報屋としてのほんのわずかな情報と、表の顔であるフリーライターとしての当たり障りのない記事ぐらいしか君に関する情報はなかったのだよ。
私が調べて出てこなかったのだ。本当に過去の全ての情報を消去したのだろうね」
「……」
当然のように自分たちのことを調べている。そしてそれを当たり前のように暴露する。
自分が調査されることをリザも分かっているからこそ、ゼットはそれを当たり前のように披露したのだろう。
「……当然よ。
私と銀狼の二人掛かりで、モノも人も完全に消したんだもの」
「……ふむ。記録も記憶も、ということか」
リザの言い方から、ゼットはすぐに記録だけでなくリザの殺し屋としての過去を知る人物さえ全て始末したのだと理解した。
「まあ、当時の仲間と呼べる人たちはとっくに全員死んでたから、消すのはクズだけだったけれどね。
……で、それが銀狼が受けた最初の依頼になったわけ」
「なるほど」
殺し屋たちの世界は入れ替わりが激しい。
ゼットは紳士として活動することでそのことをよく理解していた。
長く生き残っているということは、それだけで優秀である証明となる世界だから。
『情報は私の方で消去するから、あなたには私が殺し屋だったことを知る人間を全員始末してほしいの』
『……いいのか?』
『ええ。どうせ敵しか生き残ってないわ。女を道具としか思ってないクズよ』
『……そうか。分かった』
「いやしかし、ずいぶん徹底しているな」
ゼットは感心していた。
そこまでして銀狼の情報屋たろうとするその姿勢に。
「……私は銀狼の影。影は陰。表に出てはいけないの。
私が私であるのに必要なのは、銀狼を支えるために必要なものだけで十分なのよ」
「……殊勝と言っておこう」
フリーライターとしての表の顔も、情報屋としてのわずかな情報も、銀狼の活動を支えるために必要だからわざと残している。
そうでなければ、自分がこの世にいる形跡などいらない。
リザの狂気にも似た献身をゼットは否定しない。思うところはあっても口にしない。
彼女の口を閉じさせないために否定は必要ではない。
ゼットはリザという謎を解明し、知るために、リザに話を続けさせる。
『……お前はそれでいいのか?』
『もちろん。あなたをこの世界に誘い込んだ張本人として責任は取るわ。
これからは私があなたを全力で支える。
あなたは銀狼として目的を果たす。
私たちは、ただそれだけのためにこんな世界にいるのよ』
『……そうか。そのために、俺は生きていなければならないのか』
『……ええ。復讐という炎で燃やしてあげないと、あなたは自分の命の灯を今にも自分で消してしまいかねないもの』
『……それは、そうだな。否定はしない』
『……だから、こんな腐った世界にあなたを堕としたのよ』
『……巻き込んで、すまない』
『堕としたのは私よ。責任は取ると言ったわ。
堕ちるのも、燃えるの一緒よ』
『……そうか』
「前から疑問だったのだが、君たち殺し屋は何故に殺し屋などになるのだね?
銀狼の由縁は聞いたが、他の殺し屋が殺し屋になろうとする理由が気になってね。報酬はたしかに多いが、自身の命を代価にするには及ばないと思うのだがね」
ゼットは当初の問いから外れかけた話題を軌道修正する。
なぜ、リザは母親や子供というワードに過剰に反応するのか。なぜ、イブに過剰なほどの愛を注ぐのか。
それはどうやら、彼女の成り立ちから関連しているようだったから。
「まあ、理由は人それぞれでしょうけど、私やローズは両親が殺し屋だったから、というのが最たるものね。
私も物心ついた頃から人を殺す術を教えられたわ。
私の両親は完全にそっちにどっぷりだったから、表には存在さえしてなかった。だから、必然的に私にも表の世界には居場所はなかった。
この世界で生きるしかなかった、というのが理由ね」
「なるほど。サラブレッドなわけか」
「ふふ。まあそうね」
深刻な告白にもゼットはさらりとリアクションを返す。
リザはだからこそこんなにもあっさりと話せるのかもしれないと感じていた。
「で、まあ殺し屋なんてものをやってると、時には失敗することもあるのよ。私は銀狼と違って最強でもなかったから」
「ふむ。ターゲットはやはりそちら側の人間が多かったのかね?」
「そうね。両親が亡くなってその人脈を継いだから、必然的に依頼人もこちら側の人間がほとんどだったもの」
「……そうか」
ゼットはその時点でリザの話の続きを予測できた。
顔を曇らせないようにしても、声のトーンが気落ちしたことは隠せずにいた。
「で、殺し屋が失敗した時の結果はだいたい二パターンに分かれるわ。
殺されるか、捕まるかね」
だが、リザはそれに気付いているのかいないのか、構わずスラスラと話を続けた。
「で、特に女の殺し屋が殺されずに捕まったら、末路はもう決まってるわよね」
「慰みモノ、というわけか」
「そういうこと。
何度も失敗した経験のある私が今日まで生きているのは、そういうことよ。
まあ、男たちの相手をしながら隙を見て逃げたり、仲間が助けに来てくれたりしながら、だけどね」
「……君のプロポーションなら、まあそうなるだろうね」
「幸か不幸か、ね」
ゼットはリザの豊満な肉体を眺めながら呟いた。
リザはそれに肩をすくめて応えたが、ゼットの視線に不快な感情は湧かなかった。その視線に性的なものが一切含まれていないと分かったから。どちらかというと、同情に近い視線にも感じられたから。
「それでね。私、殺し屋時代に一度だけ警察に捕まったことがあるのよ」
「?」
ゼットは突然に切り替わった話に首をかしげた。
関連はあるのだろうが意図せぬ話題の転換。
自分の中では話が繋がっているが相手はそれを理解していないとは思っていない思考。
論理的な思考を好むゼットはリザの思考パターンに困惑せざるを得なかった。
男性の扮装をしている時は思考パターンをも男性寄りになる。
ゼットは女性の変装をしていないことを少しだけ後悔した。
本来ならば自分もその思考パターンには問題なくついていけるというのに。
「その時も依頼に失敗してヤバい組の奴らに捕まってて。代わる代わるいろんな男の相手をさせられてたわ」
「……」
非常に軽い口調で話すリザに、ゼットは黙って話を聞くことしか出来なかった。
「その時には助けに来てくれるような仲間はもう誰もいなかったし、私もこいつらに飽きられたらいよいよ終わりかなって思ってたんだけど、たまたまそこに警察が突入してきてね。
ドラッグの取り引きの摘発だったみたい。
私は連中に拐われた可哀想な女ってことで保護されたわ。
いろんな意味でもったいないからってことで、連中にドラッグを使われなかったのは幸いね」
「運が良かったのだね」
「今となってはね。当時はいっそ狂わせてほしいと思ったりもしたけど。
精神訓練も受けてたから心と感情を殺すことには慣れてたのよね。
で、その時に私を保護してくれたのがマリア。ジョセフの奥さんだったのよ」
「そうか。
彼の妻もまた警官だったな」
「ええ。とても正義感が強くて、優しい人だったわ……」
リザは遠くを眺めているようだった。
かつての幻影を追いかけるように。
「で、無事に警察に保護された私だけど、調べれば調べるほど私もまたとんでもない奴だってことが分かったわけ」
「まあ、表の社会には存在していない生粋の殺し屋なのだからね」
「そうそう」
リザは楽しそうに笑っていた。
「で、私の方も完全にアウトではあるけれど、確たる証拠は出なかったのよ。
私のターゲットは裏の奴らだけだし、証拠なんて残さないしね」
「だが、警察としても野放しには出来ないと」
「そう。
そこで、マリアが自分が保護観察すると名乗り出たの」
「なるほど。正義感が強くて優しい、ね」
「ええ。その時には私が病院の検査で妊娠してることが分かってたからなおさらでしょうね」
「……そう、なのだね……」
あっさりと述べられた悲しき事実にゼットは声を詰まらせることを止められなかった。
「まあ、それが初めてじゃなかったもの。そういうクズの相手をさせられていればそうなるわよね。
で、その時も何度目か分からない堕胎手術を受けたわ。費用はマリアが負担してくれて」
「……」
「で、私はそのままマリアたちの家に下働きとして雇われたの。
ジョセフとはそこで初めて会ったわね。
マリアたちの間には娘が一人いたわ。子供はまだ幼かったけれど二人は警官、交代で面倒を見ていても緊急の呼び出しなんかもあって育児が大変だったみたい。
だから私が家事をこなしながらその子の面倒を見たりもしたわ」
「その子の名前もイブ、だったか」
「ええそうよ。
というか、今のイブちゃんの名前をその子からとったことになるわね」
「今は亡き我が子の名前をつけるなど、いったいどんな心境だったのだろうね」
「……ホントに、ね」
ゼットはジョセフたちの背景をおおかた把握しているようだった。
そのため、リザはゼット側から出された情報に対してはそのまま認めることにしたのだった。
「……平和だったわ。
マリアもジョセフも優しくて、カッコよくて、イブちゃんは可愛くて。
イブちゃんはころころとよく笑う可愛い女の子だった。
もしかしたら、いつか私もこんな子を……なんて馬鹿なことを考えたりもしたわ」
「馬鹿なことなどではないのだよ。
それを望むことは生物ならば当然だ。何もおかしいことはないのだよ」
「……ありがと」
ゼットらしい言葉にリザは素直にそう応えられた。
「……でもね、やっぱりそれは馬鹿なことなのよ」
「……」
「……私はもう、子供が出来ない体になっちゃったから」
「!」
リザは自嘲気味に笑う。
「当然よね。
さんざん馬鹿みたいなことして、何回も宿した命を殺して。他人を殺すだけじゃなく、自分の中に生まれた命まで殺すんだもの。
生粋の殺し屋にはお似合いの罰よ」
「……だが、それは望まずに生まれた命だ」
「……それでも、命は命よ。
生まれるはずだった命を、私はとくに深く考えることもなく殺したの。何度も、何度もね」
リザは悲しげに笑う。
もはや涙は出ない。
とうに枯れ尽くしたから。
「……だから、私はイブちゃんを守ると決めたの。
私を地獄から救ってくれたマリアとジョセフの大事な子供だから。
我が子、なんておこがましいことは言えないけど、そういうつもりで守っていこうと、そう、決めたの……。決めた……のに……」
「……」
ショッピングセンター爆破テロ事件。
事件の顛末はゼットもすでに把握している。
「……事件当時、私は家の掃除をしてたの。
久しぶりにマリアたちが揃ってお休みを取れたからってことで、家族水入らずで出掛けてきてって言って。
皆は私も一緒にと言ってくれたけど、ごちそうを作って待ってるって言って家に残ったわ。
……皆の優しさに甘えて、一緒に、行けば良かったのにね……」
「……」
ゼットには『一緒に逝けば……』と言っているように聞こえた。
「イブちゃんはね。少しずつ喋りだして、歩きだして、おぼつかないながらもちょっと走ったりも出来るようになった頃で、久しぶりのパパとママとのお出掛けにとても喜んでいたわ」
リザは穏やかに微笑んでいた。
まるで我が子の成長を見守る聖母のように。
「……でも、私が三人を出掛けさせたせいで、マリアもイブちゃんも死んでしまったの。
イブちゃんを我が子のように、なんて馬鹿みたいなことを思ったから……」
それは、何度繰り返した後悔か。
何度繰り返した懺悔か。
「それは違うね。
博士はタイミングを図っていたのだろう。
たまたまその時だったというだけで、遅かれ早かれその時は来ていたのだよ。
君のせいだと感じるのはお門違いというものだ。
人は抱えきれないトラウマに直面した時、愚かにもさらに自分を追い詰めるように思い込もうとする傾向が見られる時もあるのだよ」
「ふふ。ありがと。優しいのね」
「探偵は時には優しさを見せることも大事なのだよ」
「ふふふ」
嫌味のないゼットの慰めにリザは心が少し軽くなった思いだった。
「……ジョセフをこっちの世界に引き込んだのは、私のエゴでもあったわ。
これ以上、誰も失いたくなかったのよ」
「……それほどに、彼は危険な状態だったのだね」
「ええ。今にもマリアたちの後を追ってしまいそうなほどに」
「私は、君の判断は正解だったと思うがね。
職業柄、死後の世界などというものを信じてなどいないが、自ら死を選んだ彼が彼女たちと同じ所に逝けるとは思えないからね」
「……そう、ね」
リザ自身もそう思って自死を選ばなかった。ジョセフを一人残しては逝けないという思いも強かったが、ジョセフとともに死を選ぶという道を選択しなかったのは、何となくその先にマリアたちはいないと思ったからだった。
「でね。
マリアたちが死んでしまって、ボロボロになったジョセフを私が支えなきゃと思ったの。助けなきゃって思ったの。
たぶん私自身、そう思うことで私を保ってたのかもね。
……そう思うぐらい、私の中でジョセフの存在が大きくなってたってのも、正直あるけどね」
「……なるほど」
それは抱いてはいけない感情だとは分かっていた。
けれども抑えることなど出来なかった。
一度、自覚してしまえば戻れない。
それが恋というものだと、リザはその時に初めて知ったのだった。
「自分を救ってくれた親友の旦那に惚れるとか、ホント私ってとんでもない女よね」
リザが自嘲気味に笑う。
ほとほと呆れ果てたという様子で。
「私はそれを特段愚行であるとは思わんがね」
「ふふ。あなたはそうでしょうね。
でもね、ダメなのよ。
その人のことを好きになんてなっちゃダメなのに。
その人の子供をこの身に宿すことなんて、出来やしないのに……」
涙は出ない。
とうに枯れ果てたから。
ジョセフの過去については、リザはマリアたちの家で働き始めてしばらくしてから全てを教えてもらっていた。
孤児院の出で、噂に聞く『ホーム』の出で、そこから逃げ出して保護されて、しかしその後に義理の両親は殺されて……。自分と同等かそれ以上に過酷な人生を歩んできた人。
それでも警察官として立派に働き、結婚し、子供をもうけ、幸せな家庭を作った人。
こんなとんでもない人生を歩んできた自分をあっさりと受け入れ、一人の人間として扱ってくれた人。
『心配するな。
お前もマリアもイブも女だ。
これからは全員まとめて俺が守る。
だから安心してこの家で働け』
『わ、わかったわ』
『こらっ』
『いたっ』
『言い方悪すぎ。
それに女だからってのは駄目よ。そんなの関係なくあなたは私たちを守るの。で、私たちもあなたを守るの。
家族ってのはそういうものなの』
『い、いや、だから俺は……』
『リザ』
『な、なに?』
『あなたも、その家族の一員なのよ。
この人はそういうことを言いたかったの』
『!』
『ね?』
『ま、まあ、そういうことだ』
『素直じゃないわねー、このこのっ』
『こ、こらっ。やめろ』
『……ふふ』
「……それで、ジョセフは銀狼として、私はそのサポートをする情報屋として活動を始めて、いつしか銀狼が最強の殺し屋なんて呼ばれるようになって。
それからずいぶんたって復讐は果たしたけど、まだそれは終わってなくて……。
そんな折り、ジョセフが一人の女の子を引き取ったのよ」
「それが、今のイブなのだね」
「ええ」
リザは複雑そうに苦笑する。
「始めは、何を考えてんのよ! って怒鳴ったわ。銀狼の身の上で幼い子供を引き取るだけでなく、亡くした我が子と同じ名前をつけるだなんて……」
「まあ、当然の怒りだろうね」
「でも、ジョセフの意思は固かった。この子を引き取り、殺し屋として育てると。
その子がじつは銀狼暗殺の依頼を受けた殺し屋だってことはそのあとに聞かされたわね」
「やれやれ。順番を間違えなければ怒られることもなかっただろうに」
「まあ、それがジョセフよ」
ゼットは呆れたように肩をすくめる。
「……でもね、似てるのよ。今のイブちゃんは。二人の子供のイブちゃんに。
だから、私もいつの間にかそれを受け入れてた……」
「似ている、というのは容姿の話かね?」
「……それが大きいわね。
綺麗な金髪。青く澄んだ瞳。あっちのイブちゃんは髪は長くなかったけどね。
今のイブちゃんはほとんど無表情だけど、あっちのイブちゃんは本当によく笑ったわ。
二人の違いはそこぐらいね。
まあ、マリアたちはイブちゃんを殺し屋として育てるつもりはないみたいだったから当然だけど。
たぶん、イブちゃんがそのまま生きていたらあんな感じになってたんだろうな……。
だから、今度はどんなことがあっても必ず守ると決めたの」
リザは決意に満ちた目をしていた。
「……利害を言い訳に、亡き我が子の面影を重ねたのだね」
「……根も葉もない言い方をすれば、そういうことね」
ズバリと核心を突かれたリザだったが、ゼットの言い方に悪意はなく、ただ事実を述べただけだったように感じられたため、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
「……それは、本当に他人なのかね?」
「…………何が言いたいの?」
しかし、ゼットのその一言でリザは表情を変えた。
明らかな不快感。
ゼットはリザからすぐにそれを感じ取った。
「二人のイブ。
最初のイブが生きていた場合、今のイブと年齢がピッタリ合致したりはしていないかね?」
「……今のイブちゃんの正確な年齢が分からないけど、少しだけ違うわね」
「どう違うのだね?」
「今のイブちゃんの方が少しだけ幼いわ。
本当なら、もう少し年齢が上のはずよ」
「ふむ……」
「……それで?
あなたは死んだはずのイブちゃんが実は生きていて、今のイブちゃんがその張本人なんじゃないかと思ってるとでも言うつもりなの?」
「……」
明らかな敵意。
一瞬にして敵認定を受けた。
ゼットは自分が彼女の地雷を踏み抜いたのだと理解した。
「あくまで外側から見ると、という話さ。
あまりに出来すぎている。
そんな偶然はもはや運命ですらなく必然ではないかと。
何者かの意思が働いているのではないかと。
探偵という者はそんなふうに勘繰ってしまう生き物なのだよ」
「……」
だが、リザの逆鱗に触れることはゼットの思惑通りだった。
感情を揺さぶれば心が揺れる。
そうすることで見えてくるものもある。
ゼットはリザたちが孕んだ謎を解くために水面に一石を投じたのだ。
「……あなたらしいわね」
「……」
だが、一瞬揺らいだ水面はすぐに波をおさめて凪となる。
「でも、それはあり得ないわ」
「なぜだね?」
「……私とジョセフは、二人の遺体を確認したもの。
一部、損壊してる部分もあったけど、あれは間違いなくマリアとイブちゃんだったわ……」
「……そうか。それはすまないことを聞いた」
「いいのよ。そのことを知らなければ、可能性として二人のイブちゃんが同一人物であると考える気持ちも、改めて考えれば理解できるわ。
それほどに、二人のイブちゃんは似ているもの」
「……」
ゼットはジョセフたちの子であるイブの写真を確認していた。
満面の笑みを浮かべた幼子。
しかしそれは、やはり今のイブと似通った部分が多かった。
ゼットが二人を同一人物ではないかと疑うのも頷けるほどに。
「……」
だが、その疑惑は一蹴された。
これほどに執着する存在。ジョセフとリザが二人の遺体を見紛うはずもない。
ゼットは思考のリセットとリスタートが必要だと感じた。
「!」
が、ちょうどその時。
屋敷の門が開かれた。
「……ようやく出てきたわね」
姿を現したのは老執事だった。
今日の仕事を終えたようで、周囲を注意深く確認し、酷く狼狽した様子で屋敷を出ていく。
どうやら彼は住み込みではなく通いのようだ。
「ふむ。少し向こうを向いていたまえ」
「え? あ、はい」
唐突にゼットにそう言われたが、リザはそれに素直にしたがって窓に目を向けた。
そして、隣で動く音がして数秒。
「もういいぞ」
「え?」
隣から突然に少女の声が聞こえて、リザは慌てて視線を助手席に戻した。
「では、私は行く。
君は先ほどの事項の調査を頼むよ。
結果は依頼時と同じ連絡方法で」
そこにいたのはイブよりも少しだけ年上に見えるメガネをかけた少女だった。少女は可愛らしい緑色のワンピースに身を包んでいた。
「……は、はい」
リザは頭が混乱したが、話の内容的にも目の前の少女が先ほどまで壮年のスーツの男性だったゼットであると思い、こくりと頷いた。
「……しかし、私が解体屋の居場所を突き止めた所で、我々ではどうしようもないのではないかね?
私自身に戦闘能力はないし、君も現役ではないのだろう?」
車から降りようとしていたゼットだが、ふと思い出したようにリザに尋ねた。
「大丈夫よ。ジョセフが出来ることはするって言ってくれたもの。
きっと、場所さえ分かればあとはジョセフが何とかしてくれる」
ゼットの少女の姿に動揺していたリザだったが、その問いにはすぐに自信をもって応えた。
「ふむ。信用しているのだな、銀狼を」
「信頼してるのよ、ジョセフを」
「……ふむ。愛だな」
「そう呼んでもらっても構わないわ」
「ははっ」
イタズラな笑みでウインクするリザにゼットは思わず吹き出していた。
「ああ。私への依頼料だが、今の君の話で十分だ。必要経費は別途いただくが、探偵ゼットへの依頼料は君の独白で完済したと思ってくれていい」
「え!?」
「ではな」
そして、ゼットは満足そうにそれだけ告げると助手席のドアを開けてさっさと車を降りていった。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
リザは慌ててゼットを呼び止める。
依頼によってはこの国の議員の年収に匹敵する金額が必要とも言われている、世界一の名探偵ゼットへの依頼料。
それが自分の話だけで済むなど、リザには到底信じられなかった。
「最強の殺し屋銀狼の秘密に迫る話だ。
依頼料としては十分すぎるのだよ」
ターゲットである老執事から目を離さずに、足を止めたゼットがリザに応える。
「で、でも……」
「金などいくらでも手に入るのだよ。
だが、私が求むるは謎。
そして、私にも解けない可能性のある謎とは人の心理。
私には、君たちの心理と真相を解き明かすことが何よりの報酬と言えるのだよ」
「あ、ちょっ!!」
ゼットはそれだけ言うと、流れるように老執事の尾行を開始し、あっという間にリザの前から姿を消した。
おそらくリザから見えなくなった時点で再び姿を変えているだろう。
「……私は、私のやるべきことをやらないと、よね……」
いろいろと考えなければならないことはあったが、リザは今は目の前の命に目を向けることにしたのだった。
「……と、いうわけだ。
ケビン。特安の部隊を俺に貸せ」
「え、困るんすけど……」
「困る程度なら問題ないな」
「そ、そういうことじゃ……」
おまけ
「あら、ジョセフ?
どうしたの?」
両手に重そうな買い物袋を提げたリザのもとにジョセフが現れる。
「……寄越せ。俺が持とう」
ジョセフは現れるなり、リザから奪うようにして買い物袋を持ってくれた。
「あ、ダメよ。これは私の仕事よ」
雇い主であるジョセフに持たせるわけにはいかない。
リザは慌てて買い物袋を取り返そうとする。
「……いや、俺が持つ。
女にこんな重たいものを持たせるわけにはいかない」
しかし、ジョセフは頑なに買い物袋を返そうとしなかった。
「……マリアに何か言われたの?」
「……俺が、リザも家族として接したいと相談したら、『私やイブにするようにしてあげれば、たぶんそれだけでいいわ』と言っていた。
だから、これは俺が持つ」
「……」
ジョセフはそれだけ言うと、さっさと歩いていってしまった。
「……もう」
かすかに赤く染まったジョセフの耳に気付かないフリをして、
「待ってよ! 半分持つわ!」
リザはジョセフの背中を追いかけたのだった。