表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
36/64

36.探偵は情報屋とともにニューロンの海を泳ぐ。

「やれやれ。まさか君から依頼を受ける日が来るとは思わなかったよ」


 豪奢な邸宅の前で、巨大な門を見上げるようにして眺めているのはスーツ姿の壮年の男性。


「ちゃんと正規の窓口から依頼したじゃない。というか、貴方への依頼難しすぎよ。

 私でもかなりの手間がかかったわよ」


 そんな男を横目で見ながら、胸元の開いた真っ赤なドレス姿のリザは門の奥の屋敷を眺める。


「それでも私に依頼したいと申し出る者はあとを絶たないのだよ」


「ったく。さすがは世界一の名探偵様ね」


 わざとらしく銀縁のメガネをくいと上げるゼットにリザは呆れた表情を見せた。


「……それよりも、よくもあの堅物がこんなことを許したものだね」


「……ホントに、ね」


 ゼットがチラリと横目でリザを見やると、リザは苦笑しながらその時のことを思い返した。






ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



「……ゼットと私で、依頼主のもとを訪ねてみようと思うの」


「……ゼット、か」


 私がそう提案すると、ジョセフは視線を少し下に外した。どうやら考えているみたいだ。

 ジョセフは人の目をしっかり見ながら話す。見ながら、というよりは目を離さないといった方がいいかもしれない。

 本人は職業柄だと言っていた。警察と殺し屋、どちらもの。


「……」


 そんなジョセフが私からは視線を外してくれる。

 そんな些細な事でも、ちょっと嬉しいなどと思ってしまう私はだいぶ重症だろう。


「……それで?

 ゼットを連れて依頼主を訪ねてどうする?」


「……」


 今の一瞬にも近い時間で、ジョセフはどれだけの思考を働かせたのだろう。

 きっともう、この話の着地点まで彼には見えているのだろう。


「身代金の受け渡し場所、日時、娘さんが拐われた状況。それらをこと細かく聞き出して情報を集めるわ」


「……おそらく受け渡し場所に娘も解体(バラシ)屋もいないぞ。さらには身代金の受け渡しに口座への振り込みを指定している可能性も高い。奴らなら後から調べられても足がつかない口座を用意することぐらいワケないだろうからな。

 べつに金を受け取ったからといって娘を返す必要もないんだ。それでも親は金を払うだろうしな」


 やっても無駄だと言いたいんだろう。

 そんなのは分かってる。分かってるのよ……。


「……それでも、ゼットならそこから奴らの居場所までたどり着けると思うの」


「……」


 少しだけ困った表情。

 食い下がる私をどう諦めさせるか困ってる。


「……分かってるわ。

 甘いって言いたいのよね。

 人のスペックに頼ったあまりに不確実な行動。私たちが危険な目に遭う確率を上げるだけだって」


「……まあ、な」


 ジョセフがオブラートに包んで言おうとしていたことをあえて直接私から言ってやった。

 さっきよりもさらに困った表情。

 こんな困らせるつもりなんてないのに……。


「……それでも……それでも、無関係の女の子が酷い目に遭ってるのが分かってて、それに手を差し伸べられそうなのが分かって、それでもなお動かないなんてことが、私には出来そうもないの……」


「……」


 無理よね。

 分かってる。

 銀狼としてのジョセフは不確定を嫌う。

 そして驚くほど冷淡で冷静で。

 ジョセフの中の銀狼は揺るがない。

 だから銀狼は強い。

 こんな感情だけの訴えを甘んじて許す銀狼じゃ……


「分かった」


「……え?」


 今……なんて?


「分かった、と言ったんだ。

 やるだけやってみるといい。

 俺の方でも、出来る手は打っておこう」


「……いい、の?」


 そんなの、銀狼の判断じゃ……。


「……これは銀狼としての判断ではない。

 日ごろ世話になっているリザへの、俺なりの恩返しだと思ってくれていい」


「素直じゃない奴だのう」


「……殺すぞ。黙ってパンケーキでも食ってろ」


「うままままままっ!!」


「……ったく」


「……」


 少しだけ照れくさそうな顔。

 戻さない視線。わざとらしくイブちゃんの方ばっか見て。


「……うん。ありがとう。

 頑張るね」


「……無理はするな」


 ホント、ズルいんだから。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




「ふむ。では、そろそろ行こうか」


 懐中時計を確認したゼットが一歩踏み出す。


「でも、ホントに依頼主にアポを取らずに来たの?」


「うむ」


 リザの問いにゼットは自信満々に頷く。


「君たち殺し屋は依頼がなければ動けないだろうが、私は探偵だ。

 悩みや困り事のない人間は少ない。

 そこにつけこみ、上手いこと入り込んでやればいくらでも仕事は得られる」


「ずいぶんな言い方ね」


「それに、この状況でアポを取るなどという行為は愚かと断ずる他ないだろう」


「……奴らに感付かれるからね」


「その通りだ。どこに眼や耳があるか分からないからな」


「……」


 屋敷内に手引きした者がいる可能性がある。

 リザにはゼットの言わんとすることが理解できた。


「でも、こんな状況で私たちの話を聞いてなんてくれるかしら」


 リザが固く閉ざされた門扉を見上げる。


「そこは、世界一の名探偵の腕の見せ所というやつだよ」


「あら。じゃあ、その腕前とやらを見せてもらおうかしら」


 再び銀縁メガネをくいを持ち上げたゼットにリザものっかっていく。


「うむ。君は今日は私の助手として、せいぜい舞台で華麗に踊ってくれたまえ」


「ふふ。踊るのは得意よ」


「よし。では、行こう!」


 そうしてゼットは門扉のインターフォンを押したのだった。





『……はい。どちら様でしょうか?』


 インターフォンから聞こえてきたのは落ち着いた老年の男性の声。

 熟練の執事といった所だろうか。


「突然の訪問、申し訳ない。

 私は探偵をやっている者で、名をゼットという。

 当主殿はご在宅だろうか?」


 執事からの問い掛けにゼットが答える。

 ハキハキとした自信に溢れた声。


『……』


 しばしの沈黙。


『……申し訳ありませんが、事前にお約束のない者をお通しするわけには参りません。

 お引き取りください』


 執事はそう言うとインターフォンを切ろうとする。

 そこにゼットは追加で情報を渡していく。


「事前にアポを取ると娘さんが危険かと思ってね」


『!』


 インターフォン越しに息を飲むのがリザにも分かった。


『……』


 再びの沈黙。


『……申し訳ありません。お引き取りください。

 あまりイタズラが過ぎると警察を呼びますよ』


 しかし、執事はやはり冷静だった。

 すぐに動揺を隠し、ゼットの言葉を突っぱねた。


「ふむ。良いのかね? 警察を呼んでも。

 それは、そちらが困るのでは?」


『っ!』


 執事は確信しただろう。

 探偵を名乗る男は当家の事情を把握していると。


『……』


 そして、しばらくの沈黙のあと、


『……お入りください。

 当主がお会いになるそうです』


「うむ」


 ギィ、と閉ざされた門扉が自動で開いていく。


「さて、では行こうか」


「……すいぶん手慣れてるわね」


 門をくぐり、二人で屋敷までの道を歩きながらリザが尋ねる。


「探偵というものは、私は今でこそいくらでも舞い込んでくるが、本来は自らの手と足と頭で依頼を得ていくものだ。

 そして、探偵などという胡散臭さの塊を相手に信じさせるために人心掌握術は必須なのだよ。

 ようは、相手に有用だと思わせればいいのだ」


「なるほどね」


「ふふ」

 

「ん?」


 道中、突然に笑みを浮かべたゼットにリザは首をかしげる。

 リザは高身長の成人男性の姿のゼットにようやく慣れてきていた。

 待ち合わせ場所に現れた時はそれこそ助手でも出されたのかと思ったほどだった。


「いやいや、失敬。

 いったいどんな謎が私を待っているのかと思うとね、ふふふ」


「……ずいぶん楽しそうじゃない」


「なあに。私はそう作られたからね。

 頭脳に特化した第三世代(サード)

 しかしてその実態は常にニューロンに刺激を求める貪欲な知識欲の塊なのだよ」


「……」


 しかし、コレはやはりゼットなのだとリザは確信する。

 自身のことを「作られた」などと安易に発してしまえる精神性。

 この、どこか頭のネジが一本外れているかのような狂気にも似た感性。

 それは、紛れもなく銀狼と似ていたから。


「……」

 

 世界一の名探偵といわれるゼットが、裏では調べ屋紳士(ジェントル)として活動しているのは、表だけでは得られない謎を求めた結果なのだろうとリザは結論付けた。


「……まあ、今回の件はあんまり謎って感じじゃないだろうけど」


「ふふ。問題ないさ。

 わずかなピースから本命を探し出す。それは立派な謎足り得る」


「……ならいいけど」


 その笑みと興味が人類にとって牙を剥かないことをリザは祈るのだった。












「お初にお目にかかります。

 当主のウィリアム・ジェスパーと申します」


 ゼットたちは屋敷に入ると、先ほどの執事と思われる老年の男に部屋に案内された。

 執事は門扉での非礼を詫びると特にそれ以外の発言もなく案内を開始した。


 二人が豪奢な接待部屋に入ると、グレーのスーツを着こなした壮年の男性が折り目正しくお辞儀をして二人を出迎えた。

 どうやら彼がこの家の当主のようだ。


「……」


 リザは男をさりげなく観察する。

 年は四十代前半。三十代後半設定であろうゼットよりは少しだけ上。

 育ちの良さと勤勉さが顔に表れた実直に見える男。

 だが、先ほどの執事もそうだが顔色が悪く、やつれているように見えた。


「うむ。私はゼットだ。探偵をやっている。

 こちらは助手のリザ。

 よろしく。ウィリアム」


 尊大な態度のゼットの横で、リザはドレスのスカートを摘まんで可憐にお辞儀をしてみせた。

 ゼットがその態度でいくのなら自分は殊勝にいくのがいいと判断したようだ。


 ゼットはその姿を満足そうに見やる。

 どうやら正解だったようだ。


「……失礼ですが、貴方は本当にあの名探偵ゼットなのでしょうか?」


 そこで、ウィリアムの目が突然に厳しいものに変わる。


「!」


 リザはいつの間にか先ほどの執事が背後の扉を遮るように立っていることに気が付いた。


「……」


 そして、すぐにかつての殺し屋としての勘がリザに警鐘を鳴らした。

 彼らは武器を所持している、と。


「……」


 だが、「丸腰で来い」とゼットに念を押されたリザにはそれに対抗する手段がなかった。


「!」


「……それは?」


 リザが判断に迷っていると、ゼットはいつの間にか両手を上に挙げていた。丸腰であり、害するつもりはないことをアピールしているようだ。

 そして、そのままゆっくりとマイペースに口を開く。


「私がゼットであるかどうかを証明するものを私は持ち合わせていない。

 なぜならゼットの正体を知る者は誰もいないからなのだよ。

 正体不明。神出鬼没。

 そんな不審な輩なのに世界一の名探偵と賞して皆が私に依頼をするのは、私が必ずその謎を解き明かすからなのだよ。

 舞い込む依頼を全て解決し、謎を解き明かし、そうしていつからか世界一の名探偵と呼ばれるようになった。それが私であり、ゼットという存在なのだよ」


「……」


 ウィリアムはゼットの話を黙って聞いていた。

 リザはその間にゼットに倣って自身も両手を挙げた。


「まあ、考えてもみたまえ。

 娘が拐われ、身代金を要求されているこの状況で、新たにネズミが潜り込む必要はあるかな?」


「……」


 ウィリアムの表情がひきつる。

 ゼットがどこまで情報を掴んでいるのか知りたいのだろう。


「私はそんな情報を得て、仕事の匂いを感じたから立ち寄ったまでのこと。

 事態は急を要することは理解しているのだろう?

 私が手伝えば、少なくとも金だけを取られて終わり、という状況にはさせずに済むとは思うがね?」


「っ」


 ウィリアムがさらに顔を歪ませる。

 娘は無事に帰ってこない。

 想定していた最悪の事態、だが、起こり得る可能性が非常に高い事態。

 それをズバリ言い当てられ、ウィリアムにはもう選択の余地も余裕もなかった。


「……いや、申し訳ありませんでした。

 貴方は間違いなく名探偵ゼットです。

 正式に事件解決に向けた依頼をしたいのですが、宜しいでしょうか?」


「うむ。始めからそのつもりなのだよ」


 警戒を解かれたウィリアムにソファーを勧められ、ゼットはそこにドサッと身を沈める。

 リザはどうすべきか迷ったが、ゼットが隣に座るよう促したので、そこに座ることにした。

 ウィリアムも向かいのソファーに腰をおろすと、背後の執事は扉の向こうにいたメイドにお茶を用意するよう命じ、自身は主の斜め後ろに控えるようにして立った。


「それで?

 現在はどんな段階なのかね?

 身代金の要求は? 方法は?

 可能ならば娘さんが拐われた状況も詳しく聞きたいのだが」


 ゼットはお茶が到着するのを待つことなく口を開く。

 どうやら急を要するというのは本当のようだ。


「……身代金の要求の連絡が先ほど。

 受け渡しは口座振込み、です」


「まあ、そうだろうな」


 ウィリアムの言葉をゼットは顎に手を当てて噛み締めるように聴いている。


「娘は学校からの帰り道でした。

 いつもは車で送り迎えをしていたのですが、その日は友人と予定があるとのことで、終わり次第、迎えを出す予定でした」


「ふむ。機会を窺っていたか?

 一応、その友人とやらも調べておくか」


 ゼットがチラリとリザを見やると、それに応えるようにリザは頷いた。

 リザは調査対象を懐から出したメモに書き記していく。


「まさか、友人がグルだとでも!?」


「そうではない、とは言わないが、その可能性は低いだろう。

 ようはその友人からも何らかの手段で情報を得ていた可能性があるということだ。その日に娘さんと出掛けるという情報をね。

 相手を調べる情報は一つでも多い方がいい。

 友人を脅して誘い出してくれていたらずいぶん楽なんだが、そんな愚かな真似をするような奴らではないだろう」


「……そう、ですか」


 ウィリアムは取り乱したが、ゼットの冷静な説明にすぐに落ち着いたようだ。

 ゼットは静かに、それでも退屈しないように波をつけて話す。

 相手の一挙手一投足を見ながら、些細な変化も見逃さないように。


「失礼します」


 そこに、メイドがお茶とお茶菓子を持って入室。

 話が一旦止まる。

 どこから話が漏れるか分からない。

 全員がそれを理解しているようだった。


「どうぞごゆっくり」


 お茶を配り終わると、メイドはワゴンはそのままにすぐに退室した。お茶のおかわりがあれば執事が対応するのだろう。


「……良い香りだ」


 ゼットはすぐに湯気の立つ紅茶のカップを持ち上げた。


「……」


 リザは内心、驚いていた。

 自分は出されたものに口をつけるつもりはなかったが、ゼットは何の躊躇いもなしにそれに手をつけたからだ。


「おっとっ」


「きゃっ!」


 しかし、ゼットは紅茶を口に入れる寸前でカップを傾け、紅茶を溢してしまった。

 自分にもリザにもかからないように、ソファーだけに。


「だ、大丈夫ですか!?」


「ああ、すまない。

 執事くん。何か拭くものをっ」


「しょ、少々お待ちを」


 取り乱された場で、執事はゼットに言われて慌てて部屋を飛び出す。

 メイドが置いていったワゴンにはソファーの染み取りをするような用具などないことは確認済みだった。


「……さて」


「わっ!?」


 執事が部屋から出たのを確認すると、ゼットはウィリアムの腕をガッと掴んだ。


「顔に動揺を出すな。

 あの執事がネズミだ。

 メイドにまで情報統制が敷かれた屋敷において当主以外にそれらを統制する権限を持つのは彼だけだ。そうだろう?」


「……ま、まさか……」


 ウィリアムは信じられないといった顔をしていた。

 おそらく先代から支えてくれた忠誠心の厚い執事なのだろう。


「べつに一概に裏切ったなどとは言わない。

 人を脅す手段などいくらでもある。

 彼にも家族はいるのだろう?」


「……二人の息子と、孫が何人か……」


「自分の身内と他人の身内。

 いくら主とはいえ、そこに選択の余地はなかろう。

 人間とは、そういう生き物だ」


「……」


 ウィリアムは納得がいった顔をしていた。

 もしも自分が同じ立場だった時、おそらく自分でも他人である主を売るだろうと考えたから。


「いいかね。動揺を出してはならない。

 君が気付いたことを彼に気付かせてはならない。

 彼自身に盗聴器の類いがないとも言えない。

 これから私たちは現存の情報だけでは特定は難しいという方向に話を持っていく。

 君はそれでも何とかお願いしたいと頼む。

 我々は期待はするなと念を押して館を去る。

 そして、そこから分かりやすく他の依頼のために動き出す。この件には見切りをつけたと思わせるためにね」


 ゼットは要件を一気に伝える。

 集中しているウィリアムの様子から全てを理解できると判断したようだ。


 そして、盗聴器の類いがこの場にはないことは既にリザが判定していた。

 だが、余計な情報を執事に与えないために、警戒しないように警戒させるために、ゼットはあえてウィリアムにそう伝えたのだ。


「これから、事態解決まで連絡はしない。

 我々から連絡が来た時には事態は終了していると思ってくれ。

 そちらからは私に連絡しようとしてくれて構わない。むしろ心配で何度も連絡するぐらいでいいだろう。

 我々はそれに応じない。

 そうすることで執事を通して向こうがゼットを警戒しても、我々はこの件から手を引いたと思わせることができる」


「……分かりました」


 ウィリアムは神妙な表情で頷く。

 成り上がりの二代目だが、どうやら聡明で理解の早い人間のようだ。


「いいかね。

 君の演技力に娘さんの安否がかかっていると言っても過言ではないのだよ。

 せいぜい娘のために足掻く父親を演じてくれたまえ。

 金は予定通りに用意して、期限が来たら振り込むように。それは戻ってこなくても文句は言わないでくれよ」


「もちろんです」


「……」


 ゼットもウィリアムも、娘が無事に帰ってこなくても……という言葉は口にしなかった。

 互いにその望みは薄いことは理解していたから。

 それでもその可能性を捨ててはいないから。

 互いにそれが分かっていたから、あえて二人ともそこには触れなかったのだ。


「……戻ってくるわ」


「いや、まことに面目ない」


「いえいえ、大丈夫です」


 リザの言葉に、二人はすぐに態度を改める。

 慌ててティッシュでソファーを拭くゼットと、それを宥める主。


「お待たせしました」


 そんな光景を一瞬鋭く見つめてから、執事は急いでソファーを拭く。


「……ゼット様は、お怪我はございませんでしたか?」


 ソファーを拭きながら執事が尋ねる。

 紅茶がかかっていないことは確認しているだろうから儀礼的なものだろう。


「ああ。私は大丈夫だ。

 だが、すまない。ソファーを汚してしまった。

 弁償しよう」


「いえいえ。それには及びません。

 依頼を受けていただけるのならば、ね」


「……ふむ」


 打ち合わせ通り、ウィリアムは何としてもゼットに依頼を通したい旨を伝えてきた。

 ソファーは執事に任せ、再び商談が始まる。


「現況では、犯人特定は難しい、と言えるのだが……」


「ですが、それでも……」


「……」


 二人の茶番に、ソファーを拭きながら懸命に聞き耳を立てる執事をリザは静かに見下ろしていた。

















「ま、こんな所だろうな」


 屋敷をあとにし、リザの車に乗り込んだ二人。

 助手席に背を預けると、ゼットはふうと息を吐いた。


 結局、ウィリアムに押し切られる形で身代金の振込先である口座番号だけを入手した。

 もっとも、それもゼットの誘導によるものだが。


「お疲れ様。

 それで? 私はどう動けばいいの?」


 これまでの対応でリザはゼットの実力を認めていた。

 ゼットの指示に従うことが一番の近道であると理解したのだ。


「口座の持ち主の特定。あとは屋敷への連絡番号の特定だな。君の得意分野だろう?」


「分かったわ」


「私は執事側と、娘さんが拐われた周辺の防犯カメラを当たろう。実行犯ぐらいならすぐに見つかるだろうさ」


「……でも、肝心の解体(バラシ)屋の居場所が分からないと……」


 今もなお解体(バラシ)屋の毒牙にかかっているであろう娘のことを思うと、リザは心がズキリと痛んだ。


「……」


「……なに?」


「前から疑問だったのだが」


 そんな様子を見ていたゼットがおもむろに口を開く。


「君は母親とか子供とかいうワードに過剰に反応を示すように思える」


「……」


「イブに対しての異常なまでの執着にも似た愛着もそうだ」


「……」


「今のその、今にも私を殺しそうな目が全てを物語っているな」


「……貴方、空気を読めないって言われるでしょ」


 あっけらかんとしたゼットの雰囲気に、リザは諦めたように溜め息を吐いた。


「探偵が空気を読んだら推理など出来ぬよ。

 ずけずけと人の心に土足で入って踏み荒らすことが推理を進めるコツだ」


「……ったく」


 リザは呆れたが、不思議と嫌な感じがしなかった。

 何を言ってもゼットならそれをただの事実として聞き入れる。そんな気がしたから。


「……私もね、昔は殺し屋なんてことをやってたのよ……」


 そうして、リザは自身の過去を語りだしたのだった。




おまけ



「……んで?

 私らはなんもせんの?」


「あ?」


 口の周りをクリームだらけにしたイブが無垢な瞳をこちらに向ける。

 リザが部屋を出ていってすぐのことだ。


「そんなわけがないだろう」


 俺はその瞳を見返すことなく立ち上がり、上着を手に持つ。


「どっか行くん?」


「少し出掛ける。仕事だ」


 もう夜だが、あいつらはまだいるだろう。


「どっちの?」


「どっちもだ」


「ふーん。私はどうしたらいい?」


 イブが首をこてんと横にかしげる。


「……」


「わぷぷっ」


 とりあえず口の周りのクリームを拭いてやる。


「ここで留守番だ。

 筋トレ基本セットを三セット。

 それが終わったら風呂に入って寝ろ」


「うげー」


 イブが嫌そうな顔をする。

 こいつは筋トレなんかの基礎メニューがあまり好きじゃないようだ。

 成長を阻害しないように計算したメニューだ。こなしてもらないわけにはいかない。


「これは命令だ」


「むー。バインバインママー。へるぷみー」


 イブが天を仰いで嘆く。


「……お前、それをリザには言うなよ」


「なーして?」


 イブが再び首をかしげる。


「……なんでもだ。これは命令だ。いいな」


「……りょ」


 不服なようだが、イブはしぶしぶこくりと頷いた。


「じゃあ、いってくる」


「うむ。いってら」


 そうして俺はある二人に会うべく部屋を出たのだった。


「……」


 いってくる、か。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] リザの過去も壮絶そう( ˘ω˘ )
[良い点] まさかリザさんが!?とびっくりしました! 無垢な瞳をしたイブちゃん、たまらなく可愛いのです( *´艸`)
2024/04/27 23:20 退会済み
管理
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ