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33.この世が地獄というのなら、悪はどこに逝くというのか。

「くっ!」


 壊し屋が慌てて振り返ろうとする。

 だが、


「あ? おわっ!?」


 足の腱を切られているので当然のように動けず、そのままバランスを崩して転倒する。


「ぐおっ!!」


「おっと」


 豪快にうつ伏せに倒れる。

 でかい図体に巻き込まれないように少し離れた。


「ぬ!? くそっ! このっ!」


 だいぶ痛そうな倒れ方をしたが、壊し屋は一切気にした様子もなく懸命に足を動かして起き上がろうとしている。


「無駄だ。両足の腱を完全に切り裂いた。

 もうお前は歩くどころか、二度と立ち上がることもできない。

 人間は、そういうふうに出来ている」


 三首と言われる首、手首、足首。そして関節は稼働の必要性からも筋肉がつきにくい部位だ。

 とはいえ、鍛えれば首は太くなるし、関節は周囲の筋肉で覆うようにしてカバーすることは出来る。壊し屋の場合、身長があるからそもそも首が遠いというのもある。

 だが手首と足首、特に足首だけは筋肉で覆うことが難しい。ふくらはぎの筋肉も鍛えてつくのは主に上部だ。

 これは陸上生物において歩くという機能が必須であることに起因する。

 柔軟で頑丈な靭帯。しかも一日の大半を使用する。そんな箇所に筋肉という重りをつけて動きを鈍らせるのは生物において致命的。

 だから、どれだけ足を鍛えようとも腱だけはそこまで筋肉がつかない。少なくともナイフで切り裂けないほどには、な。


「……くそっ」


 自らの足首の惨状を確認し、壊し屋はようやく自分が置かれた状況を理解したようだ。


「……」


 逆に言えば、視認するまで自らの足の状態に気付けていなかったということだ。

 もはや、末端は感覚もない、か……。


「……ぐ、おおっ……っとぉ」


「!」


 壊し屋は腕に力を込めると、腕の力だけで無理やり体を捻り、仰向けの状態で再び地面に倒れた。


「……俺の、負けか」


 壊し屋の足首からはとめどなく血が流れている。

 このまま止血しなければ壊し屋はすぐに死ぬ。


「……止血をするから動くな」


 まだ、死なれるわけにはいかない。


「ん? ああ、助かる。俺は血が止まりにくいんでな」


「……それは、お前が『そう』なってからだろ」


「……あー、まあさすがに気付いてるよな。というか、知っていたか」


「……まあな」


 足を紐できつく縛り、傷口を大きめの布で包んで縛る。どちらもあらかじめ用意しておいたものだ。ポケットの多い上着というものは案外モノが入るものだ。

 これらはコトが終われば当然のように回収する。俺たちがここにいたことが知られても、それが俺たちであるという証拠に繋がる可能性のある情報は残さない。

 コト、とは、当然壊し屋の命のことだ。


「……はっ、はっ、はっ……ふー。終わってみれば無傷で完勝か。さすがは銀狼だな。

 そっちは俺を殺してはいけないっていう縛り付きだったのによ」


 ……呼吸の乱れが戻らない。ケガをしているからだと言えばそれまでだが……。


「……お前が万全の状態だったなら、話はまた違っただろうがな」


「いやー、それはどうだかな……ふう」


 そんなに時間は残っていないか。


「そちらの要求通りにこちらが勝利したぞ。

 情報を話せ」


 ここで愚図るようなヤツではあるまい。


「……と言っても、俺が話せる情報はそんなに多くないけどな」


「……組織では幹部扱いのポジションなのだろう?」


 少なくとも、カイトが手こずる武闘派警官の始末を任せられるぐらいには信用されているはずだ。


「そうじゃない。情報は知っていても話せないことが多いってことだ」


「!」


 身動きの取れないこの状況。どんな残酷な手段を使ってでも情報を吐かせられるこの状況において、それでも話せないと言ってしまえるということは……。


「……人質か?」


 どんな拷問を受けようが、殺されようが話せない、話さないということだ。

 だが、こいつにとって人質の価値があるような人間はもう……いや……。


「……まさか、お前の妻子はまだ生きているのか?」


「……」


 リザの情報では、何年も前に交通事故で二人とも亡くなっていたはず。


「……いや、もう死んだ。少し前にな」


「……それまでは、生きていたのか」


 病院に搬送されてすぐに死亡が確認され、死亡届けも提出されているとリザは言っていたが。


「……普通の病院じゃ手の施しようがなかった。

 だから、俺は博士(プロフェッサー)に泣きついた。

 どんなことでもするから二人を助けてくれ、ってな」


「……」


 確かにあのクソジジイなら、死んだことにして自分の息がかかった病院に移送するぐらいワケないだろう。

 死亡届けは偽装。遺体は別人か。


「……結果として、二人は死なずに済んだ。

 ……いや、死んでいない、というだけか」


「……意識が戻らなかったのか?」


「……」


 壊し屋がこくりと頷く。

 顔色はもともと悪いが、さらに悪くなっている。土気色と青紫色を混ぜたような。


「植物状態ってやつだ。かろうじて繋ぎ止めたが、いつ駄目になってもおかしくなかった」


 そこで壊し屋はふっと皮肉そうに笑った。


博士(プロフェッサー)は見返りを求めなかった。

 だが、代わりに莫大な費用がかかった。

 治療どころか、現状を維持し続けるだけでもとんでもない額の金が必要だった。

 その頃には壊し屋としてこの肉体はほぼ完成していたから、俺は依頼をいくらでも受けた。何でもやった。

 とにかく金が必要だった。表の土木作業員の仕事なんかじゃ雀の涙にもならなかった」


 ……見返り、か。


「……いくつか聞いていいか?」


「なんだ?」


「お前はもともと『ホーム』の研究員だったな」


「……ああ、そうだ」


「……で、クソジジイの教育に対して適性があると見いだされ、第三世代(サード)として教育を受けた。

 だが、肉体も精神も成長した大人の状態からスタートして、今のお前のクオリティまで持ってくるのは難しいだろう。

 だからこそ、クソジジイは子供を育てることを基本としていたのだからな」


 子供の成長を任意の方向に導く。

 それはあのクソジジイが当初から確立していた方式だ。


「……何が言いたい」


 不安そうな表情。

 何か決定的な、自分が今まで否定していたことを指摘されそうな予感がしているようだ。


「……大人の状態からスタートされた教育。

 筋力、パワーに特化した第三世代(サード)。急造された肉体。突貫工事」


 壊し屋の体を改めて眺める。


「……浅く早い呼吸。赤黒い肌。目の充血。拡張と収縮を繰り返す瞳孔、焦点が定まっていない証拠だ。異常に高い体温に対して氷のように冷たい末端部位。手足の震え。

 そして異常発達した筋肉……急拵えの肉体改造。

 筋肉増強剤。ホルモン剤。精力剤。精神安定剤。血管拡張薬。向精神薬。鎮痛剤。各種サプリメント。そして麻薬、といった所か」


「……」


 壊し屋は俺の話を黙って聞いていた。


「明らかなオーバードーズ。しかし博士(プロフェッサー)の手によって完璧に計算された処方。それによって死ぬことはない。

 しかし、それに伴う副作用。

 幻覚・幻聴。目眩(めまい)。感覚麻痺。不眠。過食と拒食の繰り返し。躁と鬱の繰り返し。極度の頭痛。全身の痛み。

 そんな中で行われるのは完璧に計算された生活スケジュール。

 一分単位で決められた睡眠。小数点レベルで調整される摂取カロリー。毎回、限界を少しだけ越えるレベルのトレーニング。排泄回数さえ決められただろう。

 自由時間の一切ない完全管理による教育。

 

 全身を常に蝕む苦しみ。

 日々、生きていくのも地獄だっただろう。

 ……そんなもの、普通ならすぐにまともでいられなくなる。

 いくら適性が、人より薬物耐性があるからといって、精神が狂わないわけがない。


 必要なのは凄まじく強靭な精神力。

 そしてそれを支える強烈な生きる目的。

 まともでいるための支柱」


「……だから、何が言いたい」


 もう、分かっているのだろう?


「お前の妻子が事故に遭ったのは、お前に適性があると分かってからか?」


「!」


「交通事故と言っていたな。犯人は捕まったか? 死んだか?

 それはちゃんと理由がある犯人か?

 お前の肉体が完成したのは、完成まで精神がもったのは……まともでなくてはならない、生きていくための強烈な目的が出来たからではないのか?」


「やめろ!」


「!」


 壊し屋は動けないながらも声を荒げて俺の問いを止めた。


「……やめてくれ。

 博士(プロフェッサー)は偉大なんだ。命の恩人なんだ。崇高なんだ……。

 だから、やめてくれ……」


「……教育か」


 教育という名の洗脳。

『ホーム』では研究員や職員に至るまで全員が博士(プロフェッサー)に敬意を払うように教育されていた。


「……仕組まれた事故だと分かってはいても、そこは考えないようにさせられているのか」


「やめろ……やめろ……」


「……」


 ……あまり突っ込むと精神が破綻するか。

 とことんクソジジイだな。


「……だが、その妻子は亡くなった。

 そこから今まで、お前をまとものままにさせていた理由はなんだ?

 稼ぐ必要はなくなったのになぜこの仕事を続ける?

 大切な人間はいなくなったのに、なぜ口をつぐむ? 誰を人質にされている?」


「……」


 ……少し責めすぎたか?

 質問に答えるだけの判断能力はまだあるか?


 だが、聞いておきたい。

 大切な家族を救うという大義を失ってなお生きようとする、まともでいようとする、その理由を。

 おそらくは、今すぐにでも終わりたいと願うほどに、毎日が地獄のような痛みと苦しみだろうから……。


「……理由はひとつ、いや、ふたつか」


 答えた。

 凄まじい精神力。これだけ揺さぶられても芯は動かない。


「……俺と同じように、家族を救うために頑張っている奴らがいる。事故や事件に巻き込まれ、理不尽に傷つけられた大切な家族を助けるために懸命に働き、治療費を稼いでいる奴らが」


「……それについては調査済みだ。

 お前は秘密裏に複数の人間や施設に多額の寄付をしている」


「は、ははっ。さすが、だな……」


 目が虚ろだ。

 そろそろ時が近いか。


「……人質、は、それら全てだ」


「……は?」


「俺が秘密裏に寄付をしていることがボスにバレている。

 俺がボスやボスの居場所について話せば、俺が今まで寄付をしてきた人物や施設。そして表の社会で世話になった人物。とにかく俺と関わりがある存在全てをボスは殺す」


「……」


 おそらく、これからの俺の行動で壊し屋が吐いたかどうかを判断するのだろう。

 そして話を聞く限り、ボスは確実にやる。たとえ壊し屋が死んでも、やるといったら必ず実行するのだろう。

 だから壊し屋は自身の死を目の前にしても口を割らない。


「……悪いな」


「……いや、分かった。それなら構わない」


「!」


「……なんだ?」


「いや、意外だなと思ってな」


 壊し屋がふっと笑う。


「銀狼ならば、そんなこと関係なく俺から情報を取ろうとするだろうと思ったからな。あんたなら、こんな俺相手でも取ろうと思えば情報を吐かせることが出来るだろ?」


「まあな」


 どんなに強固な意思を持っていても、まともならば口を割らずにはいられなくする方法はいくつかある。


「だが、俺は武闘派警官でもあるからな。

 なるべくなら関係のない一般人には迷惑をかけない方向でいくべきだろう」


「……ああ、そうだったな。

 仮面でも、被り続けるには苦労がいるんだな」


「まあな。正義の味方だからな」


「ふっ」


 壊し屋は穏やかな顔をしていた。

 まもなく地獄から解放されるからだろうか。


「しかし、最強の銀狼ってのはもっと、空中を飛び回りながら目にも止まらぬ速さで圧倒してくるもんだと思っていたが、わりと普通だったな」


 呼吸が落ち着いてきた。

 持ち直した?

 いや、受け入れたことで逆に時間が与えられたか。風前の灯火、というやつか。


「……お前は俺をなんだと思っているんだ。

 俺もお前も、ただの人間なんだよ。

 化け物なんかじゃなく、人間の枠の中で創意工夫しながら生きるためにもがいてる。

 ただの弱い一人の人間だ」


「……」


「そもそも、あのクソジジイのコンセプトは人間の最高到達点だからな。オカルトじゃない。

 俺たちは、人間のままで人間の枠の中の最高到達点に至るように育てられただけだ」


「……そうか。人間か。

 こんなになっても、俺も人間か。

 銀狼に言われると妙に納得できるな」


「……最強、らしいからな」


「ははっ」


 空を仰ぎながら壊し屋は笑う。

 空は晴れ、日差しが優しく、その顔を照らしている。


「……ボスの側近は何人かいる」


「……!」


解体(バラシ)屋。何でも屋カイト。調べ屋紳士(ジェントル)。『箱庭(ガーデン)』の卒業生マドカ。

 他にも何人か手練れはいる。

 少なくとも解体(バラシ)屋は基本的に、常にボスの近くにいる。余計なことをしないようにボスに見張られていると言ってもいいだろうけどな。

 名さえ分かれば、あんたなら調べられるだろ?」


「……話していいのか?」


「ボスについては話してないだろ?」


「……ふっ。確かにな」


 屁理屈だが事実だな。


「……最後に、もうひとつだけ」


「……なんだ?」


「……」


 壊し屋は、それを言うのを躊躇っているようだった。


「……調べ屋マウロ」


「!」


 まさかここでその名が出るとは。

 イブを組織から連れ出して引き取った養父。

 調べ屋としては世界屈指のレベルだったとか。


「奴がボスや組織、『箱庭(ガーデン)』について調べたデータ、メモリースティックがどこかにある。

 当然、キャシーや銀狼についてもだ」


「!」


「ボスがやたらとキャシーに関心を持つ理由も、マウロがボスからキャシーを引き離した理由も、もしかしたらそれに……。さらに、おそらく奴はお前が銀狼であることも……」


「……どこにある?」


 それは、回収しないわけにはいかないだろうな。


「……分からん。持ち出したのは確かだろう。

 だが、それは現在まで見つかっていない。ボスの刺客がマウロの潜伏先を調べあげても出てこなかった。どこか別の場所に隠したのかもな」


「……」


 刺客、か。

 やはりあの一家を殺したのはボスの手の者か。まあ、使い捨てだろうな。

 キャシー……イブがいないことにも気付かずに他の家族を殺し、家中を探した。だが何も見つからず、イブが戻る前に撤収した。

 始末し損ねた娘がいることを報告していないのだろう。あるいは始めから聞かされていなかったか。『あの家にいる住人を全員始末し、メモリースティックを確保しろ』って所か。

 ボスはそこにイブがいるとも思っていなかったようだしな。


「……ふう。少し、疲れたな」


「……ああ。十分だ。

 いま楽にしてやる」


 こんな所だろう。

 肝心のボスに関する情報は聞けなかったが仕方ない。


「うつ伏せになれ。苦しまずに一撃で楽にしてやる」


 ナイフを持ち直して壊し屋に近づく。

 頸椎を力を込めて打ち抜けば、壊し屋の筋肉の鎧があってもわけなく殺すことが出来るだろう。

 せめてもの慈悲だ。


「……」


「……おい」


 だが、壊し屋は仰向けのまま動かなかった。

 もはや動くことも出来ないか? ……いや、これは何かを考えている?


「……悪い。

 俺を殺すなら、そこにある銃を使ってくれないか?」


「!」


 壊し屋は心底申し訳なさそうに、目線だけでロイが落としたトカレフを見つめた。

 なぜ、わざわざ銃を?


「……この場所は、わりと頻繁にいろいろな組織が利用する。今の時間は俺だけだがな。

 ここを管理してる奴らは金でここを他の組織に貸してるんだ。これがなかなかいい商売になってな」


「……」


 それは、そうだろうな。

 音が敷地の外にまで届かず、警察の目も届かない無人の土地。何をするにも便利すぎる。


「で、ここを管理してるのは俺たちの組織の子飼いだが、場所を貸していても敷地の端で待機はしているんだ。いざという時のトラブル対応のためにな。

 そしてそいつらは今も、この土地の端の方で待機している。多少、騒いだところで気付かないほどには離れてもらっているけどな」


「……何が言いたい」


 俺やイブが気配を感じない程に離れた距離。

 やはり壊し屋は単独だったか。


「その管理している奴らには銃声がしたら様子を見に来るように言ってある」


「……なぜだ?」


「この場所は他の組織の奴らも使っていると言っただろう?

 俺が死んだらウチの組織の奴らに死体を回収させないと、ろくなことに使われないんだ。それこそ、俺たちが壊し屋を殺したと嘯く輩が現れかねない。

 だから銃で呼んでウチの奴らに俺の死体を回収させる必要がある。奴らは俺が敷地にいることは知っていても『ここ』にいることは知らないからな」


「……まあ、そんな見栄を切りたくなるぐらいには壊し屋の名は有名だからな」


「悪名だがな」


 壊し屋は困ったように笑った。


「それに、舞台上に拳銃があるなら、それは発射されなければならないだろう?」


「……チェーホフかよ」


「ハハッ」


 ……壊し屋は本当に単独で俺たちを、銀狼を迎えたわけだ。自分の居場所を仲間にも告げずに。


「……そもそも、なぜ俺に勝負を挑んだ?

 ローズの誘いに乗って捕らえ、人質にして俺を誘き出すにしてもこんな不利なやり方で……」


「……」


 壊し屋は吹く風を感じながら晴れた空の遠くを眺めているようだった。


「……限界が近かった。

 生きる目的を無理やり作ってみても、それはやはり愛する妻と娘を救うという強烈な目的には敵わない。

 俺の精神は、もう壊れかけだったんだ」


「……」


 全身を蝕む苦しみと痛み。オーバードーズの副作用。一分一秒を生きるだけでも地獄のような苦しみ。

 それを、何年も続けてこれただけでも十分凄まじい精神力だがな。


「……だから最後に、最強たる銀狼に俺の力がどれほど通用するか知りたかった。

 博士(プロフェッサー)が恋い焦がれた最強に、俺は挑めるのかと」


「……嘘だな」


「……は?」


 そんな見え透いた戯れ言に俺が騙されるとでも思ったのか?


「お前はそんな奴ではない。

 愛する妻と娘のために何年も地獄の苦しみに耐え、二人の死後も同じ苦しみを味わう者たちのために寄付をする。

 いくら自分の精神を保つためとはいえ、そこまでのことをする奴が最期に願うことが、そんなもののはずがない」


「……敵わねえな」


 壊し屋は目を伏せてフッと笑ったあと、真剣な眼差しで俺を見据えた。

 虚ろな瞳。もう、俺のこともちゃんと見えているのかどうか。


「……あんたがもし……もしも、そう思ってくれるような奴だったとしたら、俺は最期に、銀狼に依頼をしたかったんだ」


「……依頼、だと?」


 嘘、ではないな。

 人が嘘をつく時の反応は全て頭に入っている。実際に何度も経験もした。

 これは、嘘を言っている人間の言葉ではない。


「……さっき少し話したが、ウチの組織に若い女がいる。黒髪黒目で、『箱庭(ガーデン)』の卒業生であるマドカという少女だ」


「!」


 マドカ。

 ショッピングセンター爆破テロ事件において、イブにそのショッピングセンターに行かないように忠告した女。

 明らかに実行犯と関係があるのに、特安やリザの調査でも普通の学生という以外にろくに情報が出なかった少女。

 そして、『箱庭(ガーデン)』の卒業生で組織の幹部扱い。


「……組織と戦うことになっても、その子だけは殺さないでやってほしい」


「!」


 まさか、そんな依頼をしてくるとはな。


「……ローズだけでなく、その子には亡き娘の面影を見たか」


「……同い年でな。そのまま生きていればクラスメートになってたかもしれない。

 あの子は天涯孤独だ。俺があの子の身の回りの世話をしていたんだ。

 向こうも、それを悪くは思っていなかった、と思いたいがな」


「……」


 そう言って苦笑する姿は父親のそれだった。


 ……予備、か。

 ボスはきっと壊し屋を長持ちさせるために、いつ死ぬか分からない壊し屋の妻子の予備としてマドカを側に置いたのだろう。

 胸くそ悪い話だが、これまで話に聞いたボスの人柄ならば、それぐらいワケなくやるだろう。

 マドカとやらがそれを理解しているかは分からないが。

 まあ、それを今こいつに言ってやる必要もないだろう。


「これでもそれなりに蓄えはある。表では保険にも入っている。

 報酬は俺の遺産の半分だ。残りの半分はマドカと寄付に回させてもらう。

 半分でも、きっと満足してもらえる金額のはずだ。あんたなら、俺の遺産から抜くぐらい簡単だろ?」


「……銀狼は、自分に牙を向けてきた者を許さない」


「!」


「性別や年齢は関係ない。

 向こうが覚悟をもって殺しに来たのなら、俺は全力でそれを迎え撃つ。

 誰であろうと殺す。

 それが銀狼だ」


「……そう、か」


 壊し屋は残念そうに顔を曇らせた。

 分かってはいたが、といった所か。


「……だが、受けた依頼を必ず成功させるのもまた銀狼だ」


「!」


「……とはいえ、保証はしない。

 極力、殺さないよう無力化するが、向こうがそれでもなお殺そうとしてくるのなら、お前からの依頼を破棄してでもマドカとやらを殺す。

 その場合は依頼破棄として、お前の遺産は全て寄付しよう。

 その程度の手続きなら俺の優秀な仲間がすぐにやってくれる」


「……そうか。

 分かった。それでいい。感謝する」


 プロとしてはあるまじき頼み。

 自分を殺しに来る奴を殺すなという愚かな依頼。

 それでも、恥を忍んでもなお嘆願したかった父親としての思い。

 銀狼に殺されると分かっていてもなお。自分は今にも頭が狂ってしまいそうなのに。


「……もういい。

 思い残すことはない。

 やってくれ」


「……ああ」


 俺は地面に落ちているトカレフを拾い上げると、それを懐にしまった。

 そして、代わりに俺が用意した銃を取り出す。

 今回はH&K MARK23だ。サイレンサーを装着できる装弾数12発のモデル。

 だが、サイレンサーは持っているが今回は装着しない。基本的にフラッシュハイダーではなく、サウンド・サプレッサーしか使わないから俺はこの類いのものをサイレンサーと呼んでいる。サウンド・モデレーターとも呼ばれる消音器だ。

 PSS(消音銃)は個人的にはあまり使わない。意図的に銃声を鳴らすこともあるからだ。


「……そっちでいいのか?」


 俺がロイのトカレフではなく自分の銃を出したことに壊し屋は驚いているようだった。

 もうほとんど目は見えないのだろうが、輪郭だけで状況を判断したようだ。


「ロイの奴が弾丸にまで気を配っているとは思えないからな。手当てをした紐や布は回収するが、さすがに弾丸まで回収している余裕はない。

 俺の弾丸ならばどれだけ調べようが俺にたどり着くことはない」


「……世話をかけるな」


「気にするな。こちらの事情だ」


 靴跡なんかも当然のように、調べても何も出てこない。大量に出回っている市販品な上に仕事のたびにモノもサイズも変えているからな。本来のサイズから二センチも幅を持たせれば特定はほぼ不可能だ。ロイやイブにもそうしてもらっている。


「……マドカのこと、頼んだぞ」


「……努力はしよう」


 壊し屋のこめかみに銃口を向ける。

 額はぶ厚くとも、こめかみの頭蓋骨の薄い部分を正確に撃ち抜けば苦しむことなく逝けるだろう。


「感謝する」


 壊し屋は晴れ晴れとした表情をしていた。

 ようやく死ねる、ということか。

 唯一の気がかりも託し、憂いはない、のか。

 生きる目的は、意味はもう……。


「……あんたは、生きろよ」


「……」


「復讐は何も生まないが、生まなくてもやらずにはいられないという気持ちは分かる」


「……」


 ……こいつは、俺の過去を知っていたのか。

 そりゃそうか。こいつは『ホーム』の研究員で第三世代(サード)なわけだしな。


「……でも、復讐を終えたあとも、生きていいんだ」


「!」


「……あんたは、生きてもいいんだぞ」


「……そう、か」


「ああ。あんたがいなくなったら困る奴もいるだろ」


「……」


 そんなもの……。


 ……いや、


「……そうだな。

 パンケーキをしこたま焼かないといけないからな」


「ははっ。なんだそれ」



 空は晴れ。

 風は凪ぎ。


 静かに咆哮の時を待っている。



「……じゃあな」


「……ああ。ありがとな」



 そして、静かな空に一発の銃声が鳴り響いた。



おまけ


 にゃー。


「待って。シロ」


 流れるような長く美しい黒い髪をなびかせてマドカは真っ白な子猫を追いかけていた。

 その手にはブラシ。

 部屋の中で子猫をブラッシングしようと画策するマドカだが、不穏な気配を感じた子猫はひらりひらりとその手から逃げていた。


「……むう。捕まらんな」


 いっそ自分の技で捕まえてしまおうかと、マドカはギターケースをチラリと見やった。


『いいか。子猫ってのは繊細で弱い生き物だ。

 拾った以上、自分が母親になったつもりで責任を持って育てろ』


「……ぬう」


 だが、壊し屋の諭すような言葉を思い出してマドカを首を横に振った。

 シロと名付けた子猫を拾った日。人間用の食べ物を大量に買い込んだマドカを見て、慌てて部屋に駆け込んだ壊し屋。

 彼はマドカがハンバーグを子猫に与えようとしている所を間一髪で止めた。


「……こんなにも軽い命。私には重すぎるよ、エドワード」


 マドカは今にも泣きそうな顔をしていた。

 他の誰も知らない壊し屋の本名。マドカはその名を大切そうに呟いた。


 にゃー?


 子猫が『追いかけっこはもう終わりか?』と言わんばかりに首を傾げている。


「……小癪な。

 エドワード。早く帰ってきて助けておくれ」


 マドカは晴れ渡る空に壊し屋を思う。

 もう二度と、彼が帰ってくることはないとは知らずに……。


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― 新着の感想 ―
感情が……涙が…… マドカちゃんが幸せになること願ってます。壊し屋がちゃんと育てたから猫好きな良い子(かはわからないけど?)に育ったんだろうなあ。
[一言] うおおおおん!!!!(ブワッ)
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