32.脳筋は愚鈍と相場が決まっていると誰が言い出したのか。
「いたたたっ」
「ほら、動かない」
「はーい」
無事にリザと合流することができたロイたち。
ローズは車内でリザから手当てを受けていた。
「だ、大丈夫なのか?」
その様子をロイが心配そうに眺めていた。そわそわと落ち着きがなく、何も出来ない自分がもどかしいようだった。
「……出産待っとるパピィか」
「うるせぇ!」
ポッケに入れていた砂糖菓子をポリポリとかじりながらイブが突っ込む。
「……リザ」
「ん? ……ああ、大丈夫よ」
二人の会話を聞いていたリザが一瞬暗い顔をしたが、ローズに声をかけられるとすぐに笑顔に戻った。
「はいっ! 終わり!」
リザは手当てが終わると、添え木をしたローズの腕をぺしっと叩いた。
「いったぁっ!!」
「おいっ!」
大げさに痛がるローズにロイが思わず前のめりになる。
「……バカ。無茶して」
「!」
が、そんなローズをそっと抱きしめるリザを見て、ロイは素直に引き下がった。
「……ごめんね」
「ホントよ」
ローズがぎゅっと抱きしめ返すとリザは優しくローズの頭を撫でた。
「うむうむ。女の友情は菓子が進むのう」
「……てめえはいつでも進むだろ」
「的を射てり」
砂糖菓子をポリポリ食べながら、うんうんと頷くイブだった。
「さ、行きましょ。長居もしていられないわ」
リザはパッとローズから離れると、運転席へと向かった。ローズはロイが支えている。
「イブちゃんは助手席に。ロイは後ろでローズのことを見ててあげて」
「おけ」
「ああ」
リザに割り振られ、ロイはローズを支えながら優しく後部座席に移動させた。
「……ロイ。助けに来てくれてありがとね」
「……ああ」
席に座ると、そう静かに呟くローズにロイは正面を向いてこくりと頷いた。
「あ、でも、あそこで出てきたのはダメね。ジョセフの足を引っ張ったじゃない」
そこで、ローズは思い出したようにロイにダメ出しをする。
独断で壊し屋の前に姿を晒したことを指摘しているようだ。
「……」
だが、ロイは顔を赤らめながら唇を尖らせていた。
「……仕方ねえだろ。
お前がやられると思ったら勝手に体が動いてやがったんだ。お前に危険が迫ってるのに大人しくしてるなんて出来るかよ」
「……そ、そっか」
ロイの真意を知り、ローズも顔を赤くして俯いてしまった。
「うんうん。菓子が進みますな」
「あら、私は甘すぎて苦いコーヒーが欲しくなるわね」
そんな様子を車を発車させたリザと相変わらず砂糖菓子をポリポリしているイブがのんびりと眺めていたのだった。
「……ローズ。貴女のケガなんだけど」
「ん?」
しばらく車を走らせたあと、リザが手当ての際に気になったことを口にする。
「……ずいぶん手加減されていたわね。
足はヒビが入っただけ。腕は折れてるけど綺麗に折ってくれてるからすぐに治るわ。
他も、たぶん治れば痕がまったく残らないようなものしかないわ」
「……そうね」
壊し屋の背景を知っているリザとローズは複雑な心境だった。
亡き妻と同年代のローズを見て、壊し屋は何を思ったのか。
「……そういや」
「イブちゃん?」
二人の話を聞いていたイブがそういえばと口を開く。
「姉さんを拘束してた鎖、わざと壊しやすいように傷がついてた。手錠も、私みたいなプリティーガールでも頑張れば壊せるようにヒビが入ってた」
そのヒビ目掛けてバールを振り下ろしたことを思い出しながら、イブは再びポリポリタイムに戻った。
「……それでも、旦那は殺すんだよな?」
話を黙って聞いていたロイがぽつりと呟く。
「そうね。それが私たちの世界よ」
「ええ。過去や背景なんて関係ない。
敵ならば殺す。それが銀狼であり、それが私たちだもの」
ロイに呟きに、リザとローズが即答した。まるで何度もその言葉を紡いだことがあるかのように。
「……嫌な世界だぜ」
「……正義の味方はいない」
「あん?」
うんざりした顔のロイにイブが手を止めて正面を見つめる。
「……パパも、ジョセフも言ってた。
私たちの生きるこっち側の世界には悪役しかいないって。悪と悪が殺し合ってるんだって」
「……そうかよ」
真っ直ぐ前を見つめるイブの後ろ姿をロイは少しだけ憐れむように見つめていた。
『俺たちこそが正義だ。俺こそが正しい。これは聖戦だ』
「……」
ボスがかつて口にしていた言葉を思い出しながら、イブは再びポッケに手を突っ込んで砂糖菓子を口に運ぶのだった。
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「来いっ!」
両手を広げて、待ちの構えを見せた壊し屋に向けて地面を蹴る。
まずは小手調べだ。
このガタイ。パワーは当然のように飛び抜けているのだろうが、スピードでかき回されたらどう対応するのか。
「ふっ!」
壊し屋の正面に飛び込むフリをして、突然斜め右に方向転換して跳ぶ。
反応できないようならこのままわき腹を……
「おらぁっ!」
「おっと」
しかし、壊し屋は横に跳んだ俺をしっかり目で追い、俺の太ももよりも太い腕で払ってきた。
腕に触れないように、さらに横に跳んで射程圏内から出る。
思ったよりも鋭い反応。
「こっちからも行くぞぉっ!」
「!」
壊し屋は膝と腰を低くすると、バネが跳ねるように俺に向けて突進してきた。
巨体と自重を活かした突撃。
あれはまともにくらえば十分死ねるな。
「ほっ」
それを横に避けるが、俺たちの距離は近くなった。互いの武器が届く距離だ。
「ぬんっ!」
壊し屋の剛腕が振るわれる。
横振りの右フック。想定よりも速い。
「……」
俺はそれを屈んでかわし、奴の太ももにナイフを振り下ろす。
「おっとぉ!」
「!」
しかし壊し屋はそれを足を引っ込めて軽くかわした。太い腕でナイフの軌道は見えないはずなんだが。
「おらぁっ!」
「ちっ」
再び足を踏ん張って、今度は左腕の打ち下ろし。
くそ。一発一発が即死級すぎる上にそこそこ速い。
超近接戦闘は不利か。
「ぬっ!?」
俺はバックステップで奴の拳を避けると、そのまま再び距離をとった。
「逃がさねえよっ!」
「!」
しかし壊し屋は再びこちらに走ってきた。
休む暇も逃げる暇も与えないということか。
だが……
「!」
俺はナイフを前に構え、それに自分を隠すように半身に立った。ナイフの延長線上に自らを隠す、刃物を持つときの定石の構え。
「……ちっ」
奴はそれを見て足を止める。
攻撃可能範囲の少なさに突撃を躊躇ったようだ。
それでも構わず突っ込んでくるようなら、すれ違い様に奴の手首を斬れたのだが。さすがに迎撃準備万端な所に突っ込むほど愚かではないか。
「……ふう。
はっ! 防戦、一方だなぁ。銀狼様、よぉ!」
「……」
指の骨をボキボキと鳴らしながら嘲笑う。
煽りか? 無駄なことを。
いや、息を整えているのか?
体力の消費が激しい、か。
だが、思ったよりも厄介な相手なのは確かだ。
凄まじく力強く、それでいてそこそこ速い。
こういうパワー全振りなタイプは愚鈍と相場が決まっているものだが、あのクソジジイはそこをクリアしてきたか。
パワーはトップクラス。まともにくらえば即死。ガードしても、おそらくガードした腕どころか背骨まで砕かれるだろう。
にもかかわらず速度は並みの殺し屋と同等か、それより少し速いレベル。
何よりもやはりあの腕が厄介だ。
あれは剣にも盾にもなる。あれならば確かに武器を持つ必要はないだろう。
くらえば死ぬ。そんな武器を振り回す奴の懐に入り込むのは至難の業だ。
おまけにそれが自分の死角になることも熟知している。自分の腕の下で相手がどんな動きをしているか把握することに慣れているのだ。
「……さすがは歴戦の猛者、といったところか」
「……は、ははっ。銀狼様に、褒められるたぁ、光栄だなぁ……」
「……」
整えているはずなのに、もう息が切れつつある、か。やはりな。
「続き行くぞぉ!」
壊し屋が再び距離を詰めてくる。
ファイティングポーズを取り、慎重に、それでも速く。
「……」
もう少し、かき回してみるか。
前進してくる壊し屋に俺の方も飛び出して距離を詰める。
俺の前進を受けて壊し屋はガードを上げる。
「ぬっ!?」
奴が構えを上げたところで突然方向転換。右へ、と見せかけて左へ。
「ぬぅっ!」
と見せかけて、急停止してバックステップで後ろへ下がる。慌てて追おうとする壊し屋が足に力を入れた瞬間に再び急速前進。
「なっ!」
壊し屋は慌てて足を止めようとするが、前に飛び出しかけたその足を止めることで動きが止まり、足がつんのめる。
俺はその隙を逃さず、壊し屋とすれ違うように右に抜ける。
そして奴の左腕の斜め後ろあたりでピタッと足を止める。互いに背中を向けたまま。奴にとっての死角。
すでにナイフは左手に逆手で。かつ左腕は前方に振り上げられている。
「……」
足を止めた反動で振り上げた腕も肩の位置で止める。
そして振り子のようにナイフを持った左腕を振り下ろす。
振り下ろされる先には壊し屋の後背部の左わき腹。
止まった力を余すことなく振り下ろす腕に込める。
壊し屋の筋肉の鎧はぶ厚い。
これだけの刃渡りであっても、胸に刺しても心臓まで差し込めるか分からない。首を斬っても浅い可能性がある。
それに何よりすぐに死なれても困る。
致命傷でも即死はせず、かつ奴の筋肉の鎧が比較的薄い箇所。
後背部のわき腹あたり。内臓が存在する部位。内臓が傷付けば、即座に手術でもしない限りまず助からない。だが、すぐに死ぬわけではない。
壊し屋が死ぬまでにボスや組織のことを聞き出すには十分すぎる時間が確保できる。
「……」
奴は俺の動きを追いきれていない。
いける。
このままナイフを奴の内臓まで……
「っ!」
否、
死。
そんなイメージが頭をよぎる。
「くっ!」
俺は予感を信じて慌ててナイフを引き、体をひねってその場を脱した。
瞬間、
ブオッ! とものすごい音と風を伴って、俺の真横を大木のような壊し屋の腕が通過した。
「っ!」
「ありゃ。外れたか」
地面に手を着いて宙返りしながら距離をとる。
「……」
見られていた?
いや、バカな。
奴は俺の動きに追いついていなかった。
俺はそれを確認してからナイフを振り下ろしたんだ。
だが、にも関わらず奴は俺を攻撃した……。
「……適当に振り回したのか」
「俺が見失ったのなら、お前は必ず俺を仕留めようとするはずだ。つまりお前は俺の近くにいる。当たらなくても露払いにはなると思ってなぁ」
「……非合理でやりづらい戦い方だな」
「だからこそ、理に叶ってるだろ?」
「……ふん」
その通りだな。
冷静に状況を把握して的確に動くタイプにとっては最もやりづらいタイプ。
行動の予測がつかない相手は厄介だ。
そして何より、適当に振り回しても当たれば致命傷となる壊し屋の武器(腕)が強すぎる。
「なんなら、今からでも銃を使ってもいいんだぜ?」
「……そうしたら、お前は情報を吐かないのだろう?」
「まあな」
正直、一番接近戦をしてはいけないタイプだ。
ヒートアップしつつも頭の一部は冷静でいられる。そして強かに勝ちを取りに来る。
普段ならば遠距離からの狙撃で終わらせようとするタイプ。
だが、
「銃など使わなくとも問題ない。
すぐに終わる」
今回ばかりは奴の土俵に上ってやる。
「はっ! そう来なくっちゃなぁ!」
「……」
さて、第二ラウンドといった所か。
「……」
「……」
壊し屋が距離を保ちながら横に移動する。
次は何をするつもりだ?
ここで攻めてもいいが、先ほどの二の舞だろう。
スピードでかき回して何度も切りつけて体力と血を消耗させる手段もあるが、奴の筋肉の鎧に俺のナイフが何度ももつとは限らない。それに奴は攻撃を一度でも当てれば勝てるのだ。そんな状況でおいそれと飛び込むのは得策ではないだろう。
ジリジリとしばらく互いに見合っていると、壊し屋がおもむろに足元に手を伸ばした。
あれは……
「よっ」
「……おいおい、マジか」
それは二メートル強はあろうかという長さの鉄の塊だった。H型鋼というやつだ。
それを、壊し屋は片手で軽々と持ち上げてみせた。
いったい重量がどれだけあると思っているのか。
人間がそんなものを軽々しく持つなよ。
「……避けろよ」
「……は?」
壊し屋はこちらを一瞥すると、それを持ったまま振りかぶった。
「おらぁっ!」
「!?」
そして、それをそのまま思いきり投げてきた。
猛スピードで飛んでくる数十キロの鉄の塊。
当たれば人間の体なんて吹き飛ぶ。
しかも狙いは極めて正確。
「くっ!!」
俺は慌てて横に跳ぶ。
「さすがに避けるよなぁ」
俺がさっきまでいた地面に鉄の塊がめり込む。
「さ。次いくぜー」
「くそっ」
壊し屋は再び足元のH型鋼を拾う。
今度は両手に。
二つで何キロになると思っているのか。
さっきまでの息切れも収まっている。
戦闘の興奮で痛みも疲れも感じなくなったか。ドーパミンやアドレナリンといったモノアミン神経伝達物質の過剰分泌。
それらで誤魔化してあんなものを持ち上げられるだけの筋肉量。
だてに壊し屋を名乗っていないな。
「おらぁっ!」
「!」
右手に持ったH型鋼を投擲。
壊し屋自身は左手に持った方を右に持ち替えてこちらに接近。
牽制と目眩ましが目的。俺が避ける前提か。
「よっ」
最初は面食らったが速度自体はたいしたことがない。
一直線に向かってくるH型鋼を最小限の動きでかわす。
壊し屋はすでに、右手に持った鉄の塊を振り上げている。長さがあるから有効射程も長い。
わざわざ右手に持ち替えていることからも奴は右利きのようだ。投擲も、利き腕の方が自信があるのだろう。
さっきはそれを見越して左側に回り込んだが、それは回転しての振り回しで潰された。
「おらよっ!」
そして振り上げた腕とともに鉄の塊が俺の頭目掛けて振り下ろされる。
だが、
「……」
遅い。
拳に比べて振りが遅すぎる。
リーチが伸びただけでは補いきれないデメリット。
「ぬっ!?」
俺は頭を下げながら攻撃を避け、二歩だけ接近。振り下ろされる腕を逆撫でするように、ナイフを奴の手首に走らせる。
「ぐおっ!?」
手首を斬られた壊し屋は驚いてH型鋼を手放す。
今だ。
俺は姿勢を低くし、回転するように壊し屋の背後に回り込む。
手首を斬られたことによる一瞬の油断。
痛みはなくとも焦る。
血を流しすぎれば人は死ぬのだから。
おそらく傷は浅い。血管までは切れていないだろう。
だが、動揺させることが出来れば十分だ。
壊し屋には人間相応の感情がある。驚き、焦り、動揺する。
それは油断。
そして状況の打破のために思考はフル回転する。
傷の具合。落とした武器。足を潰さないように。敵の行方。対処。逃げるか攻めるか守るか。
壊し屋がそんなことを考えているうちに、俺は奴の致死圏内に到達する。
が、もちろんすぐには殺さない。
「……終わりだ」
「なっ!?」
奴が我に返った時には、俺のナイフは壊し屋の両足の腱を切り裂いていた。
おまけ
「……リザ、聴こえるか」
『ええ、聴こえるわ』
ロイが壊し屋の前に飛び出してすぐ、俺はその可能性を考慮してリザに連絡をとっていた。
リザ特製の携帯型簡易無線機だ。
傍受されにくいように作られているらしい。
「周辺にカメラや盗聴器の類いは?」
リザにはこの廃工場の近くで周辺の電子機器の存在を確認してもらっていた。
『ないわね。外部に通信しない録画録音タイプだと見つけづらいけど、そもそも電源がほとんどなさそうよ、そこ』
「……ということは、やはり奴は完全に単独か」
それならば俺はやはり……。
「……リザ。まもなくロイとローズとイブがそちらに向かう。
ローズはケガをしている。手当てをしたら四人で車でその場を離れてくれ」
『……ジョセフは?』
「……その頃は、俺は銀狼として奴と対峙しているだろうな」
『……そう』
その言葉だけでリザは全てを察したらしい。
俺が壊し屋を始末するつもりなのだと。
『……気をつけてね』
「ああ……」
リザは何も言わない。
俺が決めたのならそうなるのだろうと理解しているから。
何も、言わないでくれる。
「……いくか」
通信を切ると、俺は身を隠していた森から出て壊し屋に姿を晒したのだった。