31.その者の名を誰も知らない。知れば狼に喰い殺されるからだ。
「……お前が、銀狼だと?」
壊し屋が懐疑的な視線を向けてくる。
いまいち信じていない様子だが、
「だ、旦那っ! なんで旦那が出てくるんだよ!」
「……あの慌てよう、どうやら本当にお前があの銀狼のようだな」
「まあな」
ロイの困惑した様子から、壊し屋はそれが事実だと悟ったようだ。
「……ど、どうして……」
ローズが戸惑った顔を見せる。
顔色は良くないが、命に別状はなさそうだ。
が、手足が折られているか。申し訳ないことをしたな。
「お前が銀狼なのだとしたら、その男たちの疑問をそのまま問おう。
なぜ、俺の前に姿を現した?」
壊し屋は改めてローズの後ろに姿を隠し、警戒を強めた。突然の出来事にも冷静に対応できる優秀な男だ。
「いやなに、その男は本当に自分の腹を切り裂きかねないものでな。
今、そいつに死なれるのは困るので止めに来たのさ」
肩をすくめて軽く返答する。
「……この男は、お前にとってそれほど重要な存在ということか?」
「いや、それは違うな。利用価値があるうちは取っておく。それだけだ」
そう答えなければ、ロイに迷惑がかかりそうだからな。今後、俺を誘い出すのに利用されかねない。
「……ふん。まあ、そういうことにしておこうか。……というか、お前は……」
「ん?」
「……たしか、キャシーとかいうボスのお気に入りを保護している警官だろ」
「……知っていたのか」
直接監視を命じられているゼットやカイト以外の人員にも俺やイブの情報が出回っているのか?
「いや、つい最近カイトのヤツに資料を見せられてな。
この件が片付いたら俺が警官を殺しに行く予定だったから、事前に情報を共有しておけと紳士に言われたらしい」
「……そうか」
紳士、つまりはゼットか。
ゼットとは一応、協定を結んでいるような状態だが、あいつはなんのつもりで俺たちのことをこいつに?
まあ、話の流れとしてはおかしくはないか。紳士ならば事前にそれぐらいの提案はするだろうとして、俺とゼットが繋がっていることがバレないように振る舞ったと考えるのが妥当か。
どうにも、ゼットの言動には全てに裏があるのではないかと勘ぐってしまうな。
「なるほどな。
カイトのヤツが敵わないというから、どれほどの武闘派警官なのかと思っていたが、まさか銀狼だったとは。
そりゃカイトには荷が重すぎるな」
「……」
壊し屋に観察されているのが分かる。
相対した瞬間に相手の力量を探る。
やはり場慣れしたプロだ。
「……しかし、少し意外だったな。
最強の殺し屋と言われる銀狼ってのは、もっとゴツくていかにもなヤツなのかと思っていたが、なかなかどうして、スマートないい男じゃねえか」
「警官として不審に思われない程度には気を使っているつもりだ」
まさかあの男が? とさえ思われないように振る舞うのがコツだ。
「……そんな普通の人間のフリして最強の狼が正義の味方やってんのか。とんでもねえ世界だな」
「優秀な殺し屋というものは自身がそうであると思われないようにするための技術が往々にして優秀なものだ」
「……なるほどな」
壊し屋は話が一段落したと見るやローズの首を持ち上げて、改めて自身を再びその陰に隠した。
「……う」
「ローズッ!!」
一瞬、苦しそうな表情を見せたローズにロイが取り乱す。
か、壊し屋はロイには目もくれずに俺だけをじっと見つめていた。
「……それで?
最強の殺し屋銀狼様はこの状況をどうするつもりだ?」
壊し屋の瞳がぎらりと冷たく光る。
いつでも人を殺せるような瞳。
なるべくならローズを殺さずに終わらせたいと思ってはいても、殺すならばちゃんと殺す。
プロとしての矜持がその瞳には感じられた。
「……」
ヤツがその指に力を加えるだけでローズは死ぬ。
だが……
「ローズを離せ。
俺からの要求はそれだけだ」
「は?」
壊し屋が呆れた顔を見せる。
「状況が分かってんのか?
俺が少しでもこの手に力を込めれば、この女は死ぬんだぞ?
自分が要求できるような立場だと思っているのか?」
「ふっ」
「あ?」
鼻で笑ってやれば、壊し屋は眉間に皺を寄せた。分かりやすいほどに怒りを滲ませている。
「状況が分かっているのか、という質問はこちらのセリフだ。
俺なら、この距離からならばお前がその指に力を込める前に、懐から銃を取り出してお前の頭に穴を空けるなど造作もないぞ?」
「なっ!」
「俺が出てきた瞬間にローズを殺して、ロイを新たな人質として距離を取らなかった時点で、もはや人質など問題ではないんだよ。
俺がこの距離まで近付く理由が必要だっただけだ。
そういう意味ではロイの暴走も意義を得たわけだな」
「ちっ!」
「はっ! さすがは旦那だぜ」
ロイが立ち上がり、横にずれる。
俺と壊し屋との間の障害物とならないように配慮したのだろう。
「……そんなハッタリ……」
壊し屋がローズの首にかけた手に力を込めようとする。
「……試してみるか?」
「っ!」
その指を冷たく見つめると壊し屋は動きを止めた。
それがハッタリなどではないことがすぐに伝わったようだ。
経験豊富なプロはこういう時に話が早いから助かるな。何度も死線をくぐり抜けてきたヤツは自らの死に敏感だ。
「……俺を殺せば、ボスの情報は手に入らないぞ」
「ああ。残念だが他から調べることにするよ。
手がないわけじゃない」
「……ちっ」
無駄だ。
自分の命を引き合いに出している時点でお前の負けなんだよ。
「!」
その時、俺の視界に一瞬だけ光が通った。
他の奴らは気付いていない。
これはイブからの合図だ。
準備完了。いつでも動ける。という合図。
タイミングぴったりだな。
「……もう一度言う。
ローズを離せ。
そうすれば、もう少しだけ長生きできるそ?」
左手を銃の形にして壊し屋に向ける。
右手はフリーにさせておく。いざという時、いつでも銃を取り出して壊し屋を殺せるように。
「……くっ」
その脅しに壊し屋が怯む。
が、これはイブへの合図だ。
「パ、パ、パンケーキにホイップの雨が降り注ぐ~♪」
「!」
そして、壊し屋の真上。
天井から謎の歌が響いた。
謎のオリジナルソングについては今は突っ込まないでおこう。
壊し屋がバッ! と上を向く。
「やほ~」
そこには鉄骨でできた天井の梁に座るイブの姿があった。
「イブちゃん!?」
ローズも上を向いて驚く。
「キャ、キャシーか?」
壊し屋は上を向いたままイブに困惑した顔を見せる。
「はっ!」
そして壊し屋が我に返り、視線をこちらに戻すまで三秒。
それだけあれば十分すぎる。
「吹き飛べ」
壊し屋の眼前には俺の両足があった。
「ぐわっ!」
俺のドロップキックをまともに顔面にくらった壊し屋はローズにかけた手を離し、後方に吹き飛んだ。
壊し屋はかなり重かったが、あれだけ助走をつけて油断した所に蹴りをぶちこめば流石に吹き飛ぶ。
「イブ!」
「へーい」
天井にいるイブに呼び掛ければ、イブはどこかで入手したバールを思いきり振りかぶる。
「あちょー」
そして、それをローズを吊り下げている鎖に叩き込むと、鎖は割れ、ローズはがくんと力なく倒れる。
「ローズ!!」
それを駆け寄っていたロイが抱き止める。
これはロイの役目だろう。
「……ロイのバカ。ジョセフたちの邪魔して。あとでお説教、なんだからね」
「ああ。たっぷり聞いてやるさ!」
ロイがローズを抱きしめる。
「……無事で良かった」
「……うん。ありがと」
「すとん。
ひゅーひゅー」
天井から猫のように五点着地で降りてきたイブはローズにはめられた手錠の鎖を破壊しながら、わざとらしく口を尖らせて二人を囃し立てた。
イブさん。空気読め。
「う、ぐう……」
「!」
壊し屋が崩れた瓦礫から起き上がる。
まあ、あの程度なら死なないだろうな。
「……ロイ。ローズを連れて向こうに。
工場地帯を抜けた先でリザが車を回している」
東を指差し、ロイに指示を出す。
「イブ。お前も行け。
策敵と二人の護衛だ」
「……おけ」
イブは俺と壊し屋を見たあと、こくりと頷いた。
なんとなく、そうなる気はしていたのだろう。
「……殺すのか?」
ロイも状況を悟ったようだ。
「……銀狼の正体を知った敵を生かしておくつもりはない。
知った者は皆死ぬ。
だから誰も銀狼の正体を知らないんだよ」
「……そうか」
「きゃっ」
ロイはそれ以上なにも言わずにローズを抱きかかえた。
「ジョセフ!」
「!」
ローズがロイに抱きかかえられた状態で声をかけてきた。
「…………なんでもない。気を付けてね」
「……ああ」
しかし、ローズは言いたいことを飲み込んだようだった。
何を言わんとしていたかは何となく分かる。
だが、それが俺にとって余計な言葉でしかないと悟り、口をつぐんだのだ。
「……こっち」
「……ああ」
そうして、イブに先導されてロイたちはその場を去った。
「……さて」
瓦礫から出て体勢を立て直した壊し屋と向き合う。
「……俺が、本当にあの女を殺そうとしていたらどうするつもりだったんだ?」
「……」
どうやら俺が始めからこの状況を作ろうとしていたことに気付いたようだ。
「その時は仕方ない。
本当にお前を一撃で殺していたさ。
だが、そうはならなかった。
ローズから多少は聞いたんだろう?
ローズがお前の過去を知っているということは、俺もお前の過去を知っているということだ」
「……」
「亡くなったお前の妻と同じぐらいの年齢のローズを殺すのは、お前にとって本当に最後の手段だった。
ローズの首にかけた手に、俺に蹴り飛ばされて離してしまう程度の力しか込めていなかったことが何よりの証拠だ」
「……ちっ」
「互いにそれが本当に最後の手段であると考えていた。
そしてお前はそれに躊躇いがあった。
俺は卑怯にもそれにつけ込んで、隙を突いてローズと引き離したんだよ」
「……嫌な男だ」
「殺し屋には最高の褒め言葉だな」
「ふん……」
壊し屋は破れかけていた上着を引きちぎった。
逞しい隆起した筋肉がさらに盛り上がる。
「……俺と戦え。
俺に勝てば、お前の質問に答えてやる」
「そんなことをしなくとも口を割らせることは出来るのだが、まあ、いいだろう。
……銃は使わない、が、ナイフは使うぞ?」
腰のホルスターからナイフを抜く。
いつもの新型ザ・レザーネック(タントー)だ。刃渡り十七センチ。ヤツのぶ厚い筋肉の鎧を貫くには十分だろう。
「もちろんだ。
最強を最強の状態で倒すことに意義がある。銃はつまらんからな」
「……戦闘狂か」
……に、見せかけているのだろうがな。
虚勢を張っているのがバレバレだ。
だが、俺たちが来るまでローズを殺さなかったことに敬意を表して付き合ってやろう。
「来い!
最強の殺し屋銀狼を叩き潰してやる!」
「……いいだろう」
両手を広げる壊し屋に向けて、俺は思いきり地面を蹴った。
おまけ
「……」
イブは人の気配のない森の中を静かに駆け抜けていた。ジョセフの指示を受け、それを実行せんがために。
「イブさん隠密ちゅ~」
つい最近、黒づくめの装束を纏ったキャラクターが闇夜を暗躍するアニメを観ていたイブは楽しそうに森を移動していた。
秘されたイブの気配は野性動物や鳥のそれと比べても遜色がないほどに自然だった。
ポツリと独り言を呟いた所で壊し屋が気付くはずもないほどに。
「ほい、とうちゃーく」
ローズが捕らえられている工場の裏手に回ったイブはキョロキョロと周囲を見回した。
「おっ」
そして近くに落ちていたバールを発見すると、それを掴んで空に掲げた。
「イブさんはバールのようなものを手に入れた!」
持っていた紐でバールを背中にくくりつけると、イブは迷うことなく工場の壁を登り始めた。
「よっほっほいっ」
資材。わずかな出っ張り。雨どい。
手をかけられるだけのわずかな取っ掛かりを掴み、イブはするすると壁を登り、あっという間に工場の屋根の上に到着した。
「……」
そして屋根の上の、穴が空いた部分を見つけるとイブはするりとそこに潜り込み、屋根を支えている梁に移った。
「……」
下を見ると壊し屋とローズの姿が見え、ロイが少し離れた所に立っているのが分かった。
「……」
そしてローズを拘束している鎖が引っ掛けられている梁までイブが移動する頃には、ジョセフもまた壊し屋と対峙していた。
「……」
イブが引っ掛けられた鎖を観察すると、今にも壊れてしまいそうなほどにボロボロな鎖なことが分かった。
しかし、それは明らかに人為的に傷をつけられているようだった。わざと壊れやすいようにしてあったのだ。
例えば、ジョセフが地上から鎖を殴打しただけで千切れてしまいそうなほどに。
まるで、ローズを助けやすくしているかのように。
「……」
が、イブは余計なことを考えるのをやめた。
ジョセフが、銀狼が姿を見せたのだ。
壊し屋はそれを誰かに伝えることなく息絶える。
死に行く者の真意など、測るだけ無意味。
「……」
イブは懐から手鏡を取り出す。
準備が出来たら空いた天井から差し込む日光を利用して、これでジョセフに合図を送る算段だ。
イブが合図を送り、ジョセフが合図を返したら壊し屋の注意を引く。
「……(どうやってやねん)」
注意を引く方法がノープランのまま、イブはとりあえずジョセフに合図を送った。
「!」
すると、わりかし早くジョセフが合図を送り返してきた。
「……もうこれでいいや」
かくして、イブはオリジナルパンケーキソングで壊し屋に上を向かせることに成功したのだった。