29.殺し屋は潜むのが得意で、マフィアは猪突猛進が得意なようで。
「……なぁ、旦那」
「なんだ?」
ローズを救出に向かうためにロイの部下が運転する車に乗り込んだ俺とロイとイブ。
目的の廃工場に向かっている道中、助手席に乗っているロイはしばらく黙り込んでいたが、窓の外を眺めながらおもむろに口を開いた。
「……これから俺が言うことは独り言であって、あんたは何も返さなくていい」
「……は?」
どういうことだ?
「……旦那は、銀狼なんだろ?」
「!」
ロイは、なぜ突然にそんなことを。
「……」
閉じられた窓枠に肘をのせて外の景色を見ているロイの顔を、彼の後ろにいる俺には窺い知ることは出来ない。
「……」
その質問にはなんと返すのがいいのか。
いや、もう沈黙している時点で答えているようなものか。だが、ロイは何も返さなくていいと言った。
反応としては悪くはないはずだ。
そもそもロイは俺が銀狼であると気付いていたはず。
……ならば、なぜ今このタイミングでそれを確認しに来たのか。
「……」
チラッと運転席を見やる。
俺が行くとよく案内してくれる仕事の出来る男だ。
こんな事態に運転を任せ、こんな話に巻き込むのだからロイはこの男をよっぽど信用しているのだろう。
場合によっては、この男も口封じしなければならないのだから……。
「!」
運転手の男は俺の視線に気が付くと、バックミラー越しに一瞬だけ俺を見て、またすぐに正面を向いた。
「私の存在が気になるなら今すぐ鼓膜を潰しましょうか?
いえ、それだと運転に支障をきたしますね。目的地に着いたら殺していただいて構いませんよ。
帰りは他の者が迎えに参りますので」
「……いや、べつに構わない」
「そうですか。感謝致します」
男は目だけで軽く笑うと、またすぐにただの運転手に戻った。
与えられた仕事を全うし、そこに感情を介在させない。そしてこの忠誠心。
なるほど。ロイの奴が信頼するわけだ。
「べつにそんな物騒な話じゃねえよ」
俺と運転手のやり取りが終わると、ロイは窓を開けてタバコに火をつけた。一応、窓を開けるだけのイブへの配慮はあるようだ。
「べつに俺は旦那が銀狼だろうと武闘派警官だろと悪徳警官だろうと、俺から旦那へのスタンスを変えるつもりはねえ」
「……なら、なんだ?」
こういう所を本気で言ってしまえるのがロイの信用できる所ではあるな。
「……旦那に確認してぇんだ」
「確認?」
「……旦那は、壊し屋に勝てるか?」
「!」
「……昔、一度だけ奴と仕事をしたことがある。が、あれはバケモンだ。
人間をまるで卵でも握り潰すみたいに殺していやがった。
まあ、当時はプロとしての矜持もあって、なかなか悪い男ではなさそうだったが、素行が悪くなったって噂を聞くようになってからはウチとは仕事してないがな」
なるほど。
それを心配していたのか。
壊し屋は業界でもトップクラスの戦闘力と言われている。
勢いに任せて飛び出たはいいものの、ローズを救出に行って壊し屋と戦闘になった時に勝てる算段はあるのかと問いたいのだろう。
だが、まあ、
「……問題ない」
ここは言葉少なく、端的に答える。
「……ローズが目の前で人質に取られていてもか?」
「……ふむ。ターゲットの生死を問わないのであれば問題ないな。壊し屋がローズを盾にしていてもな」
むしろ、そんなことをする奴なら程度が知れるというものだ。
「……なら、別の奴らがローズを人質にしていて、壊し屋が旦那を潰しに来たら?」
「……その状況ならば、そもそも正面切って戦いはしないな。まずは人質の救出が最優先だ。
大ボスが人質から離れてくれているなら大助かり。奴の仲間を蹴散らしてローズを救出し、あわよくば壊し屋と相対せずにそのまま逃げてみせるさ。
わざわざ面倒な奴と戦う必要はないしな。
壊し屋を倒すことは絶対条件ではない。俺たちの最優先目標はローズの救出だ。
たとえ勝てる戦いだとしても戦う必要がないのなら逃げてしまえばいい」
「……ローズは絶対に救出する前提なんだな」
ロイが呆れたように笑う。
「だから行くんだろ? 俺は正義の武闘派警官だぞ?」
「……ハッ!」
俺がとぼけてみせると、ロイは天井を仰いで笑った。
そして、すぐに今度は真っ直ぐに正面を見つめた。
「……囮が必要なら俺がなる。
旦那は絶対にローズを助けてくれ」
「……分かった。その方向性も考えておこう」
まあ、ロイが変に暴走でもしない限り、そんなことは起こり得ないだろうけどな。
「ふっ。旦那がいる安心感は半端ないな。不可能なことなんてないと思える」
「……買い被られても困る。
俺は子供が放った一発の銃弾でも死ぬことができるただの人間だ。
だから撃たれないために頭を働かせる。体を動かす。
そして不可能なことはしない。
それだけだ」
「……ふっ。旦那なら撃たれてからでも弾丸ぐらいなら避けられそうだけどな」
「……状況によるな」
「状況次第では避けれんのかよ!」
ロイが大口を開けて笑う。
どうやら緊張は完全にほぐれたようだ。
「オッケー。この命、旦那に預けたぜ」
「ふっ」
ロイは吸いかけのタバコを窓から捨てると楽しそうに笑った。
しかし、それを見たイブが怪訝な顔を見せる。
「ポイ捨て最悪。クズ。ゴミ。社会の底辺。排泄物。汚物。吐瀉物。タバコくせーぞジジイ」
「はぁっ!? いきなり辛辣すぎんだろ、ガキ!」
タバコをポイ捨てしたロイをイブがじとっとした目で貶す。
ロイは急に大量の悪口を言われて、後ろを振り向いてイブを睨み付けた。
「こっち見んな。臭い、ウザい、キモい」
「んだとぉっ!? このクソガキがぁっ!!」
ロイの所に行った時から思っていたが、こいつらの相性は最悪だな。
「怒ってるー。ガキに怒ってるー。コワーイ。イブさんコワーイ。ちっちゃいガキに怒ってるー。大人のくせにー。おっきいお友達だー」
「てめぇっ!!」
「コワーイ。先生助けてー」
「……俺かい」
緊急事態なのだが、このコントに付き合った方がいいのか?
「……ロイ。大人げないぞ」
「けっ! ガキのしつけはちゃんとやっとけ!」
「おまえはしつけてもらえなかったからそうなったん?」
「あぁんっ!?」
「やれやれ……」
どうにも緊張感のないまま、俺たちはローズが捕らえられているであろう廃工場に向かったのだった。
「……あそこか」
かなり離れた所で車を停め、俺たち三人は歩いて廃工場に向かった。
運転手はロイがすぐに引き返させた。仲間たちと合流し、ロイがいた屋敷に戻るようだ。
俺たちを乗せてきた車がどこのもんなのか分からせるため、という意味もあるのだろう。
そしてそれは、俺たちがやって来たことが相手側にバレている可能性もあるという意味でもある。
「……なんか、寂れとるのぅ」
「廃工場だからな」
伸びきった雑木林に囲まれた鉄の塊たち。
コンテナや倉庫、工場がいくつか。
俺たちはそれを少し高い場所から眺める。
気配を潜めているのか、この距離からではどこにどれほどの人間がいるのか判別がつかない。
「なるほど。隠すにはうってつけだな」
市街地から離れた、人の寄り付かない廃棄された工場群。
おまけにマフィアの所有する土地。
ようは無法地帯だ。
「ああ。奴らは面倒な処理はだいたいここで行っていると聞く。
この高台も奴らの所有する土地で、俺たちは既に奴らの陣地に侵入している。
本来ならば、ここも多くの警備が配されているはずの場所だ。ここなら工場群を一望できるからな」
だが、それが今はいない。
「……壊し屋が人払いさせたか」
「……おそらくな。
俺たちを呼び込むためか、あるいは自分の失態を隠し、秘密裏に終わらせるためか」
「あるいは、そのどちらも、だな」
いずれにせよ俺たちがローズを救出に来ることは当然想定済みだろう。
つまり俺たちは迎え撃つ準備万端な所に乗り込んで行かなければならないわけだ。
「んで?
どーやって行くん?
こっからだと、ぜんぜん人いないみたいやで?」
イブが手を望遠鏡の形にして眼下の工場群を眺めている。
イブの視力でも確認できないのならば、やはり見える所に人員を置いてはいないのだろう。
どこかに潜んでいる気配も感じない。
あちらから監視できる距離ならば俺が気付く。つまり、あちらからも俺たちがここにいることは分かっていない。
壊し屋は、俺たちを正面から迎え撃つつもりか?
「……まずはもう少し近付こう。
俺たちの方が先に奴らを捕捉できるはずだ」
「たいした自信だが、ここは奴らの根城だぜ?」
「俺が奴らより先に見つかるわけがないだろう? それに、向こうが気付けば俺とイブは必ず気付く。
最悪、わざとそうさせるのもありだ」
「ん。せやな」
「わーお。とんでもねえな、あんたら」
ロイがわざとらしく驚いたリアクションを取る。
「だが、ここからは隠密行動で行く。
俺たちが来たと分かったらローズを用済みと断ずる可能性がなくはない。
まずは敵戦力の把握を速やかに、かつ隠密に行う」
「りょ」
イブがこくりと頷く。
こういう時の理解力は凄まじい。きっと体の芯まで叩き込まれているのだろう。
「……俺、足手まといか?」
俺たちのやり取りを見てロイが尋ねてくる。
当然のように頷いたイブに、自分は出来るのかと不安を抱いたようだ。
「いや、あんたも必要だ。
最悪、俺とイブが戦闘に入った時にローズを保護する者が欲しい。
最低限の息の殺し方は分かるだろう?」
「……まあな」
そう言うと、ロイは息を潜め気配を押し殺した。
荒削りだが悪くない。
これなら慎重に行動すれば敵に気付かれる前にこちらが先手を取れるだろう。
「問題ない。それで行くぞ」
ロイの具合を見て、俺も気配を消す。
「ほーい」
それを見てイブも続いた。
イブの自然と一体化するかのような気配の消し方は実に見事だ。
まるで野性動物のそれのようだ。
これに関しては完全に存在感をゼロにしてしまう俺も見習う所があるな。
「……やっぱ、とんでもねえよ、あんたら」
ロイのそんな声を背後に聞きながら、俺たちは高台から降りていった。
「……なあ、おい。
まだ生きてるか?」
「……」
「……死んだか?」
「……生き、てるわよ……」
ジョセフたちが壊し屋たちのいる廃工場群に侵入した頃、壊し屋は再びH型鋼に腰を下ろし、一息ついていた。
「……人間てのは、案外しぶといよな」
目の前でズタボロになって吊るされているローズを壊し屋は無機質な目で眺めた。
ローズは最初に折られた右足だけでなく、左腕もまた紫色に腫れ上がっていた。どうやら骨が折れているようだ。
それだけでなく、所々に出血も見られる。
「……ふ、ふふ。ホント、よねん……」
ローズは息も絶え絶えといった様子だった。
呼吸は荒く、手足はブルブルと震えている。
「……まだ、笑うのか。
それとも笑うしかないと高を括ったか? あるいは壊れたか?」
常人ならばとっくに気を失っていそうな状態にありながら、なおも笑顔を絶やさないローズに壊し屋は内心戸惑っていた。
実はとっくに精神がイカれていて、まともな証言など得られる状態ではないのかもしれないという懸念があるからだ。
「……安心、して……私は、まだまともよん。
まだ、貴方の上で、腰を振ることだって……出来るわ、よ……」
「……その信念には素直に尊敬の念を抱くな」
蠱惑的な目を向けるローズに壊し屋は感心した。
ローズはこれだけ痛め付けられながらも依頼主に関する情報に関しては口を割ることはなかった。
ローズが話したのは、調べたという壊し屋の過去に関することだけ。
そのプロとしてのプライドは尊敬に値すると壊し屋は感じていた。
「……貴方、こそ……顔は、綺麗なままに、してくれる、のねん……ふふ……」
「……」
ローズの顔は傷ひとつなく綺麗なままだった。
壊し屋は痕が残りそうな傷はなるべく見えない所にしかつけていなかった。
自らの肌を他人に見せるような時にしか見えないような部分にだけ……。
「……こんなクソみたいな仕事が、二度と出来ないようにな」
壊し屋はローズから目をそらしながらそう答えた。
無機質で、一切の感情を切り捨てながらローズを痛め付けていたその目に、ようやく宿った感情だった。
「……そう。優しいのね……」
ローズはそれを見逃さなかった。
「……貴方の、奥さんが亡くなったのは、私ぐらいの年齢、よね」
「……」
「顔は女の命だものね。
それに、貴方は始めから私を……」
「黙れっ!!」
「ぅぐっ!」
壊し屋はローズの胴回りほどの太さの腕を伸ばし、ローズの首に手をかけた。
「……黙れ。黙ってくれ。
俺だって本当は…………いや、違うな。
俺は壊し屋だ。
俺には、これしかない。
これしか、俺に出来ることは……」
「……く……ホント……不器用な、人……」
自分の首を絞める太い腕。
けれども、すぐにその力が弱まり、優しくなったことをローズは感じ取っていた。
「ローズッ!!」
「!!」
「ロ、ロイッ!?」
しかし、それを見ていた男からはそんなことが分かるはずもなく。
「……来たか」
「てめえっ! ローズを離せっ!!」
傷を負い、首を絞められたローズの姿を見て彼が飛び出していってしまうのは無理からぬ話だった。
「……ロイ……バカッ……」
ローズのその呟きはロイの耳には届かない。
おまけ
「……」
ロイたちを降ろしたあと、運転手の男はUターンして来た道を引き返していた。
「……ふぅ」
しばらくして、安心したようにホッと息を吐いた。
「……あれが銀狼か。意識を一瞬だけ向けられただけで死んだかと思ったな」
男は懸命に感情を抑え付けていたが、ジョセフのプレッシャーに気圧されないようにするのに必死だった。
男は何度もジョセフの応対をしたことはあったが、改めて銀狼と認識して相対すると、その名の凄まじさを感じずにはいられなかったようだ。
「……ロイの兄貴のメンツを潰さないように、今後もあの人には銀狼として接したりしないようにしないとな」
正体を隠している以上、したっぱの自分がそれを意識すること自体が悪手。
下手すれば組ごと潰される。
それを理解している男は今後も銀狼の正体には口を閉ざすことを決意した。
「……」
男はバックミラーを確認する。
「どうやら尾けられてはいないようだな」
ロイたちを降ろしたあと警戒しながら車を走らせたが、どうやら追跡してくる車はないようだった。
やがて、仲間の車が合流する。
男はそのまま屋敷へと帰投した。
「……今度はケーキでも用意しとくか」
じつは子供好きな男はイブのために洋菓子を準備しようと考えた。
「……ふっ。ロイの兄貴と取り合いになりそうだけどな」
少女とケーキを取り合って喧嘩するという、兄貴分の珍しい光景を想像し、男は静かに笑うのだった。