23.殺し屋が物語を始める書き手ならば探偵は物語を終わらせる殺し屋と言えるのかもしれない
「いいか、イブ。
これから来るのは世界一の名探偵と名高い人物だ。名前はゼット」
「……ゼットン」
「『ん』はいらん」
違うのになっちゃうから。
「ゼット」
「うむ」
俺はダメ元で探偵とやらに依頼を出してみることにした。
リザを通してアポを取り付けたから、間違いなく世界一の名探偵ゼットに依頼を出せたはずだ。
依頼内容は俺たちにつきまとい、監視してくる連中の調査及び特定。
連中の人物像の詳細や居場所が分かれば御の字だ。
「そのゼットンがこの部屋に来るの?」
「ゼットな。
そうだ」
今回は警察官としての依頼だ。
証人保護プログラムで保護しているイブをつけ狙う連中。警察も少しは動くが心許ない。相手を特定できればこちらもきちんと対処できる。
そう言って依頼を出すつもりだ。
……まあ、実際はそこまで期待しているわけではない。
俺たちを監視している自分たちを調査している存在がいる。
それを奴らに意識させるだけで十分だ。
ゼットとやらは気付かれないように動こうとするだろうが、奴ら相手にそれは難しいだろう。
だが、自分たちも視られているのだと分かれば少しは動くはずだ。
それだけで十分。
わずかにでも入り込む余地ができれば、俺が奴らを仕留める。
「そいつに俺たちを監視している奴らを調べさせる。いい加減、誰かに見られながら生活するのも面倒だろ?」
「うむ。だいぶウザす」
奴らが動き出せば事は前に進む。
現状における最大の問題は奴らは俺たちが動き出すのを待っているという事、事態が停滞しているという事だ。
だが、こちらは奴らが尻尾を出すまで動けない。そして動けないと、やがて銀狼イコール俺という疑惑が出てくる。
つまり、お互いに相手が動き出すのを待ってはいるが、タイムリミットがあるこちらが圧倒的に不利という現状。アドバンテージはあちら。
ならば、無理やりにでも奴らに動いてもらわなければならない。
その第一歩として肝心なのは、まずゼットが俺たちの依頼を受けてくれるかどうかだ。
「そのために、ゼットに依頼を受けてもらえるようにプレゼンしなければならないわけだ」
「つまり、イブさんは哀れで可哀想で同情したくなる悲運の可憐美少女を演じればいいと」
「……まあ、それでいい」
「がってん」
まあ、意味は理解しているようだからそれでいいだろう。
世界一の名探偵というからには、それなりに正義感なるものを持ち合わせているのだろう。
ならば、それに訴えかけるのが一番だ。
「!」
その時、部屋の扉がノックされた。
「来たな」
対応するために席を立つ。
「じゃあ、手筈通りにな」
「承知の助」
コクリとイブが頷くのを見てから、扉越しに来訪者に応える。
「リザとやらの紹介で来たのだが」
訪問者はどうやらゼットで間違いないようだ。
女性。声が若い。
勝手に中年以上の男性だと思っていたから意外だな。
だが、話ぶりだけでも自分に自信を持っていることが分かる。
返事を返し扉を開ける。
「お待ちしておりました」
「失礼するよ」
部屋に招くとするりと中に入ってきた。
黒淵メガネの女学生だ。
朱色の瞳。イブに似た金色の髪。髪は肩より少し上の長さ。左耳の辺りに編み込み。クリアの花のイヤリング。
膝より少し上の紺のスカートに白のワイシャツ。赤のリボン。学生カバン。
ゼットはまだ学生だったのか。
「お忙しいのにお越しいただきありがとうございます」
「……」
扉を閉めて礼を述べると、ゼットは驚いたような表情を見せた。
「……何か?」
「ああ……いや、すまない」
ゼットはハッと我に返ると首を横に振った。
「普通、世界一の名探偵と名高いゼットとしてやってきたのがこんな年若い美少女となると、本当にゼットなのかと疑ってかかるものなのだよ。
初見で私をゼットとして扱う者は珍しいのだ」
「……美少女?」
イブさんシャラップ。一般的には十分美少女で通じるレベルの容姿だ。自分で言うなとは思うが。
「……」
返答を誤るな。
相手に興味を持たせ、まずは話を聞く状態に持っていく。
「……私が貴女へのアポを頼んだ者は優秀です。彼女がゼットにアポを取って日時を取り付けたのなら、今ここにいる貴女は間違いなく世界一の名探偵ゼットなのでしょう」
「……ふむ。その情報屋を信用しているのだな」
「信頼というやつですよ」
「……」
「……」
リザが自分からゼットに自らの情報を渡すとは思えない。
つまり、こいつは自分に依頼を持ってきたリザのことを独自で調べて、リザの名前と情報屋という身分を明かしたのだ。
最高峰の情報屋としての実力を持つリザ相手に。
やはりこいつは間違いなく世界一の名探偵ゼットだ。
と、なれば彼女への依頼は是が非でも成功させたい。
「……ふむ。いいだろう。話を伺うとしよう」
「ありがとうございます」
ゼットがソファーに腰をおろす。
どうやら第一関門はクリアしたようだ。
「何か飲み物を。
コーヒー、紅茶、ソフトドリンクなど、何がいいですか?」
酒、はまだ飲める年齢ではないのだろう。
「いや、けっこう。話を聞かせてくれたまえ」
「……分かりました」
他人の出すものは口にしないか。
その辺は徹底しているようだな。
足を組んで背もたれに体重を預けたゼットを見て、俺も向かいのソファーにイブと並んで腰かける。
イブさん、スカートの中を覗こうとしない。
「じつはですね……」
おそらくリザからある程度の話は聞いているのだろう。そして依頼を受ける見込みがあると判断したからここに来た。
あとは実際に直接話を聞いて、正式に依頼を受けるかどうか判断するつもりなのだろう。
「……てか、あの時の変な姉ちゃんやん」
「……は?」
「ん?」
俺が話し始めようとしたら、イブがゼットをじっと見つめながらそんなことを言い出した。
「……イブ。知り合いなのか?」
ゼットの方は見当ついてないみたいだが。
「知り合い、ではない、とも言う。
私のオリジナルパンケーキソングを褒めてくれた爽やか系香水強めの人」
「……まったく分からんぞ」
「……あー。あの時の個性的パンケーキソングのかわいい子か」
「えへん」
「……どういうことですか?」
状況がまったく掴めないんだが。
「いやなに。先日、道中でこの子が不可思議で個性的なオリジナルソングを熱唱していてね。それが面白くて思わず声をかけてしまったのだよ」
「……お前、路上で何してんだよ」
「ロックというのは魂だぜ」
意味が分からないんだが。
と、思いつつ、それはおそらくイブが尾行している奴らの気配を掴むための作戦なのであろうことは理解している。
そんな目立つ行動をしている自分に対して普通の人々とは異なる反応を示す者を探していたのだろう。
その現場にたまたま居合わせたわけか。
「……でも、あの時とは髪型も髪の長さも違う?」
「……まあ、いろいろあってね。とはいえ、それでよくそれが私だと分かったものだな。髪の印象が変わると存外、人は人を判別しにくいというのに。それほどの短い接触時間ならば尚更、な」
「香水が一緒やん。いつぞやのじいちゃん並みにつけすぎだからすぐ分かったでー」
「おい、失礼だぞ」
「はっはっはっ! なるほどな。嗅覚はワンコ並みというわけか」
「イブはわんわん?」
「そう、わんわんだ」
「失敬な」
「おっと、怒られた」
「……」
まあ、本人が楽しそうだからいいか。
「……ふむ。そうだな。あまり引き伸ばしても仕方なし、か」
「?」
そう言うと、ゼットは含み笑いをしながら両手を広げた。
「私はもう君たちからの依頼内容を知っている」
「……」
それはそうだろうな。
だが、それをなぜ今、このタイミングで言う?
「それはなぜか?
それは私がその依頼のターゲットだからだ」
「……は?」
こいつは、何を……。
「もうひとつ言えば、いつぞやのじいちゃんとやらは私だ」
「……どういうことだ?」
「変装だよ。このアパートの階段を降りている時にそこなワンコ少女とすれ違った甘めの香水強めのじいちゃんと、ここにいる爽やか系香水強めの超絶美少女は同一人物ということだ」
「……イブ」
「うむ。あの時のじいちゃんは甘めの香水強めやった。でも、声も背格好もぜんぜん違うやん」
イブがコクリと頷く。
イブしか知らない香水の種類を答えたということは、やはりこいつはその人物そのものということか?
声や背格好はまあ、何とか出来ないことはない、か。
いや、問題はそこではない。
その時の老紳士とやらが俺たちを調べている紳士その人ならば、今目の前にいるこいつは……。
「たどり着いたかね?
その通りだよ。
世界一の名探偵ゼットはイコール調べ屋紳士であり、そのどちらもが、今君たちの目の前にいるこの超絶美少女な私なのだよ」
「……っ」
落ち着け。
焦るな。
相手はその反応そのものを見定めている可能性もある。
正直、今すぐにでも殺してしまった方がいいと俺の本能が警鐘を鳴らしているが、そう思わせることすら奴の狙いかもしれない。
そもそも、そんなことあるのか?
だとしたら、なぜこいつは俺たちの前に出てきた。
紳士のアドバンテージは俺たちに素性がバレていないこと。一度も見られていないことだ。
だからこそ、俺たちは見えないその影に怯えなければならなかった。
にも関わらず、なぜこいつは俺たちの前に姿を現した。
なぜ紳士とゼット、両方の正体を俺たちに晒した。
こいつの狙いは、いったい何だ?
「……ジョセフ。始末する?」
「!」
イブが殺気を露にする。
目の前の少女が自分の敵であると認識したのか。
「……何を言っているんだ。そんなことしたら駄目だろう」
「……む?」
だが、今はそれは悪手だぞ、イブ。
それは警察官である俺に保護されている少女のセリフではあり得ない。
「……ふむ。なるほどな。
理解したよ」
ゼットが腕を組んでじっと俺とイブを観察している。
しまった、という思いを拭えない。
こいつの前では一挙手一投足が致命傷になりかねない。
「……」
「銀狼の事件を担当している現職の警察官、警部ジョセフ。君こそが最強の殺し屋銀狼その人ということか」
ゼットの言葉のナイフは狼の首もとまで一気に伸びてきた。
「っ!」
……くそ。今のでそこまで到達するか。
「ふむ。そう考えるといろいろと合点がいく。
一家惨殺事件の唯一の生存者。調べ屋マウロ。ボスのお気に入り。事件の第一発見者はジョセフ警部。見た様子からして、彼女は育成中かな。の、わりには君から彼女への警戒レベルが高い。もしかしたら彼女からも狙われている? 狙われていながら育てる? ふふ、歪だね。狙いは彼女への依頼者の詮索って所か。
どうやらまだまだ裏がありそうだ」
「……お前は、どこまで……」
こいつの洞察力は異常だ。
おそらく事前にあらゆる情報を調べてきているのだろうが、それをほどいて結び直すのが上手すぎる。
「ふむふむ。なるほど。なるほど……」
「……」
こうなるともう、こいつは始末するしかなくなる。
こいつは知りすぎた。何より俺の正体に気付いたのなら生かしておくわけにはいかない。
「まあ、待ちたまえ」
「!」
俺がゼットの首を折りに行こうとした瞬間、彼女はスッと右手をこちらに向けた。
問答無用に殺ってしまってもいいが、彼女の持つ情報が惜しいという気持ちもある。
調べ屋マウロ。ボスのお気に入り。
どれも今回の件で初めて聞いたワードだ。
あるいは、わざとそれを出して俺を迷わせているのか?
「私もむざむざ殺されに来たわけではないのだよ。銀狼の正体を知っていても殺されていない者はいる。
そうだろう?」
「……」
リザやエルサ、ローズ、そしてイブ。
こいつなら、彼女たちについて全て調べていてもおかしくはない。
それに何でも屋のカイトの存在もある。
こいつがここに来るのに何の手も打っていないわけがない。
あるいは自分に何かがあれば俺イコール銀狼であると確定させるような根回しがあるのかもしれない。こいつが俺が銀狼であると確信したのはさっきだが、あるいは予感めいたものは事前にあったのかもしれない。
「……何が目的だ?」
このタイミングでそれを言ってくる意味は?
「なに、少し確かめたかったのだよ」
「……確かめる?」
ゼットは組んでいた腕をほどくと、黒淵メガネを指で直しながら再び背もたれに体重を預けた。
「……私は、私への依頼に嘘をつかれるのが何より嫌いでね」
「……」
核心的なことを直球で言ってみたり、あえてその部分をはぐらかしてみたり。
マズいな。完全にペースを握られている。
問答無用で殺すことも出来るというのに、こいつの話を聞こうとしている自分がいる。むしろ、それを優先しろと判断させられる。
おそらく戦闘能力はさほど高くはないはずなのに、俺が、銀狼がこいつを殺せない。
フィジカルではなく話術と情報で銀狼と渡り合ってくる。
これが世界一の名探偵ゼットか。
「私がいわゆるボスから受けた依頼はだね。
『犯罪に巻き込まれて、警察に保護の名目で娘を連れていかれた。それに銀狼が関わっている可能性も高い。娘を保護している警察官と、ついでに銀狼についても調べてほしい』
というものなのだよ」
「……ずいぶんと都合のいい依頼内容だな」
「いや、私もさすがに怪しいと思って調べたさ。
だが、ボスはちょっと裏社会の人間ではあるが特に大きな問題のない人物で、彼女が実際にボスの所にいたのもまた事実。さらにはそんな彼女を保護しているという警部は銀狼事件の担当官。おまけに戦闘力に秀でていると来た。
こちら側から見ると、調べがいがあるのは君の方だったのさ」
「……なるほどな」
こちら側からの見解なしでボスとやらの感傷的な依頼だけを聞くと悪者はこちらなわけか。
しかし、娘を連れていかれた、ね。
そしてボスの所にいたのもまた事実と。
調べなければならないことが増えていくな。
……と、俺に思わせることで自身の生存率を上げているわけか。
今殺すには惜しい、と。
「……恐ろしい奴だな、あんた」
「君に言われたくはないな。
私が止めなければ、さっきの数瞬で私の首は後ろを向いていたのだろう?」
「そりゃごもっとも」
それもお見通しか。
実際、たいしたものだ。
一秒もあれば十分殺せる状態にあるのに俺にそれをさせない。
人というものをよく理解している。
これはまるで……。
「……もしかしてお前、『ホーム』の出か?」
「!」
「この一芸特化とも言える秀でたスキル。あのジジイの手口だろ」
「……流石に分かるか」
「さんざん見てきたからな」
「……ご名答。
流石は第一世代……いや、ここは流石は『ホーム』を滅ぼした銀狼、と言っておこうか」
「……」
そりゃ、こいつほどの奴なら調べてるよな。
「……第三世代か」
「その通り。君に滅ぼされた『ホーム』の最後の世代さ」
「生き残りがいたとはな」
全て始末したと思っていたが。
「あのとき、博士の実験は外部環境下での調査の段階に至っていた者が数名いたのだよ。
よって、君が『ホーム』を壊滅させた時に一般社会に紛れていた者は難を逃れたわけだ。
ま、ほんの数名だがな」
「……」
その可能性は考慮していたが、あの場で尋問した全員が外に出ている者はいないと答えた。
あらかじめジジイによって洗脳されていたのか。
俺に消されなかった生き残り。運び屋のジンガイ兄弟もその類いか。
「心配しなくても、ボスにはこれらの情報は渡していないよ。私も、私が『ホーム』の出だということは伏せておきたいのでね」
「……」
ゼットは軽く肩を竦めてみせた。
何となくだが、これは本音のような気がした。
銀狼が『ホーム』を滅ぼしたことは裏ではわりと有名だ。
それを公言することは銀狼に喧嘩を売るに近い。こいつがボスにそれを言うメリットは少ないだろう。
「……それで?
それらを俺に明かして、結局お前の目的はなんだ?」
正体を明かし、境遇を明かし、あちらからの依頼内容をターゲットである俺たちに明かし、いったいこいつは俺たちをどうしたい? 何をさせたい?
「ふむ。私は、私が信用しようと思う方につこうと思ってね」
「……どういうことだ」
「言っただろう。
私は依頼で嘘をつかれるのが嫌いだと。
調べた限りでも彼女はボスのもとから連れ去られたわけでも、警察に無理やり繋がれているわけでもない。
保護されるに至る経緯も理解できる。
つまり、ボスの『警察から娘を取り戻したい』という依頼は嘘なわけだ」
「ふむ」
「ようは、この私に嘘の依頼をしたことを後悔させてやろうというわけさ。
あとはまあ、私も殺されたくはないといったところか」
「……裏切るつもりか」
こちらに寝返る見返りに情報を俺たちに与えると?
だが……、
「……狐は信用に値しないぞ?」
どの世界でも裏切り者は邪険に扱われる。
こいつはそれを承知で俺たちのもとに来たというのか?
だが、こいつが何の打算もなしにそんな愚かな行動をするとは思えない。
「別に君たちの仲間になるつもりはないさ」
「……何?」
「私は観測者でいたいのさ。
しかし、死にたいわけでもない。
ボスとやらは裏切りを許さない。自分は平気で嘘の依頼をするくせにね。
かといって銀狼とべったりになるつもりもない。
ゼットは探偵。
事件の発生を未然に防ぐ立場ではなく、起きてしまったものを終わらせる役割。
俯瞰で全体を眺めて物語を終幕させる。
ゆえに探偵はゼットを名乗る。
そのために探偵は最後まで生きていなければならない。
ゆえに私は、私にとって有利な方につくのさ」
「……それを、世間ではどっち付かずの狐野郎というのだが」
「力を持った狐は時に戦況をひっくり返すものだよ」
「……敵に回さない方が身のためということか」
「ご想像にお任せするよ」
「……」
依頼で嘘をつくような奴を信用できない。
だから銀狼である俺に肩入れしてボスとやらを倒させようという腹か。
でないと、裏切りがバレると自分がボスに殺されるから。
それでもなお、依頼で嘘をつかれたことは許さないと。
それが、こいつの世界一の名探偵としてのプライドってことか。
「……観測者といったな。
それで?
お前は俺たちに何をしてくれる?」
どうするかはそれ次第だ。
「何もしないであげるのさ」
「……ふむ」
「君が銀狼ならば、そろそろ動きたくてたまらないのだろう?
だから探偵なんていう輩でカイトと私を突っつこうとした。
巣穴から出てきたネズミを喰らうために」
「……目をつぶるということか」
こいつはどこまで推察しているのか。
ここに来てからの会話で俺の銀狼としての現状さえ理解したわけだ。
これは確かに、敵に回したら面倒なことになりそうだ。
「私とカイトは常に君たちに張り付いているわけではない。君たちが別々に行動している時は手分けして、一緒にいる時は順に休憩を取っている。あとは私の銀狼関係の調査の時間もあるしな」
「……俺たちが別々に行動し、お前が俺についている時に銀狼として動けということか」
「その通り。さらに、そうだね。君が動いている間、私は君の仲間の監視下にいてもいい」
「……ふむ」
つまり、本当に俺を自由にさせるということか。
俺が銀狼として動くのを見逃すのではなく、そもそもつけ回すことさえしないと。
俺がゼットを信用できないと思っていても物理的に俺を追跡できない状況に自らを置いてやろうというわけか。
「……いいだろう」
「契約成立というわけだな」
信用したわけではないが、利害が一致するのなら互いに利用し合うのは悪くない。
「あ、そうそう。ひとつ、君に言っておくことがあるのだよ」
「……後出しは余計に印象を悪くするぞ」
「いやなに、そういうことではない」
「ん?」
「私が手を貸すのだ。
銀狼にはボスに必ず勝ってほしい。
それだけだよ」
俺がボスを始末しなければこいつ自身もボスに殺される。発破をかけもするってことか。
「……誰に言っている。
お前が今話しているのは銀狼だぞ」
ならば、それに応えてやるのも契約のサービスのうちというものか。
「ふふふ。愚問だったな」
ゼットは満足したのか、スッと席を立った。
「二日後、再びここに来よう。
その時までに君の依頼の日時を決めておいてくれたまえ。そこに合わせて私が君の監視係になろう。私の監視役をつけたいのならその人物とはあらかじめスケジュール調整しておいてくれ」
「分かった」
「あ、そうそう」
「ん?」
扉の前まで進んだゼットはそこで思い出したようにこちらを振り向いた。
「ついでに教えておいてやろう。
ボスはいわゆる第二世代。君の劣化コピーと呼ばれた唯一の生き残りさ。
その中でも彼は特に博士に心酔していたようだよ」
「……そうか」
ゼットはそれじゃあと手を振って玄関から出ていった。
「あ、そうそう」
「!!」
が、再び扉を開けてこちらに顔を見せた。
腰の曲がった老婆の姿で。
「このあと、情報屋のリザさんとやらをここに呼んでいましてね」
「リザを?」
しゃべり方。声色。杖をついた腰の曲がった姿勢。背丈まで。
全てが完全にただの老婆の姿だ。
おまけに香水の匂いさえ変えている。今度は強いローズの香りだ。
「いろいろと話した方がいいと思いましてね。彼女に間を取り持ってもらってくださいな」
老婆の姿をしたゼットは手にした杖を挨拶代わりに振ると、今度こそ去っていった。
変幻自在。神出鬼没。
あの完成度ならば本当にいつどこにあいつがいるか分からないな。
先ほどの少女の姿が奴の正体とも限らない。
油断だけはしないようにしなければ。
「……だが、話すとはいったい何のことだ……」
「……ジョセフ」
「あん?」
そういや、途中からイブがずっと静かだったな。
「……ジョセフは、私がジョセフの命を狙ってることを知ってた?」
「……あ」
イブが静かに冷たい目をこちらに向ける。
久しぶりに見た。
人を殺す時の目だ。
そうか。
ゼットはそんなことを口走っていたんだったな。あまりに自然な会話の流れの中だったから俺はスルーしていたが、俺がそれに気付いていないと思っていたイブからしたらそれは衝撃的な会話だったわけだ。
俺がそれに特に触れなかったことがより一層……。
「……リザが来てから話すとするか」
「……承知」
ゼットめ。
余計なことをしてくれた。
おまけ
「……そう。いろいろと面倒なことになってるわね」
『ああ。それで、世界一の名探偵とやらに依頼をしたいんだが』
「分かったわ。こっちで何とかしておく。直接依頼のタイプだったと思うから、面会日時が決まったらまた連絡するわ」
『分かった』
「じゃあね」
ジョセフからの電話を切る。
「……ふう」
情報屋なんてものをやっていると、何となく分かる時がある。
盤面が動き出したのだと。
蠢いていた世界が歯車がカチッと合ったかのように一気に動き出す瞬間がある。
パズルのピースがそこにハマると分かった瞬間のような。
きっとこれはそういうもの。
ジョセフが銀狼になってまで追い続けたもの。
それが表舞台に出てきた。
「……これで、ちゃんと終われるのかしら」
マリアのことを思い出す。
綺麗で優しくて、私を地獄から救ってくれた人。
それと同時に、私を違う地獄に叩き落とした人。
「……あいつを狼に仕立てた私は、ただそれを全力でサポートするだけよね」
ふっと自嘲気味に笑う。
それでいい。
私は銀狼の情報屋。
それ以上でも以下でもない。
自分の役割を全うするだけ。
「……」
私は自分にそう言い聞かせて、ゼットについての情報を集め始めた。