22.視られているということは想像以上にストレスがかかるもの
『次。十三番』
『……』
『ああ、キャシーか』
『……』
『お前の自己ベストは、四十八秒か。この年齢では驚異的なタイムだな。
四十秒を切れるようにやれ』
『……了解』
『では、始めろ』
『……』
『……はぁ。五十二秒。五十八秒。五十四秒。六十秒。
どうした? 自己ベスト更新どころか、だんだん遅くなってきているぞ』
『……』
『……ふん。
おい。二十五番を連れてこい』
『!』
『……十三番』
『……二十五番』
『今からお前らで銃の組み立て速度の勝負を行う。二人の中央に弾丸を一発だけ置く。先に組み上げた方が弾丸を装填し、相手を撃って殺せ』
『『!!』』
『相手を殺せなければ二人とも殺す。
生き残りたければ相手より速く組み立てて相手を殺せ』
『……じゅ、十三番』
『……』
『では、始め』
『はぁ、はぁ……』
『ふむ。三十八秒。大幅更新だな』
『……』
『今度からは毎回命がけだと思って挑め。でないと、また同期が死ぬぞ』
『……了解』
『よくやった』
『……』
「……そう。何も見つかってないのね。
まあ、予想通りと言えば予想通りね」
爆破テロ事件があってから数日が経過していた。
消火は完了。救助も一旦、一段落。
あとは重機を使って瓦礫を撤去しながらの作業となる。
現場の捜査はそれらと平行して行われる。
不発の爆発物が残っている可能性も考慮して、処理班を投入しての慎重に慎重を期した作業となる。
そのため、完全に捜査終了となるのはだいぶ先になりそうだ。
「ああ。どうせこの先も出てこないだろうしな」
俺とケビンは捜査の大まかな顛末をエルサに報告に来ていた。
たいした報告事項はなかったが、エルサからの要請で赴いている以上、体裁を整える必要がある。
報告を受けたエルサも大方予想通りといった反応だった。
今回のテロ事件。
この完璧性。完全にプロの犯行だ。不発などさせるはずもないだろう。
とはいえそれは悪魔の証明。
ないことを証明など出来ないのだから、ある前提で撤去と捜査を行わなければならない。
その間もあのスティーブン警視に拘束されるのは辛いのだがな。
「……俺、もう戻りたいんすけど」
ケビンも息絶え絶えといった様子だった。
捜査協力の名目で今回の爆破テロ事件の捜査に加わっているが、ケビンはスティーブン警視に小間使いのように扱われていた。
なんというか、こいつはそういう役回りなのだろう。
「そうだな。タイミング的にそろそろ俺たちの本来の仕事の出番だろうから、それまでの辛抱だろう」
「……こんなこと言っちゃアレっすけど、銀狼に早く仕事してほしいですね」
「……否定はしない」
俺たちの本来の仕事とは、銀狼関連の事件の捜査だ。
つまり俺が依頼を遂行するかどうかだ。
正直、依頼はだいぶ溜まっている。
俺が依頼をこなせば俺たちはこの捜査協力から解放されるのだが……。
「銀狼も、今回の事件で様子を見てるんですかね?」
そういうことだ。
街全体を不安の渦に巻き込んだ今回の事件。
銀狼もまた、しばらく様子を見るだろうと思い依頼を受けるのを控えていた。
「……だろうな」
理由は他にもある。というより、こっちがメインだ。
それは何でも屋のカイトと、紳士なる老人の存在だ。
おそらくカイトは俺とイブを。そして紳士は銀狼を調べている。あるいは両方を平行で交替で。
そんな現状で俺が銀狼の仕事を行うのはすこぶる難易度が高い。
丸一日、警部である所の俺が見張られているのなら銀狼として動くことが出来ないからだ。
「まあでも、銀狼がある程度警察の情報を得ているのなら動き出すのはそう遅くはないっすかねー。きっと今後もテロ事件の捜査からはなんも出てこないですもん」
「……そうだな」
そして、そうなる。
ろくな情報が得られないのなら、それはそれとして自分の仕事を再開しようと銀狼は思う、と警察に思われる。
よって、銀狼が動かなすぎても怪しい。
それはイコール、俺が怪しいと思われるということだ。
俺を二十四時間見張り始めてから銀狼の活動が停止した。
そう結びつけられるのは非常にマズい。
つまり俺は近々、奴らの監視をくぐり抜けて銀狼としての依頼を遂行しなければならない。
その前に奴らを始末できればいいのだが、あれ以来、カイトは完全に姿形を消した。その微かな気配すら感じない。
紳士に至っては何の痕跡もなく、その影さえ掴めていない。
だが、居るのだろう。
視ているのだろう。
それ専門の奴らからすれば、何日も何ヵ月も息を潜めてターゲットの動向を監視するなど容易いことだろうからな。
「……銀狼はまた必ず動く。
その時にいつでも動けるようにだけはしておけ」
「了解っす。あの警視にすり減らされないように頑張りますよ」
「……」
エルサは俺の方をじっと見ていた。
俺の、銀狼としての動きはどうするのかと問いているのだろう。
ケビンを退室させたらカイトたちのことも言っておかなければ。
「そうそう。お二人さん」
「あん?」
「なんですか?」
そこでエルサが思い出したように満面の笑みを浮かべた。
凄まじく怖い笑顔なんだが。
「なんかあれから、スティーブン警視がやたらとウザ絡みしてくるのだけれど、お二人は何かご存知ないかしら?」
「げっ!」
エルサさん。笑顔が怖いです。
あとケビンさん、正直すぎです。
「……減給と降格と鞭打ち、どれがいいかしら?」
「……どれも嫌だろ」
ずっと笑顔なのやめろ。
「あ! あー! そうだースティーブン警視に買い出し頼まれてたんだー急いで行かなきゃーてことで失礼しまーす!」
ケビンさん、棒読みすぎます。
バタン! とすごい勢いで扉を開け閉めして、ケビンは颯爽と去っていった。
「……」
「……」
エルサは席を立つと扉を開けて部屋の外を確認する。そして扉を閉めると再び席についた。
「……さて、これで話せるわね」
「ああ」
ケビンがどうやら本当に去ったらしいことを確認すると、エルサは改めて話を進めた。
邪魔者を退散させるにはちょうどいい理由だったな。
「じつは、少し困ったことになっていてな」
「あら珍しい」
俺は何でも屋カイトや紳士のことをエルサに話した。
「……なるほどね。調査専門の奴らはなかなか尻尾を掴ませないから厄介なのよね」
エルサが苦虫を噛み潰したような顔をした。どうやら過去に面倒な目に遭ったことがあるらしい。
「リザにも調べてもらうが、エルサの方でも何か分かれば教えてくれ。
このままでは銀狼が動きにくくてな」
ターゲットが捕捉できていなければローズは使えない。ここはリザとエルサに動いてもらうしかない。
「分かったわ。聞いたことのない名前だから、あんまり期待はしないで」
「ああ」
この世界で名が知られていないというのは単純に実力がないか、あるいはあえて名を伏せているかだ。
名がある程度知れ渡っていた方が依頼も多くなるし箔もつく。普通は依頼を数多くこなして信頼と実績を積んで名を上げていくものなのだが、中には自分の実力に絶対の自信があって、売り出さなくても依頼が向こうから舞い込んでくる奴もいる。
求めなくとも求められるのだ。
俺は今でこそそのレベルだが、最初は小さな依頼をコツコツとこなして名を売っていった。
だが、こいつらは初めから存在の痕跡を出さずにやってきている。
紹介とか、口コミとか、そういった類いのもののみで依頼を受けているのだろう。
あるいは兼業か副業か、たまに趣味という奴もいる。
そういった輩は非常に厄介だ。
いざ探すとなると痕跡が少なすぎて見つからないし、総じて実力が高いからだ。
エルサが期待するなと言ったのはそのためだろう。
「にしても、あんたを尾行・調査するなんてたいした奴らね。まるで名探偵ゼットみたいじゃない」
「……あの、世界一の探偵とかってやつか」
俺とは畑が違うからあまり詳しくはないが、迷宮入りと言われた事件をいくつも解決に導き、警察からも捜査協力の依頼があることもあるという。
「案外、そういうのに調べられてるのかもしれないわよ、あんた」
「まあ、そいつは裏社会の人間の依頼は受けないとは聞くが……でもそうだな。視野を広く持つことは大事かもしれない。
こちら側を調べても出てこないようなら、違う分野の人間も調べるつもりでいた方がいいかもしれないな」
「……雲を掴むような話ね」
「……まあな」
実際、かなり厳しい。
民間の調査会社の一人物とかならまだしも、完全に一般社会の人間が個人でそういった仕事を兼業で行っていたら見つけるのは不可能に近い。
そんな奴はそうそういないだろうが、もしもカイトや紳士がそうだったら個人を特定するのは至難の業だ。
「……もういっそ、ゼットに頼んでみちゃえばいいんじゃないかしら」
「……世界一の名探偵様にか?」
「そうそう。『変な奴らに付きまとわれてて困ってる。正体を突き止めて取っ捕まえたい』とかって」
「……ふむ」
一理ある、か?
調査専門の奴らを相手にするなら、こちらも専門の奴に任せた方が早いかもしれない。
何より、俺はいち早く銀狼としての仕事を行った方がいい。
俺イコール銀狼という図式を生む可能性は極力排除したい。
ベストは銀狼が動く前にカイトと紳士を始末すること。
次点で、俺が監視されている状態で銀狼が依頼をこなすことか。
「……リザに、ゼットとやらと渡りがつけられないか聞いてみるか」
「そうね」
利用できるものはしていこう。
正直、銀狼として追い詰められないための対策はいくつも用意してあるが、警部である所の俺が調べられ、詰められることはあまり想定していなかった。
実際、いざとなれば警察官というレッテルなど放り投げてしまっても構わないとは思っているが、そう思っていることが今回の事案への事前想定を怠らせたか。
今それをすれば、警察官ジョセフイコール銀狼という図式は完成してしまう。
それはあまり宜しくない。
とはいえ、これは完全に俺の落ち度だ。
警察官としての俺が完全に監視されていると銀狼も動けない。
そんな当たり前のことが抜けていた。
奴らはイブを回収するために、その保護者である警察官の俺を監視しているだけなのだが、その結果として銀狼が偶然にも追い詰められるとは。
「……つくづく、厄介なもんを抱え込んだものだ」
「……」
イブを引き入れたことが回り回って銀狼を追い詰めることになるとはな。
「……ねえ、ジョセフ」
「なんだ?」
「イブちゃんを私の方で、警察で保護するって手もあることを忘れないでね」
「……」
「そうすれば、その何でも屋たちの目はあんたから離れて銀狼は自由に動けるようになる。
……きっと今までのあんたなら、ううん、銀狼ならそう判断するはずよ」
「……」
たしかに、それが最も効率的で安全性が高い。
イブに俺を殺すよう依頼した人物を特定するのに今よりも多少は手間取ることになるが、銀狼の足枷になるというのなら、冷静に考えてそうするべきだろう。
……だが、
「……駄目だ。
警察が完全に安全かどうか分からない。
カイトなら警察署にさえ自然と侵入することが出来るだろうからな。それに、警察官全員が信用できるとは限らない」
「……殺し屋をやってる警察官がいるぐらいだものね」
「そういうことだ……」
「……イブちゃんは、自分の手で守りたいのね……」
「……」
話は終わりだな。
俺はその話題を切るかのように席を立つ。
「……とにかく、何か分かったら連絡してくれ。俺の方でも何かあればまた連絡する」
「……分かったわ」
俺はエルサの顔を見ることなくその場を後にした。
次はリザにいろいろと話をしなければ。
「……」
『銀狼ならそう判断するはずよ』
「……分かってるんだよ、そんなことは」
無意識に拳を強く握っていたことに、そのときの俺は気付いていなかった。
「パンケーキの雨が降ってきたら~嬉しいけど気持ち悪い~」
イブは今日もオリジナルパンケーキソングを口ずさみながら家への道を歩いていた。
ジョセフに頼まれた買い物を済ませ、さまざまな食材が入ったバスケットを両手で抱えている。
『道中、周囲の様子をさりげなく探れ。探っていることは気取られるな』
「……ハチミツとホイップの雨も嬉しいけど~虫が大量発生するから最悪~」
イブは歌を口ずさみながらも、その意識は周囲に張り巡らされていた。
人通りは多くはないが、少なくもない。
両手でバスケットを抱えて独特な歌を歌うイブに温かい視線を送る人々は多かった。
イブはそれをよく理解していた。
その中で、自分に特異な視線を送る者、意識を向ける者をイブは選別していたのだ。
「……焦げたパンケーキは苦いから~そっと隣のお皿にのせるんだ~……」
しかし、イブのその監視網に引っ掛かる者はいなかった。
「……うーむ。歌は奥が深い」
イブは感心していた。
きっと自分は視られている。
それなのにそれが誰で、どこにいるのかまったく分からない。
おそらく尾行技術だけで言えばジョセフより上。
その世界の奥の深さにイブは単純に感心した。
「はっはっはっ! なんだその変な歌はっ!」
「んー?」
そのとき、後ろから大きな笑い声が聞こえてきてイブは振り返った。
「よく分からんが、パンケーキ愛だけは伝わってきたぞ」
「……誰やねん」
笑いすぎて目尻に浮かんだ涙を拭う者。
それは黒淵メガネの女学生だった。
膝より少し上の紺色のスカート。白いワイシャツで首元は赤いリボン。
イブと同じ長い金色の髪だが、瞳の色は薄い赤だった。サイドテールの金髪が右耳の上で揺れる。
マドカと同じぐらいの年齢と思われる。
「いや、すまんな。あまりに個性的な歌だったものだから思わず声をかけてしまった。
君の歌は面白い」
「……褒めとる?」
ハキハキとした喋り。意思の強い言葉。
それに対してイブは通常運転で首をこてんと倒した。
「褒めとる褒めとる。可愛いし面白いぞ」
「えへん」
その女学生に頭を撫でられ、イブは腰に手を当てて嬉しそうに胸を張った。
「ふーむ……」
「んにゃ?」
そして、女学生はそのままイブの顔をじっと眺めた。
イブは不思議そうに彼女を見上げた。
「……話に聞いていたのと違うな」
「ぱーどん?」
「……ふっ」
女学生はうつ向いて薄く笑うと、パッとイブから離れた。
「いや、興味深い歌を聴かせてもらった。ありがとう。
名残惜しいが、私はここで失礼させてもらうよ。アディオス」
「……あでゅ」
女学生は胸に手を当てて恭しくお辞儀をすると、颯爽とその場を去っていった。イブに背を向けたまま軽く手を振って。
イブは首をかしげたまま手を振り返しながら彼女を見送った。
「……香水強め。若いのに。
あのじいちゃんの甘い系とは違う爽やか系。
臭くするの流行っとるんか?」
一般的には良い匂いであろう香水も、鼻のいいイブからしたら感覚を狂わせる要因でしかない。
鼻に残るその嫌な匂いにしかめっ面しながら、イブは再び家路を急いだ。
周囲の気配を探ることを忘れて……。
「これでいいかい?」
「サンキュー。あんまり変な歌なもんだから思わず笑っちゃう所だったよ」
「やれやれ。私が出ていかなかったらせっかく殺した気配を彼女に気取られていたぞ」
「いやー、面目ない」
イブの縮小された警戒網の外。
先ほどの女学生が何でも屋のカイトをたしなめていた。
「俺はこのままあの子を見てるけど、あんたはあっちの警官の方に行くんでしょ? 紳士」
「……」
カイトに紳士と呼ばれた女学生は顎に手を当てて考えるような仕草を見せた。
「……ふむ。そうだな。
少し確認したいこともあるし、三時間ほどそちらに行こう。
私が戻ってきたら君は少し休みたまえ」
「オッケー。二日ぶりに寝れるよー」
カイトは眠そうに大あくびをしてみせた。
カイトと紳士は交代制でジョセフとイブを尾行・調査していた。
二人がともにいる時に交代で休みを取り、別々に行動する時は手分けして二人を尾行する。
とはいえ、二十四時間まるまる監視しているわけではなく、特に紳士は銀狼の調査も兼ねているため、ジョセフとイブには誰にも監視されていない時間というものは意外と多かった。
だが、カイトと紳士を特定できていない現状においてジョセフにそれを把握する術はなく、結果的にジョセフは常に彼らに監視されていると考えて行動しなければならなくなっていた。
つまり、紳士たちは心理的な監視の檻によって銀狼の行動を制限することに成功していたのだ。
「では、宜しく頼むよ」
「はいはーい」
カイトは適当に返事を返すと、すっと姿を消した。
「……さて」
紳士である女学生はそれを見送ってから、颯爽とその場を後にしたのだった。
おまけ
「あ! ジョセフ!」
「……なんだ?」
部屋を出て自分のデスクがある部屋に戻ろうとしているとエルサが走って追いかけてきた。
ずいぶん急いだようで息を切らしている。
何か緊急の要件だろうか。
「一日でいいわ」
「……あん?」
何の話をしている。
「あんたたちが私をエサにしてスティーブン警視に取り入った件よ」
「……一日、というのは?」
負い目がある分、何か頼みがあるなら聞かないわけにはいかないか。
「イブちゃんと一日デートさせてくれたら許してあげるわ。ふふ……ふふふふ」
「……断る」
「なんでよ!」
「……犯罪の匂いがする」
「いいじゃない! ちょっとだけ! ちょっとだけだから!」
「……何がちょっとだけなんだか」
「……鞭打ちの刑にするわよ?」
「……ケビンを貸してやろう」
「……あんた、あの子なら何でも許されると思ってるでしょ」
「……否定はしない」
「……なんか、もう可哀想になってきたからいいわよ」
イブもケビンも命拾いしたな。