2.日常讃歌
マッチに火をつける。
小さな炎のはずなのに、ずいぶん暖かく感じるもんだ。
その火を口にくわえたタバコに近付ける。
軽く吸ってやると、マッチの火をタバコが吸いとる。
マッチを持っている手を軽く振ってやると、人の命みたいにあっけなくマッチの火は消えた。
俺はビルの屋上に寝転がりながらマッチを適当に放り投げる。
タバコの煙や匂いでバレかねないからやめろと言われたことがあるが、これがないと集中できない。
この健康に悪い煙を体に入れてやらないと、俺の仕事の成功率は著しく低下する。
「……さて」
俺はタバコを口に咥えたままスコープを覗く。
ターゲットは1000メートル先のビルで優雅にワインを揺らす腹の出た男。
今回の依頼は、詰まるところ復讐のようだ。
どうやら依頼人はあの男のせいでエラい目に遭ったらしい。
相手を殺したいほどの何があったのかと思うが、俺は依頼人について深く内情を探らないことを売りにしている。
誰だって言いたくないことはあるだろうからな……。
俺は報酬さえきちんと払ってくれれば、仕事はきっちりと行う。
ただそれだけだ。
まあ、もし金払いを渋れば依頼人をどうするかは俺次第だな。
「……!」
ターゲットが窓に近付く。
軌道上の風向きなんかは計算済みだ。
当然、スコープの光が反射したりもしない。
ターゲットが窓の前に立つ。
ワイングラスを傾けながら眼下に広がる光景を見下ろすのが楽しみなのだそうだ。
「……贅沢なこって」
集中力を高める。
照準を合わせ、引き金に指をかける。
何回か意識的に呼吸を繰り返し、一度大きく息を吸って、大きく吐き出す。
そして、軽く息を吸ったところで、止める。
手の震えが完全に止まり、自分を完全に制御できたと感じる。
あとはそのまま引き金を引くだけ。
放たれた弾丸は空気を穿ちながら進み、窓ガラスに小さな穴を空け、ターゲットの男の額をもそのまま貫いた。
男は驚いたように目を見開いていたが、何が起きたかも分からぬままに後ろに倒れた。
窓ガラスは割れ落ちることはなく、弾丸が通過した部分だけに穴を空けていた。
やはり防弾ガラスだったようだ。
もちろん事前に調査済み。
防弾ガラスさえ貫く弾丸にしておいて正解だったな。
一発の値段はかなり高いが、今回の報酬を考えれば仕方ないだろう。
倒れた男の周りに血が広がるのを確認したら、スコープから目を離す。
さっさと片付けを済ませ、咥えていたタバコを大きく一吸いすると、持っていた携帯灰皿にタバコを潰し入れる。
これで今回の依頼は完了。
これが、『銀狼』であるところの俺の日常だ。
「ジョセフ警部!
また殺人っすか、最近多いっすね~」
「……ああ、そうだな」
「早く犯人捕まえましょーよ~。
自分今日は映画見に行きたいんすよ~」
「……なら頑張るんだな」
残念だが、犯人が見つかることはないだろうがな。
俺の名はジョセフ。
警察官、階級は警部だ。
今日も日がな、口うるさい上司と出来の悪い部下の間に挟まれながら殺人事件の捜査をしている。
「誰が出来の悪い部下っすかぁ~!」
うるさい。
地の文の独り語りに入ってくるな。
「ひどいっすよ~」
コイツはケビン。
俺の部下で階級は巡査。
まだまだ新人のひよっこだが、少しずつ言われたことをミスなく出来るようになってきた。
「それにしても~」
ケビンが鑑識から渡された調書を確認しながら呟く。
「1000メートル離れたビルの屋上からスナイパーライフルで被害者の額に一発っすか。
これは『銀狼』の仕業っすね~」
「……そうだろうな」
『銀狼』というのはこの国で最強と言われている殺し屋だ。
『銀狼』はターゲットを一撃で仕留める。
銃ならばどんなに難しい所からの狙撃でも可能で、最大射程は5000メートルなどと言われている。
まあ、それはさすがに言い過ぎだが。
また、特に刃物の類いでの殺しの場合、剣速が速すぎてターゲットの首を斬ってから血が吹き出すまでに数秒のタイムラグが生じる。
『銀狼』はその数秒の間に殺害したターゲットから離れ、ターゲットの首から血が吹き出して周りの人間がそれに気が付く頃には悠々とタクシーに乗り込むのだ。
ゆえに、『銀狼』を捕らえられる者はいない。
さらに、『銀狼』が捕まらない理由がもうひとつある。
「『銀狼』相手じゃ無理っすね~。
またコールドケースっすよ~。
まったく、『銀狼』ってどこの誰なんすかね~」
「……さあな」
それは、『銀狼』が俺だからだ。
警察であるがゆえに捜査の目がどこに向くかは分かりきっている。
なので、証拠は当然のように出ない。
また、俺には生まれた時から完全記憶能力がある。
一度見たものは決して忘れないのだ。
だから現状回復はお手のもの。
他人の家に侵入して家の中をひっくり返しても、全てを元に戻し家主が戻っても違和感を感じさせないことなど朝飯前だ。
防犯カメラの位置もすべて把握しているから逃走時のルートも完璧。
最悪、警察としての顔を使えば捜査の手をかわすことぐらいわけない。
忌むべき能力ではあるが、使えるものは何でも使うべきだろう。
「ほら。
相手が何であろうと捜査は捜査だ。
仕事するぞ」
「は~い」
こうして、自作自演のイタチごっこを続ける。
それが警部である所の俺の日常だ。
「おかえり」
「……ああ」
仕事を終えて、4階建てコンクリート造りのボロアパートに戻る。
警部である俺の住処だ。
『銀狼』であるところの俺には当然、いろいろな場所にさまざまな種類の隠れ家が存在する。
各場所に数ヶ月はこもれるだけの飲食物があるし、武器も備えてある。
ここは他と比べたら比較的常識的な部屋だ。
ロケットランチャーや地雷の類いは置いていない。
せいぜいマシンガンやC4といったところだ。
爆発物は専門というわけではないから、最低限しか置いていない。
それに、爆発物は意外と足がつきやすい。
どんな爆弾をどう作ったかが判別しやすいのだ。
ゆえに、必要なら専門家を頼った方が良い。
「……なぜこんなに散らかっている」
「……掃除、してた」
「……前より汚すことを掃除とは言わない」
そして、こいつは……えーと、
「そういえば、おまえって名前はあるのか?」
「微妙」
なんだ微妙って。
「あの家ではキャシーって呼ばれてた、けど、べつに何でもいい」
「……そうか」
こいつは俺のターゲットになっていた一家の唯一の生き残り。
まあ、実際は多重依頼で何者かに先を越され、一家はこいつを残して惨殺されていた。
その血溜まりの中に1人でクマのぬいぐるみを持って立ち尽くしていたのがこいつなわけで。
警部である所の俺が証人保護を名目に預かることになったのだ。
「……まあいい。
おまえの名前は考えておこう」
「カッコいいのがいい」
「……俺にセンスを求めるな」
「『銀狼』はカッコいい」
「……それは俺が名付けたわけじゃない」
「こりゃ失敬」
……コイツ。
「それと、あまり安易にその名を語るな。
これは命令だ」
「御意」
命令と聞けば、こいつは大人しく頷く。
命令は仕事モードの時に、こいつに強制承諾させる手段だ。
殺しの仕事を教える代わりに、『銀狼』の時の俺には逆らわない。
特に命令時は絶対。
それが、俺がこの少女と交わした契約だ。
こいつに関してさらに追記しておくとすれば、こいつは俺の命を狙っているということだろう。
先ほど何者かに先を越されたと言ったが、おそらくあの一家を殺したのはこいつだ。
そして、今回のターゲットが俺、ということのようだ。
ちなみに、俺がそれに気付いていることをこいつは知らない。
だが、おとなしく殺されてやる俺ではない。
こいつもそれは承知のようで、俺の隙を窺いながら俺の技を盗むという大胆な手段を取ることにしたようだ。
俺としても、俺を狙うような馬鹿なヤツを知る必要があったから、こいつの策にのってやることにした。
つまり、俺たちの利害は一致したのだ。
俺を殺したいこいつと、こいつに依頼したやつを知りたい俺。
こうして、どちらが相手の喉元にナイフを突き付けられるか、俺とこの少女との殺り合いが始まったわけだ。
これが、俺の新しく始まった日常だ。
そんな俺に、もうひとつ新たな日常が始まった。
そして、こいつが俺にとっては一番の難敵となる日常だった。
それは……。
「……おい!
なぜコンロに野菜をぶちこむ!」
「……シチューを作る」
「……野菜は皮を剥く。
食べやすい大きさに切る。
コンロの火に直接食材をくべるのではなく、フライパンや鍋を使う。
その先も説明しようと思ったが、まずここまでは理解したか?」
「理解したからといってそれを実践できるかは別だ」
「……もっともだが、それを今おまえが言うな。
……あと、そのウサギはどっから持ってきた」
「お隣の……」
「返してきなさい!」
生活力皆無の、この少女の面倒を見ることだ。
今は経過観察中ということで家に置いておけるが、そのうち学校にも行かせないといけないだろうし、こいつのための生活用品も必要だろう。
それに、早いとここいつに一般教養を教えないと、俺の家が燃やされそうだ。
「ん?
そういや、おまえその服しか持ってないのか?」
こいつを保護した時に着ていた白いワンピースは血が飛んでいたために廃棄された。
いま着ている薄紅色のワンピースは婦警の娘が着られなくなったものをもらったものだ。
「うん。
これだけ」
「そうか」
それは悪いことをしたな。
清潔に保たれているから、俺が仕事で出ている時に脱いで手洗いでもしていたのだろうか。
「ん?
というか、下着はどうしている?
俺はそれはもらってないぞ?」
「ん?
はいてない」
「見せなくていい!」
ワンピースを捲るな!
俺にそんな趣味はない!
「……よし。分かった。
今日はどっちの仕事も休みだ。
こうなったら」
「……こうなったら?」
「デパートに行くぞ!」
「……おおー」
……もっと嬉しそうにしろよ。
「これと、これと……これも買っとくか」
俺は少女を連れて街で一番大きなデパートまで車を走らせた。
屋上にある駐車場に車を止めて1階から買い物を始める。
さまざまな日用品からまともな食糧も買っておく。
俺一人なら食えれば何でもいいのだが、育ち盛りのガキはそうもいくまい。
俺はなるたけ栄養とバランスの取れたメニューになるように食材を買い込むことにした。
「……ん」
「ん?
なんだ?」
野菜売場で体に良さそうなものを買い物かごに放り込んでいると、少女が俺の袖をくいくいと引っ張った。
「……ピーマン、嫌い」
それだけ呟くと、こいつはかごの中のピーマンを棚に戻そうとした。
「……好き嫌いすると大きくなれません」
「……むう」
俺がその手を止めて再びピーマンをかごに入れると、こいつはむくれてどこかに消えていった。
まあ、気配は覚えたし、このフロアにいる分にはいいだろう。
俺はそう思ってまた売場を回り始めた。
「ん?
おわっ!」
しばらくして、かごにいっぱいになった商品をレジに持っていくと、いつの間にか少女は俺の後ろに立っていた。
べつに油断していたわけではないが、いま後ろから刺されていたら俺は殺られていたな。
ただのガキだと思ってナメていたら痛い目を見そうだ。
改めて気を付けなければ。
「……合計で、3万ですね」
「……ん?
そんな高いのか?
まあいいか」
たしかに大量に購入したが、思っていたより高額になってしまった。
「……ふふ」
「あとは、やはりここか」
大量の食料品やら日用品を車に押し込み、俺たちはまた別のフロアにやって来た。
そして、そこで俺に最大の難関が訪れる。
それは下着売場だ。
「……入らないの?」
「……入る。
いくぞ」
「御意」
俺が神妙な顔をしていたからか、こいつも眉間にシワを寄せて、キョロキョロしながら入店していた。
周りの視線が痛い。
べつにそんなに俺のことを気にしていないのかもしれないが、それでも女しかいないこの店において俺が完全に異物なのは言うまでもない。
「……なに?
歩きにくい」
「いいから、そのままいくぞ」
俺はこいつの付き添いだということを最大限にアピールするために、この小さな少女に寄り添うように歩いた。
逆にそれを白い目で見られていた気もするが気のせいだろう。
「……はあ。
寿命が縮んだ」
俺は何とか人の良さそうな店員を捕まえ、こいつに合う下着をいくつか選んでもらった。
上はまだ必要ないだろうというので、下に履く下着だけを数着購入した。
ここで履かせるわけにもいかないので、トイレに連れていって履いてもらった。
「……パンツ装着完了」
「だから見せなくていい!」
近くにいたおばちゃんがほほほと笑っていた。
もう帰りたい。
「あら可愛らしいお嬢ちゃん!
食べちゃいたい!」
「……あー、この子に合う服をいくつか見繕ってほしいんだが」
最後に服屋に寄って洋服もいくつか買うことにした。
子供用の服が売っている店に入ったのだが、店員が女の格好をした男だった。
まあ、きちんと仕事をしてくれるのならスタンスは問わない。
「ふんふん。
さらさらで綺麗な金髪の2つ結び。
空みたいに澄んだ青の瞳。
いいわね~。
これは腕が鳴るわ~」
「い、言っておくが、普段着だからな。
日常生活で使える服で頼むぞ」
「だいじょーぶよ~。
あたしに任せなさい♪」
「……」
不安だ。
「……」
おい。
あんまりガン見するな。
そういう人もいるんだ。
やめろ。
スネ毛を引っ張るな。
こういう人は怒ると怖いんだぞ。
「まった来ってね~ん」
意外にも、彼女? が選んでくれた洋服はセンスが良かった。
実用的でありながら可愛らしさのあるものが多い。
ワンピースを中心にスカートやズボン。襟つきシャツなど、一般的な女児の洋服をいくつも買うことが出来た。
「よし。
こんなもんか。
そろそろ帰るか」
俺が両手に袋を提げて少女にそう言うと、少女はある店の商品をガン見していた。
「ソフトクリーム?」
どうやらソフトクリームのメニューに釘付けのようだ。
「……おい。
帰るぞ」
「……」
「おーい」
「……」
「……食うか?」
「食う!」
都合の良い耳だな。
少女は目をキラキラさせてこちらを振り向いていた。
こんなに輝いた目を見るのは初めてだな。
……今までずっと、死んだような目をしていたからな。
「……よし!
食うとなったら全力を尽くすぞ!
おい!
巻けるだけ巻いてくれ!」
「合点承知の助!」
……店員さん、時代設定に合わない発言は慎んでくれ。
「へい、おまち!」
「おおー」
「す、すごいな」
店員のおっちゃんの本気は思ったよりスゴかった。
これ、こいつの身長ぐらいあるんじゃないか。
「持つ。持つ」
「あー、わかったわかった。
わかったからちょっと待て!」
『銀狼』の力をフル活用してようやく持てるソフトクリーム。
こいつに渡したら絶対に落とす。
百パー落とす。
「持つ。
よこせ」
「……おまえ」
結局は俺が根負けして慎重に渡すことにした。
「いいか。
そ~っとだぞ。
そ~っと持つんだぞ」
「わかっとる」
俺はなるべく静かに、ゆっくりとタワーソフトクリームを渡した。
「……あ」
「あ~!」
そして、こいつは秒で落としやがった。
「……ぐす」
え?
泣いてんのか?
「……おっちゃん。
普通の大きさのソフトクリームをくれ」
「……合点承知の助」
その後、俺たちは車の中で2人でソフトクリームを舐めた。
屋上にある駐車場では傾いた太陽が夕陽と呼ばれる姿に変わろうとしていた。
「……うまいか?」
「……うまい」
俺がまだ半分も食べていないというのに、こいつはもうコーンをほとんど攻略していた。
最後のコーンを口に放り込むと、こいつは俺のソフトクリームをじ~っと見つめてきやがった。
「……食うか?」
「食う!」
……今までで一番元気だな。
「……ほらよ」
「でかした」
……おまえ、殺すぞ。
「……はあ。
うまいか?」
「うまい」
「……ふっ。
そうか」
俺は懸命にソフトクリームを舐める少女に少しだけ口角を上げ、車のエンジンをかけた。
「……そうだ。
おまえの名前、決めたぞ」
「なんだ?」
「……イブ」
「イブ。
おっけー。
アイムイブ」
軽いな。
「……うまいか?」
「うまい」
「……そうか」
道中、俺が車を走らせながらタバコに火をつけると、イブが顔をしかめた。
「……児童の健全な成育のために副流煙はやめていただきたい」
「……うっせえ」
なんでそこだけ流暢なんだよ。
俺は気分じゃなくなって、ひと吸いだけしたタバコを片付けた。
「……うまいか?」
「うまい」
「……そうか」
そうして、俺たちは2人の家に帰っていった。
やれやれ。
とんだ日常が増えちまったもんだ。
おまけ
「おい!
なんでこんな高級肉が入ってんだ!
いつの間に入れやがった」
「ふふふ、油断大敵なのだよ、『銀狼』君?」
「……よし、わかった。
今すぐ殺してやる」
「きゃー、おまわりさーん。
たすけてー。
殺されるー」
「おまわりさんは俺だ」
「……やれやれ、世も末だ」
「……まったくだな」