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19.狼を誘き出す狼煙を上げた蛇は少女の名を口にする

「え!? 警部、イブちゃんがどうしたんすか!?」


「……」


 思わず口に出ていたのか。

 まあいい。説明ぐらいしておくか。


「……さっきまでイブと朝食をとっていたんだが、そのあとあいつはそのショッピングセンターに行くと言っていた」


「え!? ヤバいじゃないっすか!」


「……」


 そう。そうだな。

 普通だ。

 こうして心配するのが普通なんだ。

 俺の反応は間違っていない。

 警察官として、イブの保護者として、その無事を案じるのは当然のことだ……。

 俺はイブのことを心配する姿をケビンに見せる。そういうことだ。それでいい。


「は、早く現場に行きましょう!」


「……」


 ケビンが部屋を出ていく素振りを見せる。


 だが、


「いや、俺たちは担当じゃない。

 部外者が行っても捜査の邪魔になるだけだ。

 俺たちには俺たちの仕事がある」


 それとこれとは話が別だ。

 一人のプロとして、警察官として。

 個が多を乱してはならない。


「え!? なに言ってんすか! イブちゃんが巻き込まれたかもしれないんすよ!」


「……それでも、俺は警官だ。

 担当でもない奴がでしゃばるわけにはいかないだろう」


 そうだ。

 それでいい。

 余計な行動はするな。

 俺が行ったところで何も変わらない。

 まずは消防と救急の仕事。

 捜査はさらにそのあと。

 そのどれもに、俺は必要ない。


 ……そう言って、今にも走り出そうとする自分の足に釘をさすんだ。


「い、いやいや、警部は……その……被害者の関係者かも、しれないんですよ?

 ……万が一の時は、その、身元の確認も、必要でしょうし……」


「……」


 イブがショッピングセンターの爆破テロに巻き込まれて犠牲になっているかもしれないということだろう。

 ケビンはケビンなりに気を使っているようで、言いにくそうにしていた。まさかこいつに気を使われる日が来るとはな。


「……いや、だがそれは今すぐでなくてもいい。やはり捜査の邪魔には……」


 だんだん俺も、なぜこんなにも(かたく)なになっているのか分からなくなってくる。


「あー! もう!」


「うおっ!」


 突然、ケビンがイライラした様子で地団駄を踏みだした。そして、ピタリと止まるとこちらをジロリと睨むように見つめてきた。


「……分かりました。じゃあ、俺のあっちの同期がたぶん調査担当になると思うんで、死傷者が発見され次第こっちに情報を流してもらいます。

 それでいいっすね?」


「……あ、ああ。それは、助かる」


 ケビンの有無を言わせぬ剣幕に思わず頷く。

 あっちの同期とは、特安のことだろう。


 俺が肯定したのを確認すると、ケビンはそのままくるりと俺に背を向けた。


「……俺、家族が何より大事なんすよ。

 だから家族を何より大事にしないのって、けっこう許せないんです。

 俺は、警部とイブちゃんはとっくにそんな関係なんだと思ってたんすけどね」


「……」


 ケビンはそのまま扉に向かった。特安の同期とやらにさっそく連絡してくれるのだろう。


 ケビンは病床に伏せている母親の代わりに、稼ぎ頭として幼い弟妹の面倒を見ている。

 だからこその発言なのだろう。


「……」


 それに対して俺は何も言うことができない。

 言うべきことが何も浮かばない。

 何かを言った方がいいのかすら分からない。


 俺が?

 警察としての自分というキャラクターを完璧に確立させているはずの俺が、言うべき言葉が分からない?

 まさか、ケビンの言葉に動揺しているとでも言うのか?


 マズいか? このままでは、ケビンに疑われてしまうのか? こういうとき普通の家族ならば、どんな対応が正解なのか……。


 俺は、いったいどうするべきなのか……。


「失礼します!!」


「ぶべっ!?」


「!」


 その時、部屋のドアがすごい勢いで開けられた。

 まさに部屋から出ようとしていたケビンはそのドアに思いきり激突してしまった。


「おや? これは失礼を」


「いててててて」


「……おまえは」


 入ってきたのはエルサの直属の部下の男だった。たしか階級は警部補。

 こいつが、なぜ今ここに?


「お二人にリグレット警視から協力要請です!」


「……協力要請だと?」


 まさかあいつ……。


「はい! 先刻発生したショッピングセンター爆破テロ事件に関して、お二人に捜査協力を命じる、ただちに捜査本部に合流せよ、とのことです!!」


「……」


「え? あ、マジっすか!」


 ケビンは報せに、渡りに船といった表情でこちらを振り返った。


 ……そうか。

 そういえば、エルサは知っているんだったな。

 イブがショッピングセンターにいるかもしれないということは知らないはずだが、それとは別に俺に気を利かせて手配してくれたわけだ。


「……それは命令ということだよな?」


「はい!」


 ならば、従わないわけにはいかないな。

 直属の上司ではないが、警察の中枢組織に座するエルサからの命令を無下にはできない。

 何よりあいつは良かれと思ってやってくれたのだ。


「……ケビン。行くぞ」


「え? あ、はいっす!」


「では! 私は別件があるのでこれで!」


「ああ。伝令ご苦労」


 男はビシッ! と敬礼をすると、カツカツと部屋から去っていった。

 エルサの側近なだけあってよく教育されている。


 上着を手に取る。

 一通り身支度を整えたら、すぐに出発しなければ。


「……あの、警部……」


「なんだ? 歩きながらじゃ駄目なのか?」


 警察官用の銃を懐に入れ、部屋を出ようとした所でケビンが控えめに話し掛けてきた。

 こいつはこういう時は気が利く奴だ。

 今ここで足を止めたということは、ここでなければ駄目な話なのだろう。

 もしかしたらこいつは、俺がこの部屋に盗聴防止措置を講じていることに気付いているのかもしれない。


「……さっきは、余計なことを言いました」


 ケビンはペコリと頭を下げた。

 家族云々の話だろうか。


「……いや、俺の方こそ……」


「……リグレット警視は、知ってるんすね」


「ん?」


 俺も謝ろうと思ったら、ケビンがさらに話を続けた。


「……警部にとって、ショッピングセンター爆破テロ事件は忌まわしき事件、なんすよね」


「……」


 そうか。

 こいつは特安として、俺の部下になる時に俺のことも当然調べているわけか。


 ならば、そこは今さら隠し立てしても意味はないな。いっそ、それを目隠しにさせてもらうとするか。

 演技としては、少し感傷に浸っている感じで、と。


「……そう、だな。

 かつて起きたショッピングセンター爆破テロ。俺はそこで、妻と娘を亡くしたからな」


 エルサは俺がその事件を独自に追っていることを知っているからこそ、今回こうして俺たちにも捜査権を与えたのだ。


「……それなら、イブちゃんがそこにいるだなんて、考えられないですよね。信じたくないですよね。

 俺だったら、そうですもん。

 リグレット警視はそれを知らないから警部に事件を調べるように手配した、と。あの事件の首謀者、まだ捕まってないっすもんね。警視は警部のそのことを知ってるから便宜を図ってくれたわけか。

 すいません。配慮が足りませんでした」


「……いや、気にしないでいい」


 どうやら、イブが妻子同様に事件に巻き込まれただなんて信じられない、認めないと俺が頑なになっていると思ってくれたようだ。

 それならそれで都合がいい。


 ……俺も、俺の中に募っていく焦りが何なのか、よく分かっていないからな。

 そして、現場に行けることでそのざわめきが少しは落ち着いた理由も。


「……いくぞ」


「はいっす!!」


 もやもやするものをいつまでも抱えていても仕方ない。

 まずは動け。

 俺たちは命令を受けたんだ。

 現場に行かなければならないんだ。

 だから行く。

 それでいい。



 そうして俺たちは現場へと急いだのだった。
















「はっはっはっはっはっ!!

 見ろ! 見事にぶっ倒れたぞ!

 数百人は死んだな!」


「ふひっ! ふひひひひひ!

 やっぱり俺の作品は最高だぁー!

 バラバラ! バラバラだぁーー!!」


 高台にある公園。

 そこからショッピングセンターが爆発によって倒壊していく様子を、ボスと解体(バラシ)屋は実に楽しそうに眺めていた。


「よくやった解体(バラシ)屋。今回の報酬は弾むぞ」


「ひゃはっ! やった! ありがとうございます!」


「……よし。じゃあ、あそこに戻るぞ」


「……ひゃ?」


 報酬が増えると聞いて喜んでいた解体(バラシ)屋だが、ボスが現場に戻ると言い出して首を傾げた。


「……これからが本番だ。

 警察、特安は間違いなく動く。

 どんなメンツがどう動いてくるかを見ておく必要がある。

 そして、もしかしたら銀狼までお出ましになるかもしれない。

 そうなったら最高だ」


 ボスは傷のある方の頬を吊り上げるようにして笑う。


「な、なんで、銀狼まで来るって、思うんですか?」


 ボスは再び懐から取り出したタバコに火をつける。

 それを大きく吸うと、空に長い煙を吐き出した。


「……銀狼が現れ始めたのは、かつて起きたショッピングセンター爆破テロ事件のすぐあとだ。

 俺の予想が正しければ、銀狼はその事件をきっかけに生まれたんだ」


「だ、だから、もう一度同じことをすれば、銀狼が様子を見に来る、と?」


「ああ。まあ、あくまで予想だけどな。

 銀狼の正体が分からない以上、あまり意味はないかもしれないが、炙り出しの手始めにはおあつらえ向きだろうよ

 最低限、銀狼の正体について探っている紳士(ジェントル)の助けぐらいにはなるだろうしな」


「だ、だから、あの時と同じ爆薬を使えって言ってきたんですね」


 解体(バラシ)屋に言われ、ボスはニヤリと笑みを浮かべた。


「そうだ。

 俺たちがかつて起こした爆破テロ。

 それで生まれた銀狼を、俺たちが再び同じことで(おび)き出す。

 なんとも皮肉で、おもしれえじゃねえか」


「ひひ、ひひ。そ、そうです、ね。

 銀狼をバラすのは、女の子と同じぐらい、た、楽しそう、です」


「……」


「ひっ!」


 怪しく笑う解体(バラシ)屋だったが、ボスに恐ろしく冷たい目で射抜かれ、怯えたように縮こまった。


「銀狼は俺のものだ。

 余計なことをすれば殺すぞ」


「す、すいませんでしたぁ~!!」


 ボスの覇気に圧されて解体(バラシ)屋は思わず土下座していた。


「……まあいい。

 とにかく戻るぞ」


「は、はいぃ~!」


 ボスはタバコを投げ捨てると車に戻っていった。解体(バラシ)屋が慌ててそのあとを追う。


「……親父。俺が、必ず仇を取るからな」


 ボスはそれだけ呟くと、猛烈な速度で車を発進させたのだった。
















「うわっ! 酷いっすね」


「……」


 現場はまさに凄惨そのものだった。

 倒壊したビル。いまだ燃え盛る炎。

 けたたましいサイレン。人々の恐怖に染まった喧騒。

 消防が懸命に消火活動に勤しみ、救護隊と警官隊が協力しながら負傷者の救助にあたっている。


「……」


 辺りを見回す。

 どうやらすでに特安の連中は到着済みのようだ。


「……ふむ」


 特安はもう少し紛れることを訓練した方がいいな。観衆に紛れて驚いたり恐怖したりといった表情を見せてはいるが、その目は冷たく、そして明らかに周囲を注意深く観察しているのが分かる。

 一般人や警官程度なら騙せはしても、それなりに『分かる』奴ならば一目瞭然だ。


「……すんません。あいつら、物騒なヤマを担当することが多いから血の気が多いんすよ」


「!」


 ケビンがビルを見上げながら呟く。

 恐怖と興奮が入り交じった、じつに野次馬らしい表情で。


 誰が特安なのか。ケビンは俺がそれに気付いていることに気付いている。

 その上で、どこにも視線を向けないようにしながら俺にそれ以上詮索するなと釘をさしてきたわけだ。


「……ま、そういう連中相手ならむしろ必要な血の気なんだろうな」


「そうっすねー」


 俺はそれを了承したことを示すようにビルに視線を戻した。

 やはりこいつは特安の中でもかなり優秀だ。

 油断ならない。


「……」


 ビルは見事に崩れていた。

 根元から折れたわけでも、上階が散らばるように崩落して潰れていったわけでもなく、見事に均等に爆破され、ほぼ垂直方向に崩れたようだ。

 ショッピングセンターであったビルの周りには駐車場がある。

 倒壊したビルはその駐車場の範囲内にすべて収まっているようだ。


「……壊し慣れてるな」


 どこをどう壊せばいいか。それを完璧に理解していないと出来ない爆弾の設置方法だろう。

 ビルの設計図も手に入れているな。

 間違いなく専門の知識を持ったプロの仕業。


「……似てますね」


「……ああ」


 かつて起きたショッピングセンター爆破テロ事件。

 それと、まったくと言っていいほど同じ倒壊の仕方。爆破のさせ方だ。


「……」


 この凄惨な光景を眺めていると、あの日のことが頭に甦ってくる。

 なぜ、こんなことを忘れてしまっていたのか。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 粉塵と炎の匂い。

 サイレン。

 悲鳴。

 ざわめき。

 軋むコンクリートの音。

 上も下も崩れて失くなっていく。


 汗で徐々に滑っていく、離れていく繋がれた手……。



『あなた……』


『マリア! イブ!』



 なぜ俺はその手を離してしまったのか。

 どうして、二人を守ってやることが出来なかったのか……。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




「……警部。大丈夫っすか?」


「……ん? あ、ああ……」


「顔色、悪いっすよ……」


「……そうか」


「やっぱり、戻りましょうか」


「いや、問題ない。行くぞ」


「……はい」


 あのときの光景が少しずつ甦る。

 そうだ。

 俺は、掴んだマリアの手を……いや、マリアは、そうだ。イブのために、自分から……。


「……イブちゃん。いないといいっすね」


「……そうだな」


 イブ……そうだ。イブだ。

 今はこっちのイブの行方を確認しなければ。

 過去に縛り付けられて今を見なくなっては駄目だ。


「……イブ。おまえは、今どこに……」


 願わくば、あんな所にだけは、いないでくれ……。




「んあ? ジョセフ?」


「……え?」


「イマドコって、私はここぜよ?」


「え!? イブちゃんっ!?」


 俺の隣から、聞き慣れたとぼけた声。

 ケビンの驚く声に従うように横に視線を移せば、そこにはこてんと首を傾げるイブがいた。


「良かったー! 無事だったんだねー!」


「……お、まえ、なん、で……?」


 幻でも見ているのかと思ったが、どうやらケビンにも見えているようだ。

 つまり、ここに間違いなくイブはいる。


 ……良かった。


 ……良かっ、た?


 イブが無事で心底ほっとしている自分に驚く。いずれは俺の手で始末しようとしているはずのイブが、生きていたことに。


「……」


 が、今はそうではない。そこではない。


 なぜだ?

 イブはあの倒壊しているショッピングセンターに行くと言っていた。

 時間的にもまだ中にいたはず。

 途中で寄り道でもしない限り、無事なわけが……。


「なんか、猫のお姉さんに言われたにゃー」


「ね、猫のお姉さん?」


「……何をだ?」


「えーと、『あのビルには入らない方がいい。死にたくないなら、にゃー』って」


「!」


「警部!」


「ああ……。

 イブ。その話。詳しく聞かせてくれ」


「にゃー?」








ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



「ふう。意外と道のりは長いのう」


 ジョセフと別れ、イブは一人でショッピングセンターへと向かっていた。


「……喜んでくれると、いいな」


 イブはジョセフからもらった小遣いを大事そうに握りしめた。

 

 迷惑をかけたお詫び。

 いつもお世話してくれているお礼。


 前にテレビで見た。

 日頃の感謝をプレゼントで伝えようと。

 そしてネクタイは、仕事の時に身に付けられて、離れていても存在を感じることが出来るから贈り物に最適だと。

 父親は、娘からのそのプレゼントをとても喜ぶと。


「……ふふふー」


 イブは自然と足が早くなっていた。

 小遣いで買える一番安いもの。警察というお堅い仕事でも使えそうな地味でシンプルなもの。

 それが、あのショッピングセンターにある。


「……いつかは、自分で稼いだお金でお高いのを買ったるで」


 イブはジョセフからもらった小遣いを大事そうにポケットに入れると、ショッピングセンターへの道のりを急いだのだった。

 かつての父にはしてあげることの出来なかった、ありがとうの印を渡すために。





「……にゃー」


「あん?」


 その道中、猫の鳴き声……のような人の声が聞こえて、イブは足を止めた。


「にゃー?」


「……あれか」


 そして、その声を発している人物はすぐに見つかった。

 それはイブよりも年上の、でも大人というほどではない女性だった。

 学校の制服、セーラー服に身を包んだ長い綺麗な黒髪の少女。肌が白く、透き通っているようにさえ見える。

 そんな人物が薄暗い路地の隙間で四つん這いになって、暗がりに向かって頭を突っ込みながら猫の鳴き声を真似していたのだ。


「……なーしとん」


「!」


 イブに声をかけられると、少女はびくりと体を揺らして頭を壁にぶつけた。


「……痛い」


「大丈夫?」


 頭を抑えながら出てきたのは黒い大きな猫目が印象的な美しい少女。

 無表情で頭をさする少女にイブは首をかしげながら尋ねる。


「問題ない。

 猫がこの奥にいたの。足をケガしてた。

 手当てしようとしたけど逃げちゃった」


「なーる」


 端的に状況を伝えた少女にイブはこくりと頷いて、少女の代わりに暗がりの隙間を覗き込んだ。



 にゃー。



 そこには確かに小さな子猫が目を光らせていた。警戒しているようだった。


「……」


 ……。


 イブと子猫はしばらく無言で見つめあった。

 そしてしばらくすると、イブはゆっくりと手を差し伸べた。


「……おいで」


 にゃー。


「!」


 イブがそう言うと、子猫はゆっくりとイブに近付き、その手に抱かれた。


「ほい」


「……すごい」


 イブが抱いた子猫を驚いている少女に渡す。

 少女は子猫を受け取ると、手早く足のケガを手当てした。


「はい。これでもう大丈夫」


 にゃー。


「よしよし」


「……」


 無表情、というより仏頂面に近かった少女は子猫に対して優しく微笑んでいた。

 イブはその姿を心なしか穏やかに見ているようだった。





「ありがと」


無問題(もうまんたい)ぜよ」


 少女が子猫を抱えたまま立ち上がる。

 どうやら懐いてしまったようなので、そのまま少女が連れていくようだ。


「この子はいつもここに一人でいた。たびたびエサはあげてたけど、たぶん親はいない。

 だから私が連れてくわ」


「ん。それなら安心」


 子猫は安心しきった様子で、少女の腕の中で眠っていた。


「……貴女、名前は?」


「イブさん」


「イブ、ちゃん」


「そっちは?」


「マドカ」


「マドカたん」


「たんはいらない」


「マドカたん」


「……まあいいけど」


 引こうとしないイブに、マドカは話題を変えることにした。


「……イブちゃんは、これからどこ行くの?」


「あのショッピングセンターなり!」


「!」


 イブは元気よく、もうすぐ着くであろう大きなショッピングセンターを指差した。


「……そう」


「どったの?」


 それを聞いたマドカは途端に表情を暗くした。その様子にイブが首をかしげる。


「……イブちゃん」


「あん?」


「……猫のお礼。

 あのビルには入らない方がいい。死にたくないならにゃー」


「……にゃー?」


「……じゃ。学校の登校時間に遅れるからもう行く。一回家に帰ってこの子を置いてこないとだし」


 マドカはそれだけ言うと、子猫を優しく撫でながらイブに背を向けて去っていった。


「にゃー?」


 イブはその背中を首をかしげながら見送ったのだった。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー






「と、まあそんな感じで時間をくわれて、マドカたんにショッピングセンター行くでないと言われたのもあって、どうしようかなってウロウロしてたらドッカーン! ガラガラー! ワーキャー! ピーポーピーポーウーウー!

 で、今に至るなう」


「……」


 イブは身振り手振りを盛大に加えながら一部始終をしっかり説明してくれた。


「……ケビン」


「マドカという黒髪黒目の学生っすね。了解っす」


 ケビンは手早く少女の特徴を懐から取り出したメモに書き記す。


「俺はちょっと離れるっす。すぐ戻るんで、警部は先に捜査本部に合流……いや、俺が事情を話しとくんで、今日は先に上がってイブちゃんを家に送ってください」


 ケビンはメモをしまうと、少し離れるという。おそらく特安に情報を伝えるためだろう。

 ここが倒壊することを事前に知っていた少女。

 間違いなく何か情報を持っている。

 何の気まぐれか知らんが、それのおかげでイブは助かったわけだ。

 それを利用するのは忍びないが、何か知っているのなら聞き出さないわけにはいかない。


「……いや、イブは重要参考人だ。ビル倒壊の現場を見ていただけでなく、その犯人の一味と接触した可能性がある。このまま連れていく」


 ケビンは気を利かせて俺たちを帰らせようとしたが、警官としてそうはいかないだろう。

 おそらく、俺たちは針のむしろであろうとしても。


「……出来れば、マドカなる少女のことは捜査本部には言わないで欲しいっす」


「!」


 が、ケビンはマドカなる少女の存在を警察に漏らすことを渋った。


「……特安案件ってことか?」


「……俺たちが調べるべき情報な気がします」


「……」


 俺たちに気を使ったというのもあるが、マドカのことを警察に言わせない目的もあって俺たちを帰らせようとしたのか。


「……分かった。イブはショッピングセンターが倒壊するところを見ていた、とだけ説明する」


「……ありがとうございます」


 ケビンはお礼だけ言うと、ふっと人混みに紛れて姿を消した。もうその気配を追うことも出来ない。


 ケビンにはいろいろ借りもあるし、これからも悪くない関係性でいたい。それは向こうもそうだろう。

 お互いに敵に回すと面倒だから。


 ならば、今回はこちらが譲ろう。

 爆破テロ事件について知る学生の少女。

 それは確かに普通の警察の出る幕ではなさそうだしな。


「ジョセフ」


「あん?」


 イブがケビンが消えた方を見ながら、俺の袖を引いた。


「……マドカたんは、悪い感じ?」


「……」


 イブなら、今の会話でだいたい察しただろう。

 事前にショッピングセンターが爆破されることを知っている人物がただ者ではないことぐらい。


「……まだ分からない。それを、あいつらが調べるんだ」


「……そう」


 イブに気休めなど無用だろう。

 無表情だから何を考えているか分からないが、変に偽るよりも分からないものは分からないと答えた方がいいような気がする。

 間違いなく事件の関係者だが、それに加担している人間なのかどうかは分からないからな。


「……あ、これ、はい」


「ん?」


 イブはそこで、思い出したようにどこかから取り出した箱を渡してきた。

 黒い、長方形の箱。何かのケースのようだ。


 いや、本当にどこから出したんだ?


「……これは?」


「さっき話したやん」


 イブは少し不機嫌そうな、いや、少し照れくさそうな顔をしているように見えた。


「……あ」


 ケースを開けると、中には濃紺のネクタイが入っていた。


「ショッピングセンターには行かなかったんじゃないのか?」


「近くの商店街に安いのがあった。

 あそこがドッカーンなっちゃったから、様子を見に来る前にそれを買っといた」


「……なるほど」


 そのネクタイは確かに色合いも地味で、仕事の時にも着けることが出来そうだった。


「……いつかは自分で稼いだお金で、もっとお高いのを買っちゃる。

 だから、今日はそれを。

 えと……」


「ん?」


「今日はごめんなさい。あーんど、いつも……ありがと……」


「……」


 ちょこんと頭を下げるイブ。

 小さな背中。ぎゅっと握られた両手。

 流れる髪で、耳が赤くなっているのが分かる。


「……わぷっ」


 下げられたイブの頭を撫でる。


「ありがとな」


「ん!」


 礼を言うと、イブは嬉しそうに顔をあげて頷いた。


「……ん?」


「どしたん?」


「……いや、なんでもない。

 そろそろ捜査本部に行こう」


「うぃ」


 もらったネクタイを箱に戻し、胸の内ポケットにしまう。

 正直、つけずに家に置いておきたいが、つけないとイブが拗ねるのだろう。


「……ま、事務仕事だけの時に使うか」


「あん?」


「いや、なんでもない。早く行くぞ」


「にゃー」















「ど、ど、ど、どうですか? 奴はいますか?」


「……」


 現場に再び戻ってきたボスと解体(バラシ)屋。

 二人は観衆に紛れようともせず、ボスはその鋭い目付きで周囲を観察していた。


「……さすがに特安は賢いな。俺たちの存在に気付いた瞬間に姿を消した」


「え!? バ、バレたんですか!

 じゃ、じゃあ、早く逃げないとっ!!」


 解体(バラシ)屋は不自然な程に周囲を見回し、落ち着かない様子だった。

 それこそが自分を目立たせるのだということにも気付かずに。


「別に俺たちを捕まえになんて来ねーよ。

 特安にとって俺たちは逮捕対象じゃなくて始末対象だろうからな。こんな何の準備もしていない上に一般市民が多すぎる所で、奴らは大胆に動くことなんて出来やしない。

 それに今回の件に俺たちが関わっていることも確定できない。手は打ってある。

 おまえも、バレないように作ったんだろ?」


「そ、そ、それは、もちろん。爆弾の破片どころか、火薬や信管の一部からでさえ、も、元を辿れないように、し、してあり、ます」


「じゃー、何も心配いらねえよ。

 あいつらにとって俺たちは怪しすぎるけど疑いの域を出ない輩。最終的には、自分たちの縄張りで起きた事件の様子を見に来ただけと判断せざるを得ないさ。

 尾行ぐらいはつくかもしれないが、そんなもんは簡単に撒けるからな」


 ボスは悠然とタバコを吹かせる。

 揺蕩う煙は捜査員を嘲笑っているようだった。


「……さて」


 ボスは口にタバコをくわえたまま、改めて周囲に目を走らせた。


「警察は、まあ予想通りだな。まだ捜査どころの騒ぎじゃない。

 んで、肝心の銀狼だが……さっぱり分からんな」


「そ、それはそうですよ」


 燃え盛るビルを取り囲む野次馬たち。

 その大観衆の中から顔も知らない一人を見つけるなど、砂漠で針を探すようなもの。

 ボス自身もそれには始めから期待していなかった。これは銀狼への狼煙に過ぎないのだから。


「……あ」


「ん?」


 ボスがある程度の状況を確認して帰ろうと考えていると、解体(バラシ)屋が何かを見つけたようだった。


「あ、あ、あの女の子。

 前に、お、お、俺のことを、じっと、見つめてきた、お、女の子、だ」


「あ? まあ、この辺の奴ならいてもおかしくは……」


 ボスは解体(バラシ)屋の視線の先にいる金色の髪の少女を見て、その動きを止めた。


「ボ、ボス?」


 タバコを口元につけたまま、ピタリと動きを止めたボスに解体(バラシ)屋は不思議そうに首をかしげる。


「……ああ、なるほどな。そういうことか」


 ボスは指で挟んでいたタバコをそのまま手で握り潰した。


「逃げたのはおまえだったのか。キャシー!」


 そうして、ボスは頬の傷が歪むほどに笑ったのだった。




おまけ



「むう」


「なんだ? 最近むくれていることが多いぞ」


 そんなに頬をパンパンにしていたらそのうち破裂するぞ。


「あげたネクタイ、今日もつけない」


「ん? ああ」


 イブの視線の先は俺の首もと。

 前にイブがくれた濃紺のネクタイではなく、自分が買った地味な安物をつけている。


「……やっぱり、気に入らなかった?」


 不安そうな顔。

 別にだからどうだと言う訳ではない。

 放っておけばいい。

 こいつの機嫌がどうなろうが、俺には……、


「……今日は、犯人の確保がある」


「んあ?」


「……汚れるかもしれない時には、つけないようにしている……」


「……そか」


「……いってくる」


「いてら」


 俯きながらも、微かに上がった口角。

 小さく振られる手。


 言うつもりはなかったが、別に言っても差し支えはない。

 あいつに変に拗ねられても面倒だからな。


「……よし。今日も警官をやってくるか」



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― 新着の感想 ―
[良い点] わー!イブちゃん無事で良かったです…! やっぱり面白い&ハラハラドキドキがたまらない(๑>◡<๑) 早く最新話まで追いつくぞ!今年もよろしくお願いいたします(✿ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾
2024/01/08 16:54 退会済み
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[一言] キャシー!?!?
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