17.殺し屋にもいろいろなスタイルがあるわけで。そして、歯車は回り出す。
いいかい、キャシー。銀狼はお前の……だ。
だから絶対に……だ。
もうすぐここに銀狼が来る。いいか、絶対に戦っては駄目だ。
今のお前では彼には勝てない。
彼の興味を引くんだ。
彼とともに過ごせ。
そうすればいつか必ず……。
分かったね。絶対に銀狼を……殺すんだ。
銀狼の技術を盗め。
強くなるんだ。
お前は生き残れ。
だからそのために、私たちを殺すんだ……。
「……っ!」
イブが目を覚ます。
「……嫌な夢」
それはいつかの記憶。
忘れたいと願う記憶。
それでもそれにすがってここまで来た記憶。
「……なんて言ってたんだっけ」
イブはかつての父が死の間際に語っていた言葉の全てを覚えてはいなかった。
所々、歯の抜けたピース。
それでもその言葉を胸に、イブは銀狼と邂逅した。
銀狼の技術を盗み、いつか銀狼を殺すために。
「……私が、ここにいる理由」
そして、それが自分がこの世界にまだいる理由。
イブは自分に何度も何度もそう言い聞かせていた。
心に灯りつつある明かりを無理やり吹き消すように。
かつての家族を手にかけたその感触を忘れないように。
「おい。パンケーキ焼けたぞ」
「でかした!」
「……殺すぞ」
だが、それを消すことを忘れる時もあるもので。
「はよ生クリームを我が牙城へ!」
「へーいへい」
「いただきマクミランCS5!」
「……わりと使える銃だな。というか、他所では言うなよ、それ」
「うまままままっ!」
「話を聞け」
夢のことなどすっかり忘れて、今日もイブの一日は始まるのだった。
「……あの女は?」
「んー、D。身なりはいいけど戦えない。
身なりがいい自分に酔ってて油断してる。たぶん成金」
「ふむ。正解だ。
じゃあ……あれは?」
「んー、B、かな。
細身だけど長身で無駄なく筋肉がついてる。見せる筋肉じゃなくて使う方。
たぶん何かの格闘技をやってる。
正面からの戦闘は望ましくない。不意を突くのがいい、と思う」
「まあ、いいだろう」
今日はイブの新たな訓練のために街に来ていた。
街のど真ん中。
人通りの多い道を見渡せるベンチに二人で並んで座る。
「あの男は?」
「んー」
俺が次に指名した男をイブが注意深く観察する。
今やっているのは人を観る訓練だ。
ターゲットがどんな人間なのか。
戦闘能力。警戒心。精神性。
殺し屋として依頼を遂行する上で、ターゲットがどんな存在なのかを類推することは重要だ。
そして、それは同時に依頼人を見極めることにも通じる。
俺は今では依頼人と直接相対することはほとんどないが、自分に依頼を出してきた人物が依頼を受けるに足る人物かどうかを判断するのは極めて重要だ。
殺し屋を使い捨てとしか思っていないような奴や、ハナから報酬を支払うつもりがない奴なんかも、ままいる。
そんな奴は初めから相手にしないのが一番だ。
そして、そいつがそうであるかどうかを判断出来なければならない。
人を見極める。観察する力というのは殺し屋にとってかなり優先度の高いファクターなのだ。
俺が次に指名した男は痩せ型で猫背の男。
忙しなく辺りをキョロキョロとしていて、いかにも怪しい雰囲気だ。
街にはさまざまな人間がいる。
こうして行き交う人々を眺めるだけでも、人を観察する力というのは磨くことが出来る。
「C、かな。
警戒心は強いけど自身の戦闘能力は著しく低い」
「ふむ。最初の女よりランクが上の理由は?」
イブには俺が指名した人物をランク付けさせている。
Dが最低。最もターゲットとしては殺りやすい。ランクが上がるほど依頼の難易度が高くなることを意味する。
「……何か持ってる。胸ポケット。
たぶん武器。
でもたぶんそれを抜かれる前に始末できる。
だからC」
「……ふむ。正解だ」
「うし」
イブが小さくガッツポーズをする。
実際、あの男は懐におそらくナイフを忍ばせている。
危険思想というよりは、過去のトラウマから身を守るための護身用。御守りのようなものだろう。
過去に何かがあって、常に何かに怯えているのだ。
相手が武器を持っていることを見抜けたのなら合格だろう。
「ふむ。じゃあ、あいつはどうだ?」
次に指名したのは最初の女と同じように身なりのいい女。
装飾品を身に付け、着飾り、恰幅もいい。
「……んー」
イブは彼女をじーっと見つめたあと、少しだけ周りをキョロキョロと見回した。
「B」
「……なぜだ?」
イブは最初の女と似た容姿の人物に、今度はそれとは異なる評価をつけた。
「あの人自身はたぶんそんなに強くない、てか戦えないと思う。
でも、いろんな道の陰からあの人を見てる人が数人いる。あれはたぶんあの人の護衛。あの人が横に護衛がいることを嫌がってる? 陰から気付かれないようにあの人を追いかけてる感じ。
で、護衛のレベルがかなり高い。武器も持ってる。
この人混みなら護衛に気付かれる前にあの人を始末することは難しくない。けど、殺ったのが私だってバレずに始末しきるのは難しい。たふん護衛にバレる。
依頼遂行自体は難しくないけど、その後の撤退まで加味すると総合的にB、かな」
「……ふむ。いいだろう」
なかなか良い眼をしている。
判断の仕方も悪くない。自分の実力をしっかり加味している。
おそらく、今までも本能的に人をそういう眼で見てきたのだろう。
人を推し量ることには慣れているようだ。
「ちなみにあの手のタイプはプライドも高く金払いもいい。依頼をきちんと遂行すれば報酬はしっかり出すだろう。なんならボーナスを弾むこともある。
依頼人としては悪くないタイプだ」
「なるほど」
そのまましばらく訓練を続けていると、
「!」
道の向こうからちょうどいいのがやってきた。
「イブ。あの女はどうだ?」
「んー?」
道の向こうから歩いてくるスタイルのいい女をイブは再びじーっと観察する。
「……んー?」
が、首をひねって珍しく悩んでいるようだった。
「んー……」
ずいぶん悩むな。
そうこうしてる内に女はだいぶ俺たちの近くまで来ている。
「……A、かな」
「なぜだ?」
今までで一番評価は高いが、一番自信がなさそうだ。
「わかんない。
たぶん正面から戦えば始末するのは難しくない、と思うけど、なんか違う気がする。
なんていうか、敵にしたくない? いや、違うかな。たぶん正面から戦わせてもらえない、が一番近い、かな」
「……ふむ。まあ、悪くない見立てだな」
「へ?」
イブがこてんと首を傾げる。
「なんの話をしてるのかしらぁ?」
「え?」
その女が俺たちに話しかけてくる。
イブが驚いたように女の方に振り向く。
「良かったな。お前はAランクだそうだ」
「いや、だからなんの話よ~」
「……ほえ?」
それに俺が応えると、イブはさらに首をひねりながら俺と女を交互に眺めた。
それ、よく首とれないな。
「久しぶりだな、ローズ」
「ええ。そうね、ジョセフ」
「……知り合い?」
俺たちが挨拶を交わすと、イブはようやく事態を理解したようだった。
今日は初めから彼女と会う約束をしていたのだ。
ロイから彼女が俺に会いたがっていると聞いて、すぐにリザ経由で彼女にアポを取ったのだ。
「ロイから、お前が俺に会いたがっていると聞いた。ということは、何か分かったってことか?」
「まあ、そうねー」
俺は彼女に依頼をしていた。
とある調査の依頼だ。
それの成果があったから俺にコンタクトを取ろうとしたのだろう。
「誰?」
「あん?」
イブが俺の袖をちょいちょいと引く。
自分だけ置いてきぼりなのがお気に召さないようだ。
「貴女がイブちゃんね。リザからお話は聞いてるわん」
ボディラインを強調したドレスのような大胆な衣装。
彼女の横を通りすぎる男たちは皆一様に彼女を振り返る。それほどに、ローズは女としての魅力に満ち溢れている。
そんなローズがにこやかに微笑みながらイブの隣に腰をおろす。俺とローズでイブを挟む形だ。
「リザから?」
「そー。私もあの子にはお世話になってるのよん」
リザはローズの依頼も多少管理しているようだ。情報屋として動きながら、俺たちへの依頼も管理しているのだからリザは本当に有能だ。
「……てことは、同業?」
イブはリザの名を聞いて少し警戒を緩めたようだが、すぐにローズも自分たちの同類だと気付いて再び警戒を強めた。
「……そうよん。貴女たちと同じ、こわーいこわーい殺し屋さんなのよん」
ローズが怪しく笑う。
その妖艶な笑みに惑わされる男は枚挙に暇がない。
「……ふーん」
それに対してイブは目を細める。
自分の敵を見据えるように。
俺からしたら胡散臭さしかないが、彼女を知らないイブからしたら警戒を煽ることにしかならないのだろう。
「……」
「……」
二人はしばらくそのまま見つめあっていた。
「おい。もういいだろ。
こんな往来でやりあうな」
「うふふ。ごめーん。イブちゃんがあんまり可愛いものだから、つい、ね」
「!」
俺が呆れながら言うと、ローズはすぐに表情を切り替えておどけるようにウインクしてみせた。
呆気なく消えた殺気にイブも肩透かしをくらったようだ。
「……ねえ。この女、誰?」
「おまえは彼女か」
道で突然、彼氏に気安く話しかけてきた女を警戒して彼氏に詰め寄る彼女みたいな聞き方すんな。
「ふふふ。私はローズ。
見ての通りジョセフに依頼されるぐらいには優秀で有能で、綺麗で可愛い素敵な殺し屋さんよ」
「……自分で言うな」
「事実なんだからいいじゃない」
「ったく」
たしかに否定はできないから余計始末に負えない。
こいつの仕事の仕方は俺にはできないからな。
「……むー」
「ほら見ろ。イブさんが不服だぞ」
ほっぺたを膨らませて唇をとんがらせるイブ。その姿は年相応の幼さを感じさせる。
ローズにまともに相手にされていないようにでも感じているのだろう。
「ふふふ。かーわいい!
ほっぺつんつんしちゃおー! つんつーん!」
「やめれ!」
ローズが面白がってイブの膨らんだ頬を指でつつく。イブは頬を膨らませたままでローズの腕を払って抵抗している。
「嫌がってるー! かわいいー!」
が、そんなのはローズのイタズラ心を煽るだけだということをイブは分かっていない。
「やめろ! 殺すぞー! 殺……ヘ、ヘルプミー!」
「やれやれ……」
ローズに頬を両手で挟まれてぶにぶにされたイブが助けを求めてきたので、イブをひょいと持ち上げて俺の反対側に座らせて避難させた。
「あらん。ざーんねん」
「フシャー!」
「猫か」
ローズが俺の背中に隠れるイブを覗き込もうとすると、イブは全身の毛を逆立てるように威嚇してみせた。
どうやらローズは、エルサとは違う意味でイブの天敵のようだ。
「おふざけはその辺にしとけ。
それよりさっさと情報を寄越せ」
「はいはい。貴方はホントにつれないわね~」
俺が手を出すとローズはやれやれと息を吐きながら、懐から情報をまとめた書類を取り出して渡してきた。書類がどこから出てきたかは言わないでおこう。
「……ふむ」
渡された書類に一通り目を通す。
やはり、というべきか。大方予想していた通りの結果だったな。
「ずいぶん詳しく調べたな。リザでさえここまでの情報は掘り出せないぞ」
書かれていた情報はかなり詳細だった。ローズでなければ得られないものなのだろう。
「ふふ。男は気を許した相手には饒舌になるものなのよ」
「……さすがだな」
「むー……」
ウインクをしてみせたローズにイブさんはまだ不満なようだ。
「また何か分かれば連絡するわねん」
情報を渡し終えたらローズはすっと立ち上がった。
目立つ容姿のローズはあまり長居をしない。もっとも、今回は俺たちに配慮してわざわざ目立つ格好をしてきてくれたようだが。
自分が印象に残ることで、一緒にいる俺たちの存在感を希薄にしてくれているのだろう。
派手な容姿の女と一緒にいた奴ら。俺たちの印象をそう確定付けるために。長居しなければただの知り合いの親子連れに見えるだろうしな。
「あ、そーそー」
「ん?」
立ち去ろうとしていたローズは何かを思い出したように立ち止まり、振り返った。
「護り屋に会ったみたいね」
「……耳が早いな」
大方、ロイあたりから聞いたんだろうが。
「あの子たち、『ホーム』の子よね。
生きてるってことは、貴方のお眼鏡にかなったのかしら?」
「……あいつらは大丈夫だろう。
弁えているからな」
「そう。あの子たちはロイも気に入ってるから良かったわ」
「そうなのか」
裏の奴らを毛嫌いすることの多いロイに気に入られるのなら大したものだ。
「護り屋は敵にはならないでしょうけど、それに匹敵するのが向こう側に何人かいるかもしれないから気を付けた方がいいわよ」
「……それはそういう情報ってことか?」
「未確定だから依頼に応えたものじゃないわ。今はその裏取り中」
「……くれぐれも気を付けろよ」
「あら。心配してくれるのん?」
「む」
前屈みになって蠱惑的な笑みを向けるローズ。視線誘導で開いた胸元を見るように仕向けている。
イブさんがまたまた不服なようです。
「依頼を達成してもらわないと困るからな」
ローズのそんな気ままな誘惑にのっていたら切りがない。適当にかわすのが一番だ。
「ふふ。つれないのは相変わらずねん。私の誘惑につられないのは貴方ぐらいよん」
「もう行け」
「はいはい」
ようやく誘惑するのに飽きたローズは姿勢を正す。
背はそこまで高くないのに、こうして凛と立っていると嫌でも目を引き寄せられる。
「あ、イブちゃん」
「フシャッ!?」
さっきからイブさんが猫なんだが。
「イブちゃんも護り屋に会ったのよね?
イブちゃんから見て、あの二人のランクはどう?」
「……S」
イブはそれにはほぼ即答だった。
「……今の私では勝てない。そこには圧倒的な実力と経験の差がある」
「ジョセフ。その見立てはどう?」
ローズが俺に解答を振ってくる。
「……正解、だな」
「そうねん」
ローズの狙いはなんだ?
イブにそれを答えさせて、ローズは何をしたい?
「じゃあ、イブちゃん。ジョセフはどうかしら?」
「!」
「んー……」
イブは首をひねる。
今度はずいぶん悩んでいるようだ。
「……わかんない」
「分からない?」
どういうことだ?
「まともに戦いになるイメージが浮かばない。たぶん、戦いにさえならずに私が死ぬ。
ランクをつけることさえ出来ないのが今の私のレベル」
「……ですって」
「……ふむ」
正解と言えるだろう。
自分の実力をきちんと把握しているからこその的確な見立て。
分かる、からこそ分からない。
「イブちゃん。今は、よね?」
「む」
「強くなって、いつかは護り屋もジョセフも倒せるようにならないと、よね」
「む! 当然!」
「ふふ。頑張ってねん」
「む!」
「じゃ、今度こそ行くわ。
またロイの奴でもからかいにねん」
ローズはイブににこりと微笑むと、今度こそ背を向けた。
最後にイブに見せた笑みは、ローズの本当の笑顔だったように思えた。
「……おまえ、ロイに対していつまでそうしてるつもりだ?
向こうは全く気付いてないようだぞ?」
去ろうとするローズの背中に声をかける。
ローズはそれを受けて立ち止まった。
「……私は汚れすぎてるもの。誰かのモノになる資格なんてないわよん。
だからこそ、にぶちんすぎて気付かないロイで遊ぶの。あの人、鈍いけど色気には弱いからねん」
「……」
ローズはそれだけ言うと、振り返ることなく手だけを振って去っていった。
振り返る男たちの視線を集めながら。
「……どういうこと?」
イブが俺の背中から顔を出して、去っていくローズの背中を眺めながら尋ねてくる。
「……あいつはロイという男に想いを寄せていてな。だが、それを相手に伝えるつもりはないらしい」
「ふーん。なんで?」
「あいつの殺し屋としてのスタイルは、いわゆるハニートラップの類いだ」
「!」
男を惑わし、誘惑し、ときには自らの肉体を使って情報を集め、男たちの命をも奪う。
彼女の最後の言葉は、そういう意味なのだろう。
ロイなら、それも含めてローズを受け止めてくれると思うのだが、ローズ自身が自分に自信を持てないのだろう。
「……あの女は私の敵、だけど、あれはなんか、ちょっとカッコいい、と思う」
「……そうか」
ローズが聞いたら喜びそうだが、イブがそれを本人に言うことはないだろうな。
「……続き」
「あん?」
「早く続きやる。
もっと、強くなる」
「……そうか」
ローズの目的はこれか。
イブを囃し立て、やる気を出させたわけだ。
「ふむ。じゃあ、あの男は?」
「んーとね……」
来るべき日に、少しでも戦力を育てるために……。
「……ど、どうも」
「おう。おかえり」
某所。
古びた倉庫の一角に積まれた瓦礫の山に腰をおろす男が一人。
そこに、忙しなく辺りをキョロキョロと見回す痩せた猫背の男が合流する。ギョロリとした目が男の不審さをいっそう引き立たせている。
「街はどうだったよ? 解体屋」
解体屋と呼ばれた男を出迎えたのは筋骨粒々の長身の男。
足を大きく広げて陣取っており、男の尊大な態度が現れていた。
「あ、相変わらず、人が多くて、い、息が、詰まりそうに、なる。
なんだか、ぼ、ぼ、ぼ、僕のことをジロジロ見てきた、奴らも、い、いたし……」
先ほどまでキョロキョロと辺りを見回していた解体屋は今度は病的なまでに一点を見つめていた。
「やれやれ。相変わらずのコミュ障っぷりだな」
「ぼ、僕は繊細なんだ。壊し屋と違って、ね……」
そんな解体屋に壊し屋と呼ばれた筋骨粒々の男は呆れた様子だった。
解体屋はそれに対し、嫌味を言いながら神経質そうに爪を噛んだ。
「あ、で、でも、その僕を見てた、一人の、お、女の子は、可愛かった、なぁ。
思わず、バラしたくなるのを、堪えるのに、大変、だったぁ」
「はぁ。頼むから、ボスから指令が出るまでは勝手に暴れるなよ」
興奮した様子の解体屋に壊し屋はため息を吐いた。
「わ、分かってる。ボ、ボスの命令は、ぜ、ぜ、絶対っ」
「……分かってんならいーんだがよ」
「まだ二人?」
「あん?」
そこに、一人の少女が合流する。
十七歳前後に見える、やたらと肌の白い細くて可愛らしい少女だ。
学生なのか、セーラー服に身を包んでいる。
「ああ。マドカか。もう学校は終わったのか?」
「ええ。集合時間ギリギリだから急いだんだけどね」
マドカと呼ばれた少女は長くて綺麗な黒髪をなびかせ、背中には大きなギターケースを背負っていた。
「ボスも、他の二人も遅い。時間は守るもの」
マドカは不機嫌な様子だが、その表情は氷のように固まったままだった。澄んだ黒い瞳にも一切の光を感じさせない。その姿には、もはや神秘性すら感じられた。
「ホントにな」
時間にうるさいマドカに壊し屋は適当に合わせるが、解体屋とはずいぶん態度が違うようだ。
「マ、マ、マ、マドカたん。
今日も変わらず、う、う、う、美しい……」
そんなやり取りを眺めていた解体屋が我慢しきれなくなったかのように呟く。
「……キモい。死ね。いや、殺す」
それに気付いたマドカがギターケースを下ろそうとする。
「ひぃぃぃぃーー!」
「おい。俺に隠れるな」
「……ふん」
それに怯えた解体屋が壊し屋の後ろに隠れる。マドカはその様子を侮蔑するように一瞥すると再びギターケースを背負い直した。
「待たせたな」
そこに、頬に傷のある男が現れる。
男は黒のスーツに身を包んでいた。ネクタイも黒。まるで喪服のようだった。
「……ボス。遅い」
ようやく到着したボスにマドカが冷たい視線を送る。
ボスが現れたのは集合時間の三分後だった。
「いや、悪いなマドカ。
コレを連れてきてたからよ」
「いてっ」
ボスと呼ばれた傷の男は背中に片手で担いでいた者をポイっと地面に放り投げた。
「も~。無理やり起こさなくてもいいじゃんかー。俺パジャマなんだけどー」
「うるせえ、カイト。おめえは起こさないといつまでも寝てるだろうが」
カイトと呼ばれたパジャマ姿の男はアクビをしながら頭をポリポリとかいた。
カイトは、髪の毛は寝癖で大変なことになっているが、若く、顔も整っているようだった。
「……むしろカイトを起こしてて三分の遅刻ならすごい方。ボスは許す」
「そりゃどーも」
「カイトはあとで縛る」
「やだー!」
無表情なマドカとは対照的にカイトは表情豊かだった。マドカに縛る宣言をされて、カイトが手足をバタバタさせる。
「マ、マ、マ、マドカたんに縛られるとか、ご、ご、ご褒美でしかないんだが?」
そんな解体屋の呟きにはもはや誰も反応しなかった。
「んで、ボスよ。これだけのメンツを集めるなんて、いったいどういうつもりだ?
この国にケンカでも売るのか?」
壊し屋が好戦的な顔でボスに尋ねる。
丸太のような腕の筋肉が楽しげに躍る。
「ふっ。国を相手にした方がマシかもな」
それに対し、ボスは皮肉たっぷりに苦笑してみせた。
「……それ、もしかして」
マドカはその言い方で悟ったようだ。
「ああ。最強を狩る」
「おいおい。銀狼かよ」
ボスの答えに壊し屋はまいったかのような言い方をしているが、その表情はじつに嬉しそうだった。
「ぎ、ぎ、ぎ、銀狼のこと、な、なにか、分かった、のか?」
「……調査は難航している。唯一、銀狼の核心に迫ったはずの、調べ屋のマウロが情報を持ったまま死んだからな。
正直、振り出しに戻ったとも言える」
「ダメじゃん……いてっ」
「……だが、俺たちを集めたということは、何かしら掴めたんだろ?」
「……ああ」
ボスは馬鹿にしてきたカイトの頭を叩いてから、壊し屋の言葉にこくりと頷いた。
「じつは、一家全員死んだと思われていた調べ屋マウロの家族に、生き残りがいることが分かった」
「……調べ屋って、一家全員バラバラに惨殺されたってやつだろ?
そんなかで生き残ってるヤツなんているのかよ」
「それはブラフ(嘘)だ」
「あん?」
「バラバラにしたのは個人を特定させにくくするため。ご丁寧に髪や爪の一部を混ぜ込んでいたが、明らかに一人だけ、人間を構成するには足らなすぎるのがいたことが分かった」
「……それは?」
マドカの問いにボスはその鋭い目をぎらりと光らせる。
獲物を見つけた蛇のように。
「三女だ。一家の末娘。
そいつが何かマウロから情報を渡されている可能性は高い。死んだと見せかけて逃がしたぐらいだからな。
そして、そいつは養女だ。マウロが連れ出したガキ。俺たちの施設からな」
「『ホーム』の真似事のやつか……っ!」
「……」
「……いや、失礼」
ホームという言葉を口にした壊し屋をボスは恐ろしい目で睨んだ。それを受けて壊し屋はすぐに口をつぐみ、ボスに謝罪した。
そうでなければ自分の首は飛んでいた。そう思わせるほどの殺気をボスは放っていたから。
「……つ、つ、つまり、その、お、お、お、女の子を、さ、さ、探せば、いい、と?」
解体屋は嬉しそうだった。
自分の性癖に合うターゲットだから。
「お前はダメだ。生け捕りにしたいからな」
「……ざ、ざ、ざ、残念」
ボスにあっさり却下され、解体屋はあっさりと引き下がった。まだ先ほどの殺気にビクついているようだ。
「今日来ていない『紳士』が詳しく調べている。
カイト。ヤツから情報を受け取って、お前がそのガキを探せ」
「えー! 俺ー!?」
ボスに指名されたカイトは心底嫌そうな顔をしていた。
「たまには仕事しろ。何のためにメシを食わせてやってると思ってる。
今回はお前が適任なんだよ」
「……へーい」
ボスにせっつかれ、カイトはしぶしぶ仕事を了承した。
「……私たちはどうすればいい?」
「お前たちはまずは待機だ。情報共有のために呼んだ。各自、いつでも動けるように準備はしておけ」
「学校のある時間は動けないからね」
「分かってるよ」
「ならいい」
マドカはそれだけ言うと、すたすたと去っていった。
「……いいのか、あれ?」
「ああ。マドカはあれでいいんだよ」
「……そうか」
ともすれば反抗的とも思えるマドカの態度だが、ボスはそれに寛容なようだった。
「壊し屋。お前はカイトにつけ。
監視兼護衛だ」
「えー!!」
「……了解」
全力で嫌がるカイトに、護衛よりも監視の意味合いの方が強いことを悟る壊し屋だった。
「解体屋。お前は俺と来い。
お前の仕事だ」
「お、お、お、女の子!?」
「いや、違う」
「……な、なんだ」
仕事という言葉にギョロリとした目を不気味に輝かせた解体屋だが、ボスに即座に否定されて肩を落とした。
「じゃ、じゃあ、僕は何を?」
窺うような解体屋の顔に、ボスは何かを企むような笑みを見せた。
「祭りの準備だ!」
おまけ
「ローイ!」
「おわっ!」
ロイの住む屋敷。
ローズは背後から気配もなく近付き、ロイに後ろから抱きついた。
「ロ、ローズか。いつの間に屋敷に入ったんだ。というか、気配を消して近付くな。危うく撃つところだったぞ」
ロイは胸ポケットから拳銃を取り出しかけていた。
「ごめ~ん」
ローズは適当に謝りながらわざとらしくロイの背中に胸を押し当てて腕を絡ませる。
「お、おい! 気安くそんなことするな!」
ロイはローズを振り払おうとするが、ローズは腕をぎゅっと掴んで離さなかった。
「……気安くなんて、しないわよ」
「あ? なんか言ったか?」
「……なーんにも」
こういう時の呟きはいつも聞き逃すロイがローズは恨めしかった。
でも、本当に本気で引き剥がそうと思えばローズの細腕ぐらい簡単に振り払えるはずなのに、それをしないロイの優しさに心が弾んだのも確かだった。
「……ったく。
んなことより、メシは食ったか?」
「まだー! お腹すいたー!」
耳元で大声を出されてロイは顔をしかめる。
「……ったく。子供かよ。
じゃあ、ウチで食ってけ。おまえは細すぎんだよ」
顔をしかめたあと、ロイはローズの頭に手を伸ばしてがしがしと頭を撫でた。
「……ロイは太い方が好みなの?」
無造作に頭を撫でられながら、ローズは紅くなった頬を隠すようにロイに上目遣いを送った。
「ほどほどが一番だ。女と子供は元気で健康でいるのが一番いい」
「……そっか」
そんな紅潮した頬や上目遣いなどに気付くはずもないロイにローズは薄く笑う。
「ほら。どうすんだ?」
「食う!」
「よし。何がいい?」
「ハンバーグ!」
「子供か」
「ロイの好物でしょ?」
「……まあな」
「よーっし! レッツゴー!」
「あ、おい! 引っ張るな!」
ローズは絡めていた腕をほどき、ロイのゴツゴツとした手を握りしめて屋敷の廊下を走っていったのだった。