14.月に笑みを、イブにパンケーキを、嘯く後輩には嫌がらせを
『せんぱ~い』
ジョセフとイブが護り屋の二人と話をしている頃、四方から倉庫の入口を見張っている四人の特別安全保障部会の中の一人が気の抜けた声で無線の先の上司に話しかけた。
『なんだ?』
話しかけられた上司は間の抜けた声を訝るように応える。
『本当に銀狼は来るんすか? こんな見え見えの依頼に』
男は暗視機能付きの双眼鏡を覗き込みながら欠伸をする。どうやらだいぶ飽きてきているようだ。
『来るさ。これは出来レースみたいなものだからな』
『……ん? どーいうことっすか?』
意外な言葉に男は興味を示す。動きがあるまでの退屈しのぎにちょうどいいとでも思ったのだろう。
『……そうか。おまえはまだ特安に入ってそんなに経ってないんだったな。
つまりな……ん?』
『へ?』
詳しく説明してくれそうな雰囲気だった上司が急に話すのをやめた。
状況に変化があったようだ。
『誰か出てきたな。
あれは……ああ。あいつらか』
『……へ?』
男は一瞬、場に緊張が走ったのを感じたが、現れた人物を確認した瞬間、上司の緊張が解けたのを感じた。
そして上司は出てきた二人が見えなくなると、再び何事もなかったかのように見張りを続けるようだった。
『先輩? 今の二人はほっといていいんすか?』
背の高い男と小柄な少女。
少女の方は組員とともにいた者だが、もう一人は組員たちが倉庫に入っていった時にはいなかった。
それをそのまま放置していいのだろうか。彼が銀狼なのではないか?
男はそう思って上司に尋ねた。
『いいんだよ。あいつらは護り屋だ。ジンガイ兄弟と言えば、この世界でそれなりに名が知られている』
だが、上司からの返答は放っておけというものだった。
『あー、名前ぐらいは聞いたことあるっすけど、え? でもトランクいっぱい持ってたっすよ? 見逃していいんすか?』
『いいんだよ。俺たちは警察じゃないんだ。
それに奴らには俺たちもたまに依頼をしている。奴らが俺たちの邪魔をしなければ俺たちは奴らを捕まえない。そんなところだ』
『あー、護り屋っすか。たしかにウチらにも使い道はありそうっすねー』
『……ふっ。そうやって割り切れるところは特安向きだな、おまえ』
あっさりと説明を受け入れた男に上司はふっと笑った。
『でも、あいつらがトランク全部持って出てきたってことは、中はどうなってるんすかね?』
『おそらく、組員は全員銀狼にやられてるんだろうな』
『え!? か、確認とかはしないんすか?』
あっさりと答える上司に男は驚いてみせた。
『しないな。このまま朝になって、あの倉庫を使ってる漁師が来て組員の死体を見つけて警察が来るまで俺たちはここで見張る』
『えー! でも、いま行けば銀狼を確保できるかもしれないっすよ!』
『四人ぽっちで出来るわけないだろ。万が一、あそこにまだ銀狼がいたとして、俺たちが確認しに中に入ったら間違いなく全員銀狼に殺されるぞ。
まあ、おそらくもう中にはいないだろうけどな』
『え? で、でも、あの倉庫の入口は護り屋が出ていった一つだけっすよ? 銀狼はどうやってあそこを出入りしたんすか?』
『あー、あそこには下水設備があるからな。排水口から下水道を通れば、中から倉庫を出入りできんだよ。おそらく銀狼はそこを使ったんだろ』
『え?』
さも当然かのように答える上司に男は混乱した。
『え? なんでそこまで分かってて、そっちにも人を置かなかったんすか? そこを塞ぐなり監視するなりすれば銀狼を追い詰められたじゃないっすか』
『……んなことすりゃ、特安は銀狼に潰されるんだよ』
『……へ?』
『銀狼は自分の依頼を邪魔されるのを嫌う。
奴のテリトリーに入り込みすぎれば、狼の皮を被った俺たち羊は簡単に食い殺されるんだ。本物の狼相手じゃ、虚勢を張った羊が銃を持った程度じゃ相手にならないんだよ』
『そ、それって本来、俺たちが言われるセリフなんじゃあ……じゃ、じゃあ、なんで俺たちは銀狼のことを追うんすか? わざわざ銀狼対策のチームを作ってまで』
男は上司の言うことを理解しきれずにいた。
なぜわざわざ銀狼を追う組織を作っておきながら本気で捕まえようとしないのかと。
『言ったろ。出来レースだって。
国の中枢の人間も殺されてるんだ。奴を追っているというアピールが必要なんだよ』
『で、でも、捕まえたりはしない、と?』
『……まあ、そこから先は個人の見解によって差異はあるな。ほとんどの奴は殺されたくないからとか、物理的に捕まえられないから、とかだろうが、俺からすれば銀狼は必要悪だ』
『……必要悪、っすか』
『銀狼の手で潰された秘密地下組織は多い。我々特安が手をこまねいていた組織とかもな。あくまで依頼として、だが』
『……国のお偉いさんが殺されるリスクはあるけど、国にとって厄介な組織も消してくれるってことっすか?』
『そうだ。お前、意外と理解が早いな』
上司はいい加減な態度の男が特安に入れた理由を何となく理解したようだ。
『うーん。理屈は分かったんすけど、それなら今回はけっこう攻めたっすね? 護り屋もいたし、だいぶ銀狼の依頼の邪魔したんじゃないっすか?』
『……ふむ』
上司は無線の先の男は意外と頭が切れるのだと認識を改めた。それと同時に、彼を評価するとともに警戒を強めた。
上司は警告の意味も込めて、男に尋ねられた内容に対してその理由を答えた。
『……最近、特安の銀狼対策チームのトップが代わっただろ?』
『あー、なんか頭の堅そうな人だったっすねー』
男はそのトップに挨拶した時のことを思い出して嫌な顔をした。おそらくあまり気に入られなかったのだろう。
『銀狼対策チームの実情を知らなかったのか、手柄をあげることに目が眩んだのか、銀狼を本当に捕らえようとギラギラしてたよな。特に今回は就任後、初めての大掛かりな仕掛けだ』
『あー、それで気合い入れちゃったんすねー』
『……近々、またトップが代わるさ。今度は“分かってる”ヤツだといいな』
『え? そんなすぐ代わっちゃうんすか?』
『死んだ人間を置いとくわけにもいかないだろ?』
『あー、そういうことっすか。狼に近付きすぎて喰われるんすね』
『ああ。イカロスと同じだ。おまえも出世したいなら、まずは生き残ることを重視するんだな』
『……』
上司は銀狼のことを神格化させているようにも感じたが、男は何も言わなかった。
何事にも深く関わりすぎない。
それが男が思う特安での長生きの秘訣だった。
「……よし。いくぞ」
「おけ」
下水道から脱出した俺たちはいつもの普段着に着替えていた。衣類はあらかじめ下水道の一角に隠しておいたのだ。もちろん服も俺たちも消臭済み。
そして、俺の手には紙袋に入ったさまざまな食材。
「……服とか道具とか、置いてきちゃって良かったの? それにそれはなに?」
着替えた場所に倉庫で使った武器や服は置いてきた。
今の俺たちは武器も血の匂いもない、ただの買い物終わりの人間だ。
まあ、時間はだいぶ深夜だが。
「問題ない。道具は回収屋が回収してリザの元に届けてくれる。この食材を用意したのもそいつだ。で、この食材はまあ、カモフラージュだな」
「そんなんおるんだ」
イブは感心した様子だった。
この世には金さえ払えばいろいろなことをしてくれる連中がいる。
今回の回収屋にもたびたび世話になっている。奴らは俺が銀狼だと知らない。それでも金を払えば依頼はきちんとこなす。どんな回収依頼でも。奴らも立派なプロだ。
他にも、警察の検問を通ったあとに別ルートで入って武器を渡してくれたり、時には証拠映像付きでアリバイを証言してくれたりもするらしい。殺し屋業界では重宝されている存在だ。
銀狼はリザを始めとして、そういったいろんなプロたちの手によって最強の存在に押し上げられている。
だから俺は傲らない。油断しない。
所詮、一人の人間の出来ることなど限られるからだ。
利用できるものは何でも利用する。
それが、俺が思う殺し屋業界での長生きの秘訣だ。
まあ、世の中は俺がそれらを全て一人でこなしていると思っているからこそ、銀狼は最強などと言われているのもあるけどな。
「……いずれ、おまえにもそういう業者とのやり取りを教える。今はとりあえずそういう連中もいるんだと思っておけ」
「……り」
イブがそれを知るのは自分の力量を正確に把握してからがいいだろう。
自分に何が出来て何が出来ないのか。
それが分からないとどこまでを自分でやればいいのか判断できないからな。
自分でやろうとしすぎても詰むし、人に頼りすぎても実力がつかない上に油断を招く。
冷静に自分の力量と依頼の難易度とを比較して、どこまでをやるか、どこまでをやらせるか、それを自分で判断できるようにならないといけない。
そうでなければ到底、プロとは呼べない。
イブはまだ発展途上だ。
まずは自分の実力を磨くことに集中させるべきだろう。
「んで、嫌がらせって、どこの誰に?」
イブは納得したのか、話を本来の方向に戻した。
「ああ。俺に秘密にしていたことへのお仕置きだ」
「?」
「このビルだったな。行くぞ」
「り」
イブは首をかしげていたが、とりあえずついてくることにしたようだった。
「……」
屋上に寝そべって双眼鏡を覗いているソイツを見つける。
イブにはあらかじめ気配を殺すように言ってある。
『……』
無線で何かを話している男は俺たちの存在に気付かない。
「……」
俺はイブにハンドシグナルで『行くぞ』と示す。イブはこくりと頷くと、気付かれないように慎重に俺のあとに続いた。
『なるほどっす。ようは、俺たちは出来レースの盤上で銀狼を追ってればいいんすねー』
すぐ後ろに立っても男は気付かない。どうやら無線の先の相手に俺と特安との関係性について教えてもらっていたようだ。
現場の人間は俺と特安が机上での追いつ追われつの関係であることを理解している。それを後輩に教えてくれるのはありがたい。
さて、そろそろいくか。
「……こんなところで何してるんだ、ケビン」
「うひゃうわっほいっ!」
……なんて?
完全に油断しているところに後ろから急に声をかけると、警察としての俺の直属の部下であるケビンは謎の奇声を上げて飛び上がった。
『K、どうした?』
無線の先で上司が尋ねる。どうやらケビンはKと呼ばれているらしい。特安は互いをコードネームで呼ぶ。
もっとも特安である以上、ケビンが本当にケビンというのかは疑わしいが。
『あ、な、なんでもないっす。む、虫。虫がいて~』
ケビンは慌てて誤魔化した。
動揺してはいるが良い判断だ。特安は自分が特安であることを特安の仲間以外には誰にも言わない。それは家族でも恋人でも。潜入先の上司ならばなおさら。
もしも特安以外の人間にバレたらおそらく解雇だろう。最悪、口封じに全員始末されることだってある。それほど、特安が扱う事案は極秘なことが多い。
『ったく。虫ぐらいでデカい声出すな。
朝まで長丁場だ。俺は少し休む。何かあれば呼べ』
『あ、りょ、了解っすー』
上司はそれで納得したようで無線を切った。
これでしばらくはゆっくり話せるだろう。
「……け、警部? な、なんでこんな夜中にこんなとこにいるんすか? イブちゃんまで」
無線を切ったケビンはひどく驚いた様子で、立ち上がってこちらに向き直った。
俺は食材の入った紙袋を掲げる。
「イブが急に腹が減ったと騒ぎ出してな。パンケーキを食べないと寝られないと泣き叫んでうるさかったから、仕方なく材料を買いに出たんだ」
「……」
……イブさん。ケビンに見えないように、不服そうに俺の背中をつねるのはやめなさい。
これが一番妥当な理由なんだよ。
「こ、こんな夜中に、よく買えたっすね」
今は、夜中の3時ってところだろうか。
「ああ。俺が捕まえて更正した奴がやってる店があってな。馴染みの店ってやつだ。叩き起こして売ってもらった」
「そ、それは、その人も災難っすね」
ケビンが店主に同情するような顔を見せた。
……まあ、そいつは表では普通の食材店をやってるが裏ではいろんなものを売ってるから同情の余地はあまりないんだけどな。こんな時間でも裏では店はやってるし、口裏も合わせてくれる。相応の金はかかるが。
当然、今回は俺とイブがこの時間にその店で買い物をしたということにしてもらっている。
万が一、ケビンがあとで店にウラをとっても問題はない。
「……で? おまえはなんでこんなところにいるんだ?」
「え!? え、と、あのー、て、ていうか、警部たちこそ何でこんなところに上がってきたんすか?」
ケビンはうまい言い訳が思い付いていないようで、質問返しで時間を稼ぐことにしたようだ。
それに対する答えは、こちらはすでに用意済みだけどな。
「馴染みの店だと言っただろう?
この辺りは前に見た。
このビルは夜間は無人な上に非常階段は滅多に使われない。にもかかわらず非常階段への入口の扉の閉じ方が以前と違った。さらに言うと、そんなビルの屋上に双眼鏡の光が反射することはあり得ない。
んで、それを不審に思って周りを見てみると、あそこの倉庫を囲うように四ヵ所から不自然に双眼鏡を覗く男たちを発見した。警察官として様子を確認しないわけにはいかないだろう?
このビルにしたのは最初に見つけたからってだけで、ここにいるのがおまえだと言うのは今さっき分かった。偶然ってやつだな」
俺はさっきまでいた倉庫を指差しながら説明する。ケビンはしまったとでも言うように分かりやすく顔を歪めた。
「あ、そうでしたね。さすがは完全記憶……」
そう。俺にはそれがあるから理由なんていくらでも取って付けられる。
さて、ケビンはいったいどう出るかな?
「……で? おまえはなんでこんなところにいたんだ?」
「え、えっ、とー……」
ケビンは返答に困っているようだった。
いくら警察の部下とはいえ、まともに返答できないと不法侵入扱いになる。当然、警察では俺の直属の部下であるケビンに俺の知らない仕事が割り振られるわけがない。
つまりケビンは真夜中の無人のビルの屋上で、双眼鏡を覗いて倉庫を見張っていたことを仕事という言葉を使わずに説明しなければならない。
「……う、うーんとー」
ま、そんなことは不可能なんだけどな。
逆に何か上手い言い訳ができるヤツがいたらこちらが教えてほしいぐらいだ。
「わかった」
「へ?」
「イブ?」
一連の流れを見ていたイブがケビンをビシッと指差した。
「覗きの変態!」
「ぐはっ!」
……二人とも遊んでんのか?
「……だがまあ、このままだとそうなるな」
「ちょちょ、ちょっと待ってくださいよぉ~!」
俺が溜め息混じりにそう言ってやると、ケビンはようやく観念したようだった。
「……警部も人が悪いっすよ。だいたい見当はついてるんすよね?」
「……まあな」
ケビンがじとっとした目でこちらを見てくる。俺が分かっていてあえてケビンに言わせようとしていることに気付いているようだ。
やはり特安なだけあって本物の馬鹿というわけではないようだ。
「……特安の仕事か」
「……」
俺が言ってやると、ケビンは小さく頷いた。
普通の警察官は特安の存在自体知らないことがほとんどだが、銀狼による事件を捜査することの多い俺が特安の存在に行き着いていないはずがないと判断されたか。
「警部。お願いします。このことは黙っててほしいっすー」
「……ん?」
口調はそのままだが、ケビンの雰囲気が一瞬で変わった。
「……俺、警部たちのことを殺したくはないんすよ」
「!」
「……」
ふむ。一丁前になかなかの殺気を向けてくるじゃないか。ただの甘ちゃんだと思っていたが、それなりに修羅場をくぐっきているようだ。
これは認識を改めないといけないな。
それはそれとして、やはりイブはまだまだだな。あとで説教だ。
「……分かってるよ。おまえのことも、おまえたちのことも、見てない聞いてない知らない。
俺たちはここで誰にも会っていないし、そもそもこのビルには来ていない。
それでいいだろ?」
「……」
「……」
ケビンはしばらく俺のことをじっと見つめた。発言の真意を読み取ろうとしているようだ。
「……あざます! いやー、警部が分かってる人で助かったっす!」
「……ふ」
やがて、ケビンはいつものヘラヘラした顔に戻る。それと同時に殺気も消え失せる。
どうやら無事に査定に合格したようだ。
今まで、特安のことを知りながらそれについて一切発言してこなかったこともケビンの審査を通過する要因となったのだろう。
俺としても今回はただの嫌がらせのつもりだからな。無駄にケビンを返り討ちにするようなことにならなくて良かった。そうなればあとが面倒だ。
「じゃー、これからも今まで通り、よろしくお願いしまっす! 警部!」
ケビンはこれで話は終わりだと言わんばかりに敬礼してみせた。余計なことは聞かずに帰れと言いたいのだろう。
そして、今後も今まで通りに知らぬ存ぜぬでいろということだ。
「……ああ。
帰るぞ、イブ」
「……ん」
適当に返事をしてイブを連れて屋上をあとにする。イブは笑顔で敬礼するケビンをしばらく眺めてから、くるりと回れ右をした。
「……いいの?」
ビルの非常階段を降りながら、イブがぽつりと呟く。
ケビンを生かしておいていいのか、という意味だろうか。
「……いいんだよ」
「……アレは、あんまり信用できない」
「初めからしていないから問題はない」
「……そう」
イブもケビンには胡散臭さを感じたようだ。特安は本音を見せないからそう思うのも無理はない。警戒するのは悪いことではない。
だが、
「……おまえ、さっきのケビンの殺気に反応しすぎだ。普通の人間は嫌な雰囲気を察することは出来ても、殺気を感じることはほとんどない。ましてや自分の懐の武器を確認しようとする動きなんてしない」
「……そんなんしてた?」
無意識だったのか。
自分を殺そうとする気配に、懐の武器をすぐに取り出せるようにするための筋肉の動きが見られた。
普通のヤツなら気付かないが、プロが見たらすぐにバレる。
「ああ。もし一般人に潜入して仕事をすることがあったら、そういう部分まで気を付けた方がいい」
「……り」
イブはそれだけ言うと黙り込んだ。
自分の中で言葉を消化・理解しているのだろう。
「……」
空を見上げると真っ黒な夜空に月が笑っていた。
俺たちは、その日はそのまま家路についた。
銀狼の仕事は、まだ終わっていない。
おまけ
「よう。景気はどうだ?」
「だ、旦那。い、いらっしゃい」
俺がその店を訪ねると店主は鬼でも見たかのように腰が引けていた。
「そんなに怯えなくても今回は警察として来たわけじゃない」
「な、なんだ。ビックリさせないでくださいよ」
しょっぴかれる訳ではないと分かると、店主は途端に安心したようにタバコに火をつけた。
……そういや、俺はずいぶんタバコを吸っていないな。
いつから吸っていないか思い出せないぐらい、最近は特にそれに火をつけた覚えがなかった。
「……旦那? どうしたんです?」
店主がタバコの煙を燻らせて首をかしげる。
コイツは接客態度は最悪だが仕事は確かだ。
「……いや」
俺は懐から札束を取り出してカウンターに置いた。
「物資の手配を。あとは証言も買いたい」
金さえ払えば何でも買える。
それがこの店の良いところだ。
「……へへっ。毎度」
店主はさっと札束を取るとすぐに全て確認する。
当然、偽札などではないが彼なりの習慣だろう。
「じゃあ、詳しい話は奥で」
「ああ」
店主はものの数秒で札束を数え終わるとカウンターを上にあげて俺を招いた。店の奥で詳しいやり取りが交わされる。
『副流煙は児童の成長に著しい悪影響を与えます』
「……あ」
「ん? どうしたんです?」
「……いや」
俺は自分が最近タバコを吸わなくなった理由に思い至ったが、何となく悔しくてそれを思い出さなかったことにした。