11.初めての任務にトラブルはつきもの!?【前編】ーー闇夜を駆る銀狼は普通に下水道を使うーー
「……あそこ?」
イブが双眼鏡を覗きながら尋ねてくる。
「そうだ。あそこが今回のターゲットたちがいる、取引場所となる倉庫だ」
半月の浮かぶ闇夜に黒装束で全身を纏った俺たちは海際の倉庫のひとつを、少し離れた建物の屋上から眺めていた。
「ふーん。
それで? やっぱり来てるの?」
イブが双眼鏡から目をはずし、こちらを向いて首をかしげる。
「……ああ。やはり予想通りだ」
「そう」
別の場所を双眼鏡で眺めていた俺はイブに声だけで応える。
俺たちとは違う場所から倉庫を監視する人間。全部で四人。
四方から倉庫を囲うように監視しているようだ。俺たちはそれらを一望できる建物の屋上からそいつらの様子を見ていた。
自分たちが狩人だと思って獲物が来るのを待っている奴らは、自分たちがすでに視られていることに気付かない。
「なんだっけ? たくあん?」
「……特安な。この国にそんな食べ物はないからな」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「……なんて?」
「特別安全保障部会だ」
「なんそれ?」
イブに依頼への同行をさせるにあたって、今回の依頼の背景を説明しておく。
「国の安全を裏で守ってる奴らね。国家レベルのテロへの対応とか、警察機構自体の監視とか、裏の組織への牽制とか、警察が表の治安機構なら、特安は裏の国家治安維持機構ってとこね」
「そう。ちなみに『銀狼』なんかを調べたりするのもコイツらの仕事だ。
ちなみに機密扱いの組織だから、警察でも知ってる奴は上の方の極々一部だ」
リザの説明を軽く補足する。
ちなみにエルサは俺たちとの関係上、特安の存在を知ってはいるが、公的には知らない立場となっている。つまり、警視の立場の人間でさえその存在を知らない場合もある、ということだ。
「ふーん。
んで? その秘密組織がどしたの?」
知らなかったのか、とぼけているのか、イブは初耳だと言わんばかりに首をかしげた。
「今回の依頼は、そいつらが俺を誘き出すために出したフェイクの依頼だ」
「!」
「俺は組織間の争いには手を出さない。それは傭兵の仕事だからな。
基本的には個人から個人への殺しの依頼だけを受けているんだ。まあ、まれに組織のボスへの復讐という形で被害者が出した依頼を受けることはあるがな」
「ふむふむ」
「で、お門違いの依頼に関してはすべて断っている。というより、俺に来る前にリザに弾いてもらっているんだが」
「なら、なんでこれは受けたの?
えっと、『組同士の取り引きを、現場にいる組員全員を殺して取り引きを潰してほしい』なんて、おもいっきりどっかの組織間の争いじゃん」
イブが依頼書に書かれた内容を読み上げる。
「俺に依頼してくる奴は基本的に勝手が分かっている奴が多い。俺が受ける依頼がどういうものなのかをな。
こんなお門違いの依頼を出してくるやつは大抵リザの所に届く前に弾かれる。窓口であるリザの元に依頼を届けること自体がそもそも複雑だからな」
リザは複数のエージェントやいくつもの国を経由して自分の元にさまざまな情報や依頼を集めている。
つまり、そこに届く情報は信用の置けるものか、とてつもなく巧妙に仕掛けられたものになる。
今回の場合、リザはそれを後者と判断して俺に相談に来たのだ。
「で、そんな複雑な工程を抜けてリザの元にたどり着いてなお、こんなお門違いな依頼を出してくる場合、だいたいが金にモノを言わせためちゃくちゃなものが多い。
それこそ一国を潰すような依頼、とかな。
だが、今回の依頼はお門違いの中でもまともすぎて、かつ小さすぎだ。こんな誰でもいいような依頼。言い換えればどうとでも揉み消しがきく依頼が俺に届く時点で罠なんだよ」
「……『銀狼』を捕まえようとしてるの?」
イブの目が暗く光る。
それはプロの目。
誰かに先を越されてたまるか、ということだろうか。
「いや、そんな簡単にいくとは思っていないだろう。おそらく今回は『銀狼』が誰かを特定できればいい、あるいは一目見るだけでもいい、ぐらいの心づもりだろうな。あわよくば後を尾けて根城を突き止めたいのか。
そうなると、この取り引きとやらは本当にどこかの組織同士で実際に行われる取り引きで、特安が事前に情報を入手して利用しようとしているのだと思われる」
「ふーん。わざわざそんなことするのか」
イブはなんでそんな面倒なことを、とでも言いたげだった。
「俺は政府の要人も何人か殺してるからな。その気になれば国家転覆を狙えるような個人を野放しにしておくことは、国の安全を守る特安からしたら由々しき事態なのだろう。
あるいは、俺のことを飼い慣らしたいのかもしれないな。そんなのは勘弁だが。しつこいんだよ、コイツら」
一度、依頼の遂行を邪魔されそうになった時は本当に組織ごと潰してやろうかと思ったが。
「最近、また探りが面倒になってきたからな。ここらで一回灸を据えてやろうと思ったんだ」
「殺すの?」
「いや、特安の奴らはなるべく殺さない。俺なんかを追っかける暇人ではあるが、テロリストや他国への良い牽制になってるからな。
奴らとは逃げて追っての良い関係でやっていくつもりだ」
正直、リザやエルサの協力もあるから特安の追跡など敵じゃないというのが強いがな。
「ふーん。んで? そんじゃあどうやってその灸ってやつをそいつらに食べさせるの?」
「……いや、お灸は食べ物ではないな」
知らなかったのね。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「……あの倉庫、出入り口は正面の扉だけ」
イブが再び双眼鏡で倉庫を覗きながら呟く。
倉庫周辺は工場や貨物船の明かりのおかげで明るく、見渡すことが容易だった。
それもあって、特安や俺たちがいる建物の屋上はより存在を気付かれにくいようになっている。
取り引きを行う二組の組織はまだ来ていない。
特安の奴らは取り引き連中が来る前に『銀狼』が倉庫に潜む可能性も考慮してかなり前からあの場所で張っているようだ。
ま、俺たちはそれよりも前にここにいるわけだが。
「そうだ。出るも入るもあそこだけ。
取り引きをする奴らからすれば裏切りがしづらいんだろうな。で、特安からすれば『銀狼』はあそこからしか出入りができないから監視しやすいってわけだ」
取り引きを行う組織の人間以外であの倉庫に入る者イコール『銀狼』になる寸法なわけだ。
まあ、シンプルながら悪くはない。
俺の手法からしても、倉庫ごとぶっ壊して終わらせようとするとは思えないだろうからな。俺が仕事をするなら必ず倉庫の中に入るだろうと思うはずだ。
「……ま、入るには入るんだけどな」
「ん?」
「いや……そろそろいくぞ。もうすぐ取り引きの時間だ」
「ん」
移動にはそれなりに時間がかかるからな。
動いてる間に取り引き連中は来るだろう。もちろん来たことを確認してから実行するがな。
俺たちは闇に紛れるように建物の屋上から動いた。
階段を使って一階まで降りる。
「……なんか地味」
「あん?」
「なんかもっと、ビルの屋上から颯爽と飛び降りて向かうのかと」
「……どこの物語の話だよ。
俺は普通の人間なんだよ。ビルから飛び降りたりしたら普通に死ぬぞ」
いったい俺を何だと思ってるんだか。
「……そっか。じゃあ、どうぞ」
「やらねーよ!」
「ふあ~あ。眠いっすねー」
『おい! シャンとしろ!』
「あー、すんません。警察の方の仕事が立て込んでるんですよー」
『……おまえは銀狼絡みの事件を調べる課に入り込んでるんだったな』
「まー、そうじゃない事件の方が多いんですけどねー」
『どうなんだ? 何か収穫はあるのか?』
「いやー、ぜんぜんっす。調べても何も出てこないし先輩は人使い荒いし、もうストレスが半端ないんすよねー」
『そういえば、おまえのとこの上司この前、銀行強盗を捕まえたとかで手柄をあげてたな』
「あー、あれはたまたまみたいっすよ。口座を作りに行ったところにちょうど遭遇したみたいで」
『それは災難だったな。上司にとっても、強盗にとっても』
「そうですねー。先輩は武闘派っすからー」
『……そんな幸運が、今日の俺たちにも訪れればいいがな』
「訪れた結果、銀狼とバッタリ遭遇して殺されなきゃいいっすね」
『……おまえ、変なフラグ立てるなよ』
「すいませーん」
「……来たな」
「んえ?」
移動を開始してしばらくすると、頭の上にある地面から振動が伝わる。
足音が全部で10……いや、11人、か。
倉庫の扉の左右からそれぞれやってくる二種類の足音。それが、ふたつが違う組織であることを表している。同じ組織に属していると足音というものは似てくるからな。
片方が7。もう片方は3。
だが、3人の方は後方にもうひとり。うまく存在を消している。こいつだけ別格。同業か?
「……少し注意が必要なやつがいるが予定通り取引は行われそうだ。急ぐぞ」
「……くさい」
「下水道だからな。我慢しろ」
「……きゅぅ」
「というか口布はどうした? 帽子も。さっきまでつけていただろ」
先導していて気付かなかったが、屋上では上下黒の服に黒のキャップに黒い口布をつけていたのに、いつの間にか帽子も口布も外していた。
「……ウザいから外してたの忘れてた」
イブはそうだったと懐から帽子と口布を取り出して装着した。
俺たちは万にひとつも正体を知られるわけにはいかないからな。せめて最低限の変装はしなければならない。
イブの流れるような金髪はただでさえ目立つ。
そう言う俺も、今日はイブと同じで全身黒の格好をしている。
「……ちょっとはマシになった」
口布をつけたイブは鼻をひくひくさせた。
イブは鼻がいいから地下の下水道道はツラいのだろう。
嗅覚だけでいえば俺よりも鋭敏かもしれない。
「でも、ホントにこっから倉庫の中に行けるの?」
再び歩を進めると、イブが周りをキョロキョロしながら尋ねてきた。
「ああ。あの倉庫はそもそも漁業用の倉庫だからな。排水設備は必須だ。そして、そこに人が通れるだけの排水設備があるのは調査済みだ。まあ、マンホールのようなものがあると思えばいい」
「り」
「……あん?」
「了解の『り』」
ああそうですか。
「……ぷあっ」
「おい。口布は外すな」
「ぅむっ!」
排水設備から倉庫の中に入った途端、口布を外そうとしたイブの手を止めて再びつけさせる。
「このあと、俺がいいと言うまで帽子も口布も外すな。これは命令だ」
「……り」
……それ気に入ってるのか?
まあ、ちゃんと仕事モードの目になったからいいか。
「……ん?」
倉庫の入口で話し声がする。
どうやら二組の組織が落ち合ったらしい。
倉庫の中は真っ暗だが、そもそも下水道自体が薄暗かったから目はとっくに慣れている。
「……イブ。ここからは会話はなしだ。やつらを始末するまではハンドサインのみでコミュニケーションを取る。いいな」
「……」
イブはぐっと親指を立ててみせた。
……『り』の代わりのつもりだろうか。
「……!」
倉庫の扉が開く。
月明かりと周囲のライトで扉の形に倉庫の中が切り取られる。
倉庫は意外と広い。
長方形で、そこここにコンテナが置かれていて目隠しも多く、囲いで作られた小さな部屋まである。
俺とイブは入口から少し離れたコンテナに身を潜めていた。
外の方が明るいから入ってきた連中の顔は見えない。だが、シルエットで人数は分かる。
全部で10人。
もうひとりはやはり身を隠しているようだ。
「おい! 明かりをつけろ!」
「!」
ひとりの男の声を聞いてすぐにイブにサインを送る。暗闇だが、イブなら判別できるだろう。
『明かりがつくから目をつぶれ。ゆっくり慣らせろ』
「……」
そうサインを送ると、イブは再び親指を立てて目をつぶった。
まあ、俺はそんなことしなくても平気だけどな。
少しして倉庫の電気がつけられ、中が一気に明るくなる。ライトを直視しなければ目が眩んだりはしない。
イブの方をチラリと見ると、もう目を開けて連中を確認していた。
気配の消し方も潜み方も問題ない。
これなら今は口うるさく言わなくても、ある程度は任せてあとで講義した方がいいだろう。
外の特安の連中はやはり動く気配はない。
取引連中がやられだしたら入ってくるのか、あるいはまだ俺が来てないと見ているのか、もしくは俺が仕事を終えて出てくるのを待っているのか。
特安なら、最後を選びそうだな。
やつらは国の安全を脅かすような輩を人と思っていない。取引連中など本当に俺を誘き出すためだけのエサとしか思っていないのだろう。
「……?」
イブが俺の肩を叩いた。
目を向けると、イブが『行く?』とサインを送ってきた。
連中の方を見ると、お互いに大きなスーツケースを何個も抱えていた。
片方は金だろう。
もう片方は、武器かクスリか。
いずれにせよ持っているだけで逮捕されるようなブツだろう。
一応、あとでリザにあの組織連中について調べてもらうか。
あの量の何かが動くときは、決まって何か大きなことが起こるからな。必要とあらば特安にリークしてやるとするか。
ま、もう調べてると思うが。
「……」
「……?」
俺が『まだだ』と送ると、イブは首をかしげた。やるならさっさとやりたいのだろう。
だが、期を仕損じれば騒ぎになる。
特に今回は外の特安のやつらに気付かれることなく連中を始末したい。
方法はふたつ。
叫び声を上げる暇さえなく連中を一気にまとめて始末するか。静かに、ひとりずつ確実に仕留めるか、だ。
だが、ふたりがかりとはいえ10人は多い。サイレンサーをつけても外に発射音が漏れる可能性があるから銃は使えない。銃なしで、かつ相手に銃を使わせることなく10人を同時に仕留めるのは難しい。
そうなると、やはりひとりずつ静かに消していくしかない。
……まずは連中の分断か。
さて、どうするかな。
「そっちのブツはどこだ!」
「!」
どちらもスーツケースを何個も抱えていたように見えたが、どうやら人数が多い方がもう片方に渡している途中だったようだ。
人数が少ない方の組織は取引のブツを持ってきていないのか?
「……倉庫の奥にあらかじめ置いておいた。
取りに行くから待っていてくれ」
「!」
「待て! 俺たちも同行する!」
「……」
人数が少ない方の組織は倉庫の後方にブツを隠してあるという。
これは好都合だ。
人数が多い方のグループは7人中2人がついていくようだ。しかも下っぱっぽい2人だ。相手は3人全員が行くと言うのに。
どうやら、大人数で来た方はあまり頭が良くないらしい。
待っている連中はただ突っ立っているつもりなのだろうか。これでは、ブツを隠している方はいつでも裏切って連中を皆殺しにできるな。
まあ、そんなつもりはないのかもしれないが。
とはいえ、こちらとしてはありがたい。
戦力を分けてくれるのなら各個撃破しやすくなる。
「……」
俺はイブにサインを送る。
『奥に行く連中はおまえがやれ。俺は待機組をやる』
「……」
イブは軽くアゴを引いて頷いてみせた。
もう余計な挙動さえ見せない。集中している証拠だ。
相手は5人だが、イブなら不意をつけば何とかするだろう。
おそらく戦闘能力で言えばイブが相手をする連中の方が上だろう。ブツを隠していた方の組織はそこそこレベルが高い。
イブもそれは理解しているだろうから、まず厄介なそっちから始末するだろう。
「……こっちだ」
「……」
連中が歩き出すとイブは静かに動いた。
連中の足音に紛れるように、合わせるように動く。
このあたりの基本はよく仕込まれている。
おそらく、こんな取引に顔を出してくるような連中相手ならイブは負けないだろう。
それぐらい既にこいつのポテンシャルは高い。
「……んじゃー、俺たちはしばらく待機だな」
「!」
待っている連中は姿勢を崩し、中には床に座る者までいた。
やはりこの連中はバカだ。
特安どころか、潜んでいるもうひとりにすら気付いていない。
俺がこっちの連中を引き受けたのは、別に手強い方をイブに押し付けたわけではなく、潜んでいるもうひとりを警戒してのことだ。
おそらくイブでさえ気付いていないほどの手練れ。だが、出張っていないところを見ると、おそらく雇われたプロ。
依頼内容は分からないが、出来ることなら直接戦闘は避けたいところだ。
そのあたりの塩梅はまだイブには難しいだろう。
予想通りの想定外には、俺が対処するとしよう。
おまけ
「ふたりは、今ごろ倉庫に侵入してる頃かしら……」
自宅で無数に集まる情報を整理しながら、リザはジョセフとイブのことを思い浮かべる。
「……イブちゃん大丈夫かな。ジョセフに無茶させられてなきゃいいけど……あ」
リザは思い立ったように席を離れ、冷蔵庫を開けた。
そこには大量のパンケーキの材料が買いだめしてあった。
「……ふふふ。帰ってきたら、またいっぱいパンケーキ焼いてあげよ。ジョセフも、なんだかんだ私の焼いたパンケーキけっこう好きなのよね」
リザはふたりが取り合いしながらパンケーキを頬張る姿を思い出して、満足げに冷蔵庫を閉めた。
「……だから、ふたりとも無事に、ちゃんと帰ってきてね」
リザが窓の外を見上げると、銀狼の瞳のような半月が夜空に輝いていた。