10.イブさん、ムカつく。そして、新たな依頼へ
「……5、6、7、」
目を閉じ、数を数える。
目を閉じていても気配は追えるが、今回はそんなことはしない。
今回の目的は隠密と策敵。
鬼側は隠れている相手を見つけるのが任務。
実際の仕事の時にもターゲットを見つけ出して始末することはある。
追う側、探す側として注意しないといけないことは鬼は決して有利でも万能でも最強でもないということだ。
所詮は同じ人間同士。
それこそ、本来ならば迎え撃つ立場である追われる者の方が圧倒的に有利なのだ。
もしかしたら隠れている所以外にはトラップが仕掛けられているかもしれない。
相手が銃やナイフなどの武器を持っているかもしれない。
最悪、爆発物を持っていて、見つかったら自爆するつもりかもしれない。
あるいは仲間がいて、逆に自分が包囲されるかもしれない。
追い詰められたネズミは何をするか分からない。
だからこそ追う側は慎重に慎重を重ねながら、素早く確実に、出来ることなら相手に気付かれることなくターゲットを捕捉しなければならない。
「……8、9、」
今回はそんな状況を想定しているため、俺は視覚と同時に聴覚や嗅覚も極力抑えた。
俺が数を数えると同時にイブがこの場を動いたことは分かったが、その後の動向は一切把握していない。
数え終わり目を開けたら、一からイブを探すのだ。
「……10」
数え終わり目を開ける。
今日は天気が良いから少しだけ眩しく感じるが、それもすぐに慣れる。
「……」
周りを見回す。
どうやらうまく隠れたようだ。
全開で気配を探ればおそらくすぐにイブの居場所は分かるが、それではイブの参考にはならない。
俺は教える立場として、探す側の動きもイブに示していかなければならない。
「……ふむ」
足跡はなし。
きちんと風下に逃げてるから匂いもなし。
だが、さっきまでいたところにだけ足跡が強く残っている。
「これは……上か」
見上げると、しなった木の枝があった。この太さなら、イブの体重を支えるには十分だろう。
この木は目を閉じる前に『視て』おいた。
そのときよりも枝についている葉の数が少ない。
イブは開始位置から垂直に跳躍し、あの枝につかまって移動したのは間違いない。
「まあ、まずは及第点か」
さて、次はそこからどう動いたかだが……。
「……!」
ああ。そういうことか。
イブらしいな。
俺はそこでイブの狙いに気が付く。
気が付かざるを得なかった、と言った方が正しいか。
感覚を抑えていても嫌でもそれを感じ取ってしまった。これはあとで反省させないとだな。
「……イブなら跳躍時に足跡を残さずに跳ぶことも出来たはずだ。軽いからな。
なのに、あえて足跡を残した。上へ逃げたと印象付けた。
それはなぜか……」
俺はナイフを抜いて振り向く。
「あ」
「俺の視線と意識を上に誘導するため、だろ?」
そして、俺の背後の繁みから姿勢を低くして現れたイブの一閃を受け止める。
キィン! という金属音が山に響いた。
「はい、アウト」
俺はナイフで鍔迫り合いをしたまま、もう片方の手でイブの頭を掴んだ。
鬼側は相手の体を掴めば勝ち。
これで俺の勝ちだ。
「くそー」
イブは悔しそうにナイフを引っ込める。
「おまえのことだから反撃ルールを設けると必ず奇をてらって乗ってくると思ったよ。
発想自体は悪くないが、手の内を知っている相手に能力を低く見せることは難しい。おまえが足跡を残さずに跳躍することぐらい出来るのは分かっている。
それに来る直前に殺気を漏らせば嫌でも気が付く。勘のいい奴なら一般人でも気付く奴はいるぞ」
「むー」
イブはむくれながらも自分の中できちんと反省しているようだった。
一度した失敗は二度としない。
イブには初めからその考え方が身に付いている。おそらく命がけで叩き込まれたのだろう。
「よし。では交代だ。
次は俺が逃げるからおまえが見つけろ」
「ほーい」
まだ反省し終わっていなかったようだが、俺が言えばイブはすぐに次に意識を切り替えた。
「いーち、にーい……」
「……」
イブが目を閉じて数を数えだした。
ご丁寧に両手で耳も抑えている。
イブは別に視覚以外の感覚を遮断しなくても良かったのだが、どうやら俺と同じ条件で探したいようだ。
まだ口がむくれているからムカついているのだろう。
「よーん、ごーぉ……」
それならそれで、そうしたことを後悔させてやるとしよう。
俺は移動を開始し、その場から消えた。
「……パス。パス。保留。パス。要相談」
その頃、リザは『銀狼』への依頼を選別していた。
椅子に座るリザの前には山のような書類が机の上に積み上がっていた。
銀狼への依頼の仕方はさまざまあるが、その最たるものはリザを窓口とするものだ。
だが、リザは裏の世界でこそ情報屋としてそれなりに知られているが、銀狼への窓口であることを知る者は裏の世界でもほとんどいない。
なぜなら依頼人は窓口であるリザにさえ直接会うことはないからだ。
銀狼に依頼をしたい者はさまざまな人やモノを経由してリザに連絡を取り依頼をする。
複雑な依頼方法に莫大な依頼料。
それでもなお、銀狼への依頼が途絶えることはない。
それはどんな困難な依頼でも確実に遂行してくれるからだろう。
金を払わなかったり渋ったり、ましてや裏切ったりすれば依頼人自体が始末されるというリスクはあるが、それでも金さえ払えば確実に依頼をこなしてくれるというので、殺しの依頼に銀狼を使いたいという者は多いのだ。とりわけ、カネと権力を持っているものほど。
むしろ、そういった者からすれば裏切ったりしなければ自分たちのことを深く調べたり、直接接触したりしなくていい銀狼は重宝すべき存在なのだろう。
とはいえ、やはり裏稼業である以上、いろいろな依頼がやってくる。
リザは銀狼が示した依頼の受注ラインに従って、やってきた依頼を銀狼に通すかどうかを事前に選別しているのだ。
「……パス。パス。……ん?」
書類を次々にむくるリザはある依頼に目をとめる。
「これは……」
そこに書かれた依頼はリザの手を止めるのに十分な内容だった。
「……ちょっと、早めの相談が必要ね」
リザはそう言うと上着を手に立ち上がった。
「……あいつの出方次第では調査しないとかしらね」
そう静かに呟いてから、リザは銀狼の家へと向かった。
「はーち、きゅー、じゅう!」
イブは目を開ける。
何回か目をパチパチとさせると、周りをキョロキョロと見回した。
「んー、近くにはいない。足跡も、ない」
軽く周囲を確認したあと、ジョセフがいた場所を確認する。
「……足跡。上」
その場だけに強く残った足跡から、イブはジョセフが自分と同じように跳躍したと結論付けた。
「……あのやろう」
イブは自分の真似をしてみせたジョセフにムカついたが、自分がした行動のその後の正解を示そうとしていることも理解できたので、我慢して再び捜索を開始した。
「……」
後ろを振り向いて気配を探っても何も感じない。
ジョセフなら自分に感じ取れないほど完璧に気配を消せるかもしれないが、そこまで自分と同じ手は使ってこないだろうと結論付けると、イブは軽く膝を曲げた。
「よっ」
そして、ピョンと飛び上がると、しなっていた枝につかまる。
ジョセフの痕跡を追うことにしたのだ。
「……ここにも足跡」
身軽に枝の上に乗ると、そこにもやはり足跡があった。
「力の入れ方からして、あっち」
爪先方向に強く足跡が残っていることから、ここから前方に向けて跳んだと判断したイブは同じように枝を蹴って跳ぶ。
足跡と同じぐらいの足跡が残る程度の力で跳躍すれば、自分もまたジョセフと同じ場所に跳べる。
イブは跳んだ先にある枝に着地する。
「……むう。何もない」
だが、そこには何の形跡も残っていなかった。
「……」
イブにはそれが本当に何もないのか、あるいは消されているのかを判断することが出来なかった。
「……」
イブは仕方なく先ほどの枝に戻り、今度は足跡と反対方向に跳んでみせた。
わざと爪先側に力がかかるようにして後方に跳ぶと、先ほどよりも飛距離が出なかったが、ちょうど着地地点に同じようにしなだれた枝があり、イブはそこに着地した。
「……足跡、はない。けど、何かが擦れた跡がある」
それは3センチ弱の擦過跡。
枝をぐるりと一周している。
「……ベルト?」
イブはそれがベルトを使ったものだと判断した。
ターザンの要領で飛距離を稼いだのだろうか。
「……むう」
イブは今日は細身のパンツだったが、ベルトはつけていなかった。ズボンのサイズがちょうど良かったのでベルトは必要なかったのだ。
イブは自分では同じ飛距離を跳べないと分かり、後を追えなくなったことを理解した。
「……とりあえず、探せるだけ探すしかない」
イブは仕方なく、予想される跳躍地点をしらみ潰しに探して回った。
しかし、最大飛距離を跳ぶ必要もなく、途中で降りて地上を隠れながら逃げた可能性もあり、この広い山のなかを何の痕跡もなく探し回るのは不可能に近かった。
そして……。
ピピピピピピ!!
「むう」
制限時間終了のアラームの音が響いた。
イブは音のする方向へと急ぐ。
「……あのやろう」
イブはジョセフの居場所を悟り、嫌な顔をする。
そこはスタート地点の真上だった。
真上の枝の、さらに上。
その木のてっぺんに、ジョセフはいた。
アラームを止めたジョセフが地上に降りてくる。
「ベルトを使ったことに気が付いたのは良かった。だが、俺はそこからベルトを使って再び同じ木の、さらに上の枝に戻っていたんだ。ベルトは飛躍力を出すためと、足跡から跳んだ方向を割り出させないためだな。
人は一度探したところを再び探すことをあまりしない。ましてや30分という制限と山一帯という広いフィールド内ではなおさらな。
さらに、最初におまえと同じ方法を取ったことで、おまえは真上に跳躍したあと、俺が自分と同じように他の木から木へと移動していったと考えた。
まんまと思考の盲点を突かれたわけだ」
「……むう」
「常にあらゆる可能性を考慮しろ。現実は得てして考えてもみないことが当たり前の顔してやってくる。
事前調査で完璧な状態にして家に侵入したら家族構成の調査で警官がいたりな。
起こってほしくないときに限って起こってほしくないことが起こるものだ。
思考の盲点を突かれて思考を停止することだけはするな。それさえ狙われている可能性もある。
常にあらゆる可能性を考慮し、先を先を考えるんだ」
「……むう。わかった」
イブはこくりと頷く。
極論のような気もするが正論でもあるその教えは、最強の殺し屋として君臨し続ける銀狼の言葉だからこそ説得力があった。
イブはそれを自分のなかに落とし込んだ。
二度と同じ失敗はしない。
そうしないと、死ぬのは自分だから。
そんな思いを胸に、イブは心持ちを新たにした。
「……よし。次だ」
そうして、再び攻守交代となった。
「……はっ、はっ」
何回か交代しながらやってきたが、そろそろイブの体力が限界か。
上から切った枝が降ってくる罠にはめたり、地中に隠れたりと、いろいろなパターンは見せられたか。
結局、イブは俺を捕まえることは出来なかったし、俺から逃げることは出来なかったが、今の自分と俺との実力差や、自分に足りないものを自覚し、無かった考え方を身に付けられたのなら御の字だろう。
「……よし。じゃあ、次が最後だ」
「!」
俺がそう言うと、肩で息をしていたイブが姿勢を正す。
「おまえが鬼だな。では、開始」
「……いーち、にーぃ……」
イブが目を閉じて数を数える。
「……きゅーう、じゅー」
そして、イブが目を開ける。
「……どういうつもり?」
開始位置から動いていない俺にイブが訝しげな顔を向ける。
俺はそんなイブに、手のひらを上にして指先を向けた。こいこいと2回ほど指を折り曲げてやれば、イブはそれが挑発だとすぐに理解する。
「鬼は掴めば勝ち。こちらは組み伏せれば勝ち。
ハンデが足りないか?」
「……このやろう」
そして、イブは俺に向かって全力でダッシュしてきた。
「やれやれ。なんで結局、毎回俺がおぶってやらなきゃなんないんだ」
訓練が終わるとイブはやはり自力で動けなくなっており、仕方なく俺が背負って帰宅することになった。
「……むう。あんな落とし穴。いつの間に掘ってたの」
頭に土や葉っぱがついたイブがむくれながら尋ねてくる。
最後、俺に向かってきたイブはあらかじめ俺が掘っておいた落とし穴に落ちたのだ。
「おまえから逃げてるときや追いかけてるときにコツコツとな。終了地点が次の開始地点だからな。あの場所を最後の開始位置にするのはそう難しくなかった」
「むう。ずるい」
「言っただろ? 思考を止めるなと。
安い挑発に乗って罠の可能性を捨てたおまえが悪い。訓練中に罠も見せて、その可能性を示唆していたというのに。
すべては最後のための伏線でもあったわけだ。流れを掌握して自分の望む結末に向けて着々と進めるのも殺し屋には必要な要素だ」
「……むう。わかった」
むくれてはいるが、納得はしているようだ。
殺し屋は駒にされやすい。
大局を見誤れば。自分が流れのための駒だと気付けなければすぐに捨て駒になる。
自分がそこにいる意味を。それをする意味を考えなければ生き残れない。
世の中、頭の良い連中は多いからな。
自分の意思でやっていると思っている行動でさえ、誰かの狙い通りに動かされていることもある。
自分が考えているように、誰かもまた考えているのだ。
その誰かは自分にどう動いてほしいと思っているのか、どう動けばそいつにとって都合がいいのか。それを常に考えながら動かなければ都合の良いように使われるだけだ。
「ま、とはいえ、今日はとりあえずさっさと風呂に入って寝ろ。休養も殺し屋には大事だ」
家の前に着いてそう言うと、イブの腹の虫が鳴った。
「ん。でもご飯。まずはご飯。私の胃袋はパンケーキをご所望」
「はいはい。せめて風呂には先に入れ……」
と、思ったが、ドアに手をかけたところで気が付く。
「……イブ。パンケーキ要員が来てるぞ。先に風呂に入ってからだけどな」
「やた。パンケーキがばいんばいんを連れてきた」
「……逆な」
おまえはそいつに会いたいんじゃなくて、そいつが持ってくるパンケーキに会いたいだけだろ。
「おかえり~。パンケーキ焼けてるわよ~」
ドアを開けると、リザがエプロンをつけてパンケーキを大量に焼いていた。
エプロンからばいんばいんがばいんばいんしてしまいそうな格好をしていることには突っ込まないでおこう。
「わーい! パンケーキきたー!」
「あ、おいっ! 先に風呂っ!」
「うまっうまっうまっ!」
もう食ってやがる。
「あらあら。イブちゃん泥だらけじゃない。あとでちゃんと髪もケアしてあげなきゃね」
リザが手を止めてイブの頭についた葉っぱを取る。
「……で? なんの用だ?」
「ん? これ」
俺が尋ねるとリザは1枚の書類を差し出した。
「新しい依頼か?」
いつもはいくつか提示してきて、そこから俺が選ぶのだが、確定で渡してくるのは珍しいな。
そう思って渡された書類に目を落とす。
「……これは」
だが、書類の内容を見てすぐに理解する。
リザは俺に相談が必要だと判断してこれを持ってきたのだ。
「……どう思う?」
「……ふむ。まあ、リザの考えてる通りだろうな」
「……やっぱりね。
どうする? お門違いだって断ることも出来るけど」
「……そうだな」
俺は顎に手を当ててしばらく考えたあと、顔をあげてイブの方を見た。
「……イブ」
「んあ?」
声をかけると、イブは口いっぱいにパンケーキを頬張ったままこちらを振り向いた。
……どう食ったら頭にクリームがつくんだ? むしろ先に食わせて正解だったか。
「……この依頼。おまえも一緒に来い」
「!」
「ちょっと!」
俺がそう言うと、イブもリザも驚いた表情を見せる。
「結局はいくら訓練を積んでも実戦がなければ真の成長は得られない。この依頼は今のおまえにちょうどいいだろう。
これは命令だ。いいな」
「……ん」
俺が命令だと言えば、イブはパンケーキをごくりと飲み込んで頷いた。
「……何か、考えがあるのね?」
「まあな。大きな流れに飲み込まれないようにするにはいくつか方法がある。
今回はその中のひとつを披露しようと思ってな」
依頼人には、こんな馬鹿げた依頼をしてきたことを後悔させてやらないといけないからな。
おまけ
「ばいんばいんばいんばいんばいんばいん……」
「ほら、イブちゃん。頭流すからいつまでも人の胸で遊ばないの」
「わぷぷ」
「よっし。キレイになった」
「ばいんばいんばいんばいんばいんばいん」
「もー、また?」
……せめて聞こえないようにやってくれ。
「ジョセフもする?」
「しないわ!」
「私は気にしないわよ?」
「いや、しろよ」
「私も気にしないわよー」
ああそうですか。
「そうだイブちゃん。あのまな板女とだけは一緒にお風呂入っちゃダメよ。何されるか分からないからね」
「ん。それはなんか本能で理解してる」
それに関しては全面的に同意する。
「くしゅっ!」
「管理官、風邪ですか?」
「……いや、これはあいつらが私の悪口言ってるわね」
「……くしゃみで個人を特定できるんですか? 怖いですね」