「翼を失った鷲」
強い権力を与えられた人間と力を持たない人間が、狭い空間で常に一緒にいると、次第に理性の歯止めが利かなくなり、暴走してしまう。
ースタンフォードの監獄実験よりー
私はバーのカウンターで潰れていた。既にまともに立てなくなるほど酔いが回っていた。まるで夕陽に照らされたかのように顔を真っ赤にしていたが、それでも尚、飲酒とオーダーを止めようとしなかった。これ以上は身体を壊してしまう可能性が高い。そんな事は分かっている。足も既に震えだしており、止めようにも止まらない。顔も火照っており、目眩もすれば、頭も痛い。身体全体が自分自身に、一生懸命危険信号を発していると言うのに、喉から歪な手が出ており、それをカクテルグラスに伸ばしている。飲まずにはいられない。頼んでは一気に飲み干し、再び頼んではそれを飲み干す。私の飲み方は、そのお洒落なバーには似つかわしくない、豪快で危険なものであった。
「何故だ……何故私がこんな……」
私は他の客を気にせず、飲み干すたびにそのような言葉を息を吐くように呟いていた。バーテンダーの男は、学生時代からの古い友人である。そして今はこの店の常連客である私に対し、哀れみの目を向けていた。
「羽山さん、今日はもう帰られた方が……」
「……酒を飲んで……全部忘れたいんだ」
私は今にも倒れそうな顔でそう言い、注文した。
「なんでもいい……君に任せる」
「……畏まりました」
常連とはいえ私は客で、彼は店員。客の注文を否定するわけにもいかず、男は苦く暗い表情で、黙ってカクテルを作った。シェイカーにウォッカ、コアントロー、ライムジュースを入れ、シェイクする。それを冷えたグラスに注ぎ、音を出さず、静かに私の元へ置いた。流れるような動きが、最早芸術の領域に達している。長年経験を積んできた証拠だろう。
「お待たせしました。カミカゼです」
今度は一気飲みせず、ゆっくり一口飲み、一言吐いた。
「……どこで、間違えた……」
私は日本でも注目されている大企業の経営者であった。主に電気機器を製造している会社であり、その会社の製品となれば誰もが欲しがるものであった。
しかし、今となってはそれも過去のアルバムにしまわれたものだ。大空を飛ぶ鷲は、ある日突然翼を毟り取られ、地上へ堕ちていったのだ。
夜中の十二時になる頃、ようやく酒を飲む手が止まり、店を出た。泥酔して身体がふらついてまともに歩けない。今日は沢山飲んだ。特に飲みたいカクテルを指定する事もなく、全てバーテンダーにお任せで作ってもらった。ジントニックを四杯、ジンバックを二杯、ロングアイランドアイスティーを二杯、カミカゼを四杯。夢中で飲んでいたため、財布を気にしていなかった。これからこの状態で帰るのだ。
しかし、私の家は遠かった。財布の中を確認するが、残金はたったの百五十二円。ATMで下ろせばいいものの、酔いが回りすぎてそんな考えも出てこなかった。これではネットカフェに泊まることも、タクシーで帰ることも出来ない。ましてやこんな状態で、歩いて帰るなんて自殺行為に等しい。何処かでふらついて、車に轢かれるのが目に見えている。神様がいるなら、この際神様でも仏様でも構わない。イエスでもブッダでも、ムハンマドでも良い、救えるものならば、私を救って欲しいものだ。
「……絶望だ」
一先ず眠気覚ましに自動販売機で購入した缶コーヒーを一口飲んだ。十二月の半ばで寒空に震える上、あれだけ酒を飲んだ後に口にした温かいコーヒーは、全身に染み渡り、格別な味がした。
私は既に何も考えることが出来ず、気がつけば裏路地の地面に横たわり、放心していた。コーヒーも飲んで、眠気が覚めてしまい、夢の世界に逃げる事も出来ない。そんな時だ。
「大丈夫ですか?こんな所で寝たら、風邪ひきますよ?」
耳に響く、大人びた高い女性の声がした。天は私に、手を差し伸べてくれたのだろうか。私は少し興奮気味に、その声の方向へ目を向ける。しかしそこに立っていたのは、心配そうな顔で私を見つめる学生時代の後輩だった。