その4
「野宿した跡だな」
森と呼んで良いほどの木々が生茂る森林地帯に僅かにひらけた場所があった。
手付かずの泉が太陽を反射し強い光が眼に刺さる。
その眩しい光の噴水の傍らに焚き火をした痕跡を見つけた。
「こんなものを残すなど、余程余裕がなかったか」
アーロンは捜索隊の報告を受け自らこの場に向かった。
「まさか遠ざかるのではなくこんな近い場所に居たとはな……」
そこは先の魔獣討伐隊の戦闘地からは離れていたが、城下町であるベルンにむしろ近い場所だった。
「国外へ亡命するならば此処には立ち寄るまい。……となればその二人組について行ったと考えるのが筋か」
煤で黒く染まった土をじゃりっとひと撫でして、その指を見つめ、そして立ち上がる。
その姿は率いてきた革鎧の兵士達とは明らかに違った。銀色に光る全身鎧。
鉄製のそれは動き回るだけで相当な筋力が必要になるが、強靭な肉体を持つアーロンにとってなんの問題もない。
三男に生まれたお陰で外交からも内政からも外され、兄達に代わって戦場にばかり行かされて来た。
しかも武勲をいくら挙げようとも家の手柄であり、父の、兄達の評価を上げる手伝いにしかならない。
大陸の西側を支配しながら、未だその中心機構の多くが北方に位置するエールズにとっての最重要の戦争。
それは数十年続いた北方民族、デイン人との戦争だった。
アーロン自身、初陣から何度もこの戦いを経験し、死を覚悟した事も一度や二度では無い。
——だからだった。
遂にこの一戦でデイン人を全てこのエールズから撤退させられる、悲願の勝利を迎えんとしたその年。
戦争のせの字も知らぬくせに、この時とばかりに出しゃばって総大将・参謀の任に就き、安全な後方で本陣を構える兄達の情報をデインに流したのは……。
かくて甘い汁を吸うだけの名ばかりの本陣は予想外の奇襲に壊滅し、本隊は予定通りデインとの戦に勝利。
アーロンは救国の英雄として凱旋したのだった。
だがアーロンは気付いていた。
凱旋の後に行われた戦没者追悼の式典での、父ダグラスの人殺しを見る目が、自分に向けられていた事を。
——兄達を誅殺し、そしてこのままでは父に殺されるに違いない事を。
「超人——数万人に一人とされる生まれながらに人を超越した存在……どれ程のものか……。しかし必ず我が配下に収めてみせる……!」
超人を従え、父がアーロンに手出しなど出来ないほどの大きな差をつける必要があるのだ。
そしてこの領地の、この国の最有力貴族となるのだ。
そう、どす黒い炎で心を灼くほどに、充実した気分に酔うことができた。
「バウマン!」
兵の一人を呼び寄せる。
「は。此処に」
「やれ」
「はっ!」
短い指示に答えその兵士——バウマンは両手を広げてゆっくりと歩きながら周囲の空間に触れてまわる。
——すると手をかざした空間にうっすらと人影のような光の歪みが生じる。
魔法——それはこの世界の人間であれば誰でもひとつは持つ、当たり前の力。
ただひとつの例外、最初から人の域を超えた超人を除けば——
「四人……いや、五人いるか?」
「恐らくは。この場所から気配があちらに向かって進んでおります。」
バウマンが見せた魔法、それは過去にその場所に居た人間の気配を辿って可視化するものである。
魔法といえば火の玉を飛ばす、岩を砕くというようなもの実はあまり存在しない。
戦闘で使えるものもなくは無いが、使い手は限られるし大掛かりなものほど日に何度も使えるものではない。
つまるところ、人は剣や槍などの武器をふるい、自らの血を流して戦うのが主流だ。
そのため戦場で重宝されるのは斥候や探知に役立つものが多い。
「超人は一人です。最も気配が濃いものが1つだけ。あとは全て常人の模様」
「よろしい。では全隊この森を出て騎乗!部隊を反転させ此処からベルンへと戻る!」
武人としてその身に染みついた号令を発する。
オオオォォォーーーー!!!
静寂を守っていた森に兵どもの声がこだまする。
森の静寂を破る人間の雄叫びに一斉に鳥達が羽ばた飛び立つ。
上へ上へと…
その中の一羽の白い鳥がそのまま群れを離れて森を貫くような切り立った岩山を、その頂上から落ちる細い滝の流れに逆らって虹を潜りながら垂直に上昇していく。
遂には滝の頂上に到達し、羽を休めようとゆっくり旋回しながら宿木を見定める。
そこは本来天空の支配者たる小型飛行動物の安全地帯のはずだった。
——が、
「おーおー、息巻いてるねー。おっそろしー」
そこには別の大型生物の存在があった。
「人間って何でこう、どこに行っても戦争好きなのかねえ……」
それは昨夜あの眼下の森にいた動物だったが、彼には(彼女には?)その記憶を正確に思い出させる知能はなかった。
ただそれが起こした火によって煙という危険を察知した記憶が、彼の脳の何処かに残っており、要警戒の生物であるという意識が働いた。
そうして気付かれぬよう慎重に降りる場所を変え、旋回しながら頂上を離れてゆく。
そうして岩山の中腹に丁度いい窪みを見つけてそこに降り立った。
鳥は遠く離れた自分の群れを見つめ、いつしか生物のことはまた忘れた。
——人の歴史はどこでだってそうさ。私は様々な世界と様々な宇宙をもう随分と観たけれど、一度の争いも無い地というのはどうやら存在しないらしい——
「それってさ、宇宙人とかも観たって事か?」
男は腹這いの姿勢で誰かと会話するかのように一人で喋っている。
男の周囲には誰も居ない。人影も何も存在しない。
当然、応える者も——
——宇宙人と言っても色々だよ。私のように1の者も居れば、君のように数千億の者も居た——
「ウチそんなに居ないっすわ。70億人くらいだったかな……」
男はずっと腹這いで動かず、ただ構えて独り言を言っていた。
対物狙撃ライフル——
つまりそれは熱光線を発射した武器であり、持ち主であるタケルだった。
両の眼を開き、右眼は銃のスコープ部分を覗いている。
スコープで見える景色はと言えば、アーロンの捜索隊なのだが。
「でもそっか。宇宙人はいるんだ……。はははー……」
——あまり感情に変化が見られないね。未知との出会いに期待していないのかい?——
スコープの先のアーロン部隊が森を出て行くために列をなしているのが見える。
左眼には群れからはぐれた一羽の白い鳥が群れの元へ帰っていく姿が。
「未知との遭遇ばかりだからな。あんたとも、この世界の何もかもも——」
驚くべき事に、タケルは何らかの存在と会話をしている。
幻聴や精神分裂の類ではない。その瞳にはしっかりとした自我が見て取れる。
——だが驚くほどに君は順応している。実は全く期待はしていなかったのだけれど、あらゆる点で想定以上に対処できている——
「進み過ぎた科学は魔法と変わらない……か」
時折崖の下から吹き上がってくる強風に衣服の袖と、元は綺麗に整髪されていたらしいやや長くなってしまった黒髪は乱雑に揺らされながら、しかしピタリと銃身は固定され、まるでそこに一個の物体として存在するかのようだ。
「俺の生まれた世界じゃあ、ちょっとした魔法ひとつで世の中ひっくり返る様な大騒ぎになってただろうに……」
タケルの瞳には捜索隊が森を抜けて騎乗する姿が映る。さすがにここからでは音までは聴こえないが。
——空飛ぶ車も光線銃も魔法と区別はつかないだろうね——
「だと良いんだが……。どうもこっちの魔法って奇跡が薄味なんだよなあ」
——力を持つ言葉……呪文を唱えてヒトの身でヒト以上の奇跡を起こすというのを期待していたのだとしたらそれは残念だったね。何事にも自然界のルールというものがある。ヒト以上の奇跡を起こすならば、ヒトでは到底及ばない存在が別のルールを提示する事が必要不可欠になる——
「つまり神や悪魔みたいなもんが顕在する世界……か。動いた——」
スコープから見える視界の先で捜索隊の軍馬が土煙を上げて走り出す。
馬の嘶き、蹄鉄。当然、もう距離が離れすぎていて音など何も聴こえない。
しかしそれを目にするタケルには、耳の奥で空気の震えが伝わるような錯覚さえ感じる。
森を迂回し城下町へのルートを先回りしようとしているのだろう。
城下町へ向かっていると読まれたからには、連中の標的がピーターだけとは考え難い。
彼の協力者、つまりは自分達一行も造反者に与する者として狙われていると考えた方が無難であろう。
「頼むぜ、兄弟——」
スコープから目を離し、腹這いから膝を曲げて上体を起こし、森の終着点を見据える。
日射しは更に強さを増し風に揺れる森の緑を色濃くしている。
群れから逸れた一羽の白い鳥が眼下の森に上から直線でも引くように真っ直ぐ飛行している。
行先は森の終着点に近い外れの方だ。そこに群れが集まっている事を彼(彼女?)は本能で知っている。
森の外では馬が列をなして駆ける姿がある。どうやら目的地は近いようだが、大空を行く者にとってそれは警戒するに値しない程度の事である。
故に本能の赴くままに群れとの合流を優先する。馬の一群をはるか後方に置き去りにして、更に速度を上げる。
「オヤジはもっと離れた場所がいいのう。万が一が許されんのは毎度の事だが、野盗と違って武装した正規兵ともなればいつもより警戒はしておかんとのう」
タルフの野太い声が森に響く。
「とは言え、デイン人の海賊ごときに何十年を費やした凡兵ばかりのようだがな!」
ガハハと乱雑に嗤う。人里離れた静かなはずの森がこの巨漢一人で台無しになっているなどとは一切気にならないのだろう。
「タルフどの、一人で正規軍を迎え撃つなど……!」
分厚い森の枝葉から溢れる木漏れ日で視界こそ十分なものの、薄暗い事に変わりないこの森でどれほど戦えるのか弓使いのピーターには想像が出来ていないようだった。
「問題ない!俺はお前が思う五倍は強いんでな!」
隆起した筋肉を更に隆起させる姿勢をとって凄んで見せる。
ヒトではなく羆に見えなくもない。
「しかし——」
「タケルがタルフ一人でと言えば一人なのです。勝算あっての事です。ご心配めされるな」
ピーターを遮ったのはアタハンだった。
——否、声がするが姿はない。
「っ……アタハン老師……」
ピーターは首を上に曲げて頭上に浮かぶ鉄の箱に向かって返事をした。