その1
テスト連盟盟主にテスト公開しています
荒野に魔獣の地鳴りの如き咆哮が轟く。
黒い毛に覆われた巨躯は馬の何倍も大きく脚は巨木のようで、白い爪や牙は鋭く獰猛さを表している。
「陣形そのままを維持!槍構えー!」
頭蓋まで震わせるほどの振動に戦慄を覚えながら圧倒されまいと人間の号令が響く。
鉄製の甲冑に身を包んだ人間の集団が魔獣の間合いの外を取り囲み、その後方には軍馬に引かれた木製の戦車が待機している。
それは実に一個小隊と言える人数と装備ではあるが、怪物を相手にするには戦力が明らかに不足していた。
更に遠方、戦闘が豆粒に見える程の距離に2人の人影があった。
「あれはまずいのぅ。下手すりゃ全滅するかも知れん」
人影のうち1人、人間にしておくには惜しいほどの筋骨隆々な巨漢が短く刈った顎髭をさすって呟く。
もう一方、こちらも単体で見れば体格には恵まれているのにすぐ隣にいる筋肉発達巨人せいでマッチ棒にしか見えない黒髪の男は黙々と武器の支度をしている。
「やる気だのう」
そんな相方の姿勢に筋肉達磨は満足そうにニヤリと口元を歪める。その口元から目尻にかけて存在する大きな古傷も一緒に喜んでいる様に見えた。
「……正直に言えばあんなのに喧嘩売るのは怖いさ」
黒髪は手早く戦闘準備をしながらそれを咎めるように釘を刺す。
「だがお前は逃げん。弱者を見捨てやせんしいつだってやり遂げる男だ」
まるで自慢するように上機嫌で言葉を返す。
「いいや、お前に比べて俺は弱いんだ。一撃で仕留められなかったら守ってくれるんだよな?」
言って、すうっと息を吸い込み、止めて、武器を構える。
それは前方で槍や石弓で戦う兵士達とは全く次元が異なる武器だった。
――銃。
それも身の丈をゆうに超える長さの砲身を持つ、鉄鋼さえ貫ぬく対物狙撃ライフル。
――に、似た何か。
鉄とも銀とも違う材質で出来たそれは砲身から地面に伸びた二本の脚を支点に男が支える事でぴたりと固定され真っ直ぐ魔獣の方を向いている。
これを支えるのだから比較的細く見えるこの男も並みの筋力ではない。
完全に動きを静止する男の隣で大男は勇ましく応える。
「任せろ。あのバケモンがどれほど強かろうと竜よりは弱いだろう。俺は竜の一撃を受けきった男だ!」
そうして左右の腰に下げられた鉄塊――もとい大男の身体に合わせてしつらえたような二振りの短刀(常人が持てば戦斧のような長大さ)を逆手持ちで鞘から抜く。
一方最前線では一進一退の膠着状態が動こうとしていた。
取り囲んでいた兵士の数名が迂闊にも魔獣の尾の間合いに入ってしまい、弾き飛ばされたのだ。
木偶人形の様に精気なく空中に浮かび落下する仲間の姿を前に、誰もが自身の生命の危機を悟る。
対して魔獣は一定の距離を保って槍で突いてくるこの鬱陶しい人間共が自分より遥かに脆く、弱い存在だと認識したのだ。
急激に全身を激しく揺らし見境なく蹴散らそうと暴れ出す。
包囲は欠壊し、惨殺と全滅、誰の脳裏にも終わりの始まりが見えかけたその時だった。
空気を切り裂く様な閃光が魔獣の右前脚、その付け根を焼き貫いた。遅れて薄い金属の板を割る様な高音が兵達の耳を襲う。
「ぐあっ」
「ヒィッ!」
各々、痛めた耳を今さら庇う様に両手で塞ぎながら何が起きたのか戦場を見渡す。
ーーが、刹那の警戒の緩みが状況を更に悪くする。
予期せぬ深手を負わされた魔獣がかつて無い危機を逃れようと闇雲に暴れ始めたのだ。
「――ギャッ」
今誰か絶命したと思えるほど短く途切れた悲鳴が聴こえた。
「ピーター!ピーター!」
後方に陣取っていた戦車隊の中で誰かが叫ぶ。
「ピーター矢を放て!早く!」
声をかけられた金色短髪の青年兵――ピーターは完全に硬直していた。
兵士ピーターは北方エールズの出身である。
豪商ではないもののそれなりに財のある商家の三男に生まれ、幼い頃から文字の読み書きは勿論、算術など商人に必要なものから、馬術や剣術など商人の家系には縁遠い事まで習わせて貰った。
とりわけ弓矢は成長著しく、手始めに街の競技会の最優秀を総なめにするほどになり、あれよあれよという間に領主のお抱えになるまで僅か3年、15歳で十人長にまで出世した。
そんなピーターだが、性格には少しの問題があった。貴族程ではないものの上流家庭出身の彼には彼自身にも気付かない自尊心、プライドが存在した。
一か月時間を遡る。その日はエールズ王の名代の王族が領主である彼の主人を訪ねて来ていた。
十人長という立場では彼等が何の話をしたかまでは知り及ばないが、
最年少の十人長ともなればその後のティータイムの警護くらいは任せられる立場であった。
始めは王侯貴族の他愛のない雑談でしかなかったが、不幸な事にその席には王側の弓の名手が随伴していたのだ。
よくあるありふれた話だった。間を保たせるための家臣自慢が始まりどちらがより優れているかの競い合いになり、勝負をさせられ王側の弓手にピーターがあっさり勝ってしまった。といった具合だ。
こういった場合、勝負が拮抗するなら敢えて負けて王側に花を持たせるか、
或いは圧倒的に王側の実力が劣る場合、上手く引き分けに持ち込むのが処世術なのだが、
弓の才で成り上がったばかりのピーターには弓での勝負で譲る事など出来なかった。
そんな融通の効かなさとなって現れた彼のプライドはあろう事か主人が王族、ひいては王に恥をかかせるほどの圧倒的な差をつけて、実に涼しげに勝ってみせるという、暴挙に繋がったのだった。
そして今、彼が所属している隊は僅かな手勢でこんな死にに行くための危険な任務に就いている、という訳だ。
彼の主人はその場では彼を褒め、王側の弓手の実力も過大に評価して取り繕ったが、これは彼への処罰であり、今彼の目の前で魔獣に弾き飛ばされている何も知らない同僚達は落とし前に巻き込まれた不幸な人達なのだ。
ピーターが動けずにいるのは恐怖半分、後ろめたさ半分。
「おい!ピーター!牽制しろ!」
槍隊の悲痛な叫びが脳内でぐるぐる回る。
(ああ……牽制しなきゃ……全滅してしまう。でも……もう)
最早弓での牽制など意味がないほど怪物は接近してきている。弓隊であるピーターの十人隊は彼の傍らで泡を喰ってしまっている。ここで冷静に十人長として号令を出し、果敢に弓を射なければならなかったのに。
(死ぬなあ……これは)
まるで他人事のように抜け殻になったピーターの脇から巨大な物体が猛烈な勢いで戦場に乗り込んできた。
「ふがああああああああ!」
その物体はヒトだった。身の丈3メル(1メル=90cm)はあろうかという巨漢が弓隊に迫り来る魔獣の間に割って入り、更には獣のような雄叫びをあげながら魔獣の左前脚の爪の一撃を両手の短刀(…短刀?)で受けきる姿が目に飛び込んだ。
「な、なんとっ!」
誰かが頓狂な声で叫ぶ。
人間だが、人間のサイズでは無い見るからに荒くれがさらに大きい生物と対等に渡り合っている。
おとぎ話の世界に迷い込んだような目眩を誰しもが感じていた。
「ぬうううんっ!」
また掛け声一閃、なんと今度は魔獣の巨体を一気に押し戻した。
――――!
また、光線と遅れてやってくる怪奇音。
どすんと地面に落ちる魔獣の左前脚。3本脚になり、先に風穴を開けられた右前脚では支えきれず、
顎から地面に崩れ落ちる黒い魔獣。
それでもグルグルと喉を鳴らし凶悪な牙を覗かせる。
「弓ィィ放てェーー!」
気づけば号令を下したのは大男で、ピーターは反射的にそれに従い矢を放っていた。巨躯に相応しい大声量。
――弓の名手が石弓を持とうと、狙いは不思議と安定するものだ。
ピーターの放った矢は見事に魔獣の頭蓋目掛けて突き刺さる。
がしかし、浅い。
「次ィィー!戦車突撃ィィー!」
またしても仕切るのは大男だ。
――木製戦車。それは攻城戦で城門や戦場で大軍団を蹴散らすのに使用する杭や丸太を先端にしつらえた手押し車である。古の時代は馬に引かせて槍を持った人間が乗り込む馬車のようなものだったが、今や手押しで体当たりが主流で馬が引くのは戦場までだ。
「オオーー!」
不思議と全員の心は無心と言う名のひとつとなって戦車を突撃させる。
十数人で押した戦車が腹這いになった魔獣の動体に三ヶ所から激突し、そこから突き出した杭の先端が肉に刺さる。しかし、やはり浅い。
熊などの比ではないほど皮が分厚いのだ。
続いて槍兵が数人囲もうとした時、もう一人が現れた。
長身の男だった。2メルは超えているだろう。背中から身の丈を超す鉄製の棒のような長いものが見える。
右手には蛮刀だろうか?飾り気は全くないが、磨いた黒曜石のように輝く黒い直刀を持っている。
刃は薄そうだが、先端が四角い。突きにはあまり向かなそうな形がナタに近い。
だが何よりその男の容姿が目を引いた。
黒髪、黒目、薄茶色い肌。明らかに異民族だった。
「ふんっ!」
振り下ろされた右手の直刀はまだ抵抗しようとのたうつ魔獣の首をいともあっさり落としてしまう。
その場にいる誰もが息を飲む。
誰も声を発せないでいる。
「っ――」
胃を決しその静寂を遮ろうと、ピーターが何かを喋ろうと、意思疎通を図ろうとした矢先――
「他言無用。今見たものは全部忘れる事。」
異民族の男が告げる。鋭い眼光とは裏腹に、意外と優しそうな声だった。
「幸い誰も死んどらんようだ。怪我人連れて引き上げろ」
一時その存在を忘れていたが、巨漢の、魔獣と渡り合える目下一番恐ろしい男が口を開く。
全員がぎくりと緊張する。
あれほどの魔獣と接近戦をしておきながら、平然とした顔だ。
両手の短刀は腰の鞘に既に納め腕組みをしているが、その腕の筋肉の隆起が恐ろしい。
「て…撤収。帰還する」
どこか骨でも折れているのだろうか、三十人長である小隊長が弱々しい声を上げる。
「俺らも戻るか」
黒髪の男が大男に声をかける。
「おう!」
2人は短く言葉を交わし立ち去っていく。
帰還準備を始めた仲間達の気配を感じながら、ピーターの視線は去りゆく2人の背中から目が離せないでいた。