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雪かき姫

作者: XI

       ※※※


 旅行会社に勤めているおとんの北海道への転勤が決まった。新たな勤務地、それは札幌。住居はそのベッドタウンに決まった。おとんいわく「左遷やないぞ。よりよい商品を作るために現地に送り込まれんねんぞ。言わば、パイオニアっちゅうヤツや。力量を認められてるからこそ選ばれたんや」などという景気のいい話だった。だけど、いきなり一軒家を購入してしまうというのはいかがなものか。おとんってば完全に北海道に骨をうずめるつもりらしい。




       ※※※


 初めての転校の、のっけの部分は、まあ上手くいった。とはいえ、最初は大阪から来たということ、またそっちの方言を話すというだけで、まるで異星人扱いだった。アホっぽい奴は「なあ、おまえ、やっぱケンカはなまら強いんか?」などと訊いてくる。「まあ、それなりにな」とテキトーに答えておいた。ナメられるのはゆるせない。ナメるのだって嫌い。俺は俺の道を行く。




       ※※※


 あたりさわりがない、もっと言うとそつのない生活を八カ月ほど続け、やがて冬休みに入り、クリスマスイブのには、あっという間に雪が降り積もった。積雪二十センチといったところ。恐るべし北の冬。容赦なくどんどん降り、ずんずん積もってくれる。


 北国に住むにあたって、雪かきなる作業が必要なことくらいは知っていた。だけど、俺は頑としてやらないつもりでいた。おとんとも約束したのだ。「転校はしゃーない。せやけど俺は雪かきなんて、せーへんからな」って。おとんは鷹揚な様子で「わっはっは」と笑い、「ええぞええぞ、雪かきくらい、おとんがやったるさかいなあ」と勇猛に語った。その言葉を信じていたのだけれど、おとんは仕事の疲れを理由に、家に帰ってくるなりビールを飲む。酔っぱらったのを理由に雪かきなんてしない。


 だから、おかんが頑張るしかない。というか、はなから、おかんがするつもりだったようだ。「お父さんは仕事で忙しいんやから、やれるところで手伝ってあげへんと」などと気丈なことを言い、非力ながらも雪をかき出す作業に追われるのだ。手伝ったほうがいいかなとも思うのだけれど、それはダルい。めんどくさい。一度、参加してしまったが最後、先々まで駆り出される予感しかしない。せやから、ごめん、おかん。俺、やっぱ雪かきはせーへんわ。




       ※※※


 大げさに言うと、俺は雪かきという作業から目を背けていた。おかんが頑張ってやっている姿すら見たくなかったのだ。それでも、たまには手伝ったほうがいいかなと思い、ある日、二階にある両親の寝室の出窓から外を眺めた。するとだ。小さな女のコの姿が視界に飛び込んできた。お隣さんちのコだ。引っ越しの挨拶回りの際に顔を合わせた記憶が、かろうじて残っている。六つか七つといったところだろう。もこもこした赤いコートを着込んでいる。驚くべきことは、そのコのうちの前の雪が、すっぽりとないという点だ。


 あのコが一人で家の前を綺麗にした?

 あんなおちびちゃんが?


 女のコはえらくご満悦のように見える。雪を一掃したことに満足しているようだ。腰に両手を当て、えっへんとでも言わんばかりに胸を張っている。


 そして、そのコは、うちの前の雪かきも始めた。おかんを助けるのだ。プラスティック製の大きなスコップを使って大きなスノーダンプ(界隈では”ママさんダンプ”というらしい)がいっぱいになるまで雪を盛り、その”ママさんダンプ”に積んだ雪を、よいしょよいしょと車道を渡った向こうにある小川に捨てるのである。きびきびしていて動きがいい。おかんよりずっと手際よく排雪する。二人が雪かきをする様子は、ぬくもりをわざとらしく描いたホームドラマなんかを見るよりずっと微笑ましく感ぜられた。




       ※※※


 その日の夜、おかんと二人でビーフシチューを食べているなかに、俺は言った。


「おかん、雪かき、明日から俺がやったるわ」

「えっ」

「とにかくやったる」

「どういう風の吹き回しなん?」

「色々あんねん」


 実は、色々はない。

 やってみよう、やってやろう。

 そんな純粋な気持ちに駆られただけのことだった。




       ※※※


 翌日、早起きした。やるとなったら徹底的にやるのが、俺の性格である。昨晩もよく降ったので、雪かき日和となっているだろう、って、雪かき日和なんてなくたっていい、というか、ないに越したことはないのだけれど。


 黒いダウンジャケットを着て、内側がボアの手袋をはめた。準備万端。いざゆかん。表に出た。そしたら、だ。お隣さんの女のコはもう雪かきを始めていた。「げげっ」と、のけ反りそうになった。まだ朝の六時だ。


 どうやら女のコは夢中になって雪かきをしているらしい。こちらに気づかないまま、鼻歌交じりに作業を続ける。


 なにに驚いたかって、少女の鼻歌にだ。なんと俺が信奉してやまない”ELLEGARDEN”の曲なのだ。”Missing”なのである。俺の歳ですら”ELLEGARDEN”なんておませさんというか、背伸びもいいところなのに、こんな小学一年生くらいの女のコがファンなのだとすると、それは俺にとって天地が引っくり返らんばかりの衝撃だった。無理のないペースでゆっくりと歌うあたり、慣れているのだろう。正直、堂に入っている。


 車道の向こうの小川への排雪を終え、こちらに戻ってくる途中で、女のコは俺に気づいた。ぷくぷくとしたまんまるな顔。満面の笑み。素朴さばかりが際立って、垢抜けているとは到底言えない。


「おはようございますっ!」


 少女は、積もっている雪にスコップをザクッと突き立てると、お行儀よく、ぺこっと挨拶をした。その素直さになんだか気圧されてしまって、「お、おう、おはよう……」と、たどたどしい返答をしてしまった。


「サボってばっかの息子さんって、おにいちゃんのことやってんね」


 当初の決め事なのだからサボるどうこうについていちゃもんをつけられる筋合いはないのだけれど、ってか、おかんの裏切り者。俺が雪かきせーへんっていうのは、引っ越す前からの約束事やろうが。まあ、そんなことはさておき、女のコがなまりで話すことに少々驚いた。


「自分、関西のニンゲンなんか?」

「うん。三年前に滋賀から引っ越してきてん」

「おとん、何やってんねんな」

「トラックの運転手」

「そんなん、滋賀でもできるやろ」

「ウチのお父さん、北海道で暮らすのが夢やってん」

「変わったおとんやな」

「そうかなあ」

「とにかく、や。今日からうちの前は俺が雪かきするさかいな」

「うふふ。雪かきって難しいんやで?」

「ほなら、”いろは”を教えろや」

「おにいちゃん、偉そうやわ」

「ってか、やな」

「うん?」

「おまえ、”ELLEGARDEN”、好きなんか?」

「好きやよ。っていうか、車でどっか出掛ける時には、お父さんは絶対に”エルレ”、かけんねん。トラックの中でもそうなんやと思う」

「なんかさ、おまえ」

「うん?」

「いや。ちっこいのに、しっかりしてるなっておもてさ」

「だってウチ、もう七歳やもん」

「マセガキ」

「えーっ」

「名前、なんて言うねんな?」

「ユキナ」

「漢字は?」

「白い雪に、菜っ葉の菜。どない? 北国にふさわしい名前やろ?」

「綺麗な名前やけど、名前負けしとるわ。顔まんまるやし。美人にはなれへんやろうし」

「うわー、ひどー。せやけど、ええねん。ブスでもええねん」

「そこまでは言うてへんぞ」

「とにかく雪かき、がんばろーっ」

「どんだけ前向きやねんな」


 その日も雪かきを終えると、雪菜は、えっへんとでも言わんばかりに胸を張って見せたのだった。




       ※※※


 時間は飛ぶ。

 五年ほど、飛ぶ。


 夏の日曜日、勉学に励んでいるさいちゅうに、ピンポンピンポンピンポンとインターホンが連打されたのだった。おとんとおかんは揃って買い物に出掛けた。だから面倒でも俺が出るしかない。


 インターホンの前に立って返事をしようとしたとき、今度はせわしなく、どんどんどん、どんどんどんと乱暴に玄関のドアがノックされるのが聞こえた。なんだか切羽詰まっている感じだ。少なくとも、宅配便ではないだろう。


 おかんの緑のクロックスをつっかけて、玄関のドアを開けた。すると、毛足の長い真っ白な猫を抱いて、雪菜が立っていた。それから「シュウちゃん!」と俺の名を呼んだ。「レオちゃんが動かへん!」と叫んだ。本当に白い猫はまったく動かない。涙をこらえるようにして雪菜は猫を抱き締める。


「シュウちゃん、シュウちゃん! お願い。タクシー呼んで!」

「アホ言え。そんな暇あるかい。寄越せ!」


 俺はレオちゃんを抱き取った。ピクリとも動かない。近所のペットクリニックに向けて走り出す。


「雪菜、ついてこい!」

「ねぇ、ねぇ、シュウちゃん。レオちゃん、助かるよね? 助かるよね?」

「うっさい、黙れ! とにかく走れや!!」

「う、うんっ、うんっ!」




       ※※※


 クリニックの医者はなんとか蘇生させようとして、心臓マッサージを施した。だけど、レオちゃんは手遅れだった。毛玉を喉に詰まらせて、窒息死してしまったらしい。俺はレオちゃんの亡骸を抱いてぼーっとしながら、雪菜はえぐえぐと泣きながら、帰路についた。


 雪菜んちのソファにレオちゃんを横たわらせた。雪菜はレオちゃんの体にとりすがって泣く。俺はやっぱりぼーっとしている。


 二階の俺の部屋の窓からは、ちょうど雪菜んちのベランダが見える。レオちゃんは黒い格子の外に出て、屋根の端っこに座って、いつも前を向いていた。雄々しくて、気高そうで、泰然としていて、とてもカッコよかった。立派な猫だと密かに買っていた。


 せやのにさあ、レオちゃん、毛玉を喉に詰まらせて死ぬとかさ、そんなあっけない終わりかたは、あんまりやないか……。


 悔しさに顔がゆがむ。目尻にたまったかと思うと、すぐに涙が頬を伝った。吐き出す息が震えた。鼻の奥がつんとなって、鼻水をすすった。


「シュウちゃん、泣いてるん?」

「つらいわ、雪菜。しゃあなかったんやろうけど、レオちゃんが死んでしもたんは、メッチャつらい」


 ソファの上の俺は、すっかり冷たくかたくなってしまったレオちゃんを膝にのせた。


「俺の寿命、いくらでも分けてやったのにな。レオちゃんにはもっと生きてほしかった」

「ウチの寿命かて分けてあげたよ?」

「おまえは優しいなあ、雪菜」

「シュウちゃんのほうが優しいよ」

「残念やわ、ホンマに」

「シュウちゃんがおってくれて、よかったです」

「なんでや?」

「だって、一緒に悲しんでくれるんやもん」

「ペット霊園に連れてったろうな。骨もちゃんと拾ってやって、手厚く葬ってやろうな」

「うん、うんっ。せやけど、レオちゃああんんっ!」


 雪菜は両手で顔を覆って泣く。俺の瞳から溢れ出る涙がレオちゃんの体に滴り落ちる。


 俺は忘れへんぞ。忘れたりせーへんからな。それくらいしか言えへんねやけど、どうかレオちゃん、あの世で元気にしてください。どうかどうか、お願いします。




       ※※※


 四月。俺はすっかり高校生で、雪菜は中学生になった。出会った頃から数年を経て、雪菜の顔は満月みたいにまんまるではなくなった。頬の肉がイイ感じに削げ、シュッとした顔立ちになった。見た目は及第点、可愛くなったし、綺麗になった。そのいっぽうで、おつむのできはイマイチで、勉強もからきしらしく、そこで俺に白羽の矢が立った。雪菜のおかんから、どうか家庭教師をやってほしいと依頼されたのである。部活のバスケに夢中な俺だけれど、夜遅くからの開始でも問題はないらしい。なにせ気の知れたお隣さん同士なのだから。


「シュウちゃん、わからへんよぉ」


 勉強机に向かっている雪菜は、たびたび「助けてー」とでも言わんばかりにこちらに目を向けてくる。


「なあ、雪菜。もうちょい解けへんか? 偉人サンの名前と功績なんて、覚えたらええだけなんやぞ?」

「ウチ、シュウちゃんみたいに頭よくないもんっ」

「開き直んなや」

「えへへ」

「照れんな、ドアホ」

「せやけどな? ウチ、あんまり勉強はできへんでええっておもてんねん」

「なんか理由があるんか?」

「ウチ、動物園の飼育員になりたいねん」

「ええ目標や。おまえらしいわ」

「せやろ? せやろ?」

「とはいえや、勉強ができるに越したことはあらへんぞ」

「シュウちゃんのいけず」

「うっさい、ボケ」




       ※※※


 夏が眼前にまで迫った、とある水曜日。今日は部活が休みだ。別に大会での優勝をうたっているバスケ部ではないのだ。みんなで仲良くやろう。言いすぎかもしれないけれど、それくらいヌルいのである。


 十六時半、普段より早く、雪菜んちを訪れた。無論、勉強を教えてやるためである。ピンポーンと鳴らすと、表に顔を出したのは雪菜のおかんだった。「今日も来ました」という旨を無言で伝えると、いつも快活である雪菜のおかんは、「お、おおきにな? せやけど、なんちゅうか……」と言いにくそうにした。まだ帰宅していないとか、今日は体調が悪いとか、そういうことではなさそうだと俺は思った。


 上がり框の手前に、男物の茶色いローファーが、きちんと並べられていることに気づいた。ああ、なるほどなと合点が言った。


「ちゃ、ちゃうんよ。こんなこと、雪菜が望んでるわけやないんよ。あのコ、押されたら断れへんタイプやから……」

「中学生でカレシかあ。スゴいなあ」

「せ、せやからシュウちゃん、そないな言い方せんといて?」

「お邪魔しました」

「ま、待って、シュウちゃん。おばちゃんが雪菜、呼んでくるさかい。引きずっててでも連れてくるさかい」

「そない大げさなことせーへんでいいです」

「シュウちゃん……」

「ホンマ、お邪魔しました」


 雪菜のおかんに尚も引き止められそうになりながらも、俺はその呼び掛けを無視した。歩道に出ると、ちょうどいいサイズの石が転がっていた。それを車道のほう目掛けて思いきり蹴飛ばしてやった。


 不思議だった。雪菜のことを女として見たことなんてなかった。なのに、男ができたみたいな話を聞かされ、その結果としてイライラしてしまうのは何故だろう。




       ※※※


 またもや部活のない、とある水曜日。駅前通りの坂道を勢いよくくだり、平地を少々走ったところで家の前に着いた。そしたら、いよいよ問答無用の光景を目の当たりにすることになった。男と二人でいる雪菜と鉢合わせになったのである。雪菜は目を見開き、驚いたように見えた。俺は自分に対するそんな視線はうっちゃって、とっととガレージにちゃりんこを入れた。とっとと家に入ろうとする。すると、雪菜は声を掛けてきて。


「ま、待って、シュウちゃん」


 無視。


「お願い、シュウちゃん。待って?」


 尚も無視。


「待って、待って? ホンマに、ホンマにお願いやから」


 雪菜に左の肩を掴まれた。俺は弾くように肩を動かし、その手を解いた。それから一応、振り返った。


「男ができてよかったな」

「せやから、そういうことちゃうんよ。お願い。話聞いて?」

「嫌や。さっさ行けや。恋人、待たせてるんちゃうぞ」

「それは……」

「それは、なんやねんな?」

「ウチ、どうしたらええんやろう……」

「どうするもなにもありゃせんやろうが。トロいな、相変わらず」

「ウチな? コーヘイ君のこと、好きなんよ」

「へぇ。あっちのんはそういう名前なんか。好きなんやったら問題ないな。退散させてもらうわ」

「シュウちゃん、前からカッコよかったけど、もっとカッコよくなったよね。身長、いくつあるん?」

「そんなもん、今、訊かんでええやろうが」

「シュウちゃん……」

「うざったいんじゃ、アホ。とっとと行ってまえや、ドアホ」


 俺は雪菜に背を向けた。なんだか大股で歩いてしまう。雪菜に恋人ができた。それならそれで、本当にめでたいことではないか。そう思いつつも、気分は晴れない。むしろ、嫌な気持ちが入道雲みたいにもこもこと膨らんで胸に広がった。




       ※※※


 冬を目前にした、やはり水曜日。夜の時間帯のことだった。救急車のサイレンの音が聞こえたかと思うと、隣の家の前で止まったのだ。恋人ができたようだと判断して以来、距離的には近くても心情的にはそうではないのだと雪菜のことを遠ざけていた。ケータイに通話要求があっても出なかった。メールにもほとんどリプライしなかった。勿論、LINEだって無反応を決め込んだ。朝、通学の時間帯を狙われたこともあったけれど、俺はさっさと自転車に乗り、走り去った。


 救急車の様子を見に、表に出た。ストレッチャーにのせられて運ばれていくのは雪菜だった。わけがわからなかった。手が震えた。唇も。雪菜のおかんも車に乗り込んだ。いつも元気で快活なのに、らしくもなく、目尻にハンカチを当てていた。


 筋骨隆々のガテン系の親父殿、雪菜のおとんが、ずんずんと俺の前にやってきた。いきなりのことだった。強烈なビンタを、俺は左の頬に食らった。脳が揺れたように感じた。頭がくらくらし、視界も揺らいだ。


「シュウ、おまえ、ええ加減にしろや」

「なにが、なにがあったんですか……?」

「雪菜、手首切ったんや」

「手首? どうしてまた、そんなことを……?」

「おまえに無視されまくってるからやろうが。雪菜、いっつも泣いててんぞ。晩飯のときかていちいち泣いてたんや。シュウちゃんに嫌われたくない、嫌われたくないっちゅうてな」

「まさか、そんなわけ……」

「リスカ程度なら、滅多なことがない限り、死にゃあせん。せやけどな、シュウ、雪菜になんかあったら、俺はおまえをぶち殺したるぞ」


 ぶち殺すとか、そんな乱暴かつ物騒な物言いをされたなら親が割って入るところだろうと思うのだけれど、ウチのおとんもおかんもなにもフォローしてくれない。


「シュウ、車乗れや。救急車、追っ掛けるぞ」

「……えっと」

「おまえ、まだ四の五の抜かすんか?」

「……わかりました。行きます」




       ※※※


 雪菜のおとんが言った通り、リスカをしたところで死ぬケースは滅多にないのだとどこかで聞いた覚えがある。だけど、最寄りの小さな病院ではなく、少なからず離れたところにある、大きな病院に雪菜は運び込まれた。


 緊急の処置室の前の長椅子に座り、雪菜のおかんは目元をハンカチで拭っていた。その涙を見て、心に突き刺さるものがあった。俺はなにか、とんでもないことをしてしまったのではないか。そんな気持ちに駆られた。


 雪菜のおとんが「どうやねん。雪菜の容態は」と尋ねると、雪菜のおかんは「心配ないって。こんなんで死んでまうほど、ニンゲン、弱くないんやって」と答えた。


「入院せなあかんのか?」

「一晩だけ様子見る、って」

「そうか」


 誰よりも、ほっとしたのは、俺かもしれない。

 いや、きっと俺だ。


「命拾いしたな、シュウ」

「みたい、ですね……」


 雪菜のおとんの言葉は恐ろしくキツく感じられたけれど、その顔には笑みが浮かんでいた。




       ※※※


 冬休みの最初の水曜日。今日も朝早くから雪菜と一緒に家の前の雪かきをする。雪菜のことを無視するなんてことはなくなった。電話があれば出るし、メールが届いたら必ずリプライ。勿論、LINEにも素早く反応する。それだけのことで、メチャクチャ喜んでもらえた。別に雪菜のことを嫌っていたわけではない。それくらいは自分でもわかっている。恋人かもしれない男、そんなあやふやな存在に、やきもちをやいていたというだけだ。やきもちをやく。ということは、俺は……。


 お互いの家の前を綺麗さっぱりさせたところで、やっぱり、えっへんとでも言わんばかりに雪菜は胸を張った。


「これだけ綺麗になると、気持ちええよね」

「せやけど、今日はまだ積もるやろ」

「天気予報やとそうやよね」

「めんどくさいなあ」

「ウチ、雪かき大好きやで?」

「そんなん知ってるわ。せやけど、そもそもなんで好きやねんな」

「わからへん」

「わからんのかい」

「なあ、シュウちゃん」

「なんや?」

「ウチが死んでしもたら困る?」

「困りはせーへんわ」

「えー、そうなん?」

「せやけど、メッチャ悲しむとは思う」

「せやったら、死なへん。ウチ、死なへんよ」

「前に言うたやろ? ニンゲン、そない簡単に死ねるもんやない、って」

「うん。それで、シュウちゃん……、あの、ね?」

「なんや?」

「あの、その……」


 なにかを言おうとして言えないいじらしさが、ずいぶんと愛おしく思えて、俺は、がばっと雪菜のことを抱き締めた。強く、強く。


「シュウちゃん……?」

「あはは。やろうと思えば簡単なもんやな」

「あの、ね?」

「なんや?」

「痛いねん。シュウちゃん、腕力あるんやね」

「ちょい緩めたほうがええか?」

「ううん。もっときつく抱き締めて?」

「……悪かった」

「うん?」

「ホンマ、色々、悪かった。おまえの手首の傷は、もう消えへんねんしな」

「ううん。それはもうええねん。それよりウチな? シュウちゃんに一目惚れしたんよ?」

「俺はそないなことなかったな。だっておまえ、ぷくぷく太ってたし」

「えへへ。せやけど今は、ちょっとくらい可愛くなった?」

「なったよ。可愛くなったし、綺麗になった」

「おおきに」

「雪菜、結婚しようや」

「えーっ。なんやのん、いきなりぃ」

「おまえんこと、財務大臣に任命したるわ」

「お財布は任せてくれるってこと?」

「ああ」

「ほな、いっぱい貯金しよ。へそくりもしよっと」

「子供は何人ほしい?」

「女の子が一人、男の子が一人。一姫二太郎がいい」

「雪菜。愛してる。ホンマにホンマに愛してる」

「そんなこと言われたら、背中がむずむずしてまうよぉ」

「せやけど、動物園の飼育員ってのは、目指してええんやからな?」

「頑張るよぉ」

「それでええ」

「うんっ」


 雪菜と手を繋いで、空を見上げた。ちらほらと細かい雪が舞い始めた。ディスるつもりはないけれど、ここで"レミオロメン"の”粉雪”を持ち出すのは誤りだ。俺達みたいな”ELLEGARDEN”ファンなら、必ず”それ”を口ずさむ。”サンタクロース”を口ずさむ。


「なあ、雪菜」

「うん?」

「今年のクリスマスには何が欲しい?」

「そんなん、言うてええのん?」

「ええぞ。ゆるしたる」

「せやったらシュウちゃん」

「なんや?」

「貴方の唇が欲しいです」

「そっか。せやけど、俺の唇、かっさかさやぞ」

「それでもええねん」

「やっぱさ、雪菜のこと、俺、大好きやわ」

「ウチかて、そうやよ。ホンマ、大好きっ」


 雪菜の笑顔につられるようにして、俺も笑った。


 キスをかわすと、雪菜はもっと、笑ってくれた。


 雪菜の唇も、かさかさしていた。


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[良い点] 主人公の少年らしいプライドや意地がリアルでした。 対する雪菜ちゃんの明るさやひたむきさが眩しいですね。ひたむきさと表裏を成す危うさ――光と影のある青春ストーリーに引き込まれました。 人懐っ…
[良い点] 思い入れのある曲と雪かき、印象的なテーマになっていて、良かったです! 雪菜ちゃんが可愛いですね。 関西弁での生き生きとした会話も自然で、心地よく感じました。 若々しいプライドや意地、ちょっ…
[良い点] 読み終わってから曲を聴きました。真夏ですが心が温かく、幸せな気分になりました。 雪菜ちゃんはしっかりしている「雪かき姫」の一方、脆い部分も窺えて、危うい年頃の女の子の描写が等身大に思えまし…
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