第56話 母親という存在
昔話の暴露に対する大地の抗議はあっさりと聞き流され、テーブルの用意をしつつ大地のお母さんが話し始めた。
「まずはかわいいやつからね。 この子昔から電車が好きでね。 3歳くらいのころ、その上にうんちしちゃったのよー」
「ちょっとお母さん!? 今日カレーなんだからやめてよ! 」
至極当然の抗議が杏果ちゃんから入った。 そりゃ、そうよね。 でもお母さんは気に止める様子もなく、次のネタに入った。
「あっはっは。 だから食事の前にしたじゃない。 次は小学生ね」
「ほら、それもいいけどご飯できたし並べよう」
杏果ちゃんお手製のカツカレーがテーブルに並んでゆく。 あたしもコップやサラダの用意ですこしだけ貢献。
「ではいただきます」
「いっただっきまーす」
「いただきます」
ルーを使って作ったオーソドックスなカレー。 なのに家によって味が変わるのはなぜなんだろう。
「大地って小学校のころから女の子怖がっててねー。 ガールフレンド連れてくる日が来るなんて思ってもみなかったわ」
「ちょっとオカンやめてくれ」
「え、女の子苦手なんですか。 だって吹奏楽部ですよね? 」
「それがね、昔バレンタインに恐い女の子集団に取り囲まれたことがあってねー。 それから、毎年バレンタインになると腹痛。 笑っちゃうでしょ? 」
「ひでえ。 それ言うなよ」
「あ、それであの時調子悪そうだったんだ」
バレンタインデーのとき、毎年のことだからと言っていたのはこのことだったんだね。 いわゆる女性恐怖症ってやつ?
「あとはね、あれよ、あれ。 小学校の先生をお母さんって呼んじゃうやつ。 三者面談の時に先生が言いだしてね。 どっちのお母さんがいい? なんて言ったりして」
「あれはオカンが悪ノリしたんだろ! 」
「なによ、そもそも大地が先生をお母さんって言ったのが悪いんでしょー」
ふふっ。 こうなると大地は俄然不利、というかもとより勝ち目がなさそう。 中学の頃からは部活の割合が増えて、面白エピソードが少なくなってしまったと嘆いていた。
それでも大地は結構ポカをやらかしているらしく、小話が尽きない人生らしい。
笑いが尽きない楽しい食事の時間はあっという間。 7時からの番組がエンディングを放送していて、まもなく8時というところだった。
「大地、あんたそろそろ美咲ちゃん送っていきなさいよ」
大地も同じ感覚だったみたいで「あれ?」なんて呟いていた。
「悪い、美咲。 遅くなっちゃったな」
「ううん、大丈夫。 でもそろそろお暇するね。 自転車だから送らなくて平気だよ」
「そういうわけにいくかよ。 送ってくよ。 俺も自転車だすから行こうぜ」
コート取ってくる、と言い残して階段に向かおうとした大地だったけど、ここぞとばかりに仕事を言いつけられてていた。
「大地、ついでにその洗濯ものも持って上がってよ」
「ええ、今じゃなくていいだろ」
「いいからやんなさい」
「……わかったよ」
「きょんちゃんも洗い物頼める? 」
「うぇーい」
なにその返事。 思わず吹出しそうになった。
そして、人払いがすんだとばかりに、あたしへと真面目な顔で向き直った。
「さて、と。 美咲ちゃん、大地を好いてくれてありがとう。 あの子がこんなに心を開いてる女の子は初めて見たわ」
「……そう、なんですか」
「無愛想に見えると思うんだけどさ、結構情に厚い方だと思うのよね」
「それは、あたしもそう思ってます。 見えないところで支えてくれてたり、ピンチに限って登場したりとか」
「あらよく見てるわね。 不器用で鈍いのは治らないみたいだけどねー。 奥手だからもどかしいこともあるだろうけど、よろしくね」
「……はい」
そうだとも、そうじゃないとも言えないけど、大地のお母さんにそう言ってもらえてじーんときてしまった。 大地のそばにいていいんだよ、と言ってもらえた気がして。
実際は、大地の想いは微妙にあたしからズレたところ向いてるんですけどねー。ははは。
「また遊びに来てね。 アタシはあんまりいなくて申し訳ないけど」
「そうですよ、これに懲りずにまた来てください。 兄貴と二人だと息苦しくて死にそう」
キッチンからもお皿の音に混じってお誘いの声が聞こえてきた。
「ふふ、またお邪魔させていただきます。 本日はありがとうございました」
丁重にお礼をしてから、ちょうど降りてきた大地と一緒に外へ出た。 外はさっきよりもまた一段と冷え込んだ気がする。 暖かいところにいたからかな。
自転車を押しながら出てくる話題は、やっぱり大地のお母さんのことだった。
「お母さん、面白い人だね」
「マジで勘弁してほしいわ」
「杏果ちゃんと二人でいたら無敵って感じ。 会えてよかったよ」
「そんなこと言うのこの世で美咲だけだ」
酷い言い草だけど、これも家族が仲良しだからなんだろうね。 くすくす笑っていたら大地の声色が変わった。 なんか悪いこと言っちゃったかな?
「美咲、プレゼントありがとう。 驚いたけど、本当に嬉しかった。 大事に使うよ」
「へへ、どういたしまして。 気に入ってくれたならあたしも嬉しい」
別に不機嫌になったわけじゃなかった。 よかった。
大地はプレゼントしたストラップをすぐにつけるといって、スマホのケースにつけてくれた。気に入ってくれたんだなって。 だから「嬉しい」っていうのは心からの言葉。
「来週なんだけどさ、14日の放課後時間くれない? 」
「いいけど、どうしたの? 」
「いや、ホワイトデーだしお返ししたいと思ってるんだけど、美咲に喜んでもらえそうなもの選べる自信なくてさ。 よかったら一緒に選びにいけないかな」
「別にお返しなんかしなくてもいいのに。 勝手に渡しただけだから」
「そんなわけにはいかないって。 もらって嬉しかったから、美咲にも喜んでもらいたいし」
「バレンタイン苦手なのに、ホントに嬉しかったの〜? でもそういうことなら、楽しみにしてるね」
バレンタインのお返しを気にしてくれてたんだね。 大地は律儀だなぁ。 お返しを期待しているわけではないけど、また一緒の時間を作れることは素直に喜ばしい。
それでさっきはかしこまってたのかな。 街灯くらいしかないから暗くて大地の顔は見られなかった。 でもあたしの顔もきっとにまにましちゃってるから暗くてよかったかも。
終わってほしくない時間はあっという間に過ぎてしまう。 もうマンションのエントランスが見えてきちゃった。
「それじゃ、おやすみ」
「うん、もう遅いし、気をつけて帰ってね」
「おう、じゃーな」
送ってくれた大地とマンションの前でお別れし、小さく手を振って自転車で遠ざかる背中を見送った。




