3話
「う、ん……」
パチパチと薪が爆ぜる音で、ソーマは目を覚ました。焚き火の番をしているうちに、いつの間にか眠っていたらしい。
「あ、おはよ」
焚き火を棒でつつきながら、フレアが声をかけてくる。
「あー……ありがとう、寝ちゃってた。交代に起こしてくれても良かったのに」
「ソーマだって、私を起こさずにずっと火を見ててくれたんでしょ?」
(というよりは、割りとすぐ寝ちゃってフレアを起こせなかっただけなんだけどな……)
内心で申し訳なく思いつつ、ソーマはありがたくフレアの善意を受け取っておいた。
「それにしても、ちょうどいいタイミングだったねー」フレアが笑いながら、棒で焚き火の灰を掘り始める。「マクリの実がそろそろ焼けた頃だよ」
灰の中から出てきたのは、真ん丸な木の実。切れ目を入れて剥くと、茶色い皮の中から湯気を立てる黄色い中身が出てきた。
(元の世界の栗みたいな見た目してるな。あっちよりだいぶ丸いけど)
「マクリは初めて見る? 実はね、この身は面白い形の殻に入っててね……なんと」
「殻が針でトゲトゲなんだろ?」
「あれ? 知ってたのかー……驚かせようと思ったのに」
「元いた世界でも似たような実があったからな」
そう言いつつ、マクリの実を口に入れる。ほくほくとした食感の実は甘く、香ばしい香りと一緒に口の中を満たした。
「おいしい!」(栗系の味だけど、栗より風味が濃いな!)
「でしょ? 熱かったら水もあるからねー」
いつ汲んだのか、フレアは大きくふくらんだソーマの水筒を渡してきた。ソーマが飲んでみると、澄んだ味がしてこちらもおいしい。
フレアが焼いていたマクリの数は、朝食と言うには少し足りなかった。二人ともまだ食べ足りなかったが、「他の旅人のために残しておかないと」というフレアの言葉を尊重し、これ以上取らないでおいた。
「あ」
旅装を整えている時、ソーマの手がポケットに入っていた何かに触れた。取り出してみるとそれは、真っ赤に色付いたリンゴだった。
(最初に目が覚めた時に拾ったやつか……そういや持ってたな)
ソーマはフレアを呼び、リンゴをナイフで半分に切る。
「こんなの持ってたなら早く言ってよ!」
「忘れてたんだから仕方ないだろ!」
なんて言い合いながら、半分に切ったリンゴを分ける。口に入れると、普通のリンゴとは違う不思議な味がした。
「なんか美味しくない……芯もないし。ソーマ、これどこで取ってきたの?」
「やっぱ変な味なのか。こっちのリンゴはみんなこういう味なのかと思った」リンゴをもう一口齧る。「リットの村に行く前、森で拾った」
「拾ったって…村近くの森にリンゴの木なんてないよ? ……大丈夫なのこれ」
不思議に思いながら、なんだかんだで二人はリンゴを全部食べてしまった。
――それから、しばらく後。
二人は広場を出発し、朝日を背に受けながら街道を進んでいた。なだらかな丘が連なる草原にラインを引くように、道はどこまでも続いている。
二人が歩くのに飽きてきた頃、道行く先にのんびりと進む荷馬車が見えた。
「すみませーん! ちょっといいですかー?」
走って追いつくと、野菜を載せたボロボロの荷馬車を老人がのんびり御している。
交渉の結果、二人は荷台の後部に乗せてもらえた。足をぶらぶらさせながら、二人はそのまま野菜と一緒に荷馬車の揺れに身を任せる。
「ほら前見て!」
荷馬車に揺られ眠りかけていたソーマは、フレアの声で目を覚ました。
進む方向へ振り返ったソーマは、思わず息を呑む。
坂をゆっくりと登っていた荷馬車が、丘の頂上にたどり着く。すると遮られていた視界が一気に開け、丘に遮られていた風景が目の前に広がった。
「綺麗だ……」
まず目につくのは、空の青さで染めあげたような、青く静かな湖。湖畔から広がる森。その向こうの山脈は、頭を雪で白く染めている。
高山の雄大な自然の中、湖の手前に白く輝く街が広がってった。
「見えた? あれがルーディス。私達が今から行く街だよ!」
「ひゃっひゃっひゃ! 坊主、ええ驚き顔じゃの! なんといっても、ルーディスは大陸一の眺めじゃからな!」
馬車の手綱を握る老人まで、地元自慢をしつつ大きく笑っている。
街に近づくにつれ、人の数はだんだんと増えているようだ。丘を下る道からルーディス近辺を見下ろすと、今いる街道の他にも数本の道が見える。湖の上では、荷物を載せてた船がゆっくりと進んでいる。
「賑やかな街なんだな」
「楽しいよー! 私もよく、村の物を売りに行く時についていくんだ」
水堀にかかる橋を越え、門をくぐる。街の中に入ると、すぐに熱気のある喧騒に包まれた。馬車がすれ違える広さの通り。両端にはずらっと露店が並んでおり、通行人相手に客寄せの声を上げてる。どの店からか、肉を焼く美味しそうな香りが漂ってきた。
見回していると、フレアの得意げな声が聞こえてくる。
「建物が真っ白ですごいでしょ! この景色目当てに、王族だって別荘街へ避暑に来るくらいなんだよ!」
「そういやそうだな。露店につられて見てなかった」
言われてみれば、石造りの建物も石畳も驚くほど白い。
(丘から見た時に輝いていたのは、この石のせいか)そう考えながら街並みを眺める。
しばらくすると、馬車は露店の並ぶ通りを抜けて広場へと辿り着いた。
老人は別の通りにある、野菜の納入先へ行くらしい。二人は乗せてもらったお礼を言った後、ギルドへと向って歩き始めた。
さっきより静かな通りを進み、水路にかかる橋を越える。冒険者ギルドはその先に建っていた。
「あそこだよ! あれが冒険者ギルド!」
フレアが指差した建物は他の街並みと同じく白っぽい石造りで、二階建てになっていた。
見上げると、木でできた古い看板が掲げられている。そのすぐ下にはひさしがあり、そこからベッドに入った豚の看板が突き出すように吊るされていた。
「何この絵」
「ご飯も食事もあるよ! ……って意味らしいよ? おばさんが作ったんだって」
どこか不格好な豚の姿は、言われてみると素人作りのような素朴さがあった。
「木の方は[冒険者ギルド・ルーディス支部]……って書いてあるのかな? 豚看板の縁取りも字だ……[食事・宿 眠れる子豚亭]」
豚のモチーフを囲むように上下に配置された飾り文字を、ソーマが声に出して読む。
「へえ! ソーマって字読めたんだね」
「え? あっほんとだ読める」
「ふふっ、異世界から来たのにすごいねー! まあ読める分には便利だからいいよね」
「信じてもらえてない雰囲気を感じるんですけど」
疑いが混じったフレアの視線を受け流しつつ、ソーマは困惑する。
(そんな顔をされても、勝手に読めちゃったんだから仕方ないだろ)
なんて声に出せるわけでもなく、ソーマは視線から逃れるように冒険者ギルドの扉を開いた。
冒険者ギルドの内装は、一見すると酒場のようだった。
吹き抜けになった広間に無骨な卓と椅子が並び、奥に酒瓶が並ぶカウンターがしつらえてある。
広間の奥は二階建てになっているようで、二階へと続く階段もあった。
「誰もいないな」
「あれ、おばさんは奥にいるのかな」
フレアが後ろから顔を出す。そのままフレアは店の奥まで進み、カウンターの裏にある扉をノックした。しばらくすると、扉の奥から早足の足音が聞こえてくる。
「あらあら、ごめんなさいね」
声とともに、フレアが叩いていたドアが開く。
現れたのは、紫がかった黒髪を伸ばしたミステリアスな女性だった。ゆったりとしたローブがすらりとした体のラインを隠しているが、胸の曲線は隠しきれていない。
「あーよかったいた! お邪魔してまーす」
「フレアちゃん!? 無事だったのね! 昨日、村が襲われたって連絡が来て、心配で心配で……!」
ローブの女性は、村から来た可愛い姪っ子を抱きしめる。ソーマが後ろで二人の様子を見ていると、フレアが視線で助けを求めてきた。
「あ、あの! はじめまして。俺はソーマっていいます。リットの村の魔物を倒したのは俺です。冒険者ギルドに入れてください!」
「あらそう」
ソーマは頭を下げ、持たされていた手紙を差し出した。ローブの女性は、フレアに抱きついたまま手紙を受け取る。
「ふうん……? 村長と……ハンナからね」
ローブの女性はソーマを値踏みするように見た後、不敵な笑みをたたえたまま言った。
「いいわ、話を聞くから好きな席に座りなさい」
「あー、おばさん……続きは私を離してからにして……」
ローブの胸に半分埋まったまま、フレアはげんなりしたように呟いた。
三人は広間の机を取り囲むように座る。
「ソーマくん、だったわよね? 私のことはマスターって呼んで。ここルーディスの冒険者ギルドを取り仕切ってる者よ」
ローブの女性はそう言いながら、ソーマの顔をじっと見つめる。少し垂れ長な瞼の奥で、深く澄んだ瞳がソーマを見つめていた。
「はい、ソーマです。今日は冒険者になりたくて来ました。」
それからソーマとフレアは、昨日あったことを話した。ソーマが一人で魔物を複数倒したと聞くと、マスターは少しだけ目を見開く。ソーマ達の話を聞きながら、マスターは手紙の中身にさっと目を通していった。
「なるほど、大体のことは分かったわ」
「それで、おばさん。ソーマはギルドに入れるの?」
「……そうね、強さが報告通りなら、こっちとしても願ったりかなったりの人材ね。どうせ村長の孫ってのはデタラメだろうけど……ハンナに貸しを作れるならいいわ、あとは本人のやる気次第なんだけど……」
そう言ってマスターは、一旦言葉を切る。
「うちは今まで、あんまり荒事の依頼がなかったの。ところが最近、急に魔物の出現が増えだしてるのよね。そんな調子だから、うちの冒険者達もみんな引っ張りだされちゃって。酒場の方は大赤字ね」
そう言ってマスターは、手で客のいない室内を差し示す。
「だから、冒険者になるなら、危ない仕事をお願いすることになっちゃうの。それでもいいなら歓迎するわ」
「お願いします。俺を冒険者ギルドに入れてください」
「決意は変わらないみたいね……ならいいわ。ようこそ冒険者ギルドへ、ソーマ」
マスターはそう言ってソーマに笑いかける。頬にかかる髪を耳にかける仕草に、ソーマはつい見とれてしまっていた。
マスターが契約書類を取りに奥へ消えると、フレアがソーマの足を蹴りつけてきた。
「痛っ……なんだよ」
「ああごめんねソーマ、顔がにやけてて気持ち悪かったからつい足が」
フレアの冷たい視線がソーマに刺さる。対応に困っているうち、奥から書類を抱えたマスターが戻ってきた。
「こっちがギルドの規則を書いた紙で、こっちは名簿。名前を書いたら、それで晴れてギルドの一員になれるわ。字の読み書きはできる? 私が代理で書いてもいいのだけれど」
「看板くらいなら読めました…けど」
ソーマはそう言って、つけペンを取ってみる。羊皮紙で出来た名簿に向かうと、そこで一旦手を止めた。
こちらの世界の文字を見れば意味がわかるし、話も通じる。しかし書こうとすると、文字の細部が頭に浮かんでこない。
(読めるはずなのに書けない。テストの時みたいなもやもやだ……それに、これって日本語で書いてもいいのか……?)
「書く方は自信がないので……書いてもらってもいいですか?」
「それなら私が。スペルは普通でいいのよね?」
マスターはさらさらと名前を書いた。
「それで? フレアちゃんはどうするの?」
「え」ソーマは驚いて、フレアの顔を見つめる。フレアはいつの間にか、唇を引き結び真剣な瞳をしていた。
「おばさんにはお見通しか……。はい、私も冒険者ギルドに入れてもらうつもりできました」
「……村のことを考えて言ってるなら、そこまで背負うことはないわよ」
「そんなのじゃなくって、やりたいんです!」
「……そう、いいわ。ただし、必ず自分の命を優先して行動すること、いい?」
「はい! ありがとうおばさん!」
「おばさんじゃなくって、これからはマスターって呼んで。」
「はい、マスター!」
そう呼ばれたマスターは小さく微笑むと、フレアに名簿を差し出した。
「……よし!」
フレアが名簿にサインを入れ、羊皮紙をマスターに渡す。マスターは満足そうに微笑んだ。
「これで二人とも冒険者ね、おめでとう。仕事は明日から始めてもらうから、今日はもう終わり。ソーマは二階の左奥の部屋を使ってちょうだい。フレアはうちに泊まるときのいつもの部屋でいいわね」
「「はい!」」
二人が声を合わせて返事する。マスターはソーマに鍵を渡すと、仕事の続きがあるからと奥へ戻っていった。
「それじゃ、私は母さんに言われた用事があるから」
そう言ってフレアが出かけて行ったため、ソーマは一人取り残されてしまった。仕方なく、教えてもらった部屋へと入る。
(昔っぽいしシンプルだけど、綺麗に掃除してある部屋だ)
そう思いながらソーマはベッドに座る。その途端、今までの疲れが一気に体にのしかかってきた。
「まあ、これでひとまず落ち着けるかな」
ベッドに倒れこんだソーマは。旅装も解かないまま、ソーマは異世界初のベッドに意識を吸い込まれていく……。