2話
「おーい、大丈夫ですかー?」
声をかけながら、ソーマは倒れていた村人達を助け起こす。ざっと見たところ、死者はいないようだ。
「人命は守れた……のかな」
互いの無事を確かめあう村人たちを眺め、ソーマは達成感に包まれる。
その時、ソーマは誰かに声をかけられた。
「あのっ!」
「ん?」
声のする方を見ると、三人が並んで立っている。禿げて長い白髭を蓄えた老人と、母娘のように見える二人の女性だ。
声をかけたのは、さっき襲われていた女の子だった。ソーマと同じくらいのその子は、明るい茶色……というよりは赤に近い髪をしている。
「私はフレアっていいます! さっきは本当にありがとうございます!」
「どういたしまして、俺はソーマ。敬語はいいよ」
「本当にもう駄目かと思った! あの後すぐ言えればよかったんだけど……手当てとか色々やってて今になっちゃった」
「いいよ別に、お礼が欲しくてやったんじゃないし。それに、俺もフレアに助けてもらったしね……ありがとう」
笑い合っていると、フレアの母親に見える女性が話を切り出した。
「はいはーい、ちょっといいかなー? 私はハンナ。実は今、ここの村長さんを中心に、大人達の間でソーマ君を捕まえてもらう話が出てて」
「え」ソーマの額を冷や汗が流れる。
「ああ、ごめんごめん。そんなに深い意味は無いわ。街に救援依頼を送っちゃったから、騎士団に事情を聞かれるってだけよ。確認出来ればすぐ解放」
「なるほど」
(あれ? それじゃあ異世界から来た俺は面倒なことになるんじゃ……?)
「その顔は、やっぱり何か事情があるのね?」ハンナがソーマの顔を覗き込む。
「あれ? 顔に出てました? 実は……」(言うなら今しかないか)
「実は俺は、日本という国から来ました」
「日本?」
「はい。日本という国は、多分……ここと別の世界にあります」
ソーマは、目覚めてから自分の身に起きたことを話した。夢の中での話については、自分でも説明できないので黙っておいた。
「――そこから先は、村の皆さんの見ていたとおりです。すぐに信じて貰えるとは思いませんが、これが、俺に起きたことです」
「なるほど……。騎士団に話しても牢屋送りじゃろうて」村長が唸る。
「おとぎ話みたいに聞こえますしねー。私はてっきり家出したどこかのお坊ちゃんかと」
ハンナも村長に同調する。
「私も、すぐには信じられない……。でも! 私にはソーマが嘘をついているようには見えない!」
「そうだね、フレア。私もそう思うよ」
「お母さん……」
「とはいえ、村にいたら騎士団に見つかるし……。そこまで腕が立つなら……そうね、ソーマ君は、<冒険者ギルド>に入るべきだと思うの」
ハンナはそう言って、ソーマに笑いかけた。
(冒険者ギルドか……ますますネット小説みたいになってきたな)
そう思いつつ、ソーマは訊ねる。
「えっと、冒険者って?」
「……んんー、魔物を倒したり、依頼をこなしたりしながらフラフラしてる人? あっでも、冒険者になるとギルドがあるどの街でも仕事はできるし、好きなときに好きな街へ旅できるし」
話を詰めている大人二人に代わって、フレアが答えた。
「旅人が普通な職業か……だから俺みたいな異世界から来た人でも、不自然に思われないのかな」
(夢で見た謎の声も魔物を倒せって言ってたし、自由度高くて結構楽しそうだし)
「よし! 冒険者ってのになるよ!」
「決まりね!」フレアが笑う。「それじゃあ、まずはルーディスに行かないと。ルーディスのギルドを管理してるのがお母さんのお姉さんだから、頼めばなんとかなると思う……んだけど」フレアの声が、急にか弱くなる。「大丈夫? 一人でちゃんと暮らせる?」
フレアが目を伏せると、長いまつげが微かに震えていた。
「多分、大丈夫だよ」
「そう……」
フレアはそれだけ言うと、じっと地面を見つめていた。黙ってしまったフレアの前で、ソーマも何も言わなかった。
「……じゃあ、教えることは教えたから」
フレアはひらひらと手を振って、自分の家へと帰っていく。
「それじゃ、よろしくお願いしますねー?」
ハンナも村長に挨拶すると、自宅へと帰っていった。
ソーマ殿はこっちじゃ」
村長に案内され、ソーマは村長宅――屋根が乗っている程度には無事だ――で茶を飲みながら待つ。
「ほれ」
しばらくすると、村長が荷物を抱えてやって来た。
ソーマは慌てて、村長が両手に抱えたマントや食料、ギルドへの紹介状を受け取る。
「ありがとうございます、こんなに色々頂いて」
「なあに、村を救って頂いた礼としては安いくらいですじゃ。気にしないでくだされ、我が孫よ」
「……孫?」ソーマは耳を疑う。
「左様。ギルドに宛てた紹介状の上ではということになっておるんでの。息子がどこぞでこさえた孫が帰ってきた、冒険者になりたいらしい、とな」
「そんなことまで……本当にありがとうございます」
「ええんじゃええんじゃ、面白そうなことは嫌いじゃないでの」
村長は楽しそうに笑う。
「では……ごほん。ソーマよ! リット村村長ココルの息子トールズの息子よ! 旅立ちの時じゃ!」
「村長……いや、おじいちゃん!」
「なんじゃ」
「かわいい名前だったんですね」
「放っとけ!」
――
ソーマは村の出口を進み、水車小屋の横を通り過ぎた。水車を動かすための動力にもなっている水路が、道と平行して続いている。
「確か、村長に聞いた話だと……」
独り言を呟きつつ、ソーマは進む。しばらく進むと、村から出た道は大きな街道に繋がっていた。
「ここ右だっけ? 左?」
街道に繋がる丁字路の前で悩むソーマ。しばらく悩んでみるものの、忘れた道筋は全く浮かんでこなかった。
「まあ適当にいくか」
開き直って、ソーマは左に向かって足を踏み出す。その瞬間、後ろから微かに声が聞こえてきた。
「――!」
何と言っているかは聞き取れない、微かな声。その声の方向に、ソーマはゆっくりと振り返る。
呼び声の主は、ソーマからは豆粒ほどにしか見えない。立ち止まってその人影を待ちながら、ソーマは近づいてくるその姿を眺める。
落ち着いた色合いのワンピースのような服。その上から、コートを着込んでいるようだ。夕焼けにも似た色の髪ははゆるやかな癖がついていて、少女の走りに合わせてふわりと浮いて宙に溶け込む。
ソーマに追いついた少女は、はあはあと大きく息をする。ソーマが眺めていると、息を整え終わった少女は笑った。
自信たっぷりの笑みのまま、少女――フレアはソーマの肩を小突く。
「だから右だって! ……心配だし、仕方ないから一緒に行ってあげる!」
――
自信満々な顔のフレアに先導され、ソーマは街道を進む。
前を歩くたびに揺れるフレアの髪が、夕日を受けて篝火のように輝く。
「ん、どうしたの?」
前を進むフレアを見ていると、フレアが急に振り返った。目が合ってしまい、ソーマはちょっと焦る。
「ああいや、今更だけど案内してくれてありがとう」
「いいのいいの、好きでやってることだから! それに、ルーディスには私も母さんから頼まれた用事があるし」
「そうなんだ……でもありがとう。そういや、そのルーディスって所にはあとどのくらいで着くの?」
「明日になるねー」
フレアは歩く速度を落とし、ソーマの隣に並ぶ。
「泊りがけか…」
「もうちょっと行くと森があるから、そこで野宿かな。……もうちょっと準備してくればよかったかも」
手をぶらぶらさせてフレアが苦笑する。
それから二人で歩き続け、丘の稜線に夕日が沈みそうになった頃。街道の隣に、ぽつんとした森が見えてきた。
「あそこが野宿するって森か」
「日暮れまでには着きたかったんだよねー。よし! 走ろう!」
そう言った途端、フレアは走りだした。ソーマも急いでその後を追いかける。
休憩所だという森には、小屋のようなものは無かった。森の街道に面した部分が拓かれ、広場のような空間が設けられているのみだ。
(キャンプ場みたいな感じか)なんてソーマは思う。
二人で薪を集めた後、フレアが慣れた手つきで薪を並べる。
少し前に手伝おうとして盛大に枝を倒してしまったソーマは、黙ってその姿を見守るしかなかった。
「そういえば」ソーマが気付く。「フレアって、火起こしの道具は持ってるの?」
「ふふーん! 見ててよ?」
フレアの指先に、微かな光が灯る。
次の瞬間、人差し指の先に燃える光の球が浮かんでいた。
「うおっ!?」
「これを使いまーす」
驚くソーマを見て満足気に笑うと、フレアは火球を指の少し先に燃やしたまま、人差し指を薪に近づけた。
みるみるうちに燃え上がった焚き火に、ソーマは感嘆の声を上げる。
「すげえ……! さっきの光の球、どうなってるんだ!?」
早々に焚き火で暖を取り始めたフレアは小さく笑って、もう一度指先に光球を灯す。
「でしょ!? ま、こんな小さなのしか作れないんだけど……。これが、私に与えられた祝福なの」
「ブレス……って?」
ぽかんと口を開けたまま、ソーマはフレアに聞き返した。
「それも知らないの?」フレアは光球を飛ばして、指の周りでくるくると回しながら言う。「祝福を知らないってことは……本当に別の世界か、もしくは相当の田舎から来たみたいだね」
うちの村も田舎だけどさ、と続けて、フレアはからからと笑う。
「まあいいや。……ちょっと長くなるから、話はご飯食べながらにしよっか」
夕食をとることにした二人は、それぞれ持っている食べ物を出しあう。
ソーマが持っていたのは、黒パンをスライスしたものが三枚と、チーズが二片、それに袋状の水筒。どれも村長が用意してくれたものだ。
フレアがバッグから出したのは、ソーマと同じような黒パンが一枚だけだった。
「それじゃ、いただきます」
小さく手を合わせて、ソーマがパンを一枚かじる。ソーマの姿を、というよりソーマの食べているパンを、フレアはじっと見つめていた。
「どうしたの…?」
「いや……これは別に私がお腹空いてるって意味じゃないんだけどね?」
ソーマの視線に気づき、フレアはぶんぶんと手を横に振る。
「でも、私ここまで急いできたし、朝から何も食べてなかったし……。
その上で焚き火も頑張って作ったし、道案内のお礼……じゃなかった、これは好きでやってるから別にお礼とかじゃなくて!」
早口で言い続けるフレア。そのお腹から、獣が唸るような大きな音が鳴る。
「……」
「……」
顔を真っ赤にさせてうつむくフレア。二人の間を、気まずい沈黙が流れる。
やがてソーマはフレアの膝の上に、パンとチーズを一つづつ置いた。
「半分こな」
「……ありがとう」
フレアは小さな声で言うと、うつむいたままのままコートのポケットからナイフを取り出した。
チーズを薄くスライスして、パンの上に乗せていく。
パンの上にフレアが手をかざすと、チーズがみるみるうちに焼け始めた。辺りには、焦げたチーズとパンの香ばしい香りが立ち込める。
「焚き火でやってもいいんだけど、こっちのほうが速いしやりやすいんだよね」
小さく笑って、フレアが焼きたてのトーストにかぶりつく。
うまそうだと思った瞬間、今度はソーマのお腹から大きな音が鳴った。
一瞬の沈黙の後、堪えきれなくなった二人は同時に笑う。
「ふふっ。いいよ、ソーマのパンも貸して?」
そういうと、フレアはソーマのパンでチーズトーストを作った。手渡されたトーストを一口食べたその瞬間、パンの香ばしさと濃厚なチーズの風味が口いっぱいに広がる。
「あっこれルーニニカの花のお茶だ! いいの飲んでるねー」
自分のトーストを食べ終えたフレアは、いつの間にかソーマの水筒を持っていた。水筒の口を開けたまま、ソーマの方へ渡してくる。
(これ間接キス……)
よこしまな考えがよぎり、ソーマはフレアの方を横目で見る。お茶を飲んだばかりのフレアの濡れた唇が、焚き火の光で光る。
(こういうのは下手に意識しちゃだめだ……意識しちゃだめだ……)
ソーマは自分に言い聞かせながら目を逸らし、微かに震える手で水筒のフタを閉めた。
――――
トーストを食べ終えた後、二人は焚き火を囲んでくつろいでいる。
「それで、ブレスって何なの」
「あーそうだった、その話だよね。祝福っていうのは、神様がくれた不思議な力なの。」
(ああ、そういう能力ね。ゲームとかによくあるやつか)ソーマは納得する。
「なるほど、なんとなく分かった。フレアの使えるの以外にも色々あるってこと?」
「あるよー! 私のは小さな力だけど、もっと大きな火を起こす人とか、水を操る人とか色々! あとは海を割るとか山を崩すとか……これは昔話の話だけど」
(ということは、俺が急に強くなってるのも何かの祝福なんじゃないか?)
「じゃあさ、突然剣が強くなれるって種類はないの?」
「力って意味なら多いよ。あとは足が速くなるとか、目がすっごく良くなるとか。でも、剣術が突然身につくってのはアカデミーでも聞いたことなかったかな。」
「そうか……ありがとう。アカデミーって?」
「……ああ、学校だよ。勉強とか研究をするの。ソーマの暮らしてたとこには学校は無かったの?」
フレアの声色が少し暗くなった気がした。
「あるよ、俺も学生だし。……戻れたらの話だけど」
(戻れたら、か。戻れるかどうか以前に、俺は戻りたいのか?)自問自答したが、どっちみちなるようにしかならない。
大して悩むこともなく、ソーマは今いる世界のことに思考を移した。フレアも何も言わず、焚き火をつついていた。
やがて、フレアは大きくあくびをする。
寒そうに首を引っ込めながらコートのフードを被ったフレアに、ソーマは自分の着ていた外套を手渡す。
「寒くなったし、これ着ときなよ」
「ん、ありがとー……」
半分眠ったままでお礼をいうフレア。彼女はソーマの外套に包まると、すぐに小さく寝息をたて始めた。安心しきった様子で寝息をたてるフレアは、改めて意識するとものすごくかわいい。
「火の番だけってのもの暇だな。素振りでもするか」
すっかり穏やかになった焚き火に枯れ枝をくべた後、ソーマは素振りを始めた。剣を振るたびに、今日の戦いが脳内に浮かんでは消える。
(今日は本当に、本当に色々あった。知らない場所に来てるし、何故か強くなってるし、魔物とは戦うし、冒険者になる旅にも出ちゃったし……驚くことばかりだ。でも、この世界も悪くないよな)
心のなかで呟くと、ソーマは小さく笑いかけた。この世界で最初に友人になってくれた、フレアの寝顔に向かって。