裏切った罪
三科太は黒スーツの男に連れられて、一つの部屋に入れられた。その部屋は大きなストーブがあってとても暖かい、いや暑いくらいだ。その近くに椅子が一つ置いてある。他にも机が一つに椅子が三つ置いてある。
鎖巫子が部屋に入ると、暑いと言って、スーツの上着を脱いで机に置く。白シャツの上のボタンを一つ外すと、首に掛けたペンダントがチラッと見える。鎖巫子は見ていた三科太に気付いて、ニヤリと笑った。
「三科太、お前とは一度、腹を割って話してみたかった」
こっちは話したくもなかった。流石にこの状況で逃げるのは無理だ。三科太を連れてきた黒スーツの男に、鎖巫子は佐剛と窓辛の二人を、亜道の所に連れて行けと命令した。返事をした黒スーツの男は、部屋を出てドアを閉めた。そして部屋は二人きりになると、鎖巫子はストーブの近くにある椅子に、手を伸ばした。
「まあ座れ」
三科太は恐る恐る椅子に座った。鎖巫子は三科太の前に立つと、銃を三科太の方に向け、躊躇無く撃った。弾は三科太の右耳を通り過ぎ、地面に当たった。
撃たれると思った。三科太はある程度覚悟はしていたが、恐怖で震えが止まらない。ゆっくりと振り返ると、撃たれた弾から赤い液体が流れている。
「安心しな。これは血糊弾だ。お前達は撃たれた事が無いだろ? 少々痛みがあるから、撃たれたと感違いする。だが今度からは本物を使う」
「なぜそんな事を話す?」
額から汗を流れる三科太に、鎖巫子はニッコリと笑って、椅子を三科太の前に持ってきた。座って足を組むと三科太の目を見つめた。
「私はお前の行動は正しいと思った」
三科太は言われた意味がわからなかった。逃げる事が正しいのかと、それとも賞賛しているのか。
「この状況で、普通は逃げ出すのが当たり前だ。だから逃げれる道を、少しだけ作ってやった」
どういう事なのか全然わからない。三科太は一度考え直した。少しだけ作られた道とは何なのか。よくよく考えればおかしな点が、いくつもある。監視カメラが教室だけなのも、休憩の部屋のドアに、隙間があるのも、黒スーツの男が護身用も持たせず、鍵しか持っていないのも、まるで逃げれる様にしている様だ。
「あんたが……わざと作っていたのか?」
「色々とな。そしてこれに気付いて逃げる事をする。必ずとは言わないが、こうするだろうと予測していた」
なんという事だ。鎖巫子は頭の中にこんなると考えていた。掌の上で踊っていたとは正にこの事だ。
「俺達を見て遊んでいたのか!」
「見てはいない。どう動くかはわからなかった。だから監視カメラも付けなかった。答えが分かっては面白くないからな。それに言っただろう。これは正しい事だと。私がお前だったら、ここから逃げる方法を考えていた」
「あんたが作った法律なのに、自分でケチ付けてるのか?」
「私はただ試してみたかったのさ。お前達は何かに気付いて、逃げる案を出して素直に動くか。それとも皆を裏切って、一人だけ逃げるのか。これで処分する奴が分かりやすくなるかもな」
「俺はあんたが処分される方がいい」
三科太は本気でそう思った。だが鎖巫子はそれが冗談の様に笑い、立ち上がって三科太の周りを歩き出した。
「お前達は今、自分が酷い事をされている。辛くて、苦しくて、なぜこんな目にならなきゃいけないのか? 」
鎖巫子は三科太の前で足を止めた。
「だがな、それは今まで正しい人間が受けてきた事だ。お前達がくだらない悪事をする時、私達が止めに来ても意味がない。力では悪との差は歴然だから、当然の様に私達は負けてきた。だがこれからは違う! 私達が勝つのだ!」
「あんたの教訓も同じだろう。子供を引き離す事までする。悪そのものだ」
「お前は曽手の事を知らない。あの男は高校の女に妊娠させて、学校を辞めて親の反対を押し切って産んだ。しかしあいつは子供に厳しく、女には酷い扱いをした! そして女は自殺した。あいつは事の重大差にようやく気付いたが、あんな奴が親になって育てられては、この国はいずれ終わりだ!」
鎖巫子は気が荒くなって大声で叫んだ。息を切らしながらも、苦しく言葉を吐く。鎖巫子の呼吸はまだ荒く、落ち着く様子はなさそうだが、三科太は自分の事を話そうと思った。
「俺の親は、ろくに働かずに借金を作って、浮気して、終いには暴力して金を奪うバカだ。だが俺はあんなバカになる気はない!」
「だがお前はここにいる! そのバカと同じ様に、所詮は親子だ。そういう人生を見た私が一番分かる。親は子に似る」
「人生の先輩気取りか? そんなのあんたが俺より一、二年位早く生まれて来ただけだ!」
三科太の反論に、鎖巫子はなぜか鼻で笑った。
「何を言っている? 私はお前達と同じ、今年で成人を迎えた。選ばれた正しい人間だ」
三科太は驚いた。つまりこの女は俺とは同い年だったのだ。
「あんた……自分の友達がこの法律で処分されるとか、思わなかったのか?」
「何とも思わない」
「そうか……分かった」
三科太はすぐに納得した。その様子を見た鎖巫子はクスッと笑った。
「三科太。私の下で働かないか?」
三科太は驚いた。この女に何度も驚かせたが、その中でも一番驚いた。
「お前は今まで私に襲いもせずに、話し合いで解決する事を望んだ。いや、お前はそれが安全な方法だ。そしてさっきの話で、お前は私の過去に何かあったと理解した。お前は正しい人間になれる」
「俺を手下にするって、どうやって?」
「簡単だ。お前は死んだ事にして黒スーツの中に混じっていろ」
「お断りだ。俺はあんたが正しいとは思わない」
「それは残念だ。ならそろそろお帰りだ」
鎖巫子は三科太の前からドアの方に向かった。
「……これで終わりか? 俺の脱走しようとした処分は?」
「終わりだ。さっさとお帰りなさーい」
あっさりと言う鎖巫子はドアを開けた。三科太は立ち上がり、何もなく部屋を出された。ここまでして何もないのは驚いた。普通は説教部屋に入れられると考えていた。
三科太は不自然な事に気付く。俺に付いていた黒スーツの男がいない。それもそうだ。三人であの男を気絶させてたんだ。そういえばなぜ黒スーツの男が変わっていたのか、知らないままだ。とにかく今はチャンスと見ていいのか。外に出る道でも見つけたい。
「やめて。離してください!」
「抵抗するんじゃねえ! 」
どこからか大きな声が聞こえる。高い女の声と、低い男の声だ。三科太はその女の声に聞き覚えがある。声の方に向かうと、女と黒スーツの男が揉み合っている。手姫世子さんだ。
「離して!」
「騒ぐな! 痛くしねえからよ!」
「何してるんだ!」
三科太は大声を出した。黒スーツの男は手を止めたが、三科太を見てニヤリと笑った。
「少し鬱憤が溜まっていたからな。こいつに晴らそうかとしただけだ。所詮は処分される奴だ」
黒スーツの男は再び世子に掴みかかり、世子は必死で抵抗している。止めなければと三科太は思うが、手錠のままだ。果たしてこの状態で勝てるのか。
「何してる?」
鎖巫子が歩いてきた。三科太を通り過ぎ、黒スーツの男の方に向かって行く。黒スーツの男は気付いているが、怖くて言葉が出ない。鎖巫子が黒スーツの男の前に立ち、銃を向けた。
「もう一度だけ聞こう。何してる?」
黒スーツの男は恐れながらも答えた。
「こいつらはクズで人間じゃない。別に何しても構わないでしょう!」
「確かにこいつらはクズだ。だが私達は人間だ。お前がやろうとしているのは、獣以下のクズに等しい!」
鎖巫子は何をしようとしたのか、すでに気付いていた様だ。しかし鎖巫子は怒りよりも、悲しみの声を出す。
「あれほど欲に眩むなと……最初に言ったはずだろう!」
「その銃の威嚇は分かってますよ。それに、いいんですか……こいつらに本当の事を言いますよ」
三科太は黒スーツの男の言葉に耳を傾けた。本当の事とは何の事なのか。黒スーツの男は叫んだ。
「よく聞け! お前達はーー」
鎖巫子は引き金を引いた。弾は黒スーツの男の頭を突き抜いた。男は倒れ、頭から血が吹き出した。
三科太は初めて、人が人を殺す所を見てしまった。怖かった。顔色一つも変えずに殺し、その後もさも平然といている鎖巫子に、恐怖を感じた。
「お、お前は……それが正しいことなのか?」
鎖巫子は何も答えなかった。銃声を聞きつけて黒スーツの男が数人集まった。その中に非話がいた。非話は撃たれた黒スーツの男を見たが、触れずに鎖巫子に答えた。
「鎖巫子ちゃん。私は死人になるのを、無駄に診ませんよ」
「構いませんよ非話さん。連れて行って処分して下さい」
「ああ、それとこれ。さっき渡しそびれた」
非話は持っていたビニール袋を鎖巫子に渡した。鎖巫子は中身を確認して黒スーツの男達に命令した。
誰も何も言わなかった。仲間の男を助けもせず、殺した理由も聞かずに撃たれた男を運んで行った。世子は鎖巫子の前に行き頭を下げた。
「あの……ありがとう……ございます」
「世子さん……勘違いするな。あなたを助けた訳じゃない。私はダメな部下を処分しただけだ」
鎖巫子は世子の顔を見なかった。
「残念だよ。あなたが正しい人間だったら、ちゃんと謝る事が出来たのに」
鎖巫子のその言葉は、本当は謝りたかったのだろう。世子を心配した三科太は声をかける。
「世子さん。大丈夫?」
「ええ。三科太君もありがとう」
「俺は何もしていない」
「ううん。助けに来てくれた。その勇気があるのは凄い事だよ」
そんな事を褒められて、三科太は思わず照れてしまう。鎖巫子は三科太に聞いてきた。
「三科太、お前を監視していた男は?」
「俺らが逃げる時、気絶させたからいない」
「そうだったな。私がお前達の監視をしよう……お前、あの男が自分の監視だと分かってたのか?」
「ああ。なぜか窓辛の監視をしていたがな」
鎖巫子は黙った。黒スーツの男達を調べてた事に、びっくりした様だ。
「……あいつらも少々の調整はある。来い」
鎖巫子は振り向いて歩き出す。三科太は付いていきながら、世子にだけ聞こえる様に小声で喋った。
「大変だったね……世子さんがここにいる事は無いのに」
「ううん。いじめは酷い事だよ。これは当たり前の罰じゃないかな?」
「でも君は、その……いじめにそこまで関わってなかったんだろ?」
「いじめられた人とは、友達だったんだ。なのに助けもせず、死に追いやっていた。最低だよ。私は……」
「後から聞いたけど、あの子の母親が病気だったらしいの。手術はかなりの高額で、お父さんは仕事を頑張ってお金を集めていたって。そんなお父さんに心配させない為にいじめられた事、黙ってたらしいの。でも、限界が来たみたいで……」
「自殺未遂をしたのか」
「うん。その後は学校に来なくて、母の病気で引越す事になって。その時思ったの……私は最低な人間だって。あの子を裏切ったんだ。いじめよりよっぽど酷い事だよ。私はあの子に会って謝ろうと、あの子に会いに行った。とても怖かった。でも勇気を出して行ったの。あの子に会って謝った。そしていつか、立派な大人になって会おうって、ペンダントを渡して約束したの」
「ペンダント?」
「私の宝物だった。イルカのペンダント」
「へえ、その子とは大人になって会えたのか?」
「ううん。成人式で会えなかったし、名前で探そうにも、本名を忘れちゃって」
「名前って、友達なのに知らないのか?」
「いつもアダ名で呼んでたから。アダ名は『カイコ』ちゃんだっだような……」
「三科太!」
大声で名前を呼ばれ三科太は驚いた。鎖巫子がこちらを睨んでいる。
「早く入れ。私は腹が減っているのだ」
お前の腹具合など知るか。鎖巫子が部屋のドアを開ける。三科太は入った後に鎖巫子を見て呟いた。
「俺は生きる為に、何だってやるからな」