<Ⅵ骨>
翌朝。
沙耶にぶかぶかのオレの服を着せたままでおくわけにもいかない。とりあえず近くのコインランドリーで沙耶の服を洗ってから、行動を開始した。
霊の送還は、沙耶の案内で一気に進んだ。
人気の無い場所で「トルネードチャンス」と叫ぶ姿は、相当頭が悪い。弟には絶対に見せられない。
しかし霊の送還中、どこか嫌な感じが付きまとっていた。なにか思い違いをしている気がしてならない。
暫くしてオレの予感は、ある形で現実になった。
――トルネードで一度に送還できる数が減ってきていた。
昨夜は、九万の霊を一度に送還できた。が、トルネードの度に、六万、五万と確実に減っている。
午後を回り、返済分が残り四十五万体を切った時だった。
一回の送還数が遂に四万体を下回った。
まだ期限まで時間はある。
オレは二人に中断を告げた。
一旦部屋に戻り、状況を確認する必要がある。
部屋は窓を開けても、少々蒸し暑い。
ついさっきにわか雨が通ったばかり。
隣の部屋の風鈴が涼しげな音を立てた。
ちゃぶ台の上には、水の入った紙コップが三つ。
オレは手元の封筒(携帯料金の請求書)で顔を仰ぎながら骨魅に話しかけた。
「骨魅。トルネードの残り回数は?」
「十二回です」
「丁度半分だな。さっき送還したのが約四万体で……十二かける四万、順当にいったとして四十八万か」
「返済は残り、約四十四万体です。一応、足りるみたいですけど……」
「一回の送還数が減り続けてるのが気になる。このまま減り続けたら、返済に足りなくなるかもしれない。失敗ができない以上、ここは慎重になるべきだろうな」
一体が原因なんだ?
オレが気付いていない問題が、どこかにあるはずだ。
「トルネードが弱くなったのか?」
「……ど、どうなんでしょう?」
「沙耶は何か気付いたことがあるか?」
オレは沙耶に顔を向けた。専門家の意見が参考になるかもしれない。
「密度が、薄くなっているわ」
「トルネードの力は変わっていない?」
「ええ、問題は霊の方ね」
「だとすると、霊の逃げ足が速くなった?」
「死霊の動きはゆっくりしたものよ。人が歩くのと変わらない」
「じゃあ、霊同士で協力するようになった……?」
「死霊はたださまよっているだけ。神気に怯えることはあっても、組織的に動くことはまず無いでしょうね」
「あまり知恵は働かないってことか。固まって動くような習性も?」
「水辺や霊脈には引き寄せられる。けれど強い力ではないから、一様に集まるわけではないわ。基本的にばらばら」
そうなると原因は一つしかない。
途中から薄々気付いていたが、これは思ったより厄介かもしれない。
「つまり――トルネードで送還されて減った分、密度が薄くなったってことだ」
「私は初めにそう言ったわ」
「負けず嫌いかよ」
沙耶の冷たい視線は団扇代わりの封筒で遮る。
「……えーえー、あの、どういうことですかあ?」
そして理解できていない者が約一名。
「ああ、骨魅には難しかったか。もう少し優しく説明してあげよう」
オレはキッチンから白い中皿を一枚持ってきて、ちゃぶ台の真ん中に置いた。
「キャンディか何かあるか?」
「沢山ありますよう。甘いのと、すっぱいのと、辛いのと――」
リュックの中を漁る骨魅。辛いキャンディが少々気になったが、とりあえず今は関係ない。
「普通の丸いヤツがいいな」
「何個欲しいです?」
「十個あれば充分だ」
「じゃあ……はい」
骨魅が取り出したのは袋詰めキャンディだった。パッケージに大きく万力が描かれている。
「これ私のお気に入りで、サムスクリューズっていうんですよ」
オレは無言で袋を開け、中のキャンディを十個取り出して、皿に広げた。
親指の形をした黒いキャンディが、白い皿の上をころころと転がった。
「ソフトタイプです」
「噛んで……、食うんだろうなあ」
「貰っても良いの?」
よした方がいい気がする。凄く悲惨なことになりそうだ。
「――まあその前に骨魅」
はいはいなんですかあ、と骨魅が寄ってくる。
「皿のキャンディを、右手で一回、できるだけ多く掴んでくれ」
「ええと……こ、こうですか?」
「いや寄せるな。上からガバッとだ」
小さな手がキャンディを掴んだ。
「何個取れた?」
「四個です」
「じゃあ、それはオレが貰って」
一回皿を揺すってやる。キャンディが皿に散らばる。
「もう一回」
「何個?」
「三個です」
皿を揺する。もう一回と頷いて促す。
「二個です」
骨魅からキャンディを受け取り、オレは大きく頷いた。
「皿がこの町。キャンディが死霊。骨魅の手がトルネード。そういうことだ」
「どういうことですか?」
――危なかった。
今ここで「トルネードチャンス」を使ったら、骨魅はどこまで飛んでいくのだろう、と一瞬本気で考えた。
オレが骨魅に絶望していると、冷ややかな視線を皿に落としていた沙耶が、つ、と顔を上げた。
骨魅に向かって指を四本立てる。
「取れたキャンディは、一回目が四個、二回目が三個――」
一本ずつ指を減らしていく。
「三回目が二個ね」
「あ、取れる数がだんだん減ってます!」
骨魅は賞賛の視線でオレを見た。ようやく理解が追いついてきたようだ。
それを見てオレも立ち直る。つまりオレたちの状況はこうだ。
「一回目の四個ペースで三回やれば、全部で十二個取れる計算だ。キャンディ十個は全部回収できる、とオレたちは思っていた。しかし、実際は九個しか取れなかった」
「お皿に残ったのは、たった一個だけ。この子はこれから孤独に苦しむのだわ。きっとあなたを恨んで、心を狂気に染めていくのでしょうね」
「……す、すみません。私の手が小さいから……」
「骨魅の手が大きくても、何の役にも立たないな」
喜んだり凹んだり忙しいやつだ。
「皿の大きさは決まってる。キャンディが多いうちは沢山取れるが、少なくなると散らばって取りにくくなる……。これが、からくりだ」
オレは右手で頭を抱えて唸った。
「考えてみれば、当たり前のことだ。なんで最初に気付かなかったんだ――。オレはアホかもしれん」
「可哀相に。きっと脳が細菌に食われて、スポンジみたいになっているのね。今すぐ開いて見たらどう? 腐った果物の臭いがすると思うわよ」
「え……こ、弘蔵さん、そんな……本当ですか!?」
「そりゃ哀れなモーモーさんの話だ。オレじゃねえよ」
「人にも感染するという噂よ」
どうしてもオレを脳の病気にしたいらしい。
「無闇に煽るな。それより、このままだとジリ貧だ。何か別の方法を考えないとな」
皿にキャンディを戻して、腕を組む。
そういえば、骨魅は初めキャンディを手で寄せようとしていた。
「キャンディをこちらの都合で動かす……。指でキャンディを押すように、霊の方を動かせないかな」
「えー……っと、ど、どういうことでしょう?」
「オレからは霊が逃げるんだよな?」
「は、はい。霊は弘蔵さんの神気を嫌うみたいです」
「そう。弘蔵が言っているのは、こういうことだわ」
沙耶は皿のキャンディを細い人差し指で動かし始めた。反対の手で皿を揺する。
それを見てオレは喉を唸らせた。
致命的な欠陥があった。
所詮、人差し指で動かせるのは、キャンディ一個程度だ。
一個動かしている間に、他のキャンディは好き放題に動く。
二個同時に動かそうと誘導しても、おのずと限界がある。
まして霊の数は万の単位だ。
本来、十個のキャンディーではなく千粒のザラメでも使うべきところ。千粒のザラメを、人差し指一本で集めるのは難しい。皿などを揺らしてしまえば、不可能に近い。
しかし、どうも引っかかることがある。
「ちょっと待った。人差し指一本? どうしてそんなに範囲が狭いんだ? 病院の時は、トルネードの範囲で八体しかいなかった筈だよな」
「……そ、そうですよ? なんででしょう?」
「死霊は細菌並の知能。それでも十日間も除菌し続ければ、その周りを避けて通るようになるくらいの頭はあるわ。いなくなるのも当然でしょう」
「ふぇぇ……」
「そりゃ……使えないな」
神気の影響範囲は時間が経つ毎に広がるが、返済期限までは残り時間は四日もない。この手は時間的にも無理があるようだ。
「えー……と、それ、なら――」
意外にも手を上げたのは骨魅だった。
しかし、オレは期待した。
いつもはアホなキャラが、重要なところで逆転の発想――。
きっと骨魅はやってくれるに違いない。いつもは、アホだから!
「弘蔵さんが、お皿を揺するのをやめればいいと思うんです」
「アホはアホなりに、色々考えてるんだなあ」
オレはやさしくやさしく、骨魅の頭を撫でた。
「私にも撫でさせて。ホネ、ニクコップン」
明らかに間違った呼び方に、びくーっと肩を振るわせる骨魅。
アホアホ言っていたが、まあ、全く検討の余地がない、わけでもない。
オレが皿を揺すらないということは、霊がその場を動かないということだ。
霊の動きを止めることができるか。
沙耶に質問をぶつけてみると「無理」と速攻で否定された。
逆の発想をしてみる。
皿を揺らさない、は無理にしても、揺らしている間に次を掴みにいくことはできる。
手を動かす速度を上げる。
アプローチとしては、確かに悪くない。
霊が拡散する前に、素早く移動してトルネード。
問題は、
「オレ、免許持ってないんだよな」
高速移動手段の有力候補は、バイク、自動車だ。しかし、どちらもオレは持ってないし、動かすための免許もない。
「因みに、沙耶は?」
「ないわ」
あとは骨魅だが、もしこの幼女が免許を持っていたら、オレがこの場で直々に剥奪するので、聞くまでもなくパス。
「自転車は……微妙だな」
体力面の問題だ。
この案は性質上、始めたら一気に駆け抜ける必要がある。途中休憩は望めないだろう。
オレ、骨魅の二人乗り、沙耶一人。これは沙耶が脱落しそうだ。
オレ、沙耶、骨魅の三ケツ。さすがにオレの体力が持たない。
「リスクが高すぎる。この案は保留だな」
携帯の請求書(封筒のセロファン部分が煩かったので出した)で顔を仰ぎながら、再び考える。
皿の上の親指キャンディ。
骨魅の小さな手。
一度に掴める、数。
「分からん。お手上げ!」
オレは両手を上げて降参した。
完全に詰まってしまった。一度頭をリセットしないと、この思考ループから抜け出せない気がする。
霊の送還を今のまま続けるのは論外だ。
トルネードの回数をいたずらに消費するわけにはいかない。
とはいえ、何もしないでいるのも精神的に良くない。
今できることは情報収集だ。
とりあえず、コンビニで町の地図を買った。
霊の大まかな分布地図を作るためだ。作っておけば、なにかの役に立つだろう。
沙耶に霊の集まるポイントを見てもらい、地図に書き込んでいく。
オレたちは、結局その日一杯、作業に没頭した。