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<Ⅴ骨>

 五時過ぎに、オレは自宅に戻った。

 アパートの一室。

 一人暮らしのワンルーム(ユニットバス付き)は、オレが最後に出た時のままだった。

 速攻で風呂に入り、服を着替える。

 赤シャツ革パンから解放され、普段の生活に戻れた気がする。

 ようやく本当にこの世に戻ってきたと思った。

 しかし、

「――つーか、ホント。おまえたちは何でついて来るんだ?」

 そんな想いをぶち壊しにする幼女が、座布団に座っている。その隣に、氷の少女まで。

 喫茶店の面子が、そのままやってきていた。

「い、いちおう、弘蔵さんの担当なので……」

「狭い部屋」

「骨魅はまだ理解できるにしても、沙耶は?」

「別に、私の勝手よ」

 顔が少し赤い。

 また何か気に障るようなことを言っただろうか?

「まあ、いいけどな……」

 女二人の存在は、オレの部屋に華やかさを全く提供しなかった。

 幼女と氷女では、どうにもならない。

 とりあえず財布を捜しながら、少し気になっていたことを質問してみる。

「そういえば、最初のトルネードの時、送った霊の数は八だったか?」

「は、はい。残念ながら……」

「病院って、そんなに霊がいないのか?」

「え、えーと、普段はたぶん多目だと思うんですけど……、弘蔵さんの神気に当てられて逃げちゃったんだと思います」

「その神気ってのも分からん。そもそもなんでオレの身体に神気が封じられてンだ?」

「えっ、はは、はいっ、それはですね」

 後ろでごそごそと音がする。骨魅が黒い手帳を取り出したのだろう。

「『弘蔵さんが死亡した時刻に、神社に祀られていた神様が、弘蔵さんの肉体の方に移動する現象が確認されました。詳細は不明ですが、今、弘蔵さんはこの町筆頭の神社と同じ神格を持っています』。さしずめ歩く神社ということでしょうか?」

 オレは財布を捜しながら額に手を当てた。

 頭に鳥居のマークでも書いたほうがいいのだろうか。

「普通、無いよな」

「太陽が西から昇るより、ありえないわ」

「すみません、理由はまだ……J社でも調査中みたいです」

 沙耶にも、骨魅の方でも分からないのなら、この件は保留するしかないだろう。

 オレの推理は、オレの身体に神様が逃げ出した、としておこう。そしてこれは推理と言わない、ただの憶測、だ。

「あと、この影響で『一帯が神威の空白地帯に』なっちゃったみたいです」

「どういうこと? なんかマズイのか?」

「禊も祓も力を失ったわ。忌々しい……」

「……頭が悪くてすまん。よく分からん」

「えっとつまり、普通の霊能者さんは、霊を退散させたりできなくなってるんです。元々この土地でそういうことをやるには手続き上、神様にお伺いを立てないとダメなんですけど、弘蔵さんの中に神様が入っちゃってるので……えっと、『ハンコを押す上司がいなくて、重要書類が通らない』ってことで、分かります?」

「珍しくアンチョコが機能したな」

「ありがとうございますっ。えと、それで町の外は別の神様が管理しているので、大丈夫みたいです。霊はこの町の中から出られません。え、っと、『バイオハザードの隔離地区』……何のことでしょう?」

「外では死霊を祓うことができる。恨めしいわ……」

「なんとなく分かった。――財布ねえな」

 オレは財布探しを諦めた。

 一通り部屋の中を探してみたが、財布のサの字も見つからなかった。当時の状況から考えると、弟が預かっているのかもしれない。

 幸いにも携帯はすぐに見つかった。充電器に差しっぱなしだった。

 縁日の日、忘れていったのも、今の状況ならグッジョブオレと言おう。

 携帯でまず弟に連絡を入れるが、あいにく圏外。オレの財布を持っているなら、後で届けるようメールをしておく。

 それから予定通り、バイト先に連絡。

 応対に出たのは昼と同じ後輩だった。店長が店に戻ってきていることを確認して、今から行くことを伝えてもらう。



 大手チェーンの古本屋。

 裏から入ってバックヤードを通り、店内のカウンターを見ると、ガタイの良い青年が暇そうに欠伸をしていた。

「おーい。マサル」

 オレが声を掛けると、マサルは一瞬身体を飛び上がらせて口を閉じた。

「あっ、ニュー先輩!」

 すぐに走り寄って来る。

「お疲れ」

「お疲れ様ッス! 大変だったみたいッスね。身体、本当に大丈夫ッスか?」

「心配すんなって。ほらピンピンしてる」

 実際は検査も何もせずに出てきているが、ここで言う事もないだろう。

「でも十日も意識不明だったんスよね……」

「少し打ち所が悪かったからな」

 そこで何かに気付いたマサルは、オレの背中に目をやりながら、眉を潜めてオレに問いかけた。

「ところでニュー先輩、後ろの子たちは?」

 幼女と氷少女。二人組がオレのすぐ後ろに立っていた。

 そしてマサルの問いに一番早く反応したのは、よりによって骨魅だった。

「し、ししし親戚ですっ」

 それはねえよ、とオレは口の中でツッこんだ。

 今時、そんな嘘のチョイスは幼稚園児でもやらない。

 渋面を作って睨むと、骨魅は黒手帳で自分の口を塞ぎつつ、沙耶の後ろへそろそろと隠れた。

「そう。従姉妹なんだ。暫くこっちに遊びに来てて。今日はオレの退院見舞いみたいなモン」

「へえ、そうなんスか」

「舌を噛み切りたくなる設定だわ……」

 氷の声が、オレのフォローを速攻で切って捨てた。

「ああもうどうでもいい。どうせお前らは非協力的だよ。そもそも、別に隠す意味も無いしな。ところで店長はどこだ?」

「……事務室にいると思うッスけど」

「マサル、今日の事は忘れろ。そうすればきっと上手く行く」

「はあ、ニュー先輩が言うなら」

「じゃあ、またな。仕事頑張れよ」

 オレは強引に二人を押して、店内から従業員用の通路へ戻る。

 もう少しなんとかならないのか。

 二人が一般常識が通用しないタイプの人間(と、人間?)なのは、最初から分かってはいた……。だから来る前に、一つ言いつけておいたのだが――。

 長く息を吐いて、オレは心を落ち着けた。

「あなたと従姉妹だなんて、たとえ嘘でも舌を喉に詰まらせて窒息死したくなるわ。それに退院のお見舞いで、どうして従姉妹が一緒なのかしら。意味不明で狂いそう」

 怒るなオレ。ここで怒っても仕方ない。

 オレはその場で腕組みをして、二人を見る。

「ふぇ……こ、弘蔵さん。ちょっと、目が、その、怖いんですけど……」

「おっと、すまん」

 我知らず表情がこわばっていたようだ。

 指で眉間のしわを無理矢理伸ばす。

「今のはマサルだったからいいが、これ以上ややこしいのはゴメンだ。ついさっき、オレが二人に言った言葉。覚えてるか?」

「……しゅみません」

「…………」

 沙耶は足元を見たまま沈黙している。

「目立たないようにしろって言った」

「……ふぇぇ……わ、私、目立ってました?」

 オレは骨魅の頭を慈悲深く撫でながら、正直に答えてやる。

「骨魅はいいんだ。小さくて目に入らないから」

「あ、あの……、入間さん?」

 やはり少し面白い。

 軽く骨魅で遊んでから、腕を組みなおす。

 実際、骨魅はなんとでもなる。どうせ外見は近所の子供みたいなもんだ。知らない人なら年の離れた兄妹でもいい。

 問題なのはもう一人の方。年が近くて無用な邪推をされやすい。相手は興味本位の場合が多いから、フォローをしないわけにはいかない。そしてフォローのための説明は本人が切り捨て、オレ空回り。

「だが、沙耶はちょっとな。できれば、少し離れていてくれないか?」

 答えは、まあ割と予想できる。「私の勝手でしょう?」か、「土下座されても嫌」。

 彼女に恨まれるようなことをした覚えは無いが、喫茶店で話した時から、態度の端々に敵意は感じていた。

 とはいえ、オレは拒否されても、別に構わないと思っている。

 この先のことを思えば、大したことでもない。

 この世の常識と、あの世の非常識。

 両者がぶつかり合う異常事態は、そう遠くない未来に必ず訪れる。

 しかも一度では済まないに決まっている。いちいち真面目に当たっていたら、神経が持たない。

 まあそれに比べれば、沙耶の存在程度、大した障害とは言えない。

 たとえ空回りしても、諦めずフォローすればいい。それはできることだ。まあ面倒だが。

「――弘蔵は残酷ね。いいわ。どうしてもっていうなら。言う通りにする」

 オレの耳と脳は、その言葉を半分理解した。

「…………ノリツッコミは、しない!」

「それも望み?」

「いや……、オレの方針」

「条件があるわ。離れるのは、そう言われたときだけ」

「それでいい。つーか、最初からそういう意味で言ってる」

 沙耶の表情は相変わらず固く読めない。

 頼みを聞いてくれた理由は、よく分からなかった。

「オレはこれから店長と話をしてくる。三十分も掛からないと思う。二人とも事務室には入ってくるなよ。分かったか?」

 骨魅と沙耶が頷く。

 それを見てオレは、二人をその場に置いて事務室に入った。


 バイト先でのオレの呼び名である《ニュー先輩》は、最初の自己紹介の時、ある人物が名字の《入間》を《ニュウマ》と音読みしたことに由来する。そしてその読み間違いをした人物こそ他でもない、今、事務室の机で器用にドミノを立てている女性で、この店の店長だ。

 細身のスーツに、ウェーブがかったショートの茶髪、常に笑った目。緩い天然パーマの頭に、緩い天然気味の脳が入っている。二十代中盤にも見えるが、実際は三十代後半という話。勤務歴の長いバイトの間では、ネエさんと呼ばれ親しまれている。

 以前、店長に対して舐めた態度を取った新入りバイトがいたが、控え室で先輩からの熱烈な歓迎<げんこつ>を受けて、翌日から顔を出さなくなった。自業自得。

 オレは店長に一通り事情を説明した後、頭を下げて謝った。

 この十日間はなにしろ死んでいたのだから、本当にオレにはどうしようもないことだったが、迷惑を掛けたのは紛れも無い事実だ。

 謝ることができるのは、生きているからで、そうして生きているなら、謝るべきだ。

 話を聞き終えた店長は少し黙った後、オレの頬を軽くつねり「今回はこれで許してあげる」と仰った。

 ――店長の《つねり》には、腿、脇腹、二の腕などのバリエーションがあり、その中でも頬は相当ポイントが高いといわれており――閑話休題。

 処分は思いのほか寛大だった。

 十日間連絡がつかなかったことを軽く責められはしたが、引き続き雇ってくれるという。

 オレは感激して泣きそうだった。

 天然よばわりして、ごめんなさい。反省します。

 既に夏休み中のシフトはオレ抜きで組んでしまったらしく、人が足りない状況でもないらしい。「退院直後だし、暫く休養しなさい」と言いつけられた。

 それから来月のシフトについて少し打ち合わせた後、オレは事務室を出た。

 二人と離れてから、一時間が経っていた。



 事務室前の廊下には、骨魅が一人で立っていた。

 せわしなく左右を見渡している。

 と、オレに気付くと慌てて寄ってきた。

「こっ、弘蔵さんっ。どうしましょう、沙耶さん……沙耶さんが……」

 ぴりっとした直感があった。

 理由を考える前に、オレの身体は骨魅が指差す方へ動いていた。

 廊下の突き当たり。裏口のドア付近が、青白い蛍光灯の中、冷たく凍り付いている。

 状況は目に入っていた。

 しかし、すぐには理解できなかった。

 異様な黒い塊が転がっている。

 消去法で、頭の中に沙耶の顔が、名前と共に浮かんだ。

 沙耶が膝を抱えて丸まっている。

 それだけだ。

 オレは忘れて、一つ戻る。

 どこかで見たことがある物。

 直ぐ傍で見、手を伸ばした時に、符合した。

 オレがオレの死体を初めて見たときの感覚。

 視界を冷やす元凶が、ドアの前に塊が転がっている。

 凍りついたように動かない、青と黒の塊は、青いワンピースと黒い髪。

 オレは認めた。

 川田沙耶。

 膝を抱えて、丸くなった沙耶。

「――もう、終わり?」

 囁き声がした。

 荒い呼吸音は……オレの息だ。

 顔を近づけても、沙耶の呼吸は微か。

 じぃっと、組んだ自分の手を見つめている。

「――終わり?」

「え、あ、終わった、終わった。オレの用は済んだ」

 沙耶は今初めて気付いたように顔を上げた。目を閉じて、微かに息を吐く。

「そう」

「沙耶?」

「なんでもないわ」

 緩慢な動きで立ち上がる。

 手を貸したとき触れた肌は、氷のように冷たかった。

「だ……大丈夫ですかあ……」

「次はどこへ行くの? 弘蔵」

 生気の抜けた冷たい顔は、また俯いていた。

 それ以上の追求はオレも骨魅もできなかった。



 夜十時。

 橋の照明が、コンクリートの路面と川面を点々と照らしている。

 町を西から東へ流れる、普通の川。岸は整備されて広く、水流は少ない。

 上流側に顔を向けると、一つ向こうの橋を車のヘッドライトがゆっくり流れているのが見える。

 対して、こちらの橋は閑散としている。

 長さは五十メートルも無い。

 幅は十メートルも無い。

 歩行者用の橋に人気はない。

 オレたち三人は、橋の真ん中に立っていた。

 水辺は霊が集まるポイントの一つであるらしい。沙耶が「忌々しいこと……」という台詞と一緒に教えてくれた。

 川岸には今も霊がひしめいている、のだろうか。

 見えないオレには、いまひとつ実感がない。

「弘蔵さん。あまり時間がかけると、弘蔵さんの神気に当てられて、霊が逃げて行っちゃいますよ」

「そうだったな」

 自分の意思で《トルネード》を使うのは、これが初めてだ。

 ここは屋外、風で物が壊れる心配はない。

 次の注意点は確か『使用前は、周囲五メートル以内に、人がいないのを確認しましょう』だ。

 周囲五メートルには、沙耶と骨魅の二人がいる。いきなりアウトだ。

 骨魅を人の範疇に含めていいのか疑問はあるが、人の形はしているのだから、あまり乱暴な事は避けた方がいいだろう。

 と思うのだが、

「骨魅。ちょっといいか?」

「は、はい?」

「早くしたいのは山々なんだが、そこにいたらトルネードが使えないだろ?」

 幼女はなぜかオレの足にしがみついていた。

「い、いえ……その『トルネードの中心から、約一メートル半は使用者保護のため無風地帯』なんです」

「そういえば、前もオレにはあまり風が来なかったな」

「ええ、大丈夫なんです。あの……私は弘蔵さんの傍がいいです。……め、迷惑ですか?」

 上目遣いで骨魅(身長の関係で必然的にそうなるのだが)。

「分かった。範囲の外に出ないように気をつけろよ」

「はーいっ」

 返事には笑顔がついてきた。

「私も弘蔵の傍がいいわ」

「沙耶も? いや、うん、それは……どうだろうな」

 そうオレが言い淀んでいると、低温視線で鋭く睨まれた。

「私を強風の中に放り出そうっていうの? 弘蔵は人の下着を見て興奮する歪んだ性癖の持ち主なのかしら? それとも女を辱めることに喜びを感じる変態?」

 突然の変態呼ばわりだった。オレは一体どういう人間に見られているのだろうか。

「……あ。それなら弘蔵さんは正常です。『可愛い女の子の下着を見て、興奮するのは男として普通』、『女の子の恥らう姿は、癒しの効果がある』って書いてあります」

 足元を見ると、骨魅が黒手帳を開いていた。

「お前のそれは何でもありだな。つーか、何処の誰様のカルチャーだ」

「田中課長の《奥さんへの言い訳》抜粋です」

「職場のおもしろ日常会話かよ。あと、悪魔に結婚制度が?」

「学生結婚って聞いてます」

「へえー……」

「コントはもういい? 寒くて凍死してしまいそう」

「真夏の屋外で、なかなかマジカルな死に方だと思うが、いや……それより」

 いつの間にか、沙耶がオレの前に立っていた。しかし、

「なんで後ろ向きなのか聞いていいか?」

 目の前に後頭部があった。

「弘蔵を近くで見ていると、思わず刺してしまいそうだから」

「左様か」

 沙耶のハンドバッグの中に、出刃包丁が入っていてもオレはきっと驚かない。

「霊はまだいるよな?」

「孵化直後のかまきりの卵を見たことがある?」

「――さて、ぐずぐずしていると、本当に霊たちが逃げてしまうな」

 沙耶と話していると、いらぬトラウマが掘り起こされそうだ。

 一つ深呼吸をして気持ちを落ち着ける。

「――ちょっと待って」

 と、やや緊迫した調子で沙耶が止めた。

 オレと骨魅にも緊張が走る。

 沙耶はオレたちから一歩離れると、ハンドバッグからスプレーを取り出し、自分に吹き付け始めた。

 それから、袖口や襟元の匂いを嗅いで、ようやく気が済んだのか、元との体勢(オレの前に後ろ向きで立つ)に戻った。

 オレと骨魅は顔を見合わせる。

「柑橘系?」

 沙耶から少しきつめな甘酸っぱい匂いがした。

 霊能者特有の儀式か何かだろうか。

「――かまきりの子供が沢山」

「すぐやるから、黙っていてくれ」

 説明が無いのなら、特に問題もないんだろう。そうに違いない。

 トルネードの準備に戻る。

 前のトルネードを思い出しながら、イメージする。

 拳は顎の横。ドアを叩く直前の姿勢。

 静かに、腹に力を入れていく。

 沙耶の後頭部が少し縦に揺れた。

 骨魅の緊張が足を通じて伝わってくる。

 顎に梅干を作りながら、気合を込めて。

 二発目の、

「トルネード、チャァーーンスッ!」

 オレの声が夜の橋に響き渡った。

 沙耶の後頭部がびくりと揺れた。声が大きすぎたか。

 そういえばここは住宅街だった、と一瞬後悔したものの、次の光景で全て忘れた。

 風が見えたわけではない。

 しかし、その風が何かに触れた瞬間は確かに見えた――

 音も無く、世界が爆発炎上した。

 直感的した、これが神気。

 炎の色は碧。その様は正に熾烈。

 碧の火列はまるで散布したガソリンに引火したかのように、上流、下流へ爆走する。

 炎は光となり、流れ、渦を巻き、空へ吹き上がる。

 蛍火や人魂といった控えめな言葉では、まるで言い尽くせない。

 トルネードの外縁は、もはや輝く炎の壁と化していた。

「は……はは、こりゃスゴイ……」

 橋の隙間を吹き抜ける、この世の風の鳴き声が聞こえる。

 百万の霊。本当に返済できるかもしれない。

 トルネードの力を目の当たりにして、ただの言葉が実感になった。

 口をあけてその光景を眺めていると、トン、と何かが肩に当たった。

 白い横顔が見えた。微風が髪を揺らしている。瞳が碧を反射している。

 取り憑かれたように、碧の炎を凝視している。

 突然、沙耶が苦しげに身をよじった。

「……あ……ああああああ」

 目を見開き両手で口を覆って喘ぎ始める。

「沙耶!?」

「沙耶さん!?」

 オレは沙耶の肩を掴んだ。身体が痙攣していた。

 さっきの姿が脳裏をよぎる。

 膝を抱えて丸くなった異常な姿。

 何故?

 あの異常は何が原因だったんだ?

 発作? 何の?

 無理矢理にでも聞いておくべきだったのか?

 頭の中に疑問符が溢れて、パンクしそうだった。

「空気……、空気が」

 空気!? 息が苦しいのか!?

「おいしいわ……。とっても……」

 よく見ると沙耶は笑っていた。

「あは、あはははっあっ、あはっ……。とても嬉しくて、あは、狂ってしまいそう」

 オレは胸の奥で思った。『心配するな。もう狂ってる』。

「沙耶さん、大丈夫ですか?」

「大丈夫。死にはしないわ。あは」

 沙耶に絶望したオレは、下を向いて骨魅に尋ねた。

「確かに綺麗な炎だったが、別に笑いには結びつかないよな?」

「……そう、ですね。あ、そうだ。どこかがダジャレになってるかも」

「マジかよ! それ、無茶苦茶損した気分だ! おい沙耶、お前だけが気付いた、その爆笑ポイントを教えてくれ!」

 オレの必死の問いに、沙耶は笑いを引っ込めた。

「どこかで火事が起きてるの?」

「火事? いや、とぼけるなよ。青い火は燃えてるが――分からん。なにが爆笑なんだ」

「――弘蔵? あなた、炎が見えるの?」

「見えるも何も、なあ?」

「あれは霊的なものだわ。弘蔵の節穴には見えないはず」

「あぁ? 言われてみれば――そうだな。見えたらおかしい。沙耶、何気に節穴とかいうなよ」

「えーとえーと、はい。『余剰の神気が一時的に霊感を与える場合がある』みたいです。でも『弘蔵さん自身は元々霊的な素養が一切ない』ので、『神気を供給するトルネードの発動が終われば』消えてしまいます」

「ホースから垂れる水みたいなもんか」

「『大富豪のおこぼれに預かっている、浪費癖のある貧乏人』……、って書いてあるんですっ」

「読み上げる前に考えろよ。ホネミン」

「……ふぇ、い、入間さん」

 ぬるい笑顔で骨魅の頭を優しく撫でていると、ようやくトルネードの炎が消えた。

 元の薄暗い橋、川が戻ってきた。

「さて、今のでどのくらい送還できたんだ?」

「あ、はいっ、聞いてみます」

 骨魅はポケットから携帯を取り出して、どこかへかける。

「えっと、はい、営業三課の小林です。え……本当に? はい、はい。いえいえ、こちらこそ……。はい、失礼します」

 オレと沙耶は骨魅に注目する。かなり派手だったが……

「今ので送還した霊の数は――九万千三百二十三体です!」

 うおおぉっ、と主にオレの声が上がった。

 骨魅と一緒にその場で跳ねて喜んだ。

「スゲエな! 一度に約九万!? 一回目のは、もはや誤差だな!」

「えっと、も、目標が一回、四、五万だから……、すごいです!」

「はー、こりゃけっこう余裕かもな。残りは?」

「えっとえっと、残りは約九十万体です」

 このペースならあと十回ちょっとで完済だ。トルネードの回数制限に充分収まる。

「今日はもう終わりにしましょう。疲れたわ」

「そうするか。本格的に動くのは明日からだな。ところで沙耶、さっきは何が爆笑だったんだ?」

「弘蔵? それはなんの妄想?」

 けんもほろろに一蹴された。

 ケチ。


 途中、骨魅に金を借りてコンビニで夕食を調達した。沙耶は他にも何かを買っていたようだが、良く見えなかった。

 自宅の郵便受けにはオレの財布が入っていた。弟が一応届けてくれたらしい。忘れない内に、骨魅に借りたお金を返しておく。公衆電話を掛けた時の二十円とコンビニ弁当の分。

 部屋に入って、まず初めにオレがしたことは、二人を風呂に放り込むことだった。気を遣ったつもりだったが、沙耶には「……忌々しいこと」と悪態をつかれる。

 骨魅は自分の着替えを多次元(?)リュックから取り出した。すばらしく便利なリュックだ。オレも一つ欲しい。沙耶の着替えは用意していなかったので、ひとまずオレのシャツとズボンを貸すことにした。途中で寄ったコンビニで買っていたのはどうやら下着。そのことを指摘すると、またも変態呼ばわりされた。

 それから、ちゃぶ台を囲んで、遅い夕食。

 サンドイッチを一切れ食べた沙耶は「吐き気がするわ……」と言って、ぐったりと横になってしまった。勿体無いので、残りはオレの胃袋に入る。

 骨魅の食事は。クレープとエクレアとチーズケーキ、パックのいちご牛乳(極甘)。とどめにドでかいシュークリーム。胸焼けがしそうだった。甘いものは別腹というが、骨魅には甘いものの入る腹しかないらしい。しかも容積が異常。悪魔の面目躍如といったところか。

 二人は結局オレの部屋に泊まった。

 因みに、オレは玄関で寝た。


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