<Ⅳ骨>
外は、暑くて夏だった。
肌を焼く太陽は、この世の光。脳を侵食する湿った熱気が、地面から立ち上る。街路樹の中で、セミがヒステリックな叫声を上げている。大きなノイズは、他の音を失わせる。結果残るのは、静に似た騒々しさ。同じく強い光の周囲は暗く沈む。目に映る空は、南国の海のように深い。巨大な入道雲が、遠くの空からオレを見下ろして、軽侮の苦笑いを滲ませている。
三途の川から無用の不思議を連れ帰ったオレは、どんな間抜けに見えているだろう。
「あちぃな……」
「暑いです……」
病院の前で、二人立っていた。
田中課長は、《専門家》との待ち合わせ場所へ直接行くように言ったが、流石に病院服のまま町を歩くわけにはいかない。
そう小林に話すと、黒ローブの中から着替えが出てきた。
Tシャツとデニムのズボン、スニーカー。全てピンク色。
つき返すと今度は、毒々しい赤のTシャツと黒のレザーパンツとロングブーツを渡され、オレは小林を容赦なく罵った。どうしてこう頭が悪いのか。この死神コスプレ幼女め。そして、やはりローブの下には多次元ポケットがあるのか。
二択を迫られたオレは、赤シャツと黒レザーパンツを選んだ。ピンクよりはマシ。暑いのは……耐えるしかない。
退院の手続きはオレが知らない間に終わっていた。全て田中課長が処理したという(小林談)。オレはあの不規則男への評価を少し改めた。
因みに、小林は黒ローブを脱いでいる。
ローブは裏返すとリュックに変化した。多次元リュックというわけだ。
鎌は中に入れたようだったが、その瞬間は見逃した。惜しいことをした。
ピンク色のキャミソールにデニムのショートパンツ。よく見ると黒いドクロがあちこちにプリントされている。むき出しの腕が病的に白い。栗色の髪を頭の後ろで一つに結んで、ピンクのリボンにもご丁寧にドクロの模様。
これにドクロマークの付いた多次元|(?)リュックを加えたものが、小林の自称、普段着ということだった。
オレが見る限り、それは現世の街中で許されるギリギリのラインを踏みつけている。主に黒い唇と、骸骨の首飾りがアウトの敷地を踏んでいる。
オレたちは街路樹に沿って、強い日差しを避けながら移動した。
小林の足は、当たり前だがオレより短い。オレが一歩進む間に、小林は足を四回動かすことになり、すぐバテた。あまりにもペースが遅いため、最終的にオレの腕にぶら下がって(引きずられて)歩くことになった。とかく弱すぎる。田中課長は自称して悪魔と言っていたので、小林はその下っ端なのだろうか。
レザーパンツがムレて気持ち悪い。オレの機嫌は下降線を辿る。なるべく早く家に戻って自分の服を調達しよう、と心に決める。
途中、コンビニに寄り道した。ちょっとした用事だ。
新聞で日付を確認するとオレが死んで(小林曰く、霊魂不在の昏睡状態)から、十日が経過していた。もう一週間もすれば、二学期の始業式だ。
それから小林に十円を借りて、コンビニ前の公衆電話から家にかけた。
出たのは母さんだった。生存を報告したが、淡白な応対だった。まあ、そうだろう。オレも淡白に電話を切る。
更に小林を拝み、もう十円借りる。
今度はバイト先へ連絡。応対にはバイトの後輩が出た。店長は外出中とのこと。無断欠勤には違いない。クビになっているのを覚悟していたが、店長にまだその気は無いという話だった。後輩も庇ってくれたらしい。とりあえずこの十日間入院していたこと、事情は後日説明しに行くことを伝えたところで、十円が切れた。誠意を持って説明すれば、まだクビはつながるかもしれない、と前向きに希望をつなぐ。
三途の川の非日常がどうであれ――生き返って、そのための負債を返す途中であっても――日常生活を続けていくのが、オレの道筋<ルート>である以上、継続して行うべきことはある。
オレは落ちかけたものを、思わず拾った。ただ、余計なものまで付いてきた。それだけだ。
今日、新たに一つ学んだのは、夏とレザーパンツはとても相性が悪いということ。つーか、今すぐ脱ぎたい。
オレの腕にぐったりと掴まった小林の顔色はいよいよ青白く、軽く脱水症状を起こしているように見えた。
夏の暑さという難敵を乗り越え、待ち合わせ場所に辿り着くのに要したのは、徒歩にして二十分。
商店街ビルの一階に、その店はあった。
《喫茶ガイコツロック》
待ち合わせ場所を選ぶセンス。店の命名センス。そのどちらを責めるべきかオレは迷い。両方ムカつくという結論に落ち着いた。
木製の入り口ドアは普通の喫茶店と変わらなかった。カランコロンとドアチャイムを鳴らしながら、店に入る。
店内は、広くもなく、狭くもなかった。控えめの照明で、全体の雰囲気はm店名ほどぶっ飛んでいない。よく見ると随所にミニチュアの人骨模型が置かれており、ちょっとしたアクセントになっている。
ありがたいことに、冷房が良く効いていた。
オレは小林が首にかけていたドクロマーク付きタオルを引ったくり、汗を拭く。下で小林が呻く。汚いですよう、とかなんとか。
いらっしゃいませ、と店員の声。
カウンターの中に店員が二人立っていた。グレーの髪を撫で付けた、五十代の男。もう一人は学生風の男。バイト少年だろう。どちらも人骨エプロンを付けていた。黒地に胸の辺りのレントゲン写真がプリントされている。ガイコツは嫌でも目に入るが、ロックの要素は見当たらない。そっちのこだわりは、特にないのだろうか。
奥まったボックス席に客が一人。黒髪の少女が文庫本を読んでいる。
そこでオレは、相手の容姿を聞いていなかったことに気が付いた。
小林に目を向けるが、まるでボロ布のような有様で、役に立たないのは明白だ。
しかし、オレの心配は杞憂に終わる。奥の席の少女がオレを見て軽く手を振ったからだ。
オレは小林を引きずりながら席に近づく、机の上はお冷とティーカップが乗っていた。
「はじめまして、こんにちは。……君が、例の?」
念のため、ぼかして聞いた。間違っていたら、かなり危ない人と思われる。
少女の、ハンドバッグに文庫本をしまう手が一瞬止まった。
「霊の……。ええ、そうよ」
それ以上は特に気にした風も無く、文庫本をしまい、ハンドバッグを横に置いた。
線の細い子だった。年はオレより少し下だろうか。濃い青のワンピース、化粧っ気はあまりない。長い黒髪を首の後ろで結んでいる。
オレは対面の席に小林と並んで座った。
ウェイターがやってきて、水とおしぼりを置く。
オーダーに水、を告げると、隣の小林がアイスコーヒー二つ、と訂正した。問い詰めると経費で落ちるとのこと。ごちそうさま。
まだ辛そうにしている小林の額に冷たいおしぼりを乗せてやった。
「ふぇっ。……あ、ありがとうございますう。気持ちいー……」
だらしなく口が緩ませる小林。お冷を少しずつ飲みながら、息を漏らしている。
改めて少女に向き直ると、冷たい表情で、じっとティーカップを見つめていた。
嫌な予感がした。
「川田沙耶」
「…………?」
カワダサヤ、が名前だと気付くのに数秒掛かった。
川田の視線は、机の上のティーカップから動かない。氷のように冷たく固い態度だった。
この少女も、だいぶ変わった人間のようだ。
「……オレは入間弘蔵。こっちのお子様は小林」
オレの紹介に、小林は慌てて額のおしぼりをのけて、姿勢を正した。
「営業二……じゃなかった、三課の小林骨魅です」
「で、何から話したらいい?」
「…………」
しかし川田は、いつまで経っても口を開かなかった。話が止まってしまう。
冷え切った空気に耐えかねて、最初に動いたのは小林だった。
リュックから黒い手帳を取り出し、たどたどしく話し始める。
「……え、えっとその、これ、自動書記機能がついてる最新型なんですよ。このサイズで一番軽いんです」
「…………」
「だから寝てても、ちゃんとメモしてくれて、とっても便利なんです……」
「お前の説明が要領を得ないのは、そのせいか」
「……い、いちおう、講習、は、受けてます」
「眠ったままで?」
「は、はい……」
不安は尽きない。
「あ……あ、川田さん。か、かわいい服ですねっ」
「そう」
「…………ふぇ」
小林は半分涙目になりながら、しかしめげずに話を続ける。案外しぶとい。
「……そ……そ、それはさておきですね。入間さんの《トルネード・チャンス》についてお話しますね。えっと、入間さんの場合、百万の霊をあの世へ送還しないといけないんですけど――」
「それは、もう聞いてるわ」
さらに追い討ちをかける川田。切れ味抜群だ。凹んだお子様相手でも、とかく容赦が無い。
「ははは、はい。それなら、えと、ピ、P型トルネードについて……」
「そういえば田中に言われてたな。丁度いい、今説明してくれ」
「えっと……すみません、川田さん。ちょっと長くなります……」
「いいわ。勝手にやりなさい」
「えーっと、これ……かな。『屋内で使用した場合、強風で物が壊れる場合があります。見通しの良い場所で使用しましょう』」
「それはもう。二度と御免だ」
「『使用前は、周囲五メートル以内に、人がいないのを確認しましょう』」
「花火の注意書きと同レベルか……」
「花火……綺麗ですよねえ。今度一緒にやりませんか?」
オレは小林の頭を優しく撫でた。
「すまん。アホの子の説明に、口を挟んだオレが悪いんだ」
「……い、入間さん?」
複雑な表情でオレを見上げる小林。オレは手をとめて頷く。やばい。こいつ、少し面白い。
「続きは?」
「あ、えと。次は使い方ですね……、『P型トルネードの起爆には入間さんの認証が必要です』、だそうです。『認証はトルネードチャンス他、適当な掛け声で行います。誤爆防止のため、一定の気力を込めて発声しないと起爆しません』」
「さっきオレは見事に誤爆したな」
「多分、力を込めて言ったからだと思います……」
確かにあれは、思い切り情感を込めていた。
「『P型トルネードは神気を召喚して、爆発的な上昇気流によって霊をあの世に送還します。神気の到達範囲は半径約二百メートルです。こちらは物質的な風と違い、壁などを無視し通り抜けます』」
「思ったより狭いな」
神気、とやらが霊をあの世に送るオーラか何かなんだろう。
「あ……あと、注意書きがあります。『但し、入間さんの場合、肋骨内に神気が封じられていますので、使用回数が二十四回と制限されています』……あれ?」
「回数制限がある? 百万を二十四回だと、一回で……四、五万は仕留めないといけないってことになるが……」
「いえ……さっき一回使ったので、あと二十三回です」
「……そうだった。素振りって言って、キャンセルしてくれないか?」
「送還した八体の記録が残ってるので、無理です……」
一回無駄に使ってしまった。オレは右手で頭を抱えた。
と、そこでウェイターがアイスコーヒーを持ってきた。
オレたちは一旦、黙る。
ウェイターが去り、オレはアイスコーヒーを一口。
「ところで、川田さん。君は霊の専門家なんだよな?」
「沙耶で結構よ」
「了解、沙耶。オレも弘蔵でいい」
小さく頷く沙耶。しかし目線はティーカップから外れない。
「あっ……私も、ホネミンって――」
「オレは霊について何も知らない。すまないが、基本的ところを教えて欲しい」
沙耶は何も言わない。
「初歩的な質問をしてもいいか?」
沈黙は肯定、と思って続ける。
「無知な人間の言う事だと思って聞いてくれ。――百万の霊と言うと、相当な数に聞こえるが、君の常識で考えても多いのか? さっきのP……型トルネードで、なんとかなる数だと思うか?」
眉一つ動かさず、沙耶は答えた。
「正気の沙汰じゃない」
全否定だった。
しかし一拍後、沙耶の口から確かに溜息が漏れるのが見えた。
「先週までなら、そう言っていたわ」
「ん? その言い方は、できるってことか?」
「可能性はあるでしょうね」
オレは軽く頷いて続けるよう促す。視界に入っているかどうかは分からないが、なんとなく。
「死霊が激増して、町に溢れている」
「へえー……」
「百万。いいえ、その倍かしら。とにかく数える気にならない程の数。死霊の密度が濃い場所を選べば、半径百メートルに五万くらい、確かにいる」
それは希望の光が差す情報だった。《トルネード・チャンス》は、ただ無茶な数を要求しているわけではないらしい。
「神威が堕ち、黄泉の口が開いた。ここはもう死霊の町ね」
薄気味の悪い話だ。町の中に大量の霊が漂っている状況を想像して、背筋が寒くなった。
そう――今も、すぐ傍を霊が通っているかもしれない。
オレは思わず左右を見渡した。
店員二人と俺たち以外の人影は……見当たらない。
「お店の中にはいない。でも外は死霊が闊歩して、とてもうるさいわ」
舌打ちの後、「忌々しいこと……」と呟きが聞こえた。
あの世の課長、田中が紹介する霊の専門家は、知識だけではないようだ。
恐らく沙耶は、実際の霊能者だ。
「そうか。君は霊が見えるんだな」
「弘蔵は見えないとでもいうの?」
窓の外は普通の人々が行きかっている。どこにでもある昼の商店街だ。
「見えない」
「最悪だわ、最悪。理不尽。とてもイライラする」
「す、すみません……私も見えないんですけど」
「お前は見えろよ」
「……こ、こっちは、あまり慣れてなくて……すみません……」
使えなさ過ぎる。担当の変更を希望したい。
「興味本位で聞くが。霊って、大体どんな姿をしてるんだ?」
「概ね死んだ時の姿をしているわ」
自分が死んだ時の事を思い起こしてみる。しかし、あまり参考にならなかった。あの時、外見は特に傷ついていなかったからだ。
オレのように外見上、綺麗な状態で死ぬ人は――少なくとも悲惨でない姿で死ぬ人はどれだけいるだろう。
毒死、病死、老衰、凍死、餓死、溺死、転落死、轢死、縊死、焼死……。
死霊の何割かは、確実に身体を損傷している。凄惨な姿があっても、おかしくは無い。そして絶対数が多ければ、一部もまた多くなる。
見えない人には、平和な昼の商店街でも、見える人にとっては、一転して凄惨なホラーになる、のかもしれない。
「気に障ったら謝るが、目を上げないのは外の霊を見たくないからか?」
「いいえ」
「本当かよ」
沙耶はオレの疑いの言葉に視線を上げて、
「謝りなさい。とりあえず土下座でいいわ。無様に鼻水と唾液を垂らしながら、額の肉が全て削れて頭蓋骨が見えるまで。この場で今すぐ許しを乞いなさい」
気に障ったらしい。
「それは、お店に迷惑だろう」
「……忌々しいことだわ」
沙耶は目を閉じて黙ってしまった。
「……ホネミン」
オレの隣では小林がいじけている。
このチーム。侮れない。――勿論、悪い意味で。
これが終わったら家に帰って、バイト先に顔を出そう。