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<Ⅰ骨>

 粉モノのソースが焦げる香ばしい匂い。発電機の回る音と排気音。ラジカセから流れる賑やかしのJ-POP。

 屋台の間を、浴衣姿の人々が、浮かれた顔で歩いている。

 じゃり、ぺたこん、じゃり、ぺたこん。

 オレも踵を潰したスニーカーで、ザ・ペタコンウォーク。砂利の散らばった、石畳を歩く。

 オレの隣を可愛い弟も歩いている。からころからころ。ザ・カラコロウォーク――は、もういいか。いつ見ても、異様なほどに可愛らしい。時々、性別が分からなくなるときがある。今も真新しい浴衣が心を惑わせそうになるが、オレは大丈夫。問題ない。愛の中でも、家族愛だから。もちろん?

 実は二人で歩くのは、少々抵抗があった。

 こっちは十人並みの男子高校生風。首がへたれたTシャツと、裾丈が足りないジャージ、踵を潰した土臭いスニーカー。ボサボサで毛癖の悪い髪。兄の威厳もへったくれもない。祭りに出かける格好じゃない。それは分かってる。分かってはいるが……今更、じたばたしても仕方ない。

 何を隠そう、今日は久々の兄弟水入らず。

 つまらん顔をして、楽しい気分に水を差すのは無しだよな?


 オレたちは、屋台を冷やかしながら、境内を目指した。社殿の脇では、かがり火が焚かれ、舞いの奉納が行われている。

 腰一つ分高く作られた仮設舞台の上で、三人の巫女がやけにゆっくり動く。

 これが神秘的ってヤツかーと、どことなく外から眺めながら、弟にとって良い思い出であるよう祈った。口を閉じて神妙にしている弟を見る限り、多分大丈夫。

 舞が終わると弟はすぐに興奮した様子で、凄かったね、とイイ感想。もちろん同意だ。

 メインイベントは終わり。オレたちは社殿から引き返した。

 しかしまあ、思い出としては、どこか物足りない。

 屋台を冷やかして歩いている弟を呼び止めて、リクエストを聞くことにした。

 口を割らせるのに要した時間、約五分。ようやく聞き出せたのは屋台定番の菓子だった。

 ――チョコバナナ。

 聞き返してもやはりコレ。弟は未だにオレが貧乏だと思っているらしい。半ば間違ってはいないが、少々傷つく。

 しかし、オレは思い直す。思い出は金額じゃない。プライスレスという言葉を、今だけは信じよう。

 幸いにもすぐ近くに、チョコバナナの店はあった。

 オレはジョークのつもりで一番高いやつな! とノリノリで注文する。

 ――後から考えると、この時のオレの注文が、なにより一番ヤバかったのだと思う。

 店主は冗談と取らなかった。絢爛豪華かつ、目に痛い、ビックリするほど高額な、《三千円のチョコバナナ》を差し出した。

 一本三千円のチョコバナナが、この世に存在していいのか?

 オレの常識的な問いに対し、店主は大真面目に語る。

 一本二百円の最高級アポ山バナナに、スイス製最高級のチョコレートをたっぷりかけた、今までの常識を覆す、他では絶対に真似できないトップレベルの贅沢品でぇ、文句あっか。

 むろん大いにある。そんなもん、誰も真似しねえし、縁日の屋台で最高級品を売んな。この野郎。買うアホがどこにいる。

 しかし口には出さなかった。弟の前で、そんなみっともない姿はさらせない。

 店主の挑発的な態度(バナナとチョコのウンチク)と、弟のもういいからお兄ちゃん的視線に晒され、結局千円札三枚と超高級チョコバナナを引き換えることになった。

 口は災いの元、など上手いこと言って、恐縮する弟を和ませようとするも失敗。もう絶対にねだったりしない、と宣言されてしまう。


 七時過ぎ。もう少しすると、裏山で花火が上がる。

 花火の反対側にあたる神社の参道は、人通りが少めだ。これはオレの予定通り。混雑するのはいただけない。弟の身の安全がなにより最優先。少し遠くなるが、ここは我慢だ。

 オレは石段の頂上で足を止めた。

 弟の浴衣が薄暗闇の中にぼんやりと浮かんでいる。オレに目を向けて、控えめに首を傾げた。

 オレは口の端を少し曲げ……、視界に入ったモノの衝撃に目を細める。

 蛍光色のシュガースプレーが、激しくファンシーな自己主張をしまくっている。バカ高いチョコバナナ(三千円)。毛糸球が、時速三キロで顔にぶつかっても、別に痛くない。しかし仰け反る。そういう衝撃。

 いや、立ち止まったのは、何もチョコバナナを持った弟を観察するためじゃない。弟の観察事態は悪くないが、それは――置いておこう。

 主な理由は、買った時のまま一切姿を変えていない、チョコバナナだ。

 弟はまだ口をつけていなかった。

 このまま石段を下りれば、神社を出てしまう。縁日の思い出は、外に出れば終わってしまう。オレの気持ちは根拠無く、そう訴えていた。

 ここで、今すぐ食え。行儀は気にするな。

 弟は何か言いたげな上目遣いでオレを見る。

 ――食わないと勿体無い、とは言わない。

 二秒後。食わずにおくのはオレに対して失礼だ、とかなんとか良いことを思いついたので、そっちを口に出した。

 その直後、チョコバナナとは別の衝撃に、オレは仰け反った。

 弟が、満面の笑みを浮かべていた。

 もしもこいつが妹だったら、一線を越えてしまったかもしれない。そう思わせる笑顔だった。仮定だ。オレは大丈夫だろ?

 弟の目前を一匹の虫が通り過ぎた。

 小さな悲鳴。

 チョコバナナが弟の手から滑り落ちる。

 考えるより先に、手が伸びる。届かない。オレは一歩踏み出す。


 もともとは。

 最初の予定では。

 今日の縁日に、オレが行く気は、全くこれっぽっちもなかった。

 弟は友達と行けばいい、本気でそう思っていた。浴衣を贈ったのは、恥をかかせたくなかったからだ。

 しかしオレと一緒では、何の意味もない。

 これでも本当に気にしてた。


 落下するチョコバナナの――串の方を右手で見事キャッチしてみせたのは、まさに地面から数センチ、ギリギリのことだった。

 ほっと安堵の息を付いた時、しかし景色は斜めに傾いていた。

 悪寒が喉を詰まらせる。唐突に空振る左手。

 上下が交互に入れ替わっていることを理解したのは、三回転の後。

 そして「回転を止めないとなあ」と考えた時――。

 後頭部に加わった破壊的な打撃に、オレの意識は刈り取られ、ぷっつりと暗転した。

 意識は十秒の時を飛び越える。

 次に見たのは、石段の一番下で倒れている男だった。

 男は後生大事に、チョコバナナを抱えていた。

 間抜けな野郎だ。ハハハハ。

 ――なんて言うオレは、後の祭り。

 間抜け野郎は旧オレで、新オレは――幽霊になっていた。

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